第56話 一等星使徒
紺色のタイトスカートにスーツ姿。品の良い落ち着いたデザインの眼鏡をかけたエルフの女性が、その大人びた見た目の印象に反して、可愛らしく地べたに尻餅をつき、長い耳をヘナヘナとしおれさせて深く息を吐いた。
「良かったぁぁ……」
思わず安堵のため息を漏らすマリー。見れば彼女の側にいる偉丈夫二人も、同じようにホッとした表情を浮かべていた。
「……如何やら、助かったようだね」
「マジで寿命が三年は縮んだぜぇ……」
「私……今ので腰が抜けてしまって、しばらくは動けそうにありませんわ」
マリーの決死の覚悟と天の機転が功を奏し、辛くもSランクの脅威を退けたシスト達三人。彼等は皆、肩を落として安堵感と疲労感が混ざり合った様な表情を浮かべていた。
「でもさ、ちょっとビックリかも? 」
そんな中、戦は意外そうな顔をして、地面にへたり込んでいるマリーのことをジッと見つめていた。
「自分のこと以外はほとんど無関心だったあの天天がさ?あろうことか僕の情報まで流して他人のためにそこまでするなんてね〜♪よっぽどお姉さんのことを大切に思っているのかな?キャハハッ♪ 」
「へ?……え?えぇぇええ‼︎⁉︎ 」
思わぬ戦からのコメントに、顔を真っ赤に蒸気させて慌てふためくマリー。
「キャハハハ!お姉さんわかりやすいね♪これは天天にも春が来たかな?キャハハハハッ♪ 」
「いえ、あの、そのですね……」
自分が置かれている今の状況など完全に蚊帳の外。マリーはより一層に顔色をのぼせさせ、顔から火がでる思いで俯いてしまう。
「マリー嬢。こんなこと俺が言えた義理じゃねえがよぉ。奴さんの気が変わらねぇうちに、とっととこっから消えねぇかぁ? 」
「うむ。中村君のことも気がかりだ。ここは、早々に退散するが吉なのだよ」
「あー、酷いなぁ!僕はこう見えて堅気には優しいんだよ?約束も守るほうだからもっと信じてくれて大丈夫だって!ねっ?キャハハハッ♪ 」
「……それならいいのだがね」
「早いとこ、こっからずらかりてぇ…」
『少しも安心できない』……男二人のその表情からは、そういった心証が容易に見てとれた。
「あ、でも確かに、早くここから消えたほうがいいかも!実を言うとさ?僕ここでアイツの部下と待ち合わせしてたんだよね〜」
「なっ!それはまさか! 」
「あいつの部下だぁ? 」
意味深な戦のセリフに、何かを察したように身構えるシストと、訝しげに眉をひそめるナダイ。
「待て‼︎ 」
だがシストとナダイの毛色の違う疑問とは関係なく。答えは早々に向こうからやって来た。
「貴様ら全員、この場より一歩も動くなっ‼︎ 」
突然、周囲に咲き乱れる花の園から、殺気だった男の怒鳴り声が放たれる。
「あ〜あ、出てきちゃったよめんどいのが」
戦はその者を一瞥すると、ため息をつきながら面倒くさそうに頭をかいた。
「先ほどから見ておればなんと生温いのだ‼︎その上、全員を見逃すだと!貴公は其奴らが何者か承知の上で、そのような世迷い言を吐いておるのかっ⁉︎ 」
「あちゃ〜、やっぱ近くでコソコソ覗き見てたんだねキミ? 」
何処から現れたのか。時計台の周りを囲む庭園から、濡羽色のマントと黒い鎧に身を包んだ漆黒の騎士が出現した。
「これはもしかして、ちょっとした修羅場ってやつなのかな?キャハハハ♪ 」
突如現れたその者の方へとゆっくり体を向き直し、戦はわざとらしく額に手を当てて困った顔をして見せる。
「それにしてもさ。何なのキミのその衣装?季節外れの仮装パーティーでも開くきなのかなカラスマント君♪キャハハハハッ! 」
「……一つ訊ねるが『カラスマント』とは私のことを言っているのか? 」
「他にいないじゃん」
ドスの効いた声音であからさまな不快感を示す黒騎士に対し、飄々とした態度で即答する戦。
「あとさ、そこ花壇だよ?キミも大人ならちゃんとに歩道を歩きなよね〜」
「貴公はこの私を舐めているのか‼︎ 」
「べっつにぃ〜、そんなつもりはないよ〜」
例によって、シスト達に接していた以上に人を食ったような態度を取り、現れた闇の使者に挑発の限りを尽くす戦。
「ただキミって見た目がまんま怪人なんだからさ♪それっぽく振る舞えば振る舞うほど、単なる色物にしか見えないっていう僕からのありがたいアドバイス♪おわかりかなカラスマント君?キャハハハハ♪ 」
「なな、なんだとぉおお‼︎‼︎ 」
戦の挑発を受け、黒騎士は完全にペースを乱されていた。
「……何ボサッとしてんの……」
不意に、霞んだ音声のメッセージ通信がシスト達三人の耳に入ってくる。
「……今の状況、見てわかんない……」
人を食ったようなおちゃらけた表情はそのままに、向ける視線は黒騎士に固定した姿勢で、戦はすぐ側で惚けている冒険士達にボソりと声をかけていた。
「……僕がアレの注意を引いてる内に、おじさんたちは早くこっから消えなよ……」
戦は小声でそう呟き、周りにいるシスト達に行動を促す。
「「「……っ」」」
いきなりの急展開に思考が停止していたシストとマリーとナダイが、その助言によって再起動する。
「っ……」
「……っ……」
無言で目配せして合図を送り、真剣な面持ちで頷き合うシストとナダイ。
「……マリーは儂が肩を貸そう……」
「……俺はあっちで気絶してるお騒がせ野郎を運ぶぜぇ……」
二人はか細いささやき声でそれぞれの役割分担を決めると、すぐさま戦の指示通りこの場所から離れるための行動に移る。
「も、申し訳ありません大統領」
「なに、気にすることはない。今回は君の勇気と天君の配慮に救われた。せめてコレぐらいはさせてほしいのだよ」
そう言って、シストがマリーを肩組して起き上がらせようとしたその時だ。
「魔争災技 《業焔》」
ドシュンッ‼︎っという破裂音とともに、シスト達が乗ってきた動力車の真横のアスファルトに、赤黒い火の玉が飛来した。
「全員動くなと言ったはずだ」
「……今のは僕への敵対行動と見做してもいいのかな?カラスマントの怪人君」
その直後、戦と黒騎士の表情から軽みが取り除かれた。
「かまわぬ。どのみち、裏切り者は粛清対象として処理するつもりだったからな」
「ハァ……この前の奴もなんだけどさ。キミたちなんか勘違いしてない?別に、僕はキミらの仲間ってわけじゃないんだよね〜」
「フン、とうとう本性をあらわしたか」
「本性もなにも最初からそうなんだよ。僕は傭兵で、雇い主はキミらのご主人の 『シナット』なのは確かなんだけどさ。だからってアイツの部下であるキミとも馴れ合う義理はないんだよ。おわかりかな? 」
「ぶ、無礼者ぉお‼︎シナット様と呼べぇええ‼︎ 」
「でね。シナットは僕に『我を愉しませろ』って依頼したんだ」
激昂する黒騎士など歯牙にもかけず、戦はその事に関する契約内容を黙々と話し続ける。
「アイツとの契約の中には、君達と協力しろとか、部下の手助けをしろなんてのは一ミリも含まれてないんだよ。だから裏切るもなにもないの。わかってくれたかなカラスマント君?」
「ききき、き、きさまぁああああ‼︎‼︎ 」
当然、戦のその態度は黒騎士にとっては火に油である。
「許さんぞ‼︎我が至高の御身を侮辱するとは‼︎ 」
浮き出た血管が切れるのではないかというほどの剣幕で、腰に携えた黒剣を抜く黒騎士。
「別に呼び捨てにしたからってイコール侮辱にはならないと思うんだけど?あ〜〜これだから嫌なんだよねぇ。妄執者ってさ」
「きさまは……貴様は絶対に許さぁああん‼︎‼︎ 」
もはや戦に対する二人称も『貴公』から『貴様』に呼び変え、黒騎士は完全に戦へ敵意をむき出しにする。
「此処でこのシナット様が眷属 『一等星使徒』の “ヴェリウス“ が、そこにいる冒険士の長ともども冥府へと送ってくれるわっ‼︎ 」
「なっ!一等星使徒だと‼︎ 」
ヴェリウスの口上に激しく動揺したのは、マリーと肩組をしたまま中腰の姿勢で固まっていたシストだった。
「へぇ〜〜、思ったとおりおじさんは大物だったんだね♪ 」
なお戦はといえば、ヴェリウスの事にはまるで興味を示さず、シストの素性の方に関心を寄せていた。
「旦那は何か知ってんのかよぉ。その一等星使徒?ってぇのは、一体なんなんだぁ?」
とりあえず戦のことは気にしない方向で考えをまとめたのだろう。絶賛気絶中の中村を背に守るように立っていたナダイが、シストにその事を訊ねた。
「正しく言えば儂も詳しいことまではわからん。なにせ、これまでの人型の歴史の中で確認された奴等の等級が、最も高位の者で『準一等星』までなのだよ」
「それではあの者は!」
シストが言わんとしたいことを察したらしく。彼に肩を借りていたマリーが顔を強張らせた。
「うむ。未だ儂を含め、各国の王や英雄すら知り得ぬ争いの信者の上位種。常闇の深奥に住まう異業の者なのだよ」
「ククク……ハ〜ハッハッ!流石に貴様なら、私がどれほど貴様等 堕人の歴史に影響をもたらす存在なのかがわかるらしいな?冒険士協会会長、光大聖シスト‼︎ 」
よほど自分のことを理解してもらえたのが嬉しかったのか。高笑いをして喜ぶヴェリウス。
「おいおい、なんで今日に限ってこんな得体の知れねぇ化物ばっかと鉢合わせになんだよぉ」
「ちょっと〜〜!僕みたいなプリティ傭兵と、あんな色物を一緒にしないでくれないかな〜」
殺伐とした空気が辺りを包み込む中、相変わらず戦だけはマイペースな振る舞いを見せていた。
「なぁ旦那。ちなみにその準一等星使徒って野郎は……」
「もうこの世にはおらんよ。ある冒険士達の手によって、二年前に討伐されておる」
「そ、そうでしたか」
ナダイの懸念を払拭するようなシストの言葉に、訊ねたナダイ本人は勿論のこと、それを間近で聞いていたマリーも安堵の表情を浮かべた。
「だがね。かの使徒は、我々の側にも甚大なる傷痕を残していったのだよ……」
然し、事の真相を知るシストだけが、手放しには喜べないといった悲痛な雰囲気を醸し出していた。
「ナダイ、マリー……二人は『夜花』という冒険士チームを知っておるかね?」
「ああ、そのチームなら名前だけは聞いたことがあるぜぇ」
「私も、人並み程度のことでしたら存じております」
そのシストの言葉に、ナダイとマリーは同時に相槌を打った。
「確か、シャロンヌさん自らがスカウトした選りすぐりの高ランク冒険士のみで組織された冒険士チーム。白兵戦と魔攻戦の両方に優れたプロフェッショナルチームだったと記憶していますわ」
「だな。ただ結成されてから一年足らずで解散しちまったらしいじゃねぇかよぉ」
「はい。協会本部の名簿では、三年ほど前に組織されてから活動期間はわずか十一ヶ月と短期間ですね」
「聞いた話じゃ、大半の奴がリーダーのシャロンヌと考え方が合わなかったとかなんとかよ?」
「私は他の冒険士チームとあまりにも戦力が偏ってしまうので、協会本部の上役の方々が解散を命じたと聞き及びましたわ」
「表向きはそのように表記されておる……」
シストが重苦しい様子でそう切り出すと、ナダイとマリーは瞬時に目を見開いて戦慄する。
「マジかよ旦那……」
「まさかっ!」
察しの良い二人はすぐに辿り着いた。シストが今、自分達に伝えようとしている真実……二年前、ハイクラス冒険士チームである『夜花』に起こった悲劇を。
「正確には『夜花』は解散したのではなく壊滅した……させられたのだよ。その準一等星使徒と名乗った女にな」
息を呑むナダイとマリーを見やり、沈痛な面持ちで当時を振り返るように事の真相を語るシスト。
「当時、すでにSランクの冒険士であったシャロンヌを筆頭に、構成された冒険士のランクは皆がB以上、人数は十を超える『夜花』の精鋭達が、一夜のうちにリーダーのシャロンヌともう一名を除いて、たった一人の邪教徒に全滅させられたのだよ」
「……信じられませんわ。私の記憶が正しければ、『夜花』に所属していた冒険士の面々は、全員が名実ともに誰もが認める一流の冒険士達ばかりだったはずです! 」
「そいつらが一晩でほぼ全滅かよぉ……しかもそれをやったのが女一人だぁ?そりゃあ、冗談にしても笑えねぇぜぇ……」
「残念ながらすべて事実だ」
重々しく瞼を閉じ、首を横に振るシスト。
「この事を知る者は、儂や当事者のシャロンヌ、レオスやルキナ姐などほんの一部の協会関係者だけだがね」
「まぁ、そんな現実を知らされた日にゃ、いやでも冒険士全体の士気が下がっちまうからな。俺にも黙ってたのはいただけねぇがよぉ」
不満気に口を尖らせるナダイを余所に、シストはヴェリウスの方へと頭を巡らせた。
「儂らはその頃より危惧していたのだよ。近い将来、我々人型の世にそれを凌ぐ脅威が訪れるやもしれぬと……」
「なるほどねぇ〜。普通に考えれば『準一等』や『二等』なんてのがいれば、当然その上が存在するのが物の道理だよね。で、それがキミってわけなんだカラスマント君」
「我が名はヴェリウスだっ‼︎ 」
多少はヴェリウスに興味を持ったようだが、それでもあくまでふざけた態度は突き通す戦。
「……まあいい。そこにいる憎き英雄王が言うように、私は貴様らの遥か上に位置する上位存在だ。本来なら貴様ら程度が謁見することも叶わんほどのな‼︎ 」
「うわ〜、でたよ俺様系」
真横を向き、戦は皮肉っぽく唇を尖らせた。
「小物臭がプンプンしてくるんですけどコイツ。どう見てもこっちのおじさんの方が貫禄があるよね絶対」
「……二年前、それを打倒したシャロンヌの話なのだがね」
一方その傍らで、シストはまだ途中までしか話していない重要な事柄について、追加報告をする。
「彼女 曰く、その女は『ドラゴンに匹敵する力量』だったそうだ」
「……驚かねぇよ。ハイランカーが大半の冒険士チームをたった一人で壊滅させてんだ。そりゃディザスタークラスのモンスターとタメ張るぜぇ」
「では、あの男はそれ以上の実力を秘めているということになりますわね」
「その可能性は極めて高いのだよ」
シスト達が会話のやり取り通じて警戒心を強める中、戦だけがつまらなそうな顔をして、
「う〜〜ん。キミって本当にそんなに凄いキャラなの? 」
「……なんだと」
「確かにこの前に会った奴よりはいくらかマシだと思うけどさ。それでも僕の見立てだと、フレイムなんとかっていう赤髪のお姉ちゃんとどっこいどっこいってとこかな? 」
「貴様、何を言って……」
「はっきり言っちゃうけどさ。キミからは旨みが大して感じられないんだよね」
「だから、先ほどから貴様は何を訳の分からんことを言っている‼︎ 」
「いやさ?ここにいる銀髪のおじさんや褐色のお兄さんからは、それなりに美味しそうな匂いがしたんだよ」
男からの苦情など一切取り合わず、戦はただ品定めをするような視線でヴェリウスを見ていた。
「だけどキミからは、そういった空気がまるっきり漂ってこないってゆ〜か〜」
「……ククク、成る程そういうことか……」
どういうわけか、激昂していたはずのヴェリウスの様子が急に一変し、含み笑いをして低い声で囁いた。
「どうやら貴様は正気ではないらしい。さればこそ、敵味方の区別すらつかんのだ。シナット様もお戯れがすぎる……このような猿を飼うなどと」
「……はぁ?」
刹那、春の陽気とはまるで異なる凍てついた冷気が、ライナルの時計台全域を覆い尽くす。
「お前……ウザいな」
先刻シスト達に向けたソレよりも、さらに凶々しく明確な殺意が、戦の全身から迸る。
「ヒィッ……むぐぅっ!」
至近距離でもろに戦の凶悪な殺気に晒されたマリーは、反射的に悲鳴を上げてしまいそうになるが、
「むぅ、むむぐっ」
その行為は、シストがマリーの口を半ば強引にふさぐ形で中断させる。
「…………」
何も声を出さず、ただ黙ってマリーの目を見ながら頭を振るシスト。
「やっぱりおじさんは賢いよ。戦場の作法を心得てる」
狂気的な笑みを浮かべながら、戦はシストの一連の行動を称賛する。
「ここでの僕の心証を害するような行動は極力避けるべきだって、おじさんはちゃんとに頭でわかってる。口約束はしたけど、僕が絶対におじさんたちの敵に回らないなんて保証はどこにもないからね」
戦は話しながら目の端で一瞬だけシストに視線を向けた後、冷えきった眼差しで眼前の男を眺める。
「それにくらべてあの色物は……」
「頭の悪い貴様に最後の機会をやろう!!今すぐ私の前に跪いて許しを乞うなら、軽い刑罰で済ませてやらぬこともない」
一方で、ヴェリウスは勝ち誇ったように口元を醜悪に歪めていた。
「もっとも、貴様の背後にいる冒険士どもは、いくら命乞いしようとこの場から生きて帰すつもりは毛頭ないがな。ハッハッハッハ‼︎ 」
「冗談は格好だけにしてくんない?実力差もわからない小物の分際でなに勘違いしてんのさ。いいから早くかかってきなよカラスマント」
「……交渉決裂のようだな」
ヴェリウスは濡羽色のマントをひるがえし、左手を頭上に掲げた。
「この、先日完成したばかりの魔争機 『アバド』の力を、貴様らで試させてもらおう‼︎ 」
高々と掲げたられたヴェリウスの左手には、『ドバイザー』によく似た暗黒色の端末が握られていた。
「どうでもいいんだけどさ。剣抜いといて最初にとる攻撃手段がソレってどうなの? 」
「黙れ!今すぐその減らず口を聞けなくしてくれるわ‼︎ 」
気づけば、ヴェリウスの体からドス黒い魔力が溢れ出し、彼の頭上の空へとみるみるうちに立ち込めていく。
「愚か者どもめ、一片残らず灰になれ!魔争災技 《獄炎魔弾》 」
その合図と同時に、上空に集まった黒い魔力は一個の巨大な黒炎の球体へと形成し、隕石のように戦とその後ろにいるシスト達めがけて降り注ぐ。
「なんて大きさなの……」
思わず呻き声をもらすマリー。だがそれも無理はなかった。なにせその黒い炎の塊は、先にヴェリウスが威嚇で放ったそれとは、比べ物にならないほどの質量を持っていたのだから。
「マリー!伏せなさい‼︎ 」
「チィ!ありゃヤベェ‼︎ 」
咄嗟に、シストはマリー、ナダイは中村を庇うよに身構えた。
「さっきから力を溜めて何かを狙ってたのはわかってたけど……正直キミにはがっかりだよほんと」
唯一、戦だけが退屈そうな様子でその隕石のような火球を眺め、一つため息をついてから手を前に出した。
「シナットから聞いてないの?僕には魔力絡みの攻撃は全部NG、無効だってことをさ」
そのことを告げ終えるタイミングで、人間大の火球が戦の手のひらに触れた途端、パシュンっとシャボン玉のように呆気なく消え去ってしまった。
「な、なにぃい‼︎⁉︎ 」
「ね、これでわかったでしょ?キミのその魔争なんちゃらなんて、僕にとっては線香花火よりショボい火遊びなんだよ」
戦は獄炎魔弾をかき消した手をわざとらしくプラプラさせながら、驚愕するヴェリウスを嘲笑うような口調で、
「ま、よしんば今のキミの技が僕に効いたとしても。あんなカメみたいな攻撃、僕がくらうわけないんだけどさ?キャハハハハッ! 」
「そんな、そんなバカなことが……」
今し方まで余裕のある態度を崩さなかったヴェリウスが、一瞬にしてその顔を絶望の色で染める。
「……やはり天君の推測は正しかったようだね」
「はい……。アレは天さんと同じ『魔法無効体質』に間違いありませんわ……」
事前にその可能性を視野に入れていたシストとマリーは、複雑な感情が交差した表情を見せて押し黙ってしまう。成り行き上、今は自分達に味方してくれてはいるが、所詮この少女は敵側の人型であることに変わりはない。それ故に、言い知れぬ不安感が二人の心を支配していた。
「そっか……僕が何でキミに魅力を感じないのか、なんとなくわかった気がするよ」
片や、完全に場を掌握した戦は、狼狽するヴェリウスを眺めながら何かを納得したように呟いた。
「キミの強さはここにいるおじさんたちみたいな膨大な実戦経験からくるものじゃない。シナットの気紛れでもらっただけのまやかしの力。言わばメッキや張りぼてのような、見せかけのものなんだね」
「なな、なんだとぉ‼︎ 」
「普通ならね、超一流の兵士は越えた死線の数やくぐり抜けた修羅場の場数に裏付けられた強靭な肉体、純粋な強さがあるものなんだけど、キミにはそういったバックボーンがまったく無い」
まるで出来の悪い部下に戦力外通告を言い渡すかのように、戦は感情のない表情で淡々と告げる。
「こ、このヴェリウスをっ、シナット様直属の使徒である私を蔑む気かぁあ‼︎ 」
「それはさっきまでの話。もうキミを挑発する気にもならないよ。だって、キミを見ているとあまりにも憐れでならないから」
「な、な、なっ、なな、なぁああっ‼︎‼︎ 」
声にならない叫び声を上げるヴェリウス。彼の心中はプライドを傷つけられたなどと生温いものではない。己の尊厳すら否定されたかの如く。男の憤怒は頂点に達していた。
「だから、キミには最後のチャンスをあげるよ」
されど、戦にとっては、ヴェリウスのそんな感情の起伏など蛙の面に水。彼は冷笑を浮かべて、たった今ヴェリウスが用いた台詞をそっくりそのまま本人に返した。
「今すぐ僕の前から消えれば、さっきの僕への暴言は聞かなかったことにしてあげる」
先程までとは違い、戦はまったく遊びのない喋り口調で闇の使者に最後の警告を促す。
「特別だよ?僕が今、上機嫌なことにくわえてキミが戦闘のど素人じゃなかったら、最低でもキミのこと半殺しにしてるところだからね?普段の僕ならさ」
「こ……この私をなめるのも大概にしろぉおおおお‼︎‼︎ 」
だが言わずもがな、今のこの男の精神状態でそれを素直に聞き入れるわけもなく。
「例え魔力が通じぬとも、それなら剣で仕留めればいいだけの話‼︎所詮は丸腰の猿一匹だっ‼︎この一等星使徒であるヴェリウスの敵ではっ……」
「あっそ……ならもう、キミは死んでいいよ」
ーー『死』 その生命の終わりを告げる言語を戦が唱えた次の瞬間、まるで世界の時間が壊れたかのように、あたり一面の音という音が消失して、この地に無音の世界が訪れた。
「あ……」
この時マリーだけが、刹那の時の中で自然とあることを思い出していた。
『あの時と同じ感覚だ』
それはちょうど十日前、天がリザードキングを討伐した折に体験した。リナ曰く『臨死体験』……人がその生涯を終える際に体感するという走馬灯に近い感覚であった。
「敵ではっ……な…………ふぇ……ぇ?」
「バイバイ……」
直後、マリーの耳にズボッという鈍く薄気味悪い音が響いた。同時に、辺りの空間へ徐々に他の音も戻ってくる。
「いつ……のま……に……。ガ、ガフッ……」
花の園に咲き乱れていた白いコスモスが、真っ赤な血の色に染まる。
「あ……ああ、ああぁ」
「なんという……」
今度はシストも、マリーの口をふさぐことも忘れて、彼女とともにただただ目の前の鮮烈な光景に意識を奪われていた。
「こんな……バカ……な。わたしは……いっとう……せい……し……と……」
「……ごめんねカラスマント君。あのおじさんたちにはここで死なれちゃ困るんだよ。あの三人には、生きて天天に伝えてもらわなくちゃいけないことがあるんだ……」
そこには、戦の手刀により胸の中心部を貫かれ、大量の血を口から流すヴェリウスの姿があった。
「それにさ?万が一ここでキミがあの三人を殺して、その事を僕の所為にされちゃったら、僕は天天に一生避けられちゃうかもしれない。それは僕にとって、死ぬよりもずっと恐ろしいことなんだよ」
「…………」
ヴェリウスからの応答はない。どうやら、もう男はこの世にはいないようだ。
「キミが悪いんだよ?全部を茶番にして引き返すチャンスを、あんなに沢山あげてたのにさ」
もし最初の時点でシストたちの逃亡が成功していたら。もし初見で戦の力量を見抜いていたら。もし切り札が通用しなかった時に引いていたら。もし戦の最終警告を聞いていたら。ヴェリウスはきっと死なずに済んでいただろう。
「僕はね、君達と人との戦争なんて、どっちが勝ってもどっちが負けても正直どうでもいいんだよ。もっと言っちゃえばね、この世界がどうなろうと僕の知ったことじゃない」
既に事切れている亡骸を肩に担ぎ上げ、戦はゆっくりと歩き出した。
「……考えが甘かったのだよ……」
「……無理ですわ……」
戦のそんな後ろ姿を見て、絞り出すように声を出すシストとマリー。二人は思っていた。確かに問題はある。が、この天真爛漫な人懐っこい性格の少女なら、もしかすると説得次第で人型側に引き入れることができるのではないかと。
「僕は天天と思いっきり遊べさえすれば、他には何もいらないんだ……」
この者が見ているのはただ一人の人間だけ、この者が心から熱望するのは、たった一人の男だけなのだと。そして少女の望みが何を意味するのかを、シストとマリーは本能的に気づいていた。
「「……」」
二人が呆然と、去りゆく戦の背中を眺めていると、アスファルトが擦れる振動と共に、ブゥウウウン!っという動力車のエンジン音が鳴る。
「旦那!マリー嬢!早いとこ動力車に乗り込めぇ‼︎ 」
シルバーカラーの動力車がいきなりシストとマリーのすぐ真横に停車したかと思えば、つい先程から姿が見えなかったナダイが、動力車の運転席の窓から顔を出して立ち尽くしている二人を大声で呼び込む。
「スゥ……スゥ……ムニャムニャ……zzZZ」
尚、地面にうつ伏せで気絶していたはずの中村は、いつの間にかナダイに運ばれていたらしく。動力車の助手席で呑気に寝息を立てていた。
「マリー……」
「……はい。大統領」
ナダイに呼ばれてから数瞬の間を置き、二人は軽く声を掛け合いながら、動力車の後席のドアへと手をかける。
「まって‼︎ 」
その時だ。後部座席のドアを開け、今まさに動力車へ乗り込もうとしていたシストとマリーを、呼び止める声がした。
「そういえばさ、僕の方からもおじさんとお姉さんに天天宛の伝言を頼みたかったんだ! 」
無論、その声の主など一人しかいない。
「僕としたことがうっかり忘れちゃってたよ!キャハハハ♪ 」
自分が手にかけた邪教徒の亡骸を担いだまま、戦はすっかり元の明るい若者に戻っていた。彼は自身の頬についた返り血を拭おうともせず、無邪気な笑顔をシストとマリーに向けて、
「近いうちに “花村戦“ が逢いにいくって、天天にそう伝えておいて‼︎……キャハッ、キャハハハハハハハハハハハ♪ 」
それだけを言い終えると、血の匂いを纏いし大戦鬼は、甲高い笑い声を上げて美しい花園の奧へと消えていった。




