#20 万華鏡
「こっち、こっち!」
一般外来の受付が終わった正面玄関前で、巴が望と未来に手を振っていた。
「あ、巴さんだ! お~い!」
未来は望を置き去りにして、巴達の元に駆け寄った。
「あれ、未来ちゃん浴衣着るって言ってなかった?」
巴も彩加も髪をあげ浴衣を着こなし、正に”花火 In 夏”のいでたちであるのに比べ、Tシャツとジーンズの未来は、少々色気が足りないのは否め無かった。
「浴衣が少し小さくなってたんで、今年はお洋服でいいかなと思って。でもお二人ともすごくキレイですよ」
彩加との自己紹介も済ませ、一行は花火大会の会場である阿良川へ向かった。
人、人、人
夏の風物詩とは花火では無く、むしろこの人混みではないかと疑いたくなる程の人混みであった。望が権藤の車椅子を押し、少し先を巴と彩加がおしゃべりしながら特等席を探していた。ただ未来だけは望の傍を離れない様にしており、ほとんど望の服を掴む勢いだった。
「未来ちゃん、あっちにたこ焼き屋さんがあるよ。行こ!」
「え、私は……」
「どうした? 行って来いよ。俺のそばにずっとくっついてないで。ブラコンか、お主?」
望の軽口にも未来はのってこず、真剣な眼差しで望を見つめて言った。
「絶対にここを動かないで。絶対に私の視界から消えないで。いい?」
「おい、どうしたんだよ今日は? 権藤さんも見てる……」
「約束して!」
「……わかったよ」
未来の勢いに圧倒されて望は訳もわからぬまま、首を縦に振る。
「あれ?」
《はぐれたのか?》
権藤の筆談用ボードを見た望は頭をかきながら
「みたいです。すみません……」
望としては未来との約束通り、動いていないつもりであったが、車椅子を押してる事もあり、知らぬ間に人波に流されていた様であった。
「あれ、お兄ちゃん達は?」
望と権藤のたこ焼きを買って元の場所に戻ってきた未来は、そこに望達がいない事に気づくと真っ青になった。
パアアァァァン
青ざめた未来の横顔を、色とりどりの花火が照らす。
「お兄ちゃんのバカ! 絶対に動かないでって言ったのに!」
「どうしたの、未来ちゃん? お兄さん達とはぐれちゃったの?」
「私、探してきます。これお願いします」
巴に三人分のたこ焼きを預けて、未来はバックから携帯電話を取り出した。
パアアァァァン
「参ったな……、多分どんどんはぐれていってるんじゃないですかね?」
《携帯は?》
「あっ! その手がありましたね、さすが権藤さん! ……家に忘れてきたみたいです、ハハ……すみません」
パアアァァァン
「もう、望のバカ! なんで携帯でないのよ!」
呼び出し音は鳴るものの、電話に出ない望に怒りが頂点に達した未来は、兄を呼び捨てにした挙句
「もう許さない! 見つけたらギッタギタにしてやるんだからね! 覚えときなさいよ、バカ望!」
カバンを雑巾の様に絞り上げて怒りを発散させてから、再び望を探して人混みに分け入って行った。
パアアァァァン
「うう!」
《どうした?》
「イヤ、ちょっと寒気が……大丈夫です。なんでもありません」
未来と出合った時の報復は敢えて考えない様にしている望であった。
「少し人混みを出ましょうか。このまま探してても見つかるとも思えないんで」
《それが良さそうだな》
望と権藤は何とか人混みを抜け出し、阿良川の下流までやってきた。
「ここまで来たらだいぶ人も少なくなってきましたね」
パァァン
少し花火からは遠ざかったが、ここからでも十分に花火を鑑賞する事ができた。
「色気はありませんが、野郎二人で花火見物もおつなもんですね」
権藤からの返答は無く、代わりに車椅子の下に隠してあった缶ビールを二つ取り出した。
《看護師には内緒だぞ》
「あっ、いいですね! ご相伴に預かります」
二人は軽く乾杯して花火をつまみに飲み始めた。
その二人を見据える黒い影。
ゆっくりと動き出す事象の因果。
その標的を望に定めた様であった。
権藤が不意に望を蹴り飛ばし、望はその場から吹き飛ばされた。その瞬間、たった今望がいた場所に黒い覆面をした人物が飛び掛ってきた。まさに間一髪であった。
黒い手袋をはめたその手には、鈍く月光に照らされた刃が握られていた。
「権藤さん! 何を……」
起き上がろうとした望が見たものは、望を仕留め損ねた黒手袋が、直ぐそばにいる権藤を全く無視して、自分へ向かって来る姿であった。常軌を逸した殺意が覆面越しの眼光から放たれる。
「く、来るな!」
異常な殺意にのまれて立つ事すらできず、ただ後ずさりをする望。
近づく殺意。
黒い影は無言で望にナイフを振り下ろす。
「う……ぐ……」
「……み……く?」
ナイフが望に突き刺さるより一瞬早く、未来が望に覆いかぶさる様に抱きつき、その背中には深々とナイフが突き立てられた。未来にナイフを突き立てた黒い影は、一瞬動揺したようだが次の瞬間にはその場から消える様に逃亡した。しかし今の望に、それは完全に意識の外であった。
「嘘……だろ」
何で、何でお前がいるんだよ。何で……。
「おに……ちゃん……だいじょ……ぶ?」
白いTシャツを真紅に染めても、まだ飽き足らないかの様に鮮血がほとばしる。
「大丈夫だ、大丈夫だ、だからもうしゃべるな。お前は……お前は絶対に俺が助ける!」
その手を真っ赤に染めながら望は必死に傷口を押さえるが、指の隙間から未来の命の灯火が滴り落ちる。最後の力で兄の頬を撫でようとする未来。だがその手は力尽き、崩れ落ちた。
「おい、未来? 嘘だろ? 未来ーーーー!」
未来の後を見失いながらも何とか追いついた巴と彩加が見たものは、血まみれの未来を抱き締め、慟哭する望の姿であった。
パァァン……
遠くで最後の花火が上がり、川面が万華鏡の様にその残滓を映し返す。
時はただそこにある
どれだけ悔いても選択は覆せない
時はただ積み重なる
選択の結果が最悪の事態であっても
時はただ流れる
数億の後悔と一粒の希望をのせて
第1章 追憶編 完