28.とある列車の車窓から。
─────列車がガタゴトと音を立てて動いている。
いつの間に列車に乗ったのだろう?
今日は月曜日。学校の教師である私は、いつものように朝ご飯を食べ、いつものように花壇に水をやり、そして─────いつものように勤務先の学校へと向かっていたはずだ。
それが、気が付けば車内に突っ立っていた。
定年間際とはいえ、頭はしっかりしている。
健忘症になどなった覚えもない。酒に酔った訳でも無い。
戸惑いながら、私は車内の様子を確認してみた。
どこを走っているのだろう。窓の外には一面、穏やかな海が見える。
吹き付ける風はどこか懐かしい故郷の香りがして、私が抱える焦燥がますます高まった。
他にも乗客は車内に大勢座っていた。
私が普段教鞭を取る年齢の子どもや袴を着た老人、肩を寄せ合って眠る母娘。学帽を被った学生が固まって座っている席もある。
そして……普段は見かけない金髪の外人も幾人かつり革に掴まって列車に揺られていた。
静かだ。あまりにも。
誰一人、身じろぎせずに大人しく座っている。声を上げる者はおらず、こうして立ち回っているのは私だけだ。一体ここはどこなんだ?どこに向かっているんだ?
─────いや、動いている者が他にもいた。
帽子を目深にかぶり、乗客一人一人の切符を静かに確認している。
車掌だ。彼は切符を確認しては、また別の席の乗客の元へ向かっている。
しめた、と私は彼に事情を話す事にした。
「申し訳ない。車掌さん、この列車はどこまで行くのですか?」
「はて。どうしてそんな事をお尋ねなさるのです?」
「実は私、恥ずかしながら……夏の暑さに頭をやられたのか、この列車にどうして乗ったのか全く身に覚えがないのです。それ故に……もしかすると切符を持たずにこの場所に来た、なんていう馬鹿な事をしでかしたのかもしれませんので」
そう私が冗談交じりに話すと、車掌は笑って言った。
「ははは、大丈夫ですよ。体をまさぐってみなさい。どこかに切符があるはずですよ」
そんな訳がない。
第一、切符を買う理由など無いのだ。電車なんぞ、高い運賃を払って遠くまで出かける等と特別な理由以外には利用する者などありはしないではないか。
愛想笑いを浮かべながら、私は車掌に言われるままに身体をまさぐってみると…………あった。
胸ポケットの中に、切符が入っていた。
いつの間にしまったのだろうか。いよいよ頭がどうかしてしまったのだろうか。
「おや……その様子ですと、気付かれていないようですね」
「気付かない……?」
「自覚無くこの列車に来てしまう事が偶にあるんですよ。ただ……今回は大勢の方があなたと同じような質問をされるようでして……」
「はぁ……?あの、言っている意味が分からないのですが」
「大変心苦しいのですが、切符をよくご覧ください」
手にした切符を確認する。
発車場所は、私の住んでいる故郷。そして、行先は……行先は……。
「……」
目的地は、私がまだ行ったことの無い場所だった。
私が行くには……あと数十年先だろう、と思っていた場所だった。
「実はまだ……後続の列車が続いていましてね。何人お送りする事になるか分かりません。一体、地上で何が起こったのですか?」
懐中時計の文字盤は、八時十五分で止まっていた。
いや、止まっていたというより…………溶けていた。火鉢で焼かれた餅のように、ドロリと。
どんな高熱で焼かれれば、こんな状態になるのだろうか。
一体何が起きたのか。私は何も覚えていない。
学校へ向かう途中、突然視界が光に包まれた事以外は。
そう言えば、やけに今日は暑かった……。
 




