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小麦の短編集

人形

作者: 小麦

「あ~、ママ見て見て!」

 母親と二人で川沿いの道をのんびり歩いていたツインテールの女の子が突然声を上げる。

「いきなりどうしたのよ、綾……?」

 母親は娘のそんな嬉々とした様子を見て、娘の指差した方向を見る。そこには薄汚い何かが生い茂った草むらに混ざって落ちていた。

「あれ、お人形さん!」

 娘は目を輝かせながら叫ぶ。そこにいたのは確かに人の形をした人形であった。泥にまみれてはいたが、ボロボロというほど型崩れはしていなかった。頭には黄色のリボンがついていて、ピンクのドレスで着飾っていた。娘はその人形を草むらから拾ってきて母親に見せる。

「そうね、お人形さんね……」

 しかし、母親はあまり乗り気ではない。やはり外見が外見なのであまりいい印象は持たなかったのだろう。

「ねえママ、このお人形さんおうちにいれてあげてもいーい?」

 一方の娘は、もう既に持って帰る気満々である。

「やめなさい、そんな薄汚い人形なんて。後で新しいの買ってあげるから」

 もちろん母親は反対する。ところが、

「やだ、このお人形さんがいいの!」

娘は頑として母親の意見を聞こうとはしない。どうやらこの人形を感性で気に入ってしまったようである。母親はその後もしばらく説得を続けては見たものの、結局娘はその人形を手放すことはなかった。母親はため息をついて、

「……じゃあ、綾のお部屋だけで遊ぶのよ。あんまりわがまま言ってママを困らせないでね?」

結局その人形を拾うことを認めてしまったのだった。



 そして次の日、

「はい、寝てる間に洗濯しておいたから、これできれいでしょ?」

母親は娘が寝ている間に洗濯しておいた人形を娘に手渡した。母親としては親切心であることは疑いもない。しかし、

「うん、ありがとうママ……」

娘はあまり喜んでいないように見えた。そして、その浮かない顔のままその人形を自分の部屋に持ち込んで部屋に閉じこもってしまう。

「……?」

母親は首を傾げるばかりであった。



 とはいえ、幼稚園児の娘はそのことをそこまで引きずることはなく、その後は普通に人形と遊ぶ日が続いた。ただ、母親には気になる点が1つあった。

(何で、また汚れてるのかしら?)

 それは、いくら洗濯しても人形の体が次の日には泥だらけになってしまうことである。外に持ち込んだわけでもなければ、家に泥などもちろん持ち込んでいない。絶対おかしいと思った母親ではあったが、理由も分からないので特にどうすることもできなかった。しかし、一方の娘はと言えば、

「みゆきちゃん、お着替えしましょうね~」

と人形を使ったおままごとに興じるだけ。だったら特に何の問題もないか、と母親は軽く考えてしまったのである。



 そして、それから数週間ほどたったある日のこと、事態は思わぬ方向へと進んだ。ある日母親が娘を留守番させて買い物に出かけていた時のこと、たまたますれ違った黒のロングヘアーに青のロングワンピースの女性が彼女に声をかけてきたのである。

「あれ、もしかして香弥じゃない!」

「……麻貴、麻貴なの? 久しぶり~!」

 その女性は母親の同級生で、彼女の親友だった。最近会っていなかった2人はすっかり話が弾んで近くのコーヒーショップで近況報告をすることとなった。

「そういえば、香弥は嶋野谷渓谷の話って聞いた?」

 コーヒーショップに着いた母親の親友は、エスプレッソを頼むと開口一番そんなことを聞いてきた。

「……この近くの嶋野谷渓谷のこと?」

 母親はアイスコーヒーを頼み、怪訝な顔をしながら彼女の話に応じる。

「ええ、その嶋野谷渓谷。っていうか、他にどこにあるって言うのよ?」

 彼女はその通り、といった様子で頷く。

「あそこでつい最近、川が氾濫したじゃない? それで女の子が1人お亡くなりになられたらしいの」

 女性は重苦しい表情でそんなことを言った。

「そうなの、それは気の毒だったわね……」

 母親はなかなか気の毒な話だ、と素直にかわいそうだと思った。ところが、そうじゃないのよ、とその友達は話を続ける。

「で、問題はここからなんだけど、その子、死ぬ直前まで女の子の人形を持ってたらしいの。でも事故から1週間経ってるのに、まだその子の持ってたはずの人形が見つからないんだって」

「見つかってない?」

 母親は聞き返す。

「ええ。警察も多少は動いてるみたい。女の子の死自体に事件性はないって判断されてるからそこまで必死に探してるわけでもないらしいんだけど……」

「お待たせしました。エスプレッソとアイスコーヒーになります」

 親友の語りがヒートアップする直前、店員がコーヒーを運んできた。2人は軽い会釈をして、そのコーヒーを受け取った。

「で、そのご遺族の方がたまたま知り合いだったから分かった話なんだけど、どうもその人形、前々からよくいなくなってたらしいのよね」

 店員がいなくなると、親友は再び話し始めた。

「いなくなってた?」

 母親は再び首を傾げた。

「ええ、何でも河原の近くで拾った薄汚い人形らしいわ。娘さん本人はすごく気に入ってたらしいんだけど、いくら洗濯しても次の日には汚れてたんだって。窓に鍵をかけても何をどうやったのか夜中には必ず鍵が開いていたみたい。だから、その人が相談してきた時には寝てる間に人形が鍵を開けて歩いたんじゃないかって冗談交じりで聞いてきた奥様方がいたくらいよ」

「そうなんだ……」

 しかし、母親の反応は先ほどよりも薄くなっていた。理由は簡単で、自分の娘の拾ってきた人形と状況があまりに似すぎていたためである。実はしっかりと鍵をかけたはずの窓が開いていたり、ということもあの人形を拾ってから毎日のようにあったのだ。その上、あの人形を拾った場所さえもピタリと一致していた。

「ねえ麻貴、その人形の特徴って分かる?」

「特徴? 珍しいわね、香弥がオカルト話に乗ってくるなんて。あんまり信じないんじゃなかったの?」

「ま、まあ今回はちょっといろいろあって……」

 親友はその態度に疑問を抱きながら、一応答える。

「確か、黄色のリボンに・・・そうそう、ピンクのドレスを着てたって話だったわよ」

「……やっぱり」

 母親はすっかり表情をなくしてしまった。

「……どうしたの、顔色悪いけど大丈夫?」

 親友がそれを見て心配するが、

「ゴメン、あたしちょっと用事思い出したから帰るね。お金は払っておくから」

「ちょ、ちょっと香弥!?」

母親は親友に何の事情も告げず、コーヒーショップを出て行った。すでに一時間は経っている。娘に何事もなければいいのだが、と思いながら母親は必死に家まで走った。



 5分後、ただいま、と言った母親は普段は揃える靴さえも適当に脱ぎ捨て、自分の娘の姿を探した。しかし、部屋のどこを探しても娘の姿はなかった。そして人形も。

(あの子、どこ行っちゃったのかしら?)

 急いで部屋中を探したものの、一向に見つかる気配はない。一人で娘を留守番させていたのがまずかったのだろう。彼女の中では最悪の事態が頭をよぎっていた。

(まさか、人形があの子を連れてった……とか)

 そんなことを考えた直後、玄関のチャイムが鳴った。慌てて母親が応対すると、そこに立っていたのは隣の家のおばあさんだった。

「あ、高田さん、どうしたんですか?」

 母親は当たり障りのない聞き方をした。すると、

「どうしたんですか、じゃないよまったく。あんたんとこの綾ちゃんが勝手に1人でさっき出かけて行ったよ。何か薄汚い人形持ってたけど、あんたにあんな汚いもの拾ってくる趣味なんてあったのかい?」

 普段ならこんな嫌味を言われたら違いますよ、などと言って愛想笑いを返しているところだが、今はそんなことよりもっと大事なことを口走っていたおばあさんに手がかりを聞くことが大切だと思われた。

「綾は……どこに行ったか分かりますか?」

 母親のその必死のその形相に、おばあさんも何かただならぬものを感じたのだろう。必死に思い出すような仕草をしながら話す。

「確か、あたしが聞いたときは……、嶋野谷渓谷のほうに行くとか何とかって言ってた気もするけどねぇ……。あんたが許可出したって聞いたから、あたしは止めも何もしなかったけど……」

「ありがとうございます!」

 親切に教えてくれたおばあさんの言葉を聞いた直後、母親は家を飛び出す。

「ちょっと、一体どうしたんだい!?」

 そんなおばあさんの声が聞こえたような気もしたが、母親にそれを返している余裕はなかった。彼女はガレージまで走り、車に乗り込むと、急いで車を発進させた。



 10分後、母親は嶋野谷渓谷に到着した。嶋野谷渓谷はこの辺りの地名としては割と有名な方で、嶋野谷渓谷饅頭とかウーパールーパー型のしーまんなどというキャラクターができているほどだ。その一方、水難事故も後を絶たず、滝壺で生きられないウーパールーパーをマスコットにしたせいで、この渓谷は人が死んでしまう呪われた川になってしまったのだ、などという縁起でもない噂が立っているほどである。

(綾は……どこに行ったのかしら?)

 母親は辺りを見渡す。近くにいたのは40代くらいの男性と高校生くらいの女性が二人だけだった。

(まだ……来てない?)

 母親は安堵しかけたが、母親の必死な様子を見た40代くらいの男性が彼女に声をかけてきた。

「あんた、もしかしてさっき川の方に一人で入っていった女の子の母親かい?」

「娘を見たんですか!?」

 母親は飛び掛からんばかりの形相でその男性に聞く。男性は戸惑い気味にこう答えた。

「あ、ああ。今から少し前に向こうの入口の方へ入っていったよ。しかし、あんた何であんな小さな子にこんなところに一人で行けだなんて、ひどいことを言ったんだい? あの子は人形片手にうつろな目でここまで歩いてきたんだよ? 娘さんにすべて聞いたけど、一歩間違ったら虐待のレベルに……」

「ありがとうございます!」

 男性の説教が始まりそうになったので、母親は急いでその入り口に向かおうとする。

「ちょっと君、まだ話は終わって・・・」

 男性は引き留めようとするが、

「後でいくらでも聞くので、失礼します!」

そんな余裕があるはずもなく、母親はその入り口に向かって一目散に走って行った。



 その後、どこをどう走ったのか覚えていないようなスピードで、母親は渓谷の一番奥の辺りに到着した。そして、そこには一人の女の子が何かに取りつかれたような表情で人形を持って滝の手前辺りに立っていた。

「綾!」

 それは紛れもなく自分の娘だったが、雰囲気が違っていた。まるで誰か別の人間が娘の体を乗っ取って動いているような、そんな奇妙な違和感を母親は感じていた。とその時、娘が口を開いた。

「……して」

「えっ?」

「……どうして邪魔するの? あと少しで、あと少しであたしのお友達が増えるのに」

 それは普段の娘の声のようでありながら、少し口調が違っていた。ちょうど娘をあと少し成長させたような、そんな口調だった。おそらく今、母親の娘は誰かに乗っ取られているのだろう。それが死んだ女の子なのか、人形の魂が娘に入り込んでいるのかは定かではなかったが。

「その子はあたしの娘よ! 勝手に連れて行こうとしないで!」

母親は必死に叫ぶ。娘(の体を乗っ取った何者か)は表情を歪ませながら、

「あたしはただ、お友達が欲しいだけなのに……。1人は寂しいよぅ……」

 そう言って倒れた。それと同時にその手にあった人形は、ゆっくり、ゆっくりと回転しながら滝壺に落ち、やがて見えなくなった。

「綾!?」

 母親は倒れた娘に駆け寄る。娘は母親の声でゆっくりと目を開け、

「……ママ?」

そう声を発し、体を起こした。いつもの娘であることを確認した母親は、

「綾!」

そう叫んで涙を流しながら、娘の体をぎゅっと抱きしめた。

「ママ、痛いよ~。……どうして泣いてるの?」

 娘は何があったのかも分からず、手放したせいか人形のことすら頭からきれいさっぱり抜けきってしまったようで、ただただ首を傾げるばかりだった。

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