第55話 取引
「ねぇねぇ〜、銀髪のおじさんと褐色のお兄さぁ〜ん♪僕と楽しいことしようよ〜♪ 」
それは何とも異様な光景であった。
「キャハハハハッ♪」
着ている衣服は男物とも言えなくもないが、パッと見た限りではどう見ても美少女にしか見えない戦。
「二人ともそそるフォルムだし。かなり耐久力もありそうだからいっぺんに僕の相手してくれない♪そしたらきっと、僕もチョットは満足できるかもだからさ!ね?ねっ!キャハハハ♪ 」
そんな風貌の彼が、嬉々として壮年の男性二人を口説いている。
「「……」」
「あぅぅ……ぅぁ」
一方、アプローチを受けている男性陣は、両名共に苦悶の表情で固まり。彼等の関係者であろう側にいるエルフの女性は、この世の終わりのように顔を真っ青にさせ、今にも気絶してしまうのではというほど体を痙攣させていた。
「ねぇったらぁ、僕と遊ぼうよ〜♪ 」
この場景、事情を知らない第三者の目から見れば、きっと大概の者が如何わしい方向にイメージを膨らませるのかもしれない。が、当事者のシスト他二名からすれば、今現在の状況はそういった野次馬たちが好む痴情とは全く無縁のものである。
「二人とも、お・ね・が・いっ♪キャハハハハハ!」
シストとナダイは息を呑む。
「むぅ……」
「ぐっ……」
歴戦の冒険士二名は、肝を氷漬けにされたような感覚を味わっていた。二人の本能がただひたすらに告げてくる。一度、戦の提案を受け入れようものなら、目の前の化物は問答無用で自分達に襲いかかってくることを。生き残る見込みが限りなくゼロに近い、文字通りの『死地』に追いやられることを。
「……あれほど注意しろと……彼が前以て忠告してくれたというのに……」
シストは死の境界線に立たされながら。今日の早朝に受けた天からの無線通信、
『あいつがおっさんと鉢合わせちまったら、必ずおっさんのことを気に入って殺し合いを迫られる』
その時に言われた彼の言葉を思い出していた。
『絶対、刺激せずにすぐその場から離れてくれ!』
今思えば、アレは天からの虫の知らせだったのかもしれない……
「……儂としたことが……」
『がはははは!心配いらん!儂はこう見えて用心深いのだよ』
シストは猛省していた。何が用心深いだ。マリーの言うことを聞いて直ちにこの場を離れていれば。中村にちゃんと釘を刺しておけば。こんな事にはならなかったのだと。
「……大失態なのだよ……」
『自分は大馬鹿者』だと。シストは凄まじい悔恨の念にかられていた。
「す、すまないね君? 」
たがそこはシスト。すぐさまふんどしを締め直し、天に言われた目の前の脅威から逃れる対処を実行に移す。
「どうやら、儂の連れの者が随分と君に対して失礼をしてしまったようだ」
そう言っていち早く己の金縛りから抜け出し、深々と戦に頭を下げるシスト。
「誠に申し訳なかった。どうか許して欲しい……」
大国の王の建前など御構い無し、権力者のプライドも既にかなぐり捨てた。もはやシストの中には、友や部下達の命を守ることしか頭になかった。
「……このとおりだ!! 」
確固たる覚悟、気高き使命感……そこには紛れもない真の漢の姿があった。
「……ふぅ〜ん」
そのようなシストの態度を見て。戦は一瞬目を丸くした後、不敵に笑んだ。
「おじさんは賢いね。全部を理解した上で、今のこの絶望的な戦況をどうにか打破しようと、なりふり構わず最善の行動をとってる」
今し方までのおちゃらけた態度から一変。戦は目に危険な光を灯して淡々とした口調で喋る。
「それに、おじさんは他とは少し違う匂いがするね。もしかして “シナット“ が言ってた『真理英雄』とか言うやつかな?」
「っ……」
戦にそう指摘され、咄嗟にほんの僅かだけ口元を引きつらせてしまうシスト。
「その反応、ズバリみたいだね?」
当然、戦はその隙を見逃さなかった。
「…………うんっ!」
それから数秒ほど何かを思考する素振りを見せた後、戦は納得したように大きく頷いた。
「キャハハハッ♪今日の僕はツイてるかも!!こんなに早く英雄とかいう奴らに会えるなんてね♪それに、多分おじさんはその中でもかなり上位の方でしょ?僕にはわかっちゃうんだよねぇ〜コレがっ!キャハハハハ♪ 」
「むうぅ」
猟奇的に笑う戦の様子を見て、シストは思わず顔を顰める。
「今の僕への対応も花まるだったし♪僕ますますおじさんのこと気に入っちゃったかも?キャハハッ♪」
「ちょっと〜、君きみぃ〜!」
「……でも、一つだけダメ出しするとしたらアレかもね? 」
そう言って、自分の方に近づいてくる小太りの男へギロリと眼球だけ動かして視線を移す戦。
「君ねぇ〜?さっきから見てれば失礼じゃないかっ!その方々が何方か知っているのかい?」
「ばっ、バカッ!」
今まで身動き一つ出来なかったナダイも、ようやく金縛りの呪縛から解放されたらしく。
「オメェはもう喋んな!こっちにもくんじゃねぇ!」
戦に近寄る中村を透かさず止めにかかるが、
「今いいところなんだよねぇ……だからさ?蟻は邪魔しないでくれない」
冷たい影を形相に落とした戦が、感情のない声でそう囁いた次の瞬間。
「ーー」
つい先刻と同様、戦の姿がフッと音も無くこの場から消えてしまった。そして……
「そこにいる方々はだね!かの有名な…………」
ドサッ!という音とともに、中村がその場で前のめりに崩れ落ちる。
「おやすみ、子豚ちゃん」
もう一度、戦がシスト達の前に姿を現した時には、もう中村はピクリとも動かずに地面に横たわっていた。
「次からはも〜ちょっと自分の近くにおく部下を選んだ方がいいかもね?ま、おじさんに次とかもうないかもだけどっ!キャハハハハ♪」
「中村君!!」
「……だから、言ったじゃねえかよぉ……」
倒れている中村の姿を凝視して、その顔を一層に青ざめさるシストとナダイ。
「あっ、安心していいよ?あの豚ちゃんには話の邪魔にならないよう少し眠ってもらっただけだからね♪ 」
「ぜんっぜん安心できねぇっつんだよぉ……」
戦と地面に倒れている中村を交互に見てから、戦へ疑いの目を向けるナダイ。
「「……」」
反対にシストとマリーは、相変わらず自身の体を強張らせながらも、その事についてだけ言えば多少の安心感があった。
『そいつは堅気には手を出さない』
天から聞かされていた情報を思い出し、二人とも彼の言っていた通りだと熟知していたからだ。
「……ミイラ取りがミイラになるとは、まさにこのことなのだよ……」
「ぁぁ……すみません……。せっかくあなたが……事前に教えてくださったのに……」
だがそれと同時に確信してしまった。今自分達の目の前にいる美少女の人型は、100パーセント天が話していた危険人物に相違ないと。
「疑わなくても大丈夫だって♪僕は基本、堅気は食べないからね?キャハハハッ!」
二人のそんな考えを肯定するように、戦はケラケラと笑いながら気絶している中村を一瞥する。
「でもさ。逆におじさんたちみたいな人種には、まるっきり遠慮とかしないんだよね僕……」
刹那、ゾッとするような凶々しい殺気が目の前の若者から放たれる。
「ヒィイイッ!」
今度こそ本物の悲鳴を上げるマリー。
「あ、うあぁ……」
彼女はそのまま腰を抜かし、両足の間に尻をついてペタンと地に座り込んでしまう。
「うっ、ガァ……ハァガァ、あっ、くっぅ」
すぐ側にいたナダイは腰砕けにこそならなかったものの、やっとの思いで立っているという感じで死の恐怖から過呼吸を引き起こしていた。
「君に一つ……頼みがあるのだがね」
この場でただ一人。シストだけがその禍々しいオーラを受けながらも、流暢な語り口で戦へ話しかける。
「なに?見逃せっていってもダメだよ。もう僕はスイッチ入れちゃったしね」
「そこをなんとかと言っても、如何やら無駄のようだね?」
「キャハッ!わかってるじゃんおじさん!」
「ではそれを踏まえ、改めて君に頼むのだよ。儂が君の相手をする代わりに、他の者達は見逃してはくれまいか……」
「ッ!ばっ、バッ!」
『馬鹿言ってんじゃねぇよ!』とシストのその行動、自己犠牲を食い止める為の台詞。
「ばかいっ、言って……い、いって! 」
シストの隣にいたナダイは、その言葉がすんでの所で出てこなかった。
「ガッ、ハッ……ハァ、ハァ、ハァ……」
何故なら。もしシストが戦わなかった場合、目の前の怪物を相手しなければならないのは確実に自分だから。
「うぁ、あぁあっ……おれは、俺は……」
この化物の生贄となるのは、間違いなく己自身だったから。
「いいよ〜♪ 」
だがナダイのそういった虞も、シストの提案に対する戦の同意という最悪の形で振り払われた。
「ぶっちゃけ、僕もうおじさんにしか興味ないしね。そっちのお兄さんも最初は良さげかとも思ったんだけどさ?メンタルがありんこ並じゃ、食べても美味しくなさそうだしっ」
「うぐっ……」
途端、ナダイの表情が屈辱に染まる。
「約束するよ。おじさんが僕と本気で遊んでくれたら、他の三人には手を出さない」
「感謝するのだよ……」
この時のシストの行動は、大国の王としては0点もいいところだろう。有ろう事か、人並みの部下でしかない秘書と運転手の為、国の大統領がその身を犠牲にするつもりなのだから。
「彼等は輝かしい未来のある若者だ。死ぬにはまだ早過ぎる……」
然し、彼の使命感が。山のように広大な責任感が。数ある選択肢の中からそれを迷わず指し示したのだ。
「その目、ゾクゾクするな……」
シストの覚悟を目の当たりにし、さらに体に纏うオーラを強める戦。
「コッチに来てから今日日、ハズレばっかで期待外れもいいとこだったけどさ?おじさんは大当たりだよ!」
「そうかね。されば、その期待に全力で応えねばならんな?」
「くぅ〜〜っ!最っ高だよおじさん!!」
最早、戦の瞳にはシストしか映ってはいなかった。
「あ、他のはもう消えていいよ?後ろにある車で早くここからいなくなってくれない?このおじさんと遊ぶのに邪魔だから」
「……ナダイ。言われたとおり、動力車でマリーと中村君を連れてこの場からすぐ離れるのだよ」
「ぐぅっ、だぁぁ、だんなぁ……」
シストからそう命じられたナダイは、心から謝罪するような目でシストを見る。
「気にすることはない。儂はもう十二分に生きた。後のことは、燦爛たる光を放つ若者達に任せるのだよ。無論、それはお前も含めてだナダイ……」
「う、うぅ、すまねぇ旦那……」
肩を震わせて咽ぶナダイの背中を、激励するようにバンッ!!と叩くシスト。その後、シストは地面にへたり込んで怯えている自身の秘書へと顔を向けた。
「マリー。儂の軽はずみな行動でこのような事になってしまい。君には申し開きができん……すまなかったね」
「ぁ、あぁ……会……長……」
マリーは悟った。これはシストからの今生の別れの言葉なのだと。
「彼にも……約束を守れなんですまないと、伝えておいて欲しいのだよ」
「……あっ……」
この時、マリーは極限状態の中。今朝方、天に言われたある伝言を思い出した。
『マリーさん。最後に一つだけ、その危険人物に対するとっておきの対処法を教えます』
それは、天がシストとの無線通信を終えた後、マリーのドバイザーにテスト通信をした時に、二人が交わした会話でのことだ。
『もし万が一にもそいつと遭遇してしまって。どうしても逃げられない状況に陥ってしまったら。あなたの目の前にいる馬鹿にこう言ってください』
「と、とと、『取引』だ!!!」
怖気づく己自身に喝を入れ。体を支配する恐怖心を呑み込み。マリーは勇気を振り絞って根限りの声を出した。
「な!!一体どうしたのかねマリー!? 」
「おおっ!? 」
「え、なに?急になんなの? 」
そのあまりの不意打ちに。シストやナダイはおろか、今の今まで狂気を滲ませていた戦までが何事かと気が削がれてしまう。
「フゥ……フゥ……わ、私は!花村天という男性から、あなたへの伝言をお預かりしてますわ!! 」
マリーがそう告げた途端、
「君たち、天天の知り合いなの!!?」
度肝と毒気を同時に抜かれる戦。
「は、はい!!ですので、わ、私に!今この場で発言する許可をいただけないでしょうか?」
「うんっ!もちろんいいよ♪ていうかソレさ、僕の方からお願いしたいぐらいだよエルフのお姉さん!!キャハハハハッ♪」
いつの間にか、戦が発していた凶悪な念はすっかり消え去っていた。
「……ありがとうございます」
マリーは尻餅をついたままの姿勢で戦にお辞儀をすると。早速、脳内に記憶した天からのメッセージを朗読し始める。
「『お前の……』あ、いえ、あなたのっ!」
「あ〜、いいよいいよ。取り繕う必要なんてないからさ。逆に天天が言ってたとおりに話してくれない?それでお姉さんのこと怒ったりしないって約束するよ♪キャハハッ! 」
「……」
戦の言葉に無言で頷くマリー。
「スゥー……フゥー……」
そして再び息を整えるべく深呼吸をした後、マリーは淀みのない声で静かに語り出した。
「……『取引だ。お前の望みを俺が叶える代わりに、俺の頼みをお前は聞き入れろ』……」
「……」
その天からのメッセージをマリーが話し出すと、戦の顔色が明らかに変わった。
「……『今お前の目の前にいる彼等を手にかけたら、俺は一生お前の望みは叶えん』……」
「え……」
「……『だがもし、お前が目の前にいるその者達に一切手出しをせず見逃せば、俺は全身全霊でお前の望みを叶えよう』……」
「っ!!!」
先程までは良くも悪くもマイペースで、動揺など微塵も見せなかった若者の表情が、目まぐるしく激動したのだ。
「…『故に取引だ』…」
そんな中、マリーはこの言伝の締め括りとなる最後の言を紡ぐ。
「『オールオアナッシング。この俺の、全てを賭ける』」
「っ…………」
マリーが天の伝言を一言一句違えず戦に伝え終えると、一瞬の静寂が訪れた。
「そう……天天は覚えててくれたんだ……」
それから数瞬の時を経て、戦の面持ちは見る見るうちに変貌を遂げる。
「……やっと……」
涙を流しながら、戦は切なげに微笑んだ。
「やっと本気になってくれるんだね……天天……」
その瞳から流れ落ちる涙の雫は、煌びやかな宝石のように。儚い雪のように。美の情景を創り出す。
「ごめんよ……僕が弱いから、今まで君に気を使わせちゃったんだよね……」
啜り泣くこの若者の姿は、まるで憂いを帯びた天使のようであった。
「なんという……」
「……どうなってやがんだよぉ」
「なんて……綺麗なの……」
シスト、ナダイ、マリーは、皆がそのあまりの美しさに心奪われ。死の恐怖も忘れて目の前の脅威に魅入ってしまっていた。
「……交渉成立だよ。エルフのお姉さん」
「え?」
「だ・か・らっ、僕はその取引に応じるって言ってるの!」
キョトンとしているマリーに、戦は涙を拭いながら答えた。
「教えてくれてありがとね♪それ知らないまま僕がそこのおじさんつまみ食いしちゃってたら、危うく天天に死ぬまで避けられちゃうところだったよ!あ〜、危ない危ない」
「じゃ、じゃあ」
「うん♪君たちには何もしないよ♪ 」
戦は拍子抜けするほどあっさりとマリーのその言葉を受け入れた。いや、この場合は彼女の言葉というより、
「天天にそんなこと言われちゃったらさ。僕は何があっても君たちに手を出すわけにはいかないんだよね……」
物腰穏やかなに空を仰ぎ、戦は物思いにふけるような遠い目で天を眺める。
「銀髪のおじさん、エルフのお姉さん、褐色のお兄さん……」
そして戦は視線をシスト達に戻すと、目の前にいる三人の顔を見渡してペロリと舌を出す。
「みんな怖がらせちゃってゴメンね?キャハハハハハ♪ 」
はにかんだ笑顔で手を合わせて三人に謝る戦。其処にはもう、生命の終わり告げる死神の姿はなかった。
◇◇◇
『全員見逃すだと……本気で言っているのか?』
時計台の裏手。戦とシスト等が居る現在地の丁度反対側にあたる花の庭園に、暗黒色の不穏な影あり。
『えぇええい!!あの男は何を考えているのだ!!』
その黒衣のような隠者は、怒声を上げて不信感を露わにする。
『たった今、己が対峙している者どもが何者なのかを、あの男はまったく理解しておらん!!』
歯ぎしりが今にも聞こえてきそうなほど唇を噛み締め、全身から殺気を放出する影の主。
『くそっ!もうこれ以上は、彼奴の手並みを拝見しようなどと悠長なことは言ってはおれん!!』
ガッ!ガッ!と自身の怒りのほどを示すよう地面を蹴り、乱暴な足取りで動きだす暗黒の影。
『計らずも巡ってきた此度の僥倖……この機を逃してなるものか!!』
一歩……また一歩と、不穏な影はシスト達三人に迫っていた。
『彼奴等は絶対にこの場から生きては帰さんっ!Sランク冒険士、烈拳のナダイ!そして我らが長年の怨敵…… “光大聖“ シストォオオオ!!』
このライナル中央広場に降り立った闇……不吉をはらむ厄災の脅威は、まだ完全に過ぎ去ったわけではない。




