第77話 何者
それはいつぞやの神々の会合……
『ぬしらに話がある』
『な、なんじゃあ⁉︎』
『……へっ、こいつは珍しいこともあるもんだぜい』
『あなたがこの地へ罷り越すなど、いったい何千年ぶりのことですか、シナット?』
予期せね来訪者が、三柱神の聖域に訪れた時のこと……
『このままでは、余りにもつまらぬのでな』
『なぬ! つまらんじゃと⁉︎』
『ちぃ。この野郎、とことん調子に乗ってやがんぜい』
『現状、何も反論できないのが歯痒いところですね』
神々は己たちの真剣勝負を盛り上げるために……
『これより始まる我とぬしらとの盤上遊戯を退屈でないものとする為。我から一つ、ぬしらに提案がある』
『提案じゃと……?』
『けっ、随分と上からの物言いじゃねいかい』
『ですが、ここは敢えてその話に乗らなければならないのでしょうね』
とある趣向を取り入れた……
『ぬしらが管理する民草どもに、ぬしらの有する“神の知恵”を与えることを許可しよう』
『フン、儂等が“真理英雄”たちに入れ知恵する件なら疾うに思案済みじゃ』
『ついでに言っちまうと、そいつはもうとっくにお蔵に入っちまってんだよ、このすっとこどっこい!』
『よしんば我々の知恵を英雄たちに授けたとして、その後が続きません」
『おうよ。だいたいオイラたちが気兼ねなく声を届けられる奴らなんざ、人類全部ひっくるめてもごく一握りしかいねいやい』
『その上、そやつらではなまじ儂等の言葉を聞けても、生まれ持った誓約により他に伝えることはできん……どうじゃ、これで分かったじゃろ? 貴様が恩着せがましく提示した案は、虫食いのように穴だらけなんじゃよ!』
『ーーならば、ぬしらの言葉を紡ぐ者を彼の地より呼び寄せればよい』
『『『ッーー‼︎』』』
それは世界の命運を左右する、神々のはかりごと……
『まさか貴様、“鏡界”の門を開く気か⁉︎』
『厳密に言えば、門の開鍵役を担うのは我々の方ですがね』
『神格級が最低でも二柱以上はいねいと、鏡界の出入口は現れねいからな? にしても、またろくでもねいこと思いつきやがんぜい、こいつは』
『我は提案をしに来たにすぎぬ。受けるべきか拒むべきか、それを決めるのは飽くまでもぬしらだ』
『つまりは、責任関係云々をこちらに丸投げするということですね』
『当然であろう。これはぬしらの怠慢に対する、我からの厚情なのだから』
『ぐぬぬぬぬ。好き勝手ほざきおってからに』
三柱は考えた……
『確かに鏡界の住人じゃったら、儂等の言葉を制限なく人界の者どもに伝えることも出来るじゃろ』
『神託を下すにゃ、うってつけの人材っつーのは違いねいがよ』
『偶発的ではなく故意に鏡界の門を開き、剰えあちらの世界の人民をこちら側に招き入れたとなれば。向こうの神々や次元の番人たちが黙ってはいないでしょうね』
『それについては既に話を通してある』
邪神は囁きかける……
『期限は十日の内、導く者はふたりまで、そして開く門をひとつに絞るならば。目を瞑る、とのことだ』
『……根回しは万全ということですか』
『相変わらず、テメェは自分が楽しむ為なら何でもやりやがんな』
『ぬしらは違うのか?』
『儂等は、貴様よりはいくらか節操があるわい!』
そして恐ろしくも美美しい男神は、神域を立ち去る間際……
『言い忘れていたが、もしぬしらが彼の地より来たりし民を自陣に引き入れられなかった場合。その時はかの希少な資源を我が貰い受ける』
『なな、なんじゃとおお⁉︎』
『ち、初めっからオイラたちにタダで塩を送る気なんざ、さらさら無かったってわけかよい』
『というより、差し詰めそちらがこの話の肝という事でしょう』
『然り』
その言葉だけを残して、安寧を嫌い、争いを好む邪神は虚空へ消えていった……
『これは一種の賭けですね』
『おうよ。門の向こうから来る人材を選べねい以上、オイラたち三柱側に助勢するヤツが来るか、シナットの野郎に与するヤツが来るか……完全に運まかせだよい』
『ふむ。いずれにせよ、最低でもこっちに来て心が壊れん程度には骨のある者でなければ、話にもならんのじゃ』
『最悪、十日間という短い開錠期間では門を潜ってこちらにやって来る者が現れない可能性も否定できません』
『鏡界の門があんのは、決まって人里離れた辺境の地ばかりだよい。言っちゃなんだが、人っ気なんてこれっぽっちもありゃしねいぜい』
『じゃが他に手がない以上、泣いても笑っても待つしかないじゃろ? その二人の鏡界人をーー』
それはいつかの神たちの会話であった。
「ーーで。その結果、来ちゃったのが俺とアイツだったと」
「……うむ。せいぜい会話が成立するぐらいにはまともなのが来い! と思っとたんじゃがの」
「まさか一発であっち側の一、二等を引き当てちまうとは、流石のオイラたちでも予想できなかったよい」
「もはや我々やシナットの思惑など、完全に蚊帳の外です」
「ほんに、世の中何が起こるか分からんもんじゃの〜」
とても神様が口にするとは思えないセリフを連発し、フィナとミヨとマトは何とも形容しがたい面持ちで一様に視線をさまよわせる。
一方、神界のとんでも裏話を聞かされ、焦点の定まらない目でぼんやりと立ち尽くしていた人界代表の四人の内ーーハリウッドスターさながらの金髪坊主頭に整った顔立ちをしたエルフの青年が。半ば消失しかかった意識を無理矢理に覚醒させ、身を振り絞るようにして声を出した。
「じゃ、じゃあ兄さんは……」
「ああ」
天はカイトに背を向けたまま、淀みない口調で答えた。
「俺とアイツ……俺の実の父親である『花村戦』は。カイトやリナ達が暮らすこの世界とは異なる場所からやって来た、言わば『異世界人』ってやつだ」
そう告げた彼の声は、まるで長年胸の奥につかえていたものが漸く取れたかのように、とても晴れ晴れとしたものだった。
◇◇◇
……これは花村天がこの世界に迷い込む、少し前のお話。
「ーーうん、嫌だ♪」
見た目は小悪魔、中身は人食い鬼。
戦場の羅刹鬼と恐れられた伝説の傭兵は、ニッコリと無邪気に笑いながらキッパリとその申し出を断った。
「悪いけど、僕はキミ達に雇われる気は無いよ。はい、決定! キャハハハハハ♪」
「そこをなんとかお願いできませんか?」
「頼むぜい、にいちゃん。オメェさんがこっちに来てくんねいと、マジでこの世界の人類史が終わっちうんだよい」
「そ、それにほりゃ、お主じゃって自分がもともと住んでおった世界に戻りたいじゃろ?」
「……あー、でたよでた。それが嫌なんだよ、僕はさ……?」
邪気のない笑顔から一変、戦は凍れる眼差しを解き放ち、眼前で光り輝く至高の存在に向かってドスの利いた声で唸る。
「僕ら傭兵はね、何よりもその仕事に見合うだけの十分な“報酬”を最優先に考えるんだよ。なのにキミらときたら、『自分達に力を貸してくれたら元いた場所に帰してやる』とか、言ってることおかしくない? キミらが一〇〇パーセント自分達だけの都合で、勝手に僕をこの世界に呼んだくせにさ」
三柱の神たちをビシッと指差し、戦は溜まっていた鬱憤をぶちまけるよう更に非難の声を強めた。
「まあ、結果的にあの洞穴を潜ったのは僕自身の意思だけどさ。そう仕向けたのは完全にそっちだよね? だったらさ、ことが終わったら家に帰すのは当然の義務じゃないの? それをさも恩着せがましく褒美だ見返りだって。僕の国には『盗人猛々しい』ってことわざがあるんだけどさ。この言葉の意味知ってるかな、異界の神さま諸君?」
「「「……………………」」」
「知ってます」という返事を謝意の表情にくっ付けて、フィナとミヨとマトは重苦しく沈黙してしまう。
逆に戦はそんな三柱の様子を見て、満足したと言わんばかりに悪戯な笑みを浮かべた。
「ーーっていうのは、キミ達の依頼を断る二番目の理由。キャハハ♪」
「二番目?」
沈黙を破りそれを訊き返したのはフィナ。
「じゃったら、一番の理由はなんなんじゃよ?」
「……ねぇ、あの洞穴が向こうに開いてる期間て、後どれぐらい残ってるの?」
「今日で門を開錠してから三日目になりますので、残りはちょうど一週間ですね」
ほぼ条件反射で、ミヨが戦の問いかけに答えた。
「なら、ギリギリ間に合うかな……」
「何がギリギリ間に合うんでい?」
マトのこの疑問に対して、戦は含み笑いをしながらようやく明確な回答を提示する。
「多分だけど、後もうちょっと待ってればあの洞穴からとんでもないのが出てくるから、楽しみにしてなよ♪」
「「「ッーー‼︎」」」
瞬間、三柱は皆一様に目を見開き、
「でね、きっと彼ならそっち側につくと思うから心配いらないよ」
「なんじゃとお⁉︎」「マジかよい!」「それは誠ですか⁉︎」
戦の爆弾発言に、神たちは声を荒げて身を乗り出した。
「あ、でも、今みたくキミら神さまが直に接触してスカウトするのは止めといた方がいいかもね」
「と、言いますと?」
「キミらがさっき僕に話してくれた事が本当なら、この後しばらくしたらシナットって神さまが僕のところに来るんでしょ? 簡単に言えばそれをさせない為だよ」
「! その手がありましたか!」
「そいつは名案だよい!」
「ん? つまりどういうことかの?」
ひとり察しが悪い女神の方に他の二神が顔を向けると、戦は失笑を漏らし、
「そのシナットって神さまは、ヘッドハンティングの先攻をキミらに譲ったんでしょ? なら、単純にそいつまで順番を回さなきゃいいんだけじゃん」
「シナットは我々が人材の引き込みに失敗した場合のみ、自らが受け皿となると公言しました」
「こいつは逆に言っちまえば、オイラたちが動かねい限りはあの野郎も動けねい、てこったぜい」
「そ。だから、最初のうちは様子見して自然の流れに任せた方が案外上手くいくんじゃないかな? 地の利はそっちの方が圧倒的に有利なわけだしね。急がば回れ、キミら神さまが動くのは最後の最後でいいんだよ」
「な、なるほどの」
うっすらと人の悪い笑みを浮かべ合う三者を見て、フィナは思わずたじろぐ。
「それはまあ、分かったんじゃが……結局のところ、お主が儂等の側につかん一番の理由というのは、一体何なのじゃ?」
「だから言ったじゃん、今」
戦はやれやれと首を振った。
「彼ならきっとそっちを選ぶに決まってるから、僕はキミらの方にはつきたくないの!」
「なんでい。オメェさん、ソイツと仲でも悪りいのかい?」
マトがそう訊ねると、
「ううん。すこぶる良好だよ♪」
混じり気のない満面の笑みで戦は即答した。
「では何故、その者とわざわざ敵対関係を築こうとするのですか……?」
怪訝な表情を見せたのはミヨ。
「う〜ん。詳しく説明すると長くなるし、あんまり家庭の事情を他人に話したくもないんだけど。強いて言うなら、もう一度、彼の本気を見たいから……かな?」
「「「本気を見たい?」」」
計らずも声を揃えてその言葉を拾い上げた神々に対して、戦は貼り付けていた笑みを苦いものに変え、
「とんでもなく強いんだよ、彼。それこそ、僕なんか足元にも及ばないぐらいにね……」
同時に、三柱達も目の色を変えた。
「お主よりも遥かに格上じゃとお⁉︎」
「よいよい。ありえんのかい、そんなことがよ?」
「信じられません……私の目算では、あなたの有する力は我々が管理するこの世界においても、ひときわ異彩を放つ比類なきものです」
「あ、やっぱり僕、こっちでもそれなりにいい線いってるんだ♪」
戦は先ほどまでと同様に人を食った調子で喋っていたが、その声からは幽ながらに憂いの色が滲んでいた。
「ーーでもね、彼はそんな次元じゃないんだよ。もう、なんて言うか絶望を通り越して思わず笑っちゃうぐらい、圧倒的な戦力差なんだ」
「ううむ……そやつは一体何者なんじゃ?」
呆れ半分にフィナがうめくと、戦は今日一番の笑顔を見せて……
「理不尽を絵に描いたような、僕の最愛の息子♪ キャハッ、キャハハハハハハ!」
◇◇◇
「……なるほど。つまり要約すると、こういう事かーー」
三柱の神々がおおよその話を終えた後、天は理解と確信に満ちた風貌でゆっくりと口を開く。
「この世界の管理権と生存権をかけた神々の代理戦争は、俺がここへ来る以前は争いの神シナット率いる魔物勢が圧倒的有利な戦況だった。ただ、それでは面白味が無いと物言いをつけたのが、他でもない敵勢力の総大将であるシナット自身。ヤツは、あなたがた三柱の神に自軍への助言だけならば大目に見てやると言った。だがそこでまた問題が発生する。それはあなた達の管理下にある人類種が必ず持って生まれてくる特質性、神の知識、情報共有の制限だ。その解決策としてこの世界とは異なる別次元、『鏡界』と言われる世界から招かれたのが俺と親父。神である御三方から知識を授かり他に伝える役目を受け持つために」
まるで最初から全部知っていたかのような落ち着き払った口ぶり。あらかじめ用意されていた台本を読み返し反芻するが如く。
天は自分が異世界に招かれた経緯を要所要所のみ押さえ、ざっくりと纏めた。
「神託者や巫覡なんつう呼び方をすれば聞こえはいいが。平たく言えば神様専用の体のいい『スピーカー』として、俺達親子はこの世界に招待されたわけだ」
「いや、まあ、その通りなんじゃがの……」
「なんつうか、オメェら親子は物分りが良すぎだぜい」
「まさに非の打ち所のない、完璧な解釈ですね」
天がひとしきり弁舌を振るったところで。それを聞いていたフィナ、ミヨ、マトは、各々が呆れとも感心とも取れるリアクションを見せていた。
「ああ、なんと素晴らしい理解力でしょう。やはり、天殿は知識の神であるこの私にこそ相応しい英雄ではないでしょうか?」
若干一名、己の腹の内をわずかながら垣間見せた女神に、もう片方の女神がギロリと睨みを利かせたところで、
「……なあ、みんな」
自分が異世界に迷い込んだ本当の理由を聞かされたひとりの稀有な格闘家は、背を向けていた仲間達の方へ体ごと振り返った。
「俺の正体を知ってなお、俺と行動を共にする気はあるか?」
今ならまだ後戻りできるぞ……口には出さずとも、彼の目はそう語っていた。
ーーだが。
「もとよりでございます‼︎」
アクリアが大声で叫ぶ。
「死ぬまでつきまとってやるのです!」
負けじとリナも吼えた。
「同じことを二度も言わせるとは、天殿のらしくもない」
シャロンヌは顎を軽く持ち上げ、ニヒルに笑む。
「ハハ、本当ですね」
そして爽やかな笑顔の奥にも揺るぎない覚悟を秘めた瞳で、カイトは天の真摯な眼差しを真っ向から受け止めた。
「何度でも言わせてもらうよ、兄さん。俺は、これから先も何があろうと花村天についていく……たとえそこが地獄の底だとしてもね」
「ーーオーケーだ」
それ以上の言葉はいらなかった、今の彼等には必要なかった。
「御三方。たった今、“英雄がえり”の恩賞である残り二つの願いが決まった」
強い意志を自らの口上に乗せ、天は再び三柱と向かい合い、
「それを持って、俺達がこの戦いを勝利に導いてやる」
固く拳を握りしめ、男はふてぶてしくも神々にそう言い放った。




