はじまりのもり
俺、平野愛徒の目が覚めると、そこは樹海だった。
「は?」
鬱蒼と繁る緑。木々から漏れる光。どこかで流れる水の音。目の端を歩く見たことの無いような虫。どこか清涼ささえ感じる土の匂い。
五感すべてがここが樹海だと伝えてくる。あるいは森。いや細かいことはどうでもいい。
――なぜ。
それが頭の中を埋め尽くしている言葉だ。
えーと。目が覚める前は何をしていたんだっけ。
普通にご飯を食べて、日課のソシャゲをして、寝た。うん。普通。
至って健康な十代男子の日常そのものじゃないか。鬼母の怒声が無い分、いつもよりマシな普通の日だ。
それが、なぜいきなり樹海? 謎ここに極まれり。思考が追い付かないとはまさにこのことか。
「なんだってんだよ・・・・・・」
やれやれと頭を振る。
その勢いで身体が視界に入った。
――驚愕。
服装が寝る前と全く違う。いつもの半そで半パンの寝やすさ最重視の装備とは違うのだ。
まるでこの森を歩くことを前提にしていたかの如く、厚手の長ズボンに長袖。極めつけにはジャケットまで羽織ってやがる。近くにはバックパック。何が入ってるかは知らんが、そこそこにパンパン。
なんかこう・・・・・・テレビでよく見る完全な冒険家スタイルだった。
興味本位でバックパックを覗いてみた。
中には”パン”と書かれた缶と水筒らしき筒状のものがいくつかと”救急”と書かれた箱。
さらには黒いキューブのようなものがゴロゴロと入っていた。
水筒らしきものを振ってみる。ちゃぽん、と液体が動く音がした。
どうやら中身は入っているようだ。
パンと書かれた缶もプルタブがついていたので開けてみれば、なんと中には乾パンらしきものが入っていた。
救急セットに関してはよく分からないが、一通り揃っているように見える。
それ以外には何もない。現状を理解する手がかりの一つでもないか、と鞄を漁るもなにもない。がっかりの一言だちくしょう。
一番怪しいのはこのキューブか。
黒い外観に薄青い線の入ったそれは、控えめに言って意味不明なものだった。
別にそれっぽいボタンも無ければ、パカっと空くわけでもない。組み立てて遊ぶんだよ! って言われても信じちゃいそう。多分違うけど。要するにお手上げだ。
左手で黒い謎のキューブを弄りながら、溜息をついた。同時に、ぐー、とおなかが鳴った。
視線はまたもバックパックに。そして手が伸びる。
正直、これに手をつけるのは怖いところではあるのだが、こんなおえつらえむきに入っているのだ。信じていいだろう。信じていいよな? 腹が減ったし、食べ物見つける自信ないし、信じるぞおい。
缶を再度開け、乾パンを手にもち、匂いを嗅ぐ。とくに変な匂いはしない。男は度胸。口の中に放り込み、水筒の蓋を開け、液体ごと流し込む。
・・・・・・まずくはない。液体もただの水みたいだ。
その後、何枚か乾パンを口に放り込み、流し込む作業を続けたのち、ふう、と一息つく。
現状分かることといえば、何もない。我、無知なり。アリストテレス先生こんにちは。私も貴方の境地に達したようです。ということで、無知を知ったところでその後どうしたらよいか教えていただけませんか? ・・・・・・はぁ。
そんな無駄なことを考えていても仕方がないので、現状を整理しよう。今わかっていることは何もない。周りにも何もない。あるのは木と葉っぱと虫だけだ。
――虫。
地面から浮き出ている木の根っこの上を悠然と歩く甲虫を見ながら思う。
そうか。ここは少なくと俺以外の生物がいるんだ。猛獣もいるかもしれないし、なんだったら人だっているかもしれない。
今は周りが明るいが、しだいに夜はくるだろう。
猛獣、毒虫、孤独。様々な恐怖に耐えながら過ごさなければいけない。そんなのは嫌だ。俺だってこんなわけのわからないまま死ぬのも衰弱するのもごめんだ。
行動しなければいけない。
第一目標は、安心できそうなところを探すところ、か。
とりあえずの食料はある。
そりゃ何日も持つわけではないだろうが、食料が確保されていると思えるだけでも大違いだろう。
きっとそうだ。何もないよりマシなのは間違いないだろう。だから、今は安全な場所だ。
よし。
ぐっと足に力を入れ、立ち上がる。そしてバックパックを背負う。
ふと、左手に残されていた謎の黒キューブを見る。
謎すぎるこの物体ももしかしたら役に立つかもしれない。ほら角あるから。
もし何かに襲われたら、最悪投げつけよう。
そこそこ痛いはず。それでなんとかなるかは知らんけど。
そんな事を考えて自分を奮い立たせ、樹海の先を見やる。
そこには鬱蒼と茂った緑。
不安しかないが、このままうだうだしていても何も変わりはしない。
つまり――行くしかない。頬を叩き気合を入れ、俺は樹海のその先へ足を踏み出した。
その時だった。
――ガサッ!
びくぅっと身体が条件反射的に縮む。
この音は俺が出したものじゃない。
相当な気合を入れて踏み出した足を引っ込め、音の発生源たる背後を振り返る。
そこには――大きな芋虫っぽいものがいた。
「ひいっ!」
思わず声がでた。
頭から血の気が失せていく。
別に虫が特別苦手でもないが、さすがにこのサイズには驚いた。
大きさでいえば、小型犬くらいだろうか。白い皮膚に、柔らかそうな身体。
そいつは、もぬもぬと芋虫特有のムーブを披露しながら、こちらに近寄ってきていた。
大きさもあるので思ったよりは早いが、走れば逃げられそうなので、この不思議生物を眺めてみる。
よくよく見れば、柔らかそうな身体をめいっぱい伸び縮みさせながら動くその姿は、なんとなくかわいらしい。点を打ったような漫画みたいな目も、それを助長しているように思える。
その芋虫は先ほど俺が座っていたところまで移動すると、何かを探すように頭をきょろきょろとさせた。
そして擬音をつけるとするなら「あ!」とでも言いそうな感じで、俺が食べこぼした乾パンの欠片に食いついた。
驚くべきことにこの芋虫、頭の半分くらいが口だ。その姿を見ると、芋虫と呼ぶには少し違って見えてもくる。
イメージで言えば牙がない蛇だろうか。でも動きが似ているのは芋虫。つまり蛇と芋虫の中間といったところだろうか。不思議生物この上ない。
その芋虫蛇は乾パンの欠片をもそもそと咀嚼すると、すぐに飲み込んだ。
そして辺りをきょろきょろとまた見まわし、他に欠片がないか探しているようだった。
俺はそんなにボロボロと食べこぼすタイプでもないので、辺りには乾パンの欠片はもう落ちていない。
心なしか残念そうな空気を漂わせている芋虫蛇を不憫に思い、キューブをカバンにしまい、代わりに乾パンをバックパックから取り出して芋虫蛇に一枚放ってやった。
すぐさま反応した芋虫蛇は乾パンを空中で咥え、満足げにもそもそと咀嚼しだす。
・・・・・・やばい。なんかかわいい。
美味しそうに乾パンを食べる姿、なんだか癒されるわぁ。
「さて。行くか」
気持ちを切り替える。
名残惜しいがしかし、俺は俺で明日も知れない身なので、いつまでも癒されているわけにもいかない。
今後の為にも動かなければいけないのだ。
バックパックを背負いなおすと、それに気づいたのか芋虫蛇が近寄ってきた。
おねだりをするように頭を揺らす。
「なんだ。もうあげないぞ。これは俺の飯でもあるんだ」
じゃあな。
そう言って芋虫蛇に背を向け、歩きだす。
厳しいかもしれんが、これも自然の摂理よ。強く生きるのだ芋虫蛇よ。
――衝撃音。
前を見ると、目の前の木に何かハンマーで殴りつけような跡があり、その中心が焦げていた。
「へ?」
壊れた機械のようにゆっくりと後ろ振り返る。
そこには大口を開けたまま、鎮座している生命体が一匹。
いやいやいや。まさかこんなかわいいかわいい芋虫蛇さんが乾パンを上げた恩人でもあるこの俺に何かするわけない。きっと勘違いだ。そうに違いない。うんうん。
すると芋虫蛇の口元の奥が赤くなり始めた。
そしてそのまま――口から何かが発射された。
身体に向かってきたそれを、反射的に避ける。
芋虫蛇から放たれた赤い塊は、目の前の木にぶつかり再び衝撃音を発しながら弾けた。
木には先ほどより黒みを増した焦げだけが残っていた。
「へ?」
あほみたいな声がまた漏れる。
いやだって仕方ないでしょ。なにこれ。あの芋虫から出てきたのって、ファンタジー漫画大好きな俺から見たら完全にファイアーボール。断じて芋虫とか蛇とかの口から出てきて良いものじゃない。
もう一度芋虫蛇を見ると、また口の奥に赤いものが見えてきていた。
「へーい。まずは落ち着こう。な? 乾パンあげるから」
背に腹は代えられん。武器になるものを持たない以上、この危険物からは穏便に離れる必要がある。
幸いにも動きは遅い。乾パンをもそっているうちに逃げればいい。俺って天才。最高に冴えてる。
口を閉じてこちらをじーっと見つめていた芋虫蛇くんにニッコリ笑いかける。
そして芋虫蛇の目の前に乾パンを放る。
「ほーら。怖くないよー。君の好きな乾パンだよー。たーんとお食べ」
それをしばらく見たか思うと、芋虫蛇はのそのそと乾パンに近づき、もそもそと食べ始める。
目を線みたいに細めてとてもおいしそうに食べている。かわいい。
じゃなくて! かわいくても危険生物は危険生物だ! 逃げなくては!
そろりそろーりと芋虫蛇から距離を取る。
気づかれてはいけない。これ以上乾パンをあげると、本当に俺の食糧が危うい。だからおねだり(火球)なんて、もう聞いていられないのだ。
そして一定の距離を空けた後、木の影に隠れるようにして逃げる。
最初は早歩きで、そして徐々に――加速!
「うおおおおお! 俺は風になる!」
早く! 早く離れなければ!
なんなんだあの危険生物は!
あんな火の玉みたいなの当たったらケガするだけじゃすまんぞ!
こんなの聞いてない! というか何も聞いてないけど!
こんなところにいられるか! 俺は帰らせてもらうぞ! お願いだから帰らせて! 帰り道どこー!
人生で最大級のダッシュを見せる。
まさしく俺は風になったのだ。
生い茂る枝をかきわけ、獣道を踏みしめ、どこへともなくダッシュで駆ける。
何よりも早く。誰からも気づかれない。
なぜなら俺は風だから。風なのだ。風なんです。
だから――後ろから聞こえるガサガサ音なんて全部気のせいだ。
ちらりと後ろを見る。芋虫蛇一匹になんか色違いの芋虫蛇が一匹。
――なぜっ! 増えているっ!
お友達呼んでんじゃないよ! おバカっ!
芋虫蛇たちは身体をそれこそ蛇のようにくねらせながら、追いかけてきている。めっちゃ早い。オイぃぃ! 芋虫ムーブどうしたぁ!
「ひぃぃぃぃぃぃ! 僕、かぜー! ただのかぜだからー! 怖いよぉぉぉぉぉぉ! たぁあすけてぇぇぇぇぇぇ!」
もうガチ泣きである。なんで俺がこんな目に。
助けて神様! まだ死にたくないの! 来週のジャ〇プの続きも気になるし、ウイ〇レのレートもそろそろトップ帯の大台超えそうなの! シャド〇の大会にも出よっかな、なんて悩んでたとこなの!
まだやりたいことたくさんあるのー! 死んでたまるかぁー!
「うおおおおお!」
何か! 何か打開策はないか!
そうだ! 彼らは乾パンを目当てに来ているわけだから、乾パンを渡してしまえば良いのだ!
もはや食料どうのこうの言っている場合じゃない。生きるか死ぬか、デッドオアアライブの世界だ。
乾パンくらいで命が助かるならくれてやる!
俺は一度振り返ると、瞬時にカバンから乾パンの缶を取り出すと、缶ごと芋虫蛇に投げた。
「いやしんぼどもめ! これがほしいんだろ! もってけ泥棒! ・・・・・・あっ」
俺が投げた乾パンの缶は綺麗な放物線を描き、芋虫蛇くんのお友達? の土色をした芋虫蛇くんにクリーンヒットした。
カコーンとでもいえばよいだろうか。
それくらい見事にぶち当たり、勢いよく走っていた芋虫蛇君二号はあうぅっとでも言ったような形でのけぞり倒れた。
――時が止まる。
ゆっくりと倒れ伏す芋虫蛇くん二号と、それを唖然とした表情(当社比)で見つめる元祖芋虫蛇くん。そしてそれを、やっちまったと思いながら見る俺。
倒れ伏した芋虫蛇君二号はその場で、『痛いよぅ』とばかりに全身をくねくねとくねらせている。
そして顔を見合わせる俺と芋虫蛇くん。
なんかこちらを責めているかのような視線を感じる。
非常に申し訳ない気持ちになった。