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第68話 死神

 そこは何とも薄気味悪い部屋だった。


 湿り気を帯びた(かび)(くさ)い空気。

 天井には数え切れぬ蜘蛛の巣。

 さらには床一面におどろおどろしい魔法陣(まほうじん)(えが)かれていた。


 恐らくは何かの“儀式(ぎしき)”に(もち)いるものであろう。ただその凶々しい見た目から想像するに、(ろく)なものでないことは間違いなさそうだ。


 大広間の奥には不気味な存在感を放つ古びた石の祭壇。そしてその周りを囲むように、松明(たいまつ)の火が立てられていた。それはまるで、これからその祭壇に生贄(いけにえ)(ささ)げる準備をしているかのようにも見受けられた。




「ドブネズミが少しは頭を使ったようじゃが、生憎(あいにく)とその薄汚い本性までは隠しきれんかったようじゃの? ヒョ〜ホッホッホ」


 これより()(おこな)われる儀式の主催者であろう人物。祭壇の前に立つ(しわが)(ごえ)の老夫が、その醜い顔をより醜悪(しゅうあく)に歪め、目の前にいる侵入者をせせら笑う。


 一方、老夫と相対する黒衣の隠者。『常闇(とこやみ)(ローブ)』で風貌を偽装した(てん)は、


 ……こいつは予想外だ……


 勝ち誇ったように大きく口を開けて笑うその老夫を、(しら)けた目で見ていた。


 ……まさかこんなお粗末(そまつ)なのが、敵の幹部とはな……


 天は一目で見抜いてしまった。


 目の前にいる『(あらそ)いの(たみ)』の高位信者が、

 “管理者(かんりしゃ)”と呼ばれるその老夫が、


 まるで話にならない『戦闘(せんとう)のド素人(しろうと)』だということを。


 ……これなら、さっき正面入口で倒した奴等の方が幾分(いくぶん)かマシなぐらいだ……


 “戦命力(せんめいりょく)”はともかくとして。その者の立ち振る舞い、(スキ)だらけの体勢、挙句(あげく)には(てん)が放つ殺気にもまったく反応を示さない感受性の低さ。お世辞にも強者と呼べるレベルではない。例えるなら、『魔力が高いだけの一般人(じょうじん)』と言ったところか。


 ……つまり俺にとって、コイツは色んな意味で(ただ)老耄(おいぼれ)というわけなんだが……


 天は深い嘆息を()らした。


「どうしたんじゃ? 早くも正体がバレて(あせ)っておるのか? ヒャ〜ハッハッハ!」


「…………」


 尚且(なおか)つ、敵が余りにも自分の思惑通りの反応を示し、天は拍子抜けしていた。


 そもそも、天がこの部屋に突入する前に敵の装備を身に付けた本当の狙いは、『自らの正体を相手に見破(みやぶ)らせる(ため)』なのだから。


 ……ここまで思い通りに調子(ちょうし)()ってくれると、逆に演技なんじゃないかと警戒してしまうぞ……


 天がわざわざ邪教徒の()()ちをトレースしたのは、まさにその為である。


 侵入者は小細工を(ろう)する弱者であると思わせる為。自分の方が相手より優位に立っていると錯覚(さっかく)させる為。優越感に(ひた)らせる為。少しでも敵を油断させる為に。


「残念じゃったの〜。相手がワシでなければ、あるいは(あざむ)けとったかもしれんがな? ほんに運の悪いネズミじゃて。ウハハハハッ!」


「…………」


 天は自分の仕掛けた(エサ)に簡単に食いつく敵の親玉を、冷め切った目で眺めていた。


 ……それにしてもよく笑うジジイだ。どうやら笑い方のレパートリーだけは豊富らしい……


 目の前にいる老夫は唯の老害(ろうがい)、そう判断した天は、組み立てていたプランを多少変更することにした。



「ふう、(まい)りましたね……。まさかここまで高位(こうい)術師(じゅつし)が、敵方にいたとは」


 天は(わざ)とらしく「(こま)った」という心境を芝居掛かった仕草で表現すると、やり手のビジネスマンのように丁寧な口調でそれを切り出した。


「あなたほどの力があれば、一国の王女を世話役ごと連れ去るのも容易(たやす)いと言うことだ」


「ヒョホホホ。ドブネズミにしては少しは話が分かるようじゃの?」


 天の(おだ)て文句に気を良くしたのか。老夫は口元をこれでもかとニヤつかせた。


「まさしくその通り、っと言いたいところじゃがの? 生憎と、ワシは今回の件にほとんど(かか)わっておらん」


「そうなのですか? でしたら、何故(なにゆえ)あなたほどの実力者が、このような辺鄙(へんぴ)な山奥まで(まか)()したのでしょうか?」


「ふむ。まあ“堕人(おちびと)”にしては身の程をわきまえているようじゃし、 特別に教えてやるかの」


 老夫は長々と伸びた仙人のような(ヒゲ)を触りながら、天の質問に答える。


()()りに()たんじゃよ。ワシの“管理する奴隷(どれい)”、英雄(リスナ)の実の娘であるアリスをな」


「……!」


 ……それで『管理者』か。恐らくはこの世界を管理する“三柱神”への()()けの意味も込められているのだろうな……


 天の眼光に鋭さが宿る。


「それでは、他に(さら)った侍女達も、同じく奴隷として働かせるために?」


 有力な情報を得た天は、老夫が気を良くしている間にと、同時に行方知れずの侍女達のことも探りを入れた。


「そっちは知らん。ワシが獲得(かくとく)を申し出たのは、あくまでアリスひとりだけじゃ」


 しかし、老夫はその天の問いかけに首を横に振った。


「おおかたアリスを連れ()く際に、邪魔じゃったからとっとと処分したんじゃろ? どのみち、魔力の低い堕人(ひとがた)なぞワシらにとっては(クズ)と変わらんからの〜」


「……そうですか」


 正直なところ、天はこの老夫の言葉を予想通りと受け取っていた。


 率直に言えば、天も他の二人の侍女が生きているとは最初(はな)から思っていなかった。先ほど自身が殲滅した邪教徒達の会話からも、そう判断せざるを得ない内容が数多く含まれていた。(むし)ろ一人助けられただけでも奇跡だと、達観していた。


 ……だが生死(せいし)有無(うむ)がはっきりと分かるまでは、その侍女達もおっさんから受けた『奪還任務』の依頼対象だからな……


 無論、だからと言って天が勝手に仕事を放棄するなど、あり得ないのだが。


「そう言えば、少し気になったことがあるのですが」


「なんじゃ?」


「どうしてアリス王女なのでしょうか? それほどの力をお持ちなら、娘ではなく英雄であるリスナ王妃本人を誘拐することも出来たのでは?」


「………………」


 そのことを天が(たず)ねた途端、老夫の顔から笑みが消えた。天はそんな老夫の反応を見て、『どうやら良い質問をしたようだ』と、人の悪い笑みを浮かべる。


「そういった(あん)も出たには出た。ワシも本心を言えば、管理するのなら頭の悪い小娘(アリス)ではなく、卓越した頭脳の持ち主である、『英雄リスナ』を手に入れたい」


「じゃがっ」と、老夫は続けざまに天を睨む。


「その準備を整える時間が、まるで()りなんだ。いや、十一年前に比べてまるで(かせ)げなかったと言うべきか……」


「それはどういうーー」


 天が老夫から詳しい事情を訊き出そうとした、その時だった。


「そろそろドブネズミとのお喋りも(しま)いじゃて」


 老夫の右手のひらに赤黒い炎が生成されていく。その炎は、老夫の狂気的に満ちた表情と同じく、酷く(にご)った色をしていた。


 ……ここまでか。適当に持ち上げていれば、もう少し情報を引き出せるとも思ったが……


 そして同時に、天の瞳にも暗い影がかかる。


「ワシはさっさと貴様を始末して、あの役立たずどもの尻拭(しりぬぐ)いをせねばならんからの〜」


「尻拭い?」


 天は白々しく()き返す。その声色には、既に老夫に対して()びた姿勢は微塵(みじん)も感じられない。


「貴様の()れの者どもに(うば)われたアリスを、早く取り返しに行かねばならんという意味じゃよ。ヒョヒョヒョヒョ」


「取り返す? なにを世迷(よまよ)いごとをほざいてんだ? アリス王女を(さら)ったのはそっちの方だろ。ついでに言わせてもらえば、王女を取り返しに来たのは俺達の方だよ、(ひひ)々じじい」


「ッ‼︎」


 急に豹変(ひょうへん)した天の態度と、間違いなく自分に浴びせられたであろう罵詈雑言に、老夫は思わず目をパチクリさせる。


 だがそれも数瞬の間。老夫は虫けらを見るような目で天を視界に入れると、右手を前に突き出し、目の前の侵入者に一言だけ告げる。


()ね……」


 《魔争(まそう)災技(さいぎ)獄炎弾(ごくえんだん)


 大きさはバランスボールほどか。鬼火(おにび)を思わせる赤黒い火の玉が天に(せま)()る。


 ……前に見たジュリの『(だい)烈火(れっか)(だま)』と、質量は同じくらいか。まあ、スピードはもちろん、威力もこちらの方がかなり上なんだろうがな……


 一方、天は身動き一つ取らずに老夫が放った大火球を真正面から受け止めた。


 そして次の瞬間、ボフォッッ‼︎‼︎ という着火音が祭壇の間を埋め尽す。それと同時に激しい火柱が上がり、『獄炎弾』の直撃を受けた黒衣姿の天が炎の(うず)に包まれた。


「ヒャ〜ッハッハッハ! 身の程をわきまえずにワシの機嫌を損ねるからこうなるんじゃよ!」


 その光景を眺めながら、老夫は高らかに勝ち名乗りをあげた。()(くさ)い匂いが辺りに充満する中、老夫の下卑(げび)た笑い声だけが大広間に響き渡る。


「まったく、ドブネズミには似合いの末路(まつろ)じゃわい! ヒャハハハハハ!」


 この時、闇の使徒は自らの圧倒的勝利に()いしれていた。


「ほう。どうやらその『魔争災技』というやつは、装備品にも当たり障りなく発火するようだな」


 ……しかしそれは、果敢(はか)ない幻影(げんえい)であった。


「興味深いな……」


 高笑いをする老夫の背後から、ゾッとするような冷たい(ささ)(ごえ)が聞こえてきた。


「ーーっ!」


 咄嗟に老夫は声が聞こえた方へと振り返ろうとしたが、


「いぎゃああああああああ‼︎‼︎」


 直後、今しがた攻撃を繰り出した己の右腕から、未だ(かつ)て味わったことのない激痛が走る。老夫は悲鳴を上げながらも、苦痛に歪む視界で痛みの発信元を確認した。


 その瞬間、老夫の顔が一気に血の気を失う。


「ワシの、ワシの腕があああああああ‼︎‼︎」


 老夫の右腕は、(むご)たらしく根元から引き千切られていた。


 ◇◇◇



 時を同じくして、天と争いの民のバトル、今現在行われている凄惨(せいさん)な二人のやり取りを、リアルタイムで観戦する者がいた。


「…………(すご)い」


 世界に六人しか存在しない『Sランク』の冒険士(ルキナも数に入れた場合は七人だが)、女帝シャロンヌである。


 実を言うと、シャロンヌが(くだん)の廃僧院に(ほどこ)した術式は、結界を生成するものだけではなかった。


 それと後もう一つ、自らの特殊な魔力で廃僧院全体を透視(とうし)する術式、『探知(たんち)の儀式』も、『結界生成の儀式』と並行(へいこう)して行っていたのだ。


 そしてそちらは運良(うんよ)()されなかった為、監視という意味合いも込めて、シャロンヌが天と別れてからすぐ発動させたわけだが。


 ……ここまで圧倒的とは……


 ゴクリと息を呑むシャロンヌ。その絶対的な力も()ることながら、天が敵対者に見せた冷酷無情(れいこくむじょう)な一面に、彼女は強い共感を覚えていた。


 ーーこれこそ自らが望む理想像だ。


 我知らずにシャロンヌは猟奇的な笑みを浮かべていた。超一流の冒険士である彼女の目から見ても、天が僧院に侵入してから取った行動は、どれも()()(どころ)がなかった。


 その強さ。

 用心深さ。

 無駄のなさ。

 狡猾(こうかつ)さ。

 そして何より、邪教徒に対する慈悲のかけらすら持たない容赦(ようしゃ)のなさに、シャロンヌは心から()せられていた。



 ……会長(シスト)殿が入れ込むわけだな……


 シャロンヌは、以前にシストが口にした言葉の意味を今ようやく理解できた気がした。


『彼は全世界の人型を救う、救世主(メシア)となるやもしれん!』


 このシストの考えは、決して大袈裟なものではなかった。邪教徒をこの世から抹消できるのは、あの男をおいて他にいない。もはや疑う余地がない。


 シャロンヌは花村天への評価を再度改めた。そして同時に、シストの天に対する徹底した配慮、特別扱いは、極めて正しい判断なのだと再認識した。『冒険士協会』は幸運にも花村天を獲得する事ができたのだ。従って、彼を自分達の陣営に(つな)()める為なら、どんな事でもやるのが()の当然である。


 ーー絶対に天を()の勢力に渡すわけにはいかない。


 この瞬間、シャロンヌは心密(こころひそ)かに(ちか)った。


『これからは自分が責任を持って、花村天の側にいて目を光らせる必要がある』と。



 ◇◇◇




「右腕がぁあああああっ‼︎ ワシの右腕がどこにもなあああいいいいいい‼︎‼︎」


「興味深いな。本来なら魔力で生成された炎は俺には無効だが、仮に魔法で物質に着火した後に生まれた炎の場合、()たして俺に有効かどうか」


 泣き叫ぶ老夫を余所(よそ)に、天は未だ燃焼している(みずか)らが()()てた『常闇の衣』を、まじまじと観察していた。


「まあ、今は他にやる事もある。検証はまたの機会にしよう」


 いつの間にか天の左手には、彼が()ぎ取ったであろう老夫の右腕が握られていた。


 しかし天はそちらにまるで興味を示さず、すぐさまその老夫の右腕を(ゴミ)のように床へ投げ捨てる。


「きき、きさ、きさまぁあああああああ‼︎‼︎」


(だま)れ」


 天は逆上(ぎゃくじょう)する老夫の襟足を掴み上げ、そのまま地面に顔面を叩きつける。


「少しは状況を理解しろ」


「あぐがっ!」


 それから数度にわたり老夫の顔を床に打ち付けると、天は老夫が大人しくなったのを見計らい、淡々とした口調でこう告げた。


「これから俺が行うのは、一方的な訊問(じんもん)だ」


 その男の声には熱も(じょう)もない。あるのは全身に(まと)わりつく死の予感だけ。


「俺の質問に答えている間は、お前を()かしておいてやる」


 全身に突き刺さるような研ぎ澄まされた殺意が、弱り切った老夫の肉体と精神へ更なる負担を()いる。


「ヒィイッ!」


 恐怖に顔を引き()らせる老夫。管理者と呼ばれる闇の住人は、この時にようやく気づいた。自分の生殺与奪(せいさつよだつ)の権利は、初めからこの男の手の中にあったのだ。


「さあ、始めようか」


 慟哭(どうこく)と死の気配に満ちた生贄の祭壇。其処(そこ)には無情なる“死神(しにがみ)”がいた。

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