#0 発端
「……起きろ」
その声に権藤は目を覚ます。
しかし、何が起きたのかは直ぐに思い出せなかった。時刻はとうに二四時をまわった深夜で、暗闇が辺りを覆っていた。
……うう、確か、俺は……、車でガードレールに衝突して……、その後どうしたんだ?
「お前はもうすぐ死ぬ」
ふと気配を感じ、権藤が助手席に目を向けると、見知らぬ一人の男が座っていた。
その男は黒い上着のポケットからタバコを取り出し、火を点けゆっくりとふかしはじめた。ガードレールに激突した衝撃で四散したフロントガラスの破片、歪むボンネット、立ち込めるガソリンの匂い。とても落ち着いてタバコをふかす状況では無い。
……俺と同じ銘柄のタバコ?
そもそも、こいつが誰でなぜここに居るのかという事よりも、それが権藤の印象に残った。
……待て、今、こいつなんて言った? 俺が死ぬ?
権藤の心の問答を知ってか知らずか、男は続けた。
「お前の死因は、出血多量によるショック死だ。」
紫煙を燻らせながら事務的に伝えるその男の横顔を、無機質に点滅するハザードランプが照らす。
「お、お前は誰だ! 俺が死ぬってどういう事だ!」
「俺は見届ける者。そしてお前は出血多量で死ぬ」
心無しか声がかすれ、自分でも声が出ているのかわからない程の囁きにしかならない。
だが”見届ける者”と名乗った男には聞えているのか、権藤の問いには正確に答えている。
しかしそれは、権藤が欲しかった本質的な答えでは無い。
「み、見届けるって……何を? 俺の死ぬざまをか?」
「俺はそんなに暇じゃない。見届けるのはお前の選択だ。死は選択肢の一つに過ぎない」
「選択肢だと……」
何故か酷く寒く、そして眠くなってきた。
薄暗闇の中ではっきりとは見えないが、首から流れる何かを感じる。おそらく何かの破片で首あたりの血管を切ったのだろう。権藤はそう確信したが、触って確かめる勇気が持てなかった。
「お前の選択肢は二つ。このまま出血多量で死ぬか、ある男に助けてもらうか、どちらかを選べ」
黒いスーツの男は前を見たままゆっくりと紫煙を吐き出し、そして淡々と権藤に伝えた。
「助けてくれ……」
権藤は、薄れ行く意識の中で声にならない声を漏らした。
否、権藤自身、最後の言葉は意識して発したものでは無かった。
「お前の選択を見届けよう」
黒いスーツの男は、権藤が無意識に漏らした最後の言葉を聞き届けると、かすかなタバコの残り香を残し、紫煙の如くいつの間にか消えていた。
権藤が選択したのは”生”。もしくは無意識なる”死”の否定の選択。
人は常に意識して選択肢を選ぶ訳では無い。むしろ選ばない事で選ぶ。権藤が否定した”死”の選択肢は”生”への選択となり、時は新たな選択を事象の因果に求める。
「お~い! 大丈夫か~!」
遠くで叫ぶ声はもはや権藤には届いていない。
しかし権藤の選択肢によって、新たな時の流れが刻まれ始めた。