第64話 奪還作戦
夜もすっかり深まり、人々が日常の営みを休止した頃。
現在、時刻は23時13分。
とある山奥の森にひっそりと佇む、今はもう使われていない廃墟の僧院に、不穏な空気が漂う。
《時間が来たようだな》
誰もいないはずのその場所から、突如何者かの声が発せられた。
そしてその一瞬の後、
「警戒を怠るなよ、お前達。辺りに敵が潜んでいるとも限らんからな」
「うおっ、真っ暗でほとんど何も見えねぇぜ」
「真夜中だから当たり前」
「もぉ〜、夜更かしはお肌に悪いのよね〜」
闇夜の宙から突然、黒衣に身を包んだ怪しげな集団が姿を現した。
「……周囲に目立った魔力の気配はない。どうやら、ここはまだ嗅ぎつけられてはいないようだ」
「そりゃそうだろ? なんせ、王宮の連中の大半があの二人が流した偽情報に踊らされてんだからよ」
「それにしても驚きよね。まさか、あの二人が王国を裏切るなんて。どうやってあの方は、あの二人をこっちに引き入れたんだろ?」
「きっと御主人のことだから、ボクらが想像もできないようなエグい手段を使ったに決まってる」
一体どこから現れたのか。その薄気味悪い黒ずくめの集団は、まるで最初から其処に存在していたかのように、ワイワイと井戸端会議を始めた。
「そりゃそうと、何であんなのまで連れてきたんだよ? あのアホ姫さえ捕まえりゃあ、あんなヤツもう必要ねえだろ」
この集団の中で一番大柄な黒衣者がそんな疑問を口にした。すると今度は、この集団の中でひときわ小柄な黒衣者がその考えを支持するよう、大きく頷く。
「同意。ボクは昨日から言ってる。足がつかないように早く始末するべき」
「だって、だってぇ〜〜。あたし、前からあの子のこと気に入ってたんだもん! 処分する前に、一回は味見しときたいじゃない?」
二人からの苦情に軽い調子で答えたのは、この集団の中でとりわけ細身の黒衣者だ。
「ボクも前から思ってたことだけど、キミって趣味が悪い」
「ちょっと〜、その言い草はあんまりじゃない!」
「事実を言ったまで」
細身の黒衣者のまるで悪びれない態度に腹を立てたのか、小柄な黒衣者は不機嫌そうに嫌味を吐いた。
「わかったわよ! あたしが飽きたら、あの子をあんたのペットに食べさせてもいいからっ」
「なら許す。ボクが飼ってるヘルハウンドちゃん達は年中食べ盛りだから、餌の調達にも一苦労」
「……オメェらの方が、よっぽどエグくて、よっぽど悪趣味だぜ」
「お前達、お喋りはその辺にしておけ」
部下というわけでもないだろうが。一向に雑談を止めない同輩達を諌めたのは、この集団の仕切り役を務めているであろう中肉中背の黒衣者だ。
「俺達にはやるべきことが……」
リーダー格の黒衣者が何かを言いかけたその時だ。
「……何をもたもたしておる……」
古びた洋館の奥から、皺枯れた不気味な声が聞こえてきた。その声の質から、恐らくは老人のものだろうか。
「……“儀式”の準備はとうに終わっておる。これ以上、ワシを待たせるでない。この鈍間共め……」
決して大声で話しているわけではない。されど、無駄話をしていた黒衣者達に直接語りかける様なその老夫の声は、明瞭に彼等の耳へと届いていた。
「ケッ、何を偉そうに。俺らは別に、お前の部下じゃねえんだよ」
「同意。はっきり言ってウザい」
「よせ!」
吐き捨てるように出た同僚二人のぼやきを、リーダー格の黒衣者は慌てて制した。
「俺の情報が正しければ……今夜出張ってきているのは、あの御方と同じ“管理者”のひとりだ」
「えっ、本当⁉︎ じゃあ、その信徒の“等級”って」
細身の黒衣者が、驚いたようにリーダー格の黒衣者の方へと顔を向ける。
「そうだ。最低でも“準一等星”。我々など足元にも及ばない実力者だ」
「「…………」」
リーダー格の黒衣者がそう教えると、ぶうたれていた大柄な黒衣者と小柄な黒衣者は瞬時に口を閉じた。
「それでいい。少しでもあちらの気を害せば、殺されるのは確実にこちらの方だ。だから俺達のような末端は、黙って指示に従うのが吉だろう」
「だ、だな」
相槌を打ちながら、大柄な黒衣者は何やら鍵のような物を取り出した。
「早いとこ、『ボックス』からあの二人を出しちまおう」
「あ、くれぐれもあの子に傷をつけないでね? 襲う時に萎えちゃうから」
「そっちはどうでもいいヤツ。大切なのは、あくまで王女のほう」
「やれやれ……」
緊張感が高まったと思えばすぐこれだ。リーダー格の黒衣者は、人知れずに頭を抱えた。
「あらよっと」
そんな中、これまた緊張感のない掛け声が飛び出した。見ると、どういう訳か大柄な黒衣者が夜空を見上げ、右手に持っていた鍵を虚空に向けて突き上げていた。
「確かこの辺りに……おっ」
しばらくして、大柄な黒衣者は何かを見つけたように歓声を上げる。
「あった、あった!」
直後、大柄な黒衣者は空に翳していた鍵をひねった。すると驚くことに、今まで何も存在していなかった空間から、先刻同様に人が姿を現した。
「……」
「…………」
黒衣に身を包んだその二人の人型は、重力に逆らうことなく、静かに空から落ちてくる。
「オーライ、オーライ」
ぐったりとした様子で落ちてくるその者達を受け止める為であろう。大柄な黒衣者は、落下地点で両手を広げながら空から降ってくる二人の人型を待ち構えていた。
……だが、ここで奇妙な事が起る。
「オーラ…………」
大柄な黒衣者がその二人を受け止めた瞬間、まるで糸の切れた人形のように、ドサッ!と地面に倒れ込んだのだ。
「ちょっとぉ〜〜、いま傷つけるなって言ったばかりじゃないのよ! もう、たかだか二人の人型を受け止めるのに、なに力負けしてんのよ? あんたのその図体は飾りなわけぇ〜」
「軟弱」
当然、周りでそれを見ていた他の仲間達は、大柄な黒衣者が落ちてくる二人の体重を支えきれずに、のけぞった勢いで倒れたと思った。
しかし、それは大きな誤りであった。
「………………」
同僚達から浴びせられた皮肉に応答しないどころか、倒れたままピクリとも動かない仲間を見て。リーダー格の黒衣者に只ならぬ悪寒が走る。
「待て! そいつに近づくな‼︎」
たまらずに声を張り上げるが、時すでに遅し。
「えっ?」
「なに……?」
細身の黒衣者と小柄な黒衣者が、何事かと立ち止まって振り返えろうとしたその時だ。
ーーもう遅い。
両者の背後で一瞬、影のようなものが蠢いた。その瞬間、二人の黒衣者は今しがたの大柄な黒衣者と同様、地面にバタバタと倒れ込む。
「賊か⁉︎」
完全に意識のスイッチを切られて地面に横たわる仲間達。それを目の当たりにして、リーダー格の黒衣者が狼狽の色を隠せずに辺りを見渡す。
「どこだ! どこにいる⁉︎」
けれど、周りには不審な人影はおろか、生物の気配すらない。
「こんなことができるのは……」
『常夜の女帝』か?
リーダー格の黒衣者が真っ先に頭に浮かべたのは、そんな異名を持つ女冒険士だった。
「……あり得ん」
しかし彼は、その可能性を即座に除外した。
「今現在も魔力の流れがまるで感じられない。いかな常夜の女帝でも、あの三人を『魔技』を使わずに倒すなど不可能だ」
いくら魔力を隠匿する術に長けたシャロンヌ本人であったとしても、この至近距離から何らか魔技を発動させれば嫌でも気づくはずだ、と。
ーーじゃあ誰が?
そんな疑念が男の脳裏に過る。だが、残念ながら彼がその答えを知る機会は、とうとう訪れることはなかった。
「ッ!⁉︎」
リーダー格の黒衣者は、いつの間にか何者かに背後を取られていたことに気づく。同時に、自分の首がその者の太い腕にがっしりとロックされていたことにも。そして、次の瞬間……
ゴキンッ、という鈍い音が、リーダー格の黒衣者の脳内に響いた。
「ぐ……ぁ……」
恐らく頸椎を破壊されたのだろう。ただ不思議と痛みはなく。あるのは極度の脱力感、全身から力が抜けていく感覚だけであった。
「制圧完了」
薄れゆく意識の中で聞こえたのは、確かに若い男の声であった。その記憶を最後に、リーダー格の黒衣者は夜よりも深い闇に堕ちていった。
◇◇◇
〜3時間前〜
《ランド王宮 城門前》
この夜、ランド王宮は殺伐とした空気に包まれていた。
「まだアリス王女の所在を掴めんのか!」
「この様な時に、王は一体どこへ行かれたのだ⁉︎」
「ええい! こうなれば王宮の全兵力を投入し、国中をしらみつぶしに探す他ない!」
「それでは城の守りが手薄になってしまいます!」
王宮の至る所から重鎮達の怒声が聞こえてくる。だがそれも無理もないこと。アリス王女が誘拐されてから丸一日以上が経過しているにも拘らず、有力な情報は皆無に等しく。加えて現在このランド城には、国の代表者、彼等を統率する者が誰一人としていないのだ。
国王であるアルトは、腹心のゴズンドと共に直属の親衛隊を引き連れて行方知れず。正室である王妃リスナは、各方面の伝手を利用して大規模な捜索隊を組織し、そちらの指揮を執っている。同様に、王国の第一王子であるアレックスもまた、自らの私兵部隊を率いて独自にアリス王女の捜索を進めていた。
各国の首脳陣が現在のランド王国の内情を見たら、きっと心底呆れるだろう。しかし、この国ではこれが普通なのだ。『国が一丸となって』という政治的ニュアンスは、このランド王国には存在しない。
当然、そういった国の在り方に疑問を持つ者は少なくなかった。
「まったく、何という有様か」
そして此処にも一人、そんな国の現状を憂う若き騎士団のリーダーが居た。
「このような非常事態にもかかわらず、国の主導者達は誰も歩み寄ろうとはせぬ」
王宮の城門を背にし、ひとり夜空を見上げる青年騎士。
「ただそれを言えば、騎士団のまとめ役でありながらこのような場所で油を売っている小生もまた、他者の事をとやかく言える立場ではないですな……」
彼の名は暁グラス。齢二十六にしてランド王国騎士団の団長を任されている、王国切っての天才剣士だ。
「貴兄もそう思いませぬか、ユウナ?」
「……やはり気づかれましたか」
グラスが夜空の星々を眺めながら何者かに問いかけると、彼の背後より知的な雰囲気の女騎士が姿を見せる。
「流石ですね、グラス団長」
この女性の名は御剣ユウナ。今は亡き王国騎士団 前団長の実娘で、グラスとは騎士団時代の同期の桜。
元々は騎士団の副団長としてグラスの右腕的な役割を担っていた彼女。だが半年ほど前、次代の王位継承候補の筆頭であるアレックスにその高い能力を買われ。以来、ランド王国第一王子の懐刀として卓越した手腕を振るう、生粋のエリート官僚だ。
「それなりに気配を消して近づいたつもりでしたが」
「フッ、小生の女人感知能力を甘くみないでほしいですな」
「……本当に相変わらずですね、団長は」
ユウナの声色が瞬時に感嘆から呆れに変わった。得意げにしょうもないセリフを口にするグラスの横顔を見ながら、彼女が『色々と台無しだ』と思ったのは言うまでもない。
「して、小生に何用ですかな?」
「この緊急時に、アレックス殿下の護衛役である私が王国の騎士団長のもとを訪れる理由など、一つしかないと思いますが?」
疲れた顔でユウナが問い返すと、グラスは目の色を変えて彼女の方へ振り返った。
「ではっ、アリス王女の居場所が掴めたのですな!」
「はい。我々の調査チームがランド各地に存在する“特殊な力場”を解析した結果、次のうちの三つに絞り込めました」
「その三つの所在とは⁉︎」
「『サルクス霊園』に『アルカの塔』、そして『スルガンの古跡』の三つです。差し当たって、ケンイ様もこの事をリスナ王妃へ報告しに……」
「こうしては居られませぬ!」
よほど居ても立ってもいられなかったのか。ユウナの話を最後まで聞かずに、グラスはその場を立ち去ろうとした。
「ま、待ってください、団長!」
すかさずユウナは、先走り気味のグラスを引き止めにかかった。
「まだ私の話は、最後まで終わっていません!」
「後にしてはくれぬか! 小生はただちにこの事を城にいる団員達に伝え、一刻も早く王女をお救いする為に現地へ向かわねばならぬ‼︎」
「このような時だからこそ他との連携は大切だと言っていたのは、ほかでもないグラス団長ですよ!」
クイッと眼鏡の端を持ち上げ、ユウナはいきり立つグラスを叱咤する。こういった時に元上司であるグラスの暴走を止めるのは、少し前まで彼女のライフワークの一つであった。
「それとも、たった今私が挙げた三つの候補地すべてを。現在、半数ほども身動きが取れない状態の騎士団だけで隈無く見て回れるんですか?」
「むぅ……」
思わずグラスは押し黙ってしまう。ユウナが指摘した事は、まさに今のグラスにとって耳が痛い現実だった。
「これはアレックス殿下のご提案なのですが、ここは三手に分かれて、それぞれが担当する地域を絞りましょう」
「……続けてくだされ」
ようやく観念したか、グラスはゆっくり息を吐いてユウナと向かい合うように立つ。
「現在、ケンイ様も同様に、この作戦をリスナ王妃にお伝えするため別館へ向かわれてます」
グラスが落ち着いたのを確認するやいなや、ユウナは何事もなかったように今回の王女奪還作戦について説明を始めた。流石は長い付き合いだけあって、彼の扱いには慣れている様子だ。
「その作戦とは、具体的にどのような内容ですかな?」
「まず、アレックス殿下率いる我々のチームが、王宮より最も離れた場所にある『サルクス霊園』を担当します。次に、リスナ王妃が指揮する捜索部隊には、ここから一番近い『アルカの塔』をお願い致します」
「では、小生たち騎士団の受け持つ地は」
「はい。ランド王国の最東部に位置する歴史的建造物、『スルガンの古跡』です」
ちなみに天やシャロンヌ、カイト達が今いる廃僧院は、ランド王国の最西部の山奥に造られた修道院。つまり、これからグラス率いる騎士団が出向く目的地の『スルガンの古跡』とは、正反対の場所にあるのだ。
「あそこはランド王国でも屈指の危険指定区域……だからこそ、我が国の最高戦力である騎士団にお任せしたいのです」
「委細承知しましたぞ!」
無論、その事情を知らされていないグラスは、ユウナのこの話を二つ返事で快諾した。
「……よろしくお願いします、団長」
一方、その作戦内容を伝えた張本人であるユウナは、何故か浮かない顔でグラスから視線を外す。
「そ、そうだ」
しかしそれも一瞬。すぐさま彼女は、何かを思い出したようなフリをして、グラスにある提案を切り出す。
「アレックス殿下には口止めされていますが、この際は冒険士の方々とも連携を取って」
「それは必要ありませぬぞ」
これまた即答であった。
「ですが団長!」
「彼等には彼等なりの流儀がある」
グラスは、ユウナが言わんとするところを即座に切り捨てる。彼のその声には、確固たる信念が宿っていた。
「協力を仰ぐことと馴れ合うことは、似て非なるものですぞ。内輪同士、身内同士で手を取り合うこととは、全く別の話」
「それは……」
有無を言わさぬグラスの迫力に、今度はユウナが口を噤む。
「小生がこの件でシスト様にお力添えを願い出た折にも、シスト様は一も二もなく引き受けてくだされた」
その時の事を思い出したのか、グラスは胸に手を当て、ここに居ないはずのシストへ謝意を表する。
「ろくに事情も聞かず、大国の英雄王であらせられるシスト様が、小国の一兵士でしかない小生の頼みをですぞ? であるならば、我々にそれ以上の言葉は不用」
「……では、シスト大統領とのコンタクトも」
「その一度きりですぞ」
悪びれるどころか寧ろ誇らしげにそう答えるグラスを見て、ユウナは激しい頭痛を覚える。
「それではこの度の事件に、彼の誉れ高き“Sランク冒険士”のシャロンヌ様が冒険士協会より派遣された事も、団長はご存知ないのですか?」
「おお! あの御仁が駆けつけてくださったか!」
ため息まじりにユウナが訊ねると。案の定、グラスは知らなかったと言わんばかりに驚喜の声を上げた。
「生理的には受け付けませぬが、あの御仁の腕は確かなもの。シャロンヌ殿なら、必ずやこのランドの窮地を好転させてくれますぞ!」
「そう、ですね……」
ユウナは歯切れ悪く返事をする。その原因の一つに、グラスの何気なく吐いた言葉が作用しているのは間違いないだろう。
「ただ性格と出で立ちに多大なる難があるゆえ、できれば共に行動するのは避けたいところですな」
「……団長。今言われたことは、間違っても御本人の前では口にしないでくださいね? 失礼にもほどがありますから」
今度は迷わず、ユウナはグラスの身も蓋もないコメントに苦言を呈する。
額に手を当てながら彼女は思う……
『そんな事だからあなたは、城の者達から、影で残念な聖騎士などと呼ばれるんですよ』と。




