第73話 三柱神
見渡す限り続く、白紙の風景。
家屋などの建築物はおろか、草木や大地、さらには空すらその姿を消した、正真正銘なにもない……空無の世界。
そこはさながら異次元空間、この世の最果てといった表現がしっくりくる、そんな場所であった。
「パンパカパーン!」
突如、真っ白な天井から後光がさす。
かと思えば、どこからともなく何者かの聲が聞こえてきた。澄みきった音色のような、とても美しい声が。
「おめでとうございます! この度、あなたは見事“英雄がえり”に認定されました……のじゃ♪」
だがその透き通った神秘的な声音は、聞き手の印象に反してどこまでもノリの軽いものだった。
「ーー『おめでとうございます』、じゃねえよ!」
一方、突然飛来した謎の音声へ当たり前のように噛みつく、ひとりの男性。
「今すぐ俺達をここから出せ、『五千円札』!」
不機嫌極まりないという顔でその美声の主に食ってかかったのは、見た目は若者、中身はおっさんーーこの場合は年齢的な意味でーーな“無敗の格闘王”、花村天その人だ。
「もう、ダーリンたら相変わらずつれないの〜。でも、そんなところも、ス・テ・キ・なのじゃ♡」
「やかましい!」
天が珍しく感情を表に出して怒鳴り声を上げる。何やらかなり焦っている様子だった。
「うふふふ、やっぱりダーリンとの“対話”は楽しいの〜♪」
対照的に、こちらはそんな天の癇癪など何処吹く風と、まるで聞いちゃいない。
「たく、毎度のことながらなんつうタイミングで呼び出すんだよ、このアホ“女神”は……」
「うんうん。毎回毎回、偏屈ジジイどもの相手ばかりやらされとる儂にとって、ダーリンとの対話はまさに心のオアシスじゃな」
ただ一つ言えることは、二人の間の温度差は天と地ほどかけ離れているということ。
「よいよい。まさかその『偏屈ジジイ』ってやつの中には、オイラも含まれてんのかい?」
「それは無いでしょう。あなたはどちらかと言えば、偏屈というよりも奔放と評した方がこの場合は適切かと思われます」
不意に、二人の対話に横槍が入る。
「さりとて、私達という存在に、『奔放』や『自由』などといった言葉が正しく適用されるかどうかは定かではありませんが」
「カカカ、違えねいやい」
一体いつからそこに居たのか。最初に聞こえてきたものとはまた違った威厳と凄味を感じさせる、二つの声。
「こりゃ、なんでお主らまでついて来るんじゃ!」
それに伴い、あからさまに鬱陶しげな口調へと様変わりしたのは、一番はじめに現れた美声の主である。
「あらかじめ言っておいたじゃろ? ダーリンの時は儂ひとりだけで十分じゃと!」
「聞いたっちゃ、聞いたが。流石にそういう訳にもいかねいぜい」
「ええ。古来より『英雄がえりの儀』は、我ら“三柱”が揃って執り行う決まりですからね」
ちなみにだが、現れた三人は皆が皆、神々しい光にその身を包まれていた為、未だ目視で確認できるのは全身のシルエットだけである。
「おい。そういう内輪揉めは俺達をここから出してからやれ」
この苦情は天のもの。
「ほれ見ろっ、お主らが来よった所為でダーリンがご立腹じゃぞ!」
「馬鹿言ってんじゃねいやい! オイラ達が対話に加わる前から、『天どん』は額に青筋立ててたじゃねいかい!」
「ふん、これじゃから物作りしか取り柄のないジジイは困るのじゃ。あれは儂に対するダーリンの照れ隠しに決まっておるじゃろ!」
「どこをどう見たらそうなるんでい。完全に怒り心頭って顔だったよい」
「両方ともその辺で。話がまるで進みません」
途端に不毛な水掛け論が止んだ。絶妙なタイミングで仲介に入ったのは、後から来た二人のうちの片方である。
「先立って、まずは伝えねばならないことがあるはず。それに何より、私達にいたっては『天殿』にまだ自己紹介もしておりません」
「おっと、そうだったよい。オイラとしたことが、肝心なところを御座なりにしちまってたぜい」
そう言って、二人のシルエットが天に近く素振りを見せる。すると、天はとっくに気づいてるよ、と言いたげに頭をポリポリと掻いて、
「知ってますよ。『千円札さん』と『一万円札殿』でしょう?」
「……なんといいますか、とても新鮮な響きですね」
「まったくだよい。オイラ達のことをそんな風に呼べるのは、世界中見渡しても天どんだけしかいねいぜい」
「あ〜っはっはっはっ! ダーリンにかかれば然しものお主らも形無しじゃの〜」
「その台詞、オメェにだけは言われたくねいぜい」
「同感です」
瞬間、ピカッ! と一際まばゆい光が辺りの真っ白な世界に広がる。
その直後、今までシルエットと声音だけで天と対話していた三名が、ようやくその姿を現した。
「や、やはりあなた様方はっ!」
目を大きく見開いて上擦った声を上げたのは、『常夜の女帝』と呼ばれるSランク冒険士、シャロンヌ。
そしてそれが呼び水になったのか。今の今までただただ唖然としていた他の仲間達も、次々に口を開いた。
「ハ、ハハ……まさかこんな日が来るなんて、夢にも思わなかったよ……」
カイトがカラッカラに乾いた声で独り言を呟く。
「ああ、あ……なんと神々しい」
呻くようにそう零したのはアクリア。
「……これ以上の出来事はない、って今日は何回も心の中で叫んでいたのですが、最後の最後にとんでもないイベントが待ち構えていたのです」
たじろぎながらも、リナは目の前の現実をしっかりと受け止めた。
「皆さん、もうとっくにご存知と思われますが、せっかくですので名乗らせていただきます」
そういったカイト達の反応が微笑ましかったのか。ハイカラな眼鏡をした深い知性を感じさせる美女が、クスリと優しい笑みをこぼした。
「私の名は『ミヨ』。人界を管理する三柱の内の一柱。俗世では“知識の神”と呼ばれる存在です」
ミヨが軽く会釈をしてもう一度、皆に微笑むと、彼女の隣にいた見るからに貫禄のある老夫が、その滝めいた白く長い髭を手のひらで摩りながらニヒルに笑む。
「オイラは『マト』。今さら言うまでもねぇことだが、オメェらが暮らす世界の“創造の神”だよい。ついでに言えば、天どんも言ってたが一万円紙幣の肖像でもお馴染みの、あのジジイだよい」
カカカと高笑いをするマト。
「フ、フ、フ……次はいよいよ儂の番じゃな!」
そんな彼を押し退け、溢れんばかりの美貌を皆の前にさらけ出したのは、先ほどから天の感情をひたすら逆撫でしていた美声の主だ。
「何を隠そう、儂こそは全人類のアイドルにして、ダーリンの生涯のはんりょーー」
「五千円札に載ってる無駄に色気のある女神だろ。一応世間じゃ“生命の神”の通り名で敬われてる、あのなんちゃって女神の?」
「ちょ、ダ〜リンッ!」
「申し訳ありませんが今ちょっと時間押しちゃってるんで、以下省略でお願いします、我が主様」
態とらしい丁寧口調で自分への苦情の声など完全に無視し、天はパンパンとお開きを促すように手を叩いた。
「はい、皆々様の自己紹介も終わったことですし。さっさと我々をここから解放してください」
「……なんつうか、ブレねえ兄ちゃんだよい」
「私達を前にしてこれほど物怖じしない方は、これまで記憶にありませんね」
「まあ、それでこそダーリンなんじゃが……とにかく、儂の自己紹介もちゃんと最後までやらせてほしいのじゃ〜〜っ‼︎」
それは古より運命られた現世の理。
この世界の人間、エルフ、亜人、そして全ての英雄たちを統べる至高の存在ーー『創造の神マト』、『知識の女神ミヨ』、『生命の女神フィナ』ーーここに現臨。




