第67話 管理者
敵集団の制圧。ならびに誘拐されたアリス王女と思しき人物の確保に成功した天は、現在こちらへ向かってくる仲間達と合流する為、廃僧院の目の前にそそり立つ崖を目指していた。
「天殿。こっちだ」
歩き始めてから数十秒ほどか。天が廃僧院を後にしてから一分と経たず、彼を呼ぶ声が崖の方から聞こえてきた。
天はその呼びかけに返事を返さなかったが、代わりに小さく会釈をして、声がした方向へと進路をとる。それから五メートルと歩かぬうちに、彼は辺りの暗がりに向けて声を飛ばした。
「アク、確認してくれ」
言いながら、天は両肩に担いでいた黒衣に身を包む二人の人型をその場に降ろす。そして、そのまま眼前にそびえる崖の岩肌に二人をもたれ掛けさせた。
「兄さん」
「天兄!」
直後、天の頭上の急斜面よりカイト達が駆け下りて来た。
その一方で、天は合流した仲間達には目もくれず、素早く回収した黒衣者二名の頭部を覆う頭巾を捲り上げる。
「俺の予想では、この二人の内のどちらかが王女だ」
そして現れたのは、艶のある黒髪をしたショートヘアの少女と、美しい銀髪をしたロングヘアの少女。二人とも息はある。だが完全に意識を失っていた。
「…………」
「………………」
まるで人形のように全く動かない二人の少女の顔をよく見てみると、心なしか銀髪の美少女の方は、髪を短くする前のアクリアに少し似ているようにも思えた。
一方、そのアクリアはと言えば、
「失礼致します、天様」
崖を下り終えるやいなや、一目散に天の方へと駆け寄り、彼の真横へ並ぶようにしゃがみ込んだ。天は先ほどから護衛対象から目を離さずに背中で会話していたが、アクリアの耳にはしっかりとその声は届いていた。
「っ……!」
気絶しているその二人を見た途端、アクリアの顔が悲痛に歪む。原因はおそらく、銀髪の少女の首に付けられていた、赤黒い光を放つ不気味な“首輪”の所為だろう。
……恐らくこの首輪が……
天はすぐに分かった。その禍々しい装飾が施された首輪が、邪教徒の象徴とも言える反神アイテム……『奴隷の首輪』だということを。
「……間違いありません」
アクリアが自分の感情を表に出したのは、ほんの一瞬だった。彼女は今にも爆発しそうな怒りと憎しみをグッと押し殺し、目の前で気を失っている二人の顔をじっくりと確かめた後、真剣な面持ちで答える。
「そちらの方は存じませんが、こちらのプラチナブロンドの貴女は、ランド王国の第一王女……アリス本人に相違ございません」
「そうか」
やはりと頷きつつ、天は背を向けたまま側にいるであろう仲間の一人に声をかける。
「シャロンヌ殿」
「なんだ?」
「奴等に攫われた侍女達というのは、正確には何人いるか分かるか?」
「会長殿の話では、三人だ。おそらくその内の一人は、そこにいる黒髪の娘で間違いないだろう。しかし天殿、俺たちがいま最優先させるべきは、アリス王女の安全確保だ」
シャロンヌは天の質問に答えた後、続けざまに彼が何を言いたいのかを察し、先回りして物言いをつける。
「では、残りの侍女二人は見捨てると……?」
シャロンヌの意見に口を挟んだのは、彼女の隣に立っていたカイトだった。
「そうは言っていない。ただ今は、王女をこの場から安全な場所へ移すのが最優先事項と、俺は考えている」
「シャロンヌさんの意見に賛成なのです」
今まで黙っていたリナが、天とアクリアの方へ歩み寄りながら、淡々とした口調で話し始めた。
「昼間にあたしが嗅いだ香水の匂いは、多分この二人のもので間違いなさそうなのです。逆に言えば、他の匂いは一切感じられなかったの」
「……」
リナからの通告に、カイトは重々しい顔で口を閉ざした。見れば、シャロンヌやアクリアもリナが何を言いたいのかを察し、各々の表情に沈痛な色を滲ませていた。
そんな中、唯ひとり天だけは、普段と変わらぬ様子で意気揚々と口を開く。
「なら、この二人を安全な場所まで運べば、一先ずそれでおっさんからの任務は完了と言うわけだ」
「兄さん……?」
振り向きざまに任務成功の祝杯を挙げるような調子で話しかけてきた天を、カイトは訝しげに見つめる。
「確かに、それはそうかもしれないけど」
別に天を責めているわけではない。しかし、今がそういった空気でないことは、天自身も分かっているはずだ。この時、カイトは相棒の真意を測りかねていた。
「でだ。その点を踏まえて、俺から皆に相談したいことがある」
……次に出てきた、天の言葉を聞くまでは。
「俺はあの廃墟に一旦戻りたい。だから王女ともう一人は、そっちに任せてもいいか?」
「ッ!」
天がその提案を口にした瞬間、カイトを始めとするその場にいた全員が、一斉に天の方へ驚嘆の眼差しを向けた。
そんなカイト達の反応を見て、天はニヤリと不敵に笑み、
「ちょっと野暮用を済ませてくる」
淀みのない流暢な話し口調で、カイト、アクリア、リナ、シャロンヌにそう告げた。
◇◇◇
時刻は23時20分。
もうこの時間になると、ここら一帯の山歩きは凹凸の激しい急斜面を目隠した状況で徘徊するのと大差ない。されど、その中をペンライトのわずかな灯りだけで悠々と移動する者達がいた。
「……また兄さんに頼りきりになっているな」
その集団の最後尾を歩いていたカイトが、気落ちした様子で愚痴を零す。するとそれに呼応するように、前方から不機嫌そうな女性の声が飛んできた。
「気にすることなどない。まず第一に、アイツが廃墟に戻ったのは、おそらくお前らが想像しているような真っ当な理由ではない」
このシャロンヌの意味ありげな言い分に、彼女のすぐ後ろをついてきていたアクリアが、不可解な面持ちで小首を傾げる。
「それはどういうことでしょうか、シャロンヌさん?」
「う〜ん、アクさんは知らない方がいいかもなのです」
シャロンヌがその理由を口にする前に横槍を入れたのは、カイトの目の前を歩いていたリナだ。
ちなみに今現在の彼等四人の隊列は、先頭にシャロンヌ、すぐ後ろにアリス王女を背中に抱えたアクリア、さらにその後ろから黒髪の少女を背負ったリナが続いていた。そして最後に、この隊の殿をカイトがつとめるといった隊形だ。
ここで一つ補足させてもらうなら、カイトが救出したアリス王女と侍女のどちらも運ばず、女性陣に任せているのには、ちゃんとした訳があった。
簡潔に述べると、彼が今いるメンバーの中で、シャロンヌに次ぐ実力者だからだ。無論、それは上下関係という意味ではなく、単純に戦力的なものである。つまり、シャロンヌとカイトでその他の者達を護衛しつつ迅速に移動するというのが、只今の隊のフォーメーションである。
「リナの言うとおり、アクリアは気にしない方がいい」
リナの忠告からほとんど間を空けず、カイトもそのリナの考えに同調した。
「……そんな風に話を逸らされたら、余計に気になってしまうのが人の性というものです」
当然、アクリアはそれで納得するわけもなく。後ろを歩くカイトとリナを糾弾する姿勢を見せる。
「是が非でも天様の真意を聞かせてもらいますよ、カイト」
アクリア自身も、自分が大人気ないことを言っているのは分かっている。しかしこの場で自分だけが真実へ辿り着けなかったことに対して、アクリアは少なからず苛立ちを覚えていた。彼女にとって、それが天のことなら尚更のことなのだろう。
「有り体に言えば、天殿は自分がやり残した仕事を片付けに行ったのだ」
カイトやリナの考慮など御構い無し。シャロンヌはあっさりその事実をアクリアに暴露した。もっとも、それは自分の予想に反してアクリア以外は天の考えを見抜いていた、という居心地の悪さを払拭する為でもあったのだが。
「まあ天兄の場合、たとえ他に目的があったとしても、やるべき事はしっかりやるのです」
「そうだね。兄さんなら、攫われた残り二人の侍女に関する何らかの手がかりも、きっと見つけてきてくれるはずさ」
別に意固地になって隠す内容でもない。カイトとリナもすぐに白旗をあげた。ただ、少しばかり言い方が回りくどいのはご愛嬌である。
「それはどういう……」
いまいち理解できないといった様子で、アクリアが再び詳しい内容をカイト達に訊ねようとした時だった。
「あそこには、天殿が最初に制圧した邪教徒の他に、まだ別の邪教徒が潜んでいる」
「っ……‼︎」
途端にアクリアの目の色が変わった。
「そして、おそらくそいつが今回の王女誘拐事件の黒幕の一人だ」
「やはり、シャロンヌさんも聴こえていたんですね」
「当然だ。逆に俺は、お前があの音声を拾えたことに驚いているぞ、カイト」
「ハハハ、これでも長年この仕事を続けているので」
シャロンヌの皮肉とも賞賛とも取れるその言葉に、カイトは苦笑を浮かべた。
実を言えば、カイトは天が敵集団を制圧した際に発した言葉以外、そのすべての肉声、邪教徒達の会話内容を拾っていたのだ。
「それにしても、『準一等星』ですか」
「奴等自身も言っていたことだが、等級外の末端構成員とは比べものにならん力を持った、邪教徒の上位使徒だ」
「それって、シャロンヌさんでも危ないってことなのですか?」
そこまでは知らなかったと、リナが恐る恐るシャロンヌへ訊ねる。
「はっきりとしたことは言えん。ただ現段階でそいつらに太刀打ちできるのは、冒険士の中で俺や会長殿を含めた一部の実力者のみだろう」
「ではシャロンヌさんは、あの兄さんでも苦戦を強いられると?」
「そう思っていたら、一人で行かせたりはせんっ」
シャロンヌが吐き捨てた言葉は、その言い回しはともかくとして、天に絶大な信頼を寄せるものであった。更に付け加えると、そもそもシャロンヌが不機嫌なのは、それが一番の原因なのだ。
「認めたくはないが、天殿はさらに別格だ」
実の所、シャロンヌもまた、アリスを安全な場所まで運んだのちに廃僧院へ引き返すつもりであった。その目的は天と同じく、賊を捕縛してから詰問する為。そしてできる事なら、情報を聞き出した後、完全にこの世から抹消する為である。
だが、それを実行するには自分一人だと戦力が心許ないことを、シャロンヌは身をもって知っていた。最低でもあと一人は『Sランク』の冒険士が必要だ、そう思った矢先に……
『ちょっと野暮用を済ませてくる』
まるで近所のコンビニに行くような軽い調子で、天が気軽に口にした豪語。いや、この男にとっては実際に大した事ではないのだろうと、思わず認知してしまった己自身。もはやシャロンヌのプライドはズタズタであった。
「もう分かったか、アクリア? これが天殿があの廃墟に戻った本当の……」
思い出す度に自尊心がえぐられる感覚。得も言われぬ惨めさを少しでも軽減させる為、シャロンヌが話の打ち切りを暗に伝えようとアクリアの方を振り返ったその時だ。
「うぉっ!」
シャロンヌは思わずたじろいでしまった。彼女の眼前に御来光のような眩い光が当てられたのは、果たして目の錯覚か? それとも……
「左様でございましたか……。天様は、私のためにあの館へ引き返えされたのですね!」
そこには幸せオーラを全身から放つ、アクリアの姿があった。
「はぁ……?」
一方、シャロンヌは「何言ってんだコイツ?」と言わんばかりの間の抜けた顔で、絶賛トリップ中のアクリアを気味悪そうに眺めていた。
「シャロンヌさん。すみませんが、暫くそっとしておいてあげてください」
「やっぱこうなったの……」
尚、『暴走モード』に入ったアクリアの後ろを歩いていたカイトとリナは、「予想どおりだ」と言いたげな表情で深いため息をつく。
実際にアクリアの諸事情を知る二人は、彼女の解釈が的を射ていることを承知していた。天がこのタイミングで敵の幹部から訊き出そうとする情報など、一つしかない。それは当然、アクリアの実の母親である『クリアナ』の所在である。よって、アクリアが『自分の為に天が動いてくれた』と受け取るのも決して間違いではないのだが。
「あぁ、私は何という果報者なのでしょうか。天様に、これほどまで想ってもらえるなんて」
「「…………」」
この時、カイトとリナは思った。
『だからアクリアには教えたくなかったんだ』と。
◇◇◇
その頃、廃僧院の正面玄関付近まで戻ってきた天はと言えば、
……当たり前のことだが、フィナが言っていたことは本当だったな……
先ほど仕留めた四人の賊の亡骸を、自身のドバイザーに収納していた。
『あやつらは、言ってみれば『人型の魔物』じゃ。じゃから死ねばドバイザーに入れることもできるし、その亡骸から“魔石”を造ることも可能なのじゃ』
天は“生命の女神”であるフィナの言葉を思い出しながら、ドバイザーの画面をタッチ操作して、端末機能の『魔物収納リスト』を開いた。
【魔物】
脅威 Cランク
名前 外魔 スラッグ
重量 120Kg
魔石にしますか?
保存しますか?
脅威 Cランク
名前 外魔 ダダン
重量 210Kg
魔石にしますか?
保存しますか?
脅威 Cランク
名前 外魔 イル
重量 60Kg
魔石にしますか?
保存しますか?
脅威 Cランク
名前 外魔 ジェシカ
重量 71Kg
魔石にしますか?
保存しますか?
其処には、確かに魔物枠として、四体の邪教徒が収納されていた。
……この『外魔』というのは、多分ファミリーネームではなくモンスターネームだよな……
などと、天が緊張感に欠ける考察をしていると。彼の目の前にそびえる大きな扉、廃僧院への入口が、ギギギと不気味な音を立ててひとりでに開いた。
「……面白い」
まるで自分を招き入れるように開閉した正面扉を見据え、天は薄ら寒い笑みを浮かべる。そして彼は、何の躊躇いも見せずに妖館の奥へと足を踏み入れて行った。
◇◇◇
怪しげな妖気が漂う廃墟の中を、天は平然とした様子で探索していた。歩き慣れたというのも変な話だが、そもそも天は数週間前までこの場所に住んでいたのだ。
……おそらく“管理者”とかいう奴がいるのは、二階奥にある『祭壇の間』だろう……
天は早々に目的地を決めると、そこから一番近い場所にある階段まで移動する。その間、敵がまったくこちらを警戒していないこと、その場からまるで動こうとしないことを、天は本能的に悟っていた。
ーー自分は舐められている。
……どうやら、シャロンヌ殿の読みは当たっていたらしい……
『奴等は魔力をまったく感じない天殿を、すぐには警戒せんだろうな』
ーー有り難い。
その時、天の脳裏に浮かんだ心境は、“怒り”ではなく“安堵”だった。彼がいま最も恐れている事は、己の戦力を相手に見抜かれ、自分の手の届かぬ場所へ逃げられてしまうことだ。
天は体の奥から溢れ出しそうな闘気や殺気を無理矢理に抑え込み、老朽した階段を足音を極力立てずに駆け上がる。
そして瞬く間に階段を登り切ると、天はとある部屋の前でその足を止めた。
……居るな……
その部屋からは淀んだ空気が漏れ出していた。そこは天が『祭壇の間』と呼んでいた、この廃僧院の中でも一際大きな広間である。
……念には念を入れるか……
天はすぐに入室せず、腰に巻いていた黒い大きな布を解くと、ソレを衣服の上から羽織った。ソレは正面玄関に倒れていた争いの民から天が押収した、奴等が常時身につけているという衣装。俗にいう『常闇の衣』と呼ばれる黒衣であった。
……さて、鬼が出るか蛇が出るか……
あっという間に黒衣に身を包むと、天は錆びついたドアノブに手をかけ、その部屋の扉を静かに開けた
「待ちくたびれたぞ」
部屋に入り、天の目に最初に飛び込んできたのは、目視で確認できるほどのドス黒く禍々しい魔力を全身からにじませた、悍ましい出で立ちの老夫であった。
「漸く来おったか、このドブネズミめが」
「大変お待たせいたしました。管理者様」
天は祭壇の前に立つその老夫に丁寧な所作で一礼すると、抑えつけていた殺気を解放した。




