#13 氷解
「お兄ちゃん遅いな……」
明日帰る望の為に、大好物のから揚げを大量に揚げ終えて、窓の外に微かに振る時雨を見ながら未来が呟いた。
◇ ◇ ◇
その頃、メイプルの二四番テーブルでは、望が無言でから揚げ定食をつつき、ミックスグリルとおかわりライス大盛りを胃袋に収めた彩加はデザートのレアチーズタルトを追加注文すると、無言でホットコーヒーをすすっていた。
「え~と、今日はいい天気ね」巴
「雨だけど」彩加
「え、あっホントだ。いつの間に雨が降ってたんだろ、へへ」巴
「十五時くらいですかね」望
「十六時頃かしら」彩加
十五時半頃から雨を降らせている設定だが、とにかく何一つかみあわない会話がひと段落すると
「そういえば二又瀬さん、今日はお見舞い大丈夫だったんですか?」
「え? あ~、会う事は会えたんですが相手がずっとお休みになられていたんで、結局お見舞いらしい事は何もできませんでした。ははは……」
「そうですか、残念でしたね。三五五号室は権藤さんでしたよね。先週深夜に急患で運び込まれてかなり危なかったらしいんですが、なんとか手術が間に合って本当に良かったです。担当された先生も、後五分遅かったら無理だっただろう、とおっしゃってたみたいです」
あんなに大きな病院のたくさん患者の中の一人の事まで把握し、記憶している巴に、望が改めて感心していると
「なんでお見舞いに行ったのに、相手の名前も知らなかったんですか?」
「え?」
彩加のぶしつけな質問に、少し戸惑った望であったが
「あの人……権藤さんでしたっけ? 事故してたのを発見して通報したのが俺なんですよね。すごい怪我してたから正直ダメかと思ったんですが、助かって良かったです。その後はちょっ色々あって。
今日気になってお見舞いに行ったら、名前を知らなかった事にその時気が付いて……はは。ドジですね俺」
望が語った内容に巴と彩加も驚きを隠せない様子であったが、やがて巴がポツリと呟く。
「……そうだったんですね。ごめんなさい。私……」
「私もごめんなさい、変な人とか言って」
彩加もバツが悪そうに下を向いて謝罪をする。
「え?」
巴と彩加の突然の謝罪に、望が訳もわからずにいると
「さっき二又瀬さんの噂してたって言ってたのは、お見舞いの相手の名前も知らないなんて変な人って、言ってたの。そんな事情があったなんて知らなくて……本当にごめんなさい」
「そうだったんですね。全然大丈夫ですよ。不審者扱いには慣れてますんで。ははは」
噂の正体を知って多少がっがりした望であったが、冷静に考えると、若い女性に噂話をしてもらえるなんてそれぐらいの事しか無いのも事実には違い無いので、納得せざるを得なかった。
「でも、だとしたら又、必ずお見舞いにいらして下さい。そうだ! ご迷惑でなければ連絡先を交換して頂けませんか? 権藤さんのご容態が安定したら連絡します」
「ちょっと巴、そんな簡単に連絡先……」
突拍子も無い事を言い出す巴を止めようとする彩加。
「いいの、失礼な事言ったんだから、それぐらいの事させてもらわないと」
「いや、新道さんの言う通りです。見ず知らずの相手に連絡先なんか教えるべきでは……」
「……私と二又瀬さんは”見ず知らず”なんですか?」
初めて見る巴の悲しげな表情に望はこれ以上断る事は出来なかった。というか巴の連絡先を聞く事が、ここに座り込んでいる望の目的でもあったので、イヤであろう筈も無かった。
◇ ◇ ◇
「むひひ……うひょ~……あひゃひゃ……ぬはは」
望は帰りの道中、信号待ちの度に携帯電話にメモリーされた巴の電話番号を見返しては、にやけながら奇声を押し殺すのに苦労した。
二十一時過ぎ。
「むひひ……、未来! ただ……い……ま……」
「……おかえりお兄ちゃん、遅かったね。今日はお兄ちゃんの大好物のから揚げだよ。残したら承知しないから」
ご機嫌で玄関のドアを開けた望は、氷の微笑を浮かべて腕組する未来を見た瞬間、後ずさりした。むろん、味噌を買い忘れた事など言えるはずも無かった。




