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末尾 別れのとき

 その瞬間。

 少女の頭の中は、白一色に塗り潰された。


「なん……で……?」


 得も言われぬ不安と恐怖が、瞬く間に幼い少女の心を支配する。

 全身から急激に血の気が失われる感覚を覚えながら、彼女は思った。


 ーーこれは夢? 悪夢?


 それはどちらかといえば、少女自身の願望(がんぼう)に近いものだった。

 しかし。

 激しく脈打つ心臓が、残酷なまでに少女に現実(げんじつ)を突きつけてくる。

 出口のない精神の袋小路の中。

 それでも少女は、振り絞るように(かれ)の名を呼んだ。


(てん)……さん」


「…………」


 彼の大きな背中が振り返ることはなかった。

 代わりに返ってきたのは、バタンと閉じられたドアの音だけだった……





「ヒック……うっ……ヒック……」


「…………ちくしょうっ」


 泣き続ける弥生さんの肩を抱いて、淳さんは怖い顔のまま部屋のドアの前で立ち尽くすジュリさんを睨みました。


「元はと言えば、お前がアイツにあんなことを言ったのが悪いんだ‼︎」


「……」


 ジュリさんは淳さんの方は見ずに、ただじっと天さんが出ていったドアを眺めてましたです。


「……どうして弥生(やよい)なのよ……」


 ジュリさんは何かを言ってるようでしたが、声が小さかったのでよく聞こえませんでした。

 けど、きっとジュリさんも、このまま天さんがいなくなっちゃっうのが嫌なんだってことだけはーーあたしにもはっきり分かりましたです。


「ああ、あの!」


 あたしは、弥生さんを介抱する淳さんのもとへ駆け寄って、


「あたし、天さんを連れ戻してきますです!」


「必要ない‼︎‼︎」


 淳さんがすごい剣幕で怒鳴りました。こんなに怒った淳さんは、あたしも初めて見ましたです。


「あんな奴を引き留めるなんて、絶対に許さないからな! だいいち、アイツはもうこのチームの一員じゃない……俺達の仲間でもなんでもないんだよ!」


「そ、そんな、ひどい……」


(ひど)いのはアイツの(ほう)だろうがっ‼︎」


 淳さんは、おびえるように震えている弥生さんを、力いっぱい抱きしめました。


「あいつは俺の妹を……弥生に乱暴しようとしたんだぞ‼︎」


「ヒック……う、ぅぅ……」


「……!」


 弥生さんが泣いてて、淳さんがとっても怒ってて、それでジュリさんが責められてて。

 あたしにもなんとなく分かりましたです。天さんが一体どんなことをやって、“わざと”追い出されるかたちでチームを自分(じぶん)から()けたのか……


 でも、それでも。


「あたし、行きますです‼︎」


「あっ、おい、待てよラム!」


 それでもあたしは……


 ーーこれからも天さんと一緒にいたい!


 裸足のまま部屋を飛び出したあたしは、無我夢中で天さんの後を追いかけましたです。




 ◇◇◇




 外はすっかり闇色に染まっていた。

 もう日付も変わるという時間帯だ。既に村の民家の明かりもそのほとんどが消えている。

 深夜の田舎町。山と畑に囲まれた暗い夜道は当然人気もなく、全てのものが眠っているかのように静かだった。


 五分ほど歩いて。

 天はふと立ち止まり、星に彩られた空を見上げる。


「……もう少し別のやり方があったかもしれんな」


 口の中で独りごちるように呟く。

 何をいまさらと肩をすくめ、天が再び歩き出そうとした、その時だったーー


「天さんっ‼︎」


 不意に背後から声が飛んできた。息を荒げた幼い女の子の声だ。

 天は後ろを振り返りもせず、ただ短くため息をついた。


「やはり(キミ)だったのか」


 足音がこちらへ近づいて来ていたのは、少し前から気づいていた。

 自分を追いかけてきたのが誰なのかも、気配であらまし見当はついた。

 天はもう一度、今度は深いため息をついて、


「何しにきたんだ、ラム先輩?」


 素っ気なく(たず)ねる。本当は()かずとも、とうに分かっているのに。


「そんなの、決まってますです」


 まるで自分に背を向ける彼の予想を代弁するようにーーラムは天のすげない態度にまったく気後れした様子も見せず、迷わずに答えた。


「あたしは、天さんを連れ戻しにきました!」


 高らかに上げられた気勢は、普段おどおどしている彼女からは想像もつかないほど強い意気がこもっていた。

 それから一拍置いて、天は相変わらずラムの方へは振り返らず、言う。


「本気で言ってるのか? 俺はついさっきパーティーリーダーである淳に、『チームから出ていけ』と言われたばかりなんだぞ?」


「それでもっ、あたしは天さんにチームを抜けてほしくないんです!」


 その、ある意味子供らしいラムの自分本位な主張に対し、


「もう決まったことだ」


 極めてドライな大人的対応でそれを一言で切り捨て、天は煩わしげに後ろ頭をかく。


「それにしても騙されたな。俺が『盾役』として実績を上げれば、チームの女性メンバーたちとよろしくできるんじゃなかったのか?」


 淳に殴られた左頬を(わざ)とらしくさすりながら、彼は続ける。


「なのに結果がコレだ。ほんの少し手を出そうとした相手には泣きわめかれるわ、そのシスコン兄貴には殴られるわ。おまけにチームまで追い出されるとはな。いやはや恐れ入った」


(うそ)です‼︎」


 天の軽口を全て打ち消すような鋭い一声が、静寂に包まれた真っ暗闇の世界に突き抜けていく。


「天さんはあたしたちのチームを抜けるために、わざと自分が悪者さんに見えるようなことをやったんですよね? さっき弥生さんを(おど)かしたのも、わざと淳さんを怒らせるためにそうしたんですよね?」


「…………そこまで分かっているのなら、どうして追ってきたんだ」


「……っ」


 ようやく振り向いた天の顔を見て、ラムはその顔色を茫然(ぼうぜん)たるものへと変え、口を(つぐ)む。まるで彼の胸中をすべて見透かしてしまったかのように。

 そこから夜の沈黙と二人の沈黙が重なり合ったのは、ほんの一時(いっとき)の間だけだった。


「……素足のまま来たのか」


「だ、大丈夫です! あたし、昔からよく裸足のまま遊び回って、その度にお母さんに怒られてましたから!」


「そうか」


 天の口調は幾分か優しいものになっていた。

 天は静かに(きびす)を返し、止めていた歩みを再開させる。


「少し話をしよう」


 背中越しにそう言われ、ラムは慌てて天の隣にいく。


「今回のことは、突発的に思い立ったわけじゃない」


 微かな月明かりに照らされた真夜中の土道を並んで歩きながら、天は唐突に話を切り出した。


「遅かれ早かれ、俺は君達のチームを抜けるつもりでいた」


「……はいです」


 ラムの返事に先ほどまでの覇気は感じられない。だが同時に驚いた様子もない。おそらく、彼女はとっくにそれに気づいていたのだろう。


「天さんは、やっぱり『盾役』が嫌だったんですか?」


「それもある」


 前を向いたまま、天は淡々と告げる。


「だが一番の理由は、自分の行動(こうどう)制限(せいげん)されることだ」


「行動の制限、ですか?」


「そうだ」


 天はゆっくりと頷く。


「今のチームにいる限り、俺はこの先もずっと、何かに(しば)られる生き方を余儀なくされるだろう」


「……」


 ラムは黙って俯いてしまう。それは無言の同意に他ならなかった。幼いながらに彼女は知っているのだろうーーこの世界で、魔力の才に恵まれていない者がどういった扱いを受けるのか。


「ただの一度でも『ここにいるべきじゃない』と感じてしまった以上、さっさと身を退()くのがお互いのためだ」


「……」


「なにより俺は、自分自身の力で(てき)(たお)したい」


「……実はあたし、天さんが本当はとっても(つよ)いこと知ってましたです。最初にお山で天さんと会った、あのときからずっと」


「!」


 突然のその告白に、天は装った鉄仮面にヒビを入れ、ラムを見やる。

 すると、少女はぎこちなく笑って天の顔を見上げた。


「えっと、危機かんち能力? っていうスキルとはちょっと違った特技らしいんですけど。あたしたち“亜人の女”は生まれながらにそういった力を持ってるって、死んだお父さんが言ってたです」


「じゃあ、昼間の『ハイオーク』のときも」


「はいです。なんとなくですけど、すっごく怖いモンスターがすぐ近くにいるって、あのときはビリビリと感じましたです」


 言いながら、ラムは苦笑する。


「多分たまたまですけど。あたしはまだまだ未熟者なんで、すっごく集中してないとこの特技つかえないんです。それにこの力を使うと、すっごくお腹もへっちゃいますし」


「なるほどな」


 ラストの部分はともかく、天はそれを聞いて大いに納得した。そして同時に、今目の前にいるこの娘のことを自分は見縊(みくび)っていた、と認めざるを得なかった。


「あの、白状すると……あたし最初に天さんを見たとき、おしっこが漏れちゃいそうになるぐらい怖かったんですぅ。なんだが、どこまで行っても上が全然見えないような、大きな大きなお山みたいな人だなって……」


「……」


 天は黙って少女の言葉に耳を傾ける。


「あっ、でも今は全然怖くないですぅ! 天さんはとっても強いけど、それ以上にとってもとっても優しい人だって、あたし知ってますから!」


 何というかひたすらにむず痒かったが、とりあえず黙って聞く。


「これを淳さんに言ったら、きっとものすごく怒られちゃうと思うですけど……あたし、本当は今回のお仕事がそれほど(あぶ)ないものだと思ってませんでした」


 どこか後ろ暗そうに、彼女は語った。


「実際『ハイオーク』は大っきくて凶暴で、怖かったは怖かったですけど……。でも、天さんがいてくれれば絶対に大丈夫だって」


「君はそこまで分かっていたのか」


 と、天が思わず感嘆の声をもらしてしまったところで。


「ごめんなさいですぅ……」


 ラムは目に涙を浮かべる。


「あたし全部知ってたのに、天さんの強さに頼りきりで、天さんの優しさに甘えてばっかりで……」


 別に天はそういうつもりで言った訳ではない。それはラムも重々承知しているはずだ。


「あたしがちゃんと淳さんや弥生さんたちに天さんの“強さ”を伝えてたら、こんなふうにはならなかったかもしれないのにっ!」


 ただ少女の中で、何かしらのスイッチが入ってしまったのだろう……


「あたしが、あたしのせいなんです……!」


「なあ、ラム先輩」


 それは単なる気紛(きまぐ)れか、


「実を言うとな、俺も今までずっと君らに(だま)っていたことがある」


 あるいは罪の意識に苛まれる少女の気を紛らす為か。


「俺はこの世界とは別の世界ーー言うなれば、“異世界”からやって来た人間なんだ」


 彼はどこか遠くを見るように星空を仰ぎ、自ら秘事を語り出す。


「だから俺は魔力も無いし、魔技も使えない。俺が元いた世界では、そんなものは空想の産物、この世に存在し得ないものだった。ーーなんて言ったら、君は信じてくれるか?」


 芝居がかった調子で、天が訊ねると、


「……し、(しん)じますです!」


 ラムは身を乗り出して言い切った。一瞬きょとんと目を丸くしたが、すぐさま再始動して。天のぶっ飛んだぶっちゃけ話に、何ら臆することなく。


「他の人がなんて言っても、あたしは今の天さんのお話を信じますですっ!」


「……そうか」


 それはまさに天の予想通りの回答だった。真実を伝えてもラムなら絶対にそう(こた)えてくれるとーー天は信じて疑わなかった。


「山で君達と出会ったあの日、俺はこの世界にやって来たんだ」


「えっと、つまり天さんは迷子になっちゃったってことですか?」


「ある意味そうかもしれん」


 特別笑っているわけでもないが、天はどこか愉快気だった。


「ただ普通の迷子と違うところは、俺は多分、もう元いた場所(せかい)には(かえ)れない」


「あっ……」


 それから幾度か道のわきの茂みから虫の声が通り過ぎて。


「……天さんは、やっぱり自分が暮らしてた場所に帰りたいですよね」


「いや」


 ラムの同情的な言葉をはっきりと否定し、天は言った。


「この世界に迷い込んでもう一週間近く経ったが、生憎(あいにく)そういった気持ちになった事はただの一度もないな」


「そ、そうなんですかぁ?」


「まあ、確かに不便がないといえば嘘になるが。俺は今、一生分の刺激と興奮を毎日のように味わっている。差し引きでいえば、これ以上ないぐらいの黒字だよ」


「ええっと、天さんは自分のお家に帰れなくて寂しくないんですぅ?」


「ああ」


 今度はきっぱりとそれを肯定する。


「こう言っちゃなんだが、以前いた世界は俺にはちと物足(ものた)りなかった。何をやっても満たされない日常にうんざりしていた。だから、正直こっちに()れて運が良かったとさえ思ってる」


「は、はぁ」


 ラムは少し困った顔で気の抜けた声を漏らす。


「で……でも、寂しくないに越したことはありませんよね」


 おそらく天の価値観に理解が追いつかないのだろう。よく分からない、というコメントを貼り付けた顔でラムは愛想笑いを浮かべる。

 一方、天はそんなラムの微妙な反応にもめげず、珍しく空気を無視してーー嬉々としてこう述べた。


「この世界は、俺にとって楽園(パラダイス)だ」


「はーーはいですっ!」


 何故かラムは、嬉しそうに顔をほころばせて天の言葉に相槌を打った。


「えへへへ〜」


 自分の世界を褒められたのが嬉しかったのか。掛け値なしの天の本音を聞けたのが嬉しかったのか。あるいはその両方かもしれない。

 天はにこやかに微笑むラムを見て、小さな安堵と共にわずかな胸の痛みを実感する。ただおかげで平常より興奮した精神を一旦落ち着かせることができた。


「なぁラム先輩、今俺が話したことなんだがーー」


「大丈夫です!」


 何かを言いかけた天の声を遮り、ラムはグッと両手に握りこぶしを作った。


「あたし、いま聞いたことは絶対に誰にも言いません! 天さんとあたしだけの秘密ですぅ! 約束です、はい!」


「あ、あぁ」


『別に誰かに喋っても構わないが多分バカにされるからよしておいた方がいいぞ』と言おうとしたのだが、少女の嵐のような怒涛の勢いに瞬間的にたじろいでしまう。


 だが。


「了解だ。この事は二人だけの秘密だ」


「はいです。二人だけの秘密です」


 それも悪くないか、と天は静かに頷いた。


「そういえば、天さんは前の世界ではどんなお仕事をしてたんですぅ?」


 ラムがその事を訊ねると、


「そうだな、アレを仕事と分類するのはちと違う気もするが……」


 天は少し思案する素振りを見せ、苦笑気味にそのセリフを口にした。


「周りの連中からは、“史上最強の格闘王”なんて呼ばれてたな」






「え! それじゃあ、天さんは生まれてからこれまでずーっと、ケンカで負けたことがないんですかぁ⁉︎」


「まあな」


 夜陰(やいん)に紛れて虫の鳴き声と共に聞こえてきたのは、若い男女の話し声。


「でかい大会に出るときは『生涯無敗』を(うた)い文句に活動してた時期も、あったはあった」


「すごいです!」


「ま、こっちの世界じゃ俺の力もどこまで通用するか分からんがな」


「あのあの、天さんの世界の人たちって、みんな魔力がなくて魔技も使えないんですよね? それで、どうやってモンスターと戦ってるんですぅ?」


「魔技や魔力もそうだが、俺がいた世界には、そもそも“魔物(モンスター)”なんつう奇天烈な生き物は存在しないんだ」


「えっ、天さんの住んでた世界、モンスターいないんですか⁉︎」


「少なくとも俺は見たことがない。もしかすると世界中探せば似たようなのもいるかもしれんが。ーーちなみに、虎や熊なんかの猛獣は普通にいるぞ」


「『コンビニ』や『ファミレス』とかもあるんですよね? なんか、あたしたちの世界と天さんの世界って、似てるところがいっぱいありますですぅ」


「というか、そっくりだぞ。食べ物や通貨の単位、社会思想や扱う言語に至るまでほぼ全て一緒と言ってもいいぐらいだ。まあ、こっちは世界というよりも、『日本』といった方が正しいかもしれんが」


「ニホン?」


「ああ。俺の生まれ育った島国だ」


 故郷の話に花を咲かせながら、異世界からやって来た規格外の青年と心優しい獣人の少女は、全てが眠る村の中を揚々と闊歩(かっぽ)する。

 月に照らされた、(はる)()の田舎道を。

 “その場所”へ辿り着くまでのわずかな道中、二人はかけがえのない時間を過ごしていた。


 ーーが。ほどなくして。

 天とラムは村外れのひらけた峠道に到着する。


「……バス停、もう着いちまったな」


「……」


 ()くして、別れの時はやってきた……


「ここでお別れだ、ラム先輩。今まで世話になったな」


 天がそう告げた途端。

 ラムは無言で、(すが)りつくように天の服の袖を掴んだ。


「………………()かないで、ください」


 ようやく絞り出したであろうその言葉は、嗚咽で震えていた。


「あたし、ヒック、天さんのこと、ヒヒック……本当のお兄ちゃんみたいに思ってて……っ! だから、お別れなんて、いやですぅ」


 ラムは必死で言い(つの)る。ぽろぽろと大粒の涙をあふれさせながら。


「……ありがとう、ラム」


 咽び泣く少女の名を呼びながら、天はその小さな頭を優しくなでた。


「ぁ……」


「俺にそんなことを言ってくれたのも、俺なんかの為に泣いてくれたのも、多分君が初めてだよ」


「天さん……」


 いまだ目に涙を浮かべてはいるものの、ラムがいくらか落ち着いた表情を見せたーーその時である。


 ーーーーブォ。


「……ちっ」


 瞬間、青年の相貌に夜よりも暗い影がかかる。

 感情のない声で、彼はぼそりと呟いた。


「……空気の読めんヤツだ……」


 ラムの頭に手を置いたまま、天は硬質な声を発した。


「ラム。少し(はな)れててくれ」


「え?」


 ラムが不思議そうに天の顔を見上げた、次の瞬間。


「ブオ? ブオブオブオ」


 何の前触れもなく、まるで夜行性の野生動物のようにーーバス停と道路を挟んだ向かい側の森の茂みの中から、その魔物は姿を現した。


「はは、ハイオークっ!⁉︎」


 天とラムの目の前に現れたのは、昼間彼らが倒したものと同等かそれ以上のサイズの、Cランクモンスター『ハイオーク』だった。


「そ、そんな……。なんでまだハイオークが村の近くにいるんですかっ⁉︎」


「単純にもう一匹いたんだろう」


 事も無げにそう言うと、天は夜の散歩にでも繰り出すかのような気軽さで、突如現れたハイオークの方へと歩いていく。


「どちらにせよお前を()っていくつもりだったから、手間が省けたといえばそうなんだが。どうにも間の悪いときに来たもんだ」


「ブオッ、ブオォオオー!」


「何というかはなはだ気の毒ではあるが、昼間のヤツと違って、お前には()()(あた)えてやれそうもない」


 悠然とした態度で、あくまでマイペースに、天は何のお構いもなしにハイオークへ近づいて()く。


「ブォオオオオオオーーッ‼︎」


 距離にして七、八メートルほどか、天が道路を半分ほど渡ったところで、ハイオークが戦闘開始とばかりに大地を揺るがし突進してきた。


「それはもう昼間に()た」


 言いながら、天が音も無く地面を蹴る。

 それは跳躍というより、軽やかなステップ。

 天は最小限の動きで魔物の突進攻撃を難なく(かわ)す。刹那。


「天さん!」

「ブゥオンッ」


 ラムの叫び声とハイオークの唸り声とが月夜の闇を交差した、その一瞬後には……


「それなりに知能があるといっても所詮は魔物か。行動パターンにまるで個体差がない」


 天は(すべ)てを()わらせていた。


「ヒィ……っ」


 ラムが小さな悲鳴を漏らす。首無(くびな)しになったハイオークを見て。

 制御を失った魔物の肉体は、ラムの真横を通過し、そのまま地面に投げ出されるかたちで倒れる。


「あぅ、うぁぁ……」


 ラムはガタガタと震えながらその場にへたり込んでしまう。心根の優しい十一の少女には、さすがにこの“やり方”は刺激が強すぎたようだ。


  天は右手に握りしめたハイオークの首を前に突き出し、


「これが俺の本性(ほんしょう)だ」


 冷たく言い放った。


「これで分かっただろ? 俺はお前らみたいな世間知らずのガキどもとは住む世界が違うんだ。異世界がどうのという以前にな」


「てん……さ……ん」


 天は故意にラムの姿を視界から外し、彼女の横に立つと、胴体だけの魔物(ハイオーク)の亡骸の上へその首を無造作に放り投げ、ズボンのポケットから取り出したドバイザーにそのまま収納する。


餞別(せんべつ)だ」


 そう言って、天は『ハイオーク』を入れた自身のドバイザーをラムに放る。


「ぇ、あ……っ」


 腰が抜けてるせいか、ラムはドバイザーを上手くキャッチできずに地面に落としてしまう。が、その程度で壊れるようなものでもない。


「もう、俺にソレは必要ない」


「ぁ、あたし……」


 ラムは何か言おうとしていたが、天は構わず彼女に背を向け、


「俺は、弱い連中とつるむ気はない」


 それだけ告げて、彼はその場を後にしようとした。がーー


「だ……だったらあたし、(つよ)くなりますですっ‼︎」


「っ……!」


 背中に浴びせられた少女の声に、青年の足は地面に()()められてしまう。


「こ、これからはあたしっ、もっとしっかりしますです! 天さんの強さにも頼りすぎないようにしますです! 天さんの優しさに甘えすぎないようにしますです!」


「……」


「ごご、ごはんも食べすぎないように気をつけます、です……。お、お腹いっぱいになったらすぐ寝ちゃう癖もちゃんとなおしますです。だから、ヒック、だから……!」


「……っ」


 天は一歩も動くことができなかった。

 頭の中で何度も「動け」と指示を出しても、肝心の足が言うことをきいてくれないのだ。


「いかないで、ください……天さん。これからも、一緒にいてくださいですぅ。あたし、ヒック、いっぱいいっぱい頑張りますから……っ」


「〜〜〜‼︎」


 天は自らの足を殴りつけ、(ようや)っと、逃げるようにしてその場から駈け出した。


「て、天さん……っ‼︎」


 悲鳴にも似た少女の叫び声が、容赦なく耳の奥に突き刺さる。


「う、ううぅ……てんさ〜〜〜ん‼︎‼︎」


 もはや振り返ることはできない。もし振り返ってしまったら、今度こそ自分は完全に動けなくなってしまう。


 天は走った。

 真っ暗な山道を。

 ただがむしゃらに。

 気づけば、ラムの泣き声がもうかなり遠くに聞こえる場所まで来ていた。

 瞬間、自分はあの四人、淳、弥生、ジュリ、そしてラムと別れたーーそのことが急に実感として押し寄せてくる。


『そういえば自己紹介してなかったな。俺は一堂淳だ』


『ようこそ、天。ここがボクら冒険士の聖地、冒険士協会本部なのだよ』


『天さん。及ばずながら、私も援護しますわ』


『あたし、いま聞いたことは絶対に誰にも言いません! 天さんとあたしだけの秘密ですぅ!』


 まるで走馬灯のように天の脳裏を駆け巡ったものは、彼が生まれて初めて出来た仲間達と過ごした……この五日間の記憶であった。


 ……ああ、そうか……


 そのとき彼はようやく気づいた。

 今更(いまさら)気づいてしまった。

 自分自身の、本当の気持ちに。


 ……俺はいつの間にか、あいつらのことを()きになっていたんだ……


 気づくのが遅すぎた。

 いや、(みと)めるのが遅すぎたと言うべきか。


 彼は暗闇の中を走りながら、頭上に浮かぶ月を眺める。


「もしもこの先、またあいつらと(たが)いの(みち)(まじ)わる機会があったら、その時は……」


 それは(ちか)いか、あるいは(ねが)いか。

 (うつ)ろな声は響くこともなく、夜の静寂(しじま)に沈んだ。



 この夜。

 小さな村で起こったある一つの別れはーー


 新たな伝説(でんせつ)(はじ)まりを()げる、門出(かどで)でもあった。


 

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