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4 貧民街

「えぇ、毎日蒸気機関車が私の故郷を踏み続けていると思うと、暗澹たる気持ちになります」


 言い放たれた言葉は思いの外語気が強く、支配人は変わらぬ笑顔ながら射貫くようにこちらを見ていた。


 諦観なんてとんでもない。瞳の奥に手負いの獣のようにぎらついた意思が宿っていた。鉄道反対派をやっているのだ。すべてをあきらめていたり、受け入れていたりするわけがない。


「蒸気機関車は人や家畜、土地を害し、空はよどみ、川は汚れ、病がはびこりました。鉄道の敷設により、人々は便利さと引き替えにかけがえのないものを失った」


 声量はないのにその声は直接脳を揺さぶってきた。


「鉄道会社はそれを理解しておきながら、決して止めようとしない。彼等は自身の富を追求するのみです。幾ばくかの富める者が富み、奪われた者には何も残らない」


 同じ痛みを知るものとして感じた支配人への共感は潮がひくように消え去り、代わりに底知れない不安が足下から込み上げてくる。あいづちを打つことすらできず体が固まった。


「奪われてしまった我々ですが、まだやり直せます。僅かながら残ったものを守るため、奪われたものを取り返すため、誰かがことをなさなければなりません。このまま蒸気機関車の存在が許されてしまえば、取り返しのつかないことになる」


 がんがんと頭の中で警鐘が鳴る。呑まれてしまう。どうにかしてこの場から逃げないと。

 震えそうになる腕をさすり、頭を回転させた。


「支配人の言うとおり、確かに……現状が続くようであれば困りますね。ただ、このまま鉄道社会が続くでしょうか。蒸気機関車は石炭で動いています。最近の鉄道や工場の石炭使用量は右肩上がりとか。石炭以前の燃料、薪や木炭は使いすぎて森林資源が枯渇したと聞きました。そう遠くない未来、石炭も枯渇し鉄道はただの鉄の塊になるのでは?」


 以前新聞で呼んだ内容を思い出しながら、焦る内心を悟られないよう口にする。余裕が見えるよう背筋は真っ直ぐ、口元に微笑をたたえながら反応を待った。


『確かにそうですね』


 そんな反応が返ってくると思っていた。しかし、私の予想に反し支配人の目は弧を描き、喜びを抑えるように不自然に頬がひきつった。


「それがそうもいかないのですよ」


 その声は随分と愉快そうだった。


「石炭の枯渇問題は定期的にタブロイド紙にて提起されますが、我々が思っている以上に掘削技術も日々進歩しています。現に炭鉱の採掘に蒸気機関が使われ、石炭の採掘量は減少どころか右肩上がりです。王立燃料調査委員会によると石炭の枯渇は六百年ほど先のことだそうですよ」

「六百年?」


 思わず大きな声を出してしまった。私の反応に満足そうに支配人が頷く。


「えぇ、六百年です。枯渇するよりも先に社会や文明が立ち直れないほどの傷を負ってしまいます」


 詩をそらんじるような軽やかなセリフに反論の言葉は言えず、かすかな吐息となって宙に消えた。私は所詮聞きかじりの知識しか持たない。


「鉄道が貴方から父上と母上を奪った。貴方は怒っていいのですよ。貴方の怒りは正当だ」


 突如両親のことを出され体が震えた。幼い頃に奥底にしまって見ないふりをしていた不満や悲しみが揺さぶられる。鉄道が母の肺を穢し、父をひき殺した。


「奪われたものは怒るべきだ。これ以上奪われないために。タブロイド紙などでは我々を悪しざまに書きたてていますが、実際は賛同するものも少なくありません」


 もちろん知っている。鉄道をよく思わない人はたくさんいる。鉄道に仕事を奪われた者、健康を奪われた者、家を奪われた者。


 声をあげる気力すらない者の叫びを代弁する鉄道反対派を熱烈に指示する人は確かに存在した。


 しかし、彼等を支持するのは奪われたものだけではない。鉄道が誕生するまで交通の要であった運河の経営者、鉄道の台頭により這い上がってきた中流階級を忌避する貴族、神から与えられた土地や民への侵犯だと主張する聖職者、ヴィルフォード帝国の経済発展を快く思わない隣国等、多くの者が鉄道反対派の支援に回っているとまことしやかに噂されていた。


 でも、賛同者が多いからと言って首を縦に振ることはできない。

 鉄道反対派の中には橋を破壊したり線路を外したり、鉄道へ反対する気持ちから暴走している者も少なからずいる。鉄道は嫌いだが、だからといって人を傷つけたり、危険にさらしたりする方法に賛同はできない。


「シャーロットさん、貴方には是非ご協力いただけたらと思っています」


 お断りします、なんてつれなく断れたらどれだけよいだろう。


 言葉に詰まる私を急かすように、蒸気機関車の出発を知らせる鐘の鳴る音が遠くから聞こえた。


 そっと左手をスカートのポケットに手を当てた。布越しに硬いものが手に触れる。迷っていた私の背中を蹴とばすように決意させた冷たい鈍色の鍵。


 私にはしなくてはいけないことがある。


 深呼吸を一つ、支配人の言葉を笑顔で聞き流し、冷めてしまったキドニーパイにフォークを突き刺した。口の中に放り込めばいつも以上に苦味が広がるが、ぐっと飲み下す。


 発車した蒸気機関車が鳴らす汽笛の音がだんだんと遠ざかっていった。

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