Ⅲ 今吹く風はチャンスか、否か……
とりあえず今回の投稿はここまでとなります。ここまで読んでいただいた方に多大な感謝を申し上げます。今後しばらく投稿が出来なくなってしまいますが、「溜め込んでいるんだな」と思って待ってくださると、大変ありがたいです。
しばらくお会いできませんが、またここに来てくださることを心より願っております。
では、よいRead Lifeを御過ごしください!
気がつくと寝てしまっていた。いくら静かだからといっても勤務時間中に寝てしまうのは死活問題だ。何せ寝てる間に依頼人が来ていたら、ただでさえ少ない収入がさらに減ってしまい、それこそ生きるか死ぬかのレベルに貧困してしまうからだ。幸いにもそこまで長い間眠っていたわけではないようだったが、今後は気を付けようと思う博であった。
また寝てしまわないために本でも読もうと思い、部屋のあちこちにそびえ立つ本のタワーの一つに手を伸ばしたそのとき――
ピンポーンっと玄関の呼び鈴が来客を告げた。時刻は四時を回ったところだった。つまり……
(この時間帯ということは弥生かな?)
弥生とはよく事務所に遊びに来る博の姪のことだ。小学四年生になっても相変わらず博になついてくれて、博の乾いた心に癒しを与えるオアシスのような存在だ。
その姿を確認しようとインターホンのカメラの画面を確認すると、そこには可愛らしい小学生の姿ではなく、カメラを覆うほど大きな体をした熊、いや、大男が立っていた。
「借金取りが来るほど借金溜めてなかったはずだけどな……」
一瞬抱いた恐怖を言葉で紛らわし、とりあえず何の用か尋ねようとした……のだが、画面ギリギリに映る男の顔はどう見てもヨーロッパ系だったため、言葉に困った。そのままの意味で。
(何語で話せばいいんだ。というか、ヨーロッパ系の言語全然分かんないんだが……。それ以前に何で俺のオフィスにごつい外人さんが来てるんだ?まさか、アランの襲撃か?!間接的メンタルアタックから直接暴力に移行してきやがったのか!!!あの野郎、最近は何にもしてこないと思ったら遂にそこまでするようになったの――――)
ピンポーン、ピンポーン
再び鳴らされたインターホンの音で我に返った博は、渋々通話ボタンを押した。
「ボ、ボンジョールノ?」
「貴殿に問いたい。ここは桜井探偵事務所でいいのか?」
(日本語かい!)
嫌味なほど流ちょうな日本語が帰って来た。その声は地を這うように低いかったが、とてもよく通って聞きとりやすかった。しかし――
(うわぁ、大分癖が強い人来ちゃったな……)
「もう一度問う。ここは桜井探偵事務所で合っているのか?」
「あ、はい!すみません!えっと、そうです。ここが桜井探偵事務所ですが」
「うむ、そうか。では貴殿にやってもらいたい仕事がある」
仕事、仕事だ。その言葉一つで博のスイッチが一気に切り替わった。
「分かりました。中に入って少々お待ちください。すぐにお話をうかがいます」
リモコンで玄関の鍵を外し、男が入ったのを確認するとすぐに準備を始めた。部屋着から黒色のスーツに着替え、さっき横になったときに出来た些細な寝癖を直し、綺麗な靴に履き替えた。かかった時間わずか二分とちょっと。
急いで二階の生活スペースから一階の仕事スペースへ続く螺旋階段を降り、依頼人の元へ向かった。
一階はモダンなオフィスをイメージしていて、向かい合って配置された黒いソファと間に置かれた白いテーブル、それと本や資料が綺麗に並ぶ本棚がいくつかと、観葉植物や小物が置いてあるシンプルな部屋だ。勿論、二階のように散らかってはいない。依頼人に不快な思いをさせないために毎日掃除しているのだ。
部屋の中央でたたずむ依頼人は、博が降りてきたことに気がつくとゆっくりこちらへ歩んできた。その体格のよさに博は思わずたじろいでしまう。身長は190cmを超えるくらいだろうか。肩幅や胸板、各所の筋肉が服の下からこれでもかと主張してきている。縦と横のどちらの幅も広いため、こちらに近づいてくるたびに、壁が迫ってくるような圧迫感を感じる。
博の目に前で止まった依頼人は、おもむろにやや季節外れのコートのポケットから布に包まれた四角い物体を取り出し、博に差し出した。
「これが私からの依頼だ」
言葉少なに渡された物体を怪しく思いながらもゆっくりと受け取った博は、とりあえず男にソファを勧め、腰を落ち着けた。
「それで、具体的な依頼というのは……?」
「それを見れば大体分かる。安心てくれ、中身は本だ」
博の手元にある布包みに視線を送りながら依頼人は言う。
止むを得ず、博は布をはがす。すると中にはもう一枚が包まれていた。真っ黒な布包みだった。よほど大事なものが入っているのだと察した博は次の布を丁寧にはがしていく。だが、次の瞬間には博は手元からその中身のものを落としてしまっていた。いや、危険を感じて放り出していた。
中身は確かに本だった。皮表紙の単行本だ。これだけだったら普通の本で終わっていた。しかし、その本は“真っ黒なシミ”のようなものがあちこちに広がり、その部分からは“どす黒い煙”がゆらゆらと上がっていたのだ。
依頼人の男は投げ出されてしまった本を丁寧に布の上に置き直し、驚愕のあまり動けなくなっている博へ視線を向ける。
「私からの依頼はこの本を修復してもらうことだ。“修復”といっても、この黒い煙が出ないようにして欲しいという意味だがね。危険は伴うがしっかりと――」
「待って!待ってください!」
呆ける博をおいて話を進める男を慌てて止める。
「申し訳ありませんが、私にこの奇々怪々な依頼は解決できません。こんなのが本気で起こってるなんて、タチが悪いイタズラとしか考えられませんよ」
「いや、これはイタズラじゃなく本気だが」
「余計タチが悪いわ!!!」
息を切らしながら必死に断ろうとする博に対し、男は残念そうな顔をして冷静に話す。
「そうか、そこまで断るならば仕方がないな」
「はい、大変申し訳ありませんが……」
「そうだよな、“いくら報酬を積んでも”命には変えられないよな。無理な願いをしてこちらこそ申し訳なかった」
男の一言に博の耳がこれまでになく反応する。
「今、『いくら報酬を積んでも』と仰いましたか?」
「ああ、言ったぞ。ん、よくよく考えるとこの考え方も大変失礼だったな。気にさわったのなら謝らせてくれ」
「いえ、そこは気にしないでください。それより、もし払うとしたらどれくらいだったのでしょうか?」
男は一瞬不思議そうな顔をして、再びコートのポケットから布包みを取り出した。そのまま男はそれを広げて中身を見せてくれた。そこには大量の諭吉先生が綺麗に積まれていらっしゃった。
「成功報酬は五百万円にしようと思っていた。しかし、こんなもので自分の命を――」
「依頼!お請けいたします!!」
男の言葉を切って博は意思の大回転を告げた。目を炯々とさせ、身を乗り出しそうな勢いで男を見つめる。
(こんな大金が目の前にあるのに断る馬鹿がどこにいるんだ。一世一代のチャンスを逃してたまるか。諭吉軍団は俺のものだ!勿論、自分で気づいているさ。自分が目先の欲に溺れ、後先のことを考えていない危険な思考になっていることは……。しかし、男には退けないときがある。それは、何としても手に入れたいものがあるときだ。そして、それが今だ!!金が欲しい!)
博がこんな欲にまみれた思考に入っていることは露知らず、男は満足そうに頷く。だが、すぐに不安そうな表情に変わった。
「ありがたい。しかし、事前に言っておくがこの依頼は命に関わるほど危険なものだ。それでも貴殿は本当に受けてくれるのか?」
「お任せください。この桜井 博が命に代えてでも諭吉を、もとい依頼を達成してみせます」
「おお、そうか!誠に感謝する。いや、貴殿に頼んで本当に良かった!」
男は嬉しそうに天を仰ぐ。余程嬉しかったのだろう。心なしか男の目が潤んでいるように見えた。すぐに男
は一度咳払いをし、博に向き直った。
「では、よろしく頼む。さっそく依頼の詳細を話そう」
「はい、お願いします」
博は気持ちを切り替え、依頼への意識を高める。とりあえず、男の話に耳を傾けながら依頼の元となった本に手を伸ばす。しばらく見ていて馴れてしまったのか、少し躊躇したくらいですぐに手に取った。表紙に侵食していた“黒いシミ”で読みにくくなっていたが、タイトルには【赤ずきん】と記されているのが分かった。
(このおっちゃんこんなメルヘンなもの読むのか……。娘さんのかな?)
そんなことを頭の片隅で考えながら、中の様子を確認しようと博は本の中盤辺りのページに指をかけ――――
「待て!それをまだ開くな!!」
「え?――――ッ??!!!?!!」
男の叫び声を聞いたのを最後に、博の頭に激痛が走った。さらには強いめまいが重なってきた。今まで生きてきた中で味わったことのない苦痛が博を襲う。苦しすぎてもはや声も出せずにいた博の意識は段々と深い闇の中に吸い込まれていった。
意識が途絶える間際、依頼人の男の「生きて帰ってきてくれ」という声がわずかに聞こえた気がした。




