42.悪魔の契約。
───月の末に、王宮にて王子の伴侶を決める舞踏会を執り行う。そこで見初められし者は、身分に問わず王宮に迎える事をここに宣言する───
「嘘!王子ってあの、ヘンドリック様?」
「平民にもチャンスがあるなんて……建国以来久しく聞かなかったけど……」
「急いでおめかししないといけないわ!ドレスも借りないと!」
広場に立てられた看板に、大勢の年若い娘達が騒ぎ始める。
その様子を目に、一人の女は溜息を吐いた。
彼女の名はリリー=ブロッサム。今年で18歳になる年若き娘、なのではあるが……。
腫れぼったい瞳、盛り上がった鼻。そして、でっぷりと太った身体。
残念ながら、お世辞にも美しいとは言えない女性であった。
美しくなりたい!自分に自信を持ちたい!と、どれだけ彼女が努力しようが、全て徒労に終わっていた。
痩せたいと節制して運動を行っても、体質なのか無駄に付いた贅肉が落ちる事は無かった。
いくら着飾っても、『豚が服を着てる』と笑われる始末。
こんな自分の事を、誰かが好きになってくれるはずはない。
女性としての幸せが自分に訪れる事はない、と彼女は半ば諦めかけていたのだ。
─────そんな時だった。
仕事から帰る道中の路地裏で、リリーは一人の男に声を掛けられた。
『貴方……何か満たされない願いがありますね』
奇妙な男だった。
全身黒づくめ、黒のコートに黒いスーツ。黒い靴をはき、闇に溶け込むかのような格好をしたおかしな男が、彼女の傍に現れたのだ。
「別に……何もありませんが」
『おお!そんな筈は……はて。私の事を怪しい客引きか何かと勘違いしておられるご様子で?』
「違うんですか?」
『何を馬鹿な。ハハハ、私は私を必要とする人間の前にしか姿を現さない、特別な存在なのです!ほら……周りを御覧なさって下さい』
男に言われ、周囲の様子を伺うと……。
人目を惹くほどおかしな格好をした男であるはずが、周囲の人々は気付かずにすれ違っていく。
男の姿が視界に入っていないのか、誰も男を意に介していない。
そして……日の光に出来る筈の影が、男には出ていなかった。
「貴方……もしかして……人ではないのですか?」
『ええ、ええ。まさしく、その通りでございます!影に現れぬ、闇に生きる。古から伝わる悪魔ですよ』
「悪魔……!悪魔ですって?そんなモノに、何も願う事なんて」
『本当ですか?何やら、素敵な舞踏会が開かれると聞きましたが』
リリーは驚いた。
魔物の中には人の心を覗き込む者もいると聞く。
この悪魔には、私の満ち足りない思いが分かっているのだ。
『誰よりも美しくなりたいのでしょう?王子に見初められたいのでしょう?フフフ、隠さずとも分かります。その願い、私が叶えて差し上げましょう』
「そんな……馬鹿な。それに、悪魔に何かを頼むと、代わりに大切な何かを奪われると」
『いいえ、何も。貴方からは何一つ頂きません。……ご自分の現状に不満があるのでしょう。王子に見初められるなど、この機会を逃せばもう一生手に入らない願いですよ?』
「……」
リリーは悩んだ。
悪魔の甘言だ。常人ならば鼻で笑い、悪魔を追い払う事だろう。
だが……このまま生きていて幸せなのだろうか。
周囲から馬鹿にされ、みじめな想いを抱えて過ごす。そんな毎日がずっと続くと思っていた。
しかし……目の前に、女としての幸せを掴むチャンスがある。
『どうするのです?華やかな人生を歩むか、このまま日陰者の人生を過ごすか』
人生は一度きりだ。
この悪魔の手を取れば、もう後には引けない……そうだとしても。
「私だって、幸せになりたい!」
『契約、成立ですね』
リリーは手を取る事に決めた。
すると、目の前に立っていたはずの悪魔の姿は、煙のように消えていた。
『明日の朝になれば、貴方の願いは成就します。では』
耳に残るあの悪魔の声だけが、これが夢では無い事を彼女に伝える。
胸に残る一抹の不安。だが、それ以上に高鳴る胸の鼓動。
あの悪魔の言は果たして本当なのか。それは明日になれば分かる。
帰宅したリリーは食事を終えると、期待に胸を膨らませながら床についたのだった。
─────翌朝。
目を覚ましたリリーは、しばらく頭が働かずにいたが、昨日の悪魔の事を思い出して飛び起きた。
桶に水を張り、水面に映った自分の顔を見る。すると……。
その顔は、不細工なままの自分の顔だった。
リリーはホッとすると共に、静かに落胆した。
先日の悪魔は、私が見た夢だったのか。
よくよく考えてみても、あまりに自分に都合の良い話だった。
微かな期待は崩れ去る。
悪魔がいたとしたら、今の私の顔を見て笑っているのだろう。
目尻に浮かぶ涙を拭き、顔を洗っていると……何やら外が騒がしい事に気付いた。
「ぎゃああああああ!!」
「嘘、な、何よこれ!!これが私?」
「お、お前、どうしたんだその顔……!」
家の外、広場に出た私が目にしたのは。
物語に登場する魔女のように鼻が伸びて折れ曲がり、皺くちゃな顔をした白髪の女。
髪が全て抜け落ち、皮膚が緑に変色し……まるで小鬼のようになった少女。
牙のように犬歯が伸び、鬼の形相で泣きじゃくる巨体の女。
悪魔はリリーに対価を求めなかった。
代わりに、この国に住まう……リリー以外の女性全てを醜く変えたのだった。
新作を書きました。
『赤ずきん1996』というタイトルです。
赤ずきんの舞台が1996年の日本だったら……というお話で、かなりニッチなネタになっています。
当時のネタが沢山盛り込まれているので、分かる方はニヤリと出来る作品だと思います。
そちらの方も是非よろしくお願いします!




