第54話 大戦鬼
「そ、そうかい。お前さん俺のファンなのかい……」
彫りの深い顔をした男性が、その整った顔立ちをこれでもかと引きつらせてたじろいでいた。
「そいつは、ありがてぇぜぇ……」
褐色肌のガッチリとした体格。上背もかなりある。よく目を凝らすと、衣服の隙間から覗く引き締まった肉体には、無数の古傷が見受けられた。その見た目から『屈強な戦士』『歴戦の勇士』といったイメージがピッタリのこの男。
「嬉しくて……涙が出る……ぜぇ」
そんな見るからに精強そうな男が、どういうわけか歯切れの悪い様子で、何かに気圧されるよう後ずさっている。
「はいぃぃ!!わたくしっ!!子供の頃からずっと、ずぅぅっとっ!ナダイ殿に憧れておりました!! 」
突然、前方から耳を劈く声が到来した。
「よろしければ!ささっ、サインなどいただけないでしょうか!? 」
興奮気味に目をキラキラさせ、後ずさるナダイとの距離を一気に詰めるスーツ姿の小太り男性。向き合って言葉を交わしているにも拘らず、二人のその温度差は相当なものである。
「お、おうよ」
自分に詰め寄るハイテンションの男を見て。また顔をヒクつかせるナダイ。彼のメンタルに負担をかけているのは恐らくこの男のようだ。
「やったぁあああ!!感激だぁああっ!」
一方、そんなナダイの心情などお構いなしに、サインの了承を得て小躍りして喜ぶ小太り男。
「フゥ、やれやれ」
「ハァ……困りましたわね」
それを少し離れたところから眺めていたシストとマリーは、二人揃ってなんとも言えない顔をしてため息をついていた。
「まさか儂も、中村君がここまでナダイにご執心とは思わなんだよ」
「本当ですね……」
額に手を当てて頭を振るシストに、頬に手を添えて困った顔をするマリー。
「私も、せいぜいがカイトに憧れる若手の冒険士グループ(ほぼ女)ほどだと思っておりましたが、あれではナイスンの追っかけ(女のみ)と大差ありませんわ」
「……」
このマリーの例えに、シストは眉を吊り上げて微妙な顔をする。
「そ、そうかね……」
シストが口ごもってしまう程度には、マリーが例として挙げた事柄はコメントに困るものであった。
「そうだ!!弟の分もお願いできますか!?実は、私の弟もナダイ殿の大ファンなんですよ!! 」
されどシストのそんな戸惑いも、全力疾走の中村が一瞬で置き去りにする。
「こちらに書いてもらってもよろしいでしょうか!? 」
そう言ってサイン用色紙とペンをナダイに手渡す中村。どうやらあらかじめ用意していたようだ。
「……おうよ」
ナダイは渋々と中村からそれを受け取る。
「ありがとうございますぅっ!! 」
「……俺は……こんなことやりにきたんじゃ……ねぇぜぇ……」
満面の笑みを浮かべる中村と、疲れきった顔で愚痴をこぼすナダイ。そんな寒暖差の激しい二人の様子を見て、シストとマリーは再び深いため息をついた。
「「ハァァ……」」
時間は少し遡り、天達五人が樹海の探索を開始してから間もない頃。シストとマリー、ついでに動力車の運転手である中村の三人は、Sランク冒険士『烈拳のナダイ』と落ち合う為に、彼との待ち合わせの指定場所である此処タルティカ王国の都市部、ライナルの中心に位置する時計台まで来ていた。
「なんと言いますか、いい大人があそこまで感情を表に出してはしゃいでいると、見ているこっちが恥ずかしくなりますね」
「……参考までに教えておくがね?君も天君と話しておる時は、ああいった感じで終始取り乱しておるのだよ」
「……その御言葉、そっくりそのまま大統領にお返しいたしますわ」
「……」
「…………」
目線上で静かに火花を散らす両者。なかなかナダイを解放しない中村の所為か。それとも先刻の動力車での口論が尾を引いているのか。或いはその両方かもしれない。
「人のふり見て我がふり直せという言葉の意味を、知っておるかねマリー? 」
「大統領は、自分のことを棚に上げるといった言葉をご存知ですか? 」
忽ちお互いの導火線に火がつき。暴走した中村の相手をしている要人を放置して、こちらはこちらで小競り合いが始まった。
「今朝方、天君からの無線通信が入った折に。君は儂からドバイザーを取り上げようと、儂の服を思いきり引っ張っていたではないかね? 」
「結局のところ、大統領は頑として譲って下さりませんでしたわ?あ〜大人気ないっ! 」
この二人は大統領とその秘書というより、どちらかと言えば仲の良い親娘のようにも思える。
「……ほらよ」
「うわぁああ!ナダイ殿のサインだー!!ありがとうございますっ!弟もきっと大喜びしますよ!! 」
「そいつは良かったぜぇ……」
「「……」」
因みに、シストとマリーの舌戦は長くは続かなかった。二人の種火は、一瞬にして中村という暴風にかき消されたからだ。
「ではっ!次は御一緒に写真などを! 」
「あぁ〜、中村さんよぉ……」
「は、はい! 」
「そろそろ俺は旦那との本題に移りてぇからよぉ?悪りぃんだが、これ以上はまた今度にしてくんねぇかな? 」
バツが悪そうに頭をかきながら、うんざりした顔でファンサービスを打ち切るナダイ。ハイクラスの冒険士の中ではシストと同様に、とても気さくで人がいいナダイだが、
「旦那も俺も、別に暇人ってわけでもねぇからよぉ?早いとこ俺が部屋を取ってあるホテルに移動してぇんだ」
流石の彼もこれ以上は仕事とまったく関係の無いことに時間を費やしたくはなかった。
「だからよぉ?できればすぐ移動するための足を用意してくんねぇか? 」
「しょ、しょっ、承知いたしましたっ!! 」
正に鶴の一声。
「直ちに動力車を手配いたします!! 」
ナダイから渡された二枚のサイン色紙を大事そうに抱えながら、深々と一礼する中村。
「頼むぜぇ」
「お任せ下さいナダイ殿!! 」
例によって、シストに対するそれよりもずっと丁寧で献身的な応対である。
「今すぐに動力車をとって参ります! 」
「お、おう」
ナダイに頼まれるまま、一目散に動力車を停めてある駐車場の方へと駆けていく中村。彼のその足取りは、実に迅速で軽やかなものであった。
「……なぁ旦那」
気力の大半を中村に削がれたナダイは、顔をげっそりさせてトボトボとシストに歩み寄る。
「なにかね……」
問い返しながら、ナダイを気の毒そうな目で見るシスト。
「何で、あいつを連れてきたんだぁ? 」
「うむ。タルティカの土地鑑があり、なおかつ動力車を運転することができる職員が、現在の協会本部で彼しかおらんのだよ」
「それにしたってよぉ……もちっとどうにかならなかったのかよ? 」
「ううむ……」
「中村さんも悪い方ではないんですけどね……」
「うむ。普段の彼は、とても勤勉な若者なのだよ」
「まぁ、憎めねぇヤツなのは認めるがよぉ」
「ナダイ。そう邪険にせんでやってくれ」
「私もそう思いますわ」
つい先程とは打って変わり、互いに調子を合わせて中村のフォローをするシストとマリー。こうなってしまうと、この二人の息はピッタリである。
「それに中村さんがああなってしまったのも、元をたどればすべてナダイさんを愛するがゆえですわっ!」
「が〜っはははは!!然り!マリーの言うとおりなのだよ! 」
こんな悪ノリも即興で行ってしまうほどに。
「モテる男はなんとやらだぞナダイ?がはははは!! 」
「本当ですね大統領」
「ぜんっぜん、嬉しくねぇぜぇえええ!!! 」
ついに辛抱堪らず、ナダイが雄叫びを上げた。
「ゼェ……ゼェ……ったくよぉ!二人とも最近あか抜けすぎじゃねぇか? 」
「が〜っはっははは!! 」
「うふふふふふ」
現状に多くの不安要素や深刻な問題を抱えていることも忘れ、無邪気に戯れ合う三人。
……キャハッ♪
この時の彼等はまだ知る由もなかった。それが、途方もない嵐の前の平穏だということを。
『キャハハハハ♪』
こうしている間にも、とてつもない脅威が自分達のすぐ近くまで迫っていることを。
◇◇◇
〜同時刻〜
《ライナル中央広場 南西エリア》
レトロな洋館、ノスタルジックな雰囲気の時計台。白、青、紫、黄色……色とりどりの花が咲き乱れる広大な庭園に囲まれたこの場所は、さながら異国の街の楽園。
『空間滞留の効果が切れたか』
斯様な優美なる異界の園に、不穏な影が虚空より舞い降りる。
『そろそろあの男との約束の時刻のようだ』
突如、雲ひとつないはずの空から不気味な声が聞こえてきた。そして次の瞬間、空間が裂け、中から漆黒の騎士が現れる。
グシャ……
庭園に咲く可憐な花々を無造作に踏みつけ、不吉なオーラを全身から漂わせる影の主は、ゆっくりと歩き出した。
「さて……あの者との約束の時も迫っている。早急に時計台へ向かうとするか」
グシャ、グシャ……
足元に咲く花などまるでお構いなし。あくまで眼前に見据える時計台までのルートを最短距離で進むその者。
「……それにしても、此処は酷く不快な場所だな」
濡羽色のマントを翻し、漆黒の騎士は顔を覆う仮面からわずかに露出したその口元を歪ませた。
「この鼻にまとわりつくような甘い花の香り、まるで緊張感の無い平和ボケした風潮……どれも反吐が出そうだ」
グシャシャッ!
そう言って不機嫌そうに足元の花を踏みにじる漆黒の騎士。
「……まあいい」
だがそんな八つ当たり染みた行為も一瞬で切り上げ、黒騎士は感情に大した波風も立たさずに横行濶歩を続ける。
「それより今は、例の男と直接会って対話できる機会が巡ってきたことを素直に喜ぶとしよう」
声の質から言って恐らくは男だろう。彼は歪めていた口元をいつの間にか緩め、発する語勢は意欲に満ち溢れていた。
「シナット様が直々に我が陣営に引き入れたという彼の者とは果たしてどれほどの人物なのか、興味が尽きぬ」
黒い影がライナルの時計台に覆いかぶさる最中、時を同じくして漆黒の騎士が現れた丁度反対側の方向……この広場の北東付近のエリアに、陽気で活発な若者の姿が。
「ルンッル〜ルッルン♪ル〜ルッルル〜ン♪ルルンルル♪」
鼻歌交じりに赤茶色のポニーテールを揺らしながら、弾む足つき、軽快なリズムで庭園の並木道を闊歩する若者。
「キャハハハハ!いいねいいね〜♪僕、こういう場所大好きだよ♪キャハハ♪」
甲高い笑い声を上げて、全身から楽しげでご機嫌といったオーラをこれでもかと放出するその者。
「草木や季節の花の匂いも僕好みだし、このエキゾチックな雰囲気もにじゅうまる〜♪」
ただ一つ気になる点があるとすれば、
「ただ欲を言えば、もうちょっと苛烈さや殺気立った雰囲気が欲しいよね?平和過ぎて退屈だよ〜〜」
この者の左腕に刻まれた赤黒い髑髏の刺青が、只ならぬ凶々しさと寒々しい印象を感じさせた。
「どっかに美味しそうな好餌はいないかな〜♪キャハハハッ♪」
見るものが見れば一目でわかる。その若者の不気味な気配は、南エリアに出現した漆黒の騎士をも遥かに上回るものであった。
◇◇◇
「い、今すぐにここから離れましょう!!」
マリーが血相を変え、この場に居る全員に声を荒げて訴える。
「ど、どどっ、動力車で一刻も早く!!この国を出ましょう皆さん!! 」
彼女のその様は、まるで何かに脅えているようであった。
「マリー、少し落ち着きなさい」
そんなマリーを柔らかい口調でたしなめるシスト。
「で、ですが大統領!ここ、これが落ち着いてなどっ! 」
「こういう時にこそ冷静であらねばならん」
シストは『君の言いたいことは十分理解している』という念を込め、一切彼女を責める色が伺えない眼をマリーに向けていた。
「……はい。申し訳ありませんでした……」
「うむ、気にせずともよいのだよ」
今のシストの反応を見るに、マリーのこの取り乱しようは仕方のないことのようだ。
「あの〜」
中村が恐る恐るといった様子で小さく挙手をする。
「皆様、急にどうなされたんですか?」
こういった光景が目の前で繰り広げられれば嫌でも気になるのが人の性。中村は説明を求めるように自分を除く三名を見渡した。
「あ〜、お前さんは気にしなくていいぜぇ」
顔の前で手を振り、中村のその質問に明確な答えを与えず、適当にはぐらかす選択肢を選ぶナダイ。
「はっきり言やぁ、取り越し苦労の可能性の方がはるかにデケェしよぉ?」
「は、はぁ……」
当然ナダイは、シストとマリーが何故ここまで神経質になっているのかを知っている。そもそもがその案件について情報を交換する為に、彼はわざわざこのような場所まで来てシストと落ち合っているのだから。
「ったくよぉ、二人とも心配しすぎだぜぇ。あるわけねぇだろそんな偶然……」
「はい?」
「いや、何でもねぇよ」
それを踏まえ 『気にしすぎだ』『そんな偶然あるわけがない』と、彼はこの時、高を括っていた。
「まぁともかくだ。中村さんは何も心配することねえぜぇ」
「ナ、ナダイ殿がそうおっしゃるのなら間違いないですね!! 」
名前を呼ばれたのが嬉しかったのか。即座にナダイの言うことを受け入れる中村。
「それよりもよぉ、お前さんが見たって言うその嬢ちゃん?の話をもちっと詳しく訊かせてくんねぇか? 」
「うむ。その事については、儂もできる限り詳細に教えて欲しいのだよ中村君」
「は……はいぃっ!!私などでよろしければなんなりと!! 」
いまいち状況は掴めないのだが。それでもVIP二人に頼られて、とても嬉しそうに一礼する中村。
「そんなことよりも、私は一秒でも早くこの場を離れた方がよろしいかと思いますわ……」
満面の笑みを浮かべる中村とは対照的に、マリーは浮かない顔をして不満をこぼしていた。
「オホンッ、では僭越ながらお話しさせていただきます」
一方の中村は、マリーの不平など何処吹く風とわざとらしく咳払いをし。シストとナダイに訊ねられたことを意気揚々と語り出した。
「私がつい先ほど目撃した。歳は十五、六ほどの少女のお話を! 」
実を言うと、きっかけはこの男の何気ない一言から始まった。
『そう言えばさっき、ここいらじゃ珍しい髪の色をした女の子を見ましたよ』
駐車場から動力車をとってきた中村は、開口一番にそのことを皆に告げた。
『しかもその女の子!格好がやけにアグレッシブだったんで、私も目のやり場に困りましたよ?ハッハッハッ!』
最初はシストもナダイもマリーも、苦笑を浮かべたり生返事を中村に返すだけで、誰もその女の子(?)のことなど気にも留めていなかった。然し、
『おまけにその子、腕に “赤い骸骨の入れ墨“ まで彫ってあったんですよ』
この中村の発言に、今の今まで彼の話を右から左に聞き流していたシスト以下三名の目の色が急変する。そしてすぐさま、シストとマリーは中村に迫る勢いで訊ねた『その少女はどちらの腕に入れ墨を入れていたか? 』と。
『え〜っと確か……そう、左腕でした!左腕っ!』
中村の返答は、シストとマリーの顔から完全に血の気を奪うものであった。
「以上が、私が目撃したポニーテールの女の子の特徴でございます!ご静聴ありがとうございましたっ! 」
「ムスゥ……」
顔をにやけさせて上機嫌の中村と、見るからにご機嫌斜めなマリー。
「ふむ。髪は赤みを帯びた茶、瞳は琥珀色、背格好はマリーを一回り小さくした細身か……あいわかった!中村君、貴重な情報を感謝するのだよ」
「サンキュな。あとは俺らの方で色々やるからよ?お前さんは、なんかあった時の為に動力車をちょくで動かせるよう準備しといてくれや」
「はいっ!!かしこまりました!! 」
言われてすぐさま踵を返し、嬉しそうにスキップして近くに停めてある動力車へ向かう中村。
「マリー、見方を変えればこれはいい機会なのだよ」
「俺もそう思うぜぇマリー嬢? 」
シストとナダイは中村が離れたのを確認した後、苛立ちを強めるマリーを宥めにかかる。
「もし、そいつがマジで例のとんでも兄ちゃんが言ってたディザスター以上のバケモンならよ?これから先の事を考えりゃ、どんな奴かわかってりゃ色々と都合がいいしよぉ」
「儂もナダイと同じ考えなのだよ」
神話級の怪物が存在するかもしれないこの場から一秒でも早く離脱したいマリーと、今後の為に少しでも有力な情報が欲しいシストとナダイ。双方ともにプロフェッショナルとして間違ってはいない。けれど今回の場合に限っては、天の警告に忠実に従おうとしたマリーの方が、超一流の冒険士である二人の雄より危機管理意識が高かったと言わざるを得ない。
「で、でしたら!せめて動力車に乗って……」
最初に不穏な気配に気づいたのはマリーだった。
……キャハハハッ♪
突如、癖のある笑い声がマリーの耳に響いた。
……ルンッルルル〜♪
この場で唯一のエルフ。それに加えて魔力操作に特化し、実戦経験に豊富な彼女は、当然に『超聴覚』のスキルホルダーであり、未だその者との距離が200メートル近く離れていたこの場所からでも、容易にその者の肉声を聞き取れた。
「うっわ〜!あの時計台、近くで見るとやっぱり迫力が違うよね! 」
「……っ! 」
自然とマリーは全神経を自身の耳に集中する。何故だかわからない。しかし、マリーはその者の声を聞いた瞬間、言い知れぬ不安に支配された。
「キャハッ!僕すっかりここ気に入っちゃったかも?キャハハハハ♪ 」
そして……彼女の底知れぬ違和感は、次に発信されたその者の言葉で確信に変わる。
「でもやっぱり、僕は血生臭い戦場が一番好きなんだけどね……」
ゾクリとマリーの背筋に冷たいものが走る。
「ヒィ!! 」
その者が発した空恐ろしい言葉を自らの耳で受信した直後、マリーは悲鳴にも似た奇声を上げる。
「ううっ……うぅ……」
エルフの女性は顔面蒼白になって全身を震るわせながら、今にも膝をついて嘔吐してしまいそうだった。
「急にどうしたのかねマリー!?顔色が真っ青ではないか!大丈夫かね!? 」
「お、おいおい!いきなりどうしちまったんだぁ!?スッゲー顔色が悪りぃじゃねえかよぉ! 」
側にいたシストとナダイは、瞬時にマリーの異変を察知し、何事かと彼女に詰め寄る。
「……? 」
尚、中村は不思議そうにそれを眺めていた。
「……大統領、ナダイさん。わ、私の……ま、ま、真後ろの、ほほっ、方角……や、約百メートル超、こ、後方です! 」
「「ッ……」」
それは、必死に押し寄せる恐怖心を抑え込んみ、彼女がやっとの思いで絞り出した言葉であった。
「あいわかった」
「了解だぜぇ」
二人は一瞬で全てを理解する。マリーの説明は片言で不十分だったかもしれない。されど、マリーがやっとの思いで伝えたその内容は、百戦錬磨の冒険士である二人には十分過ぎるほどの中身であった。
「マリーご苦労であった」
「だな?あとは俺らが確認するからよぉ」
シストとナダイは、彼女の労をねぎらうように声をかける。
「お、お二人とも、ぜ、ぜったい……絶対に直視は避けて下さい! 」
震える自分の体を押さえつけるよう抱きながら、マリーは必死にシストとナダイに注意を促す。二人はこの彼女からの忠告を、素早く頷いて受け入れた。
「ま、そんな都合よくはいかねぇと思うけどよぉ」
「……」
この時、ナダイはまだ半信半疑であったが、シストの中からは一切の疑念が消え去っていた。
『天が言っていた危険人物に違いない』
今、マリーの指し示した方角に存在する者こそ、彼と対を成すこの世界に二人しか存在しない『脅威判定S超え』の人型なのだと。
「スゥ……」
シストは静かに発動させる。女神より授かりし神のスキル『知識の目』を。
「旦那……いくぜぇ? 」
その事を察したかのように、ナダイがシストに合図を送る。それにシストも小さく頷き、準備は整ったと無言でナダイに知らせた。そして二人は互いの視線を交差させた瞬間、勢いよく背後を振り返り、
「久しぶりに来たが、ここは昔とちっとも変わらんな?お前もそう思わんかね? 」
「だなっ、とくにアッチの並木道なんかよぉ……む、昔と全然変わらねぇぜぇ! 」
景色を眺める振りをして。仲間との会話を装って。シストとナダイはしっかりとその者を視界の端に捉えた。
「やはりか……」
「……何だいありゃ」
二人は目視でソレを確認すると、また時計台の方を向き直してその者に背を向けた。
「う、ウチの一番上のガキと変わんねえぐれぇの小娘じゃねぇかよぉ……」
ナダイの声は上擦っていた。
「なのに……なのによぉ!?何だってんだいありゃ……」
小刻みに体を震わせて青ざめるナダイ。彼のその様は、まるでこの世のものとは思えない恐ろしい何かと、予期せぬ遭遇を果たしてしまったかのようだった。
「スゥーー……あの者の脅威判定なのだがね……」
シストが大きく息を吐いて、おもむろに口を開いた。
「わざわざ口で言わなくてもわかるぜぇ……」
ナダイはシストの言葉に首を振る。
「S……だろ? 」
「Sランクなのだよ……」
「ビクッ! 」
予想と結果をほぼ同時に口にする両名。その事実を聞き、マリーは一層に表情を凍りつかせた。
「お、お二人とも……おね、お願します!も、もう用は済んだはずですわ!で、ですから!こ、この場からすぐ、に、にげ、逃げまっ」
恐怖で舌がもつれ、マリーは上手く喋ることができない。
「旦那……今回ばかりは俺らが完全に悪りぃぜぇ。ちぃとばかり危機感が薄かったかもしれねぇ……」
「違いないな」
つい先刻まで疑い半分だったナダイの余裕ある表情は、もうそこにはなかった。
「こりゃあ、マリー嬢の言うとおりこっから早いとこ消えたほうがいいぜぇ?……ありゃ無理だ」
歴戦の闘士は一見して悟った。アレは絶対に敵に回してはならないナニカだと。
「うむ。幸いマリーが早期に気づいてくれたおかげで、あの者との距離はまだかなり離れておる。直ちに動力車でこの場から離れれば、向こうとも接触せずに済むのだよ」
「す、すぐに行動に移りましょう! 」
「だな?離れてるっつっても、お互いが目視できる距離なのは違いねぇ。俺らが冒険士だってことは多分気づいてねぇだろうが、ここはさっさとずらかるのが得策だぜぇ」
もはやその脅威を疑う余地はない。疑う者もいない。マリーにナダイとシストは、三人で頷き合い。一斉に動力車に乗り込もうとした時だった。
「あっ!! 」
いきなり一人の青年が声を上げる。
「いたいたっ! 」
この時にシストを含めた熟練冒険士である三人は、皆が己の過ちに気づいた。
『まずい!』
三者ともに同じ言語が頭に浮かび上がる。自分たちは、事情を知らない第三者に釘を刺すのを怠ったのだ。
「あの娘ですあの娘!!あのポニーテールの女の子が、私が今お話した少女ですよ!! 」
此方に歩いてくるその者に向け、思い切り指を指して大声を発する中村。彼のそんな反応は、最悪な意味でシスト等三人の予想通りだった。
「おまっ!! 」
「ちょっ! 」
「な、中村君!! 」
当然に彼以外のメンバーは目を剥き、大慌てで中村を制止しようと彼に駆け寄ろうとした。
「あれ? 」
しかしその直後、中村は狐につままれたようにポカンとして、間の抜けた声を漏らした。
「いなくなっちゃった……」
前に突き出していた指を自信なさげに萎れさせ、中村はそう呟く。
「なっ! 」
「え!? 」
「おいおいっ」
中村の言葉につられて反射的に後ろを振り向くシストとマリーとナダイ。
「ほ、本当にいなくなってますわね」
「う、ううむ」
「マジでどうなってやがんだぁ……」
すると中村が言った通り、たった今まで確かに其処に存在したはずの少女の姿が、忽然と消えていた。……が、その者はこの場所から居なくなった訳ではなかった。
「なに? 」
惚ける彼等の真横から、不意に自分たちの意識に直接干渉するかのような不思議な声がした。
「僕に何か用なの?君たち……誰? 」
「「「っ! 」」」
同時に、シスト、マリー、ナダイの三人は。皆が皆、蛇に睨まれたか蛙のように金縛りにあってしまう。
「むぅ……」
「あぅ、うぅぁ……」
「やべぇ……ぜぇ……」
目で確認せずともわかる。予めその肉声を聞いていたマリーは勿論のこと。他二名、Sランク冒険士である両雄も、長年の経験、本能が告げていた。その声の主が、一体何者なのかを。
「あれあれ〜?君たち一般人じゃないね? 」
一方で、声の主は硬直する三人を値踏みするようにまじまじと見つめている。それから数瞬の間を空け、その者は剽軽な口調でこう言った。
「キャハッ!あっちにいる僕のこと指差してた子豚ちゃんと、そっちの金髪のお姉ちゃんはともかく。こっちの銀髪のおじさんと褐色のお兄さんは結構好みかも?二人ともそれなりに美味しそうだし♪ 」
その薄気味の悪い声で呼ばれた途端、シストとナダイの額からは嫌な汗が流れ落ちる。二人の危険信号がこれでもかと警報を鳴らしていた。
「フンフッフフ〜フン♪フンフンフ〜ン♪ 」
鼻歌を口ずさみながら、薄気味悪い声の主は一向に自分の方を向かずに固まって動かない三人の前へと回り込み、その姿を彼等にさらした。
「ねぇねぇおじさんたち♪ 」
其処には、屈託のない笑顔で無邪気に笑う若者がいた。迷彩柄のタンクトップから剥き出しに放り出された生身の両腕……その左の肩口から見える物恐ろしげな赤黒い髑髏の印が、この者を死を運ぶ紅い死神と見紛わせる。
「僕と……遊んでくれない?キャハハハッ♪ 」
戦場の申し子、大戦鬼 “花村戦“ 此処タルティカ王国に、罷り越して候。




