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高嶺の彼

作者: coach

 良いことが起こると一瞬思考が停止する。そのあと、

――これは夢なんじゃないかなあ。

 と、自分が現実にいることを疑い始める。

 そんな自分の貧乏性が嫌です。

 心豊かになりたいよ。

 お金も欲しい!

 それはともかく、今わたしの身に起こっていることは、この13年の人生の中で、最も良いことだということを断言することができる。これまで、バンプのライブに行けたことが「真守(マモリ)ちゃんの良いことランキング」の不動の一位を占めて来たけれど、それをぶっちぎるほどのいいこと。すなわち、ラブです。

「林のことが好きなんだ、付き合ってくれない?」

 告白です。告白だよ。まごうことなき。しかも、メールとか友だち伝えとかじゃなくて、呼び出した上での、フェイストゥフェイス。その男らしさにもうクラクラ。しかもしかも、告白してくれたのが、そんじょそこらの男子じゃない。村田(スグル)なんだから、もうダメですね、ハイ。

 村田くんは、背が高くて顔もよくて、サッカー部で明るくて、成績もよくて、顔もいい。あれ、顔がいいこと二回言ったっけ? 三回目も言っとこう、お顔がステキ!

 そんな男子に告白されてテンションが上がらなければウソだ。

 わたしのテンションは、校舎よりも高く上がっていった。

 鼓動は高鳴って、学校中に響かんばかり。

 校舎裏。夕まぐれ。

 てっきり、好きな女子との仲を取り持ってもらいたいとか、そういう微妙なお願いをされるのではないかと思っていたのに、来てみたら、わたしがその好きな女の子だったっていうんだから、信じられない。

 村田くんとは、クラスメイトなので、多少接触はあるけれど、特に仲がいいというわけでもなくて、挨拶以上、友達未満というくらいの認識でした。ちなみに友達以上の男子はいないので、この範囲にはほとんどの男子が当てはまるわけだけどさ。

「あのさ、答え急かしたくないんだけど」

 村田くんが、照れたような顔をしている。

「でもコレ結構気まずいのな」

 その言葉に、わたしはハッとした。村田くんが告白してくれてから、一体どのくらいの間、呆けていたのだろうか。

「1時間くらい経っちゃった? ごめんよ!」

「いや、そんなには経ってないよ。せいぜい、3分くらいだと思うけど。……それで?」

 それでも何もないっす。棚から現れたボタ餅は食べなさいというのは尊敬する姉の教え。よし!

「こちらこそ、お――」

 というところで、わたしの唇はピタリと止まった。というのも、ちょうどそのとき、電撃的にひらめいちまった考えがあるからだ。その考えというのがもう本当にイヤなもので、でも、だからこそ当たっていそうで、結果、わたしはそれを確かめるために、周囲をキョロキョロするという行動に出た。

「……誰かにストーキングでもされてるのか、林?」

「うん、熱狂的なファンにね……って、なんでやねーん!」

 ねーん、ねーん、ねーん……。

 ツッコミの声は校舎に反響したりはしなかったけれど、わたしの頭の中にはこだました。

 村田くんは、咳払いをしてから、

「今のはオレも悪かったけど、林も悪いと思う。告白中だぞ」

 綺麗な瞳に責めるような色をあらわした。

 ごめんなさい、という気持ちになったけれど、それでも、わたしは疑っていたのだ。何を疑っていたのかといえば、彼の告白にYESと答えた瞬間に、どこからともなくクラスの男子たちが現れて、

「ふははははは、バカめ、引っかかったな!」

 とバカにされることをである。実はそういう経験が前にあったんだ。小学生の頃に。男子のゲームの一つに、好きでもない女の子にウソの告白をしてその反応を見て楽しむ、というものがあって、小学生の頃に流行っていたわけだけれど、その流行りが今でもすたれずに続いているのかもしれないぞ、というのが告白をOKする言葉を出そうとした数10秒前に頭に浮かんだ考えだった。

「もし考える時間が欲しいなら、今すぐじゃなくてもいいけど」

 村田くんの声が聞こえる。

「うん……って、え? 今すぐじゃなくてもいいの?」

「いいよ。残念ではあるけど」

 でも、それじゃあ、お客さんを満足させることはできないのに……つまり、お客さんはいないってこと? つまりこの告白は本物ってこと? いやいや、待て待て、タイム! そうとは限らないよ。今この場でじゃなくても、例えば明日、告白をOKさせて、そのときに楽しむつもりかもしれないじゃないか。それはそれで、大分手が込んでいる話になるけど、遊びにかける男子の情熱を甘く見ちゃいけない。

「わたしのどこが好きなの?」

 わたしは覚悟を決めて、言った。

 まさかこんな自意識過剰のセリフを自分が使うことになろうとは思ってもみなかったけれど、でも、この場合はふさわしいと思う。

 これで村田傑が本気かどうか、この告白が本物かどうか分かる!

 本気だったら、この質問に答えられるはずだ。そうでしょ?

「うーん……」

 村田くんは、困ったような顔をした。

 やっぱり冗談だったのかなあ、とがっかりしたその時に、

「綺麗だったからかな」

 彼の整った唇からこぼれ落ちた言葉に、この告白が完全に嘘であるということを、わたしは確信した。


 ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★


 ていうのも、だってさ、わたしは綺麗なんかではないんだもの。

 これからのことは誰にも分からないけれど、ただ今この時点では、わたしは綺麗なんかじゃない。それは誰もが認めるところ。わたし自身も認めてる。

 ああ、「可愛い」だったらなあ……可愛いには色々ある。可愛い、という言葉ほど曖昧で素晴らしいものはない。綺麗の代わりに、可愛いと言ってくれていたのなら、まだ信じる気にもなるかもしれないのに。チョイス!

 でも、もしかしたら、村田くんの美の尺度が若干ユニークなのかもしれない。その尺度で測れば、わたしは「綺麗」になるのかも。

「林って、ゴミ捨てに行くじゃん。掃除のときさ」

「え、え、なに?」

 グルグル考えていたので、村田くんの言葉に反応できなかった。

 ゴミが何だって?

「掃除の時間にゴミ捨てに行ってるだろ」

 今度は聞こえた。

 聞こえたけれど、「綺麗」の話はどこに行ったの?

「うん」

 とわたしはうなずいた。うなずくしかない。事実だから。掃除の時間、わたしの班が担当しているのは教室の掃除で、時間の最後に、集まったゴミを焼却炉まで捨てに行くわけである。

「あれってさ、結構モメるだろ。誰が行くかで」

「え、そうなの?」

 わたしの班はもめたことはない。

「それは、林が持ってってるからじゃん、いつも」

「あー、まあ、そうだね」

「別に押し付けられてるわけじゃないんだろ?」

「違うよ。頼まれたわけでさえないんだけどね、まあ、何となくそうなったっていうか」

 村田くんは目を輝かせた。キラキラした目をする男子っていいよね、うん。

「すっとゴミを持ってく林を見てさ、いいなって思ったんだ」

「え?」

 どういうこと?

「誰もやりたくないことを率先してやるところを見て、林のこと綺麗だなって思ったの」

 なんだ、そのマニアック!

 わたしは心の中でツッコミを入れたけど、でも一方で、そんな具体的なエピソードを持ってくるならこれは本気なのか、と思った。いや、でも、え、え、マジなの? 村田くんがわたしのことを? いまさら恥ずかしくなってきたわたしに、彼は、

「こんなに色々しゃべるとは思わなかったよ」

 と苦笑いした。

 確かに、普通告白の時に、

「わたしのどこが好きなの?」

 なんて聞き返すことはそうはないよね。

 あったとしてもそれはかなりイイ女に限られる。

「で、どうする? 考えたいなら時間取ってもらっていいけど。てか、正直に言うと、なんかもう恥ずかしくて、ここにいたくない」

 そう言ってちょっと顔をそらすようにするその可愛い仕草に、わたしの胸はきゅんきゅん鳴った。わたしの胸、きゅんきゅん鳴るんだなあ。

「わたしなんぞでよろしければ」

 わたしは承諾した。しないでか!

「マジか?」

 村田くんは心底から喜んでいるように大きく目を見開いた。

「マジでごぜえます」

「ごぜえますって、なにその口調」

「え? 変かな」

「変だろ」

「変な子ですけど、本当に大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫。じゃあ、一緒に帰らねえ?」

「ええっ! 一緒に? そ、それはちょっとまだ早いんじゃ……」

「早いって何が?」

 村田くんがよく分からない顔をする。言ったわたしもよく分からないんだから、彼が分からないのも当たり前。

 もちろん、わたしは村田くんと一緒に帰った。

 こんな人と付き合えるなんて、一生に一度の幸運かもしれない。もう死んでも悔いはないと思ったけれど、人生は続く。

 翌朝、昨日のことは全て夢だったのではないかという気持ちで目を覚ました。男子から、しかも人気の子から告白を受けるなんて、どこの少女マンガ! わたしはベッドの上で、ツッコミたい気分で一杯だった。だから、

「どこの少女マンガだよ!」

 本棚のコミックに向かって、力強くツッコンでおいた。

 そんな空しい一人遊びを楽しく行って廊下に出ると、

「おはよう、マモリ」

 姉とぶちあたった。

 2歳上のお姉ちゃんは、なかなかの美人さん。どういう加減によるのか分からないけれど、妹に振り分けられるべき「美人成分」を根こそぎ奪っていったアンフェア女だ。わたしは、ふん、と鼻を鳴らしてやって、朝のあいさつに代えた。

 途端に、首を絞められた。

「ギブ、ギブ、お姉ちゃん、ギブ!」

「うむ」

 思えば、これまで、どうして姉妹でこうも違うのかと、お姉ちゃんの美貌を羨んで来たけれど、もうそんなジェラシータイムとは別れを告げるとき。なにせカレシができたんだもん。わたしは、姉への取り次ぎ役になっていた苦しい小学生時代を走馬灯のように思い出した。

――お姉さんに渡して欲しいんだけど。

 とちょっと気になってた近所の子や同じクラスの男子に姉宛てのラブレターを手渡され続けた日々。しかし、そんな時代も終わったんだ。さようなら、わたしの不幸な時代……。

「ちょっと待てえええええい」

 はっとわたしの脳裏に浮かんだ考えは、大変にひどいものだった。

 姉が、奇声を上げた妹を、不審げに見る。「どうしたの?」

「な、なんでもない」

「まっさおだよ、顔」

「色白だから」

「いや、青いんだけど」

 もしかして、もしかしたら! 

 村田くんはお姉ちゃんに近づくために、わたしに告白した!?

 将を射んとすればまず馬を射よとか何とかそんなことわざがあった気がする。

「わたしはお姉ちゃんの馬なんかじゃない!」

「マモリ大丈夫?」

 わたしは、心臓がどきんどきんと破裂しそうなほど高鳴るのを感じた。いても立ってもいられなくなったわたしは心配するお姉ちゃんをうっちゃっておいて、朝食もそこそこに、学校に向かって突撃し、教室で村田くんを待った。


 ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★


「へえ、姉ちゃんなんかいたんだ」

 わたしは心底からホッとした。

 この村田くんの天真爛漫がもしも演技だとしたら、もうわたしはだまされるしかない。もともと付き合ってくれていることがウソみたいなもんだし。

「今日も一緒に帰らねえ?」

 村田くんが言う。

「ハイ! どこまででもお供します!」

「あ、いや、シルビアまでな。ホントは家まで送っていきたいんだけどさ」

 シルビア。喫茶店である。それがわたしたちの別れの場所。

「え、お前ら、何、付き合ってんの?」

 ここはバルコニーなんかじゃなくて、教室の中。

 話をしていれば、聞いている人がいるわけで。

 一人の男子が訊いて来やがりました。

 こういう繊細微妙なことを唐突にやるから男子ってのはお子ちゃまなんだよ(ただし、村田くんは除く)。

「ママのところに帰りなよ、ボウヤ」

 言いたくなったわたしは、もちろんそんなことは言えず。でも、昨日までだったら言ってたかも。カレシの前ではそんなはしたないことはできないってことさ。カレシ……。それにしてもいい響き、むふ。

「うん。昨日オレ告白してさ、それでOKもらった」

 村田くんがサラリと。

 ひょええええええ。

 訊いた男子も驚いていたけれど、わたしも驚いた。

 何でもないことみたいに言っちゃえるんだ。

「なんだよ、その顔。オレ、OKもらったんだよなあ? それとも、オレの妄想?」

 わたしは、慌てて首を横に振った。

「ううん、OKあげました! あげまくりました!」

「だろ、オレたち、ラブラブだよな?」

「ら、ラブラブ?」

 村田くんがじーっと見て来るので、わたしはほっぺたが火照るのを感じた。

「病めるときも健やかなるときも一緒だよな?」

「なんかそれ、プロポーズみたいになってるよ!」

 村田くんは明らかに悪ノリしているけれど、そういうノリでかまってくれることがとてつもなく嬉しかったりする。

「で、どっち?」

 男子A――本当は葛西くんという名前――は、呆れたような顔で、でも、もう一回訊いてきた。

「付き合ってるよ。オレ、林のこと好き」

 村田くんは、とんでもない一言を付け加えたものだから、周囲にいたクラスメートのみなさまのボルテージが、一気に上がっちゃいました。わたしはもうさすがに恥ずかしくて死にそうな気分。それを見て、村田くんはニヤリとしている。もしかして、ちょっとS? Sなの!? ドS男子に翻弄される少女漫画があったなあ……。わたしは、その漫画のことを思い出して、友達に貸してから返してもらっていないということに気がついた。

 結論から言うと、村田くんは、Sじゃなかった。からかうような冗談を言うけれど、いじめて喜ぶみたいな変態チックなものじゃない。電撃的な「付き合ってます」カミングアウトのあとの二三日でそのことがよく分かったんだ。Sどころか、わたしにはいつも丁寧に接してくれて、女の子扱いしてくれる。男子に優しくされたことなんかなかったわたしは、生きていればいいことがあるもんじゃのう、とお茶をすすった。

 予想はしていたけれど、わたしと村田くんの関係に関しては、祝福の声よりも圧倒的に嫉妬や恨みの声の方が大きかった。村田くんがカノジョを作ったという噂は、1年生の6クラス中にくまなく伝わって、ちょこちょことそのカノジョ――つまりわたし――を、見に来る子があらわれた。遠巻きにしてはヒソヒソやって、でも、中には、

「村田くんと付き合ってる女の子って、あんた?」

 と直接訊いて来て、YESと答えると、露骨にバカにしたような顔をされて、随分と傷つきましたよ、乙女のハートが。でも、まあ、自分でもその気持ちが分かるもんだから、何とも言えないところがあるんだけどさ。わたしと村田くんじゃ、釣り合わないもんなあ。でもでも、自分で認めてても他人には言われたくないのが、繊細微妙なティーネイジドリームなのよ、うん。

「それでも、レベル差があるってことは、認めざるを得ないわけですよ!」

「ざるを得ないって、めんどーな言い方だなあ」

「同じレベル差カップルとして、どう思う? クルミちゃん」

「同じって言われてもねー、わたしもう別れたから」

「ひえっ! もう捨てられたの?」

「むう……まあ……」

「やっぱり!」

 お昼休みの中庭で、ベンチに座ってわたしが向かい合っているのは、一年先輩だけど、近所に住んでいる幼なじみの子。彼女は、村田くんと同じサッカー部のレギュラーで器量良しという好条件の男子と付き合っている……いや、いた。

「捨てられた理由、訊いてもいい?」とわたし。

「フクザツなんだけど、簡単に言うと、わたしがウソついたの」

「ウソ?」

「ソウ」

「絶対ダメじゃん! 捨てられて当然だよ!」

「現在、冬眠中」

「永眠じゃなくて?」

「死ぬか! もうすぐ春が来るっ!」

「春が来る?」

「うん!」

 まるで意味が分からないけれど、あんまり人さまの事情に深入りする気が無いわたしは、レベル差のありすぎる男子と付き合うときのアドバイスを求めた。

「差があっても、そういうの気にしない方がいいと思う。あっちが好きだって言ってくれてるんだから、なおさらだよ」

 なるほど、でも、気にするなと言われても、気になるんだから、どうしようもない。


 ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★


 そうだ、物語を書こう!

 村田くんに見合う女の子になるために、一つのことを一生懸命に行う。

 一つのことにガンバる子は、素敵な子に違いない!

 その一つのことを物語を書くことにしたのは、昔見たアニメ映画からヒントをもらった形。

 よし! と思って、わたしは物語を書き始めた。

 それはそれは美しい物語……になる予定だったんだけど、夏休みの読書感想文にも四苦八苦しているような人間に、物語なんか書くのはムリだってことに気がつくのにそれほどの時間はかからなかった。いや、というより、始める前に気がつこうよ、自分!

 わたしは、原稿用紙の束に向かって、ためいきを落とした。

 このままでは村田くんに見合う立派なレディになることができない。

 ここまでなのだろうか。

 わたしの恋路はここでデッドエンドなのだろうか。

 もうどこにも道はないのか?

 いやいやいや。

 わたしは首を思い切り横に振った。

 待て待て待て。

 何も物語を書かなくてもいいんだった。

 何かを一生懸命やればいいわけだから。

 さて、何をやろうかなあ、と思ったところで、

「勉強すればいいじゃん」

 親愛なるお姉さまにそんなことを言われて、わたしはハッとした。

 勉強だったら、成績も上がるし、一石二鳥じゃないか!

「さすが、無駄に年取ってるわけじゃないね、お姉ちゃん!」

 一瞬後、わたしはチョークスリーパー(注:腕で首を絞める技のこと。よい子は真似しちゃダメ!)された。

 わたしは、その日から勉強を始めました。

 もちろん、勉強だってそう得意じゃないんだけれど、これは得意じゃなくても何とかやっていけることなので――お姉さまにも協力を頼んだし――なんとか継続することができたのです。

 わたしはわき目もふらず、やり続けた。

 その間に、村田君からデート、というか、ちょっと遊びに行こうと言われたことがあって、わたしは天にも昇る気持ちになったけど、それを、断腸の思い――この間の勉強で覚えた慣用句――でお断りした。だって、まだわたしは村田君にふさわしい子じゃない。せめて、次の定期試験で点数を上げてからじゃないと、村田君にはつり合わない! そう信じ込んでいたわたしは、勉強を続けることを優先したわけですよ。

「バカじゃないの? なんで、デート行かなかったの? 頭大丈夫?」

 親愛なるお姉さまにはそんな批難を受けたけれど、お姉さまは持っている者。持たざる者の気持ちは分かるまい。

「差別反対!」

「本末転倒って言葉、分かる?」

「ほんまつてんとう? まだ習ってないなあ」

「じゃあ、今回の件で、学ぶといいかもね」

「どういうこと?」

「教育のため、話さないことにしよう。まあ、がんばんなさい」

 おかしなことを言う姉を土俵外にうっちゃっておいて、わたしは我が道をばく進した。

「オレと付き合うの、飽きた?」

 勉強をがんばり始めて2週間、ある日の放課後に、そんなことを村田くんに言われたので、わたしはびっくりした。びっくりしすぎて、

「ふぇ?」

 変な声が出てしまったくらいだ。

「それならそうって言ってくれた方が嬉し……くはないけどさ、まあ受け入れるからさ」

 飽きるも何も、村田くんとの間にはまだ何も起こってない。

 まだデートだってしてないし、将来の夢も語り合ってない。

「いや、遊びに行きたくないみたいだからさ、オレと」

「それはその……ちょっと都合悪くて……」

「本当にただ都合悪いだけ?」

「う、うん……」

「そっか」

 ホッとしたような顔をして村田くんは、改めて誘ってくるようなことはしないで、微笑んだ。

 わたしだって村田くんと一緒に遊びに行きたい。でもでも、今のこの状態じゃそんなことはできやしないのです。ちょっとでも村田くんにふさわしい女の子にならないと。

「一緒に帰ってはくれるよな?」

 村田くんの言葉に、もちろん、わたしはうなずいた。

 帰り道を楽しく帰ると、わたしは自分の部屋にこもった。

 とにかく勉強しなければいけない。

 でも、これがまた辛い。これまで勉強などして来なかった身が勉強するというのは、これまで運動していなかった人間がランニングをするようなもの。勉強にも体力が必要だということが初めて分かりました。もうやりたくないよー、と心の中だけじゃなくて、

「めんどい、めんどい、めんどいいい!」

 声を部屋に響かせていると、ドアにノックの音がして、お姉さまが華麗に登場。

「晩ご飯よ」

「……いらない」

「いらない?」

「うん」

「うそつきなさい。そんなわけないでしょ!」

 いきなり怒鳴られたわたしは、「畜生っ!」と一声言って、席を立った。

 本当はもうお腹ペコペコでした。

「どうなの、勉強は?」

「今暗礁に乗り上げてる」

「すごい!」

「え? 何ですごいの?」

「『暗礁』なんて言葉出てくるなんて、勉強したおかげじゃないの?」

 そんな言葉一つ覚えたくらいじゃ、とてもレベルアップとはいかない。

 わたしは、ご飯を食べたあと、再び自分の部屋に戻って、教科書とノートに向かった。


 ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★


「村田くんと別れたら?」

 それからさらに1週間のあと、帰り道で、見も知らぬ女の子から――同じ制服着てるから同じ学校ではあるんだろうけど――唐突なことを言われて、わたしはびっくりした。そのびっくりにつけいる形で、幸田瀬奈(セナ)と名乗った彼女は、

「だって、あなた、全然村田くんに付き合おうとしてないんでしょ。誘われても断り続けてる。それなら、付き合っている意味ないじゃん!」

 追撃をかけてきた。

 わたしは、「あなた」なんていう呼びかけられ方をしたのは初めてだなあ、とそんな変なことに小さく感動しながらも、彼女の勢いが激しいので、気圧されながら、

「それは、その……事情があって」

 と言葉を弱くした。

「事情ってどんなの?」

「どうって……あの……ところで、あなたは村田くんとはどういう関係なんですか?」

 早速、「あなた」を使ってみた。

 この流れは、もう完全に、村田くんの幼なじみ的な人だ、と想像しながらも、わたしは素性を尋ねてみた。

「わたし? わたしは、村田くんの小学校のときのクラスメートだよ!」

 そんなことを言って胸を張ってくる彼女に、わたしは、どうしたもんかと思った。

 この同校生というのはただの隠れ蓑、その実体は、村田くんのことがずっと好きな切ない乙女に違いない。いつか告白しようと思っていたところに、お邪魔虫、つまりこのわたしが現れてしまって、仕方なく祝福しようと思っていたところ、わたしが全然、村田くんとラブラブめいたことをしないので、頭に来て一言いわなければならぬとやって来たのだ。

「あの……あなたが村田くんのことを好きなのは分かるけど、わたしにもわたしの事情があるんです」

 わたしは、なぜだか敬語になって言った。

「わたしが村田くんのこと好きってどういうこと?」

 彼女はきょとんとした顔をしている。

 隠さなくてもいいのに。

「とにかく事情があって、わたしだって遊びに行きたいけど、色々あるんですっ!」

「色々ってどういうの?」

「それは、プライバシーというか……」

「教えて」

 彼女は強引だった。こんな強引な子見たことない。わたしは、

「失礼しますっ!」

 と言って、彼女のそばをすりぬけるようにした。

 でも、そのあとから彼女が追いかけてくる。

「事情聴くまで、逃がさないからっ!」

 相当執念深い性格のよう。どうにも逃げ切れなくなったわたしは、公園の前で立ち止まった。そうして、振り返って、彼女に向かって仕方なしに、あらいざらいぶちまけてやりましたよ、それはもう。

 彼女は、なるほど、と深くうなずいてくれた。

 分かってくれたんだ、じゃあ、さようなら、と思って、歩き出そうとしたわたしの肩に、ずいっと力がかかる。見てみると、白い手が置かれている。

「な、何ですか?」

「あのさあ、あなた、勘違いしてる」

「ん?」

「村田くんは、そんな何かしているあなたのことが好きになったんじゃなくて、何もしていないあなたのことが好きになったんだよ」

「何もしてないわたし?」

「そう、何もしてないあなたです」

 なぜだか彼女はまるで、「犯人はお前だ!」と言わんばかりの勢いで指をつきつけながら言ってきた。

「だから、逆に、そんな風に何かし始めたら、嫌われるんじゃない?」

 わたしは、面喰った。

 完全なトリックを見破られた犯人よろしく狼狽した。

「ということは……?」

「そうです、あなたのしていることは、無駄なことです」

 まるで、心臓を打ち抜かれたような衝撃を、わたしは受けた。

 わたしは、デートの誘いも無視して、カレシに嫌われる行為を延々がんばっていたというわけか。

 がっくりと肩を落とすわたしに、

「さ、村田くんのところに行って、謝ってきなさい」

 優しい声がかかる。

「今から……?」

「善は急げ! 急げっ!」

 その声に、背を押されるようにして、わたしは歩き出した。

 でも、そう言えば、村田くんの家なんか分からないぞ、ということに気がついて、村田くんに謝るのは、翌日にすることにした。翌日の放課後に、一緒に帰るとき、わたしは村田くんに全てを話した。

 話し終えると、笑い声が巻き起こった。

 そんなに笑わなくってもと、わたしは、ちょっと傷ついた。でも、傷心を訴える権利なんてないので、黙っていると、村田くんは、

「いや、違うよ。今笑ったのはさ、自分のことだよ」

 そう言って、爽やかに微笑した。

「オレ、嫌われてるのかと思ってさ。林がやっぱり付き合いたくないって思われてたらどうしようって、そう思ってたんだよ。それでホッとしてさ」

 わたしは、その時ほど、自分のことをアホだと思ったことはなかった。

 そんな心配をかけていたなんて。

 それに、そこまでわたしのことを気に入ってくれてたなんて。

「あの、改めて、よろしくお願いします」

 わたしは、立ち止まると、ぺこり、頭を下げた。

「こちらこそ」

 別件で一つ聞いておきたいことがあった。昨日の女の子のことだ。

 村田くんはバツの悪い顔をして、彼女とは小学校の頃から仲がいいので、ついわたしとのことを相談してしまったのだと言って、謝った。

 わたしはもちろんその謝罪を受け入れた。


  (おしまい)

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