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第57話 予感

 陽気な春の日差しが照らす、のどかな昼下がり。ランチタイムを終えた街中を行き交う人々の耳に、唸るようなクルマのエンジン音が鳴り響いた。


 ブゥウウウウウウウウ‼︎


 シャープなデザインが目を引く銀色の動力車が、産業都市ライナルの中央通りを、可能な限りと言わんばかりのスピードで駆け抜けていく。


「チィッ!」


 キュルッキュー!キュキュキューー!


 タイヤの摩擦音を辺りに響かせ、乱暴なハンドル操作で一台、また一台と、前の車両を追い抜いていく銀の動力車。それは一見するとスピードに酔っているようにも思える。だが注意深く観察してみると、その動力車の走りからは、車を運転している者の『焦り』のようなものが感じられた。


「くっ」


 ブゥウウウウン!ブウゥウウン!という絶叫のようなエンジンの音。それは悲鳴にも似ていた。まるで何かから避難するように。この場所から少しでも遠くに逃げるように。その動力車はどんどんライナルの中央区域から離れていく。


 ………………。


 尚、そのような荒い走行とは対照的に、動力車の中はシンと静まり返っていた。


「……」


「……」


 搭乗者は誰一人として喋ろうとはしない。


「ムニャ……りょう、ナダイろのからサインもらっれきたろ! ……ムニャムニャ」


 と助手席に乗っている小太りの男だけが何やら寝言を言っているようだったが、これを会話とカウントするのはあまりにも無理があった。


「な、なぁ……」


 重苦しい空気が車内に立ち込める中。ようやくその沈黙を破って声を出したのは、この動力車を運転していた褐色肌の男だ。


(やっこ)さんのファミリーネーム、『花村』って言やぁ、たしか……」


「言わないでくださいっ‼︎」


 男が何かを言いかけた瞬間、癇癪交じりの怒鳴り声が上がる。


「ナダイさん。お願いですから……」


「マリー嬢……」


 Sランク冒険士、烈拳のナダイが今まさに口にしようとしたであろうセリフを、嗚咽混じりの女性の声が遮った。


「それ以上は、うぅ……」


 車の後部座席にいたエルフの女性は、両手で顔を覆い、前のめりに落とした肩を小刻みに震わせていた。


「う、ううぅ……それ以上は言わないでください……ぅうう」


 彼女の声音からは悲しみと懺悔の感情がひしひしと伝わってくる。聞いているだけで胸がさけるような悲痛な慟哭が、車内を満たした。


「だ、だがよぉ、名前さえわかってりゃ、各国のお偉方にも今回の一件を伝えやすいってもんだぜぇ?」


「ならん‼︎‼︎」


 再び車内に怒声が響き渡る。ソシスト共和国大統領秘書、マリーの隣に座っていた初老の紳士は、猛然と喉を震わせた。


「それだけは絶対にならん! このことは他言無用だ。この件についてはこれから先、儂等三人の胸の内にしまっておく……これは厳命なのだよ、ナダイ!」


「だ、旦那まで」


 ソシスト共和国大統領にして冒険士協会会長を務めるSランク冒険士シストは、ナダイの提案を即座に切り捨てた。彼にしては珍しくはっきりとした命令口調であった。


「で、でもよぉ!」


「ナダイ」


 シストが有無を言わさぬ胆力で、ナダイの異議申し立てを断ち切った。


「仮に儂やお前、シャロンヌやセイレス、それにミルサやレオスナガルを含めた現役のSランク冒険士が束になってあの『花村戦』なる少女に挑んだとして……勝算はどれほどあると思うのだ?」


「うくっ」


 重苦しいシストの言葉に、ナダイは思わず押し黙ってしまった。それがそのまま男の出した答えとも言えた。


 ――その確率は皆無(ゼロ)に等しい。


 自分達程度のレベルでは、いくら集まろうと『アレ』の相手は務まらない。あの少女のことを思い出すだけで、ナダイは背筋に戦慄を覚える。嫌な汗が額から滲み出る。相手の力量を見極める眼力は超一流。百戦錬磨の冒頭士たる男は、戦わずして瞬時にその戦力差を見抜いていた。そしてそれはあの少女ような人型の力の片鱗を間近で見せつけられ、 揺るぎない確信へと変わった。


「くそ……」


 絶対に戦うな。絶対に関わるな。絶対に逆らうな。自分には対峙することすら許されぬ格上の存在。出遭ってしまったら最後、一も二もなく逃げの一手。圧倒的、絶望的なまでの戦力差。ナダイの心は、既に『花村戦』に対して完全に屈服していた。


「天君自身も声明しておったことだがね」


 そんなナダイの心境を見抜いたように、シストはおもむろに口を開く。


「儂等が目の当たりにしたあの絶大な戦力に勝る強さ、純粋な闘争であの少女に勝つことができる者がいるとすれば……それは彼をおいて他にはおらんのだよ!」


「……あー、わ〜ったよ」


 ナダイはハンドルを片手にぼりぼりと頭を掻いた。


「奴さんの名前は誰にも言わねぇし、もう余計な詮索もしねぇ。それいいんだろ?」


「感謝するのだよ、ナダイ」


 シストのあまりの剣幕に、ナダイもとうとう白旗を上げた。


「よくよく考えりゃ、俺らの予想が的中してたとして、そうなりゃ国家機関の中枢なんかにゃ口が裂けても言えるわけねーよな」


「うむ。もしもこの事が各国の指導者や権力者達の間に漏洩すれば、まず間違いなく、天君は国際問題の矢面に立たされてしまう」


「だな。大国の中でもラビットロードやナスガルドなんかは旦那が口添えすりゃあ問題ねぇだろうが、エクスやミザリィス……特にそいつが『魔皇(まこう)エイン』の耳に入りゃ、例のとんでもアンちゃんは戦犯に祭り上げられちまうかもしれねえぜぇ」


「天さんは私たち人型の味方ですわ‼︎」


 声を荒げ。マリーが涙ながらに訴える。


「でなければ……でなければあの少女のことを!天さんが私たちに伝えるわけがありませんもの!」


 マリーも頭では理解しているだろう。シストとナダイの言っていることは間違っていない。そういった理不尽を、大統領秘書としても、一冒険士としても、マリーは度々その目で見てきている。こういった議題に人道的モラルなど一切入り込む余地はない。それが政治というものだ。それが国際社会というものだ。そんなことはマリー本人も重々承知している。


「うぅ……天さんは、私や会長には絶対に牙を向けはしないと……おっしゃってくれましたわっ」


 それでもマリーは言わずにはいられなかった。その理不尽を、否定せずにはいられなかったのだ。


「無論、この儂もマリーと心持ちは同じなのだよ」


「会長……」


 力強く頷きながら、シストはそっとマリーの肩に手を置く。


「だがこの話が露呈すれば、たとえ本人にその気がなくとも、否が応にも天君は世界規模で人型の敵と判断されるやもしれぬ」


「だな。キツイ言い方かもしれねえが、それが世間ってもんだぜぇ?」


「う、ううぅ……」


 マリーの瞳から再び涙が溢れ出す。


「でもよ?だとしたらそのアンちゃんは、これから一生鳴りを潜めて生きてかなきゃなんねーのかぁ?」


「いいや、そうではない」


 シストはナダイの見解をきっぱりと否定した。


「もともと彼が大国の国家権力から身を隠す必要なぞ、どこにもないのだよ」


「ああ?」


「むしろ儂が恐れておるのは……天君にちょっかいを出した国々が、彼自身の手によって滅ぼされるやも知れぬということだ」


「お、おいおい。随分と物騒な物言いじゃねえかよぉ」


「これは事実だ」


 訝しげに眉をひそめるナダイに、シストはバックミラー越し強い口調で言った。


「そしてなにより、そういった事情で天君が儂等人型を見限ってしまわないか……儂はそれが心配でならないのだよ」


「おいおい、旦那」


「これは決して大袈裟な話ではない」


 シストは断言する。


「ナダイ。儂がなにゆえ彼が立ち上げたチームを『零支部』と命名したか分かるかね?」


「ああ? あの支部の名前に、何かしらの意味があったのかよぉ?」


 いきなりのシストからの問いかけに、ナダイはつい素っ頓狂な声を出して訊き返してしまった。


「名は体を表す」


 シストはバックミラー越しに鋭い眼光をナダイに飛ばす。


「彼の神懸かり的な強さの前では、魔力をはじめとした様々な力の干渉が等しく無力。故に『(ゼロ)』と名付けさせてもらった」


「……旦那のその口ぶり、どうやら冗談で言ってるわけじゃねぇみたいだな」


「然り!」


 シストは言った。そこには一切の迷いもなかった。


「これは国家権力、軍事勢力なども無論例外ではない。もし仮に天君がその気になれば、個人の力で『五大国家』を相手取り、それらすべてを無力化することも容易いのだよ」


「なっ……!」


【五大国家】


 世界五大勢力と呼ばれる国際機関の舵取り役を担う五カ国の政治組織。五大国家と称されるそれらの国は『ソシスト共和国』を中央に置き、東の『エクス帝国』、西の『ミザリィス皇国』、 北の『ラビットロード』、そして、南の『ナスガルド王国』と呼ばれる五つの大国。


 それぞれが――


 ――『冒険士協会(ソシスト)

 ――『帝国軍(エクス)

 ――『法十字教会(ミザリィス)

 ――『世界警察(ラビットロード)

 ――『聖騎士団(ナスガルド)


 といった五つの勢力になっている。


 ちなみに法十字教会は、エイン派とヨウダン派の二つの派閥にわかれており、少し前までは元々のトップであったウダナ法国の法王ヨウダンが率いる『平等派』が大半だった。しかし、五年前にエインがミザリィス皇国の女皇帝に即位してからというもの、立場は一変した。今ではエイン率いる『魔力特進派』が圧倒的な支持を得ており、表向きの教皇は信仰の英雄であるヨウダンのままだが、事実上のトップは、魔法術の英雄エインとミザリィス皇国だというのが各国の要人の間では一般常識であった。


「ナダイ、もう一度言わせてもらう!」


 五大国家の一つ、ソシストの王は言う。


「これは厳命だ。破れば我々人型がかつてない窮地に立たされるやも知れぬと、これをしかと肝に銘じておくのだよ」


「っ……」


 ごくりと喉を鳴らす音が運転席から聞こえてきた。鬼気迫るシストの迫力と途方もないその話の内容に、ナダイは言葉を失った。


「……天君」


 悔いるようにその名を口ずさむシスト。建前上、ナダイにはこのような脅し文句で口止めをしているが、シストも真意はマリーと同様に、恩人であり大切な友人である花村天の立場を、ただただ守りたい一心なのだ。


「うう、ううぅ……天さん……」


 シストがナダイと壮大な議論を繰り広げている傍ら、マリーは嗚咽を漏らしながら今朝の天との会話を思い出していた。


『――以上が、そいつに対する対処法、というより俺からその馬鹿への伝言みたいなものですね』


『……』


『あの、マリーさん?』


『確かに拝聴させていただきましたわ……』


『?それならいいんですが』


『……』


『かなり長たらしい言伝になってしまってすみません。もしあれでしたら、確認のためにもう一度最初から復唱しましょうか?』


『大丈夫ですわ……伝言の内容の方はしっかりと頭に入れました。私、これでも記憶力にはそれなりの自信があるので……』


『なら良かった。では俺はこれで』


『天さん。お待ちになってください!』


『ど、どうかしましたか?」


『すみません、大声を出してしまって……あの、本当によろしいのですか? 天さんが今おっしゃられた事を、そのままその人に伝えてしまっても⁉︎』


『ああ、そういう事ですか』


『今のメッセージの内容だと、その……もし私や会長がその場で助かったとしても、その人の望み次第では、天さんのこれからの人生を縛ってしまうことにはなりませんか⁉︎』


『気にしないでください、マリーさん。そいつの望みはハナから決まっている。俺もそれを十分承知していますので』


『ううん! もしかすると、その事で天さんの尊厳まで蔑ろにされてしまうことだってあり得るわ!』


『マリーさんは優しいですね……けど、本当に気にする必要はありません。てか、本音を言えば気にしないでほしい』


『天さん!』


『俺のことは一切考慮しなくていい。その馬鹿とおっさんが対峙すれば、マリーさんはともかくおっさんは多分殺される。それが何を意味するか、大統領の秘書官を務める貴女なら理解できるはずだ』


『それは……』


『もしもそいつと遭遇してしまったら、自分達が生き延びることだけを考えてほしい。それが、なによりも俺が望むことだと思ってほしい』


『天さん……。わかりましたわ……』


 あの時から、マリーの胸には言い知れぬ不安感があった。


「ぅう、ううぅぅ……」


 マリーは大粒の涙を流す。不安の正体がわかってしまった。気付いてしまった。全てが繋がってしまった。


「儂はなんという愚か者なのだ……」


 咽び泣くマリーを視界の端に捉え、シストもまた、彼女と同じく天の言葉を思い出していた。


『信じてくれ‼︎』


 シストは思わず歯を噛み締める。彼は全てを理解した上で、それでも自分達に話してくれたのだ。


『俺がおっさんやマリーさん、カイトにアクやリナ達へ牙を向けるようなことは、決してあり得ない‼︎』


 事が公になれば、人々から非難の目を向けられるかもしれない。それでも、大国の王であり、冒険士協会の長である自分にその事を教えてくれたのだと。


 ――なぜ用心深いはずの彼が、国の要人であるシストやマリーにそれを教えてくれたのか?


 そんなことは決まっている。シスト達に死なれたくないから、友人に生きていてほしいからに決まっている。


「すまない天君……すべては浅はかだったこの儂の責任なのだよ」


「ううぅ、ごめんなさい……。ごめんなさい天さん……」


 男の強く握りしめた拳からは血が滲んでいた。女の涙に濡れた袖は重い湿り気を帯びていた。シストとマリーは悟った。自分達は引き金を引いてしまったのだ。大切な友を、想い人を、肉親同士で殺し合う修羅道へと誘ってしまったのだ。


「……ちくしょうっ」


 そして。


『メンタルがありんこ並みじゃ食べても美味しくないからね』


 ここにもまた一人、胸の奥に楔を刺された男がいた。


「ちくしょう……!」


 ナダイは強くアクセルを踏みつけ、苦悶の表情で唇を噛んだ。


「ムニャムニャ……りょう!きょうはすきやきらろ!……ムニャ」


 そんな中。ほとんど最初から最後まで眠っていた助手席の中村だけが、幸せそうな寝息を立てて家路につくのであった。



 ◇◇◇



 同時刻。ランド王国・国境の山岳地帯。


 おおよそ人が足を踏み入れるような土地ではない山奥の樹海。生い茂る草木と土の匂いが嗅覚を刺激する森林地。


「…………」


 そんな緑豊かな大自然の中、一人の青年が不意に天を見上げ、どこか遠くを見るように木々の隙間から澄んだ青空を眺める。


「……この感じは」


「どうかしたのですか、天兄?」


 急に立ち止まって、じっと空を仰いだまま動かない彼を不思議に思ったのだろう。天のすぐ側にいた犬耳の娘が、きょとんとした顔で彼に声をかける。


「ん、いや、なに、案外早くに会えそうだなと思ってな」


「?」


 天のその回答に、彼女はいまいちよく分からないといった表情で小首を傾げる。


「会える?」


「悪い悪い。こっちの話だから気にするなリナ」


 軽く手を振り、天は大したことじゃないよとリナの方に顔を戻した。


「それより今は、俺達は俺達なりの役目を果たそう」


「合点承知なのです!」


 リナは勢いよく敬礼して、天のその言葉に応じる。この場合間違いなく油を売っていたのは天の方なのだが、その事について一言も突っ込まないリナは、実に素直でいい娘だ。


「それで、次はどいつをヤるのですか?」


「前方約700メートル先、茂みの奥にいる奴だ。魔物のランクはおそらくD」


「了解なのです!」


 現在、天とリナはツーマンセルでこの広大な山岳地帯を縦横無尽に駆け回っていた。


 

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