第十三話 やらかしたかも?初日から
「ネオン、帰んないの?」
「明希……」
ゆっくりと阿佐谷明希を見上げたネオンは、明らかに様子がおかしい。
「どした?」
「えっと、その……」
「なんか困りごと?」
明希はネオンの前の席に座り、話を聞く姿勢をとった。
転入初日が実力テスト実施日だったこともあり、色々な意味で気力が尽きたネオンは、帰りのホームルームが終わってからも席に座ったまま呆けていたが、ふと大変なことに気がついたのだった。
「……つまり、帰り方がわからない、と」
話をざっくりまとめた明希の言葉に、こくこく頷くネオン。
汐緒と一緒に帰ろうと思っていたのだが、ホームルームが終わるなり逃げるように教室から出て行ってしまった。
まあ、これは予想していたことなので、いいのだ。いや、よくないが。
問題は、ひとりで帰ろうにも居候中である六条松家の場所がわからないということだ。
ネオンの持つ悪魔の力は、光と雷、そして電気だ。それを使えば電線や電波を伝って、文字通り光の速さで移動が可能。
しかしその力を使うにしても、座標軸がわからないと目的地に辿り着くことは出来ない。
上空から探せればよいのだが、まだ外は明るい。ふよふよと飛んでいる姿を誰かに見られるわけにはいかない。
タツやアシュレタルトからは、普段の生活とくに家の外では悪魔の力を使うな、尻尾は隠せ、と厳しく言われている。
人間の世界で生活するのだから、人間として生きなければならない。当然のことだ。
「六条松さんと連絡取ってみたら?」
「連絡?」
「電話とかアプリとか」
「…………」
ネオンの目が泳ぐ。
「……まさかとは思うけど、ネオン、携帯電話持ってなかったりとか」
そのまさかである。
「マジかぁ〜! じゃあ、誰か連絡先知ってる人に伝えてもらうしか……」
そう言って、明希は教室内に残っているクラスメイトたちに視線を向けた。
六条松汐緒は普段からあまりクラスメイトと会話をしていないのだが……
「阿嘉坂ぁ〜! 六条松さんの連絡先知ってる?」
「知らん。なぜ俺に訊く」
「クラス委員長だから、知ってるかなって」
「女子の連絡先なんぞ知らん。方南さんなら知ってるんじゃないか」
「あたしがどうかした?」
ミルクティー色に染めた長い髪をかきあげながら、クラス副委員長の方南あや芽は阿嘉坂の方へと足を向けた。
「なんか知らんが、阿佐谷が六条松さんと連絡取りたいらしい」
「俺じゃなくて、ネオンが六条松さんに用事あるんだよ」
クラスメイト数名の視線を集めたネオンは肩をすぼめている。
「力になれなくてごめん。あたしも知らないんだ」
聞きたいとは思っているんだけど。あや芽はそう呟いて隣に立つ霞木綿をちらりと見る。
「私も知らなくて……ごめんね」
木綿はそう言うと、あや芽と顔を見合わせて頷いた。
「何かあったの?」
さらりと事情を説明する明希と、どんどん小さくなっていくネオン。
家の場所がわからないなんてカッコ悪過ぎるだろ。もういっそどこかに隠れたい。思わず地面を掘る自分の姿を想像する。あぁこれが『穴があったら入りたい』ってやつか!
「つーか、お前今朝、どうやって来たんだ?」
阿嘉坂はネオンの隣の席に腰掛けて腕を組み、じっとネオンを見つめた。
「ええと……なな……汐緒の母さんに車で送ってもらった」
緊張で昨夜あまり眠れなかったネオンは睡魔の誘惑に勝てず、窓の外の様子を見る余裕はなかったのだ。
「住所わかるものないの?」
荻窪慎海の問いにネオンは首を振る。
「生徒手帳は?」
「……まだもらってない」
「ええ? どうすんの? 朝、生徒手帳使うんだよ。あれにICチップついてて、ピッてやって学校に入るんだから」
明希は生徒手帳をゲートでタッチするときの仕草をした。自動改札機のようなものがあり、生徒手帳をかざすとゲートが開くのだと説明する。
「明日、早めにきて門のとこのピンポン押して事務の人呼んでくれって言われたんだけど。そのとき生徒手帳持ってきてくれるって」
「それなら大丈夫か……あっ! そうだ。俺さ、朝学校来るとき、たまに上松五差路のバス停で六条松さんと遭遇するんだよ」
明希はそう言って木綿に視線を向ける。軽く頷く木綿。
「だからあの辺りだと思うんだけど……家の近くに店とか目印になるものってある?」
俺、近くに住んでるからさ。明希は胸を張った。
「えーっと、店……店……ねぇな。山の上にあるんだよ。なんかすげー景色いいとこなんだ」
「……てことは、山の方の住宅地か」
眉間に皺を寄せて呟く明希。
「結構範囲広くないか、それ」
遠い目をする阿嘉坂。
「あ、寺! 寺みたいなのが、すげー近くにある!」
「五差路近くの山の上の寺っていったら……」
明希はぶつぶつ呟いている。
「下手に動かない方がいいんじゃないか。車で送ってくれたんだろ。待っていれば迎えが来るかもしれない」
そう言って阿嘉坂は腕を組み直した。
「あのさぁ……ちょっといい? おうちの住所と電話番号、先生に訊けばいいじゃない」
呆れ顔の木綿の発言に、男四人は彼女の顔を見つめた。数秒沈黙が流れる。
「な、なによ……」
「それだ‼︎」
「さっすが、ゆっぺ!」
「あー、なんで気がつかなかったんだろ……」
感心する荻窪、明希、阿嘉坂であったが、ネオンは慌てた。
「いや、待って! 俺の家どこだっけってセンセーに聞くのかよ。バカだと思われるだろ! 恥ずかしいだろ‼︎ やだ‼︎」
「やだって……家に帰れないよりマシだろ」
さ、行くか。溜息をつきながら立ち上がる阿嘉坂。
「大丈夫だって〜。ネオンがちょっとおバカさんだってことは、すでに俺たちに知られちゃってるし」
もうすっかり気心が知れた間柄のように揶揄う明希。
「そうそう。それに確実な方法だよね。さ、職員室行こーか」
明らかに面白がっている荻窪。
「や、ほんとやだ!」
お前らが心配してくれている気持ちは嬉しいが嬉しくない、と喚くネオン。
すったもんだの末、ネオンは男三人にずるずると引き摺られ、職員室へと連れて行かれた。
ちょうどドアが開いていたので、明希が元気よく手を挙げる。
「失礼しまーす。あおやまるセンセー!」
「粟生山先生な。どうした?」
呼び方を訂正した担任の粟生山塁は「引っ越してきたばかりだから仕方ないよな」と、笑わずに住所を教えてくれた。
冷たい先生じゃなかったんだとネオンは胸を撫で下ろす。
大袈裟にお礼を言うネオンを連れた三人がバス乗り場に着くと、きゃあきゃあ言いながら、あや芽と木綿が通信端末で動画を観ていた。
彼女たちは先に教室を出たはずだが、心配で待っていたのか、乗り遅れたのか、動画に夢中になって話し込んでいるだけなのか。バスに乗り込んでからも、女ふたりでキャッキャと盛り上がっているため、本当のところはわからない。
明希と木綿、ネオンの三人は上松五差路でバスを降りた。
明希が地図アプリで検索をかける。
「あー、なるほど。雲上殿の近くだな。寺っていうか、納骨堂な。ほら、ここがあの直売所だろ」
アプリの表示と信号の向こうにある建物や道を指差しながら説明する明希。
「この道沿いに登っていって……この辺りに雲上殿への案内看板があるから、それに従って行けば大丈夫だよ」
「うんじょうでん……」
ネオンは視線を彷徨わせた。
そういや、そんなような名前だったような……
「……ついていこうか?」
「だ、大丈夫!」
明希の申し出に、ネオンはぶんぶんと両手を横に振った。
ただでさえ、帰り方がわからなくてバカ丸出しだというのに、家までついてきてもらうなんて恥ずかしすぎる。
でも、本音を言うと、自力で帰れる自信はない。
明希は「……うーん、心配だなあ」と呟いてじっとネオンを見た。
木綿も心配そうな顔でネオンを見ている。
明希は首の後ろを掻いた。
ここから先はお山だ。
この時期はクマも出るし、うっかりどこかに迷い込んで万が一のことがあったら……
「送ってやるよ」
「あ、明希ぃい〜!!」
「ゆっぺはどうする?」
明希は、ネオンのことが心配でバスを一本見送ったであろう幼馴染に問いかけた。
「行くよ。ここで私だけ帰ったら、なんか、見放したみたいじゃない」
「こっちの方が車通り少ないから」と、先ほど説明した道とは異なる住宅地の方面へ進んでいく。
「俺、このあたり、よく散歩とかしてるんだよ」
軽い足取りで先頭を歩く明希。
横道に逸れ、急な坂を登っていくと眺めの良い車道に出た。
「へー、あの道、ここに繋がってるんだ」
周囲を見渡した木綿が呟く。
木綿も近くに住んでいるのだが、あまりこちらの方へ来ることがないのだ。
「ここからは車通り結構あるから、気をつけてな」
引率する先生のように明希が歩き始めたとき、坂を下ってくる車が見えた。水色の軽自動車だ。
「あ! ナナミ姉だ!」
「ん? だれ?」
「汐緒のかーさんだよ。ナナミねぇー‼︎」
「あぶなっ、ネオン!」
ネオンは反対側の車道に飛び出し、大きく手を振った。
ハザードを焚いて止まった車の窓が開き、七海が顔を出す。
「ネオンくん!」
「ナナミ姉ぇ〜」
「ごめんねぇ。迎えに行くの遅くなっちゃって」
明希と木綿は揃って瞬きを数回繰り返した。
「え、六条松さんのお母さん? お姉さんじゃなくて?」
「うおお……六条松さんのおかーさん、美人……」
ほう、と七海に見惚れる明希を木綿は睨みつけているが、明希は気が付いていない。
ネオンが明希たちのおかげでここまで来たと伝えると、七海は車から降りて二人に頭を下げた。
「お礼と言ってはなんだけど、家の近くまで送るから乗って。ちょうど下に用事もあるの」
顔を見合わせる明希と木綿。
そこまで言われてしまったら、その言葉に甘えるしかない。
麓の住宅地で明希と木綿を降ろしたあと、七海の運転する車は目的地へと向かった。
着いた先は出入界在留管理局日本支局長野支部。ネオンの姉であるアシュレタルトの職場である。
待ちくたびれた顔をしながら、アシュレタルトはネオンに紙袋を渡した。中身は通信端末とそのマニュアルだ。
「これが無いと不便でしょう。わたくしの連絡先は入れておきましたわ。ケースと保護フィルムも装着済みです」
「良かったわねぇネオンくん。あら、汐緒と同じ機種ね」
「え、汐緒とおそろい?」
ネオンは若葉色の瞳をキラキラと輝かせている。
「操作でわからないところは説明書を読んだり、インターネットで検索して調べるのですよ。汐緒ちゃんに聞くのは頑張って自分で調べてもわからない時だけになさい」
アシュレタルトは言い聞かせるように人差し指を立て、ネオンの鼻先で揺らせた。
「なんでだよ」
「いいから、お姉様のアドバイスは聞いておきなさい。汐緒ちゃんにはカッコいいところを見せたいでしょう?」
「……お、おう」
「とりあえず、メールアドレスとメッセージアプリの設定だけでも、ここでしていきなさい」
美術部の活動は木曜日。
連休明けの本日、一年生を迎えての活動が始まる。
汐緒を含む新入部員の女子生徒三人は、美術室に入るなり上級生に腕を掴まれ、わけがわからないまま長野駅前行きのバスに乗せられた。
バスを降り、部長の引率で向かった先はカラオケボックスだ。
「今日は新入生歓迎会だよ! カラオケ大会だよ!」
「選曲は、懐メロ限定でよろしく!」
「踊ってもいいよ!」
なぜ美術部の歓迎会でカラオケ?
そう思いつつも、汐緒は数分間『懐メロ特集』でピックアップされている曲名を眺め、タッチパネルを操作した。
「なんか、やらかしたかなぁ……」
汐緒は眉間に皺を寄せ、とぼとぼと、長野大通りを歩いている。
ビルが立ち並ぶ幹線道路だ。自転車道もあるが、さすが車社会。歩行者が少ない。
美術部の新入生歓迎会は、つつがなくお開きとなったのだが、どうもなにかやらかしてしまったのではないかと気になって仕方がない。
家族でカラオケに行ったときにいつも歌っているものを選曲したのだが、部長も顧問の先生も、ぽかんと口を開けて汐緒のことを見ていたからだ。
「んー……選曲がおかしかったのかなぁ」
『かもめが跳んだ日』と『みずいろの雨』それに『赤いスイートピー』
どれも有名な曲だし、とくに問題はなかったと思うんだけど。
と、なると……
「やっぱり、声大きかったのかも……」
歌うときの声量については、昔から母に指摘されていたことだった。
普段の汐緒からは想像できないほど、汐緒の歌声は大きく響くのだ。
だから、昔から音楽の授業でも小さな声で歌うように心がけていたのだが……
いつもは駅から自宅までは歩いて帰るのだが、この時間になると安全のためにもバスに乗った方がいいだろう。クマの出没は明け方と夕方が多いのだ。
だが、汐緒は少し風に当たりたかった。
善光寺表参道を通った方が近道なのだが、歩行者の少ないこちらの道を選んだのは、落ち着いて考えたいことがあったからだ。
それに、もしかしたら、夕方買い物に行くと言っていた母が迎えに来てくれるかも、という淡い期待もあった。
考えごとがあるときには歩くと良い──誰が言ったかは忘れたが、本当のことなのかもしれない。
今日は混乱のあまりネオンのことを避けてしまったが、冷静になって考えてみれば、ネオンが学校に通うこと自体は悪いことではない。
ただ、それが本人の意志によるものなのかどうかが問題だ。
人間界の常識を身につけたい、人間に慣れたい、そんな理由だけなら、学校に通う以外の方法もあるはずだ。
帰宅したら、なぜネオンが学校に通うことになったのか、その理由と経緯を訊かなくては。
「高校って義務教育じゃないんだろ。行かなくていいんじゃね?」などと言っていたネオンが、どうして高校に通うことになっているのか。
もしかして、誰かに強要されているのでは。
ネオンには、自分の道は自分で選んで欲しい。
もしもネオンが、自分の意思で学校に通いたいと思ったのなら、出来る限りのサポートはしたいと思う。
ネオンは素直だ。それに、汐緒の記憶ではネオンは優しかった。今もそうだとしたら、きっとすぐ友達が出来る。
だからそれまでの間──
通信端末が振動し、汐緒の思考を止めた。
母からの着信だ。
現在地を伝えると、七海は権堂にあるスーパーセンターで買い物をしているそうで、一緒に帰宅することになった。
「ごめんね、うしろに乗って」
乗り込もうとした七海の軽自動車の助手席ではネオンが寝息を立てている。
「さっきまで起きてたんだけど……初めての学校だったし、きっと疲れちゃったのね」
小声で話す七海。
「……そうだね」
「迎えに行くの遅くなっちゃったんだけど、お友達が送ってくれてね〜。もうお友達出来たなんて、ネオンくんすごいわねぇ」
「……そう」
そっか。もう友達出来たのか。
それなら、私の出る幕なんて、ないよね……
後部座席に身体を沈め、シートベルトを締める。
汐緒は、ほっとしたような、何かが足りないような、痛みにも近いような、妙な気持ちを抱いた。
水色の軽自動車は、延々と続く坂を登っていく。
汐緒は息を吐いて窓の外へと視線を向けた。