第50話 常夜の女帝
「くそっ!こんなことなら、最初からドバイザーでリナに連絡しておけばよかった!」
絶世の美女。女神と評してもなんら遜色のない美貌の持ち主である一人の冒険士が、その端麗な顔立ちをこれでもかと顰めて、不機嫌そうに不満を吐き捨てる。
「…まあいい。思っていたよりも早くあいつらと落ち合うことができそうだし。ここは不問にするか…」
特に誰が悪いというわけでもないはずなのだが。一人で納得したように、自身に対するこの仕打ちを許してやると呟くシャロンヌ。
「それにしても、例の『花村天』という男との対面が、こんなに早く叶うとはな…」
山道を歩きながら、シャロンヌはその先を見据えるように顔を上げる。先程まで不満気に顰めていた顔は一変し、刀剣のように鋭利な眼差しで山を睨み、彼女は不敵な笑みを浮かべていた。
「さっき俺が感じた圧力は、十中八九その男のものと見て間違いないだろうな…ククク…」
シャロンヌは意地の悪そうな含み笑いをする。何かを企んでいるのだろうか、彼女の翡翠色の瞳には怪しい光が灯る。
「あの馬鹿げたステータスは、どうやら本当のようだな……合格だ」
その台詞を口にした直後、シャロンヌはぞくりとするような女の貌を表に出し、つやのある吐息をもらして、むせるような色気を全身にまとわせる。
「花村天、お前を俺の手駒として雇ってやろう。俺の…この美貌を餌にしてな…フフフフ」
艶めかしく自身の胸に手を添えながら、妖艶な表情で頬を上気させ、彼女は緩んだ唇で人知れずほくそ笑んだ。
◇◇◇
ブルルゥゥ…
そこは、鉱山業の盛んな地域とはおおよそ似つかわしくないほど、生命力あふれる森の木々に囲まれた緑豊かな土地。美しい自然の風景がどこまでも続く峠道。青葉が茂る木々の隙間から、穏やかな春の陽射しがこぼれでる山道の中を、一台の軽動力車がゆったりとした速度で走っていた。
ブゥゥルルゥ…
もう少しスピードを上げてもいいようにも思えるが。幅が広いとはいえほとんど人の手が入っていないであろう険しい山道。ここは、道行く登山者にも配慮してこれぐらいの安全運転が妥当なのだろう。
「…ふむ」
その動力車の助手席に乗っていた青年が、窓から外の景色を眺めながら、不意に独り言のような言葉を呟いた。
「ここから約3キロ先ってところか…」
「クンクン……ん、確かにそれぐらいの位置関係なのです」
彼のすぐ隣。動力車の運転席に座っていた女性が、自身の鼻先をくんくんと鳴らす仕草をとった後、おもむろに口を開いて、その青年の独り言に相槌を打つ。
「何がだい?」
前列の二人の言葉に反応したのは、後部座席に乗っていたエルフの青年だ。彼のその問いかけに対して、訊かれた方の二人はすぐさま答える。
「ここから、シャロンヌさんが今いる現在地までの距離だよ」
「なのです」
飄々とした調子で二人がそう答えると、この動力車に搭乗している最後の一人、どこか儚げな輝きを放つ、見目麗しい青髪の美女が、訝しげに目を見開いて驚嘆の声を上げた。
「お二人とも、そんなに離れている距離からでもお分かりになられるのですか?」
「はいなのです。シャロンヌさんは特徴的な匂いをしてるから、一般の人と比べると区別しやすいのです」
普通なら人を体臭で区別するなど、あらゆる意味で失礼な気もするが。そこはそれ、彼女は犬型の亜人なのだから仕方のないことなのだ。
「相変わらず、リナの鼻は凄いな」
「それを言ったら天兄の方が凄いのです。人間種でこの距離から、どうやったらシャロンヌさんのことが認識できるのか…超不思議なの」
「ん?ああ、前にも言ったが気配を察知してんだよ」
「それはわかっているのですが…。何をしたら、そんなレベルの感知能力が身に付くのかが不思議なのっ」
呆れ交じりにリナがぼやくと、後部座席にいた二人も、しきりに彼女の考えを肯定した。
「ハハ、同感だね」
「天様を、私達の常識の物差しで推し量るのは、些か無理がお有りかと」
「言えてるのです」
「おいおい君達、ちょっと大袈裟でないかい?」
気心が知れた者同士、絶妙な一体感で雑談をする彼等。天、カイト、アクリア、リナの四人は、現在シャロンヌを迎えに行く道すがら、決戦の地へ赴く途上、ほんの束の間のひとときを過ごしていた。
「そういえば、天兄は『伝説の超人型』だったのをすっかり忘れてたのです!」
「ピクッ」
すっかり忘れていた、と得意げに言い放つリナ。その言葉を彼女が口にした瞬間、天は体をぴくりと動かして顔を引き攣らせる。
「あたしとしたことが愚問だったのです」
無論、リナは天をなじる気など毛頭ないのだが。結果的に、彼の黒歴史に近いデリケートな部分へ触れてしまっていた。
「…えっとねリナ君。そのことについては、できれば忘れたままにしてくれると、とてもありがたいんですが…」
ドッ
天が決まりの悪そうな顔をして、消え入りそうな声でリナに耳打ちすると、彼のその言葉が丸聞こえだったのか。カイトとアクリア、さらには耳打ちをされたリナまでが笑い出し、動力車の中は笑いの渦に包まれた。
「オホンッ」
ピタ
わざとらしい咳払いで天が誤魔化す仕草を取った途端、瞬時に皆の笑い声はピタりと止まる。もともと彼等は良識のある大人。意地悪く、できるだけ天をイジってやろうなどとは三人とも毛ほども思わない。逆に、アクリアとリナにいたってはそういった真似を誰かがしようものなら、実力行使で強制的に止めるのもやぶさかではない気迫ある女達だ。そんな彼等が、天に気恥ずかしい思いをさせてまで、自身の愉快な気持ちを発散させるなどあり得ない。
「…まあ、俺の場合はリナの鼻みたいに確証があるわけでもない。気配の質と確率から導き出した、あくまで憶測の域を出ない代物だがな?」
カイトとアクリアとリナの、あまりの従順さに多少驚いたものの。天は素知らぬ顔でそれらを受け流し、今が好機とばかりに会話の流れを元に戻すことに成功する。
「それでも凄いよ兄さんは。なんたって、3キロも離れた相手の力量が測れるんだからねっ」
天とリナの会話に聞き耳を立てて、思わず吹き出してしまったことを気にしているのか。カイトは天の言葉を増長するようにして、その話を広げにかかった。
「わかるっつっても大体だぞ?それに、今も言ったがな、あくまで俺の予想の範囲内だ」
再び遠くを見るような表情で天は窓の外の景色を眺める。
…まあ、俺のスキル『生命の目』を使えば、正確な値も難なく測れるがな…。
動力車の速度に合わせてゆったりと流れる美しい山の風景に目を奪われながら、ふと頭の中で自身の能力のことを補足する天。
「ね、ねぇ、天兄…」
そんな彼の思考を読んだわけでもないだろうが。リナが正面を向いたまま動力車の運転姿勢を崩すことなく、天にある質問を投げかけた。
「て、天兄から見たシャロンヌさんって…どれぐらいの強さなのです?」
そう問いかけたリナの声は若干上ずっていた。その質問が、彼女の怖いもの見たさからくる興味本位なものなのは言わずもがなだ。
…まあ、実際に見たわけじゃないから、感じたが正確な表現だな…。
っと一瞬、頭の中でリナの表現にツッコミを入れる。しかしそこは天、当然そんな揚げ足取りな指摘をわざわざ口に出しはしない。だいいち、今の質問の論点はそこではない。
「あくまで、俺個人の憶測で構わないのなら答える」
これから言うことは自分の勝手な想像に過ぎないと、天はあらかじめ断りを入れる。実際、彼自身もこういう話は好きなので、リナの質問に答えること自体はやぶさかではない。
「それで構わないのです!」
リナは興奮気味に返事をした。天の心情を察してか、彼が喋りやすいように『それで構わない』という了承の意を示す言葉を選んだのは、偏にリナの気配りだと言えるだろう。憶測でものを言う場合、前以てこういった逃げ口上を用意しておくのは重要なことだと、明晰な頭脳の持ち主である彼女はよく理解している。
「「…ゴク」」
気づけば、後部座席にいるカイトとアクリアも息を呑んで天の次の言葉を待っていた。
「…おっさん、それと俺が以前倒したマウントバイパー亜種よりもやや劣る。がっ、リザードキングクラスなら軽く圧倒する力を有する、実力の持ち主と見た」
天は小さく頷いてから一呼吸の間を置き。直後、息つく暇もないスピーディーな語り口で、自らの見立てを喋り終えた。
「…やっぱり、天兄はあたしなんかよりずっと凄いの…」
「正直、俺も鳥肌が立ったよ…」
「天様は…紛うことなき三柱神様より選ばれし英雄であると、疑う余地がありません」
天のその回答に対し、カイト、アクリア、リナは感嘆の声をこぼした。いや、皆は感心を通り越して戦慄してしまっているのかもしれない。それほど、彼の出した答えは正鵠を射ていたのだ。
「…天兄の見通しは、たぶん概ね当たっているのです」
いち早く天の推測を支持したのは、彼の意見を聞いてより一層、興奮しながら目をギラつかせるリナだ。
「シャロンヌさんには悪いのですが、たとえ常夜の女帝でも、あのマウントバイパー亜種を…たった一人で倒せるとはとても思えないの」
「…私は、実物を直に拝見してはおりませんが、それほどまでに凄まじいモンスターだったのですか?」
アクリアが不安げな表情で、隣に座るカイトの方を見て訊ねると、カイトは呻くような声を出してそれに答えた。
「ああ、とてつもなくね…」
何かに堪えるように両手を組み、交差した指で自身の手をえぐるほど強く握りしめるカイト。彼は小刻みに体を震えさせて、当時のことを振り返る。
「情けない話…。すでに事切れていたはずのヤツの死体を目にしただけで、戦慄して体が震え上がったよ俺は…」
恐怖におののくように、亡骸とはいえ災害級の魔物と対峙したことを思い出すカイト。
「あの時、もし町に天兄が現れなくて、あたし達だけで事に当たっていたらと思うと…ゾッとするのです…」
「そうでございますね…。お聞きするかぎりでは、確実に私達だけでは対処しきれない事象になっていたはずです」
そんな彼に同調するように、動力車に乗っていた女性陣二人も、深刻な面持ちで当時を振り返っている。
「ああ。間違いなく、当時の俺達のチームだけじゃ対処できなかったよ…」
「……」
…まず無理だろな。カイトやアク達には、まだアレは早い…。
口には出さなかったが、天も彼等の意見を胸の内で支持していた。
「下手をすると…あの依頼を受けた、シロナも含む当時の俺達のチームメンバー四人ともが、力尽きて全滅していたかもしれないな…」
シーン…
『全滅』カイトがその言葉を口にした瞬間、車内の空気が凍りつく。
「「………」」
恐怖心からか、アクリアとリナは揃ってその表情を曇らせ、怯えたように目を伏せる。
「確かにそれはゾッとせんな…」
…ここいらは主立った逃げ場がない。俺があの時に近くにいなかった場合、花やおばちゃんを含め、鉱山町の住民全員があの白大蛇に殺されていたかもしれん…。
天の背筋に悪寒が走った。当時のことを思い返し、自身がマウントバイパー亜種が出現した町の近くにいなかったケースをシミュレートしてみて、最悪の未来を連想したからだ。
…なにより、マウントバイパー討伐の依頼を受けたカイト達に関しては、今、本人達が言っていたように全滅していた確率が非常に高い。だが…。
「三人とも安心しろ。あの程度の魔物がこの先、何十匹束になって現れようとも、俺がこのチームにいる限り…お前等が生命の危機に瀕することなど起こりえない」
それは見事な決意声明だった。重厚な闘気を全身からにじませて彼は断言する『お前達に降りかかる火の粉は全て俺が払う』と。
「Aランクのモンスターを“あの程度“とか…天兄、頼もしすぎるのっ」
「ハハ、まったくだね?俺も同じ冒険士…いや、同じ男として、少しでも兄さんに近づけるよう精進しないといけないな」
「あぁ…なんという神々しさ…」
天の雄々しい有り様。力強く掲げた彼の公約を受けて、カイトとアクリアとリナは、自身の胸に抱いていた不安や恐怖心が一瞬で消えさった。
「あぁ…すてきれふ…てんひゃま…」
尚、若干一名には効き目があり過ぎたようで。危うくあちらにトリップしそうになったのを、隣に座っていた男性が肩を叩いて引き戻したのは微笑ましい光景である。
「て、天兄」
そんな後部座席にいる二人のやり取りをよそに。調子を取り戻したリナが、そわそわとした様子で天に声をかける。
「なんだ?」
「か、仮になのですが、もし天兄がシャロンヌさんと本気でやり合ったら…」
前方からは視界を外さず、天へまた先程と似たような話を振るリナ。見ると、意識してはいないのだろうが、リナの口元はわずかに緩んでいた。
…生死を問わんのなら、10秒はかからんだろうな…。
前の質問と同様に、100パーセント彼女の好奇心からくるその疑問に対し、天はリナがその内容を話し終えていないにも拘らず、即座に思考の中で答えを出していた。
「天兄の見立てだと…どっちが勝つのです?」
計らずも、天が『あの程度』と口にしていた魔物よりも劣る人物。わざわざ言わずとも答えなど決まっていることは、この場にいたリナを含む全員が承知していた。
「よ、よかったら教えてほしいの…」
しかしそれでもリナは、その言うまでもない答えを天に訊かずにはいれなかった。だが彼女の期待に反し、天はそのことを口には出さなかった。
「戦闘戦術や相手の相性に加え、その他、様々な要因から…戦況が常に一変するのが戦いにおける必定。一概に、誰が誰よりも強いとは言えんさ」
敢えて謙遜を装い、リナの問いかけに言葉を濁して受け答えする天。
「それに、俺はシャロンヌさんに一度も会ったことがないからな?さっきのリナの質問も含めて、はっきりとしたことは断言できん」
たとえ『仮に』でも、一時的とは言えこれから協力体制を築かなければならない冒険士。それを見下したり侮辱するような発言は、極力控えなければならないことを年長者である彼はよく心得ているのだ。
「むぅ…」
期待とは裏腹に、天からあからさまな肩透かしを食らい。リナは浮かべていた笑みを乾いたものに変え、 ほんのわずかだが顔を顰めていた。きっと、彼女は『余裕で俺が勝つ』『俺の圧勝』といったニュアンスの台詞を、天の口から聞きたかったに違いない。
「あ、『あくまで』でいいのです!」
諦めきれないのか、天の口癖を用いて、リナは再びそのことを訊ねる。天の考えが汲み取れない彼女でもないはずなのだが。若さ故か。それとも知識欲からなのか。どうにか明確な回答を天からもらいたいリナ。
「リナ、壁に耳ありだよ」
そんな彼女を諌めたのは、この四人の中のもう一人の年長者であるカイトだった。
「シャロンヌさんは魔力操作の達人。もしかするとこの距離からでも、この会話を聞かれてしまうかもしれません」
アクリアもカイトに続いてリナをなだめにかかった。余談なのだが、エルフ種の血を引く者達は、皆が皆、聴覚が優れているというわけではなく『超聴覚』という技術により、魔力操作で己の聴覚を極限まで高めているに過ぎない。現に、ジュリは半分はエルフの血を引く人型にも拘らず、まだ魔力操作が未熟な為、聴覚は一般の人型に毛が生えた程度だ。
「聞くところによれば、シャロンヌさんは大層な地獄耳だとか」
だが、これがシャロンヌクラスともなれば、その気になると数キロ先の会話をも聞かれてしまう可能性もある。まあそれも、動力車の外にいた場合なのだが。
「このっ、……わかったのです…」
『この動力車の防音対策は完璧なのです』喉元まで出かかったその言葉を飲み込むリナ。この世界の動力車は、品質に関係なくほとんどが防音対策をされている。理由は、上記で述べたエルフ種の超聴覚による聞き耳対策が一番の要因だ。よって、カイトとアクリアが使った説得の言葉は、事実上まずあり得ないことなのだ。しかし、それは『これ以上、天を困らせてはいけない』という二人からの遠回しのメッセージだと、頭の回転の早いリナは瞬時に察した。
「困らせてごめんなさいなの天兄…」
それを伝えられたらリナは素直に引き下がるしかない。本来の彼女は、賢くとても聞き分けの良い女なのだ。
「謝る必要なんてないぞ?実を言うと、俺もそういう話は大好きだからな」
しょんぼりと沈んだ顔で自分に謝罪するリナへ、気にするなと柔らかい物腰で返事をする天。
パチンッ
直後、軽快な音が車内に鳴り響く。
「そうだ…」
不意に何かを思いついたように。天は軽く指を鳴らし、少し顔を上に向けて喋り出した。
「代わりと言っちゃなんだが、シャロンヌさんと合流するまでの暇つぶしに…みんなに面白い話をしてやる」
「面白い話!?」
リナは沈んでいた表情を一変させ、目を輝かせながら天の台詞を復唱した。
「とっておきの話だ」
リナのそんな反応を見て、天も満足気にニヤリと口の端を持ち上げる。
「どんな話なんだい兄さん?」
「とても気になりますっ」
後部座席からカイトとアクリアが、弾んだ声で合いの手を入れてくる。見ると、バックミラーに映る二人の表情はリナと大差ないものであった。
「よし。では話させていただこう…この世界の重要機密を」
二人のこの好反応で天は更に気を良くしたのか、芝居がかった口調であることについての話題を持ち出した。
「神様に英雄に定められるための…方法ってやつをな」
そして彼は語り出した。この世界の理の一部を。
◇◇◇
《同時刻 ランド王国首都アスカニアの城下町》
活気あふれるというよりは、しっとりと落ち着いた雰囲気の一等地。芸術の香りが高く。高級感の漂う建築物が立ち並ぶ非常に上品な町並み。一目見ただけで、この土地は上流階級の者達のみが住むことを許される場所なのだと理解できる。ただ、そんな高級住宅街にも当然に裏路地、どの角度からでも人の目につきにくいような死角の通路は存在するものだ。
スゥ〜〜…
肌寒い風が静かに吹き抜ける。昼間だというのに、其処には人影どころか日の光すらそれほど届かない、この一等地にはおおよそ似つかわしくないような薄暗い路地。そこに、高級感溢れるリムジンのようなデザインの動力車が一台、道の中央を陣取るように停まっていた。
トゥ、トゥ、トゥ、トゥ…
普通なら、随分と迷惑なマナー違反の運転手だと思うが。この薄暗い路地は動力車がやっと一台通れる程度しか道幅がなく。そもそもちゃんとした通行路なのかも疑われるような場所。なので、住民に文句を言われることはまずないだろう。
「……」
動力車の中に誰かが乗っている気配はする。だが全ての窓が黒張りになっていることに加え、心もとない日の光しか入ってこない街路地裏。一般人が動力車の中を確認することはまず不可能だ。
タ…タ…タ…タ…
路地の入り口から微かな人の足音が聞こえてきた。見ると、身なりの良い格好をした男女が一名ずつ、通路の真ん中を占領しているその動力車に近寄っていく。
タ…タ…タ…
中々に素早い動きで走っているにも拘らず、その二人の男女は足音をほとんど立てていない。どうやら、男女ともにかなり訓練されている者達なのか。
タ…バッ
彼等は道に停めてあった高級動力車までくると、すぐさま車の前列のドアに手を掛け、男の方は助手席、女の方は運転席へと乗り込む。
「遅い!」
動力車に男性と女性が乗り込んだ瞬間、その動力車の後部座席の中央に座っていた赤髪の若者が、不機嫌そうに乱暴に声を上げる。
「「申し訳ありません殿下」」
間を置かずにその赤髪の青年に謝罪する両名。どうやら、この男女二人は赤髪の青年の部下のようだ。
「…まあよい。して『ケンイ』『ユウナ』…奴等の潜伏場所は特定できたか?」
「それが…」
「…まだ捜索は難航しております」
恐らく、厳格そうな雰囲気を漂わせるエルフ種の男性がケンイ。知的な雰囲気の眼鏡をかけた人間種の女性がユウナだと思われる。二人は赤髪の青年の問いかけに、苦い顔で申し訳なさそうにそう答えた。
ドンッ!!
二人の報告を受け、赤髪の青年はその表情をより険しくさせ、自分以外に誰も座っていない後部座席のシートを不快そうに叩き、不満の言葉を吐き出す。
「くそっ!」
「申し訳ありません『アレックス』殿下…昨夜から捜索はしているというのに、未だ奴等の痕跡すら追えないとは、不甲斐ないばかりです」
運転手席に座っていたユウナが首だけ後ろを振り向き、再びアレックスへ謝罪の言葉を述べる。
「…よい。お前達が、アリス奪還の為に行動を開始したのは昨夜からだ。こんなに早く結果を出せというのは酷というもの…取り乱して悪かったな」
ユウナの謝辞を受けて多少溜飲が下がったのか、アレックスが深いため息の後に冷静な面持ちを取り繕い、額に手を当てて頭を振る。
「殿下….よろしいでしょうか?」
次に発言したのは助手席にいたケンイだ。いや、正確には自分が発言してもいいかどうか訊ねただが。
「…なんだ?」
「ここは暁殿の言うとおり、冒険士達と協力して事に当たったほうが、何かと効率がよろしいのでは?」
ケンイがそう進言した途端、アレックスの表情はみるみると険しくなり、取り繕っていた仮面が一瞬にして剥がれ落ちる。
「ならん!今回の一件は、必ず我等だけで片ずけなくてはならんのだ!冒険士と協力など以ての外だ!」
「で、ですが!聞くところによれば、リスナ王妃もその案は了承済みとのこと」
「くどいぞケンイ!!」
食いさがるケンイを強い剣幕で突っぱねるアレックス。ユウナはそれを見て、どちらの後押しもせず、憂のある表情で虚空に視線を逃した。
「此度の件は、ランド国内で絶対に起こってはならなかった…言わば我が国の恥部」
「…左様でございます」
「11年前の悲劇を知っている諸外国の要人達からすれば『また同じ過ちを犯したのか』と、これから先、我が国が外交で後ろ指をさされるは必至。その上、部外者の力まで借りたとあっては恥の上塗りだ!」
「……承知いたしました」
渋々といった感じでケンイは頷いた。そんな自分の側近の心境を知ってか知らずか、アレックスは声を荒ぶらせて話を続ける。
「必ず冒険士どもより先んじねばならんっ!この際は、アリスの生死は問わず『その身柄だけ』でもこちらで確保できればよい!」
「ア、アレックス殿下!それは本心から言っておられるのですか?」
目を見開いてアレックスに問いかけるユウナ。たが、アレックスは彼女の動揺など歯牙にも掛けず、腕を組んで冷たい眼光を放ちながら自身の言葉を肯定した。
「無論だ。もともと今回の事件は『アレ』が我儘を言わなければ起こらなかったこと」
「おっしゃるとおりですね」
驚くユウナとは対照的に、ケンイの方はいたって冷静にアレックスの意見に同意を示す。
「暁殿が王宮を空ける際、あれほど釘を刺したというのに…。現にアシェンダ様とアニク様は、暁殿の言いつけを守り、この10日間は一切外出をなさらなかったとか」
「…どちらにせよ、アレはもう十中八九"首輪付き“…王室に戻すことも叶わぬ上に、外でまともに暮らすことも許されない。これから一生、別館へ隔離せねばならんからな。母上には悪いが、生きていても死んでいても大差などない」
「残酷なようですが、そう言わざるを得ません」
「……」
男性陣二人の厳しい意見に、もどかしそうに口を閉ざしてしまうユウナ。
「今重要なことは二つ。一つは我が国の力のみでこの度の事件を終息させること。もう一つは、この件に関しての情報をできるだけ外に漏洩させんことだ」
「はっ!」
「……アレックス殿下」
暗い表情で男二人の会話を聞いていたユウナが、顔を伏せながら力なく口を開いた。
「…殿下に、一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「グラス団長から昨晩お聞きしたのですが…。アレックス殿下はアシェンダ様に向けて、御自身の兄妹はアリス姫と、腹違いの姉であるアクリア様だけだとおっしゃっていたとか…」
「…あのお喋りめ」
ユウナがそう訊ねると、アレックスは苦々しく顔を歪めてそっぽを向く。
「確かに俺はそう言ったが、それがなんだと言うのだ?」
「アシェンダ様におっしゃられたそのお言葉…裏を返せば、アリス様は御自身の大切な妹君だと…」
「大切ではない」
ユウナの口上を最後まで待たず、アレックスは黒張りの窓に視線を移したまま、彼女のその台詞をはっきりと否定した。
「アリスとアシェンダの違いは、英雄の血が通っているか、妾の血が通っているかの違いでしかない」
「…そうで…ごさいますか…」
小さく落胆の色を見せ、俯くユウナ。
「断言するが、ゴズンドの言葉を何でも鵜呑みにするあの救いようのない愚妹を、俺は愚王に次いで嫌悪している」
「…失礼ながら、私と暁殿もアリス様に対しては殿下と同じ心境にごさいます」
「そうですね…。このような話の流れなので口にできますが、グラス団長はアリス様のことを…その…」
「遠慮などすることはない」
もごもごと口ごもるユウナに代わり、この国の権力者でありアリスの実の兄でもあるアレックスが、彼女が言いたいことを代弁する。
「見ていればわかることだ。グラスはアリスのことを毛嫌いしている」
「……はい」
「だが、その気持ちは痛いほどわかる。ランドの王族とはいえ、そのように思っている者を救う為に自身の首をかけるなど、彼奴の忠義には頭が下がる…」
「今、彼を突き動かすものはリスナ王妃への忠誠心と、ランド王国最強の騎士団長としての使命感、責任感に他なりませぬな…」
「…団長は、公事と私事をはっきりと区別する方ですから」
「そうだ…そんな誇り高い男だからこそ、厳格であるケンイだからこそ、アリスのことを良く思えんのは至極当然のことなのだ」
「御意にごさいます」
最早、王族ではないからか。それとも、実兄であるアレックスの許しをもらったからなのか。アリスの批判とも取れるその会話を、躊躇い勝ちに受け答えするユウナとは反対に、ケンイの口調や言葉には一切の躊躇がなかった。
「アレは、俺達の中で最も愚王の血を色濃く受け継いでいる直子…性格だけで言えば、まだアシェンダの方が幾分かマシなぐらいだ」
トゥルルルル!トゥルルルル…
不意に、誰かのドバイザー無線のコール音が車内に鳴り響いた。
「「……」」
その着信音が鳴った途端、瞬時に前方を向いて姿勢を正し、口を閉じるケンイとユウナ。どうやら、今無線を受けているのはアレックスのドバイザーのようだ。
トゥルルルル…ガチャッ
「私だ」
一人称を『俺』から『私』に変えて、アレックスは落ち着いた声音で無線にでる。
「どうした?何か進展があったのか?」
『ーーー』
王族が扱うドバイザーだからなのか、ドバイザーの向こうの話し相手の声は、まるで端末から漏れてこない。
『ーー…』
「なんだ?構わぬから言ってみろ」
『…ーーー』
「なっ!!それは確かなのか!?」
何を言われたのかはわからないが。アレックスは明らかに驚愕した様子で、自分のドバイザーを握りしめていた。
「「……」」
そんな主の有り様を目の当たりにしても、ケンイとユウナは耳や眉をわずかに震わせるだけで、決して無線中のアレックスの邪魔になるような行動はとらなかった。
「くそっ!あの『常夜の女帝』が動くとは…」
しかし、次に出たアレックスの言葉を聞き、二人のその深沈たる態度が崩れ去る。
「「なっ!!」」
前列にいた二人は咄嗟に声を上げてしまった。アレックスが憎々しげな表情で告げたその事実は、彼等にとっても予想外の事態のようだ。
「「ゴク…」」
思わず息を呑むケンイとユウナ。二人のその表情は、アレックスとは異なり驚愕ではなく恐怖に彩られていた。
「くそっ!こちらが後手に回ってしまう可能性がまた一つ増えてしまった。…早急に何かしらの手を打たねば…」
されど、アレックスは受けた報告の事柄に夢中で、自身の側近である彼等のそんな表情の変化など、知る由もなかった。
◇◇◇
「以上が、神々から英雄に認定される為の手段だ」
この世界の理の一つである“英雄の選定基準“。その中身をあらかた仲間達に伝え終えた天。
「どうだ?面白かっただろ?」
彼はしたり顔で楽しそうに皆に訊ねる。一方、天にそう訊かれたカイト、アクリア、リナの三人は、その話のあまりの内容に、三者ともに度肝を抜かれ、愕然としていた。
「…ハハ、なんとかいうか…とんでもない話を聞いてしまった気がするよ」
「ほんとなの…」
「私は今…これまで培ってきた常識を根本から覆すような、この世界の真理を了知してしまいました…」
「…まさになのです。間違っても、暇つぶしで話すような内容じゃないのですコレは…」
この三人の反応を見れば、言わずともわかる。インパクトは申し分ない。だが、間違っても暇つぶしに使うような類の肴ではなかったというのが、彼等から天の問いかけに対する答えだと言えるだろう。
「さすがは天兄なの…。持ってる知識まで規格外なの…」
「そうか?こんなんで驚いてたら、これから身が持たんぞ?何しろ、俺がフィナ様から仕入れた情報はまだまだあるからな」
「ハ、ハハ…それを聞く機会が訪れる時のことを想像すると、今から少し怖いかな…」
カイトが乾いた笑みを浮かべて呟く。
「何言ってんだ?機会など関係なく。近いうちに、俺の持てる全ての神知識をお前等に教えるつもりだぞ?」
すると、天はあっけらかんとカイトの弱音を切り捨てた。
「情報ってのは共有してこそ生かされるものだ。それが俺の神スキル『神知識共有』の在り方でもある」
「…カイト、私は覚悟を決めました」
「…アクリアは本当に逞しくなったね」
「改めて考えると、とんでもないスキルなのです」
天の言葉に気後れするカイトとアクリアとは対照的に、リナは自然と笑みをこぼし、天のそのスキルの利便性の高さを絶賛した。
「あたし達、人型が制限されている情報が数多くこの世に存在して、天兄だけはそれを全部、他に伝えることができるなんて…想像しただけでゾクゾクするの」
「だろ?」
怪しく笑い合って、ほくそ笑む天とリナ。
…まあ、もともとは俺の特異体質の一つで、ぶっちゃけ技術でもなんでもないんだがな…。
「でも、これではっきりしたよ」
「ええ、そうですね」
何かを納得したように、カイトとアクリアは互いに目を合わせて頷き合った。
「兄さんがさっき、どうしてこれからは自分が討伐したモンスターの魔石は、俺やアクリアに売ると言っていたのか…その言葉の真意がね」
「はい。本日この場より、天様が個人で打倒したモンスターの魔石以外は、全て儀式により換金せねばなりませんからね」
「そういうことだ」
真剣な表情でカイトとアクリアがそう述べると、二人のその認識に天も満足そうに相槌を打った。
「だが勿論、強制はしない。カイト、アク、リナの任意でそれをするかしないかは判断してくれ」
「了解なのです!というか、今の話を聞かされたんじゃっ、そうしないわけにはいかないの!」
「ああ。兄さんは、俺達が英雄になるための道標を立ててくれた。それを無視して、これからの人生を歩む気はないよ」
「で、ですが本当によろしいのですか天様?」
アクリアが後部座席に腰を据えたまま、わずかに身を乗り出して天に訊ねる。彼女のその面持ちは、訊いた相手に対し、とても申し訳ないという気持ちが容易に伺えた。
「なにがだ?」
そんなアクリアを安心させる為、わざととぼけているのか。それとも本当にわかっていないのか。天は感情が読みにくい能面顔でアクリアに問い返した。
「たった今、天兄が考えた零支部の新ルール…あたし達の方しか得してないってことなのです。はっきり言って、アレじゃ天兄の方は丸損なの…」
しかし、それに答えたのは、天の隣で動力車を運転していたリナだ。
「俺もそう思う。色々とツッコミどこはあるけど、せめて俺やアクリアやリナに売った魔石の代金は、全額兄さんが所持するべきものだと思う」
どうやら、天以外は同じことを考えていたらしく。カイトもすぐさまその事に対して異議を唱える。見ると、カイトの意見を聞いていた天以外の女性二人も、しきりに彼の意見に強く同意するように頷いていた。
「いや、おそらくこれから先、俺が最も支部の活動費に手をつける。従って、あの取り決めはお前等が考えるほど、不公平なものじゃない」
「…そうはとても思えないのです。だけど、天兄がそう言うなら、あたしからはもう何も言わないの」
「左様でございますね。天様が了承済みでしたら、私が異を唱えることなどあろうはずがございません」
「フゥ…わかったよ兄さん」
どちらかというと、説得に近い天からのその説明を受け、リナとアクリアはすぐに納得して目礼をする。その後、女性陣二人に続き、カイトも渋々といった様子で首を縦に振った。
「もともと俺達には得しかない取り決めだ。それなのに、俺の方が駄々をこねるのはおかしいしね」
「よし。じゃあその話はもう終わりだ」
仲間達の同意を得ると、天は早々に話を打ち切る。彼の視線は、すでに前方に見える一人のエルフの女性に向けられていた。
「あれが…」
天がその女性を見て自然と独り言を口ずさむ。すると、運転席にいたリナが彼の思考を読み取り裏打ちをする。
「はいなのです。あの女性が、常夜の女帝と呼ばれるSランク冒険士…“シャロンヌ“さんその人なのです」
…随分とファンタジーな格好をしている人だな…。
天のシャロンヌに対する第一印象は、とても安易なものであった。
◇◇◇
天、カイト、アクリア、リナの四人は、現在ようやくシャロンヌと合流して、お互いに初対面の者達は自己紹介をすませていた。
「俺がシャロンヌだ。以後、見知っておいてくれ」
「初めまして、自分はFランク冒険士の花村天と申します。本日は、誉れ高いSランク冒険士であるシャロンヌ殿にお会いできて光栄です」
シャロンヌの簡易的な挨拶と比べ、天は見事な社交的、紳士的な体で、彼女に礼儀正しく挨拶を返した。
「ふむ。貴殿が噂の花村天か」
「「ピクッ…」」
そのやり取りを天の後ろ、彼から少し離れた位置で眺めていたカイト、アクリア、リナの三人の内。カイトを除いた女性二人が、眉をやや吊り上げて顔をわずかに顰めた。おそらくは呼び捨ても含め、天に対するシャロンヌの態度に思うところがあったのかもしれない。
「はい。シスト会長からすでに事の詳細はお聞きしていらっしゃると存じますが、これから、今回の事件が解決するまでの間…どうぞよろしくお願いします」
「…容姿はリナの言うとおりイマイチだが…まあ、及第点で我慢できるレベルか…」
「「ピクピク」」
今度はカイトも表情を崩し、アクリアに至っては額に青筋を立てている。
「…しかし、見れば見るほどパッとしない。…体格がいいのは認めるが、それ以外は並以下か…」
天が継続して、礼儀正しく一礼をしてシャロンヌに受け答えしているというのに、シャロンヌの方は彼を見下した様な振る舞いを取り、返事もしなければ軽い会釈すらない。
「…せめてナダイぐらい整っていれば…我慢せずともすむのだが…」
それどころか、彼女はぼやくように、聞き捨てのならない言葉を二度も口にしていた。
「ギリ…」
不満気に奥歯を噛み締めるカイト。
「ヒクヒクッ」
アクリアは頬をひくつかせて必死に怒りを抑えていた。あまりにか細い声で言っていたのでリナには聞こえていなかったようだが、その言葉はしっかりとカイトとアクリアの耳には届いていた。
「…まあ、贅沢を言っても始まらんしな…」
尚、そんな失礼な態度を取られている張本人はというと、
…30…いや、25点ってとこか?おっさんがあんなに推してたから、少なからず期待してはいたんだがな。会ってみれば、並の冒険士よりいくらかマシな程度の沸点の低そうな女だ…。
言葉のニュアンスは致命的に異なるが、天はある意味でシャロンヌと似たような評価を彼女自身に下していた。シャロンヌが自分を値踏みするような態度をとっているのは、勿論彼もすぐに気づいていた。
…おっさんから俺の危険性を少しでも知らされてんなら、普通はもっと慎重に接するべきなんだがな?しかもこいつ、最初のカイト達と違って自分の感情を隠す気も、俺に対する遠慮もない。馬鹿かこの女は…。
本来なら、会議の時のリナの話に基づき。できるだけ天には慎重に接しなくてはならないということなど、言われずともシャロンヌは心得ていたはずなのだが。
「ふん、かしこまった挨拶はもういい」
天が初めにシャロンヌにした挨拶。良く言えば社交的、悪く言えば腰の低いその口上が、彼女にとっては初対面の人型が自分にするいつも通り過ぎるコミュニケーションであった。
「それよりも、早く行動に移らねばならん。今は時間がない」
その為、シャロンヌは勘違いしてしまったのだ。天がステータス以外は一山いくらの男だと。主導権を握ったのは自身であると。
…まあ、こいつがこのチームにいる間、できるだけ話を合わせて、せいぜい持ってる情報を引き出させてもらうか…。
だが、天はそんな生易しい男ではない。すでにある程度の見切りをつけて、強かに今後のシャロンヌへの対応や方針を固めていた。
「では、早速あちらに停めてある動力車で行動を開始しましょう女帝殿」
シャロンヌを持ち上げるような言葉をささやき、天は踵を返してカイト達の方へとゆっくり振り返った。
「みんな、お待ちかねだ」
振り返りざま彼等にそう告げた天の貌は、どこまでも鋭く。研ぎ澄まされた氷の刃のように、冷たく鋭利な気勢を帯びていた。
「…ゴク」
「ポー…」
「ウズウズ」
天のその有り様を目にし、カイト、アクリア、リナは、それぞれ三者三様の反応を見せた。
「…あ、ああ」
一人はぞくりと背筋に冷たいものを感じ。
「天…様…」
一人は酔ったようにうっとりとして。
「…たまらないの」
一人は高揚する感情からか、猟奇的な笑みを浮かべていた。ただ三名に共通する点があるとすれば、たった今、感じていたシャロンヌに対するわずかながらの憤りなど、一瞬にして吹き飛んでしまったということだ。
「待て、花村天」
あたかも彼等の意気込みを挫くようなタイミングで、シャロンヌは自分に背を向けた天を呼び止める。
…しまったかな。さすがに今の台詞はへりくだり過ぎたか…。
いつもの癖で、つい口にしてしまったさりげない失言。それを指摘されるものと、瞬時に身構える天。
「なにか?」
ここは素知らぬふりで乗り切るべきと判断した彼は、シャロンヌの方には顔を向けず、背中越しで彼女へ感情を押し殺した機械的な返事をした。
「俺はまどろっこしいことは好かん。単刀直入に言おう…この案件が片付いたら、俺に雇われる気はないか?」
「…は?」
しかし彼女からの要件は、天のみならず、彼を除く他の三人にとっても寝耳に水なものであった。
「なっ!シャ、シャロンヌさん!!それはどういう意味でおっしゃられているのでしょうか!!」
天が訊き返すよりも先に、彼のすぐ側にいたアクリアが血相を変えてシャロンヌに食ってかかる。
「言ったままの意味だ。花村天の力が欲しいから、俺のものにならないかとこの男に交渉している」
「なな、なぁあ!! 」
「アクさんちょっと落ち着くの…。ま、気持ちは超わかるのですが」
「…これはまた随分と強引ですね?彼は俺達のチームのリーダーなのは、言わずともシャロンヌさんはご存知のはずだと思いますが?」
…ん?このチームのリーダーってカイトじゃないのか?…。
一瞬そんな疑問が天の頭に浮かんだ。だが、今はそんなことはどうでもいい事柄なので、天は即座に胸の内にその疑念をしまい込む。
…マズイな。みんな、相当に今ので頭に血が上っちまってる…。
彼の目の前にいる仲間達の表情は、全員が不機嫌そのものであった。
「カイト。今のお前のセリフは、とてもプロの冒険士とは思えんぞ?お前なら当然理解していると思うが、条件の良い方とチームを組むのは、俺たち冒険士の常識ではないか?」
だが、そんなカイト達の心境など御構い無しに。シャロンヌはしたり顔で、続け様に彼等を逆撫でするようなことを述べる。
「こう言ってはなんだが…様々な意味で、俺以上に条件が破格な冒険士など、滅多にいるものではない。無論、それはお前たち三人を含めた場合でも例外ではない」
「…あ?」
最初に目の色を変えたのはリナだった。
「今の言葉は聞き捨てなりませんね…」
続いてカイトが表情に影を落とす。
「…私は、今まで常夜の女帝という高名な冒険士を見誤っていたようでございます。まさかこんな…」
そして恐らくは、この中で最もシャロンヌの態度を不快に感じているであろうアクリアが、冷えきった瞳で彼女の批判を口にしようとしたその時。
ス…
天が三人(主にアクリアだが)の前に掌を翳し、彼等をなだめるように制した。
「ジィ…」
『ここは俺に任せろ』彼は細目の瞼を持ち上げ、真摯な眼で三人に言葉ではなく自らの態度でそう伝えた。
「「コク…」」
「ドキッ…コクコクコクコク!」
こうなったら結束の固い彼等のこと、天のそのメッセージを汲み取るのに要する時間など無いに等しい。若干一名は、他の二名と多少異なる反応を見せたが、それでもシャロンヌに対しての憤りは抑え込めた。
「シャロンヌさん。率直に申し上げますが、俺はこのチームを抜ける気はありません」
そんな仲間達に小さく頷き返して、天はシャロンヌの方を見向きもせずに背中で返答をした。
「ほう、貴殿は見かけによらず小心者なのか?」
「何をどう思ってそう判断したのかはわかりかねますが、そう捉えてもらっても構いません」
言葉遣いこそ丁寧だったが、天の声音は酷く冷めたものであった。
「何よりあなたもおっしゃられていましたが、今はそんなことを話している余裕はないはずです」
「そう邪険にするな。すぐに済む…まずは、俺が貴殿を雇うにあたって支払う対価を聞いてもらいたい」
「対価?」
「そうだ。俺はこの肉体の全てを貴殿に捧げようではないか」
「なぁあっ!!シャ、シャ、シャロン…ングッ!」
シャロンヌが熱を帯びた視線を天に送る。その瞬間、それまで大人しく二人の会話を傍観していたはずのアクリアが、目を剥いて彼女に猛抗議しようと口を開く。が、すぐさま両脇の二人に取り押さえられた。
…なるほど、俺を色で籠絡するつもりか…。
シャロンヌが自分に何を言いたいのか天は瞬時に理解した。
…それにしてもお粗末な駆け引きだ。この女、本当におっさんと同じSランクの冒険士か?…。
それを踏まえ、より彼女への失望の色を濃くする天。あえて口には出さないが、彼の心情は白けきっていた。一方のシャロンヌはというと、
「無論、永久にとは言えんがな?それでも、数年単位で貴殿に貸し与えてやる」
自分に対するそんな不評など知る由もなく。自信満々といった表情で天との交渉に臨んでいた。
「…つまりは、あなたのその美貌を俺の好きにできると?」
「そういうことだ。どうだ?悪くないどころか天にも昇るほどに魅力的な報酬だろう?」
「確かに、あなたのような絶世の美女を自分の好きにできるなど…ある意味でそれは、男の夢の一つかもしれませんね」
「であろう?そのような幸運は一生の内に一度、巡ってくるかこないか。いいや、この気を逃せば、貴殿は一生分の幸運を棒に振ることに…」
「ですが、丁重にお断りさせていただきます」
「…へ?」
「あなたが今提示した条件が、俺にとってこのチームの仲間達と共にあることより魅力的な報酬とは、到底思えないので」
シャロンヌのペースなどまるで無視して、天は彼女の口上を途中で遮り、きっぱりとそう断言した。
「では、これでこの話は終わりですね」
天は冷ややかな口調で彼女にそう告げると。目の前にいるカイト達に、話は終わったと目で合図を送り、彼等に『行くぞ』といった仕草を見せ、止めていた歩みを再開して動力車へと歩いていく。
「ハハ、光栄だな」
「むしろ当然なのです」
自分達の方に歩み寄ってくる天に、ニンマリと笑顔を見せるカイトとリナ。二人はシャロンヌに背を向けながら天を間に入れるように道を開け、彼と肩を並べて満足気に歩き出した。
「シャロンヌさんもお早く」
呆然としているシャロンヌへ、勝ち誇ったように声をかけるアクリア。よく見ると、アクリアは右手で小さくガッツポーズをしていた。
「それでは、私は一足先に」
綺麗な姿勢でシャロンヌに一礼してから、アクリアはわずかに先を行く天達三人に追いつくべく、回れ右をしてかけていった。
「フ〜ン♪フフフン♪フ〜ン♪」
気の所為か、鼻歌交じりにシャロンヌに見せた彼女の背中は、敗北して立ち尽くしている女を嘲笑っているように見えなくもない。
「……待て!!花村天!!」
そんな中。我に返ったシャロンヌは、先ほどの余裕の表情とは打って変わり、怒りと屈辱に彩られた顔で再び声を張り上げて天を呼び止める。
「まだなにか?」
反対に、天の方はいたって平常運転だ。
「お、お前は正気か!お前程度の器量の男が、このシャロンヌを自由できる権利を放棄するなどと、正気の沙汰ではないっ!!」
今や天に遠慮もなにもなしで、あれほどシストから『彼に対して高圧的な態度をとるな』と釘を刺されていたにも拘らず、シャロンヌは、天に暴言にも似た言葉を浴びせる。
「そ、そうだ!数年単位と言ったのは取り消そう!半永久的にお前にこの身を…」
だが今の彼女は、どちからと言えば追いつめられているようにも見える。必死に天を説得しようとするシャロンヌのその様は、交渉というよりは懇願に近いものだ。
「必要ありません」
対して、天の回答は当然、NOである。もはや彼女に顔を向けないどころか、歩みを止めて立ち止まることすらしない。
「うぐっ」
実の所、シャロンヌも天との対面にあたり、自らに仮面をつけた。虚勢という名の仮面を。
「…認めん…認めんぞ!」
シャロンヌは最初から見抜いていた。この山の麓で天の圧力を感じた時から、彼が自分の手に負える相手ではないということを。
「こんな…こんなことが…」
そして、それは天と直に対面して確信に変わった。『この男は危険だ』と。彼を前にした瞬間、シャロンヌの長年の経験則と、五感全てが最大級の警報を鳴らしていたのだ。
「…ギリッ」
無意識にシャロンヌは強い歯ぎしりをする。自分の勘はやはり当たっていた。天が最初に見せた礼節をわきまえた態度にすっかり安心して、そして勘違いしてしまったのだと。その安心を確かなものにする為に、自分は早まった選択をしてしまったのだと。
「あの時に…」
気づくべきだったのだ。この男が何故、最初に『自分はFランク冒険士』などとわざわざ口に出して自己紹介したのかを。
「くっ…」
これは明らかに自分を試す台詞だ。最低ランクの冒険士だと伝えた時の反応や、その後の自身に対する態度を見るための。
「ま、待て!!」
だがもう取り返しはつかない。それに何より、自分にも女としての意地とプライドがある。もう後戻りできないのなら、このまま強引に行くしかないと、シャロンヌは天の背中を慌てて追いかける。
「な、なんならっ!ためしに今晩にでも俺と一夜をともにするか?そうすれば…きっとお前の気もすぐに変わるはずだ!!」
「ハァ……」
眉間に手を当てて、天は疲れたようにため息をつく。
「…なあ、本当にあの恥女が『常夜の女帝』なのか?」
ついに彼も我慢?の限界にきたのか。取り繕っていた態度を崩し、砕けた感じでつまらなそうに不満を口にしてしまう。
「俺には、とてもそんなに凄い奴には見えんぞ…」
彼は半ば呆れ果てた顔をして、シャロンヌの方に目も向けず、彼女に背を向けたまま親指でシャロンヌを指差し、目の前にいる仲間達に訊ねる。
「なっ!!」
当然、シャロンヌには天の言葉は一言一句しっかりと聞こえている。そして、当然に天はそれを踏まえてわざと彼女に聞こえる様に嫌味を言っていた。
「き、きさま!それは一体どういう…」
『凄い奴には見えない』天のその言葉を受け、シャロンヌは引いていた血の気が一気に頭に上ってくるのを感じた。最高峰の冒険士として、断じて聞き捨てならない台詞だった。
「私には御本人かどうか判断しかねます」
しかし、そんな彼女をアクリアの一言が遮る。
「…え?」
シャロンヌが目を丸くした。アクリアが天の問いかけに『本人かどうかわからない』と間髪を容れず答えたからだ。
「シャロンヌさんとは、数えるほどしか直接的な顔合わせをしたことがありません」
アクリアの現在の心境は、下手をしなくとも天以上にシャロンヌに対して不信感を抱いていた。
「ですので、彼女が本当にシャロンヌさん御本人かどうか…私からはっきりとは断言できません!」
従って、ここでアクリアが天の後押しをするのは自然な流れである。
「おそらくは本人で間違いないと思うよ。ただ、確かな確証があるかと言えば微妙だけどね…」
次に天の問いかけに答えたのはカイトだ。彼は、アクリアと比べれば比較的に中立な立場を取ったようにも思えるが。其の実、しっかりと言葉尻に棘を仕込ませていた。
「お、おい!」
堪らず、身を乗り出して抗議の姿勢を見せるシャロンヌ。
「申し訳ありません。大切な仲間である彼に向けて、自分の憶測だけでものを言うのは少し気が引けたので」
されど、カイトは臆さずに彼女へ自分の考えを告げる。如何な女性に優しい紳士的な彼でも、今のシャロンヌの態度に無罪放免とまではいかなかったようだ。
「間違いなくシャロンヌさん本人なのです」
最後に発言したのは、このチームのブレーンであるリナだ。
「リナっ!」
リナのその発言とともに、シャロンヌの曇っていた表情がパァッと明るくなる。ようやく、自分の味方が現れたとでも思ったのか。
「いくら本物に姿形を似せようと、匂いまでは普通、誤魔化せないのです」
「は?誤魔化せない?」
だが、リナはそんなに甘い女ではない。
「よって、残念ながらアレがシャロンヌさんで間違いないのです…」
芝居じみた言動で、悔しそうに下唇を噛むリナ。
「へ?」
途端、シャロンヌが間の抜けた顔をリナの方に向けた。
「だから、天兄には非常に言いにくいのですが…多分彼女は、シャロンヌさんで確定なの…」
そんなシャロンヌを横目に、リナは作為あるその体裁を崩さぬまま、天に申し訳なさそうにそう答える。
「…そうか。言われてみれば、リナの鼻がこの距離から人型の…それも特徴的な女の匂いを嗅ぎ分けられないはずないもんな…」
「なのです…」
天もリナに乗っかり、あからさまに残念だという振る舞いを取って大袈裟に肩を落とした。こうなったら、この二人は阿吽の呼吸で息ぴったりである。
「プルプルプル…」
二人がそんな小芝居を繰り広げている傍ら、シャロンヌはわなわなと自身の体を震わせていた。
「リナ…最後にもう一度だけ確認してくれないか?」
「…了解なのです」
「悪いな…」
「ううん…いいの天兄。だって、天兄の気持ちは痛いほどわかるから…」
「…おい、貴様ら…」
「クンクンクンクン…」
「……どうだリナ?」
「残念ながら、本人に間違いないの…」
「そう…か」
ブチ…
この寸劇の最後となる台詞。天がそれを落胆したような声で言い終えると。同時に、何かが切れるような音が、この場にいた約一名を除く全員の深層意識に届いた…ような気がした。
「この俺がっ!!正真正銘の常夜の女帝、Sランク冒険士のシャロンヌ本人だぁあああああ!!!」
雄大な自然に囲まれたおだやかな山々に、一人の美しい女性の荒々しい怒鳴り声が木霊する。
「ハァ…ハァ…」
「…承知した。では、こちらも改めて自己紹介させていただこう」
癇癪を起こして息を切らせるシャロンヌを尻目に。天は意地の悪い笑みを一瞬だけ浮かべた後、見事な体捌きでシャロンヌの方へと体を向き直し、鋭い眼光で彼女を射抜いた。
「俺が三柱神より定められし英雄にして“人型最強の冒険士“…花村天だ」
後の人型の世において、数えきれぬほどの武勇を築く彼等五人。これが、その冒険士達の始まりの出会いであった。




