8 最大の魅力はお金
カウンター内でジャガイモの皮を剥きながら、視線を少しだけ上げれば、食堂の出入り口近くの丸テーブルに座った真っ黒な塊が見える。言わずもがなハリスさんの友人アルフレッドさんだ。
平日や休息日関係なしに人が少ない午後にやってきてはコーヒーを頼み、新聞を読んだら帰っていく謎の男性。食堂職員の中ではちょっとした噂になっていた。
「また来てるわね、あの人」
「……ハリスさんの友達らしいですよ」
音もたてずに私の左隣に立ったエマが皿を拭きながら囁く。
『全身真っ黒の怪しい男がいるんだけど!』と事務所にエマがすっ飛んできたのはアルフレッドさんがやってきた三日後のこと。言われた瞬間に誰のことか分かるから、あの身なりはある意味便利かもしれない。
「へぇー、ハリスとは違うタイプに見えるわ。それにしてもこんな真っ昼間から優雅なものね。コーヒーを楽しみたいなら一等客車専用食堂の方に行けばいいのに」
どこか棘のある言葉だが、おおむね同意なので否定せず苦笑だけしていたら、今度はすっと右隣に影がさした。
「そう邪険に扱わないでやってよ。彼、あんな服着てるからあっちの食堂行くと門前払い喰らうんだ」
ハリスがコーヒー豆をひきながら隣に並んだ。
「このご時世ですし、あちらだと下手したら鉄道警察呼ばれそうですよね」
「あら、ここでも変な動きしたら呼ぶわよ」
鼻息荒くエマが言う。
鉄道警察に摘発されるべきはこの隣の人とか支配人の方なんだけど。
ハリスさんの方に向きそうになる視線を押しとどめ、素知らぬ顔で次のジャガイモに手を伸ばす。
「彼に伝えとくよ、残念ながら君の服の女性受けは最悪だってね」
「あら、建設的に服装のチェンジをお勧めしているだけよ。あんな黒づくめでは女性はふり向かないわ、ねぇ、シャーロット」
「へ? 私にふらないでくださいよ」
見るからに怪しさしかないあの人を恋愛対象として見たことがないため素っ頓狂な声が出てしまう。ナイフが滑り危うく手を切るところだった。
「エマ、分かってないね。見かけなんて二の次、アルの最大の魅力はお金だよ! 彼、とってもお金持ちなんだ。古今東西、これに勝る魅力はないだろ。ねぇ、シャーロット」
「……私にふらないでください」
人差し指をぴっと立てて、口の端を最大限緩ませるハリスさん。今にも踊り出しそうなくらい声は明るい。アルフレッドさんの代わりに出来る限りの冷たい視線を送った。
友人の最大の魅力をお金なんて言う人とは関係を絶った方がよいと思う。
新聞に顔が隠れて見えないアルフレッドさんに心の中で忠告をした。
「あら、ハリスったら前時代的ね。女性だって働く時代よ、結婚にお金が求められる時代はもう終わり。あくまで人間性が一番よ。そして、その人間性は見かけに表れるもの。だから、見た目よ、見た目。ねぇ、シャーロット」
「だから、私に振らないでくださいって!」
私を巻き込もうとする二人に思わず小さく声を荒げる。が、二人は止まらない。
「そうは言っても、エマの今の恋人はお金持ちなんだろう?」
エマは数年前に地方から出てきて、流行りの自由恋愛を楽しんでいるらしい。
『私の故郷だと、二十歳上の地主のご子息様か、山を越えたところにある、最近ようやく初等教育を受け始めた実業家のお孫さんくらいしか適齢期の男性がいないのよ』
適齢期の幅が随分と広い気がする。
『二択しかないのって人生損してるでしょう。アレスタではたくさん選択肢があるのだし、納得行くまで試すべきよ』
そう言い放つエマの顔にはすがすがしい笑みが浮かんでいた。だからと言って、とっかえひっかえするのもいかがなものと思う。私がここに就職して早三週間。エマの恋人はすでに二回変わっていた。
「あら、ハリス。お金はあるに越したことないわ。男性だって家庭的で、かつ、胸が大きな女性が大好きでしょう?」
「もちろんさ」
あまりにもあけすけな二人に私の頬が赤くなる。貞淑を良しとした時代から、随分と開放的な時代になったもので、旧帝国主義的な価値観が未だ根付いている田舎から出てきた自分には少々刺激が強い。
「お二人とも……食堂でする会話でないのでは……」
「シャーロットは案外お堅いのね」
「そこが彼女のいいところだと思うよ」
「……それはどうも」
褒められているのか分からない言葉に顔を引きつらせる。
そうしていると、ふいに左右の会話が止まった。不思議に思い、あと少しで剥き終わるじゃがいもから顔を上げれば、お金が最大の魅力のアルフレッドさんがそこにいた。
決して私が言ったわけではないし、会話にすすんで参加していたわけではないが罪悪感に奇妙な悲鳴が出る。こちらを見る視線がいつも以上に冷たいのは気のせいでないはずだ。
「おかわり」
ぶっきらぼうに差しだされたコーヒーのカップは空になっていた。