第66話 闇の奥に潜む者
「作戦の最終確認を行う」
静けさに包まれた夜の山林から、その静寂に紛れ、緊迫した空気が漂ってくる。
「まず、俺が先行して建物正面の扉付近に現れるであろう敵集団を無力化する」
熱はないが、代わりに聞き手の緊張感を誘うような鋭い声が発せられた。
反射的に身を引き締めてしまいそうなその重みのある声で、男は自分の周囲にしゃがみ込む仲間達へと話しかける。
「その後、俺が何らかの合図を出す。カイト達とシャロンヌ殿は、俺からの合図が来たら、できるだけ早くこちらに合流してほしい」
「了解だ、兄さん」
「かしこまりました、天様」
「承知した」「了解なのです」
仲間達全員が天の作戦プランに賛同の意を表す。その間、誰一人として『本当に一人で大丈夫か?』といったセリフを口にしなかった。
ここにいる皆は分かっているのだ。そのような心配、この男に限ってはまるで必要ないことを。
「ところで兄さん、その合図はどういった感じにするんだい?」
「それなんだが……シャロンヌ殿」
天が視線と共にシャロンヌへ話の水を向ける。
「なんだ?」
「例えばだが、俺が今ぐらいの声の大きさで目的のポイントである館の正面入口付近で喋ったとして、あんたならこの場所から俺の肉声を拾えるか?」
今現在、天達五人は目的の地である廃僧院が一望できる、急勾配の山肌に陣取っていた。標的との距離はおよそ五〇〇メートルといったところか。
「さすがに此処からコレは厳しいか?」
加えて、天が只今話している声のトーンは、一般人なら相当に耳を近づけないと聞き取れないほど小さな声なのだが、
「余裕だ」
シャロンヌは実にあっさりとそう答えた。
「なんだったら、その半分ほどの声の大きさでも問題ない」
「よし。なら俺からの連絡方法はそれでいこう」
声のボリュームを元に戻し、天は周りの仲間達をぐるりと見渡した。
「俺が敵を無力化、あるいは何らかの進展があった場合、何か言葉を発する」
「つまり、奴等が姿を見せた後に天殿が口にした第一声が、俺たちへの合図というわけだな?」
「そういうことだ」
天はシャロンヌの認識を肯定すると、その場に生えていた雑草を土ごとむしり取り、それを両手で解しながらゆっくりと立ち上がった。
「……?」
その天の不可解な行動を、カイト達は不思議そうに見ていた。
作戦の打ち合わせを終えて、これから目的地へ向かうのは分かる。しかし天が両手に持つ大量の草や土は、はっきり言って意味不明だった。
「どう……」
『どうしたんだい?』と、皆を代表してカイトが天に訊ねようとしたその時、
「こんなところか」
言いながら、天は手で解していた草や土を身体中に塗り始めた。
「っ……」
それを見たカイトは、咄嗟に口をつぐむ。彼だけではない。他の三人もカイト同様に押し黙ってしまった。
「「……」」
「「…………」」
カイト、アクリア、リナ、シャロンヌの四人は、当たり前のように顔や衣服を草土でカモフラージュしている天を忸怩たる思いで見ていた。
彼等は天が何をしているのか理解し、そして同時に恥じていたのだ。天の行動の意味をすぐに気付けなかった、意識の低い自分自身を。
「リナ」
「はいなの……」
別に責められているわけでもないのだが、リナは若干気落ちした様子で天の呼びかけに応じた。
「もし敵の中にお前ぐらい鼻が利く奴がいたとして、やはりこの程度のことでは『近くに人間がいる』と、相手にすぐ悟られるか?」
「多分、大丈夫なの」
リナは首を振りながら答える。
「天兄の匂いって、何というか凄く自然体なのです。だから、普段から嗅ぎ慣れてないと野生動物の獣臭と区別がつかないのです」
「…………」
「しかも、今ので草とか土の匂いも混じったから、余計に嗅ぎ分けるのが難しくなったと思うの」
「……そうか」
「奴等の多くは、俺たち人型を『魔力感知』で判別する。従って、魔力が無い天殿は、邪教徒どもに人型として認識されない可能性が高い」
天とリナの会話に横入りしたのは、ここにいるメンバーの中で最も“争いの民”のことを熟知しているシャロンヌだ。
「それに、もし仮に気付かれたとしても、奴等は魔力を全く感じない天殿を直ぐには警戒せんだろうな」
「……了解した」
二人とも悪気はないのだろうが、リナとシャロンヌの含みのある言い分に、天は思わず顔を引きつらせる。
「時間も差し迫ってきた。俺はもう出る」
このままではせっかく高まった緊張感が壊れてしまう。そう感じた天は、仲間達に簡略的なメッセージだけ送り、速やかにその場を後にした。
◇◇◇
《ラビットロード 王都ルナピア》
まるで御伽の国に迷い込んだようなメルヘンチックな街並み。カラフルな石造りの家屋と街中に生えた花や草木などの植物たちが、見る者の心を魅了する。中でも一際目を引くのは、街の奥に見える水堀に囲まれた美しい王宮。
煌びやかな光沢を放つ、そのアラビア風の豪華絢爛な建造物は、この都市の世界観を一層に際立たせていた。
「つまらんわ〜」
王宮の中央棟最上部に設けられた、市街を一望できるただ広い渡り廊下。その優雅な渡り廊下を我が物顔で歩く、うさぎ耳の幼女。
「シスト坊のやつ、結局最後まで口を割らへんかった」
幼女はその可愛らしい外見に反して、その表情や口調はかなりぶっきらぼうなものだった。
「昔なじみのアテにくらい、教えてくれてもええやん」
「悪趣味ッスよ、母ちゃん」
傍らにいた若い獣人の女性が、母と呼ぶその幼女の言動を諌める。ついでながら、彼女もうさぎ耳の幼女と同じ白銀の毛並みをしていた。
「ほんま、サランダは真面目やねぇ〜」
「母ちゃんが不真面目すぎるだけッス」
若い獣人の女性は、疲れた顔で嘆息する。
彼女の名はサランダ。亜人の頂点に立つ『女王ルキナ』の七番目の娘であり、全世界の冒険士人口(約五万)の中で0.2パーセントにも満たないと言われる、Aランク冒険士の一人である。
「この前の緊急会議だって、本当なら自分が出席するはずだったッス。なのに、母ちゃんが物見遊山気分で城の皆に仕事を押し付けて、自分一人で帝国へ行っちゃうから!」
「あぁ〜、その小言はもう聞き飽きたわ」
「何度でも言わせてもらうッス! だいたい、母ちゃんはいつもいつもそうやって!」
生粋の王族でありながら、その血統をまったく鼻にかけない、気骨のある性分。女ながらに熱血漢という言葉がしっくりくる外見と内面を持つ、裏表のない人柄。多少、生真面目すぎる面もあるが、それでも彼女を慕う者は後を絶たない。
尚、容姿は整っているがそのボーイッシュな見た目と性格から、どちらかと言うと美女というよりは美男子と例えた方がしっくりくる。ちなみに本人は知らぬ振りを通しているが、王宮内では密かに彼女のファンクラブ(もちろん女性会員のみ)まで存在するほどの人気ぶりだ。
「ええやん別に。結果的に此間の集まりはシスト坊からの連絡だけやったし、誰が出ても大して変わらへんやん」
「……母ちゃんは何にも分かってないッス。あの時は唯でさえ『ヘルケルベロス』の件で力になれなかったから、シスト会長やセイレスには直接会って謝りたかったッス」
「アレは仕方なかったやん。アテらが出向く前に、レオスちゃん達がちょちょいと解決してもうたんやから」
「それはそうッスけど……」
「ほんま、気にしすぎやで自分? もうちょっと肩の力抜かんと、いつまで経っても嫁の貰い手がこうへんよ?」
「オニ余計なお世話ッス!」
余談だが、彼女はリナやシロナと十年来の友人で、お互いを良く知る間柄であった。特に、リナとは子供の頃から何かにつけて競い合っており、本人曰く『永遠のライバル』と公言しているのだが、
「あんな脳筋うさぎ、単なる腐れ縁なだけなのです」
肝心のリナはといえば、至ってドライな関係だと(表面上は)言い張っていた。
「母ちゃんはいつも自由過ぎるッス! 『ラビットロード』の女王として、もう少し責任感というものをッスね!」
「まっ。数年振りの喧嘩友達との再会に水差したんは、ほんまに悪かったと思っとるよ」
「ゔっ」
途端に言葉を詰まらせるサランダ。この動揺ぶり、どうやら図星を指されたようだ。
「昔よりはだいぶ丸くなっとったけどね? 根っこの部分は相変わらずやったよ、リナちゃん」
「……あんないじけ犬のことなんか、別にどうでもいいッス」
強がっているのがバレバレだが、あながち全て虚偽とも言えぬ態度で、サランダは投げやりに顔を伏せる。
ルキナはそんな娘を見て、何もかも見透かしたようなニヤけ顔で口元に手を当てた。
「それなんやけどね? ひょっとしたら、リナちゃんが閉じこもってる殻をぶち壊すヤツが、とうとう現れたかもしれへんよ?」
「ッ……!」
バッ!と勢いよく顔を上げ、サランダは隣を歩いていたルキナを激情のままに両手で抱え上げる。
「どういうことッスか、母ちゃん‼︎」
「この前の会議で、リナちゃん本人が言ってたんよ」
一方、ルキナの方はさして取り乱した様子も見せず、飄々とした態度でサランダの問いかけに答えた。
「ようやく『自分がついて行く大将』を見つけたんやて」
「ッ‼︎ ……まさかそれって、ちょっと前にシスト会長から直に通達があった、例のオニ強いっていう」
「せや。花村天っちゅう、人間種の雄」
ルキナは、サランダの予想を彼女が口に出す前に肯定した。
「あと、これもリナちゃんが言うとったことなんやけどね? アテやシスト坊、それから現役Sランク冒険士のレオスちゃん達が束になって掛かっても、その坊やには手も足も出えへんて」
「まじッスか‼︎‼︎」
思わずサランダは目を剥いた。その内容もさることながら、それを誰が言ったのか、という点において、彼女は驚きを禁じ得なかったのである。
「一体何者なんスか、その花村天って人型は⁉︎」
サランダは知っていた。リナがそういった冗談を口にしないことを。
「シスト会長もそうッスけど、あのリナっちがそこまで言うなんて……」
サランダは知っていた。リナが先見の明に長けていることを。
「とにかく、リナっちがそんな大見得を切るなんて、オニ只者じゃないことだけは間違いないッス!」
リナのことを良く知るサランダは、知っているのだ。誰よりも強さを渇望するリナが、己の信念を冒涜するような出任せを言うはずがないことを。
「ま、『マウントバイパー亜種』や『リザードキング』を素手で瞬殺するようなバケモンちゅう話やし、色々と規格外なんは確かやね、そん子」
「あぁもうっ! やっぱりこの前の会議、なにがなんでも自分で出席しとけば良かったッス‼︎」
この時、“闘拳”の通り名で知られる若き女冒険士はまだ知る由もなかった。今話題に出ているその男が、親友のみならず、自分自身にも大きな変革をもたらす特別な存在になるということを……
◇◇◇
只今の時刻は23時15分。
ーー制圧完了。
その時、全神経を研ぎ澄ましていたシャロンヌの耳に、確かに届いた。毅然とした気構えと非情なまでの冷酷さを感じさせる、その男の声が。
「…………合図だ」
シャロンヌは皆に一言だけそう告げると、ゆっくりと立ち上がる。すると彼女のすぐ側にいた三人、カイトとアクリアとリナも、緊張感を漂わせた顔つきでそれに続いた。
「やっぱり、天兄は凄いの」
「ああ。あっという間だったね」
「もはや神の御業と称しても過言ではありません」
山の上から天の制圧戦の一部始終を見ていたカイト達は、それぞれが背筋に戦慄を走らせていた。
「お喋りは終わりだ」
シャロンヌから鋭い声が飛ぶ。大きな安心感からか、気が緩みかけていた同僚達に彼女は冷やかな視線を向けた。
「今から一分以内に天殿と合流する。お前たちには悪いが、俺はこっちの岩壁からあの廃墟へ向かう」
そう言ってシャロンヌが顔を向けたのは、上から覗くと垂直にしか見えない険しい崖であった。
「ついてこれない奴は、そのまま置いて行くつもりだ」
そこは正規のルートどころか人が進むような移動経路ですらない。だが、彼等の目的地である廃僧院は、その崖を降りた地点から目と鼻の先にあることも事実だった。
「望むところなのです」
「了解です、シャロンヌさん」
シャロンヌの言葉に小さく頷き、リナとカイトはその壁のような崖を駆け下りるべく、自然と前傾姿勢を取った。
「参りましょう。一刻も早く天様のもとへ駆けつけたい気持ちは、皆同じでございます」
無論、アクリアもシャロンヌの考えに一言の不平も唱えず、自ら崖の方へと体を向ける。
「……行くぞ」
カイト達の方へは振り返らず、シャロンヌは視界がほとんど得られない山岸を駆け出す。
その直後、シャロンヌの真後ろから三つの足音がついてきた。彼等の誰一人も躊躇することなく、当然のように暗闇に支配された断崖へと身を投じたのだ。
「…………」
この時、シャロンヌはえも言われぬ満足感を感じ、それと同時に深い後悔の念を抱いていた。
『何故、自分はあの時にカイトからの誘いを断ってしまったのか』と。
「俺は……」
ーー彼等と共に歩みたい。
ーーもしも叶うならば、自分もこのチームに入れてほしい。
それは、在りし日の誓いと共にシャロンヌが捨て去った、彼女自身の嘘偽りのない心の一部であった。
◇◇◇
その頃、シャロンヌ達四人が向かう先である廃墟の僧院跡では、
……恐らく、この二人の内のどちらかが『アリス王女』だろう……
正面入口に出現した『黒衣の集団』を瞬く間に制圧した天が、敵集団の内二名の黒衣者を両肩に担ぎ上げ、館の外へと運び出していた。
……カイト達は崖からのルートで此方に向かっている。それなら、俺もわざわざこの場所で待つ必要もない……
天は仲間達が最短コースの移動経路を選んだことを目視で確認し、自身もそのルートの中間地点へ出向くために進行していた。
「それにしても」
何を思ったか、天は二人の黒衣者を抱えたまま、徐々に自らの視界から遠ざかっていく廃僧院へと視線を移した。
《スキル 生命の目》
・2330/2330
……明らかにさっきの奴等とは別格だな……
男はその煌々と揺らめく焔色の瞳で確かに観ていた。闇の深淵に棲まう魔境の住人を。
「“管理者”か……」
暗がりの奥にいるものを見据えながら、天はゾクリとするような酷薄な笑みを浮かべた。
「色々と訊きたいこともある。まあ、お前からはせいぜい役立つ情報を引き出させてもらおう」
月明かりも届かぬ深き森の奥、その黒暗よりもの幽々たる攻防が、今始まろうとしていた。




