第53話 番犬
ザッ、ザザ、ザ…ザ、ガサ、ガササ、ザザッ
「……」
「ほっと…よっと…なのです」
「もうそろそろ着くかな…」
「ええ。私の記憶が正しければ、あと数分ほどこのペースで進めば、彼の地に到着すると思います」
「そうか…」
冒険士協会の会長であるシストが臨時に結成したチーム。ランド王国第一王女アリスの奪還の命を受けた…天、カイト、アクリア、リナ、そして最高峰の冒険士であるシャロンヌを合わせた五人の冒険士達。
「それにしても、今日は獣道ばかり探索している気がするぞ」
「シャロンヌさん。其れこそあたし達、冒険士の本分なのです」
「ハハ、違いないねリナ」
彼等は現在、攫われたアリス王女、並びにその世話係の侍女達…また、彼女達を攫ったであろう争いの民の行方を追い、ジャングルのような厳しい大自然の中を目下捜索中である。
………ガルッ
ピクッ
「フゥ…普段なら大歓迎なんだが、こういう時は招かざる客だ」
先刻までこの捜索チームの先頭を無言無表情で黙々と歩いていた天が、何かを感じ取った様子でため息を吐き。急に訳のわからない独り言をぼやいた。
「ほんとなのです。はっきり言ってウザいの」
然し、天の真後ろをピッタリとついて来ていたリナも『同じく』と言った感じで顔を顰め、不平不満を吐く。
「ああ。できれば奴等とやり合うまでは、無駄な体力や魔力源を消費したくなかったんだけどね」
「ですが…この先に進むには、戦闘は避けては通れないようですね」
天とリナの会話…というより言葉の拾い合いに反応して、其々の意見を述べるカイトとアクリア。この二人も、天が今言った言葉の真意を瞬時に悟ったようだ。
「俺はこの後、もし邪教徒がこの先の廃墟に潜伏していた場合…それらを逃さぬよう周辺一帯に結界を張らねばならん」
特に慌てた様子もなく。この隊の殿を務めるシャロンヌも、何かを訊ねる素振りも見せずに天達四人の話の輪に入る。
「よって、悪いがここは大事を取って傍観させてもらう」
現状の自分達が置かれている状況を全て把握した上で。いたってシンプルに『お前達に任せた』と言った意味合いの言葉を口にするシャロンヌ。
「カイトも言っていた事だが、ここでのMP消費は極力避けたいからな」
彼女のそんな丸投げ発言に、すぐさま前方より二つ返事がかえってきた。
「かまわない」
シャロンヌのそれを快諾したのは、ジッと前だけを見据えて、悠然と隊の先陣を闊歩する天だ。
ガルルゥ…グルゥル…ガルゥ…
五人が目的地の廃僧院まで目と鼻の先までやって来たところで、何やら不穏な気配、殺気立ち敵意に満ちた空気が、樹海の奥から漂ってきた。
「リナ、カイト、アク…俺が十歩分(天の歩幅だと約9m)先に先行するから、お前らはその後を周りに警戒しながらついて来てくれ」
歩きながら首だけわずかに後ろを向き。背後の仲間達に視線を一瞬だけ移してそう公言する天。
ピタ
その瞬間、カイトとアクリアとリナは、天のこの申し出と共にピタリとその歩みを止めた。
「了解なの天兄」
「了解だ」
「かしこまりました天様」
しきりに三人は頷き、天へ了承の意を伝える。
「常夜殿のリクエスト通り…ここは俺がやろう」
「…フン」
意味ありげなセリフを口にする天。するとどういうわけか、シャロンヌが眉を吊り上げて鼻息ひとつで返事をする。
ザ、ザ、ザ、ザ…
一方。天はその言葉だけを残して、何事もないかのように歩行速度を上げながら悠々とした足取りで仲間達を先行する。
「「「………」」」
…ザ、ザ、ザ、ザ……ザザッ
天の注文通り。彼が十歩目の歩を踏み出すと同時に、カイト、アクリア、リナの三人は、止めていたその歩みを再開させる。
「……」
ザスッ…
また、必然的に彼等三人の後ろをシャロンヌがついていく形になった。
「つくづく食えん男だ…」
面白くなさそうに肩を竦めるシャロンヌ。彼女は何かを認めたような口ぶりでその一歩を踏み出した。
「…まあいい」
実際のところ、シャロンヌが今言っていたことは大半が真っ赤な嘘であり、単なる口実でしかない。
「さて…」
有り体に言えば、シャロンヌが所持する膨大な魔力源は、一つの結界を張ったぐらいでは。一回の通常戦闘ぐらいでは。間違っても枯渇したりしない。
「…花村天」
そして何より。彼女はこういう時、他の者には頼らずに自分で敵を蹴散らす血気盛んな気勢の持ち主でもある。
「果たしてどれほどのものか…」
では何故、シャロンヌは自分は戦闘に参加せず傍観者に徹するなどと、消極的な選択肢を選んだかと言えば、理由はたった一つ。
「人型最強などと豪語する貴殿のその実力、見せてもらうぞ」
シャロンヌは研ぎ澄ました眼光で前を行く天を捉え、含みのある声で囁く…『お前の力を見せてみろ』と。
「ん〜〜…」
その呟き声が聞こえていたのか。シャロンヌの真正面を歩いていたリナが『どうだろう』という副音声を思わせる声を漏らした。
「これから出てくるモンスターを、天兄が余裕で瞬殺するのはもう決定事項なのですが…」
丁度シャロンヌの真ん前を歩いていた所為か、リナにはシャロンヌの独り言が丸聞こえだったようだ。
「多分、あいつら程度じゃ天兄の強さを測る試金石にもならないの」
「なに?」
リナのそんな大口に怪訝な顔をするシャロンヌ。実を言うとシャロンヌもリナも、この先に待ち構えているであろう魔物に心当たりがあった。
「ハハ、言うねリナ?だけど、俺もその考えには同感だよ」
「相違ありません!紛うことなき真実…自然の摂理と言っても過言ではございません!」
リナを挟むようにして隊列を組んでいたカイトとアクリアは、得意げな笑みを浮かべ、自信に満ちた態度で。声で。仲間のそういった大見得を支持した。
「複数で群れられたら厄介な相手だけど、兄さんが戦うとなれば話は別かな?」
「はい。天様からしてみれば、単体であろうと、大群であろうと、等しく取るに足らぬ対敵…力量に天と地ほどの開きがございます!」
当然のことながら、Aランク冒険士であるこの二人も樹海の奥に潜んでいる敵の正体に気づいている。
ザザッ!ガザガザッ、シャシャザッ!
「ガルルゥ…」
「ガルッ」
「グル…グルゥルッ」
前を行く天の背中を追いながら、彼等四人がそういった雑談に気を取られていると。天の十メートル前方…樹木の陰から、藪の茂みから、其奴等は物々しく現れた。
「ふむ…」
…さしずめ、侵入者からアジトを守る番犬と言ったところか…。
木陰から出てきた三匹の魔物を目にして、思わずそんな悠長な台詞が天の頭に過る。だが、天がそう感じるのも仕方のないことだった。
「ガルルルルゥ…」
「グル…ガルル」
姿を現した三匹の魔物の風貌は、まさに大型の山犬、狼といった表現がしっくりくる。
「グルルゥゥ」
毛並みは焦げ目がついたような濃い灰色。鋭い眼光は赤々と怪しい輝きを放ち。鋭利な刃物を思わせる剥き出しの牙と鉤爪は、確実に自分達の方へと近づいてくる男に狙いを定め、今にも襲いかかろうという態勢だった。
「やっぱりなの」
その魔物達が姿を現した瞬間、リナが予想的中といった感じで両肩を持ち上げる。
「ああ。予想通り『ヘルハウンド』か」
【ヘルハウンド】
別名“若手冒険士ハンター“の通り名で知られるDランク最強のモンスターである。
「ガルルッ」
性格は獰猛で好戦的。加えて俊敏性や嗅覚なども優れていて、毎年少なくない人数の若手冒険士達がコレの犠牲になっており、新人冒険士達の間では『鬼門』として恐れられている。更に、この魔物には二つの特性があった。
…わかっちゃいたが、それにしても珍しいな?同じ種類のモンスターが三匹同時なんて…。
そう。ヘルハウンドはモンスターの中では珍しく、群れで行動する魔物なのだ。故に、駆け出しの冒険士のチームや、Cランクモンスターなどを倒して間違った自信をつけた中堅の冒険士などが単独で挑むと。高確率で返り討ちに遭い、命を落としてしまう。そしてもう一つ、
「グルゥ…」
群れのヘルハウンドの内。天の左斜め前方のヘルハウンドが、口元から大量の唾液を流しながら舌舐めずりをしている。見れば、他の二匹もそのヘルハウンドほどではないが、天を見る目からはあからさまな食欲が伺えた。
…こいつら、俺を食う気か…。
これもモンスターとしては非常に稀なのだが。ヘルハウンドは人型の…特に人間種の肉を好んで食す性質を持つ魔物だ。元々、モンスターは大気中の魔素が有れば空腹にはならないのが一般の常識。だがどういう訳か、ヘルハウンドは人型を好んで喰らう特殊な悪癖があるモンスターなのだ。尚、ヘルハウンドが進化すると、Bランクモンスターの『ケルベロス』と成り。更にそれがもう一進化すると、つい最近にエクス帝国を恐怖のどん底に陥れた災害級モンスター『ヘルケルベロス』と成る。
…面白い。どちらが餌なのか教えてやろう…。
ザッ…
天は複数の魔物が目の前に出現したにも拘らず、その歩みを止めずに前進を続ける。
スタスタスタ…
そのまま事もなげな様子で、三匹のヘルハウンドの方へと近づいて行く天。そんな彼の足取りには、些かの迷いも躊躇いも感じられない。
「三体とは奇遇だな……っといけない、幾ら兄さんのお陰で大きな安息感があるといっても、あまり緊張感を欠くような発言は控えなくては」
「無理もないのです。あたしも今あれを見て、カイトさんと同じことを考えてたの」
「ちょうどひと月ほど前に、私達も同数のヘルハウンドと一戦を交えましたからね」
スタスタスタ…
天に同じく。とりとめのない話を口ずさみながら、自身の歩行をまったく中断する気配を見せないカイトとリナとアクリア。
ピタ…
「お、おいお前ら!」
この隊列の最後尾からそんなカイト達を呼び止める声が聞こえてきた。
「ここはあいつ一人に任せるのではないのか!?」
頭に疑問符を浮かべてそう叫んだのはシャロンヌである。五人の中で、唯一シャロンヌだけがその足を止めて、これから始まるであろう天の戦闘を観戦する姿勢に入っていた。
「シャロンヌさん。あたし達に気を取られてると見逃しちゃうのです。きっと、勝負は一瞬でついちゃうの」
リナは後ろを振り向かずに、歩きながらシャロンヌにある種の忠告をする。
「だろうね」
苦笑を浮かべてカイトが小さく頷く。
「俺達は四人がかり(シロナを含めて)でヘルハウンド三体を討伐するのに小一時間かかったけど、兄さんの場合は…」
ザシュッ!バザバッ!ガザッ!
カイトが何かを言いかけた時だった。前方から、猛獣どもの殺気が無数の針の如く放たれる。
「ガルゥウウッ!!」
「ガラァッ!!」
「ガアァ!!」
天が自分達の攻撃圏内に入った瞬間。三匹のヘルハウンドは、同時に大きく口を開けて涎を撒き散らしながら、一斉に天に襲いかかった。
「フゥ…」
自分に飛びかかってくるモンスターを眺め、天は狂気的に笑む。
「どうやらお前らの目に映る俺は、相当に旨そうに見えているみたいだな?」
そしてこの魔物達は知ることになる。弱肉強食という自然界の掟の中で、真の捕食者は果たしてどちらなのかを。
スゥ…
無造作に両手を自分の耳の辺りまで持ち上げる天。
「この服はとても大切なものでな…ヨダレまみれの口を近づけるな」
三方向から襲いかかるヘルハウンドの進撃に対し、天がとった対処は非常にシンプルなものだった。
「ガァ!」
まず左前方から迫りくるヘルハウンドに、まるでドアをノックするような簡易的な所作で。軽く手首のスナップを利かせた裏拳を放つ。
ゴンッ!!
重々しく鈍い爆裂音が鳴り響き、辺りの空気を震わせる。天が放った左拳の攻撃は、優々たる見た目に反して中々の衝撃波をもたらした。
「ギャッ…」
ドサッ
その証拠に。天の裏拳を受けたヘルハウンドの顔面は、鼻がひしゃげて途方もないパワーで押し込まれたように陥没していた。
「グルゥ!!」
次に天は、己の喉笛めがけて右前方から牙を剥くヘルハウンドの眉間に標準を合わせ、今朝方クレイジーキャットを仕留めた時のようにカウンター気味で指を弾く。
バチンッ!!!
豪快な炸裂音がとともに、額がえぐれて両目が外に押し出されるヘルハウンド。
「………」
その壮絶な魔物の有様は、受けた攻撃の威力を物語っていた。
バサッ
糸の切れた人形のように地面に倒れこむ二匹目のヘルハウンド。恐らく即死だったのだろう。
「ガルルゥウ!!」
そして三匹目。ついに残り最後となった群れの一匹は、今にも真正面から天にかぶりつこうと大きく開いた顎を彼に肉薄させていた。だが、それも当然のごとく未遂に終わる。
ヒュンッ
風を切り裂く効果音が鳴る。
バンッ!!
一匹目を倒した後、そのまま裏拳のスナップの戻しの反動を利用して。天は左拳で掌底を繰り出し、ヘルハウンドの頭部を横殴りにする。
メキメキ…ゴキンッ
殴られたヘルハウンドは、激しい横からの衝撃によって首が有らぬ方向にねじ曲がった。
「ガ…グァ…」
無謀にも天に真っ向勝負を挑んだヘルハウンドは。本来、脊椎動物が許される首の可動域の限界を大幅に超えた…見るも無惨な状態で吹き飛ばさる。
ドサッ…
右方向に吹き飛んだヘルハウンドは、既に事切れてピクリとも動いていない、目玉が飛び出たヘルハウンドの上へと覆い被さるように落下した。
「終了」
いや、この場合は天がそこへ魔物の死体をまとめるように弾き飛ばしたと表現する方が正しいか。
「なっ!!」
その戦闘の一連の流れを見ていたシャロンヌが、驚愕のあまり目を大きく見開く。
「…なんだ…と…」
併しながらシャロンヌが驚くのも無理はなかった。
「山犬三匹、討伐完了だ」
なにせこの男、ヘルハウンドが三位一体の攻撃を仕掛けた直後に勝負を終わらせたのだ。
「…まさか、これほどとは…」
例えば、シャロンヌが同数のヘルハウンドを一人で相手したとしても。結果だけを見れば今の天のように圧勝するだろう。しかし、問題は戦闘にかかった所要時間と倒し方だ。
「まるで…自分にたかってきたハエを払っていたようだった…」
そうなのだ。天がヘルハウンドに対してとった行動は、己に群がってきた蝿や藪蚊を払う仕草に酷似していた。加えて、実質的に天とヘルハウンドが戦っていた時間など2秒にも満たない。
「あっという間……だったね。やっぱり…」
カイトは半笑い気味に、とりあえず言いかけていたことを最後まで言い切った。
「ハハ…矢継ぎ早とはこういうことを言うのかもしれないな」
実際、彼は『あっという間だろうね』と予想を口にしようとしたのだろうが。言い終わる前に結果が出てしまってはしょうがない。
「ハァ〜…」
「クゥ〜〜ッ!」
尚、他の二名…アクリアとリナはと言えば、
「あぁ…なんという気高くも雄々しい御姿…」
「当然の結果なのです!Dランク最強って言っても、所詮はDっ!天兄からしたら雑魚以下なの!」
両名共に、たった今おこなわれた殲滅劇に魅入り、目を奪われ。各々が嬉々として、恍惚とした表情で天の背を見つめていた。
「常夜殿」
「ビクッ」
まだ動揺から冷めやらぬ中、不意に声をかけかれて思わず体を強張らせるシャロンヌ。気づくと、いつの間にか天の手にはドバイザーが握られていた。
「この三匹のモンスターの死骸は、俺達の方で回収させてもらってもいいか?」
「む、無論だ!しょ、勝利者として当然の権利だ!そ、そのようなこと、わざわざ俺に訊く必要なぞないっ!」
声を裏返えらせ、緊張した面持ちで返答するシャロンヌ。
「んっ」
天は明らかに動揺している彼女を見て。敢えてそれには触れずに。シャロンヌに軽い会釈だけしてからさっさと手に持つドバイザーでヘルハウンドの死体を回収していく。
「お疲れ兄さん」
「お疲れ様でございます天様!」
「天兄、お疲れ様なのです!」
「ああ。まあ、実際は全然疲れてないんだが」
「やっぱり、天兄はあたし達とは次元が違うの!!」
「はい!!天様は、見紛うことなき人型最強の冒険士であらせられる御方…疑う余地がございません!!」
「ハハ…とりあえず落ち着こうか二人とも」
最後のヘルハウンドを天がドバイザーに入れていたタイミングで。後ろの四人が天のもとに追いつき合流する。
「凄まじいな…これが噂にきく『闘技』か」
おぼつかない足取りでカイト達のすぐ後ろをついてきていたシャロンヌが、息を呑んで唸るようにそう囁く。
「…?」
…なんでこの女、闘技のこと知ってんだ?…。
シャロンヌのその囁き声が耳に入り、天はある種の疑念にかられる。
「一応言っておくが…今の戦闘で、俺は闘技を使っちゃいないぞ?」
然しその疑問よりも、まずはシャロンヌの誤解を解く方に優先順位をつける天。
「な、なんだと!?」
天が飄々とした様子でその事実を口にすると、シャロンヌはつい先ほどのように目を剥いて驚いた。
「ん?何をそんなに驚いているんだ?」
シャロンヌの過剰とも言えるそのような反応に、訝しげに首をひねりつつ、天は冒険士ならではの非常にわかりやすい例えで、彼女にある事を訊き返えした。
「あんただって、相手が大ミミズとかだったら『烈火玉』などの魔技を使用せんだろ?」
「あ、うっ…」
天のこの問いかけに、シャロンヌは呻いた。
「……使わない」
奇しくも、天が口にしたその例えは、先日開かれた会議でリナが天の戦力を表現するのに用いた其れをなぞるものであった。
「だろ?」
だから瞬時に理解してしまった。目の前にいる男が今自分に訊ねた内容が、全てそのまま技を使用しなかったことの理由を教えている。
「……使うわけがない」
『弱すぎて使う必要がない』…むしろこの男にとって、ヘルハウンドごときでは戦うという定義にすら当てはまらないということを。
「闘技を見せても良かったんだが。あのレベルの相手に使用すると、多分ミンチにしちまうからな」
天にとって、今や魔物は自分の技を試す実験台に非ず。
「グラム単位のひき肉にしちまうと、良質な魔石は取れんだろ?」
現在の天にとっての魔物は、仲間達の武器を成長させる為の貴重な経験値なのだ。よって、以前のように無闇矢鱈と闘技を使用し、魔物をバラバラにしてしまうことを彼は嫌った。例えるなら、希少価値の高い昆虫の標本を作る際になるべく外見を傷つけないよう捕獲するように。例えるなら、高級な果実を収穫する際にできるだけ本体を傷つけないように。より品質の高い魔石を魔物から摂取する為、有事の際を含め、仲間や友人、知人達に危険が及ぶ場合以外は、天がこれから先Cランク以下の魔物を相手に闘技を使用することまずないと言える。
「…そ、そうだ…な…」
ドッと疲れた様子で力なく返事をするシャロンヌ。
「今なら……俺も会長殿が言いたかったことがわかる…」
わかっていたことなのだが、今ようやく理解できた。この男に自分の持つ常識は通じない。この男が平凡なのは容姿だけだと。他は全てが規格外。しかもこの男は、其の上さらに魔技と魔装技…そして、恐らくはモンスターの災技すら通じないなどと、理不尽もいいところである。
「フフンッ、なのです」
自分の言ったことの正当性を証明できたリナは、上機嫌に胸を張ってシャロンヌにドヤ顔を向けていた。
「「………」」
カイトとアクリアも言葉や態度には出さなかったが、彼等のその背中は笑っているように見える。
「行こう。もう目的地は目と鼻の先だ」
そういった仲間達のやり取りを尻目に、天は討伐したヘルハウンドをドバイザーに回収し終えると、再び皆を誘導するように先頭を歩き出す。
「はい、天様」
「ああ」
「はいなの!」
天に軽く返事をして、カイト達三人も天の後に続いた。
「……花村…天…」
シャロンヌは、しばし呆然と彼等の背中を眺めていた。
「…ますます欲しくなった」
そして彼女は、止めていた足を動かすと同時に、我知らず自身の願望を口に出していた。
「是が非でもお前を…」
この場合は幸いと言ってもいいものか。シャロンヌのその聲は、カイトとアクリアの耳にすら届かないほどのか細い声であった。
◇◇◇
バサバサバサッ…
樹海の奥にひっそりと佇む朽ちた洋館。その中央棟の天辺。この廃僧院の象徴ともいえる古びた釣鐘の台座に…また一羽、其処に惹き寄せられるように烏がとまった。
カァー…カァー…カァー……
まだ昼過ぎだというのに。辺り一帯は薄暗い靄がかかり、不吉な気配が霧のように周囲を覆っていた。
「………」
…俺がいた時とは、明らかに空気が違う…。
天は思った。以前に自身が根城にしていた其れと比べて、現在自分の眼前に聳え立つ廃墟から放たれる不気味なまでの存在感は、まったく異なるものであると。
「ゴク…鼻で嗅がなくてもわかるのです。ここからは、やばい匂いがプンプンするの」
天の真横でリナがごくりと生唾を飲む。感受性に優れ、洞察力に長けた彼女も一瞬で見抜いたのだ。この場所からは、何やらただならぬ妖気が漂っていることを。
「如何にも、という感じだね」
「この身体の奥から総毛立つ感覚…もはや疑う余地がありません」
険しい顔で瞬き一つせず、カイトとアクリアは食い入るように目の前の洋館を睨みつけていた。
「ああ…この不快な感覚には見覚えがあるよ」
「忘れようにも忘れられません…」
当然この二人も、一目見て感じ取っていた。場の不穏な空気や淀みから、此処にはその歪みの原因である何かが潜んでいると。
「シャロンヌさんほどではないにしろ。俺達も、今までにそれなりの修羅場を越えてきたからね」
「はい。これまで私達は、自らの半生を費やし、ただひたすらにあの者達の影を追い続けて参りましたから…」
「そうか…やはりお前達もそうなのだな…」
二人のそのような会話を耳にして、同類相憐れむような深い憂いの表情を見せるシャロンヌ。
「…はい」
「ええ…」
そんなシャロンヌの解釈を肯定するよう、アクリアとカイトは沈痛な面持ちで静かに頷いた。
「常夜殿、どうだ?」
リナと二人で僧院の正面玄関附近まで歩を進めていた天が、確認を求めるようにシャロンヌの方を見遣った。
「……アクリアとカイト同様、この俺が見誤るはずもない」
天に呼ばれた途端、シャロンヌは俯いて小刻みに体を震わせる。その彼女の様子は、必死に己の感情を抑え込んでいるかのようであった。
「俺の全神経を逆撫でするような…この廃墟に充満する悍ましい陰の気配は、間違いなく彼奴等のものだ」
「なら、やはりあいつらが今現在に潜伏している場所は…」
天が再び。今度ははっきりとした言葉でその事を訊ねると。シャロンヌは伏せていた顔を上げ、一片の光も感じられない闇色に染まった瞳を天に向ける。
「今から俺は、この地で本格的に魔力探知の儀に取り掛かる。故に、その結果が出るまでは何とも言えん…」
シャロンヌのその眼からは、争いの民に対するどこまでも深い憎悪と殺意の感情が込められていた。
「…がっ、あえて言わせてもらう!この地に、邪教徒どもは確実に存在するとな!!」
バサバサバサバサバサッ!
張り上げた声とともに放たれたシャロンヌの殺気に煽られ。朽ちた洋館に群がっていたカラスたちが一同に慄き。空へ逃げるように飛び上がる。
ガァーッ、ガァーッ、ガァ、ガァーッ!
霞色の空へと避難した無数のカラスは、何かを報せるようにざわめき騒ぐ。それは、恰もこれから起こる凶兆を告げるかのように。
「なるほど…どうやら奴等との顔合わせは、案外早く実現するようだ」
だが、死の臭いを漂わせる不吉な前兆は、果たして何方に対してのものなのか?
「それでは早速、俺は魔力探知及び、この周囲一帯に結界を張り巡らす儀式を始める。カイト、アクリア、お前達にも手伝ってもらうぞ」
「了解です」
「承知いたしました」
「あたしは、さっき嗅ぎ分けた香水の匂いがどこで途切れてるのか探ってみるのです」
魔窟と化したこの廃僧院に足を踏み入れてしまった、血気盛んな冒険士達の方か。
「疼くな…」
それとも、世界の管理者である神々をもってして“超越者“と言わしめるほどの、絶大な戦力を有するこの男を敵に回してしまった…不運な堕天者達の方なのか。
「さあ…殲滅を開始しようか」




