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第79話 俺が運んだ方が速い

 そこは秘境とも呼べるとある山奥の隠れ里。


 今宵も淡い月の光が霧深い峡谷をおぼろげに映し出す。

 夜空から零れる月明かりは、いつなんどきでも夜の闇を優しく照らしてくれる。

 ただ今日この日だけは、その情景がどこか儚くも悲しいものに思えた……



「エレーゼ様。ただいまシャロンヌ様とご連絡が取れました」


 メイド服に身を包んだ利発そうな顔立ちのエルフの女性は、瞳と同じエメラルドグリーンのドバイザーを耳から離すと、洗礼された美しい所作でその場に跪いた。彼女の面前はシルクのカーテンで仕切られており、その周囲は青白い光のベールで包まれていた。


「シャロンヌ様は直ちにこちらへ向かうと仰っていましたので、今しばらくお待ちくださいませ」


「……いけま……せん……」


 仕切りの向こうから、若い女性の声が聞こえてきた。その声は、今にも消えてしまいそうなほど弱々しいものだった。


「おね……え……さま……には……いわ……な……いで……」


 それはまるで儚く舞い散る粉雪のようにひどく虚ろな言。


「ハッハッハッハ。そういうわけにも参りますまい」


 カツン、カツン、と硬い革靴の足音が平伏するメイドの背後より近づいてきた。


「エレーゼ様の身に何か起こった際はすぐに知らせるよう、我らは常日頃からシャロンヌ様に口酸っぱく申し付けられておりますがゆえ」


 渋みのある野太い声と共に現れたのは、熊のような髭と身の丈ほどはあろう二本の大刀を携えた初老の男性。その重厚な風格と威厳は歴戦の武将を思わせた。


「もし約束をたがえば、この老いぼれはこれから先、一生シャロンヌ様に恨みつらみを言われ続ける余生を送らねばなりますまい」


「恐れながら、私もシャロンヌ様よりそのように仰せつかっております」


「……………………………」


 エレーゼからの返事はなかった。だがおそらく気分を害したという訳ではなく、単純にもう声を出すことすらままならない状態なのだろう。


「……」「……」


 その事を察するかのように、つとめて明るく振る舞っていた老兵と女中は、沈痛な面持ちで口をつぐむ。二人はカーテンの仕切り越しに床に臥す主人へ一礼すると、静かにその場を後にした。



 ◇◇◇



「シャロンヌ様は、今何処におわすのだ?」


「ランド王国です」


 慎み深い態度はそのままに、エルフの女中は答える。


「幸いソシスト共和国方面の国境付近にいらっしゃるようですので、シャロンヌ様であれば早駆けのみでも今日中にはこちらへ戻られると思います」


「おお! 確かにあそこからならば、シャロンヌ様の足をもってすれば半日もあれば十分であろう!」


「半日程度なら、なんとか今ある薬剤だけでも命を繋ぐことは可能でしょう」


 話の輪に入ってきたのは白衣を着た長身の優男。エレーゼの主治医だ。医師の男は神妙な面持ちで「ただ……」と言葉をつづけた。


「いずれにせよ、この分だと単なる付け焼き刃に終わる可能性が非常に高いですが」


「貴様、縁起でもないことを口にするでないわっ!」


 老兵は掴みかかるような勢いで男性医師に迫った。だが彼はまるで動じなかった。ただ憂いに沈んだ表情を浮かべるだけだった。


「皆さんもお分かりのはずです。延命措置をこれ以上続けても、辛いのはご本人だということを」


「ぬっ……」


「…………」


 反論の声は上がらなかった。従者達は何も言葉を返せなかった。それからどのくらいの時が経ったか。静寂を破り、二人の姉妹と苦楽をともに歩んできた老兵が、その身を振り絞るようにして口を開いた。


「……これまで散々苦しんできたのだ。せめて最期ぐらい、最愛の姉君に看取られる中でその時を迎えてもバチは当たらぬだろう」



 ◇◇◇



 ビュンッッ‼︎ と真夜中の街道を駆け抜ける一陣の疾風。


 道端に生えた雑草をそよがせ、土埃を夜の空に舞い上げる大きな影。漆黒の闇を切り裂くそのシルエットは、何とも形容しづらい見てくれをしていた。


「なんというか、すっごく複雑な気分なのです……」


 目まぐるしく変わる風景を車内の運転席から鑑賞していたリナが、とてもやるせなさそうな顔でぼやく。


「……いまだかつてないスピードを動力車の運転席で体験してるはずなのに、これっぽっちも感動しないの……驚くほど達成感がないの」


「リナさん」


 リナが負のオーラを漂わせてブツブツと愚痴をこぼしていると、背後から声が飛んできた。リナは反射的に口を噤んだ。しょぼくれモードの彼女に声を掛けたのは、運転席の真後ろに座っていたアクリアだった。


「今は一刻も早くアリス達をシスト会長のもとへ送り届けるために、少しでも冒険士協会本部に辿り着くまでの時間を短縮する必要があります」


「……わかっているのです」


 リナは犬耳が分かりやすくしおれる。


「ただ、あまりにもやる事がなくて、役に立てなくて……ちょっと自分が嫌になったというか」


「それは私も同じでございます」


 いまだ目を覚まさぬ腹違いの妹アリスを肩に寄り添わせ、アクリアはやるせない思いを抱えて顔を伏せる。


「結局のところ、私達はまた天様に頼りきりになってしまっています」


「ほんと、このまま天兄に負んぶに抱っこばかりしてたら、そのうちあたし達の口元におしゃぶりが用意されちゃうのです」


「………………」


 気落ちするアクリアとリナをよそに、助手席で窓に流れる夜景をただじっと眺める者がいた。


「エレーゼ……」


 Sランク冒険士シャロンヌ。彼女はまるで何かに祈るように窓を見つめていた。いや厳密に言えば、今の彼女にはそれすら許されないのだ。なぜならシャロンヌが祈りを捧げるべき存在達は、既に彼女へ最終通告を言い渡しているのだから。


 ――何か自分にも力になれる事があれば。


 リナは窓に映ったシャロンヌの痛々しげな表情を横目で見やり、もどかしい気持ちでいっぱいになった。犬耳娘はクリーム色の頭髪を掻きむしる。こういうとき動力車の運転ができないのはきつい。普段ならハンドルさえ握っていれば、大抵のことは忘れられるのだが。


 ……こんな事なら、あたしが屋根の上に張り付けばよかったの。


 リナは動力車の天井を見やり、その向こうにいるであろう彼の現状を鑑みる。


「まぁ、カイトさんがそれを容認するわけがないのですが」



 ◇◇◇



「ハックシュッ!」


 くしゃみと一緒に動力車から離れそうになった上半身を、カイトは必死に抑え込む。一応ロープで体を固定してはいるものの、気を抜けば一瞬で吹き飛ばされてしまう。カイトは己の指先に全神経を集中させる。零支部のイケメン支部長は、現在爆走中の車の屋根の上に張り付いていた。




「髪を切っておいて正解だったな……」


 それはさながらハリウッド映画のカーアクションよろしく。時速200キロを優に超えるスピードを生身で体感しながら、カイトは心の底からそう思った。


 ……まさかこんなところで髪をバッサリ切ったことが生きるなんてね。


 空気抵抗とは縁のない自分の坊主頭に感謝しつつ、カイトは思わず苦笑してしまう。


『動力車で普通に走るよりも、俺が動力車を運んで走った方が数段速い』


 天のこの言葉に噓偽りはなかった。当然である。天は数十トンはあろう『マウントバイパー亜種』を軽々と持ち上げ、動力車の何倍も速く動くことができる規格外超人なのだ。人型を六人乗せた軽自動車を抱えてトップスピード――力量三段階レベルの――を維持することなど、彼にとっては造作もない。まあ動力車自体は五人乗りなので、天以外の男であるカイトが屋根の上なのはご愛嬌だろう。


『行き先の途中で協会本部を通るなら、そこで一旦アリス王女と付き人の身柄を会長に引き渡そう。それでひとまずおっさんからの依頼は達成だ。本部までの道順なら俺も記憶している。俺がそこまでみんなを動力車ごと運べば、それだけ目的地までの移動時間の短縮に繋がるだろう』


 以上が天の考えたプランである。


 シャロンヌの話によれば、彼女の実の妹であるエレーゼが現在療養生活を送っている山奥の集落は、ソシスト共和国最西部の国境付近に広がる山地に位置するという。そして今カイト達がいる場所が、ランド王国の国境を越えた先にあるソシスト共和国最東端の四つの街道のうちの一つ、ライニア街道だ。つまり目指す目的地は、大国ソシストを挟んでちょうど反対側にある地点ということになる。


「はは、それにしても本当にとんでもないスピードだな」


 もう少しでライニア街道も抜ける。この分ならあっという間に着きそうだ。カイトはほんの一瞬だけ微笑み、再び全神経を車の屋根にしがみつく作業に注ぐのであった。



 ◇◇◇



 《ソシスト共和国・首都ビーシス》


 時刻は深夜零時を少し回った頃。妖しげなネオンの光が照らす路地裏の一角。カウンター席のみの、こぢんまりとしたバーで。今夜も刺激に飢えた男と女が、互いの渇きを潤すパートナーを求めて、欲望に満ちたグラスを重ね合わせる。


「ねえ、キミ。今ひとりなのかい?」


「え、うそ。すっごいイイ男……!」


「フフ。そういうキミも、とってもチャーミングだよ」


「やだ、どうしよう。今日はすっごいツイてるかも。まさかこんなイケメンさんに声かけられるなんて、夢みたいだわ♡」


「――ぷっぷ〜〜」


 チリンチリンと小さな鈴の音と共にバーの扉が開いた。幼児語のような言葉を口ずさみながら店に入ってきたのは、フリル付きの黒いワンピースに身を包んだ可愛らしい紫髪の少女。グラスを磨いていたバーテンダーの手がピタリと止まる。少女は深夜のバーに訪れる客としては幼すぎる容姿をしていた。姿格好がというより単純に年齢的な意味でだ。


「こんな時間にこんなところへ女の子を呼びつけておいて、当の本人は暇つぶしにナンパとか。ほんとナイスンらしいのだ。つまりいいご身分ってこと」


 やってきた少女は、カウンター中央に座る男女、否、男の客の方だけを半眼で睨む。


「やあ、サズナ。久しぶりだね」


「ぷっぷ〜……この前エクスで会ったばかりなのだ。つまり、あれから数日も経ってないってこと」


 かけらも悪びれぬ態度でグラスを片手に歯を光らせるナイスン。サズナはすべてを諦めたような顔で彼の隣のカウンター席に腰を下ろした。


「で、僕ちんに用ってなんなのだ?」


「ああ。ちょっとキミに頼みたいことがあってね」


「え、えっと……」


 先ほどまでナイスンに口説かれていた女性客は思わず呆気に取られてしまう。いきなりの展開についていけず唖然とする彼女をよそに、サズナとナイスンは二人で話を始めた。


「急ぎの用じゃないなら今度にしてほしいのだ。つまり、僕ちんはひと仕事終えたばかりで疲れてるってこと」


「そんなキミにピッタリな、とっても素敵なイベントを用意したんだ」


「ぷっぷ〜、勿体ぶってないで早く言うのだ。つまり、とっとと教えろってこと」


「実はこれから協会本部に行くから、一緒についてきてほしいんだよね、サズナに」


 ナイスンはブロンドの前髪をかきあげる。


「俺と夜の街でデート。どうだい素敵だろ」


「眠いしめんどいからパスなのだ」


 きっぱりとそう言いきって、サズナは早々に席を立とうとした。


「待ってくれって」


 立ち上がったサズナの手首を半ば強引に掴み、ナイスンは焦る気持ちを隠すように愛想笑いを浮かべる。


「ほら、キミが一緒にいてくれた方が、きっとシスト会長も機嫌いいだろうしさ」


「……はあ、しょうもない事に僕ちんを巻き込まないでほしいのだ。つまり、いい迷惑ってこと」


 なんとなく予想がついた。サズナの顔にはそう書いてあった。史上最年少でAランク冒険士になった天才少女は、諦念を滲ませた面持ちで嘆息する。


「いい加減、昔の女の尻を追いかけ回すのはやめるのだ。つまり未練がましいってこと」


「ハッ、そんなじゃないよ」


 ナイスンは掴んでいたサズナの手首を離すと、被っていた愛敬の仮面を剥ぎ取り、忌々しげに吐き捨てる。


「ただ俺は、自分のものだった女が他の男に取られるのが我慢ならないだけさ!」


「ぷっぷ〜、そういうのを世間一般じゃ未練がましいって言うのだ。つまり、スーパー見苦しいってこと」


 処置なしとでも言いたげに、サズナはうんざりした表情でため息混じりに首を振った。



 ◇◇◇



「てか、無理矢理詰め込めば普通に六人乗れただろ」


 頭の上に動力車を乗せ、まったくブレない体幹で車全体をしっかりと支えながら、天は人気のない深夜の街道を直走る。周囲の安全確認と皆を乗せた動力車の持ち運びに細心の注意を払いつつ、今まさに自分の頭上で孤軍奮闘中であろう相棒に、天は意識を向けた。


 ……わざわざカイトが屋根に張り付かなくても、単に搭乗するだけならやり方はいくらでもあると思うが。


 天は内心首を傾げる。実際、天が言うように、多少無理をすれば後部座席にもう一人ぐらいならぎりぎり入るだろう。ただそれは護衛対象である国の要人をぞんざいに扱うことに等しい。カイトの性格上、自分は屋根の上でいい、と言い出すのはある意味当然の流れである。何より、もし天が逆の立場だったらカイトと同じことを言うのは目に見えているので、それについて天自身が疑問を感じるのはいささか矛盾していると言えなくもない。


「まあ、ロープで体を固定しているし、()()カイトなら振り落とされる心配もないだろうがな」


 なるべく車体を揺らさず、スピードを殺さず、天は前方に見える並木道のT字路に突入した。ここを左に抜けて河川沿いの道に出れば、冒険士協会の本部があるソシスト共和国の首都ビーシスはもう目と鼻の先である。


 ―――絶対に間に合わせる。


 天はわずかに瞼を持ち上げ、強い意志を秘めた眼差しで、暗闇に支配された街道のその先を見据えた。


『頼む、天殿……! エレーゼを……俺の妹を救ってくれ‼︎」


 文字通り地に額を擦り付け、涙ながらに懇願する仲間の姿は、男を本気にさせるには十分すぎるものだった。


「……ラム、淳。悪いがもうしばらくの間だけ辛抱してくれ」


 次の瞬間、周囲の空気が熱を帯び、春寒の冷たい夜風が熱風へと変わる。そのわずかな変化に気づいたのは、同じく車外にいた彼の相棒のカイトだけであった。

 

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