67.危険なあいのり。
乗合馬車……複数の人を乗せて目的地まで向かう馬車。
夕刻。
有名な劇団の芝居を観劇した資産家のモーリスは、でっぷりした腹を撫でて呟いた。
「帰路に着くには薄暗くて危ない。ここは乗合馬車を使おう」
近くを通りかかった馬車に乗り込んだモーリスは、しばらく一人で先程の劇の余韻に浸る。
素晴らしい舞台だった。特に看板女優の奏でる歌はまるで女神の歌声のようだ。
来季の公演にも足を運ばなくてはな。
────パカッパカッ
馬の足音だけが聞こえる中、道行く車内でそんな考えが頭に浮かぶ。
そうしてしばらく一人心地でいると、前方で馬がブルルと鳴き、馬車が突然止まった。
乗合馬車だ。他のお客が来る事もあるだろう。
だが、こんな日暮れに客とは珍しい。
そんな考えがモーリスによぎる。
馬車の扉が開くと、ズタ袋を抱えた大柄の男が入って来た。
「……」
その男の顔は傷だらけだった。
荒事に慣れた傭兵だろうか……。不愛想にこちらを一瞥すると向かいの空いた席にどっかりと座る。男は荷物を膝に置き、こちらには意を介さない様子で目をつむった。
「こんばんは。あなたもお芝居を見た帰りですかな?」
「……いや、違ェよ」
モーリスは男に声を掛けるが、むっつりとした顔は変わらない。
「夜分遅く、お仕事の帰りですかな?大変ですな」
「……まあな」
何とも要領を得ない返事しか来なかった。
何度か話しかけてみるが、不愛想な男は一言返事をするだけで会話が続かない。
まあ、帰路に着くまでの間柄だ。そこまで気を使う必要も無いか。
見た目が強面だからといって、怪しい素性だとは限らないしな。
モーリスは早々に会話を諦め、大人しく寝たふりをする事にした。
そうして気まずい沈黙が続く中、馬車に揺られる事数十分。もうすっかり日が暮れてしまっていた。
自分の住む町の近くまでやってきた事を窓から確認したモーリスは、ようやく肩の荷を下ろした。
何事も無く帰って来れたようだ。乗り合わせたこの男は────こんな夜中にどこまで向かうのか。
まあ私の知る所ではない。何にせよ、あの桟橋を渡ればすぐに町に入る。それまでの辛抱だ。
眠ったふりをしたモーリスがそんな事を考えていると……窓辺から景色を眺めていた男が懐から何かを取り出そうとしているのが見えた。
黒く鈍く光る凶器──拳銃だ。
「い、いかん!」
「起きていたのか」
男は何のためらいも無く、取り出した拳銃の柄を握る。
その慣れた手付きは、如何にも裏の世界の人間である事が見て取れた。
殺される!
声にならない叫び声を上げる中、男は窓を開き、右手に握った拳銃の銃口を上空に向けた。
──────パァァンッ
銃の音が夜闇の街道に響き渡る。
大きな音に馬車は思わず急停止し、ヒヒンと鳴き声を上げて馬が戦慄いた。
「おお、神よ……私はここまでの命なのか……」
「……ん?」
「まさか、ならず者に命を奪われるとは。まだまだやり残した事が沢山あったのに……」
「ああ、巻き込んじまって悪いな。こりゃあ空砲だ、空砲。弾なんて入ってないから」
「……空砲?何の目的で銃なんか」
モーリスが恐る恐る窓から外を眺めると──────驚いた事に、桟橋を渡って沢山の衛兵がこちらに駆け寄って来るのが見える。
「話すのが遅れてすまん。聞き耳を立てられる恐れがあってな」
男が羽織っていたローブを脱ぐと、その下からくたびれた兵服が現れた。
「俺は帝国から遣わされた治安維持部隊・第八地区兵隊長、ダンだ。最近、金持ちの一般市民を襲う強盗殺人犯が帝都に潜伏していてな。ようやく犯人が特定出来たので合図を送ったんだ」
「あんた兵士だったのか?それに強盗殺人犯だって!?そんな。一体誰が……」
「あいつだよ、あいつ」
男が窓の外を指差した先を見ると────自分も先程見知った顔が衛兵によって連れて行かれるのが見えた。
「アンタ、運が良かったな。日が暮れるんで、今日は引き上げる予定だったんだが……この馬車に乗ってる奴が、手配書の犯人の顔にどうも似ていてな。抜き打ちで中を見てみたら、ようやく犯行の痕跡を見つけたって訳よ。拭われちゃいるが、俺は人の何倍も鼻が利く────この馬車の中、血の匂いがプンプンするぜ。桟橋を渡る前にアンタをバラし、何食わぬ顔で町に入り姿を暗ませるつもりだったんだろうよ」
その言葉にモーリスはゾッと背筋を震わせた。
連行されていく男は、自分を乗せてここまでやってきた馬車の御者だった。
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