第2話
クリストフはフランシスカの邸にしばらく滞在した。「手配した人材が揃うまで、少し時間がかかる」と言われたからだ。
迷宮探索に必要な物は、フランシスカが既に手配していた。後は人が揃い次第出発となる。
クリストフは食事の後、邸の庭を借り、手隙の時間を鍛錬に充てていた。
ゆっくりと大剣を動かし、型を確認していく。力任せに大剣を振い続けるより、こういった鍛錬の方が重要だった。身体に型を沁み込ませる為のものだ。
そんなクリストフの様子を、少女――ウェンディと少女は名乗った――は傍で見つめている。
身体を動かしながら、クリストフはウェンディに語りかけた。
「こんなものを眺めていて面白いのか?」
視界の隅で、ウェンディが首を横に振るのが見えた。その顔からは、表情が抜け落ちている。どうやら少女が感情を見せるのは、かなり珍しいことの様だった。
クリストフは苦笑を浮かべる。
「退屈なものを見ていて、よく飽きないな」
「鍛錬を見ているのではありません」
「では、何を見ているんだ?」
「あなた自身を見ています」
――相変わらず、少女の言動はクリストフの理解の外だった。
鍛錬を終え、頭から水を浴びた後にタオルで顔を拭う。
相変わらずウェンディは、そんなクリストフを眺めているようだった。
「なぁウェンディ。創世神は何か言っているのか?」
ウェンディはまた、首を横に振っていた。
クリストフは上半身を水に濡らしたまま、タオルを首にかけてウェンディの横に腰かけた。
「お前にとって、創世神とは何者なんだ?」
「私が信仰する神様です」
ウェンディはクリストフを、まっすぐ見上げて言いきった。
迷いなど一切ない。そんな言葉だ。
どうやらウェンディは相当に信心深いようだった。ともすれば狂信者にすら思えた。
「……創世神はどういう教えの神なんだ?」
クリストフの問い対し、ウェンディに迷いは見られない。
「創世神様は、ただそこにおわす神様です。必要な時、必要な場所で導いてくださる。そんな神様です」
どうやら、教義らしい教義はないらしい。そんな神を、どうしてそこまで信じることができるのか――信心のないクリストフには、やはり理解できなかった。
「この前、”創世神の導きがあった”と言ったな。あれはどういう意味だ? 何か言われたのか?」
「あなたが同行を決意したことを、創世神様がお喜びになりました」
やはり理解できない――クリストフは、ウェンディを理解することを諦めた。この少女は”こう在るもの”と捉えるしかなさそうに思えた。
「オーケー、わかった。それで、その創世神は迷宮について詳しく教えてくれたりはしないのか? どう進めば最深部に辿り着けるのか、道筋を示したりはしないのか?」
ウェンディはゆっくりと首を横に振った。
(頼りにならん神様だな)
クリストフは項垂れてから、これからの道行きに思いを馳せていた。
手練れの傭兵三人とポーター、それに斥候だ。傭兵に少女の護衛を任せるとするなら、道中はほとんどクリストフが魔物を相手取ることになるだろう。傭兵たちに加勢させて少女が怪我をするようなことがあってはならない。
少女が歩けなくなれば、ポーターに少女を背負わせる。斥候が居れば、迷宮で迷う可能性も減るだろう。
足手まといの心配がなくなるとはいえ、クリストフの負荷は高いように思えた。せめて、もっと戦える人間が居ればいいのだが。
クリストフはふと思いついて、ウェンディに尋ねた。
「創世神は、はぐれた連れ合いの事は教えてくれないのか?」
「”必要な時に巡り合える”と仰ってます」
今がその必要な時ではないのか――創世神の言葉に何の疑いも持たないウェンディに、クリストフは困惑した表情を浮かべていた。
****
手配した人材が揃い、出発の朝となった。
傭兵達はこの道十年を超えるベテラン揃いだ。クリストフが相手をしても、簡単に降せる相手ではないように見える。
(やはり、俺がついて行く必要がわからんな)
困惑を胸に、馬に荷を括り付ける。
「クリストフ、これを持って行って」
そう言ってフランシスカが手渡してきたのは、蒼い石のついた首飾りだった。
「なんだこれは?」
「呼び合う力を持つ魔道具よ。こっちの首飾りと共鳴するの」
そう言ってフランシスカは自分の首にかけられていた首飾りを持ち上げて見せた。
「ウェンディの連れ合いが見つかり次第、あなたを追いかけさせるわ」
「……その連れ合いが見つかるまで、ここで待って居ればいいんじゃないのか?」
クリストフとフランシスカの会話に、馬上のウェンディが割り込んでくる。
「それでは間に合いません。急ぎましょう、時間があまり残されていない」
ウェンディにしては珍しく、やや焦った色が声に在った。
クリストフはため息を一つ吐くと、フランシスカから受け取った首飾りを自分の首にかけた。
「オーケーお姫様。それじゃあ急ぐとするか」
クリストフは即座に馬に跨り、迷宮を目指して駆けだした。
****
馬を駆ける事、八日目――一行は夜盗や魔物に襲われることもなく迷宮に辿り着いていた。
(さすがに、これだけの大所帯を襲う程馬鹿じゃないってことだな。有難い)
馬を木に繋ぎ、必要な荷物を背負う。
迷宮の入り口は石作りで、地下に続く階段が見えていた。
先頭の斥候が松明を片手に進んでいく。その後にクリストフが続き、最後尾にウェンディを囲んだ傭兵達が居る。
斥候は慎重に魔物の気配を探りながら、迷宮の道程を紙に記して行く。
行き止まりを何度か経た後、少し開けた場所に出た。
「誰か、先に来ているようですね」
斥候が辺りを見渡して口にした。
確かに、その開けた場所には魔物の躯が散らばっている。
手に取って調べてみたが、死んでからそれほど日にちは経っていないように見えた。
「魔物どもを全て片付けてくれるなら、こちらも有難いんだがな」
ウェンディを振り返る。やはりどこか焦っているような表情だ。
(先に辿り着かれたくない、ということか)
その場を後にし、先に進んでいく。
石造りの道を進んでいくと、十字路に突き当たった。そこで斥候が急に腰を落とした。
「右側から気配があります。近いです」
振り向いて小声で伝える斥候とクリストフは顔を見合わせ、頷きあう。
クリストフが大剣を抜き放ち、斥候の前に出る。
慎重に歩を進めながら十字路を右に曲がる。
曲がった先、松明に照らされた場所の向こう側――暗闇の中に光る目が見えた。
斥候も短剣を抜いて構える。クリストフは斥候を手で制しつつ、ゆっくりと気配に近づいていった。
「おそらく、甲殻鼠です」
背後の斥候から声が聞こえた。一メートルを超える、鎧のような甲殻を纏った鼠だったはずだ。
鋭い爪と牙を持ち、不潔なそれで手傷を負うと致命傷になりかねない。厄介な相手だ。
暗闇で光る目の数を数える――五対の目が確認できた。
斥候が予備の松明に火を灯し、奥に投げ込んだ。
投げ込んだ松明に照らし出され、五体の甲殻鼠が姿を現す。
松明に反応した甲殻鼠がこちらに襲い掛かってくる――だがそれよりも早くクリストフは動いていた。
先頭の甲殻鼠の頭部を断ち切り、そのまま勢いを殺さずに横の甲殻鼠の腹を分断する。
それでも襲い掛かる甲殻鼠の爪をギリギリで下がって躱しつつ、その首を跳ね飛ばした。
さらに一歩退き、残った二体の甲殻鼠と相対する。
一瞬睨みあった後、再びお互いが距離を詰め、クリストフの刃は残った鼠の頭部を切り裂いていた。
ふぅ、と一息ついた後、クリストフはまだ息のある甲殻鼠にとどめを刺していく。
斥候は床で燃えている松明を回収し、火を消してしまい込んでいた。
「数が少なくて助かったな」
クリストフの正直な感想だった。甲殻鼠は群れを成して生息する。十や二十の大群も珍しくないと聞く。
さすがにそれほどの大群を相手に、一人で手傷を負わず勝利するのは厳しく思えた。
「やはり、先に来ている者が居るのでしょう」
斥候の言葉に、クリストフは頷いて返した――先に来た者が、甲殻鼠の数を減らしたのだろう。
甲殻鼠は悪食だ。躯があれば食い尽くす。群れの形跡が残っていないのは、そのせいかも知れなかった。
ウェンディの声が響く。
「先へ急ぎましょう」
その声に頷き、一行は先を目指した。
****
入り口からかなり深く潜った場所――開けたその場所には、野営の跡があった。
「どれくらい経っていると思う?」
クリストフの言葉に、斥候が「それは分かりませんが、かなりの大人数ですね」と応えた。
焚火の跡が三つ。それぞれが、それなりの大きさだ。この場に入れる人数を考えると、二十人から三十人の間だろうと思われた。
斥候は足跡を調べているようだった。
「俺たちもここで野営しよう。そろそろ、陽が沈んだ頃だ」
斥候が頷き、焚火跡に火の用意を始める。
火の回りに皆で腰かけ、携行食の干し肉を取り出し、火で炙ってから口にした。
クリストフは水を口に含みながら、ウェンディの様子を伺っていた。
(やはり焦っているな)
先行者が道を切り開いているおかげで、遭遇する魔物の数は想定よりずっと少なかった。
かなり早いペースで追いかけているはずだ。それでも不安なのだろう。あるいは創世神から急かされているのかもしれない、クリストフはそう思った。
「ウェンディ、時間はあとどれくらい残っているんだ?」
ウェンディは首を横に振った後「わかりません。けれど、ゆっくりしている時間はありません」と言った。
携行食を口にする時間も惜しいのか、手を付けていない。
「ウェンディ、焦っても良いことはない。補給できるときに補給しなければ、途中で力尽きることになる。その方が遅れることになるんだ。だから、食べられる時に食べ、寝られる時に寝ておけ」
クリストフは諭すようにウェンディに語りかけた。
ウェンディは火を見つめながら、クリストフの言葉を噛み締めるように頷いた後、干し肉を齧り始めた。
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迷宮探索三日目、大きく開けた場所に出た。
辺りには人間の躯が八つ以上散乱し、巨大な魔物の躯が一つ転がっていた。
「こいつ、竜ですよ。こんなところに居るだなんて」
斥候が呆れたように言った。
首を落とされたそれは、確かに小型の竜に見えた――小型とはいえ、体長は五メートル近い。大型になると数十メートルになるという。
何本もの槍を突き刺され、血をまき散らして事切れている。
「こんなのが居たんじゃ、奥までたどり着ける奴が居なくても納得ですね」
斥候が竜の死骸を確認しながら言った。
並の戦士が勝てる相手ではない。訓練された兵士と魔術師を大量に投入して勝てるかどうか。そんな魔物だ。
クリストフが知る男も、単独で竜に勝てるほどの腕は持ち合わせていなかったはずだ。
「逆に、こんなのに勝てるような奴が先行してるってことか」
クリストフが辟易しながら吐き捨てた。
ウェンディの様子では、彼らに先を譲りたくないらしい。ここでかなりの戦力を失ったようだが、場合によっては残存戦力と戦わねばならないだろう。
少なくとも、今の戦力でかなう相手とは思い難かった。
(どうする――ここで引き返すか)
クリストフはウェンディの顔を見た。
まだ相手の戦力はハッキリと分かっていない。だが、相手を確認した途端に戦闘が始まれば、ウェンディを守り切るのは無理だろう。
ウェンディの眼差しは、真っ直ぐクリストフを見ていた。その迷いのない眼差しは「先に進め」と雄弁に語りかけていた。
クリストフは項垂れて大きくため息を吐いた後、「オーケーお姫様。死んでも恨むなよ」と口にし、先に行くよう斥候を促した。
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探索四日目――転がる兵士の躯に対し、遂に斥候が「近いですね。死後一日経過していません」とクリストフに伝えた。
やはり、順調なペースで追い上げているようだ。
辺りには獣人の躯が多数散らばっている。
(これだけの数の獣人を相手に、犠牲者一人で済ませる相手か)
やはり、気が乗らない。クリストフが勝てない相手だとは思わないが、数で競り負けるのが目に見えていた。
だがウェンディが諦める様子もない。せめて、相手の姿を確認しなければ納得しないだろう。
相手の姿を確認次第、傭兵達には一目散でウェンディを連れて逃げてもらい、クリストフが逃げる時間を稼ぐ。そんな考えでいた。
――既にクリストフの頭の中に”気絶させて連れ帰る”という選択肢はなかった。あの真っ直ぐな眼差しに、絆されてしまったのかもしれない。少なくとも、ウェンディが納得する形で連れ帰りたかった。
迷宮に入って何度目かの獣人を下し、クリストフは一息ついた。幸い、ここまで大きな手傷は負っていない。
先行者は目前だ。その痕跡はどんどんと近づいていた。
クリストフは先に続く暗闇を凝視した後、覚悟を決めるように己の頬を両手で張った。