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第1話

 頭蓋を半ばまで割られた夜盗が力なくずるり、と崩れ落ちていく。

 その頭部から大剣を引き抜きつつ、男が睥睨して告げる。


「逃げるなら今のうちだが、どうする?」


 月光の下――既に、三人の夜盗が瞬きの間に切り捨てられていた。

 わずかな逡巡の後、二十人を超える夜盗達は踵を返し、森の中へ走り去っていった。

 相手との戦力差を推し測れなければ、荒事の世界で長生きすることはできない。

 金目の物――特に、男が手に持つような大剣は高値で売れた――を奪い取ろうと一度は襲い掛かったものの、この人数差であっても勝てないと、ようやく判断したのだろう。


 男は大きくため息を吐いた後、大剣を布で拭い、背中に納める。


(どうせなら、襲い掛かる前に戦力差を測ってほしいものだな)


 男の体格は二メートルを超える。鍛え上げられた体躯は、常人の中に居ても一際異彩を放つ。身のこなしは熟練の剣士のそれだ。何故あの程度の人数差で勝てると思うのか。男には理解できなかった。


 夜盗の死体処理までしてやる義理はない。躯をその場に打ち捨てたまま、月に照らされた山道に改めて足を踏み出していった。



 男の目的地は、この山を越えた先にある大きな街だった。

 古馴染みから「頼みがあるから会いに来て欲しい」と、手紙を受け取っていた。

 その古馴染みには大きな借りがあった。それを返す良い機会だろうと判断し、男はその街を目指していた。


(だがあいつが俺に頼み事など、見当もつかないな)


 不器用な男と違い、古馴染みは器用で要領の良い奴だった。

 厄介事でなければいいのだが――そう願いつつ、男は歩を進めていった。





****


 街の一角、大きな敷地に邸が建っていた。手紙で示された通りであれば、此処に古馴染みが住んでいるはずだ。

 邸の門の前には門兵が二人立っていた。手には槍を持ち、ピリピリと辺りを警戒しているようだ。


(街の中にしては緊張しているようだが、そんなに物騒な街なのか?)


 疑問に思いつつ、男は門兵に近寄りながら声をかける。


「フランシスカは中に居るか」


 男の声と気配に反応した門兵が、緊張した面持ちで槍を構え、誰何する。


「何用だ。それと、名を名乗れ」


 男は気の抜けた顔で、突き付けられた槍の穂先を指で摘まみつつ、門兵に応える。


「クリストフだ。フランシスカに呼ばれて来た」


 控えの門兵が邸に報せに走って行った。その門兵が戻ってくると「中へどうぞ。主人がお待ちです」と、門の中へ案内されていく。

 男――クリストフは案内されるままに、邸の中へ踏み入っていった。





 クリストフが通された部屋では既に、一人の見慣れた女――フランシスカがソファに座って待って居た。

 美しく長い銀髪と細い顎、スッと通った鼻筋。瀟洒なドレスを身に纏い、実に女性らしい風貌を備えるが、その切れ長の双眸は強い意志を湛えている。

 その双眸が示す通り、この女が自分を曲げる姿など、クリストフの記憶には殆どなかった。


 その横には、見覚えのない少女が一人、座っていた。

 肩で切り揃えられた黒髪と落ち着いた琥珀の瞳。その瞳が、クリストフを興味なさ気に眺めている。

 白い長衣は聖職者の物に近い。だが見覚えのない装飾が施されていた。


(この大陸で聖職者、と言えば常に同じ意匠の長衣を纏っていたはず。では、聖職者ではないのだろうか)


 聖職者にしては年齢も若い。まだ成人してすらいないだろう。その感情を伺えない整った顔を、クリストフは眺めていた。

 少女を観察していたクリストフに、フランシスカが語り掛ける。


「待ってたのよ。思ったより早かったわね」

「そうでもない。この辺りは物騒なのか? 夜盗に何度か襲われたんだが」


 夜盗に足止めを食らわなければ、もう半日は早く着けたはずだった。何度も襲われるのは面倒だったので、目立つ街道を避け迂回していた。

 フランシスカはその言葉に目を瞠って驚いていた。


「あなたを襲ったの?! 夜盗じゃなくて、自殺志願者の集いだったんじゃないかしら」


 クリストフの強さをフランシスカは充分に知っている。そこらのゴロツキや盗賊風情が束になっても、手に負える相手ではない。


「そんなことより。俺に頼みってのはどういう事だ?」


 クリストフは単刀直入に切り出しつつ、フランシスカの向かいに腰かけた。ギシリ、と体重でソファがたわむ。


「しばらく、この子のお守をしてほしくてね」


 フランシスカは、微笑みながら傍らの少女を見た。

 少女は特に反応も示さず、ただ真っ直ぐクリストフを眺めている。


「――どうも耳の調子が悪いらしい。済まないが、もう一度言ってくれないか?」


 クリストフは薄笑いを浮かべてフランシスカに応えた。

 だがフランシスカは改めてクリストフを見据えた後、もう一度「あなたに、この子のお守をしてほしいの」と告げた。

 クリストフの表情が困惑したものに変わる。


「笑えない冗談だ。そういう事は使用人を雇って、そいつに任せればいいだろう」


 フランシスカは魔術師と商人、二足の草鞋を履き、それぞれの道で成功を収めている。

 富と名声、そして実力を兼ね備えた女だ。使用人の一人や二人、新たに雇うことなど造作もないはずだった。

 フランシスカは一度紅茶を含んだ後、ゆっくりと口を開く。


「この子はね。船旅の最中に連れ合いとはぐれてしまったらしいの。そちらは私が手を尽くして探しているのだけれど、もうしばらく時間がかかると思うわ」

「ならその連れ合いが見つかるまで、お前が保護すればいいだけだろう。俺がお守りをする必要が、どこにある」


 困惑を続けるクリストフに対し、フランシスカが応える。


「この子は西の迷宮に潜りたいのですって。それもなるだけ早く」

「……冗談だろう?」


 この街の西の迷宮――その奥には莫大な財宝が眠るとも、神の叡智が眠るとも言われている場所だ。

 だが魔物が多く出没し、腕自慢が何人も潜っては手傷を負って途中で引き返してくる。そんな場所だった。

 とてもこんな少女が潜るような場所ではない。

 クリストフ自身、そんな場所に潜って最深部にたどり着ける自信などない。

 フランシスカの顔にも苦笑が浮かぶ。


「それがね、本気らしいのよ。どうしても最深部に行きたいと言って譲らないの」


 フランシスカが「ね?」と傍らの少女に笑いかけると、少女は静かに頷き、初めて口を開いた。


「創世神様が呼んでおられます。私はそこに行かねばなりません」


 鈴を転がすような、だが感情を感じ取れない声で少女は静かに語った。

 創世神――クリストフにとって、初めて耳にする言葉だった。この大陸で信仰されているのは神竜と呼ばれる、竜の姿をした神だったはずだ。


「何者なんだ、その創世神というのは」


 クリストフの疑問に、フランシスカが応える。


「古い神の名前よ。魔術師ぐらいしか知らないような、そんな古い神話の神よ」

「その創世神とやらの為に、この子は死にに行くのか? 俺も共に死にに行けと、そう言うのか?」


 クリストフとて腕には自信がある方だ。人間相手なら簡単に負けない自負がある。だが少女が目指す迷宮から生きて帰る自信はない。少女のお守をしながらであれば、尚更生存率は低くなるだろう。


「お前には大きな借りがあるが、命を懸けてまで返すほどじゃない。さすがに無理だ」


 クリストフは素直に述べた。「死にに行ってこい」と言われて応じられるほど、軽い命を持った覚えはない。

 フランシスカもそれは分かっていた。


「そこまでしろ、とは言わないわ。この子を連れて迷宮に潜って、どのくらい危険なのかを思い知らせてあげて欲しいの。もう無理だ、と思ったら素直に引き返してくれればいいわ」

「それでこの子は納得するのか? それでも奥に行きたい、と駄々を捏ねられたらどうする?」

「気絶させて連れて帰ればいいんじゃない?」


 さも何でもないようにフランシスカは言い放った。少女の目の前で言い放たれた言葉に、だが少女はまったく心を動かされた様子はない。


「こんな子を負ぶって迷宮を戻れ、とでも言うのか? せめて自分の足で歩いてもらわなきゃ、帰り道で命を落とすだけだ」


 辟易とした様子でクリストフも言い捨てた。少女を担いだままでは、まともに戦うこともできはしないだろう。道中で魔物の餌食になるのが目に見えていた。

 フランシスカはそんなクリストフの態度に、可笑しそうに応える。


「傭兵ギルドから手練れを三人付けるわ。それにポーターと斥候を一人ずつ。迷宮探索には十分な編成になるはずよ」

「……俺が居る必要はあるのか? そいつらに子守を任せればいいだろう」

「それがね、この子があなたを指名してるのよ」


 フランシスカの笑みを、クリストフは凝視した。


(俺を……指名?)


「どういうことだ? 俺はこの子と会うのは、今が初めてだ。お前がこの子に俺の事を教えたのか?」


 フランシスカの笑みに、さらに楽しそうな色が加わった。


「この子、私に会うなり”あなたの友人を紹介して欲しい”って言ったの。”クリストフという方に共に来て欲しい”って」


 クリストフの視線が少女に移った。少女は変わらず表情が抜け落ちたまま、クリストフを瞳に納めていた。

 クリストフが少女に尋ねる。


「どういうことだ? お前は俺の事を知っているのか?」

「創世神様がそう仰ったのです」


 少女の発言は要領を得ない。クリストフには理解ができなかった。

 フランシスカが少女の言葉を補足するように続いた。


「神託、という言葉を知ってる? 神の意志をこの子は受け取れるらしいの。古い神には、よくあったことらしいわ」


 少女の顔を見つめたまま、クリストフは呆然としていた。

 クリストフにとっては初耳だ。神などという存在を信じたこともない。そんなものの意志をこの少女は受け取れると、フランシスカは信じているようだった。

 クリストフは首を横に振りながら口を開いた。


「俺にはそんなもの、信じられない。こんな少女の戯言に付き合わされるのも御免だ。いくらお前の頼みでも、限度という物がある」


 だが少女はクリストフをまっすぐ見つめたまま、それに応えた。


「あなたが共に来てくれるならば、必ず最深部まで辿り着けます」

「それは無理だ。一体なんの根拠があってそんなことが言える?」


 クリストフは自分より熟練の剣士があの迷宮に潜り、生きて帰らなかったことを知っている。

 クリストフが何度剣を交えても、一度も勝てたことがないほど腕の立つ男だった。それでも無理だったのだ。少女のような足手まといを連れて最深部へ、など絵空事のようにしか思えなかった。


 それでも少女の瞳はクリストフを見据えていた。


「あなたの剣に記された銘は、飾りなのですか?」


 クリストフはその言葉に愕然となった。少女を見つめたまま、フランシスカに尋ねる。


「……この子に、そのことを教えたのか?」

「あなたの剣に何か彫られているの? 私は初耳よ?」


 それもそうだろう。刀身に小さく彫られた銘など、見せた覚えもない。自分だけが知っていればいい、そんなものだ。

 クリストフの大剣には抑強扶弱――強きを挫き弱きを助けるべし、と彫られていた。強い力に恵まれた自分だからこそ、己に課せられたものだと思った言葉、己の信条だった。己の力に溺れることのないように、魂に刻み付けるように彫り込んでいた。

 クリストフは少女を見つめたまま尋ねた。


「なぜそれを知っている?」

「創世神様が今、教えてくださいました。そう言えばあなたは、私を無視できない、と」


 しばらく少女の迷いない瞳を見つめた後、クリストフはがっくりと頭を落とし、ゆっくりと息を吐いた。


「……わかった。神託とやらを信じよう。だが――」


 顔を上げたクリストフの視線が、再び少女を捉える。


「無理をするつもりはない。”これ以上は無理だ”と感じたら、素直に引き返してもらう。それでいいか」


 少女は途端に満面の笑みを浮かべた。


「創世神様のお導きがありました」


 ――つくづく、自分の理解の外にある少女だ。クリストフはそう思った。


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