第38話 延長戦
「会長、お願いがあるのです」
力の込もったシストの演説も終わり、緊急会議も終盤に差し掛かかろうとしていた頃。シストの後ろに控えていたリナが、一歩前に出て椅子に座っているシストのすぐ横に並ぶように立ち、真剣な顔つきでそう述べる。
「ふむ…どんな頼み事かねリナ君?」
「天兄さん…今回の会議で紹介された人物、花村天という男性がどれほど凄いのか、あたしがここにいる皆さんに説明したいのです…」
目に興奮の色を灯し、大きく息を吸い込んで、彼女は自らの抑えきれないその気持ちを叫んだ。
「彼が築いた数々の武勇伝をあたしの口から皆さんに伝えたいのです!!」
わなわなと体を震わせ、目を輝かせ、オマケに自分の尻尾まで振って、リナは興奮気味にシストに自身の思いの丈を訴えた。彼女がそう進言すると、シストは目を見開き、口の端を目一杯、釣り上げるほどの笑みを作る。そして興奮状態のリナに負けないほど自身の気持ちを昂らせながら…
「がはははは!!!構わんぞリナ君!大いに構わん!!そんな事ならこちらからお願いしたいぐらいだ!!是非よろしく頼むのだよ!!」
シストは嬉しかった。今のリナはまさに自分と同じ気持ち、心緒なのだと感じとったからだ。彼女も自分と同じく。心底、彼に惚れ込んでいるからこそ、彼の凄まじさをより多くの者に知って欲しいのだと。
「ありがとうございますなのです会長!!実はその話しをより正確に皆さんに伝えるために、あたし個人で色々と調べてきたのです!」
そう言ってリナは、自分のドバイザーを出してその中から数枚の原稿を取り出し、手に持つ。その様子を近くで見ていたカイト、アクリア、マリーからそれぞれ感嘆の声が上がった。
「リナ、いつの間にそんな事をしていたんだ?…まさかあの忙しい中、そんな作業までこなしていたなんて…君には頭が下がるよ」
「この緊急会議の資料作成や諸々の準備、リザードキング討伐報告、新支部立ち上げの打ち合わせ…この9日間やらなくてはならない事は山済みでしたのに…凄いですリナさん」
「さっきから思っていたのだけど…リナさんの方が会長の秘書みたいよね?リナさん、いっその事、私と立ち位置を変わらない?」
「お断りするのです」
少し落ち込んだ顔をして、意外と真剣にマリーは大統領秘書と零支部の職員を交換しないかとリナに提案するが、彼女は打てば響くような反応をして、その提案を突き返した。
「あたしの『主人』は天兄さんだけなのです。この事は、もうあたしの中で揺るがない決定事項なのです!」
「「しゅ、主人!!」」
腕を組み誇らしげな態度で、胸を張ってリナがその言葉を口にした瞬間、アクリアとマリーが口を揃えて驚きの声を上げた。
「はっ!なんだよそいつとそういう関係だったわけね?だから俺に変に突っかかってきたのかい犬娘?ならどんだ八つ当たりだね。いくら自分のご主人様が俺より劣っていたからってさ?その腹いせに俺にあんな悪態をつくなんてお門違いだよ」
「…野菜はもう黙ってて欲しいの…人語が理解できるとはあたしももう期待してないの…」
不満気に検討外れの事を言うナイスンの方を見向きもせずに、リナは彼を冷たく斬り捨てた。
「なっ!」
「ぷっぷ〜、いい加減懲りるのだナイスン。さっきからまるで学習してないのだ。つまり、馬鹿にされても仕方ないってこと」
「だ、だけどサズナ…」
ナイスンが何かを言おうとしたその時、彼の文句をかき消すかのように、シストが大声で愉快そうに笑い出した。
「が〜はっはっは!!違うのだよマリー、アクリア君。リナ君はそういった意味合いで天君のことを自らの『主人』と言っておるわけではない。だいいち、それだと儂がマリーの主人ということになってしまうではないかね」
ナイスンの事はまるで眼中にない様子で、自分の後ろに控えて尋常ではないほど取り乱していた女性二名を宥めるため、先ほどとは逆に、今度は自分が彼女の言った言葉の真意を伝えた。
「い、言われてみれば…」
「た、確かにそうなってしまいますね会長」
まだ落ち着いている状態からはほど遠いが、それでもマリーとアクリアは、自身の焦る気持ちをシストの言葉で緩和させ、お互いに勘違いだと自分自身に言い聞かせるように頷いた。
「私達が考えている通りの事をリナさんがおっしゃっているのなら、そう取れてしまいますよね?でもお二人の関係は、一般的な会長と秘書の関係だけだと思いますし…」
「ええ!私と会長はあくまで仕事上だけの関係よ!それ以外の何物でもないわ!」
「マリーさん…一旦、落ち着こう」
どっと疲れた顔をして、アクリアとマリーの間に立っていたカイトも、リナの爆弾発言の処理に参加する。
「…はぁ…。マリーさん、アクリア、会長が説明した通りの事をリナは言っているんだ…。それに…俺はなんとなくリナの気持ちはわかるよ…」
取り乱す同僚の女性二人に、ため息交じりでそう言うと、呆れた中に何処か穏やかな雰囲気を忍ばせて、カイトは小さく首を振った
「はいなのです!あたしのソレは恋愛感情とは違うのです。信仰愛や服従欲…どちらといえば『主従関係』のことを指しているのです!」
「がはははは!!そういう事だ二人共!リナ君は、言ってみれば彼の下にしかつく気がないのだよ…ようは『自分の大将は花村天だけ』と言っておるのだ!がはははは!!」
「その通りなのです会長!!あたしはやっと見つけたのです…自分が仕える理想以上の『主人』を…」
体から湧き上がる何かを抑えつけるようにして、自身の体を強く抱きしめる格好をとり、目をギラつかせ、明らかに普通ではないその劣情を秘めた笑みで、唸るようにそう告げる。そんな彼女を見ていたルキナが少し複雑そうな顔をして…
「…そか、やっと見つけたんやねリナちゃん?自分が付き従う主人を…。でもちょっと悔しいねんな…アテやミルサには振り向きもせんかったやん自分」
冗談半分、本音半分といったところか。顔を剥れさせてソッポを向いた後、すぐにまた前に顔を戻し、テーブルを両手の平で叩いて、リナを急かすようにルキナは言葉を投げた。
「早いとこ聞かせてやリナちゃん!そん子がどれほど凄いんか!リナちゃんに『理想以上』やなんて言わせる男や、アテもますます興味津々やもん!」
「ガッテン承知なのですルキナ様!!後、ソレを話すに至ってここにいる皆さんに、ちょっとした了承を頂きたいのです!!」
ルキナに急かされてさらに自身の気持ちに拍車がかかったのか、リナは鼻息を荒くして会議室にいる全員に向けて言い放った。
「言ってみたまえリナ君!!何を皆に了承して貰いたいのかを!大抵の事なら儂が皆に同意をとらせるぞ?がはははは!!」
そう言ったシストの顔は、ルキナ同様ウズウズして待ちきれないといった様子だった。言った通り、今なら大概の事なら会長権限を使って、緊急会議に参加している冒険士達に、無理矢理にでも彼は同意をとらせてしまうだろう。彼もまた、リナがこれから語ろうとしている話しをすぐにでも聞きたいのだ。
「はいなのです会長!」
非常に嬉しそうな顔をして、自身の尻尾を最大限まで激しく振り、リナはシストにある事の了承を頼んだ。
「これから話す内容をより確かなものにするために、彼、花村天という人物とあたし達や皆さんを引き合いに使って…比べて説明するのです」
円卓テーブルに座している冒険士、全員を見渡して、リナはその場で一礼をする。
「だからこれから話す内容如何では、皆さんに失礼な発言を多々してしまう事もあるかしれないのですが、どうか気分を悪くせずにあたしの話しを聞いて貰いたいのです!」
「がはははは!!なんだそんな事かね?構わんぞリナ君!儂が許すから好きなように喋りなさい!」
「ありがとうございますなのです会長!!では早速お話しするのです!」
まるで自分達の意見を聞こうとせず、早く聞かせて欲しい、早く喋りたいといった様子の二人を見て、一人の冒険士がぼやきながら小声で突っ込みを入れる。
「……いやさ、まだ旦那の了承しか取ってねえと思うぞぉ?」
「…もうああなっては誰も会長に文句は言えんだろう。ナダイ殿…ここは黙って彼女の話しに耳を傾けよう」
ナダイが頬づえをついて呆れたようにぼやくと、隣に座っていたフロンスが、ここは諦めようと声をかけた。
「…フゥ…それでは早速、始めさせていただくのです…」
先ほどまでとは打って変わり、リナは一度、静かに息を吐いて、落ち着いた面持ちで彼の事を語り出した。
「ではまず、花村天がどれぐらいの力量かを皆さんに教えるのです…」
「「「…ゴク」」」
静寂がVIPルームを支配する。数名の者から喉を鳴らして唾を飲む音がはっきりと聞き取れるほどに、その場が静まり返った。そんな中で彼女は、いきなり最大限の威力を持つ爆弾を、会議に出席した高ランク冒険士達に投下した。
「多分…ここにいる全員が力を合わせたとしても、彼には手傷一つ負わせることは叶わないと思うのです」
「「「はぁ?」」」
「「「なっ!!」」」
ザワザワザワザワザワ
高ランク冒険士全員がかりでも『相手にならない』彼女のこの台詞を聞いて、VIPルームに険悪な空気が漂う。会議出席者達は、怒り、不満などの嫌悪感を露わにして、それぞれが顔を歪めていた。
「おいおおい…マジで言ってんのかよあの嬢ちゃん…ちょっと盛り過ぎじゃねえかぁ?笑えねえぜぇ…」
「ふん。俺達も見くびられたものだな…」
元々シストからその男の話しを聞かされていたナダイとシャロンヌだが、まさか倒せないではなく『傷一つ付けられない』とまで言われたら、当然、最高峰の冒険士の二人からすれば侮辱以外の何物でもない。それでも二人は小声で独り言を呟く程度に不満を抑え、リナに直接文句をぶつけたりはしなかった。しかし、他の冒険士達はそうはいかず、その中でも一際、強い怒気を放つ者が、自身の不快感を隠すことなく彼女に向かって物申した。
「…リナさんとおっしゃいましたね?それはつまり…レオスナガル様もその中に入っているということでしょうか?」
「はいなのです。もっと言えば会長やルキナ様、勿論あたし達も入っているのです」
ピリ…
「…エメルナやめなさい」
リナがまるで動じずに即答すると、エメルナはより一層、怒気を強めてリナを睨みつけた。怒りを抑えきれない彼女を、席に座ったままのレオスナガルがなだめるような声で制するが、彼女はそれでも止まらなかった。
「申し訳ございませんレオスナガル様…私のみならいざ知らず、レオスナガル様までそのように侮蔑されては、黙ってはおれません」
「侮辱しているわけではないのです。本当の事を言っているだけなのです」
ピキ…
「それが侮蔑でなくてなんなのです!!直ちにその暴言を訂正しなさい!!」
平常運転で、当たり前のように話されたのが、よほど気に障ったのか。エメルナは今までの淑女の手本のような楚々とした佇まいをかなぐり捨て、怒声を上げてリナに怒りをぶつける。それが口火となり、他の冒険士達からも、次々と不満と怒りの声が上がり出した。
「エメルナ殿の言う通りだ!!そのセリフはこの場にいる…いや、全世界の冒険士全てを侮辱しているぞ!」
「私も、それはちょっと聞き捨てならないわね…正直、不愉快だわあんた」
「まったくだ!!」
彼等も高ランクとしてのプライドがあった。いくらなんでもそれは言い過ぎだというのが、この場にいたほとんどの者の感想だろう。
「ちょっと待ってくれ皆、ひとまずリナの話しを最後まで聞いてくれ!」
「お願いします皆様!リナさんは決して!ここにいる皆様を侮辱しているわけではございません!」
仲間が槍玉に挙げられているのを見てはおれず、カイトとアクリアがリナを庇うように助け船を出すが、それを遮るように勢いよく立ち上がった者がいた。
ガタン!
「侮辱以外ないでしょ?今のそいつのセリフは?そうだよなみんな!!」
これ幸いとばかりにナイスンが醜悪な笑みを浮かべて、さらに冒険士達を煽った。
「そうだそうだ!エメルナ殿とナイスン殿の言う通りだ!」
「…小娘が偉そうにほざきおって」
複数の冒険士がリナを集中砲火する。そして『炎姫』と呼ばれるSランク冒険士の女性もまた、不服そうにして口を開いた。
「私も不本意だがナイスンや他の者に同意だ。さっきからお前は私達に対して舐めた態度を取っていた…従って、お前が皆から今みたいに思われても仕方のない事だ」
ついにフレイムプリンセスまで味方に加わり、ナイスンはその悪意に満ちた表情をより深めて、今までのお返しとばかりにリナを責める。
「ほら見なよ犬娘…皆さんお前のせいで凄い機嫌悪くなっちゃったけどどうすんのさコレ?後さ、お前って冒険士ランクどれぐらいなの?」
「…Cランクなのです」
流石のリナも、これだけの集中砲火を受けて、平気なわけがなく、弱々しい声でナイスンの問いに答えた。するとナイスンは、嫌な笑みでニヤケながら…
「はっ!皆さん聞きました〜?Cランクの雑魚が俺達にあんなことを言ったらしいですよ〜」
…ブチ
子供がイジメを促すような物言いで、ナイスンがその言葉を発した瞬間、大国の王であり、真の英雄である二名の人物の怒りが頂点に達し、遂に我慢の限界値が振り切れた。
バンッッ!!!!
地鳴りとともに爆発のような強大な炸裂音が部屋に鳴り響く。見ると、強固な大理石で造られているはずのテーブルが、シストの拳打により大きくひび割れている。
パリン!!
同時に備え付けられていた花瓶が、急にその炸裂音とともに割れ砕け、何故か立っていたはずのナイスンが、体を重そうにして席に座っていた。
「おい貴様等…儂に喧嘩を売っておるのか?」
「…餓鬼ども…ええ加減にさらせよ…」
シーーン
一瞬で場が凍りつき、皆が固唾を呑んだ。青筋を立てて凄む、シストとルキナの英雄王コンビを目の当たりにして、文句を続けられる者などこの場にはいなかった。
パッ
忽然とルキナが自分の席から消えて。何処へ行ったかと思えば、今まで責められていたリナの背中におぶさっていた。
「ル、ルキナ様?」
「あんなん気にすることあらへんよ…リナちゃんはなんも悪ないんやから…」
そう言ってルキナは、リナを慰めるように後ろから抱きしめて、彼女の頭を優しく撫でた。
「ルキナ様…ありがとうございますなのです」
「……マリー、すまないが後でこのテーブルと花瓶の弁償代金の請求書を、儂宛に出しておいてくれ…」
「か、かしこまりました会長!!」
これといって自分は何も悪いことをしてはいないのに、マリーは緊張した様子でシストの言葉に力一杯、姿勢を正して返事をした。彼女もこんなに怒りを表に出したシストを見たことがないのだ。
「…ルキナ姐の言う通りだよリナ君。君は最初にちゃんと皆に断わっておった…それを…」
シストもリナの方を向いて慰めの言葉をかける。そしてすぐに前を向き直し、彼女を非難していた冒険士達に凍りつくような視線を送る。
「…お前達…彼女は話しを始める前に何と言っていたかね?」
シストは、今もなお腸が煮えくり返っていた。例えるなら、心から楽しみにしていた演劇、舞台をマナーの悪い客達が邪魔をしたからだ。声を低く唸るように出し、まるで仁王のような形相で、その場にいた冒険士達に問うた。
「ぷっぷ〜『失礼な発言を多々してしまうかもしれないけど許して欲しい』って言っていたのだ。つまり、前もってソレを僕ちん達にお姉ちゃんは言っていたってこと」
リナに対して不平不満を口にしていた者が誰もシストの質問に口を閉ざす中、しばらくしてから、リナの批判には全く参加していなかったサズナが、その質問にあっけらかんと答える。
「…そうだ。彼女はちゃんとに儂等に確認を取っていたのだよ。彼女のその言葉に対して、儂はなんと答えたかねお前達…」
「旦那は『儂が許す』って言ってたぜぇ」
「同意です。確かに会長はそうおっしゃっていた」
同じくリナを責めることをしなかった、ナダイとフロンスがシストの問いに即答した。
「…そうだ。儂は許すと言ったのだ!好きに喋ってくれとな…それを貴様等は!!」
フルフルと拳を握りしめて、まったく収まらない怒りに、体を震わせているシストの姿と、自分達が責めていた女性を必死に慰めるルキナの姿を見て。彼女を非難していた冒険士達は、自分達がしでかした事の重大さを知り、血の気を失わせている。
「…あ…あ…」
「せん…せ…うくっ…うあ…あっ」
その中でもエメルナは顔面蒼白となり、セイレスなど過呼吸一歩手前まで精神を追い込まれていた。
「…ぷっぷ〜、『人語が通じない』ってあの犬のお姉ちゃんに言われても仕方ないのだ。一回目で、普通は懲りるのだ。現に、ナダイさんとフロンスさんは懲りて黙っていたのだ。つまり自業自得ってこと…」
「だな?俺達だってあの嬢ちゃんの言い分に思うところがないわけじゃねえが、旦那が許可出したんだからよぉ?黙って聞くのが俺等の務めじゃねぇのかおめぇら?」
「…さっきナダイ殿は口に出して、不満を漏らしていた気が…」
「ばっ!アレはノーカウントだろ!本人には言ってねぇよ!それに、それを言ったらシャロンヌだってそうなるだろが!」
「黙れナダイ。そんな事より、今は会長殿とルキナ様…そして話しをする予定だったあの犬の娘の機嫌を直す方が重要だ」
然しものナダイとシャロンヌも、今までに見たことがないほど激怒しているシストの有様に気圧されて、普段とは違い随分と弱腰になって構えていた。
タン…
殺伐とした雰囲気が部屋全体に覆うなか、レオスナガルがゆっくりと立ち上がって、シストとリナに視線を送り、二人に目礼をした後、今度は目を瞑り深々と頭を下げて…
「シスト殿、リナ殿…娘が大変なご無礼をした…誠に申し訳ない」
心からの謝罪を二人に贈った。最も彼等のことを逆なでしたのは恐らくナイスンだろうが、それでもその怒りの原因、リナの吊るし上げのきっかけを作ったのは、間違いなく彼女だからだ。
「レ、レオスナガル様!!わた、わたくし、私は!!」
自分の犯してしまった不始末のせいで、敬愛する父親が頭を下げている姿を見て、エメルナはよりその顔色を悪くして、気を動転させてしまっている。
「…エメルナ…お前の気持ちは有難い。…が、シスト殿も言っていたように、彼女は最初に私達に了承を取っていた」
頭をゆっくりと上げて、閉じていた瞼を開き、レオスナガルはその真摯な眼差しをエメルナに向ける。
「それは、彼女の話を聞いた我等が、今のように憤激してしまうことを危惧していたからに違いない」
「…コク」
自分の思考を汲みとるレオスナガルに礼をして、リナは同意を示した。
「わ、私は、私はなんということを…私は…私は…」
深い後悔と自己嫌悪に陥っているエメルナを尻目に、レオスナガルはある提案をシストに持ちかけた。
「シスト殿、こうしてはどうでしょう。たった今、彼女に批判の声を上げた者…礼儀礼節を軽んじた者達をこの場から退室させ、残った我々だけでリナ殿の話しを訊かせて貰うというのは」
「お父様!」
レオスナガルの提案を聞き、エメルナは悲痛な顔をしてすがりつくかのようにレオスナガルに詰め寄る。一方シストの方は、レオスナガルからの謝罪と、この事態を収拾させるための提案をされて、いつも通りとはいかないまでもかなり溜飲を下げた様子で、少し考え込んだ後…
「…ふむ。あらかた会議で皆に伝えたい事はもう伝えたことだしな…リナ君、それで機嫌を直しては貰えんかね?」
「あたしはそれで構わないのです会長」
あまり堪えたふうでもなく、飄々とした態度でリナはレオスナガルとシストの案を承諾する。それを受けてシストは一つ頷き、深く息を吸い込み、目を見開いて声を上げた。
「皆!聞いた通りだ!エメルナ、ナイスン、セイレス等を含む、彼女に対して一言でも文句を言っておった者達、数名に限り、会議はこれで終了とする!意見のない者は直ちにこの部屋から退室するのだ!!」
ガタン…ガタン、ガタ…
数名の冒険士達が、シストの言葉とともに席を立ち上がって、バツの悪そうな顔をしながらVIPルームのドアに向かって歩いていく。
「お前達、早く帰れて良かったな」
「全然、羨ましいと思わねえけどなぁ…」
シャロンヌが皮肉を言った後、ナダイが乾いた笑みを漏らす。そんな二人にフロンスが難しい顔をして、ボソっと意見を述べた。
「…シャロンヌ殿とナダイ殿のあのセリフは問題ないのだろうか…」
「「俺のはただの独り言だ(ぜぇ)!!」」
「そ、そうですか…」
Sランク二人に食ってかかられるように即否定されて、フロンスはそう返事をするしかなかった。
「はっ!せいせいするよ!こんな会議出るんじゃなかったって、さっきからずっと思っていたからね!!」
「……先生に日に二度も叱られた…先生に名指しで出ていけと言われた…先生に…」
叱責された冒険士の中で、ただ一人まるで悪びれもせずに、開き直っているナイスンと、対照的にその隣でゾンビのように生気を失ってフラフラとしているセイレス。
「二人ともバイバイぷっぷ〜」
その気はまるでないのだろうが、どう考えても二人を小馬鹿にしてるようにしか聞こえないセリフを口にして、去りゆく二人の背に手を振るサズナ。
ガチャ…タ、タ…タ…タタ…
一人二人と会議出席者の冒険士達が、VIPルームを退室していく。しばらくし、ナイスンとセイレスもドアの前まで差し掛かり、部屋ノブにセイレスが手を掛け、後ろを振り返らずに、何かを躊躇いながら口を開いた。
「せ……マリーさん…弥生達が、リザードキングに深手を負わされたというのは本当なのでしょうか?」
恐らく、最初は恩師に何かを言おうとしていたのであろう。だが結局、彼女はその言葉を飲み込んで、次に気になっていた事柄をマリーに質問した。
「…本当よセイレスさん…けど、弥生さんやジュリさんは精神状態はともかくとして、体はほとんど無傷と言ってもいいと思うわ。淳君と同じチームメイトの亜人の少女が、命懸けで二人を逃がしたお陰でね…」
そして彼等の窮地を救った人物こそ、今回の会議で紹介されている男性だとマリーはセイレスに説明しようとした。しかしセイレスはマリーの話しを最後まで聞かず…
「弥生やジュリが無事なら、後はさして問題ではありません。厳しいことを言うようですが、淳が命をかけて二人を護るのは当然のことですから」
「…そう」
「「「…………」」」
セイレスのその言葉を訊き、現場の惨状を知るマリー、カイト、アクリア、リナは揃ってムッとした表情になる。『後は問題ない』この言葉は明らかに淳とラムの存在意義を否定しているからだ。何より、二人の決死の覚悟を低く見られたようで、カイト達四人は、到底、彼女の考えに賛同はできなかった。
「…セイレスさん、幾ら弥生さんが貴女の弟さんの許嫁だからと言って、他はどうでもいいとか、そんな事を思っていてもあまり口に出すものではないわよ…」
「事実を言ったまでです。そもそも実力足らずにも関わらず、仲間をそんな危険な目に遭わせた責任は全て淳にある」
堪らずにマリーがセイレスに叱責するが、セイレスはまるで聞く耳を持たなかった。どこまでも淳が悪いと言い張る彼女を、別の角度からリナがある忠告をする。
「貴女のその考え方も間違ってはいないのですフレイムプリンセス。でも一つだけ忠告しておくのです。その台詞を、間違っても天兄さん…花村天の前では言わない事なのです…」
低くく唸るようにそう言うと、野獣のような彼女のもう一つの面貌が、セイレスに言葉を発しながら徐々に顔を出す。
「彼は群れを凄く大切にする人なの…だから…今と同じ事を天兄さんの前で口にしたら、下手するとあんたはあの人の怒りを買って、人生を詰む事になるの…」
「…おい貴様、私を誰だと思って…」
相変わらず、自分の事を見下したようなセリフを吐くリナに、セイレスは振り向いて文句を言おうとしたが…
「セイレス…彼女の忠告を肝に銘じておきなさい」
「うっ…あ…」
すぐにその行為を取りやめざるを得ないほど、彼女はシストにダメ押しの一言を言われてしまった。
「なあハニー、最後にチャンスを上げるよ。俺とやり直さないかい?」
セイレスが前で立ち止まっていた為、ナイスンが丁度、マリーの隣で立ち往生する形となっていた。それを良い事に、彼は元恋人であるマリーに、割と真剣な顔つきでよりを戻そうと提案した。
「冗談はよして…貴方とはもう何年も前に終わってるし、その事に後悔も未練もないわ…」
「ふ〜ん…それは本当に君の本心なのかい?今なら俺のハーレムの序列5位で君を迎え入れてもいいと思っているんだけどね…」
髪をかき上げる仕草を取り、ナイスンはマリーに流し目を送る。
「はっきり言ってこれはハニーにとって破格の条件だと思うよ?」
彼はそう言いながら、品定めをするよな目つきでマリーの身体全体を見てから…
「それにほら、君ももういい歳じゃないか?そろそろ一人身は寂しいだろ?俺のハーレムの一員になれば、君は女としての幸せをきっと掴めると思うよ」
どこまでも上から目線のナイスンに、側でそれを聞いていたアクリアは深いため息をつき、カイトは顔中に不快感をみなぎらせている。リナの背にいたルキナは、こんな奴がこの世にいるのかと言わんばかりに、驚きと呆れを混ぜ合わせた顔をして、口をポカンと開けてほうけていた。
「ほんと…『正反対なの』…」
「「「「コク」」」」
皆が、ナイスンのあまりの自信過剰ぶりに言葉を失っていると、リナが首を振りながら意味ありげな言葉を口にした。その言葉にほとんど間を置かずに、シスト、カイト、アクリア、マリーが全員同時に首を縦に振って、リナの言葉に同意した。奇しくも四人は、リナと全く同じ事をナイスンの横柄な態度を見て感じていたからだ。
「え?なんなん自分等…アテはリナちゃんが何を言っとったんかイマイチわからんかったんやけど?」
「奇遇ですねルキナ様…俺も、犬娘の言葉を…」
「なあなあ、教えてやリナちゃん!シスト坊も自分等だけ納得しとらんでアテにもちゃんとに説明し〜や!!」
話しかけてきたナイスンを完全に無視して、ルキナはリナの頭を揺さぶりながら教えて教えてと駄々をこねる。
「や、やめるのですルキナ様!気持ち悪いのです!」
「ルキナ姐やめんか…リナ君はな『ナイスンは彼と正反対の男だ』と言っておったのだよ」
「そ、その、と、とお、り、なの、で、です」
ルキナに頭を左右に揺さぶられているため、リナは呂律が回っていないような言い回しでシストの言葉を肯定した。
「せやから!それがようわからんっちゅうねん!」
「だ、だか、ら、や、やめるのです!き、気持ち悪いのですルキナ様!これからそれを話していくつもりだったのです!」
「さよか?ほんならええわ」
そう言うとルキナは、リナの頭から手を離してまた彼女の背で落ち着く。
「酷い目にあったのです…」
乱された髪を整えながら、リナは疲れたようにぼやいた。同時に、彼女は今迄、疑問に思っていたある事について考察していた。それは『何故マリーとアクリアは彼を取り合っているのだろか』ということだった。リナから言わせて貰えば、単純に二人一遍に彼の妻になればいいだけだと思っていたからだ。
「…………」
この男が原因。彼女はそう推測していた。この世界ではほとんどの国で一夫多妻や一妻多夫が認められている、というよりは王族や貴族、英雄以外では婚姻、色事についての縛りが無いに等しい。余談だがナイスンの恋人の数は仲間の冒険士達を入れた場合、優に三十人を超える。だがこの数を知ったとしても、リナは正直言ってまるで驚かないだろう。それもそのはず、彼女と同種族の亜人の男性は、その特質と稀少さから、ほぼ全員と言っていいほどに一夫多妻である。それも妻が二人や三人ではきかない者が大半で、男一人につき二桁の妻がいてもあまり珍しいことではないのだ。ちなみにラムの父親はラムの実母しか娶っていないのだが、このケースは亜人の男性の中では非常に稀で、ナイスンに近い数の恋人、妻がいる者も少なくない。ただこれは仕方がないことなのだ。
「……う〜んなのです…」
この世界では圧倒的に女性の比率が高い。その理由の一つが、人型の半数以上を占めているのが亜人種で、その亜人種は女性主体の種族だからだ。亜人種は九割以上が女性で、残りの一割未満が男性なのだ。この事から、亜人だけでもざっと320万の女性がいることになる。しかもコレはあくまで亜人の女性のみのカウントで、人間、エルフの女性も入れた場合、500万人中、実に400万人近くは女性となってしまう。単純計算で80%は女性、20%は男性というのがこの世界での男女比率である。よって、全てが一夫一妻だとどうしても女性が余ってしまうのだ。
「…やっぱり勿体ないのです…」
アクリアとマリーは、そんな世の中で花村天という極上の雄を独占しようとしてたのだから『二人は傲慢過ぎる』が、リナの誇張のない本心からの感想だ。天ほどの男なら、つがいの相手となる異性が、例え三桁だったとしてもなんら不思議はないと、世の中を達観して見ている彼女は真摯に受け止めていた。いくらナイスンのような、性にだらしのない男に嫌な記憶を持っているからと言っても、独り占めは容認できないというのが、掛け値なしの彼女の考えである。
「………共感はできるのですが…」
実の所、マリーはともかくとして、アクリアはその事についてはまた別の理由が大半を占めているのだが、この時のリナにはその答えに辿り着く術はなかった。『全て目の前にいるこの男のせい』というのが、彼女の出した答えである。しかしそれも、要因の一つとしては間違いではないであろう。
「なんだ、君も以外と話しがわかるじゃないか?やっぱりハニーは俺と寄りを戻すのが一番さ!」
「は?この茄子はなにをとち狂っているのです。そっちじゃないの…ていうか、あの人の魅力が分かる者ならお前なんかじゃ全然満足できないの」
「リナ君、君は的を射た発言しかせんな…違いないのだよ」
「「「…コク」」」
シストがリナの言葉をまた支持すると、マリー、アクリア、そしてマリーの事を密かに想っているカイトまでもがその言葉に賛同して静かに頷いた。
「…おい犬娘。さっきお前がセイレスに言っていた言葉をそのまま返すよ!今のセリフを俺のハーレムメンバーの前で言わない事だね…彼女達の怒りを買ってお前がどうなっても俺は…」
「 どうでもいいのですヘタレ茄子。それより何時まで部屋にいるつもりなの?二人共、邪魔だからとっとと出ていってほしいの」
「せやね。早いとこ消え〜やお前ら」
「セイレス、ナイスン…儂の言った事がわからなかったのかね?何事もないのなら直ちにこの部屋から出て行きたまえ。会議の邪魔だ…」
興味や関心を失ったような表情をして、まるで熱のこもっていない声音で、シストは淡々と二人に話した。
「…会長さ…ちょっとさっきから、その犬娘の事ばっかり贔屓してるみたいだけどさ、もしかして会長、その娘とでき……うぐっ」
「……………」
無言で彼の話しを中断させたのは、ドアノブに手を掛けて立ち往生していたはずのセイレスであった。いつの間にかこちらに戻って来て、シストとリナの事を邪推するナイスンの後襟を強引に引っ張り、再び部屋の出入り口に向かって足早に歩を進める。そしてVIPルームの僅かに開いていたドアを力なく押して…
…キィー
「……私の時は…そんなに怒ってくれなかったのに…」
パタン…
ドアを閉める音に紛らせて、常人ではまず聞き取れないような小さな声で、自分の本音を呟いた。
「「「………」」」
だが常人ではない聴覚を持つ者達は、容易に彼女の言葉を聞き取ることに成功する。しかもその言葉を聞き取れた全員が、正確にその言葉の意味を理解し、どうしてセイレスが彼処まで機嫌が悪かったのかを納得した。
「…まだ若いな彼女は…」
「…仕方がありませんよカイト…それに…私達も似たような過ちをつい最近おかしてしまいましたからね…」
「そうね…リザードキングをまるでものともしなかった彼も、貴方達二人の剣幕には顔を青ざめさせていたわ」
「「うっ…」」
微笑ましい笑顔のマリーから放たれた皮肉を受け、カイトとアクリアは途端に気落ちした様子で顔を俯ける。
「…耳が痛いな」
「本当ですね…マリーさん、その攻撃方法は少しばかり酷いと思います…」
「あら?別にそんなつもりで言ったわけではないわよ?ただ釘を刺さないとまた同じ事をしてしまうかもしれないからね、貴方達は」
悪戯な笑みを浮かべて、二人をからかうようにマリーがそう言うと…
「私は…もう二度とあのような過ちを繰り返すつもりは御座いません!」
アクリアは顔を上げて力強く言い返した。
「同感だよ…あんな八つ当たりを繰り返していたら、それこそ彼奴みたいになってしまうからな」
「そう…それなら私ももう何も言わないわ」
穏やかに目をつぶり、二人のその言葉を訊いて満足そうに頷くマリー。やはり、彼女はアクリアとカイトにとって、しっかり者の良きお姉さんだと言えるだろう。
「………さて…残るは」
三人がそんな会話を少し後ろで繰り広げている中、シストは残る一名のこの場にそぐわぬ冒険士に視線を向けていた。
「ビクッ」
視線を向けられた女性は、体を強張らせて怯えた様子で視線を下に逃がす。
「…エメルナ…お前も早く退室しなさい。恐らくはそう長い時間はかからんだろう…外で待つなり、ホテルに戻るなり好きにするといい」
一向にその場から動こうとしない娘に対して、レオスナガルが、前を見たまま彼女の方を見ることもせずに、部屋からの退室を促した。
「………………まって…くださ…」
ザッ
敬愛する父親から告げられた『出ていけ』というニュアンスの言葉が、エメルナに重くのしかかり、彼女はその場にへたり込んでしまった。だが、本来なら淑女のお手本のような高い教養を持つ彼女は、このままでは終わらなかった。体を震わせながら、そのまま正座の姿勢を取り、地に額を擦り付けて…
「誠に申し訳ありませんでした!!シスト様、お父様!先ほどの失態にたいして、私はどのような罰でも喜んでお受けいたします!ですからどうかこの愚かな私に、この場に残ることをお許しください!」
シストとレオスナガルに、目に涙を滲ませながら、土下座をして懇願した。
「…エメルナ君…儂に謝られても困るのだよ」
「無論、私にもだ。…エメルナ、お前が謝罪をするべき人物は他にいるはずだ」
ハッとした顔で頭を上げて、自分のせいで嫌な思いをさせてしまった張本人である冒険士の女性の方を、正座の体勢のまま体ごと向くと、そのまま精一杯の謝罪の意を込めて、エメルナはまた土下座をして謝った。
「誠に申し訳ありませんでしたリナさん!!礼に欠き、思慮の浅い軽率は言動を取ってしまったのは私の方でした…貴女が望むどのような罰でもお受けいたします!ですから、どうぞ私にこの場に残ることをお許し…」
「許すのです」
謝罪の口上の途中にもかかわらず、リナは即答であっさりと彼女を許した。
「くださいま……せ?え?」
リナがあまりにあっさりとそう告げたので、エメルナはキョトンとした顔をして、一瞬、何が起こったのか理解が追いつかなかった。
「だから許すのですエメルナさん。ささ、早く立ち上がってくださいなのです!話が進められないのです!」
「がはははは!だそうだエメルナ君!これで、君はこの会議に最後まで参加する権利を得た…良かったではないかね!」
「リナ殿、我が娘に対し、寛大なご処置、痛み入ります。エメルナ…早く立ち上がり衿を正しなさい」
「へ?…は、はい!リナさん!寛大なご処置を賜りまして…誠にありがとうございます!!」
慌てた様子で立ち上がって、エメルナは乱れた衣服を整えている。そんな彼女に目をやりながら、リナは談笑するようにシストとレオスナガルに言葉を向ける。
「二人共、意地が悪いのです。あんな試すような事を言って」
「むふふふ。シスト坊もレオスちゃんも相変わらずやね」
リナの背にいたルキナも、彼女の言葉に相槌を入れるように笑った。
「甘やかしては本人のためにも良くない事です…それに、娘ならば必ずこの結果になると私は確信していた…」
「がはははは!!なんだ気づいておったのかねリナ君?君は本当に頭がいい…それでこそ天君が認めた冒険士なのだよ!おっと、この言い回しはいささか君に対して失礼だったかな?」
「全然失礼じゃないのです会長!寧ろ天兄さんに『認められた』は、今のあたしにとっては最上級の褒め言葉なのです!!」
「がはははは!!リナ君にさっきから思っていたことなんだがね…きっと君と儂は気が合うのだよ!」
「光栄なのです!」
「がはははは!」
先ほどまで顔を険しくさせていたのか嘘のように、シストは実に嬉しいそうに笑っていた。三英雄に全く遠慮や気後れせずに会話をするリナを見て、ナダイが感嘆の声を漏らす。
「…あの嬢ちゃん、マジでCランクかよぉ?さっきシャロンヌも言ってたがよ?旦那の迫力に気圧されて素直に出ていった連中より、よっぽど風格があるぜぇ」
「…馬鹿共が、出ていけと言われて素直に出ていく奴があるか…。俺から言わせて貰えば、奴等の行動の方がよっぽど全世界の他の冒険士を侮辱しているぞ…恥知らず共め!」
「ははは…まさかエメルナ殿以外の全員は、会長や彼女に一言もなく素直に退室とは、流石に俺も予想外でしたよ。まさに…未熟者だ」
ナダイに続き、シャロンヌが苛立ちの色を濃くして不満を吐き出す。それに同意するように、フロンスが呆れ果てた面持ちで口を開いた。
「え?あ、あの…」
察しはいい方なのだが、事の加害者の一人だったせいか、まだ今の状況がわからずに困惑した顔でキョロキョロと辺りを見回しているエメルナ。恐る恐る父親の顔に目を向けている彼女を見て、リナは堪らずに彼女に助け舟を出した。
「エメルナさん…会長とレオスナガルさんは試したのです。叱られて素直にこの場から出ていくか、それとも安いプライドを捨ててこの場に残るのかを…」
「!!」
リナにそう言われて、エメルナはやっと自分の置かれている状況と、シストと父親が課した試験に、自身が合格することができたのだという事を理解した。
「レオスナガルさんは言っていたのです『礼儀を軽んじた者』と、会長はそれに対して『意見がない者は退室』と言っていたのです」
「やね、リナちゃん。せやから今のエメルナちゃんみたいに、高ランク冒険士のプライド捨てて、リナちゃんに一言謝って頭下げとったら、別にシスト坊もそれ以上はなんも言わんかったんにな?ホンマ阿呆共や…」
「「コク」」
シスト、レオスナガルを含め、二人の意図を瞬時に汲み取った数名の冒険士達が、次々とリナとルキナの言葉に頷いた。
「エメルナさん…あたしもあの発言が、皆さんにたいする侮辱と思われても仕方がないってことぐらいは承知しているのです」
エメルナと正面から向かい合うように立ち、リナは真剣な表情で彼女に話した。それと同時にエメルナもまた、リナへ真摯な眼差しを向けて、彼女の話しに黙って耳を傾ける。
「ただあたしの考えもわかって貰いたいのです。皆さんに気を遣って話しに色をつけたら、それは本当の情報ではなくなってしまうのです…情報は正しく伝えなければ知識にはならないのです」
「…仰る通りですねリナさん。改めて先ほど私が暴言を口にしてしまった事を謝罪させて頂きます。誠に申し訳ありませんでした…」
「も、もう気にしてないので、これ以上は謝らなくてもいいのです」
三度、姿勢を正して頭を下げるエメルナに、少し気不味い様子で、リナが手を振って焦りを見せた。
「君は若いのに素晴らしい良識を持っているね!俺も君と同意見だよ…情報は正確であるからこそ価値があるものだ!」
「ぷっぷ〜、言えてるのだ。造詣が深くて困ることはないのだ!知識は沢山あればあるほどいいよねリナお姉ちゃん!僕ちんも会長が言ってたことじゃないけど、さっきから感じていたのだ…つまり、リナお姉ちゃんとは気が合うってこと!」
フロンスとサズナがリナの思想に掛け値なしの賞賛を贈る。最早、彼女を自分より下と見下している者はこの場には存在しなかった。
「誉れ高き天才魔技士『魔技英展』のサズナさんに、気が合うなんて言って貰えて…あたしも光栄なのです」
「ぷっぷ〜、サズナでいいのだリナお姉ちゃん。つまり、呼び捨てで構わないってこと」
「じゃあ、あたしも呼び捨てでいいのですサズナ。それとサズナに耳寄りな情報があるのです」
「ぷっぷ〜、なになにリナ!」
楽しそうにサズナが聞き返すと、リナはいやらしく笑んで、サズナ限定の爆弾を放り投げた。
「これからあたしが話す人物…天兄さんは、とんでもない肉体美の持ち主なのです。彫刻や絵画でもアレは超えられないのです。ハンパないのです」
ガタン!!
「ぷーー!!マジで!!」
飛び上がるようにして立ち上がり、爛々と目を輝かせてサズナはリナのその餌に食いついた。
「マジなのです!ちなみに某冒険士の女性は、そのあまりの肉体美に、鼻血を出して気絶一歩手前まで行ったのです」
「リ、リナさん!!」
アクリアが耳まで真っ赤にして、リナに抗議の声を上げる。
「…せっかく名前は伏せたのに…バレバレなのです」
「ちょ、ちょっとアクリア!どういうことなのよ!い、今のリナさんの話が事実なら…貴女は天さんの…その…は、裸を!」
慌てるマリーを他所に、アクリアは悟りを開いたような表情をして、優しく彼女に囁いた。
「……すみませんマリーさん。私は、一足早く…マリーさんより上の段階に足を踏み入れてしまったのです」
「…誤解のないように言っておくが、彼がアクリアやリナに見せたのは上半身だけだし、その場には俺も含めて数名の者がいた…言ってみれば、偶々彼の着替えを目撃しただけだよ」
そうカイトが補足を入れるが、それでもマリーの焦りは収まらなかった。
「で、でも、結果的には二人とも天さんの服の下を見たってことでしょ!?私だって、私だって、零支部の職員だったら…」
「…追加情報を発信するのです。天兄さんの腹筋は…なんと10個に割れてたのです!」
マリーまで食いついたのは少々予想外であったが、リナは大して気にもせずに、更に次の爆弾を無造作に投下した。
「ゴッドマッシブ!!あり得ないのだ!会長やナダイさんですら腹筋は六つ…人の限界を超えているのだ!!」
「そん子の体、そんなに凄いん?アテもいっぺん見たなってきたわ」
「ほう…それが本当の事なら、俺も一度見てみたいものだな」
「紛うことなき真実でございますサズナさん、ルキナ様、シャロンヌさん…私はしかとこの両の目で奇跡を目撃し、心の内に留めてあります!」
有無を言わさぬ、尋常ならざる迫力が彼女の声には漲っていた。そこに顕現した女性は、見まごうことのない王族、英雄の血を引く、真の皇女である事に疑う余地は皆無。
「よ、よくわからないのですが、どういうわけかアクさんが覚醒したのです」
自分はもしかすると、とんでもないものを起こしてしまったのか、そんな事を危惧してリナが後ずさっていると、シストとナダイが疑問に満ちた顔をして…
「…サズナ君…何故、君は儂の体の事を知っていたのかね?君の前で肌を露出した記憶はないのだがね?」
「…俺も旦那と同じことを聞きてぇな?なんで俺と旦那の腹筋が六つに割れてることを、オメェは知ってんだよサズナ?」
「ぷっぷ〜、そんなの覗いたからに決まっているのだ。つまり、二人の着替えてる所を拝んだってこと」
まるで悪びれもせず、彼女がいけしゃあしゃあとシストとナダイの質問に答えると、二人は複雑そうな顔をしてため息をつく。
「サズナ君…儂も気づけなかったから今回は不問にするがね…次は其れ相応の罰を与えるのだよ…」
「まあ、減るもんじゃあねぇが…だからって影から見られて嬉しいもんでもねえからな?サズナ…覗いてるおめぇを見つけたら、そん時は容赦しねえぜぇ」
「ぷっぷ〜、望む所なのだ!!つまり、問題ないってこと!」
興奮しているせいなのか、通常時でもそうなのかはわからないが、警告をする二人の最高峰冒険士にたいして、まったく臆することなくサズナは堂々と言い放った。そんな彼女に笑顔でただならぬ圧力をかける者が一人…
「…サズナさん…つかぬ事をお伺いしますが、まさかレオスナガル様の着替えまで覗いてはいらっしゃいませんよ…ね!?」
「ぷっぷ〜、安心するのだエメルナお姉ちゃん!レオスナガルさんのは未遂に終わったのだ!つまり、見れなかったってこと」
「…サズナ殿、未遂ということは…試みはしたというこどだな…」
レオスナガルもため息をついて、額に手を当てる。
メラ…
そしてエメルナはサズナのその返答を聞いて、体から殺気を放ち、冷たい目で天真爛漫なその少女を睨んだ。
「サズナさん、一つ警告をさせて頂きます…もし今後、レオスナガル様に卑猥を働くような事があれば、私はサズナさんにどのような行動を取ってしまうか…一切、保証はいたしませんよ!」
パンッ!!!
耳を劈く高音が鳴り響く。リナが思い切り柏手を打って皆の視線を集めた。このままでは話が始められないと思ったリナは、自分自身で、投下してしまった爆弾の後処理をすることにしたのだ。
「はいはいはい…皆様、注目なのです!場も温まったことなので、そろそろあたしの話を始めさせて貰うのです!」
「ぷっぷー!!リナ、早く聞かせて欲しいのだ!僕ちんも俄然、その男の人に興味が湧いてきたのだ!つまり、筋肉伝説を聞かせてってこと!!」
「落ちつくのですサズナ!あたしが今から話すことは凄い筋肉についての事ではないのです!凄い筋肉を持った男の武勇伝なのです!」
「どっちでもいいのだ!!早く聞かせて欲しいのだ!」
「せやねリナちゃん。アテもさっきからふらすとれ〜しょん溜まりまくりやわ…早よう始めてや!」
「リナ君、頼むのだよ!恥ずかしながら、儂も年甲斐もなくワクワクしておるのだよ!」
「お任せあれなのです!」
そう言ってリナはオホンと軽く咳き込み、深呼吸をしてから声を出す。
「ではこれより、あたしの主人(自称)である『花村天』が築いた、数々の武勇伝を、あたしが知り得た限りでここにいる皆様方に詳しくお話ししたいと思うのです。どうかしばしの間、ご静聴をお願いいたしますなのです」
姿勢を正し、リナが会釈をしてそう告げると、先ほどまでの騒がしさが嘘のように鳴りを潜め、VIPルームが静寂に包まれた。皆が、これから始まるであろう規格外の人物の物語に固唾を呑む。これより、緊急会議の延長戦が始まるのであった。




