第69話 俺ならば
現在の時刻は23時30分。
一足先に戦線を離脱したカイト、アクリア、リナ、シャロンヌの四人は、既に何事もなく険しい山林エリアを抜け、チームの動力車が停めてある比較的緩やかな山路まで戻ってきていた。
「はい……ええ、はい。気を失ってはいますが、命に別状はないと思われます。……はい、アリス王女はこちらで無事に保護しました」
ドバイザーを片手に神妙な面持ちで話しているのは、この場のまとめ役の一人であるカイトだ。
「……いえ、今回も彼の力に頼りきりになっていただけで、自分は何も……」
ドバイザーで会話をしているカイトの態度は、随分と謙ったものだった。
「え? ……はい、シスト会長にそう言っていただけると、自分もいくらか気が楽になります」
どうやら彼の無線の相手は、冒険士協会の総裁、英雄王シストのようだ。
「……はい。それとなんですが、シスト会長に一つお訊ねしたい事があります」
カイトの顔つきが険しいものに変わる。
「……実は、アリス王女と共に邪教徒に連れ去られた、三人の侍女達についてなのですが……」
カイトはその話題を切り出すと同時に、自らの声のボリュームを一つ下げる。
ついでながら、只今カイトは動力車の外でシストと無線通信を行っている。
その他のメンバーは、シャロンヌを除く全員が動力車の中で待機していた。これは移動中の役割分担と同じく、カイトとシャロンヌが敵の襲撃に備えて周囲を警戒する為に他ならない。
ちなみにそのもう一人の護衛役である、シャロンヌはと言えば、
「…………‼︎」
ある意味、シストに現状報告をしているカイトよりも真剣な顔つきで、何やら只ならぬ雰囲気を醸し出していた。
◇◇◇
カイトがシストとドバイザー無線で連絡を取り合っていた丁度その頃、廃僧院では天の訊問が続いていた。
「それでは、前回お前達が野に放った二匹の『ドラゴン』は、当時の英雄達に倒される三ヶ月の間、とりあえずは彼等を足止めすることに成功したーー」
「ハァ……ハァ…………ッ」
天が自らの背にのしかかる格好で講釈を続ける一方、黒衣姿の老人は小刻みに息を切らし、憎々しげな表情で奥歯を噛み締めていた。
「しかし今回、帝国に現れた『ヘルケルベロス』どもは、半月も経たないうちに冒険士達に討伐されてしまった為、その結果、お前達にとって申し訳程度の時間稼ぎしか出来なかったということか」
「…………」
『管理者』と呼ばれる闇の使徒は、天の言葉に一切の相槌を打たず、代わりにまだ残っている方の腕をおもむろに天の死角へと忍ばせる。
だがその瞬間、全身を貫くような激痛が彼の者を襲う。
「ぐぎゃあああああああっ‼︎‼︎」
「初めにも言ったことだが、下手な抵抗は無駄だ。お前はただ俺に訊かれた事だけを素直に答えていればいい」
そう言って、天は冷気を帯びた眼差しで老夫を見る。
「悪魔め……」
老夫が忌々しげにそう吐き捨てた次の瞬間、天の表情からさらに温度が消え失せ、彼の右手が無言で動く。
「ぐがっ!」
無駄口をきくなと言わんばかりに、天は老夫の顔面を床に強く叩きつけた。こういう時、相手に自分の立場を理解させるのは重要な作業だ。
「もう一度だけ言う、黙って俺の質問に答えろ」
「くっ……」
老夫は全身を地面に押さえ付けられた状態のまま、ほんのわずかだが首を縦に振る。それを確認した天は、余計な問答を挟まずにすぐさま本題に入った。
「俺がお前に訊きたい事は、大まかに言えば二つ……。一つは、十一年前お前達の手に落ちた“英知の英雄”、クリアナの居場所」
「ーーッ‼︎」
「そしてもう一つは、『奴隷の首輪』の解除方法だ」
目の色を変えて動揺する老夫の精神状態などまるでお構いなし。天は円滑な言い回しで老夫に問いただす。
……しかし、
「それは言えん!」
争いの民は、天が出したその二つの案件を必死の形相で拒絶した。
「ほう……」
……まったくの素人と言うわけでもないようだな……
「だが」と、天は再び老夫の肉体に直接的な追及を行う。
「〜〜ッ‼︎‼︎」
老夫は声にならない悲鳴を上げてその表情を苦痛に歪めた。
「意地を張るのは構わんが、それと引き換えに相応の苦しみを味わうことになるぞ」
天はそんな老夫の追い詰められた姿に眉ひとつ動かさず、冷淡な声で告げた。
「俺はこのとおり悪魔のような人間だからな。何の躊躇いもなくそれを実行できる」
「ま、待て、待ってくれ‼︎ ワシは何も知らんのじゃ!」
必死に弁明する老夫。あくまで自分は心当たりがないと言い張るが、
「嘘だな」
天はその老夫の回答を即座に切り捨てた。
「もし本当に思い当たる節がないのなら、最初に俺に訊かれた時点で『知らない』と答える筈だ。だがお前が初めに口にした言葉は、『それは言えん』だった」
「っ…………!」
「このことから、お前は俺が訊ねたソレについて、何らからの情報を持ち合わせていると考えられる」
天の見解に老夫は言葉を失う。
「お前の持つ情報を提供すれば、代わりに良ことを教えてやる」
そこへ畳み掛けるように、悪魔が囁きかけた。
「我が身可愛さにお前を売った裏切り者が、お前達の身内の中にいる」
「なっ!」
思わず老夫は伏せていた顔を上げ、首だけ天の方へ振り向けた。
「もしお前が俺の問いに答えれば、そいつの名を教えてやろう」
動揺をたたえた老夫の視線を、能面のような表情で受け止める天。無論、これは天がついた真っ赤な嘘、ブラフなのだが、
「どおりで……どおりでおかしいと思ったわい!」
老夫は物の見事に引っかかった。
「そもそもこのワシが人型なんぞに遅れをとるなぞ、通常では起こりえん話なのじゃ‼︎」
天は、自分に押さえつけられたままの体勢でジタバタと癇癪を起こす老夫を細目で見やり、彼の不信感を煽るように嗜虐的な笑みを浮かべた。
「そいつは自分の命惜しさに、訊いてもいないことまでペラペラと喋ってくれたぞ」
「ぐぬぬぬぬぬぬっ」
見る見るうちに老夫の顔が怒りに染まっていく。
実際、天はこういった手合いの扱いには慣れていた。なにせ、彼は以前にいた世界で幾度となくこの手の輩、己の実力を勘違いしている連中に喧嘩を売られ続けていたのだから。
「お前達の潜伏場所であるこの廃墟。さらに高位信者であるお前への対処法も、俺達はそいつから訊き出したからな」
「ゆるさんっ、絶対に許さんぞ、背教者めぇええ‼︎」
怒声を上げて激昂する老夫。もはや完全に天の手のひらの上で躍らせれていた。
……こういう自尊心の塊みたいな奴は、実に扱いやすいな……
天は熟知していた。
この手の人種は、適当な言い訳を用意してやれば、すぐ自分に都合のいい解釈をすることを。
「さて、無駄なお喋りはここまでだ」
そう告げると同時に、天は老夫を地面に押し付けている手に力を込める。
「『クリアナ』と『奴隷の首輪』について、お前が知っている範囲で話せ。そうすれば、俺もお前達を売った憎むべき裏切り者の名を教えてやる」
いつの間にか一方的な訊問を対等な取引に見せかけ、天は相手に自己弁護の機会を与える。もともと、こういった口八丁手八丁は彼の特性の一つだ。
「…………『ライブストの輪』を外すには、“解呪の儀式”を執り行わねばならん」
しばしの沈黙の後、老夫は静かに其れを語り出した。
「この儀式を執り行うには、二つの条件がある」
天は話の流れには逆らわずに合いの手を入れる。
「二つの条件……?」
「そうじゃ」
老夫は小さく頷いた。
「一つ目の条件は、解呪の儀式を執行できる複数名の『高位等級使徒』を集めることじゃ。そして次に、儀式は自然界の“マナ”が最も高まる新月の晩にしか執り行うことができん」
「…………」
呼吸音ひとつ立てず、ただ黙って天は老夫の話に耳を傾ける。
余計な口出しは一切しない。
探りを入れるのは必要最低限。
話の腰を折るなど愚の骨頂。
老夫が『ライブストの輪』と呼んだソレが、世間で言うところの『奴隷の首輪』の通称であろうことも天は瞬時に理解し、確認を取る必要はないと判断した。
……つまり、『奴隷の首輪』は特殊な儀式により取り外し可能。そしてその条件は、『人員確保』と『時間指定』か……
口には出さず、天はそれらを頭の中で要約する。
……思っていたよりもだいぶ勝手が悪い条件だな……
天は人知れずに頭を抱えた。
……時間指定の方は安直なものだが、問題は人員の確保だ……
一人ではなく複数の幹部クラス、それも儀式を行う術を持つ者を捕縛する必要がある。加えて、仮に捕獲に成功したとしても、その者達が素直に言うことを聞くとはとても思えない。寧ろ、断固拒絶するであろうことは火を見るよりも明らかである。
……何よりも、すぐ側に同胞がいるという状況がいただけない……
これが特定の人物一人なら話も変わってくるだろうが、同時に複数人を従わせるとなると難易度が一気に跳ね上がる。
「他に方法は……?」
老夫が提示したやり方では実用性が極めて乏しいと判断した天は、別の手段を老夫に訊ねてみた。
「無い」
しかし老夫の返答は、ある意味で天の予想通りのものであった。
「所詮は家畜に取り付ける首輪じゃ。外し方なんぞ一つあれば事足りる」
「だろうな」
賛同はできないが理屈は通っている、そんな心境で天は老夫の言葉に相槌を打ち、次の質疑に移った。
「ではそれについて少し質問の趣旨を変えよう。『ライブストの輪』を“壊す”方法はあるのか?」
「……フン、それこそお前たち“堕人”には到底不可能じゃな」
天の言いたい事を理解した上で、それを鼻で笑うかのように老夫は言葉を紡ぐ。
「『ライブストの輪』は特殊な金属で作られておる。簡単に言えば、お前たち堕人の持つ“魔力”を吸収し、それを栄養素にして蓄える性質を持った金属じゃ」
「ほう。そうなると、『魔技』や『魔装技』などの魔力を用いた首輪の破壊工作はーー」
「全て無効じゃ」
老夫は嬉々として天の口上を取り上げた。
「前以て言っておくがの? それなら魔力に頼らずに壊せばいい、などという猿知恵は通用せんぞ?」
「何故だ?」
「『ライブストの輪』の硬度は鋼並みじゃ。さらに輪を少しでも傷つけようものなら、『ライブストの戒め』が発現される」
「ライブストの戒め……?」
天は余計な口は挟まず、肝心な部分だけを反芻する。
「そうじゃ。もともとアレ自体が強力な呪詛を組み込んだ『毒素生成装置』じゃからの? 無理に外そうとすれば取り付けられた者を媒体にして、高純度の“瘴気”を生成する」
「つまり首輪を壊している間は、被験者とそれを行うものは常にその瘴気に曝され続けるということか。首輪を完全に破壊する、その時まで」
「そう言うことじゃな。じゃが今までそれを成し得た者は誰一人としておらん!」
天の見識を嘲笑うかのように、老夫は口の端を吊り上げる。
「試みた愚か者どもは数いたが、ほとんどの者が瘴気に犯されて死んだと聞く。それに憖っか生き延びたとしても、周りにいた者はともかく、媒体になった張本人は『ライブストの輪』の所為で碌な治療もできん」
発現された人型の魔力を吸収してしまうのなら、当然に魔力を使った治癒ーー『回復魔技』も使用できない。
事実、老夫の言ったようにこの手法で首輪を取り除こうとした被験者達は皆、たった一人の例外を除いて全員が命を落としている。
「おぬしもこれで分かったじゃろ? 『ライブストの輪』を堕人の手で壊そうなどと、土台無理な話なんじゃよ!」
今にも笑い出しそうな声音で、老夫は高らかにそれを宣言した。
「なるほどな……」
一方、天は何か考えをまとめた様子で、おもむろに口を開く。
「例えばだが、魔力を一切使わずに純粋な力のみで破壊すれば、瘴気が生成される前の一瞬の間に壊せれば……『ライブストの輪』を媒体となる者達から何の負荷もなく取り外すことは可能か?」
この天の問いかけに、老夫はポカンと口を開けて一拍置いた後、
「そんなこと出来るわけがないじゃろ!」
自分の今の立場も忘れ、猛然と天に食って掛かった。
「ワシの言ったことをちゃんとに聞いておったのか⁉︎ 鋼並みの硬度を持つ、厚さ数センチの金属塊じゃぞ!」
「……余裕だな……」
その言葉は、息を吐くように自然と天の口から出たものだった。
それは老夫への返答というよりは独り言に近いもの。
「断言するが、魔力を使わずに『ライブストの輪』を短時間で断ち切るなど、堕人なんぞには到底無理な話じゃ!」
現にそのか細い声は、興奮状態の老夫の耳には届いていなかった。
だがそれは天も同様である。
「……今の俺にとって、鋼など粘土と変わらん……」
気持ちが高揚するあまり、心の声が口から漏れ出す。自らの感情を抑えつけなければ、今にも狂喜に身を任せてしまいそうだ。
……初めて実物を見た時から、そんな気がしていた……
アリスの首に取り付けられていたソレを目にした時から、ある種の予感が天にはあった。
『俺ならもしかしたら』という予感が。
「……もしそうなら、マリーさんの姉……ジュリの母親を……」
そしてそれは、確信へと変わった。
「俺ならば」
男は不敵に笑う。
ーー自分なら『奴隷の首輪』を破壊することが出来る、と。
◇◇◇
「まさか……まさかそんな事が……」
現在、廃僧院にいる天の動向を『探知の術式』で監視していたシャロンヌは、我知らずに手を強く握りしめ、その身を乗り出した。
この時期、深夜の山間部はめっぽう冷える。だがシャロンヌの手は汗に濡れ、熱を帯びた彼女の身体からは、白い湯気が煙のように立ち込めていた。
「とうとう……とうとう現れてくれた……」
もはやシャロンヌの意識は、護衛と警戒という己に与えられた役割を忘れ。監視と言う名目での覗き見と聞き耳、言わばピーピング行為に全神経を注いでいた。
普段の彼女なら、いくら複雑な魔力操作を行っていても、周囲への警戒を怠るなど考えられない。ましてや、与えられた任務を頭から完全に忘却することなどまずあり得ないのだが、
「彼ならば……天殿なら……」
一心不乱という表現が決して大袈裟ではないほど、今のシャロンヌはその他のすべてが目に入っていなかった。
しかしそれは仕方のないこと。
何故ならば、十年前に行われた『奴隷の首輪』の解体実験で、ただ一人生き残った被験者。
十年という月日が過ぎた今でも、未だ瘴気にその身を蝕まれ続けている悲哀の少女こそ、
「我が妹を……『エレーゼ』を救うことが……!」
他でもない、シャロンヌの最愛の妹なのだから。




