休息
「では、ここでしばしの休憩をとる!」
その声を合図に皆馬を止めた。
どの位走っただろうか既に太陽は沈みかけ空をオレンジ色に染めはじめていた。
(比較的近いって……。山一つ越える勢いだったぞ。)
勿論こんな長い距離を全力疾走したことなかったクラウディアはばてていた。口の端から泡が垂れ息が荒い。途中、クラウディアから下りてトラストに乗せてもらう事もあった。
『駿馬は大丈夫か。竜の医者。泡を吐いているぞ。』
トラストとフレデリックがやってきた。
あんなに長い距離を、時折大の男二人を乗せて走ったというのにトラストはばてている様子がない。
「あぁ、大丈夫さ。脱水症状をおこしている。あんなに長い距離を走らせたことはなかったからな。」
周りの馬はばてた様子がまるでない。ばてたのはクラウディアだけのようだ。
「すぐそこに川が流れている。そこで水を飲ませよう。ついでに身体に水を掛けてやるといい。火照った体も熱が下がるよ。案内する。」
フレデリックが提案した。サイファーもそれに賛成し、クラウディアを引いて彼の跡について行く。
『駿馬は持久力がたらんな。もう少し鍛えた方がいいぞ。』
道中、トラストが言った。
「養成所の時はこんな遠くまで走った事なかったからね。にしてもなんで部隊の馬達はこんなに走ってもばてないんだ?」
サイファーの疑問に彼はフン、と鼻を鳴らした。
『ここからもっと東にある国では……エンデュランスと呼ばれる長距離競馬があるらしい。それは三日三晩休むことなく馬を走らせると聞いた。こいつらは確か東の国から来た……筈だ。君の駿馬とは匂いが違う。』
(なるほど……。それで山一つではばてないのか。)
三日三晩も走るより、山一つ越える方が何倍も楽なのだろう。
獣道を歩いていく。徐々に川の流れる音が聞こえてきた。川はすぐそこらしい。
「さぁ、ついたよ。……先客がいるらしいけどね。」
川のそばには既にカタリーナと彼女の馬がいた。
「あら、フレデリックとサイファーじゃない。お疲れ様。水飲みに?」
「あぁ、それとクラウディアの水浴びに。」
サイファーはクラウディアに水を飲ませながら言った。
余程喉が渇いていたらしく川の水を飲み干さんばかりの勢いで飲んでいる。
カタリーナは微笑んだ。
「そうね。初めてあんな長い距離を走ったんだもの。ばてるのは当然だわ。」
サイファーは苦笑する。
「遠征地に着いたら併せ馬を誰かに頼んで長距離に慣れさせようと思うんだ。」
「あら、いい事だと思うわ。私も手助けする。」
サイファーがクラウディアを連れて川に入ろうとした時、誰かがサイファーの腕をつかんだ。
振り向くとそこにはフレデリックでもない男が立っていた。
黒い長めの髪の間からは赤い瞳がのぞいている。
『俺が洗おう、主の友。俺は水を浴びる必要がない。そこの木の下で話してきたらいい。』
「トラスト……。お前、化ける時は一言言えって。」
なんと、見知らぬ男はトラストが人に化けた姿だった。
久々に見る化けた姿にサイファーは懐かしさを覚えた。
「じゃあ、お願いしようかな。何かあったらすぐ呼んでくれよ。」
『勿論。』
トラストは頷いて、川の方へと向かって行った。
「ぁ!私の馬もよろしくねーっ!!食べちゃダメだよー!」
「大丈夫だよ、トラストは鹿肉しか食べないからね。」
カタリーナの冗談にフレデリックは微笑んだ。
「鹿肉しか食べないなんてグルメね。さ、座ってお話しましょ。サイファーの話聞きたいわ。」
三人は木の根元に腰を下ろした。
夕暮れの風が三人を包む。
「俺の話?」
「そ、君の話。部隊じゃ色々と噂されてるのよ。知らない?」
サイファーは首を横に振った。自分の噂ほど耳に入ってこないものだ。
「駆逐部隊期待の竜医って言われてるのよ。確かお父様とお母様は部隊で戦闘班にいらしたんでしょう?」
「あぁ、そうだよ。」
父と母が部隊に所属していたのはもう十年も前の話だ。
「今は何をなさっているの?」
カタリーナが首をかしげる。
「……。父さんと母さんは殉職したんだよ。」
「あっ……ごめんなさい。」
「いや、いいんだ。」
気まずい空気が流れた。カタリーナは申し訳なさそうに押し黙り、サイファーは川の方を見つめる。
フレデリックは只一人地面に生えている草をむしっていた。彼にとって気まずい空気ほど苦手なものはない。
「な、なぁ、サイファー。養成所は今どんな感じだ?俺が部隊に入ってから変わったことは?」
「あぁ……。そういえば女の子の竜医が来たな。竜士でも幻獣医でもある謎の多そうな奴だった。」
「女性の竜医だって?!聞いたこともないな。」
(よかった。なんとか話題は変えられた……。)
フレデリックは安堵しながらもカタリーナと一緒に驚いた。女性の竜医がいるなんて聞いたこともないからだ。元々、ドラゴンを扱うのは力がある男性の方が多い。竜医も長時間労働や患畜を運んだりするための労力が求められるため男性しか受け入れられない現状があった。
「なんでも昔からドラゴンと共に過ごしているらしい。俺が育てていたドラゴンを引き継いでくれたよ。」
「あぁ、クラウディアか。元気だったか?」
「早速新人いびりをしているらしい。」
そう言うとサイファーは思い出したのか忍び笑いをした。
養成所にいる黒いドラゴンのクラウディアは雌ドラゴンの中で一番美しく強かった。その所為かどこか高飛車で気に入った竜士や竜医でなければいう事を聞いてくれない猫の様なドラゴンだ。幸か不幸かサイファーはそのクラウディアに気に入られ、我儘に振り回されたものだ。別れの時はこっちを見てもくれなかった。
「クラウディア?君の馬の事?サイファー。」
話についてきていないカタリーナが困惑の表情を浮かべた。
「あぁ、そういえば馬もクラウディアだったね。クラウディアは元々ノーブル(貴族)という名前だったんだ。サイファーの親父殿が彼女と走っていた時はね。親父殿からサイファーにクラウディアが譲られて、ドラゴンの方のクラウディアに見せた時、なんて言われたと思う?」
カタリーナはしばらく考えて、言った。
「同じ黒い毛色をして馬が貴族ってどういう事よ?!みたいな事を言ったのかしら?」
「正解!!」
フレデリックとサイファーは大声で笑った。
「正確には、同じ毛色なら私と同じ名前のクラウディアにするか素直にブラックにしなさい。だ。あの時は俺も驚いたよ。まさかドラゴンが名前を変えろと要求するなんてね。」
「ドラゴンのクラウディアは変わった子なのね!一度お話してみたいわ!」
「この遠征が終わったら俺とフレデリックがいた養成所へ行こう。君ならクラウディアも気に入ってくれるさ。」
ちょうどその時、鐘が鳴り響いた。休憩終了の合図だ。
「行こうか。」
「えぇ。」
「おう。」
立ち上がってトラストの方を見る。
『こちらもちょうど終わった。魔法使い、君の馬は他人を濡らすのが得意らしい。』
そういうトラストは全身びしょ濡れである。
「あっ……ごめんなさい……。」
カタリーナは馬の手綱を受け取りながらぽつりと言った。
「カッパーは水浴びが大好きなの。今日はクラウディアもトラストもいたからテンションあがちゃったのかな?」
『竜の医者。君の馬は少々大人しすぎやしないか?普通の馬なら俺を見るだけで怯える。』
「君なんかに怯えてたらドラゴンを患畜に持つ医者の馬なんてできやしないよ。」
サイファーがにやりと笑う。
『ほほう、面白い。』
トラストも興味深そうに笑った。
「そろそろ狼に戻ったらどうだ?休憩は終わっている。早く戻らなきゃ怒られるぞ。」
フレデリックの言葉を聞いて、トラストは狼の姿へと戻った。
さっき通った獣道を慌ただしく戻る。
「な、何とか間に合った……。」
集合場所では既に皆馬に跨り走り始めようとしていた。
サイファー達もそれぞれ走る準備をする。
ルルトが声を張り上げた。
「いいか!目的地はすぐそこだ!一気に駆け抜けるぞ!」
辺りはもう薄暗く、時折狼の遠吠えが聞こえる。
不穏な空気の中、一行は走り出した。
「フレデリック、ここの森は狼は出ないのかい?」
「や、出る時は出るさ。でも今年はまだ一頭も確認されてないとか!」
走りながら言葉を交わす。
『狼だけじゃない。他の小動物もまったく見当たらないし匂いもしない。……どういうことだ?』
「君たち今は走るのに集中しなよ!追い抜くからね!」
サイファーのすぐそばからカタリーナが大声でいい、二人を追い抜いて行った。
『さすが魔法使いの馬。一瞬にして速度をあげたな。』
「俺達も上げるか?」
「クラウディアに無理はさせたくないね。」
「じゃ、俺は先に行くよ。」
そう言うとフレデリックはカタリーナの後に続いて追い抜いて行った。
クラウディアは少し休んだとはいえ疲労は溜まっている。その所為か速度も初めよりはあがらない。
しばらく走ると森を抜け、一つの村が見えてきた。
見張りなのかたいまつを掲げた男が並んでいる。
サイファー達は速度を落とし、馬から下りた。
馬の手綱を引きながら村へと近づく。
「サイファー……。この村、ちょっと怖いかも……。」
カッパーを曳きながらカタリーナがそばにきた。
「確かにまぁ、ちょっと警戒しすぎだとは思うな。でもあそこが今回の遠征地なんだろ?」
「あぁ、そうだよ。」
フレデリックが話に入ってきた。
「フレデリック、トラストは?」
ふと下を見ても黒い狼は見当たらない。
「あぁ、アイツはちょっと村周辺の偵察に行かせたよ。見た感じ、ここの警備は見張りだけらしいからね。」
「にしてもなんで見張りがいるんだ?普通の村ならありえないだろ?」
竜医として色んな村を訪れることはあったがこの様に見張りがいる村は見たことがなかった。
「あぁ、そうだよ。ここ、アーク村は普通じゃない。」
フレデリックが声を落として言った。
「アーク村はちょうど十年前に一度、人竜の群れに村を破壊されているんだ。」