第41話 武勇がたり下の巻
シーーーン
誰も声が出なかった。灯りが失われた部屋を静寂が支配する。中央にある雅やかな大理石のテーブル席と、その中心に置かれたドバイザーの立体映像が、月あかりのように僅かな優しい光を照らす中。二十人近くいる冒険士達は、戦慄と恐怖心から固唾を呑んでいる。
「皆さん。天兄さんはコレを…武器や魔技を一切使わずに、素手のみで実行したのです」
その中で最初に声を出したのは、この場での説明役、語り部のリナだった。
「……いってぇどんな手品師だよ…。そのあんちゃんはよぉ?見たことねえぜぇ…こんなBランクモンスターの死体なんざ…」
致命傷である首元。まるで、スプーンでくり抜かれたかのように綺麗に抉れ、なくなってしまっている傷元を食い入るように見ながら、ナダイはそう呟く。
「レベルの高いスキル同士を合わせた魔装技であるならば…或いは可能かもしれんが」
「…せやね?せやけど…。ものごっついろんな要素が合わさらな、こんなふうに準ディザスター…リザードキングを倒すんはできんやろね…」
「はい。私の『雷鳴斬』とて、このようにリザードキングを屠ることは至難…」
「…天君はコレを、魔装技、魔技はもちろんのこと、武器を一切使わずに行ったと…流石の儂も驚きを禁じ得ないのだよ」
あのシストですら、いつもしている高笑いをせずに、緊張した顔で、ドバイザーに映し出されたリザードキングの死体を直視していた。
「付け加えるなら、彼が…その…言い方は幼稚かもしれませんが、リザードキングに対して…いわゆる『切れて』から、討伐までにかかった時間は、僅か10秒前後だったと思います」
「はいなのですカイトさん。もっと言えば、天兄さんが技を出した次の瞬間に、その映像の状態…リザードキングは、首元から上がくり抜かれたかのように消えていたのです」
「私も見ましたわ…天さんが初撃でリザードキングを打倒し、平伏させた一部始終を」
「私もでございます皆様。鬼気迫る戦場に、まばゆいばかりの閃光が放たれ、気がついた時には…その全てをあのお方は終わらせておりました」
現場にいたカイト、リナ、マリーにアクリアの四人の冒険士達は、頻りに証言をして、より的確に当時の事を語った。
「…その男は人ではないな…。俺も、今やっと会長殿の心境がわかった。是が非でも…例え跪いてでも、敵にはまわしてはならない何かだ…その男は…」
誇り高き女帝であるシャロンヌが、そのプライドを捨ててでも、間違っても敵対してはいけないとまで発言した。しかし、それを大袈裟だと思うものは、既にこの場には存在しなかった。
「…ぷっぷ〜、また少しチビってしまったのだ…。つまり、会議が始まる前にトイレに行っておけば良かったってこと…」
「…普通なら引くところなんだが…俺も、油断すると失禁しそうなほどの恐怖心が体を支配しているよサズナ殿。まさに、会長の言う通り…この男性を怒らせてはならないようだ」
「はい。そのようでございますフロンス様…。私も考えを改めさせていただきます。これはもはや、自身の目で直接的に確かめる必要がないほどの事柄であると、疑う余地はありません」
「そのようだ…。エメルナ…これは決して違えてはならない決まり事。肝に銘ずる事項だと言わざるを得ない」
「はいお父様!私も、その決定事項を破らぬよう心がけていきます」
この会議で最初に全員に配られた、手元にある資料に手を添え、レオスナガルは雄弁に語る。
「…リナ殿、リザードキングは、何故、この御仁の怒りをかったのか…差し支えなければ教えて欲しい。これから、私達もその事を教訓にせねばならないだろう」
「……コク」
一呼吸置いて、リナがレオスナガルを見て頷く。彼女は心の底から驚いていた。まさか、冒険士最強とまで言われた人型が、得体のしれない男にそこまで気を配るとは思ってもみなかったからだ。彼もまた、安いプライドより、大義に殉じる真の英雄なのだと、リナはこの瞬間、深く心に刻んだ。
「…謹んでお話しさせていただくのですレオスナガルさん。ただ…」
そんなレオスナガルに一礼して、すぐにシストとマリーの方に顔を向けるリナ。
「この事に関しては、会長やマリーさんの意見を参考にした方がいいかもなので、お二人も教えて欲しいのです。あの子達と天兄さんとの関係を…」
「…そうですね。わかったわリナさん…」
「ふむ。確かにリナ君達は、淳君達の事はほとんど知らなかったね?だが儂も、天君と彼等が、一緒にチームを組んでたという事ぐらいしか把握しとらんのだよ」
「…やっぱりなのですか」
「…兄さんのあの取り乱しようを見るに、他にないだろう…」
「………」
天の元チームメイトというシストの言葉を聞き、現在のチームメイト、リナ、カイト、アクリアは複雑そうな顔をしていた。
「「「………」」」
なんらかの事情があって、天はそのチームを抜けた。その事情が、高確率で、決して気持ちのいいものではないことぐらい、冒険士歴の長い三人はそれとなく察していた。特にカイトとアクリアは、もしかしたら自分達がナイスンと別れた時よりも重い事情かもしれない。つらい事情かもしれない。そう考えると、どうしても表情が曇ってしまう。
「…私の姪が、その冒険士チームの一員でしたので、色々と天さん…彼の話を聞いてきてあります。なので…掻い摘んでお話しいたしますわ」
そう言って数歩前に出て、彼等と天の関係を当たり障りのない程度で、マリーは皆に話し始める。
「まず初めに…彼は、ソシスト共和国の首都、冒険士協会本部がある都市の西に位置する、とある山奥に一人で住んでいたらしいのですが…」
彼女はこんなこともあろうかと、ジュリからおおよその事情をつい先日に聞いていた。天との出会いから別れまでの全てを。
「…結局、天さんは彼等と…力量差や考え方の違いから…折り合いがつかずにチームを抜けたようです…」
おおよその事情を話し終えたマリーは、元いた位置に戻り、軽くお辞儀をして吐息を漏らす。
「……フゥ…」
この時、彼女は天と淳達の間におこった全ての出来事を知っていたが、あえて掻い摘んで皆に伝え、込み入った事情は一切話さなかった。
「…………」
それは、彼女は天の気持ちも十分理解できたからだ。すべてを承知の上で、天と淳達の双方の気持ちを汲み取り、当たり障りのないよう、それでいて要点は正確に伝えた彼女は、まさにできる女であり、思慮深い大人の女性と言えるであろう。
「…そういう事情だったのですか。でも納得なのです。言っちゃ悪いですが、あの天兄さんと、リザードマン程度に苦戦する新米冒険士チームとじゃ、折り合いがつかなくて当然なのです」
「「………」」
おそらくそれだけではないだろうと。カイトとアクリアは、長年付き合ってきた姉貴分であるマリーの、話している時の表情の変化や声質で自然と悟っていた。感の鋭いリナも、実のところはその事を見抜いていたのだが、彼女にしては珍しく、その事情について、意識的に思考を止めていた。それは…
「…今のチームメイトはあたし達なのです…」
認めたくなかった。失いたくはなかった。自分が長年追い求めていた以上の主人が、もし万が一、彼等とよりを戻して自分達の元から離れてしまうかもしれないという可能性を。彼女は推測したくはなかったのだ。
「……はい。その事は変えられない事柄であり…そして、これからも変わることのない事項でございます」
そしてアクリアもまた、そんなリナの気持ちが痛いほどわかっていたので、それ以上の詮索をすることを頭の中で止めた。
「まあ新米冒険士という点においては、天君も淳君達と同じなんだがね。しかし…」
「色々と無理があるのです会長…」
「違いないのだよ。リナ君の言った言葉ではないがね?遅かれ早かれ天君と淳君達は袂を分かっていたよ…。彼等と天君では住む世界が違いすぎる…」
「でもよ…これでハッキリしたぜぇ」
しんみりとした雰囲気を醸し出すシスト達を余所に、納得したようにナダイが口を開いた。
「さっきリナ嬢がセイレスにすごんで忠告したことはよぉ?ハッタリじゃあねぇ…マジの忠告だったんだな?」
「その通りなのですナダイさん!まだあたし達も、天兄さんとチームを組んで日は浅いのですが、彼は友人や仲間を凄い大切にするタイプの人だと、あたしは感じたのです!」
「ああ…俺もそう感じたよ」
「私もよカイト…彼が怒りを表に出す時は、決まって仲間に関することだったわ」
「はい!それは紛うことなき真実でございます!」
「が〜はっはっはは!儂も君達と同じ印象を天君から受けたのだよ!いや、断言できる!彼は仲間を大切にする漢なのだよ!長年、数多くの冒険士を見てきた儂が言うのだから間違いない!!」
花村天という人物を知る者達は、リナのその意見に文句なしに満場一致した。
「だから、大切に思っている友人のことを侮辱されたり、傷つけたりしたら、天兄さんは高確率で相手に切れるかもなのです」
「ああ、俺もそう思うよリナ」
カイトはどこか嬉しそうな声で、相槌を打った。
「一般の人型が癇癪を起こしたとしても、普通ならその場の殴り合いで終わりかもしれないのですが…天兄さんの場合は…」
「…間違いなくそんな平和には終わらんだろうね?ハイリザードマンの首を軽く捥ぐ人型に、本気で殴られる…まさに…想像しただけで背筋が凍るよ…」
「…ぷっぷ〜、顔面パンチで首から上が吹き飛ぶ可能性があるのだ。つまり、お陀仏ってこと…」
言いながら、顔を青ざめるフロンスとサズナ。
「だな?下手したらマジで死ぬぜぇ?ぜっっ…てぇにねぇがよ!?俺が切れて赤ん坊に本気の蹴りをおみまいするぐらい危険だぜぇ…」
「…ナダイお前…自分の子供になんという非道を…」
まるでゴミを見るような蔑んだ目でシャロンヌはナダイを見る。
「だから今、前もって言ったよなぁ俺!!?ぜってぇ〜〜そんなことはしねえってよ!分かってて言ってんだろシャロンヌ!!」
「うるさいナダイ…軽い冗談だ。…それぐらいわかれ」
「ぐっ…オメェが言うと冗談に聞こえねぇんだよ!てかオメェ…さっきの仕返しで言っただろ、いま…」
「……フン」
不機嫌そうにソッポを向くシャロンヌ。先ほどナダイに正論で突っ込まれたことをまだ根に持っているようだ。
「でも、ナダイさんの例えは凄い正確なのです。魔技、魔装技なしで天兄さんを相手にしたら、たとえSランクのフレイムプリンセスでも…」
「…うむ。セイレスと天君の実力差は、火を見るよりも明らかなのだよ。彼にとっては、セイレスとて赤子同然であろうな…そうなると…」
「彼女の性格と先ほどの態度を見るに…早い内に釘を刺しておいた方がよろしいかもしれませんね?会長…」
「…そのようだね」
真剣な表情でカイトがシストに耳打ちする。その進言を受け、シストは額に手を当てながら疲れた顔をして頷いた。
「…そうなるとナイスンも危ないわね…」
シスト同様、非常に気疲れしたような表情で、マリーがガックリと肩を落とす。
「…その二人は要注意なのです。…でも、多分、一番危険なのはミルサ姉さんなのです…」
「違げぇねえやなリナ嬢」
「間違いなくそうだ」
「…そうでございますね」
「…………」
ナダイやシャロンヌ、エメルナまでが、リナがそう言った瞬間、真顔で相槌を入れた。無言のままだが、レオスナガルも難しい顔をしてため息をついている。この反応だけで、彼も他の三人と同意見だということが容易に感じとれる。
「儂も、本心から言わせてもらえば、ミルサ君だけは天君と会わせたくないのだよ…」
他の冒険士達も、あえて口には出さないが、頻りに頷いたり、乾いた笑いを出したりと、皆考えは同じのようだ。
「…なんや、家の馬鹿娘のせいで、いつの間にやらアテの肩身が狭なってもうたんやけど…」
リナの背に隠れるようにして顔を隠すルキナ。
「そのような事はございませんルキナ様」
その背中を愛おしそうにさすりながら、アクリアが彼女に優しく声をかける。
「親は親…子は子でございます。さらに言うなれば、彼女は…一度もお会いしたことはございませんが、立派な成人であり最高峰の冒険士である人型。自身の行動の責は、全て己で取らなくてはならないと存じます」
「………アクリアちゃん!!」
タッ!
「いたっ!」
ルキナはリナの背を踏み台にして、感極まった様子でアクリアの胸に飛び込む。
ガバッ
「きゃっ…」
「やっぱ、アクリアちゃんはむっちゃええ子や!!ミルサとは大違いや!なあなあアクリアちゃん…ホンマにアテの養女にならへん?」
「…えっと…お気持ちは大変嬉しく思うのですが…」
並々ならぬ迫力でせまってくるルキナに、たじろぎながら気圧されるアクリアを見て、シストが呆れながら仲介に入った。
「止めんかルキナ姐!…気持ちはわからんでもないがね…それでも、この場はそのようなことを話す場ではないのだよ」
「……ほんの冗談やよ…」
そう言いながらも、心底残念そうな、そしてどこか哀しい表情を見せ、ルキナはアクリアから離れようとした。
ギュ…
「ルキナ様…私のような者に…身に余る光栄でございます。過分なご配慮をいただき、誠にありがとうございます」
自身の胸から離れようとしたルキナを、アクリアは優しく包み込むように抱きしめた。
「………ホンマに…アクリアちゃんはルミナスとそっくりや…」
「…ルキナ様?」
アクリアの胸に顔を埋めながら、ルキナは小さく呟いた。聞き覚えのない名に、アクリアは不思議そうに首を傾げる。
「…なぁアクリアちゃん。この会議終わるんまで…このまま抱っこしててもらってもええかな?」
「…はい、勿論でございますルキナ様。私の胸などでよろしければいくらでも…」
「…おおきにな、アクリアちゃん」
きっと何か事情があるのだと、勘のいいアクリアは瞬時に理解した。そしてそれ以上はなにも聞かず、ただルキナを抱きしめた。そんな彼女に、心から礼を言うルキナ。
「どっちにしろ、アクさんを…あの女好きのミルサ姉さんの近くになんかとても置けないのです」
いつの間にか、妙な空気が二人を通じて流れ出したのを止めたのは、耳の穴をほじりながら鬱陶しそうにしているリナだ。
「…たまには空気を読まなあかんよリナちゃん?シリアスムードが台無しやん!」
アクリアに抱き抱えられた状態で、顔だけリナの方を向いて文句を言うルキナに、彼女はドヤ顔で…
「逆なのです!空気を読んだからあえて壊したのです!確信犯なのです!」
「…こん子は〜」
「しかしルキナ様…リナのその意見はもっともです。あの女好きの色情狂の側に、アクリアのような娘を近づけたら、何をされるかわかったものではない…」
「うっ……自分の娘なんに、なんも弁護できんのが痛いところやね…」
ふてぶてしい態度をとるリナに、ルキナがお灸をすえようとした時。シャロンヌが、憎々しげな顔をしてリナの後押しをした。これではルキナも彼女に対して強くは出られない。
「そもそも、あいつは毎回、俺に会うたびに尻や胸を触ってくる!ルキナ様の娘であり同じ女であっても、俺は、そろそろ本気で奴に殺意をいだいている…」
「だな?あの馬鹿の女好きと男嫌いは筋金入りだぜぇ。俺も昔、あいつの肩に手をおいただけでよ…本気で蹴ってきやがったからな?ミルサの野郎はよぉ…」
「ある意味、ミルサ姉さんはナスよりもタチが悪いのです。あそこまで自信過剰じゃないのですが、なんでも思い通りにしないと気がすまないところなんて、まるでワガママな幼児なのです…」
「まったくだ!!あいつは、戦力以外は全てFランクだ!!」
余程そのミルサという冒険士に思うところがあるのであろう。
「くそっ!思い出しただけでもムカムカしてくる!!」
ナダイに冗談交じりに向ける蔑んだ目つきとは明らかに違い、本気で毛嫌いした顔をして、シャロンヌは憤りを強くし吐き捨てる。
「……なんや、みんな…ホンマに堪忍な?家の馬鹿娘が色々と迷惑かけてしもて…。…アクリアちゃん、悪いんやけど、ちょっと強めにギュってしてくれへん?」
自分の娘の素行の所為で、女王としての立場がなくなりそうになったルキナは、アクリアの胸に顔を埋めて気落ちしている。
「かしこまりましたルキナ様…」
ギューー
アクリアはルキナの要望通りに、落ち込む彼女を慈しむように抱きしめる。
「…あ〜、癒やされるわ〜」
「何をやっておるのだおぬしは…」
シストが、10倍ほど年の差があるアクリアへ甘える盟友に呆れ顔を向けている。まだそんな余裕を見せられるシスト達とは裏腹に、部屋の明かりが消えてからずっと、立体映像に視線を釘付けになっていたフロンスが、余裕のない青ざめた表情でリナにある質問をする。
「リナ君…君の率直な意見を聞きたいのだが、この花村天という人型と我々とでは…どれほどの力量差があると君は感じたか…。正直に答えてくれないかな…」
先ほどのエメルナの件に加え、ルキナからのお墨付きまである彼女の戦力分析。その信頼性の高い彼女の意見を、フロンスは聞かずにはいられなかった。
「…俺もソレは聞きてえぜぇ。…大まかになら、リナ嬢は最初にも言ってたことだがよ?俺等じゃその兄ちゃんには傷一つつけられねぇって…」
フロンスに続いて、ナダイも難しい顔をして、ドバイザーの映像から目を離さずにリナに尋ねる。
「つまりよぉ…実際のとこ、ここにいる全員とその花村天って男とはよ?いってぇどれほどの力の差があるか…俺らのことは、これっぽっちも気にしねぇでいいからよ?遠慮なしの感想を教えてくれやリナ嬢。…結局は俺等も、そいつにとってはミミズと変わらねぇのか?」
「ナダイさん…正直に言わせてもらうのです。大して変わらないと思うのです。例えるなら、ミミズもコケッシーも竜にとっては大差ないのです…」
「…そりゃそうだ。GランクがFランクになったとしてもよぉ…Aランクには傷一つつけられねえぜぇ…」
落胆した声でリナの意見に納得するナダイ。彼も最高峰の冒険士としてのプライドがあった。だが、今までのリナの話と、この映像を見せられてしまったら、魔技と魔装技が一切通用しない天に対して、自分が、Fランクモンスター程度の脅威でしかないと言われても、認めざるを得なかった。
「…ぷっぷ〜…。素手でこんなことできる上に、魔技と魔装技が効かないとか…理不尽すぎるのだ。つまり、悪魔筋肉神ってこと…」
「…いいえサズナさん…それは違います。天様は悪魔などでは断じてございま…」
「話を戻すのです」
サズナとアクリアが、またしょうもない会話になる流れを素早く察知し、リナはすかさずソレを潰す。その手際の良さは、最早職人芸と言えるであろう。
「…あたしは、ミルサ姉さんが本気で激怒した時の怒気やプレッシャーを肌で感じたことがあるのです…」
「…リナちゃん…あん時のことやね?」
ルキナはすぐに、リナがいつの記憶を思い出して喋っているかを察した。心なしか、その声にはげんなりとした感じが伺える。
「はいなのです…あの時のことなのですルキナ様…」
リナもルキナ同様、うんざりした顔をして力なく首を縦にふる。
「あの時のミルサ姉さんには、あたしもビビって足が竦んだのです。…だけど…」
ゴクンと生唾を飲み込んで、リナは狂気にも似た笑みを浮かべる。ミルサの激怒と天の逆鱗。当時を振り返ってその両方を比べているようだ。
「…それでもやっぱり、天兄さんのマジ切れは次元が違うのです。あんな殺気と圧倒的なプレッシャーは…あたしも生まれて初めてだったのです。…ゴクンッ」
狂気的な笑みを浮かべたまま、リナは震える体を抑えつけ、もう一度大きく生唾を飲んだ。
「皆さん…正直に言うのです。情けない話なのですが、あたしは、天兄さんが殺気を放った瞬間。その放たれたプレッシャーに耐えかねて…その場で胃の中の物を全部リバースしちゃったのです…」
「…リナ…その程度なら恥じることはないよ…。皆さん…俺も、恥ずかしながら当時の心境を語らせてもらいます…」
そう言って、カイトは恐怖で震えている自分の足を、手で握り潰すかのように、思い切り力を込めて掴んだ。
「俺は…あの時。あまりの恐怖から、現場までの足に使った動力車で、その場から逃げようとしました…」
腹の底から後悔の念を吐き出すカイト。
「絶対に逆らってはいけない、近づいてはいけない、戦ってはいけないと、自分のチームの…仲間のはずの彼に対して、そんな事を思ってしまったんです俺は!!」
自己嫌悪を隠すことなく表に出して、自分自身を責めるように、カイトは悲痛に歪む顔で当時の事を振り返っていた。
「後から…冒険士としても、同じ男としても、只々情けなくて…どうしようもなく凹みましたよ。…ははは」
「「…カイト」」
辛そうに当時の事を告白したカイトに、アクリアとマリーは哀愁を帯びた面持ちで慰めの言葉を探しているようだった。しかし、彼へ言葉を贈ったのは、彼女達二人ではなかった。
「…無理もないのだよ。儂等も君達と似た思いを昔しておる。リナ君やカイト君達の味わった恐怖は想像絶するものだと、儂はよくわかるのだよ…のおルキナ姐」
「……女の昔の恥を掘り起こすやなんて、悪趣味やでシスト坊…」
シストに話を振られるやいなや、急にルキナは顔を顰めて不機嫌になる。
「お互い様ではないか…儂の恥部でもあるのだよ…。だからそこは大目にみんかね」
「そやね…まぁええか」
何かを納得した様子で、ルキナはこの場にいる全員に向けて語りかけるように、明かりが消えた部屋の天井を見上げながら、半世紀以上も昔になろう自分の体験談を語り出す。
「アテとシスト坊…それと、ここにおる皆なら当然知っとる、妄執者でお馴染みのド阿保ヨウダンを入れた三人が…若いころな?カイトちゃんが今言ってたんと似たような思いをした事があんねん」
「…若い頃といっても、ルキナ姐はあの時、既に100歳をとうに超えていたのだよ…」
「…いまアテが話しとるやん?ちょっと黙っとってや坊主…」
「…申し訳ありませんルキナ姐さん」
いかなシストも、ルキナに笑顔のままドスの利いた声で凄まれたら、素直に謝るしかなかった。
「でな?そん時にアテらは遭遇してしもたんよ…。シスト坊の目で脅威判定Sを叩き出した…神話級のモンスターに…」
「…会議の最初に、ルキナ様が『デビルイカ』と口にしていたモンスターのことですね?」
フロンスがルキナに問うと、彼女は小さく頷き…
「そや。とんでもなく馬鹿でかいイカのバケモンやった…多分ドラゴンの10倍近くあるんちゃう?」
「「!!」」
ザワザワザワ
「ぷー!!ドラゴンの10倍ってどんだけなのだ!!つまり、想像がつかないってこと!」
「まさに…それは化け物ですね…」
「Sランクのモンスターはそれ程までに格が違う… そうおっしゃりたいのでございますね?ルキナ様は」
「そうやエメルナちゃん…アテらは、その当時から三人とも全員が脅威判定Aやったんやけどね?せやし、そんでもあのイカ見た途端に心が折られたんよ…。挑もうとも思わへんかったね、あん時は…」
「半世紀など優に超えるほどの昔の話なのだがね…今でも鮮明にその時の事は覚えておるのだよ」
シストもルキナと同じように天井を見上げて、昔の苦い思い出に苦笑を漏らす。
「まさに今、カイト君が言っていた言葉通りのことを、儂等三人はそのSランクモンスターに対して感じたのだよ。絶対に戦ってはならん、一刻も早くこの場から逃げなくてはならん…とな」
「いまちょっと思い出しただけなんに足が震えてくるんよ?英雄王とか世間じゃもてはやされとるアテらがや…。しかもSランクでそれやのに…その上とか…この世の中に存在しただけでも驚きやわ」
「…儂も最初に彼を見た時は、ミヨ様から授けられた力だというにもかかわらず、自身のこの目を疑ったのだよ。SSなどという脅威判定は、それほどまでにあり得んのだ」
「やねシスト坊。せやけどリナちゃんやアクちゃん達の話を聞いて確信したわ…そん男、花村天は規格外のバケモンや」
「そう言わざるを得ないでしょう。…ところでリナ殿。今しがた、リナ殿が口にした言葉で気になる事があるのだが…」
暗闇の中、視覚がほとんど制限されているにも関わらず、レオスナガルは真っ直ぐにリナの目を見て、彼女に疑問を投げる。
「どの辺の内容なのです?レオスナガルさん?」
「先ほどのリナ殿の言葉の中で、その御仁は技を繰り出したと言っていたと記憶している。しかし、その御仁は魔力がないため、魔技や魔装技を一切使えないとも聞き及んだ。その上、素手で扱える術…技とは一体…」
「そこを気に留めてくれるなんて、さすがなのですレオスナガルさん!それこそ、あたしがさっき言って、ルキナ様を心配させてしまった…疑似臨死体験と繋がるのです」
「え!そうなんリナちゃん!?」
「そうなのです!ちなみに、先に天兄さんの技の件を説明すると、曰く『闘技』と本人は言っていたんだと思うのです」
「ぷっぷ〜。とうぎ?って一体なんなのだリナ?つまり、聞いたことがないってこと」
「だな?俺も冒険士になってからそれなりにナゲェがよ?とうぎなんて言葉…聞いたことがねえぜぇ」
「俺もだ。察するに、そいつの強さの秘密か何かか?」
サズナ、ナダイ、シャロンヌの三人が初めて耳にする言葉に、それぞれ頭を悩ませていると、レオスナガルがある推測を、静かに口にした。
「…魔技、魔装技とはまた違った…我々、人型の新たな技の体系…私はリナ殿からその闘技という名を聞き、そう思えてならない」
「あたしもレオスナガルさんと一緒の考えなのです。多分アレは、魔力や武器を一切必要としない…天兄さん独自の戦闘スタイルの集大成だと思うのです」
「…成る程、では、その技を使った結果が、このリザードキングの有り様と言うわけだね?まさに…神業だ」
「そん子のオリジナルっちゅうことかね?アテも聞いたことない技名やし。とうぎ…ホンマにそん子はそう言ってたんリナちゃん?」
自分の長い人生の中でも、初めて聞く技の名に、ルキナは頭をひねりながら思考を凝らしていた。
「ルキナ様、間違いございません。私達は、確かにあの時に聴こえました…天様が眩い流星群を生成する刹那『闘技・螺旋流星突き』とおっしゃっていらしたのをはっきりと」
そのルキナの疑問に答えたのは、彼女を抱きかかえていたアクリアであった。
「俺も確かに訊きました。彼が技を出すと同時に、その言葉を発したのを」
「私も聞こえた…いえ、正確に言えば、感じたと言った方が的確かもしれませんね…」
なにやら意味ありげな言葉をマリーが口にする。
「…どういうことかねマリー?」
その言葉の真意がイマイチ理解できなかったのか、シストが少し不思議そうな表情でマリーに問う。
「天さんの口にしたであろう台詞が、現場にいた…私達四人の頭に中に直接的に流れていたように感じたのです。…アレはまるで…」
「『念話』と言いたいんだよな?マリーさんは」
カイトがすかさずマリーの考えに合いの手を入れる。
「ええ、でもそれは…」
「あり得んな…天君は魔力が一切ないのだよ。魔力の総量が高く、才に優れた者なら、エルフ種以外でも念話を使いこなす者もいると聞くが…」
「ぷっぷ〜、才能はともかく、魔力がまるで無いんじゃ、念話は無理なのだ。つまり、筋肉様では不可能ってこと」
「…あのよ〜、単にそのあんちゃんが大声で叫んだだけなんじゃあねぇのか?」
「違うのですナダイさん」
普通に考えたらそうだろといったナダイの疑問を、リナが即座に否定する。
「あの時、天兄さんとあたし達との距離は200メートル近く離れていたのです。大声で叫べば、その距離からでも聞き取る事は難しくないと思うのですが、あたし達が訊いた…天兄さんの聲は、遠くから叫ばれたようなものではなかったのです」
「そうね。天さんの言葉は、直接頭に響くようなものだったわ」
「ああ、俺もそう聞こえたよ。リナとマリーさんが感じたふうにね」
「私もでございます。まるで天から告げられた神託のようでございました」
ギュ〜〜〜
「ウップ、ぐ、ぐるじい…いや、胸は柔いから気持ちいいんやけど。ア、アクリアちゃん…チョット抱きしめる力、抑えてくれへん?」
「ル、ルキナ様!も、申し訳ございません!」
興奮して思い切りルキナの事を締め上げていたようだ。アクリアは、窒息しそうなルキナにタップされて我に返る。
「…これはあくまであたしの推理なのですが」
そんな二人を無視して、リナは、その現象に対する自分の推測を、真剣に話し出した。
「走馬灯に近いことが、あたし達の身に起こったんだと思うのです」
「…リナ君の言いたいことがわかったのだよ。成る程、それで、さっき君は儂等に臨死体験をしたと言っていたのだね?」
「その通りなのです会長。天兄さんが技を繰り出したあの時。あたし達は…本能的に、死を覚悟していたのだと思うのです」
シン…
他の者達も、リナが伝えたい事を正確に読み取り、緊張感から呼吸をするのもままならなかった。無音の暗く静まり返った部屋で、リナの声だけが流れる。
「勿論、天兄さんはあたし達に攻撃する気なんてまるでなかったと思うのです。だけど、あたし達の細胞が直接感じてしまったのです…天兄さんが放った悪魔的な殺気と、当たれば確実に絶命は免れないであろう、絶対的な力の解放を受けて…」
「…ゴクン」
誰かが唾を飲み込んだ音が部屋に響いた。
「その時、あたし達と…多分、その絶対的な力を向けられた張本人であるリザードキングは、死ぬ直前の超感覚の中にいたんだと思うのです…そして、人生最後となる彼の言葉が、頭の中に浮かんだ…フゥ〜〜」
リナ自身もかなり緊張していたのか、その事をあらかた話し終わると、深く息を吐いて額の汗を拭った。
「以上が、あたしのその事象に対する推理なのです」
自分の考えを皆に話し終えたリナは、ジッと円卓テーブルの中央に映し出されている、闘技を受けたリザードキングの立体映像を見つめる。
「あっと…もう時間切れみたいなのです」
リナがそう言うと同時に。その映像を映し出している彼女のドバイザーから、煌々と発していた立体映像の光が、次第に弱まりを見せ、まもなくして完全に消えてしまった。
「…マリー」
「かしこまりました」
それとともに、シストがマリーの名を呼び、何らかの簡易的な指示を出す。常日頃、ともに行動している二人には、コレだけで相手がなにを言いたいか大体の予想がつく。マリーは、暗闇がかる部屋をしっかりとした足取りで進み、そこにたどり着くと、誰かと会話を始めた。ほどなくして…
パッ
VIPルームに明かりが戻り、急な光に目を細める冒険士達。
「「…………」」
カッパードバイザーの映写機能には、当然のごとく時間制限があった。一度撮影した映像を立体映像として、いまのように映し出していられる時間は約10分間と非常に短い。だが、10分間という短い時間ではあったが、花村天の圧倒的な力量と危険性を知らしめるには、それで十分であった。
「「「………」」」
部屋に明かりが戻り、同時に夢から覚めた、いや、まだ夢を見ているかのような表情を浮かべる冒険士達。そんな彼等をぐるりと
見渡して…
「皆さん!!」
リナが深々と頭を下げて声を上げる。
「これであたしが知る、天兄さん…花村天という人物が築いた、武勇伝のお話は終わらせていただきますなのです!」
真剣な面持ちで、心から感謝を伝えるように、彼女は話の終わりを告げる。
「最後まで、あたしのような若輩の小娘の話に耳を傾けてくださり、ありがとうございますなのです!!」
……パチ…
誰かが手を叩いた。すると…
パチパチパチパチパチパチ!
それを口火に、この場にいた全ての冒険士達から、彼女へ惜しみない拍手が贈られた。皆、我に返ったようにリナに顔を向けて、満足気に彼女を見る。
「……色々あったが…今日はリナ君やカイト君達のおかげで、実に身のある会議を行うことができたのだよ…」
リナに拍手を贈りながら、シストはとても嬉しそうに呟く。そして…
「諸君!!」
拍手の手を止めて立ち上がり、皆に向けて威厳ある声で力強く言葉を発する。
「これにて…今回の冒険士緊急会議は終了とさせてもらう!!本日は皆、多忙な中、集まってもらい心より感謝する!!」
シストの大号令とともに、冒険士緊急会議は、参加した冒険士達に様々な衝撃を与えながらも、無事に終わりを告げた。




