ビースター協会3
相変わらずの薄暗い室内。
昨日ぶりだが室内が掃除された形跡はなく、割れたまま転がった瓶が物悲しそうに横たわっている。
「ぶはは。そりゃ災難だったな」
豪快に笑って言うのは、バラガンだ。
あの理不尽な説教にやる気の九割を削られながらも、俺はやる事もないのでその足で協会に来ていた。
「ほんと、どうなってるんですか? あの娘、控えめに言ってヤバすぎでしょ」
入室した際に沈んでいる様子の俺を見て何かを察したのか、バラガンが鋭い推理を披露したのだ。
具体的に言えば、少女に遭遇して説教をされたのが一目でバレてしまった。
あまり告げ口みたいなのは好きではないが、バラガンが自信満々に聞くので、思わず愚痴ってしまった。
それを聞いたバラガンはまるで漫談でも聞いているかのように大笑いをして聞いてくれた。少しだけ心が晴れた気がした。この大男、話してみると以外と気の良い奴なのだ。
バラガンはひとしきり笑った後、俺を悪者みたいな笑顔で見ながら、言う。
「まあ、お前の言うことももっともだ。ただスカーレットの言い分も分からないでもないがな。あいつは真面目過ぎんだ。あまり気にすんなよ」
「はあ。まあ真面目の一言で済ませていいのかは疑問ですけどね」
むしろ口使い的には真面目の正反対に位置しそうなくらいの悪さだと思う。
それにまたバラガンはおかしそうに笑うと、俺に問いかける。
「つっても、お前も悪い腕前じゃないんだろ? なにせメレクスが連れてくるくらいだ」
「そんなわけないですよ。生き倒れかけてたのを助けられただけです。行き倒れがたまたまビーストを運よく捕獲したから、ここに連れてこられたんですよ」
その言葉にバラガンは首をひねるようにしながら、それを聞く。
「うーん。生き倒れねえ・・・・・・まあ、たまにいないわけじゃないが、それにしては手厚いな。何かしたのか?」
「何もしてませんよ。メレクス兄貴が良い人ですから、色々助けてくれただけです。あ、あと僕は記憶喪失らしいので」
メレクス兄貴には自分の仕事もあるのに、本当に頭が下がる思いだ。
「ほう。記憶喪失か。まあ身寄りもなければそうなるのか」
本当は記憶喪失じゃなくて異世界転生的なものだと思っているんだけど、面倒くさいから説明はしない。
メレクス兄貴の勘違いを利用させてもらっているみたいで申し訳ないが、ここはうまく活用させてもらう事にする。
バラガンはひとしきり何かを考えるようにした後、それを振り払うように悪者のような笑顔に戻り言う。
「ま、こまけえ事はいいわな。うちとしては労働力が増えて嬉しい限りだ。見ての通り、うちはビースターが足りな過ぎて困ってんだ。売り上げも上がんねえから、予算もめちゃくちゃ減らされてな。せいぜい稼いでくれや」
あっけらかんとして協会の懐事情を話されるが、そんなマイナスな事を言ってビースター側の不信感とかを気にしないのだろうか。
しかし、まあこの気の良い悪人面のために働くのもそう悪いことではないな、と思い直し、俺は尋ねる。
「はいはい。そしたら新人は大人しく働かせていただきますよっと。何かおすすめのものありますか?」
そう言うと、バラガンは俺の背後を指さす。
それに釣られて後ろを見ると、そこは昨日も眺めた依頼表がたくさんあった。
「新人のおすすめはあれしかねえな。アプリルの実の採取だ。あそこの常用依頼にあるから取ってきな」
俺は言われたままに依頼表の前まで行くと、その中からアプリルの実の採取を探す。
おお。捕獲依頼や討伐依頼など、依頼は色んな種類があるな。
その中の一部に常用依頼と赤いハンコが押された依頼がいくつかある。
そこを見ていると――あった。
俺はアプリルの実の採取と書かれた依頼表を剥がすと、バラガンの元へ戻った。
「おう、これだこれ。西の門から出て少し森に入ったところに背の高い木がある。大体おめえの十倍くらいだな。わかるか?」
山を歩く時に何度か見かけた気がする。余裕が無かったから調べすらしなかったが、おそらくその木の事だろう。
「はい。わかります」
それに頷くと、バラガンは続ける。
「その木の一番上にアプリルはなる。それを取ってきて欲しいんだが・・・・・・あ、お前のビーストってなんだ?」
「えっと、確かラーヴァだって聞きました」
「なるほど! そりゃいい。弱っちいが木登りは得意だな。アプリル狩りに持ってこいだ。ただし、納品するアプリルは齧らせんなよ」
そう言って依頼書に蝋の判を押し、こちらに差し出してきた。
俺はそれを受け取ると、バックパックにしまい込む。
「アプリルは十個単位で買い取る。十個で銅貨一枚だ。ま、気張れや」
言うだけ言うと、バラガンは後はよろしくとでも言いたげにひらひらと手を振って背もたれに身を預けた。
それ以上の説明が無いと感じた俺は、バラガンに尋ねる。
「あの、銅貨一枚っていくらくらいですか?」
それに一瞬、驚いたように黙りこんだバラガンだったが、ニヤリと笑うとこう告げた。
「五枚でお前が住んでる宿の一日分だ。一枚で向かいの定食屋で上等な定食が出てくる。そんな事も知らねえのに正直に聞く奴がいるか。俺じゃなかったら、がめられてたぞ。たくっ、いちいち常識のねえ奴だ」
世の中悪い奴も多いんだぞ、と付け加えると、思い出したようにバラガンは付け足す。
「そうだ。もののついでだ。まあ、ラーヴァをくすねる奴はいねえとは思うが、最近希少なビーストの盗難が相次いでる。気ぃつけろ。それと、何か知ったら教えてくれ」
それだけ言うと、今度こそ行った行った、と犬でも追い払うように手でやられたので、俺は部屋を出た。
どこにでも窃盗ってものはあるんだな。あっちの世界で言うペット盗難的な話か。嫌な世の中だ。ホワイティはともかくツッチーはもう愛着が沸きに沸いちゃっているから、盗まれたら最悪だ。窃盗団なんて消えてなくなればいいのに。
まあラーヴァって弱いし価値が無いっぽいから安心みたいだけど、用心はしよう。
俺はバックパックを胸に抱いて、入れっぱなしのキューブをぎゅっと握りながら、そう心に誓うのだった。
俺は協会から出たその足で、西の門まで出向いていた。
遠目からでも見える門は、昼ということもあってか開いたままだった。
西の門はそこまで巨大というわけではない。
馬車が二台通れるくらいの広さと大きさだけあって、後は実に簡素なものだ。
それもそのはず。この街自体がそこまで大きいというわけではないからだ。往来もそこまであるわけではない。必然的に大きな門の必要性がなくなるわけだ。
だからだろうか。視線の先の門では、そこでは今日も今日とて真面目に職務に励むメレケス兄貴の姿があったが、とても暇そうに見えた。
なので職務の邪魔にもなりそうに無かったので、俺は兄貴に向けて手を振ってみた。
それに気づいたのか、兄貴も小さく手を振り返してくれた。
俺は小走りで近寄り、メレケス兄貴に話しかけた。
「こんにちは。昨日はありがとうござました」
俺が開口一番、そう話しかけると、メレケス兄貴は爽やかな笑顔を浮かべながら言う。
「こんにちは。いや、それも仕事だからね。気にしないで。それより、今日は今からお仕事かな?」
「はい。今からアプリルの実を取りに行くんです」
そう答えると、兄貴は大きく頷いた。そして、開いたままの門の奥を指さす。
「初めての依頼ならちょうど良いだろうね。あれ、見えるかい? 背の高い木があるだろう。あれがアプリルの木だ」
俺はメレケス兄貴の指さす方向を見る。そこには確かに背が高い木があった。木の上の方に、何かの実がなっているのがうっすらと分かる。
「あー、見えます見えます。あんなに大きいんですねえ。ありがとうございます」
実際に意識して見るアプリルの木は想像以上に大きく見えた。これは確かに人がおいそれと取れるものでもないし、ゆすって落とそうものなら実が割れそうだ。だからこそのビースター起用なのだろう。
「そう。意外と大きくて、初めて採取に行く時は驚くよね。ところで、木に登れるビーストの用意は大丈夫なのかい?」
メレケス兄貴も採取に向かった事があるのだろうか。そう思わせるような口ぶりだった。
「はい。あの、僕のビーストはラーヴァなので」
俺がそう言うと、兄貴は思い出しかのように手を打った。
「ああ、ああ。そうだったね。なら大丈夫か。気を付けていってくるんだよ。あの辺りは危険なビーストもいないけど、ワンコロくらいは出るから」
ワンコロ? なにそれ会いたい。絶対犬じゃん。
いやいや。とりあえずは仕事だ。アプリルが十個で銅貨一枚、銅貨五枚で宿代一日分なら五十個は採取しなければいけない。一週間の猶予があるとはいえ、俺に余裕はないんだ。
「ありがとうございます」
俺は笑顔のメレケス兄貴にそう言うと、門の外へ出る。
涼しげな風が頬を撫でた。
緑の絨毯を思わせる草原が広がるその先、森のアプリルの木に目をやる。
「よし。やるか」
俺は頬を張り、気合を入れると森へと向かったのだった。