第74話 英雄がえり①
《世界の南西部に位置する広大な山岳地帯》
この世界では領土問題というものがほとんど存在しない。理由は簡単である。世界全体の陸地を管理し、統治しているのは、他ならぬ“三柱”の神々だからだ。
とはいえ、ひとたび所有権を譲渡ーー主に英雄の血族、親類達が『神PT』により購入して、その後にそれらを自国で管理し、不動産売買を行うーーした土地は、如何に三柱神といえどおいそれと手を出すことはできない。
しかし逆に言えば、未だ人の手に渡っていない所有者なしの土地ならば、その権限を最大限まで行使することが可能なのだ。
現在、この世界の実に四〇パーセント近くがどの国の領地にも当てはまらない未開拓の地、通称『神有地』と呼ばれる神の領土である。
では、そういった場所に人が無断で足を踏み入れてはいけないのかと問われた場合、答えはNOだ。と言うのも、人界を統べる神々は皆、寛容でおおらかな気風をしており、些細なことでいちいち目くじらを立てる者はいない。
仮に誰かが、あの土地で暮らしても大丈夫ですか? と疑問を呈すれば。
三柱の神たちは、口を揃えてこう答えるだろうーー「勝手に使え」と。
それ故、この世界には大昔から今現在に至るまで、一向に買い手がつかないような秘境に村や集落などを作り、暮らしを営んでいる部族や少数民族が数多く存在する。
そしてこの見渡す限り山、山、山の、雄大な大自然も。世界各地どこにでもある、そんな『神有地』の一つであった。
「うわぁ、今の絶対に天天だよ……」
うっそうと生い茂る緑に覆われた山深い獣道。巨大な樹々が立ち並ぶ中、一際目を引いたのは、樹齢二千年はゆうに超えようという壮大な杉の木。
「う〜ん、ここからだと東北東の方角へ、大体四〇〇キロ前後ってとこかな?」
かつて多くの旅人達がこの場所を通る度に立ち止まり、見上げた、天高くそびえる大樹の頂上に、その者はいた。
「あ〜あ。今更ながらに思うけど、天天ってどこまでも不条理だよね〜」
超高層ビルさながらの巨木の上で平然とあぐらをかき、遠くの空に視線を投げる一人の美少女……のような風体の男性。
「ほんと参っちゃうよ……なにあの馬鹿げた威圧感?」
よく『怒りを通り越して呆れる』という感情表現があるが。彼方の空を望むその者の顔は、もはやそれすらも通り越し、既に諦めの色に染まっていた。
「この前、間近で見た『シナット』の存在感も相当だったけどさ? 今感じた天天のソレは、さらにその上をいってるかも……」
言いながら、彼は盛大なため息をついた。
「にしても神様と同等とかさ〜〜。一体どこまで強くなれば気が済むんだって話だよ、あの“理不尽息子”は!」
男の名は花村戦。
“大戦鬼”と恐れられる最凶の傭兵にして、花村天の実の父親でもある人物だ。
「ーーでも、そうこなくっちゃ面白くないよね♪」
暫しの沈黙の後、戦は急に表情を一変させ。屈託のない笑顔で煌めく星々が一面に敷き詰められた異界の空を仰いだ。
「うん♪ 天天はそうでなくっちゃ駄目なんだよっ!」
声を弾ませながらズボンの尻ポケットに入れていた小型の水筒を取り出すと、戦はまるで夜空に流れる星たちに向けて祝杯を挙げるかのように、それを一気に呷った。
「プハ〜〜ッ! やっぱり、ラスボスは倒し甲斐がなきゃつまらないからね! キャハハッ、キャハハハハハハハハハハハ♪」
◇◇◇
【英雄がえり】
人型と呼ばれるこの世界の人類が、生まれながらにして保持している隠しステータスのひとつ……それが、『英雄PT』といわれる“人種”が“古代英雄種”になる為の、まあ、言ってみれば神々の内申点みたいなものだ。
そしてこの数値が基準値を超えると与えられる、この世で最も輝かしい称号ーーこの場合は、称号というよりも資格といった方が適切かもしれないーーそれが、人界の管理者たる三柱の神による『英雄認定』である。
では一体、『英雄PT』なる隠しステータスがどのくらい貯まれば。神様に英雄として認められるかと言うとーーその値は、ざっと『十万ポイント』。
ちなみに一般の人型がその一生涯で稼げる『英雄PT』の平均値が、およそ五百ポイント。優れた者でもこの値が千を超える者は稀で。これが万単位のポイントホルダーともなれば、世界中を見渡しても数えるほどしか存在しない。
というのも。もともと『英雄PT』は神が設定する人型の評価点だ。よって、当然ながら上がることもあれば逆に下がる場合もある、非常にシビアな裏ステータスなのだ。それを、加点の理由も減点される原因も教えられないまま、とにかく十万ほど積み立てろなどと……はっきり言って無茶振りもいいところだろう。
だがしかし、それはある意味で当然のこと。神様だって星の数ほどいる平社員をホイホイと昇格させたり、ましてや自分のお抱えになどできようはずもない。
ーーそれでは、そもそも『英雄がえり』とは一体何なのか?
という根本的な話に戻らせてもらうが。簡単に言えば、その超難関試験をクリアした後、再び同じように『英雄認定』の規定を満たした者に与えられる称号、特別な資格である。
さらに神々より『英雄がえり』として定められた人型には、各々が望む三つの特権ーー但し、世界征服など神への反逆行為とも取れるような願いは聞き入れられないーー特殊な恩恵が与えられる。それは、資格者の願望によっては新たな世界の摂理ともなりえる極めて重要な案件の為、当事者を交えて三柱全員がその話し合いの場に赴く決まりとなっており。三柱の神たちはこの一連の流れを、古来より“英雄がえりの儀”と呼んでいた。
尚、三千年以上続く人型の歴史の中で、いまだ『英雄がえり』に至った者はたったの二名。
ーーひとりは、時の英雄王『ナスガルド一世』。
ーーそしてもうひとりは、亜人の女王『ルキナ』である。
とはいえ、この二人とて『英雄認定』を三柱神より与えられてから『英雄がえり』に至るまで、優に五十年以上の歳月を費やしている。
このことからも分かるように、普通どころかかなり頭のネジをゆるめて考えたとしても。『英雄認定』を受けてから『英雄がえり』に定められるまでの期間がわずか十日ーーましてや神界から現世に戻ったその日のうちに、すぐさま次の『英雄PT』を合格ラインまで一気に積み上げるなどと。通常なら限りなく不可能に近い、はずなのだが……
「まさか、たった一日で英雄がえりしちまうとは。こいつはさすがのオイラたちでも、ちいとばかし予想できなかったぜい」
「正確に言えば、天殿が英雄がえりの認定を受ける為、必要な英雄PTを獲得するまでにかかった所要時間は、『フィナの神域』より解放されてから十一時間足らずです」
「マジかよい……。一日どころか、半日切ってんじゃねいかい」
「そういう事になりますね……」
知識の女神ミヨが呆れまじりにそう告げると。創造の神マトは、心底悔しそうな顔をして、真っ白で形のない床に向けて地団駄を踏んだ。
「ーーちくしょいっ! やっぱフィナのやろうなんかに譲るんじゃなかったぜい!」
「同感です……」
心から口惜しそうに嘆息する二神を見て、勝ち誇ったようにドヤ顔をしたのは、生命の女神であるフィナだった。
「ア〜ッハッハッハ! いくら悔しがってもお前たちにダーリンはやらんぞ? このことはもう、『三柱会合』で正式に決定した規約じゃからの〜♪ アハハハハハ!」
「チィ、とことん調子に乗ってやがんぜい、このアマ」
「誠に遺憾ですが、致し方ありません」
「てか。そういう話は普通、本人の居ないところでするものでは?」
やれやれと天は煩わしげに頭をかく。
「愚痴りたくもなるってもんだぜい、天どん。コイツときたらよ〜」
「どうでもいいですけど、その『天どん』っての止めてもらえません? それ人の愛称じゃなくて、黄金色のエビがのったどんぶり飯の通称なんで」
「なんでい。じゃあ何か? オイラもフィナのやつみてぇに、語尾にハートマーク付けて『ダーリン♡』って呼んだ方がいいのかい?」
思わせぶりな含み口調でマトがそう訊ねると、天は一流の執事を思わせる礼儀を重んじた立ち振る舞いで、恭しくマトにお辞儀をする。
「マト様。どうぞわたくしめのことは、行きつけの店のオヤジにいつものやつを注文するようなノリで、気軽に『天丼』とお呼びください」
「ふふふ。天殿はとてもユニークな方ですね。フィナではありませんが、このように楽しい対話は久方ぶりです」
「カカカ、違いねい。おいフィナ。オイラが抱えてる『英雄所有権』、まるまる全部オメェにやるからよ? やっぱ天どんはオイラによこしなよい」
「ぜえっったいに、嫌じゃ‼︎」
三柱の神々が天ととりとめもない雑談をしている傍ら、リナ、アクリア、カイト、シャロンヌの四人は。こちらはこちらで何となしの井戸端会議を始めた。
「す、凄いのです。このとんでもない状況もそうなのですが、三柱神様たちが天兄を取り合ってるの……」
「瞭然たる事実ですよ、リナさん。もとより、天様の名望は、人型の枠にとどまるものではございません」
「ハハ……まあ、それは別にしても。兄さんが途方もない偉業を成し遂げたのは確かみたいだね?」
「フン、当然だ。なにせ天殿は、いまだかつて誰も成しえなかった難業……あの『奴隷の首輪』を、瘴気生成させずに他者から取り除いたのだぞ」
天の偉業をまるで自分のことのように得意げに語るシャロンヌへ、
「そっちじゃねいよい」
マトがざっくばらんと水を差した。
「ま、それも多少の足がかりにはなったかもしれんがの?」
「いいえ。その事はまるで関係ありません。何故なら、天殿が英雄がえりとして仮認定されたのは、それよりも以前のことですから」
「………………」
「…………」
静かに睨み合う見目麗しい二人の女神。いや、どちらかというと、フィナの方が一方的にミヨに対してメンチを切っている感じだ。言うなれば、クラスの生真面目委員長と時代遅れのスケバンの構図である。
……こいつ、本当に女神か……?
「残念ながら」
天の心の声にため息まじりに答えたのは、ミヨであった。
「ちょ、ダーリン! 今のは完全にミヨが悪いじゃろ⁉︎」
「正直、どうでもいいッス」
天は取り合わなかった。
「それより、いま言ったことは確かなんでしょうね?」
「ん? そいつは英雄がえりの理のことかい?」
「そっちじゃない」
分かってて訊き返したろう? というジトっとした目つきで天がマトに視線を移すと。自分がシャロンヌに言ったセリフをそっくりそのまま返された爺さん神は。カカカと愉快そうに笑い。へその辺りまで垂れ下がった立派な白い髭をかいた。
「ああ。心配しなくても大丈夫だぜい、天どん」
「この『超神界』の時間軸は、我々が個別に管理する神域とはあらゆる面で異なります」
「うむ。仮にダーリンたちの体感で丸一日ここで過ごしたとしても、下界じゃ瞬きするほどの時間も経っとらんはずじゃよ」
「……ならいいです」
三柱の神たちが口を揃えて押した太鼓判に、天はホッと安堵の胸をなでおろす。
……アリスを山に置き去りにしたまま此処に連れてこられた時は、内心焦ったが……
天が先ほどから気にしていたことは、まさにそれである。正確には、天達はアリスを動力車に乗せた直後に“神隠し”にあったのだが。深夜の人気のない山奥に放置してきた、という点においては大差ない。加えて、以前に天がフィナの神域に訪れ、そして現世へ戻った際に生じた時差は、なんと体感時間のおよそ十倍という馬鹿げたものだった。故に、唯一その浦島効果を身にしみて知っていた天が、神さま相手とはいえ逆上してしまうのも仕方のないことなのだ。
「ふぅ……聞いてのとおりだ、みんな」
天はフィナ達から視線を外し、後ろに控えていた仲間達の方へと振り向いた。
「一先ず、アリス王女ともう一人の身の安全は、俺達が居なくなる直前の状態から現状維持と考えて大丈夫だろう」
途端、皆の顔に安堵の色が浮かぶ。三柱の手前、口には出せなかったが。彼等も天と同様にそのことを気にかけていたのは言うまでもない。
「ほんにダーリンは心配性じゃの〜」
「この場合、何も気にしない方がおかいしいと思いますが、我が主様」
フィナの軽口に天が素っ気ない態度で応じると。フィナは、あからさまに気分を害したと言いたげに頬をぷくっと膨らませて、
「もう! なんじゃそのよそよそしい態度は⁉︎ それと、二人きりの時は儂のことを『フィナ』と呼び捨てにせぬか、ダーリン!」
「自覚がないようだから早めに教えといてやる。今この状況を『二人きり』と言い切るあんたは、もはや女神以前に知的生命体として致命的だ」
駄々をこねながらさも恋人同士のように接してくる形式上の主人に対し、天はどこまでも辛辣な口調で応対した。
「ああん♪ それじゃよ、それ! ダーリンはそうでなくてはいかんのじゃ♡」
しかしその被虐的なアプローチは、彼女には逆効果だったようだ。
「さ、もっと儂に思いの丈をぶつけておくれ、ダーリン♡」
「どうしよ。この女神、本気で気持ち悪いんだが……」
天の表情が見る見るうちに嫌悪感で歪んでいく。彼のそのさまは、まるで生理的に受けつけないものと対峙する時のそれであった。
「よいよい、こいつはマジでやばいぜい……」
同時に、そんな天のドン引きっぷりに危機感を覚えたのは、創造の神マト。
「このままだと、神の威厳どころか三柱の尊厳までフィナに持ってかれちまう」
「ーー仕方ありませんね」
ここで知識の女神ーーミヨが動いた。
「天殿。お取り込み中、大変申し訳ありません」
「こりゃ、ミヨ! 今いいところなんじゃから邪魔をするでない!」
「フィナ。あなたは少し黙っていてください」
「オメェはちょいとすっこんでろい」
「な、なんじゃお前たち……!」
有無を言わせぬ二柱の迫力に、思わずフィナがたじろぐ。
その隙を、天は見逃さなかった。
「なんでしょうか、ミヨ様?」
「はい。天殿が以前……と言っても、天殿の中ではつい昨日のことになりますが」
この瞬間、対話の主導権がフィナからミヨに移る。病的な女神との会話を打ち切るのは、天としても吝かではなかった。
「昨日というと、俺がフィナ様の神域に軟禁されていた時のことですか?」
「はい。その時のことです」
やや皮肉めいた天の言い回しにも眉ひとつ動かさず、ミヨは物静かに相槌を打つ。
「あの時。フィナが天殿に与えた知識の中に、少々語弊があるものが含まれておりました。ですので、この場をお借りしてお詫びするとともに、私がその誤った知識について補正を行いたいと思います」
「なっ‼︎」
ミヨの突然の告白に驚きの声をげたのはフィナ。されど、マトが「邪魔すんじゃねいよい」と癇癪を起こしそうになったフィナの口元に白い球体を出現させ、それ以上の介入を未然に防ぐ。流石にこれ以上の暴走は、同じ神格としてマトも見過ごすわけにはいかない。
その一方で、天の顔からは神への不信感や拒絶感がすっかり消え去り、代わりに知的好奇心という名のアンテナが張られていた。
どうやら、ミヨは彼の情報収集家としての性を上手く利用したようである。
「つまり、どの情報が誤りだと?」
「はい……それは『魔導コンロ』についての講義です」
「「「「………………っ」」」」
瞬間、天を除いた零支部のメンバー、そしてシャロンヌの表情が一斉に凍りつく。あらかじめ天に聞かされていた話なので困惑する者はいなかったが。その代わり、皆は一様に感じていた。あの話はやはり実話だったんだな、と。
「ーーフィナはあの時。魔導コンロの価格で最安値のものは九万九千八百円……そして最も高価なものは、帝国製の百二十万六千円の品だと天殿に答えました」
「間違いありません」
天が神妙な面持ちで頷く。
「しかし実際のところ、それは正規品だけの話であって。非売品や中古品などは一切含まれておりません」
「……なるほど」
「一般的な販売業者による回答であればそれで十分かもしれませんが。それが神の知識となれば話は別。不十分と言わざるを得ません」
「たしかに……」
気がつくと、天はミヨの議論に引き込まれていた。
「それらを踏まえて。もう一度、今度は私が天殿のご質問にお答えします」
「……ゴクッ」
唾を飲み込んだのはリナ。いつの間にかメカマニアの彼女もミヨの話に夢中になっていた。
「まず、全世界で一番安価な魔導コンロは、タルティカ製の一番古い型番で。値段は五百円です」
「安っ!」
……中古にしたって、十万そこらからそんなに安くなるもんなのか……?
千円を切る値段が飛び出し、さすがの天も驚きを隠せなかった。ついでながら、リナも目を見開いて仰天している。
「ですが、既に機能性がほとんど失われている粗悪品なので。一部の愛好家たちによる観賞用の価値しかありませんが」
あ〜なるほど、と。納得した表情で肩の力を抜く二人。
一方、残りの三人ーーカイト、アクリア、シャロンヌはといえば、
「……ハ、ハハ。なんというか、三柱様はとても気さくな方々みたいだね……」
「……それに天様も、心なしか普段より生き生きしていらっしゃるように思えます。一切気兼していないと言いますか……」
「……普通は逆なのだがな……」
軽い現実逃避をしつつ、神様を交えた談話の妨げにならぬようヒソヒソと声を忍ばせる。
ちなみにだが、『念話』はこういった場面では使用できない。と言うのも、『念話』は基本的に一対一で行う伝達手段。よって、いまカイト達が行っているようなグループデスカッションには不向きというわけだ。
「ーーでは次に、今現在、最も世界で価値のある魔導コンロですが。つい先日、ランドで行われた『魔導発明品評会』でエクスが発表した今期最新モデル、『フレイムンSPGX』には。評価額として千五百万円の値がつけられました」
「結構お高いんですね」
と口では言いつつも。天の顔には、ふ〜んそんなもんか、といった可も不可もない感想が貼りついていた。
見れば、リナも大したリアクションも見せずに涼しい顔をしている。
……まあ、高い分にはいくらでも上があるだろうしな……
どんなモノにでも必ず上には上があるものだ。この世の道理である。
「しかしながら、この製品はあまり天殿にお勧めできません」
「と言いますと?」
「確かにこの『フレイムンSPGX』は、その性能だけを見れば他の追随を許さないほど高い水準に達しております。ですが、如何せん燃費が悪すぎるのです。加えて、天殿が求めている品はおそらく野外用。ならば、まず第一に考えるべきはその製品の耐久性と利便性。無駄に機能性や出力だけが高いものを所持していても仕方ありません」
「違いない」
感心した顔でミヨを見る天。彼が自然と素に戻ってしまうほど、ミヨの指摘は的を射ていた。そして次の瞬間、天を自分のペースに引き込んだのを確認したミヨは、ここで勝負を仕掛ける。
「そこで、私が天殿にお勧めするのは、こちらの商品です」
そう言って、ミヨは教本のような美しい所作で手を持ち上げた。すると、ちょうど彼女が手の平を向けた辺りに、一枚の画像が映し出される。
「こちらの魔導コンロは、一昨年の春にラビットロードで発売された、USAGIシリーズの革命児。その名も『USG6型』」
ミヨの手の平に映写された魔導コンロ『USG6型』は、黒塗りのクールな印象と、どことなくウサギを連想させるような可愛らしいフォルム。老若男女問わずコアなファンがつきそうな見た目をしていた。
「この商品の最大のウリは、何と言ってもその燃費の良さ。従来の魔導コンロですと、中火ほどの火力を生成してから三十分ごとに、平均的に見て魔石燃料を五百円から六百円分は消費してしまいます」
「……さっきの一番安いコンロの値段と、一緒じゃねえか」
天が思わず呻いた。やはりこの世界では、魔動力の機器はとにかく金がかかるらしい。コンロ程度の人工火力で一時間のレンタル料が千円などと。正直、笑えない冗談だ。
「ーーですがそれに対して、この『USG6型』は燃料消費率がその約五分の一……中火三十分使用でおよそ百円分の魔石燃料しか使用せずに済みます」
「それは確かに魅力的なのです……!」
「さらに、『USG6型』は耐久性も高く。高温の中、豪雨の中、猛吹雪の中と。様々な耐久試験をパスしており。機械的寿命も通常のそれらより比較的に長持ちします」
「壊れにくいのは大切だよな……」
食い入るように自分と『USG6型』を凝視する天とリナを視界に捉え、ミヨが口元をわずかに緩める。
もはや顧客達のハートは完全に掌握した。仕上げの時間だ……
「しかも! これだけ優れた性能を持つこちらの商品、魔導コンロ『USG6型』のお値段は……なんと十四万八千円! 十四万八千円でのご提供!」
「「ーーッ!」」
刹那、天とリナの頭上をバックに稲妻が走る。予想を遥かに超える驚きの衝撃価格に、二人は度肝を抜かれた。
「世に数ある魔導コンロの中から選び抜いた、匠の逸品。このラビットロード製『USG6型』を。私こと、知識を司る一柱であるこのミヨがっ。自信を持ってオススメします!」
「ーーコレだよ」
駄目押しとなる知識の女神のお墨付きに、天が唸る。もはや是非もなし。まさかそのスペックで正規品の最安値とさほど変わらない価格とは、流石の天も脱帽である。
「ついでながら、この機種はその驚くべき低燃費とは対照的に、製作側のコストパフォーマンスが非常に悪く。製品を作れば作るほど赤字という、メーカー泣かせの機種でもありました。ですので、現在では生産が完全にストップした状態です。その為、こちらの商品を取り扱っている店舗は、世界に数えるほどしかございません」
言うと同時に、ミヨの真横に映し出されていた『USG6型』の映像が切り替わり、いくつかの店舗名と住所がリストアップされた。
「天殿の拠点周辺から最も近いところですと、ソシスト共和国、首都ビーシスの十二番街にある魔導器リサイクル専門店、『ジャンクショップ・ナカムラ』ですね」
「あたし、その店知ってるのっ!」
思わず声を張り上げるリナ。だか彼女はすぐさまハッとした顔をして、大慌てで自分の口に手を当てた。曲がりなりにも今話しているのはこの世を統べる至高の存在。英雄や王族など足元にも及ばぬ絶対者に対して、たとえ反射的とはいえ喚き声を浴びせるなどもっての他であった。
ーーお気になさらずに。
それは果たして空耳だったのか? リナは、確かにその声を聞いた。海のように広く深い、慈しみの言霊ーー癒しの調べを。
「お仲間の方が店の所在地をご存知なら、天殿も迷うことなく『ジャンクショップ・ナカムラ』へ辿り着けますね」
リナに優しく微笑みかけるミヨ。まるで、自分はまったく気にしていない、と意思表示をするかのように。そのどこまでも優美で穏和な彼女の佇まいは、リナの罪悪感を瞬く間に拭い去ってしまった。
全ての罪を赦し、包み込む、圧倒的な包容力ーー慈愛に満ちた真の女神の姿が、そこにはあった。
「最後になりますが、『ジャンクショップ・ナカムラ』で扱っている『USG6型』は、ジャンク品とは思えぬほど状態の良いもので。同じ製品の未使用品と比べてもほとんど機能性は損なわれておりません。尚且つ、もともとがリサイクル商品なので販売価格も定価の半額と、大変リーズナブルです」
「…………完璧だ」
まさに見事の一言。天は我知らず感嘆の声を漏らす。
「非の打ち所がない神の神託。さすが“知識の女神”の名は、伊達じゃねえぜ……」
「恐縮です」
クイッと持ち上げた眼鏡がキラリと光る。
同僚の失態を補って余りある戦果。
矜恃を全うした彼女の顔は、どこか誇らしげだった。
「ふう、あぶねい、あぶねい。なんとかミヨのおかげで、首の皮一枚つながったぜい」
「わ、儂じゃって……儂じゃってあのぐらいできるのじゃ〜〜っ‼︎」
「やめときな。これ以上はり合っても、余計惨めになるだけだぜい?」
「ぐぬぬぬぬっ」
「物作りだけに限った話じゃねえがよ? しょせん偽物の粗悪品じゃ、本物の輝きには到底かなわねいよい」
「儂じゃって正真正銘、本物の女神じゃ‼︎‼︎」
斯くして、知識の女神ミヨの活躍により、三柱神の体面はどうにかギリギリのところで保たれたのであった。
追記
これは後日談となるが、天とリナは超神界より帰還した後、当然の如くミヨから啓示された約束の地、『ジャンクショップ・ナカムラ』に赴き。
無事に魔導コンロ『USG6型』をGETすることができたのだが……
《お買い上げありがとうございます》
『USG6型』の会計を済ませた際に、不思議な声が二人の頭の中に響いたという。それは、品物を渡した後にさっさと店の奥へ引っ込んでしまった寡黙な店主のものとは明らかに違う、とても清らかで美しいーーまるで女神のような神々しい声音であったそうな。




