第58話 天才
「近いな。標的までの距離は100前後、数秒後に接触ってところだ」
「了解なのです」
険しい山道を軽快なフットワークで移動する二名の男女。その動きの一挙一動から察するに、男女ともに相当鍛え込まれているのが一目でわかる。
「さっきと同じ手順でいく」
「ラジャーなの! 」
「じゃあ手筈通り、お前はレベルワンの魔技を生成する準備に……」
「もう始めてるのです! 」
「よし」
二人は視線を前方に固定したまま、円滑な言葉回しで何かの段取りを組み立てている。
「来る」
男女の内の一方、男の方が意味ありげな言葉を小声で呟いた直後、二人の耳にザザッ‼︎と草木を踏み荒らすような不審な足音が飛び込んできたその時だ。
「グッ……グゲーー‼︎ 」
けたたましい鳴き声を上げ、木々が生い茂る獣道から、体長二メートルはあろう大型のリザードマンが現れた。
「リナ」
「バッチリなの天兄! 」
鬱蒼とした草むら奥のリザードマンを目視で確認すると、天は何かの合図をリナに送り、彼女の方もほぼノータイムでそれに応えるよう、右手を前に突き出して構える。
「いくの! 《火玉》 」
同時に、リナの掌からテニスボールほどの火の玉が発射され、十数メートル先にいるリザードマンの額に見事命中した。
「クゲッ! 」
パシュッ!と肉が焼ける音とともに、リザードマンの眉間から少量の煙が立ち込める。
「しゃあっ!大命中なのです‼︎ 」
パチンと指を鳴らし、ガッツポーズをするリナ。まだ戦闘は始まったばかりだというのに、リナはもう全て終わったかのように嬉々として声を上げた。
《スキル 生命の目》
刹那、天の瞳に橙色の光が灯る。
・212/215
「 『戦命力』の低下を確認、ミッションクリア。……それじゃ早速、Dランクの魔石採取に取りかかるとしよう」
天は無表情でそう囁やくと、まるで手慣れた作業のようにリザードマンの首めがけて予め構えていた左手の手刀を振るう。
「グゲェ?」
次の瞬間、額の薄皮一枚を焦がされて反射的に頭を左右に揺らしていたリザードマンの許に、無情なる刃が音もなく届いた。
「グェ…………」
弧を描く一閃がリザードマンの首元を通り過ぎた後、数瞬遅れて魔物の首がズズズと胴体からずり落ちる。
「終了」
手を洗った後の水切りの要領で左手についたモンスターの体液をとばし、天は首なしのリザードマンを視界にも入れずに、ズボンの尻ポケットから自身のスマホ型ドバイザーを取り出して画面をタッチする。
「もはや戦闘と言うより、一種の流れ作業なのですコレ……」
その一部始終を間近で見ていたリナは、感嘆とも呆れともつかぬ気持ちを声に出して呟いていた。
天・リナペア WIN
「ちっ」
一方で天はといえば、端末の画面を指で操作しながら、どういうわけか少々不快そうに眉をひそめていた。
……仕方のない事とはいえ、やはり水を掛けられた感は拭いきれんな……
天は肩を落としてため息をつく。
「とんだ肩透かしだ、まったく……」
彼は手に持つドバイザーをギュッと握りしめ、今から数十分ほど前の出来事……シャロンヌに聞かされた『争いの民』が持つ特質の内の一つを思い出す。
『花村天。いきり立つのは大いに結構だが、さっき貴殿が話していた推測がもし当たっているとすれば、奴等との直接対決は今日の真夜中になるぞ』
『…………え? 』
『邪教徒どもが使う “空間滞留”の術には当然に継続時間が存在する。その持続効果は、およそ術を発動してから約十二時間から十三時間、つまり半日ほどの時間は、奴等は別空間に身を置いていることになる』
『えっ』
『これを踏まえ、貴殿は今からおよそ三時間ほど前にこの廃墟の辺りで奇妙な気配を感じたと言っていただろ? 』
『……言ったな』
『その話が事実だとして、邪教徒が空間滞留の術を発動したのが今より約三時間前の出来事だとすると……』
『じゃあなにか?その術の効果が切れるまで、俺達は少なくともあと十時間近くはこの廃墟で立ち往生ってことか? 』
『そういうことになる』
『なんてこった……』
『まず第一に、もともと奴等が行動を開始するのは大抵が自然界の魔素濃度が高まる深夜と決まっている』
『……なるほど、あんたがさっき動力車の中で言っていた、『奴等は今日中に見つけ出せば問題ない』ってのは、つまりそういう理由があったわけだ』
捜索を開始して早々に争いの民の潜伏先を突き止めてしまったため、結果的に半日近くの待ち時間を設けることとなった天達五人。その後、シャロンヌの要請によって魔力値の高いカイトとアクリアは争いの民を包囲するための結界生成儀式に入り、溢れた残りの二名、天とリナはと言えば、
『て、天様!どちらへ行かれるのですか⁉︎ 』
『黙って突っ立ってても邪魔になるだけだからな?肉体労働担当の俺は、ここいらの目ぼしいモンスターを狩って、魔石を集めてくる』
『兄さん、そっちは任せてもいいかい? 』
『ああ、ここら周辺の野山を馳け回って、ちょっくら荒稼ぎしてくる。それに、俺がここにいると折角お前らが生成した結界を消しちまうかもしれんしな』
『それなら、あたしも一緒に行くのです! 』
そして現在に至るというわけだ。
……てっきり、奴等を亜空間から引きずり出す何らかの手段があるもんだと思っていたんだが……
天は乱暴に頭を掻きむしり、足元に転がっている魔物の亡骸をドバイザーに収納する。
「……まあ、この場合はこっちの体勢を整えるための時間が十分にあることをプラスに考えるべきか」
「天兄……」
天がリザードマンを回収し終えた直後、恐る恐ると言った感じで背後から声が掛かる。
「リザードマン、討伐完了だな」
「お、お疲れさまなの天兄」
リナの方を振り返った天は、普段と変わらぬ彼に戻っていた。
「リナの方もお疲れさま」
いくら不機嫌だからと言っても、仲間を大切に思う彼が、リナに八つ当たりじみた態度を取ることはない。
「実際、あたしはほとんどなにもやってないから、全然疲れてないのです……」
「あっ……」
この時、天は自虐的に俯くリナの様子を目の当たりにして、はっと息を呑む。
……またやっちまった……
色々と我に返った天は、とりあえず最初に反省した。
「す、すまんリナ」
「ううん……。あたしもこれが一番効率的で合理的な戦法だって、わかっているのです」
「あ、いや、そのな……とにかくすまん! 」
「謝らないほしいのです。ていうか、謝ってほしくないの……」
「……」
無理につくり笑いを浮かべるリナを見て、天は人知れず頭を抱えた。
……わかっていた事だが、やっぱ俺が戦闘を仕切るとこうなっちまうんだよな……
彼自身こうなる事は予測していた。自分が戦闘に介入すると、仲間のプライドを傷つけてしまう可能性を否めないということを。
……だがリナの言ったとおり、これが最も効率的で、リナ自身も安全を確保できる戦術なのは間違いない……
天が戦うと、ほぼ100%の確率で彼の独り舞台となり、例によってチームプレイをまったく必要としない、天の絶対的な個人技になってしまうのだ。
……最初からわかっていたんだ。狐はともかくとして、リナとカイトとアクは自分の生き様に少なからず誇りを持っている……
この場合は幸か不幸か。今現在、天と行動を共にしている冒険士の中に、漁夫の利で手放しに喜べる者は一人として存在しない。何より、各々が他の仲間の役に立ちたいという意識、チームの力になりたいという強い願望がある。
……だからいっそう、リナは自分の非力さを責めているんだろうな……
しかもそれに加え、ある理由から彼女は戦闘の初手を任されていた。
……仕方ないとは言え、このやり方だとどうしてもリナのフラストレーションがうなぎ登りだ……
当然トドメは天が刺すのだが。戦いに参加したという名目を立てるため、先刻のリザードマンと同様に、この狩りの間リナはひたすらダメージを狙わない攻撃、マーキングのような奇襲を余儀なくされていた。
……かなり取り繕ってはいるが、リナは根っこの部分で俺と似ているところがあるからな……
だからこそ天には容易に想像できてしまう、リナが今どれほど歯がゆい思いをしているのかということを。
「リナ、あ、あのな……」
とりあえず何か声を掛けようと、天は口を開くが、
……ダメだぁあああ、いま慰めの言葉なんてかけたら、余計リナに惨めな思いをさせちまう!……
「その、だな、ええっと……」
ついさっきまでの苛立ちは何処へやら、目の前で落ち込む妹分のケアに、天は四苦八苦していた。
「……天兄に見てもらいたいものがあるのです」
そんな天をよそに、リナは上に着ているスポーツジャケットの内ポケットから何かを取り出し、それを躊躇いがちに天へと手渡した。
「これは、リナのドバイザーか? 」
天の言葉に無言で頷くリナ。彼女から渡されたのは、アイボリーホワイトのリナ専用ドバイザーであった。
「そのドバイザーの画面を見てほしいのです」
「……? 」
一連のリナの行動にやや首を傾げつつ、天は言われたとおり受け取ったドバイザーの画面を覗いてみる。
Lv27
名前 リナ
職業 Bランク冒険士
最大HP 700
最大MP 390
力 97
魔力 11
耐久 105
俊敏 103
知能 187
特性 ・小数体HPアップ(微小)
skill secret
其処には、リナの能力値が映し出されていた。
「天兄、それがあたしのステータスなの……」
◇◇◇
天とリナが狩りに出てから、数えて三体目の魔物となるリザードマンを屠り去ったちょうどその頃、
「これで準備は整った」
彼等のもう一方のグループがいる古びた廃墟の僧院では、なにやら紫髪の女性がチョークの様なもので地面に円形の絵図を描いていた。
「あとは術の媒体となるこの儀式陣の中で、結界が生成されるまでひたすら魔力を送り込めばいい」
ちなみにこの女性、上下ともに極めて露出度の高いビキニのような着衣、その上から深紫のマントを羽織り、季節外れというか場違いというか、ともかくアグレッシブなファッションの見本のような格好をしている。
「その、なんだ……」
地面に絵図を描き終えた彼女は、気難しい顔をしておもむろに立ち上がると、どういうわけか急に頭を掻きむしる。
「お前たち、さっきは悪かったな」
意を決した様子で紫髪の女性が謝罪の言葉を述べると、彼女の両脇にいた若い男女が続けざまに口を開く。
「いえ。俺達の方こそ、経緯はどうあれ大人気ない態度を取ってしまい、すみませんでしたシャロンヌさん」
「はい。先ほどはこちらにも非がありました……シャロンヌさん、先の非礼をこの場を借りて深くお詫び申し上げます」
「いいや、あの件についてだけ言うなら、完全に俺の過失だ。お前たちは悪くない」
見かけによらず律義な性格なのだろう、シャロンヌは一歩前に出ると、
「カイト、アクリア……本当にすまなかった」
カイトとアクリアの正面に立つよう向き直し、今度はしっかり彼等と向き合って両人に恭しく目礼した。
「も、もうその事はお互い水に流しましょう。ハハハッ」
シャロンヌのその姿勢があまりにも改まったものであったため、カイトは意外感を示してたじろいでしまう。
「ええ。申し上げたとおり、先ほどのことはこちらにも少なからず非があるのは事実ですから」
対照的に、アクリアの方はかすかに微笑んで会釈を返し、物腰穏やかに振る舞っていた……のだが、
「そうか、では改めてお前たちに先に断わっておく、あの男は……花村天は何としてもこのシャロンヌがいただく! 」
「…………ぇえ⁉︎えぇえええええ‼︎⁉︎ 」
そうシャロンヌが高らかに宣言すると、アクリアの表情から瞬時にその聖母のような微笑みは崩れ落ち、中から彼女のもう一つの貌が表出する。
「お待ちくださいシャロンヌさん‼︎ 」
「悪いが待たん」
「っ〜〜〜‼︎‼︎ 」
シャロンヌの戦線布告に、文字通り血相を変えるアクリア。
「シャロンヌさんは先ほど、天様のことを不好きだとおっしゃっていたではありませんか‼︎⁉︎ 」
「それとこれとは話が別だ。まず第一に、最初から俺の好みなどどうでもいい事だからな」
そのシャロンヌの飄々とした返しに、一層に危機感を覚えるアクリア。
「なな、何故シャロンヌさんは、天様にそれほどまで固執するのですか⁉︎ 」
「簡単さアクリア。要はシャロンヌさんも、自分の目的のために兄さんの人知を超えた力がどうしても必要なんだよ」
涼しげな顔でそう答えたのは訊ねられたシャロンヌ本人ではなく、この場で唯一の男性であるカイトだった。
「そのとおりだ」
それに対して、シャロンヌも真剣な表情で相槌を打つ。
「普通に考えればそれしかありませんからね?シャロンヌさんが兄さんに恋慕の情を抱くとは正直考え難い」
「お前はやはり話が早いなカイト」
シャロンヌからの同意を得て、カイトは小さく会釈すると、そのまま淡々とした口調で話し続ける。
「だからリナならともかく、俺達は本来、シャロンヌさんのことをどうこう言う資格なんてないよアクリア」
「うっ、それはそうかもしれませんが……」
「ほほう、お前たちもそういった経緯であの男に近づいたのか」
「い、今はっ! 」
「最初はそうでした」
反論しようとしたアクリアを制し、カイトは揺るがない瞳をシャロンヌへ向ける。
「でも今は違う」
「ほう、それはどう違うと言うのだ? 」
シャロンヌはカイトの顔を見返し、挑発的な笑みを浮かべた。
「勿論、俺達は兄さんの力に縋っている部分があるのは否めません……」
「……」
アクリアはその事への事実性に後ろめたさを感じて、無意識の内にシャロンヌから視線を外していた。
「しかしそれは、彼を利用しているのではなく、チームとして彼に協力を求めているだけです」
されど、カイトの方は若干の気落ちを見せるも、凛とした態度は崩さなかった。
「フン、物は言いようだな」
「いいえ、これは兄さん自身が俺達に言ってくれたことです。俺達が今朝その話をしたら、彼はこう答えてくれました……『水臭いぞ』と」
「はい!天様は確かにそうおっしゃってくださいました‼︎その心温かい天様からの御言葉を、私は一生涯忘れません‼︎ 」
「そうだねアクリア……」
感情を表に出して本心を語るアクリアを見て、とても嬉しそうにカイトは頷いた。
「だから、俺もアクリアも兄さんのことを心から信頼できる仲間だと……生涯の友だと心の底から思っています! 」
「………………」
勢いよくカイトの主張に相槌を打ったアクリアだったが、どういうわけか急に複雑な表情を浮かべて押し黙ってしまった。
「……ずっとこのまま……ブツブツ……」
恐らくカイトが締めに使ったセリフの中に、彼女にとってはどうしても容認できないニュアンスの言葉が入っていたのだろう。
「チッ、すでに絆を深めてしまった後というわけか」
落ち込んでいるアクリアを尻目に、シャロンヌはまた頭を掻きながら態とらしく舌打ちをする。しかし、そんな彼女の表情はどこか楽しげに見える。
「察するに、お前たちが髪を切ったのもその辺りが関係しているのだろうな? 」
「まあ、そんなところですよ」
カイトは照れ臭そうに自身の坊主頭を触る。
「そうだ、もし良かったらシャロンヌさんも、俺達と同じく『零支部』に所属しませんか? 」
「えっ⁉︎ 」
カイトのその提案に対してあからさまに難色を示したのは、下を向いてブツブツと何かを唱えていたアクリアだ。
「……おいアクリア、さすがの俺もその反応は地味に傷つくぞ」
「も、申し訳ございません……」
「ハハ、まあそれを最終的に決定するのは、この支部の人事を担当している兄さんなんですけどね」
「あの男はそんな事までやっているのか……」
呆れたようにぽかんと口を開けるシャロンヌ。
「で、どうでしょうかシャロンヌさん?ちょっとした確執もありましたが、シャロンヌさんなら兄さんも二つ返事でOKすると思いますよ? 」
ひとまずアクリアのことは置いておき、カイトは優秀な人材の勧誘を口実に、同じ重苦にあえぐであろう彼女へと手を差し伸べる。
「魅力的な提案だが、あいにくと俺は大所帯で群れるのが苦手でな」
しかし、シャロンヌは小さく吐息して首を横に振った。
「あの男のような例外を除くなら、これからも俺は一人で十分だ……」
そう告げたシャロンヌの瞳は、どこか悲しげに遠くを見つめていた。
「……それにしても、アイツは実にもったいないな」
意識して誤魔化したのか、それとも素直に思っていたことを口にしたのか。彼女の感傷的な気分をカイトとアクリアが気にかける前に、シャロンヌはそれとなく話題を変える。
「天様は、断じてもったいないなどと言うことはございません! 」
「そっちじゃない。それに、あの男は勿体ないというよりも、あれはどちらかと言えば詐欺や理不尽の部類だ!ありとあらゆる意味で、なっ」
「は、はははは……」
「そ、その様なことはっ」
シャロンヌの言い分に納得するように乾いた笑いをもらすカイトと、まだ何処か納得できないふうに眉を寄せるアクリア。ただ口籠ってしまった時点でそのことについては認めてしまっているようなものだが。
「俺が言っているのは、この場にいないもう一人の方だ」
「ッ! 」
「っ……」
途端に、カイトとアクリアの顔色が変わった。
「兄さんは色々と常軌を逸しているけど、俺達からすればシャロンヌさんも十二分に並外れているね」
「本当ですね……まさかこんなに短時間で、しかもドバイザー表記のステータスも閲覧せずにその事情を見抜くなんて」
シャロンヌを称賛することで、カイトとアクリアは彼女の意見を暗に肯定した。
「気づいたのは、この間の会議の時だ」
一方で、シャロンヌは二人のそういった反応を確認した後、おもむろに発言する。
「アイツはズバ抜けた知能と高い洞察力を兼ね備え、その度胸や身体能力の高さも低ランクの冒険士どもとは比較にならんだろう」
「それは間違いございません」
「ああ。彼女の基礎体力や運動能力の高さは昔から飛び抜けていたからね」
「……だがアイツにはただ一点だけ、俺たち冒険士のような戦いを生業にする者にとっての、一番重要な要素が不足している」
「「……」」
カイトとアクリアの顔が悲痛に歪む。シャロンヌの話に耳を傾ける二人の様子は、とても険しいものであった。
「アイツは……リナには魔力が一般の人型程度か、もしくはそれを下回るほど小量しか存在しない」
「シャロンヌさん、それ以上は……」
「その事については、リナ自身が一番理解していますよ」
辛抱堪らず、シャロンヌの口説を中断させるアクリアにカイト。二人のその表情は、まるで自分の弱みを公表されているかのように苦悶に満ちていた。
「シャロンヌさん、今の話をリナの前では……」
「するわけがないだろ!こんな俺だがそれぐらいの教養はあるつもりだ」
「リナさんはその事が原因で、これまでに数え切れないほど辛い思いをしてきましたから……」
「そ、そうか……」
後悔先に立たず。どんよりとした空気が漂う中で気の重さを肌に感じながら、シャロンヌは『またやってしまった』と密かに頭を抱える。
これは余談になるが、天と彼女は行動パターンが似ているのかもしれない。
◇◇◇
「…………」
リナのドバイザーに映し出された彼女のステータスを、ジッと凝視する天。彼の表情は真剣そのものだった。
「…………こいつは驚いたな」
「うっ……」
天が不意に漏らしたそのセリフが耳に入り、ピクリとリナの体が震える。
「ス、スキルの項目も、天兄なら見てもらっても全然OKだったのですが!いい、一番見せたかったものは別にあるっていうか……」
別段、何か後ろめたいことをしているわけでもないのだが、リナは落ち着かない様子で軽い挙動不審になっていた。
「リナ。お前に一つ確認したい事がある」
「は……はいなの……」
先刻よりもさらに体を強張らせ、リナは俯きながら天の次の言葉を待った。
「お前ぐらいの歳とレベルで、この『最大HP』の数値は規格外と捉えてもいいのか? 」
「………………へ? 」
天の予想外の質問に、リナは思わず顔を上げて、ハトが豆鉄砲を食らったような顔をする。
「同年代の人型や他の同程度レベルの冒険士と比べるとどうなんだ?もし差があるとしてそれはどれぐらい離れている?頼むリナ!出来るだけ詳細に教えてくれ! 」
「へっ、え、え?わ、わかったのです天兄! 」
らしくない天の捲し立てに驚き、つい反射的に返事をしてしまうリナ。
「自分で言うのもなんなのですが、年齢はともかく、あたしのレベルで最大HP700は異常なのです」
「やはりな」
天はニヤリと口の端を持ち上げた。
「もともとあたしたち獣型の女はHPが上がりやすい種族なのです。だけど、その中でもあたしのソレは群を抜いていると思おうのです‼︎ 」
天のそういった反応に気を良くしたのか、リナはいつも以上に饒舌になってその説明をする。
「一番わかりやすいところで比較するなら、同年代、同レベルのキツ坊となのですが……」
「どれぐらい差があるんだ? 」
「倍以上は違うのです! 」
……これは、間違いないな……
「アクさんやカイトさんと比べても、その値だけなら、二人よりレベルが低いあたしの方が高いのです! 」
「リナ」
興奮気味に喋るリナに目線を合わせ、天は語気を強めて彼女の名を呼んだ。
「体力だけなら……最大HPの数値だけなら!あたしは、周りの冒険士の誰よりも高いのっ‼︎‼︎ 」
リナはそれに応えるように大声を上げ、自分自身がこれまで溜め込んできた気持ちを天にぶつける。
「ゼェ……ハァ……ゼェ……」
「……ありがとうリナ」
そんな妹分を労い、また労わるようにして、天は肩で息をするリナの頭にそっと手を置いた。
「誰にも触れられたくない自分のコンプレックスを、俺に打ち明けてくれて」
「天兄……」
実を言うと、天はリナのステータスを一目見た時点で彼女が一体何に悩み、何を自分に伝えたいのかを瞬時に見抜いていた。
「今度は、俺からお前に伝えたいことある」
しかしそれと同時に、リナのその弱みを補って余りあるほどの強みを、天は彼女のステータスから見出したのだ。
「リナ、俺の話を聞いてくれるか? 」
「ん……」
呼吸を整えながら、リナは天の言葉に大きく頷いた。
「さっきも動力車で話したが、俺は女神様よりいくつかの理を託されている」
天はリナが呼吸を整え終わるのに合わせて彼女の頭からゆっくりと手を離し、おもむろに『生命の女神フィナ』より授けられた知識の一つを語り出した。
「その中の一つに、『人型のステータスの真実』というのがあった」
「えっ! 」
リナは目を見開いて体をビクンッ!と跳ね上げる。
「生命の女神フィナ曰く『この世界の人型は重大な勘違いをしている』そうだ」
尚、気持ちが逸っているのは彼女だけではない。
「フィナは俺にこう問いかけた……『人型が持つステータスの中で、最も重要な項目はなんじゃと思う? 』と」
気づけば、天は女神を様付けで呼ぶのも忘れるほど、その話に夢中になっていた。
「そのフィナの質問に対して俺はこう答えた……『魔力ですかね』と」
「…………」
そして当然リナの方も、いつもなら滅多に人目に触れさせない自身のドバイザーを握りしめたまま、天の話に意識を集中させていた。
「そしたらな?フィナは意地の悪い笑みを浮かべて俺にこう言ったんだ、『それこそおぬしら人型が勘違いしておることなんじゃよ』ってな」
「ッ‼︎‼︎ 」
声こそ上げなかったものの、口を大きく開けて仰天するリナ。
「じゃあ、一体何の項目がステータス中で一番重要なのかって話なんだが……」
「な、なの! 」
ドクンッ!とリナの胸が高鳴る。天がその理を喋り始めてからある種の期待はあった。だが、直接彼の口から告げられなければ、まだ手放しには喜べない。
「リナの察しのとおりだよ」
そんな彼女の心境を見透かしたように、天はそのことを強調して答える。
「神様曰く、ステータスの中で最も重要な項目は『HP』だそうだ」
「っ〜〜‼︎‼︎ッーー‼︎‼︎‼︎ 」
その瞬間、リナは声にならない声を発する。
「リナ、率直に言わせてもらう……お前は類い稀な才能を秘めた、いわゆる天才というやつだ」
「あああ、あぁああっ、ああぁ……」
リナの心は激震していた。これまでに幾度となく心無い者達に馬鹿にされ、蔑まれ、見下されてきた彼女にとって、天のその言葉はまさに神の声であった。
「フィナはこんな愚痴もこぼしていた、この世界には才能に満ち溢れているにも拘らず、単に魔力が低いというだけで不当な扱いを受けている者達がごまんといる、とな」
「天兄!あたし、あたし‼︎ 」
痛みにも似た悦びがリナの背筋を疾り抜けていく。彼女は今にも泣き出しそうなほど感極まっていた。
「リナ!俺からお前に相談したいことがある!」
天は歓喜に沸く妹分の両肩をガッシリと力強く掴んだ。
「ただ、これから言う俺からの相談事は、結果的にはリナとの約束を破っちまうことになるかもしれん」
「言ってほしいのです‼︎」
天に迫る勢いで訴えるリナ。
「ううん、あたしは天兄の口からそれを訊きたいの‼︎ 」
リナはすぐにわかった。天が言っている約束とは恐らくあの時のものだと。
『人には適材適所というものがある。だから、リナさんは裏の危険な役回りに関わらなくても大丈夫だ』
天がリナをスカウトする際にした口約束、これは裏を返せば、自分を戦力としてカウントしないということだ。
「お願いなの天兄‼︎ 」
実のところ、リナはこのことをずっと悔やんでいた。あの時、なんで自分はあんなに及び腰だったのだろうと、彼女はひたすらに弱気な自分を恥じていた。
「わかった。では俺からお前に一つ提案がある……リナ、俺の『闘技』を覚える気はないか? 」
「なのぉおおっ‼︎‼︎‼︎ 」
本日……否、これまでの彼女の人生の中で最大級となる衝撃波の槍が、リナの胸を穿つ。
「俺の闘技は魔力を一切必要とせん。そして、お前には天性の才能がある! 」
「天にぃいいいい‼︎‼︎‼︎ 」
リナはたまらず天に抱きついた。
「お前なら必ず強くなれる。俺が保証する! 」
「ワフーンッ!超嬉しすぎて、しっぽが馬鹿になりそうなの‼︎ 」
この時、リナは今日一番の幸福感を味わっていた。自分専用のメンテナンス設備を与えらた時よりも、自分はこの世界において、決して落ちこぼれではないという真実を教えられた時よりも。
「あたし、やるのっ‼︎ 」
かつてない高揚感とともに、リナの身体中の血液が沸騰する。
「天兄、あたしに『闘技』を教えてくださいなの‼︎‼︎ 」
「了承した!ただし、俺は人にものを教えたことがないから加減というやつを知らん。もしかすると、お前が思っている以上にスパルタかもしれんぞ? 」
「望むところなの‼︎ 」
リナの胸は熱く燃えたぎっていた。リナには幼き頃からの夢があった。子供ながらにそれは茨の道だとわかっていても、その夢をがむしゃらに追い求めていた時期が、彼女の中には確かに存在した。しかし大人になるにつれ、現実はリナの胸に深く突き刺さり、もはや魔力の低い自分には到底叶わぬことだと諦めていた自らの夢。
「やってやるのです‼︎今よりずっとずっと強くなって、いつの日か必ず……『亜人最強』の女になってやるのぉおお‼︎‼︎ 」
もう迷わない。種族最強への道は開かれた、亜人の女王『ルキナ』よりも強く、現役Sランク冒険士の『ミルサ』よりも強靭に。遥かなる頂を目指し、リナは決意の雄叫びを上げた。




