16 桃の節句(上)
本日の投稿。
下鴨神社は、京の北東に位置し、多く有る鬼門を護る社の一つであり、また、正式名称賀茂御祖神社であることから判る通り、糺ノ森と御手洗池の神通力により賀茂家の祖先神を祀る神域でもある。
「うむ。やはり糺ノ森の気は、素晴らしいのぉ。」
導真は、松坂が引く牛車を糺ノ森の前で降り伸びをして深く息をすう。
「そう~なんだなぁ、導真様。おら、な~んだか、気分がい~だよ。」
「そうじゃろ、そうじゃろ。大内裏の鬼門にあってこの清浄さを保つのじゃから、さすが賀茂家の御祖神の領域よのぉ。それより、ほれ。早よう人に変化せぬか。今日は儂の付き人ぞ。」
「そ~でじた。少々お待ちくだせぇ~。」
そう言って、牛車の陰に隠れると直ぐに白髪に黒いメッシュの入った青年が出てくる。
「お待たせ致したました。」
「いつも不思議に思っておったのじゃが、何故、人の姿の時は話し方が普通なのじゃ。」
「牛の姿だと、反芻もしないと行けないのでどうしても訛ってしまえだでえ。」
「いや、無理に何時もの言葉使いにする必要は無かろうて。では、参ろう。」
「はい、お供致します。」
「そんなに急かんで良い。寄り道もするしのぉ。」
「何処へおいでなさるので。」
「まぁ、たんなる挨拶じゃから気にせずについてまいれ。」
二人は糺ノ森を通り抜け、鳥居を潜り楼門の手前で左に逸れる。
そこには、二本の樫が寄り添い一つの大木になっている。
「これは、連理の賢木と言っての、縁結びの利益があると言われておる。」
「導真様、今更に新たな女性をお迎えになるので。」
「なっ、何を迂闊なことを言っておる。そうでは無い。松坂。」
慌てて、松坂に耳打ちする。
「(あやつの耳に入ったら大変な事になるぞ。)」
「(あやつ?・・・あ!あねざん!ぞぉでごぜぇまじた。)」
「(口調が牛に戻っておるぞ。じぁがその通りよのぉ。分かるじゃろ。)」
二人してブルリと身震いをする。
「ここにおる奴に逢いに来たのよ。おーい、気づいておるのであろう。」
ザワザワと連理の賢木の枝が風も無く揺れる。
「菅原の。気づいておじゃったか。よく来たでおじゃる。」
「お主がいつもここから見る鴨川の流れが美しいと言っておったからのぉ、賀茂建角殿。御無沙汰じゃのぉ。」
「『御無沙汰じゃの。』ではない。導真殿。最近ご近所から冥界の気が頻繁に流れてくるでおじゃる。黄泉比良坂が開いたのかと思う程じゃ。お主でおじゃろう。」
「うむ、ちょいと篁君と遊んでおるのじゃ、迷惑はかけんつもりじゃよ。」
「まぁ良い。お主の破天荒は今に始まったことではおじゃらぬからのぉ。」
「ところで、娘さんは何処に。」
「今日は、上巳の節句でおじゃろう。委細を任せておじゃる。」
「そうか、それは残念じゃの。玉依姫は美しいから眼福賜りたかったのじゃが。」
「あな、色に狂れしや。この翁。」
笑みを浮かべるも眼光鋭く導真をにらむ。
「かぁっか、か、冗談じゃよ。宜しくと言伝ておいてくれ。」
「導真様、そろそろ向かいませんと。」
「そうじゃのう。少し騒がしくするが良しなに願います、建角殿。」
導真様は、そう言って踵を返し糺ノ森に向う。
「導真様。方向が違います。帰られるのですか。もしかして忘れ物しましたか。」
「松坂、黙ってついてまいれ。」
◇◆◇◆◇◆
バサバサと1羽の烏が連理の賢木の枝にとまる。
「よろしいので。」
「構わぬでおじゃるよ。川も偶には波たてて流れねば濁るばかりでおじゃれば、賀茂に害が及ばぬうちは放っておくでおじゃれ。何やらコソコソとしとるもう一柱より、挨拶に来るだけましでおじゃろう。」
「主様がそう仰るのでしたら。」
そう言って烏は頭を垂れる。
「ところでじゃ、玉依姫は節会を上手くやっておじゃるかの?」
烏は、フッとため息を付く。
「ご心配には及びません。姫さまは、霊験あらたかな神なればこのような節会など造作もない事と存じます。既に邪気を払う神通力を溜め終えており、恙無く執り行われるかと。」
「ふむふむ、そうでおじゃろう。上巳の節句のことを訊いているのではおじゃらぬ。麻呂が傍に居なくて寂しい思いをしておじゃらぬかと問うておじゃる。」
「これは失礼つかまつりました。すぐ、確認してまいります。」
「こっそり行くでおじゃるよ。」
烏は、大空へと羽ばたき。ハァと息をはく。
「こちらも、しばらく放っておいた方がいいかな。」
そう一言こぼして拝殿へと飛んで行くのである。
「導真様、糺ノ森に分け入って何処まで行かれるのですか?そろそろ拝殿に向かわないと遅れてしまいますよ。」
「もう、着いたわい。ほれ、あれ見よ。」
「こんなところにこんな立派な桃の木が。」
薄っすらと光る不思議な桃の木が花を七分程咲かせていた。
「疾!」
導真は、人差し指で宙に小さく円を描く。
すると桃の木の小枝が二つ切れ、光の膜に包まれて宙に浮く。
小枝には、花が二、三輪と蕾がいくつか付いている。
導真が手を伸ばせば、光に包まれた桃の小枝がその手に納まる。
「うむ、問題なく神通力が使えるな。一つは、律の土産で、もう一つは美紅にやろうかの。年頃の娘が節句に参加出来んから詫びの品にしようかの。」
その様子を松坂は、呆気に取られた表情で見ていたが、どうしても聞きたい疑問が口を衝く。
「どうして、他の神の神域で簡単に神通力が使えるのですか。神通力で予め変化して入って来た私ですらその維持に今も苦労していると言うのに。」
「何、その為に挨拶に行ったのじゃ。儂が挨拶しそれをここの主が受け入れる。そのことで儂は、ここの主の客となったのじゃよ。主の客に神域が無礼を働く筈なかろ。それより、見よ。良い桃じゃぞ。糺ノ森の気と暦の力で光り輝いておる。」
「はぁ、確かに美しい桃ですが、折ってしまってよろしいのですか。」
「邪魔されんかったのじゃから、良いに決まっておろう。駄目なら、あの程度の術は打ち消されておったじゃろう。挨拶はするものじゃよのぉ。はっはっはっ。」
「導真様、笑っている場合じゃありません。急がないともう時間ですよ。」
「そうじゃなの。急ぐか。ついてまいれ。」
そう言って、桃の小枝を袖に仕舞うとヒョイヒョイと木々の幹や枝を蹴って身軽に駆け出す。
「導真様、軽功を使うなんて狡いですよ。待って下さい。」
◇◆◇◆◇◆
桃の節会、上巳の節句などと呼び名は色々だが、やることはほとんど同じ。神々に春の訪れを言祝ぎ、無病息災を願う。 そして、穢れを人形に封じ込めて川に流すことで禊を行うのだ。
今回の節会では、午前中に下鴨神社の御祭神に祝詞を捧げ、春の訪れを感謝し無病息災を願う神事を行う。
その後、会食の間に親しい者達と挨拶をして和歌に興じる。
最後に、御手洗池にて、穢れを封じた人形を流す。
最後に、酒宴をする。
「という訳でな、もう儂は飽きたのよ。祝詞が長い。ひとりひとり言祝ぐ必要あるか?皆見栄を張りたがるが、所詮春の祝いと健康成就と内容が決まっておるのじゃ、違いを出そうとすれば、余計な言葉を飾るしかなかろうて。だから、長くなる。飽きた。」
会食が始まり、先程、大方の親しい者達からの挨拶も紅葉殿の夫を最後に終えた。
これから食事をという段になって、既に導真は飽きていた。
「そんなこと言わないで下さいよ。ほら、この鰆は美味しそうですよ。蛤のお吸い物はいい香りがしていますし。私は、草食なので食べませんので、お召し上がりください。あっ、つくしのおひたしは、あげませんよ。」
「そうは言うがのぉ。儂は、早く律のもとに行きたいんじゃよ。」
「はいはい。余興の和歌はよろしいので。」
「ふん、あれは色恋を求める若人の集いよ。儂が行っては興ざめしよう。」
「そうですか。では、大人しく膳を頂きましょう。この菜の花の辛子和え、美味しいですよ。 ピリッとした刺激がいいですね。何が不満なんですか。」
「うむ。今日、必ず何かしらの襲撃がある筈なのじゃ。一番可能性が高かったのが、この場での騒動。客神とはいえど、他神の神域じゃから、十全に力は奮えぬ。普通、それでも構わぬがのぉ、何か有れば、神域の主神が護る故。しかし、此処の主神は、現世に絡む事には極力、手を出さぬ。《子孫が落とし前を付けるがのぉ。》故に襲撃の絶好の機会なのじゃが。」
「良いではないですか。平穏無事が一番です。」
「次に儂不在を狙って律を狙う。儂の護りがこの神域に阻まれるからのぉ。・・・・・どうやら、律の方に何か仕掛けたようだのぉ。」
ギリリと歯を噛む音が聞こえる。
「準備は万端、歩智に任せるしか無いかのぉ。」
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