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#15 喪ったもの

ーー俺は一体、何を失ったんだ。

 権藤は病室のベッドで目を覚まし、見慣れぬ天井を見つめながら考える。


「権藤さん、あなたは運がいい。あんな大事故で一命を取り留めのだから」


 そんな前置きとともに、事故による怪我で声帯を酷く損傷し「しゃべる事は難しいだろう」とも告げられた。


「事故のショックで一時的な記憶喪失の可能性があります」


 名前、年齢、住所、仕事……、その辺の記憶は大体ある。しかし自分が何故ここにいるのか? 何故事故を起こしたのか? 事故の日から数日前までの記憶が欠けている様だった。


ーーふ、お笑い草だ全く。たった数日間の記憶が欠けただけで、今の自分の状況すら把握できないとはな。

 当たり前にあると思っていた自分の過去。自分の軌跡。その結果である今の自分。それをかき消された時に、当たり前と思っていたものが如何に脆く、何の根拠も無いものであったかを思い知らされる。


ーータバコでも……


「ご理解頂けると思いますが、今後一切禁煙して頂きます。万が一喫煙された場合、保証は出来ません」


 敢えて何を保障するかの名言を医師は避けた。怪我の内容を告げられた時より、絶対禁煙の告知は権藤を動転させた。


ーーふ~、自分の過去を失い、声を失い、そしてタバコまでも失ったのか……



「おはようございます、権藤さん。検温の時間ですよ。昨日は良く眠れましたか?」


 ノックの返事も待たずに権藤の個室に笑顔の巴が入室してきた。無論、権藤が返事を出来ないからであるが。


「今日もいい天気ですね。朝食が終わったら散歩に出かけませんか?」


 そう言うと、朝陽を呼び込む為に遮光カーテンを開け、権藤に体温計をあてがった。検温の間も簡単な室内の整理や、薬のチェック等めまぐるしく動いている。


ーーこの選家という看護師は筆談用のボードを差し入れてくれたり、頻繁に散歩に連れ出したりと色々面倒を見てくれる。俺に惚れている訳では無さそうだが、同情か? それとも俺の事を何か知っているのか? 例えば事故の事とか。まぁ全て考え過ぎという事も勿論あるが。


 権藤は若い看護師が自分の為に色々世話を焼いてくれている事に舞い上がるでも無く、冷静に状況を観察し思考を纏め事実に近い結論を導き出していた。望であれば思考が妄想に変換トランスフォームし更に暴走(オーバードライウ”)させていた事であろう。


朝食を追え、午前の担当患者の訪問ケアを終えた巴は、昼食迄の僅かな空き時間に権藤の病室を再訪していた。権藤を車椅子に乗せ、朝陽が眩しい中庭に連れ出し、ゆっくりと車椅子を押しながら見事なツツジが咲く花壇の前にやって来た。

車椅子から離れ花壇の前にしゃがみこみ、ツツジを見つめる巴。


「これ、久留米ツツジって言うんですよ。丁度今ぐらいが見頃なんです。小学生の頃、よくツツジの花の蜜吸ってたな。帰りの通学路にもたくさん咲いてんですよ」


 権藤は無言で、朝露に濡れ一際鮮やかに咲く紅いツツジの花を見ていたが、やがて思い切った様に筆談用のボードを取り出し《俺はなぜここにいる?》と記して巴に見せた。


「……権藤さんは車で事故をされて、救急車でこの病院に運び込まれました」

《どんな事故?》

「それはわかりません。ただ二又瀬さんという方が事故現場を発見し、権藤さんを助けてくれました。もし発見がもう少し遅ければ……」

《遅ければ?》

「後五分遅ければ助からなかっただろう、って先生はおっしゃってました」


 そこまで言うと巴は立ち上がりながら、権藤に視線を向けて微笑みかける。


「二又瀬さん一度お見舞いにいらしてたんですよ。残念ながら権藤さんはお休み中で、お話出来なかったみたいですけど。ふふふ」


 望がお見舞いに来た時のやり取りを思い出し、微笑む巴であった。


ーー二又瀬か、そいつなら俺の事を何か知っているかもな……


 朝陽を浴びた久留米ツツジから一雫の朝露が零れ落ちる。雫は地面の水溜りに落ち、小さな波紋を描く。雫と波紋。これも小さな事象の因果である事には違いなかった。

権藤が喪った雫によって、新たな波紋が描かれるのは、まだ未来と呼ばれる範疇に属していた。


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