1 今流行りの鉄道反対派
ミランダ歴三百二十五年、ヴィルフォード帝国東部地方の鉱山にて、ある技師により画期的な乗り物が発明された。石炭を燃料とし、当時最先端の技術だった蒸気機関で走る列車は蒸気機関車と呼ばれた。蒸気機関車は一度に大量のものを早く運べる手段として注目を浴びたが、エネルギー効率が悪く、故障も多いため、すぐに人の話題にのぼらなくなった。
しかし、蒸気機関車に夢を見、希望を託した技師達のたゆまぬ努力により、改良が重ねられ、次第に従来の交通手段である運河や馬車にとって変わっていった。
蒸気機関車は時間と距離を急激に縮めた。人や物の移動を可能にし、そこに住まう人々の働き方を変え、余暇を変え、思考を変えた。流行という名の文化は都市から地方に波及するのではなく、いつでもどこでも興り、瞬く間に他にとって変わられるようになった。
社会を急激に変えた蒸気機関車は、伝統と格式にしばられ旧態然とした帝国に放たれた一発の弾丸のようだった。その変化は凄まじく、一部のものから激しい反発を受けながら、それさえも振り落とし、今なお社会に変革をもたらしていた。
「……墓荒しなど、随分と短慮なことをする輩がいたものですね。こんなところにお探しの物があるわけないでしょうに」
「生前間借りしていた屋敷にも見当たらないみたいだからね。みんな必死なんじゃない?」
仕事終わり、今にも雨が降りそうな不穏な雲が垂れ込める空の下、急ぎ足で向かったのはセントラル地区の中心部にあるウェスター寺院だった。
王族や貴族から始まり政治家、学者、詩人などが多く眠るここは、かつての偉人を偲び、思いを馳せられるよう一般に開放されていた。
家庭教師から教わったことのある名前が刻まれた墓石を横目に奥へ足を進めれば、二人の男が立っていた。片方はこの曇天でも輝きを放つ蜂蜜色の巻き毛の男で、もう一方は色が抜け落ちたグレイヘアーの小柄な男だった。
金髪の男の垂れた瞳からはどこかひょうひょうとした色が覗えるのに対し、グレイヘアーの男はどこか悲壮感が漂っていた。
共同墓地なのだから人がいてもおかしくないのだが、遠目にも見覚えのある男達の姿に目を見張った。彼等は先程まで職場で一緒に働いていた上司と先輩にたいそう似ている。まさか、このような場所で会うなんて思いもしなかった。和気藹々と会話する場所ではないけれど、だからと言って、知り合いとの挨拶が禁じられている場所でもない。
見間違いでないのなら挨拶をしなくてはと足を進めた瞬間、聞こえてきた会話に息を呑む。
「あのグラッドストン技師の残したものですからね。皆さん、喉から手が出るほど欲しいでしょう。だからこそ、早く見つけて処分しなくては」
グラッドストン。馴染みのある名前だった。
「これ以上、鉄道をこの世に蔓延らせてはなりません」
グレイヘアーの男が彼等の立場を端的に説明した。こんなこと言うのは今流行の鉄道反対派の人達だけだ。
蒸気機関車が発明されて三十五年、ヴィルフォード帝国は鉄道の普及と共に発展を遂げた。今まで村単位で完結していた社会は村から町へ、町から都市へと成長し、人や物、金が流れるようになった。鉄道はヴィルフォード帝国の大動脈となった。
一方で、古くからの土地を切り開き自然を破壊し、大量の石炭を燃やして空中へ煤煙をまき散らす帝国の病巣だと言う人もいる。
カーライル鉄道が鉄道初の営利企業としてこの帝国に産声をあげ早三十年。『帝国に鉄道が至らぬ場所なし』と言われるようになった今でも、大気の汚染問題は解決しておらず、一部の過激な思考を持つ人たちによって線路が外されたり、車両が破壊されたりしている。彼等の多くは暴力に訴えているため、世間からの風当たりは厳しいものだった。
まさか、天下のカーライル鉄道の食堂で働く上司と先輩がそんな反社会的な組織の一派だなんて思いもしなかった。
「ふぅん、じゃぁ僕達もお宝探しをするのかい?」
「もちろんです。奴らの手に渡ると面倒です」
彼等に見つかる前に逃げなくては。今なら知らないふりをして日常に戻れる。ごくりと唾を呑んだ。そろりそろりと足を下げる。生温かい風が頬を撫で、じとりと湿った空気が肌にまとわりついた。
今ここで問題を起こすわけにはいかないのだ。
『困ったことがあったらすぐ戻ってくるといい』
肘掛け椅子に肘を突き、鷹揚に告げたラズロー子爵が脳裏を過ぎる。彼の顔はまるでこうなることを予見していたように試すような笑みを浮かべていた。
……戻るなんて嫌よ。
息を止めゆっくりと足を持ち上げた瞬間、墓石の方を向いていたグレイヘアーの男がぐるりとこちらを振り向いた。