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5 鉄道が大好きな先輩

 ひとしきり話したのか、支配人は程なく勧誘を辞めて、自身のキドニーパイを美しい所作で食べると事務所へと戻っていった。


 せっかくの休憩時間なのに全然休めた気がしないが、支配人に絡まれるより働いていた方がずっと心が休まる。いつもよりも早く休憩時間を切り上げ、カウンターへと戻り皿洗いを再開した。


 今日はセントラルアレスタ駅始発の団体旅行があったようで一段と忙しい昼時になった。利用客が捌けたのは午後二時半頃。夕方の忙しくなる時間までの束の間の平和に肩の力を抜き、凝りをほぐすように腕を回した。


 そんな私の休息を壊しにきたの鉄道反対派組織『宵の明星』の構成員の一人であるハリスさんだった。今日も今日とて、シフト表は午前から名前が書かれているのに重役出勤。朝のピークタイムをこなす人員が一人欠けてしまっているのにこれっぽっちも焦らない他の先輩によると、午前はハリスさんが来ない前提でシフトが組まれているらしい。初めて聞かされた時、乾いた笑いが零れたが、私と同じ意見はエマだけだった。


 遅刻してきたハリスさんにちくりと嫌みを言うエマの声が皿洗いの音に混じって聞こえてくる。支配人は熱烈な勧誘をしてきたがハリスさんはどうするのだろう。思わず体に力が入る。


「シャーロット、そんな警戒しないでよ」


 手元で食器ががちゃっと嫌な音を立てた。

 ハリスさんは支配人以上に隠す気がないのか、私の秘密もどうでもよさそうだ。カウンターに肘をつきこちらを見てくる瞳は昨晩同様おもちゃを見つけた子供のように三日月を描いていた。


「あら、ハリス、あなたシャーロットに何かしたの?」

「昨日、僕のとっておきの秘密がバレたんだ」


 その言葉にぎょっと目を見開く。ここでそのことを言うつもりなのか。周りには鉄道反対派ではないと思われるエマやボーマンさんがいるのに。

 うろたえてハリスさんとエマの間を視線が行ったり来たりする。


「優しいシャーロットは秘密を守ってくれるみたいでさ、バラさないよう緊張してるみたい」


 どこか小馬鹿にするようなセリフに眉間に皺が寄った。そんな私を見て同情するような視線が投げかけられた。


「ハリス、相変わらず性格悪いわね。シャーロット、それをネタにハリスを使いなさいな。朝の仕事に出るようにとか、フロアの掃除をしろとか」


 ハリスさんの秘密に興味がないのか、エマは肩をすくめてカウンターに置かれた出来たばかりのサンドイッチを手にとると、フロアの方へと歩いていった。


「……午前中も仕事してくださいよ」

「えぇー、それは無理かな」


 エマのセリフに乗っかり窺うように呟けば爽やかに断られた。


「それにしても、シャーロットは鉄道嫌いだったんだねぇ」

「他の方には秘密にしているので声抑えてください」


 自身の秘密を隠す気がないハリスさんは私の秘密もどうでもよさそうだ。

 迷惑極まりない彼に、昨日までと違い冷たく言葉を返すが全然響いてないようで、金髪の巻き毛をくるくると人差し指に巻き付けて、こちらを観察するように顔を覗き込んでくる。


 意地の悪いことを考えているハリスさんは、はたから見ればそんなことを思わせないくらい甘く柔らかな顔立ちをしていた。優しげに微笑む顔は時にどこか憂いを帯びて、母性本能をくすぐる。彼の笑顔に騙された一等客車利用者と思われる貴族のお嬢さんがハリスさん会いたさにわざわざ二等客車専用食堂にやってくることもある。


 みんな騙されてるだけよ。


 しかし、この憂いの後ろに支配人のように世の不条理に心折れそうになったことがあるのだろうか。誰にも見せられないようなどす黒い感情があるのだろうか。


「……ハリスさんも鉄道を恨んでいるんですか」


 顔を見ることができず視線を落としたまま尋ねれば、視界の中でチェック柄のベストが大げさに動いた。


「僕は鉄道大好きだよ」


 あっけらかんとした返事がきて顔をあげればにまりと唇が弧を描く。


「とーっても大好きなんだ」


 楽しそうな声はねっとりとタールのように耳の奥に貼り付いてくる。


「そんなに嫌そうな顔しないでよ。これから僕が君に色々教えるんだからさ、仲良くやろうね。大丈夫、すぐに鉄道のない世界になるよ」


 蜂蜜を溶かしたような金髪を輝かせ、とろりとした瞳を弛ませて、秘密を共有するように囁く。まるで昔話に出てくる悪い妖精のようだ。妖精の誘いを断り切れずに破滅した主人公を思い出し、慌てて否定をする。


「同志になると言った覚えはありません。それに、支配人から『宵の明星』は暴力などに訴えない穏健派組織と聞いていますが」


 午前中の温かいキドニーパイを犠牲にして得られた唯一の成果は、『宵の明星』は穏健的な鉄道反対組織という裏付けがとれたことだ。


『世間からの支持なくしてこの世から鉄道を排除できるとは思えません。時間はかかりますが、鉄道がどれほど危険なものか世間に伝えれば、自ずと人は鉄道を拒んでいくと信じています』


 時間がかかる方法をとる支配人と『すぐに鉄道のない世界になる』と言うハリスさん。二人の考え方のちがいか。それともどちらかが嘘をついているのか。


「穏健派? その括り、よく分からないなぁ。鉄道をこの世から消したいっていう気持ちに穏健も過激もあるのかい? 求める結果は変わらないのにね」


 探るような視線を意に介さずハリスさんはきょとんと首を傾げた。世間一般ではその違いが重要なのに彼の中では些末なことらしい。


「でも、安心して。シャーロットが言う通り支配人は暴力に訴えないよ……支配人は、ね」


 わざと含みを持たせるのだからたちが悪い。むっと眉をひそめた私に頭上から楽しそうな声がふってくる。


「ハリスさん、やっぱり性格悪いですね」

「そんなことないけどなぁ。昨日までは可愛い後輩だったのに、今日のシャーロットは冷たいね」


 どうして優しくできるんだ。悲しそうに目を伏せるハリスさんを睨んでいると、カウンターに肘をついていた彼の右手が伸びてきた。服がぐっと引っ張られ、慌てて流し台に手をつければ、コロンの香りがふわりとかすめ、耳元にハリスさんの吐息が当たった。


「優しい先輩から忠告。きみは変わらず昨日のままのきみでいた方がいいよ。鉄道警察に通報いったら困るのはきみでしょ」


 駅の警備を行う鉄道警察は駅構内において逮捕権限を有している。鉄道反対派の行動が活発化していることを受け、鉄道警察は検挙のために手段を問わなくなっていた。過度な取り調べはもちろん、物品の強制押収、潜入捜査。反対派を捕まえるためには何でもすると言われている。


「やつらのせいで、最近裏切りもの探しに躍起になってる仲間がいてね。可愛い顔に傷作りたくないでしょう」


 心配していますと言わんばかりの声だが顔は愉快犯のように楽しそうで、私は力任せに彼の腕を振り払った。


「そんな時期に勧誘しないでください」

「うん、僕もそう思う。面倒な時期によく勧誘するなぁってみんなもびっくりだよ。だから、今すごく話題になってるんだ、気をつけてねぇ」


 さきほどまでの雰囲気を一転させ、けらけら笑うハリスさんは心底どうでもよさそうに忠告してくる。

 みんなって誰よ、みんなって。


 知りたくない事実に目を遠くにやれば、食堂のガラス越しに物言わぬ深紅の蒸気機関車が見えた。自分の身を狙う輩がこんなに近くにいるのに、気づきもせずただ構えているだけの愚鈍な巨体に苛立ちを感じた。

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