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5日目 ②

 その日の昼過ぎ。


 冒険士協会本部で、正式に『ハイオーク討伐依頼』を受注した俺達五人ーー俺、淳、弥生、ラム、そしてジュリは、早速『ハイオーク』が目撃されたという《ハルネ村》へと針路(しんろ)を定め。中ランク任務に向けての装備等の下準備ーー俺は自分の盾を雑巾で乾拭きしただけだがーーを協会本部内の店屋であらかた済ませた後。

 諸々の手続きを終えたその足で、そのまま《ソシスト共和国・西部国境》行きの魔導バスに乗り込んだ。


「それにしても、まさか『ハイオーク』の目撃情報があった村が、あの《ハルネ村》だったなんてな」


「シスト会長が(わたくし)たちのチームに今回の一件を任されたのも、もしかするとその部分が一番大きかったのかもしれませんわ」


「言えてるのだよ。なにせあそこは、此間(こないだ)『リザードマン』の討伐任務で出向いたばっかりだからね。土地勘も村人との交友関係も、ボクらならバッチリなのだよ」


「はいです。宿の朝ごはんがとってもおいしかったですぅ。しかも、それが全部食べ放題でした!」


 そう。今回『ハイオーク』の討伐を冒険士協会に依頼した《ハルネ村》は、四日前に淳達が『リザードマン討伐任務』で訪問した村であり、俺がこの世界にきて最初に訪れたーーあの村である。


「あそこなら、こっから魔導バス一本で行けるな」


「あと十五分ほどで次の便がくるようですわ」


 旅路は比較的スムーズだった。

 勝手知ったるとまではいかないが、つい最近行ったばかりの村だ。目的地までの経路で頭を悩ますこともない。

 加えて、行き先のハルネ村まで魔導バスで二時間以上掛かることは既に織り込み済みだったので、


「時間もたっぷりあることだし、今のうちに()りの打ち合わせでもしておかないか?」


「天に賛成!」


「はい。『ハイオーク』がいつ現れてもいいように、早めに作戦を立てておきましょう」


「はい……です……zzZZ」


「おいラム……大丈夫か?」


「ーーはっ‼︎ ね、寝てませんですぅ! あたし、ちっとも眠くなんてありませんです、はぃ!」


「ったく。お前のその図太い神経を、俺にも少し分けて欲しいよ」


「まあまあ、昨晩は(だれ)かさんの所為(せい)で、皆ほとんど眠れなかったわけですし」


「……弥生ってさ、実は結構イイ性格してるのだよ」


「誰とは言ってませんわ」


「なぁリーダー、そろそろ始めないか?」


「だ、だな」


 こうして、俺達は《ハルネ村》までの道中ーーバスの中で(たい)『ハイオーク』戦の作戦会議を行うこととなった、のだが……



 ……マジかこいつら……


 現在、俺は盛大に頭を抱えていた。


「作戦の流れはこんなところか……どうかな、弥生?」


(もう)(ぶん)ありませんわ、兄様」


「ーーよし!」


 キリッとした兄の声に弥生は神妙な顔で頷き、また淳も妹に頷き返した。二人はバスの後部座席の三人席でーー淳が通路側、弥生が窓側ーーそれまで目を通していた依頼書を一旦しまった。とほぼ同時に、その前の三人席を一人で陣取っていたジュリが、後ろ向きで座席の上からひょっこりと顔を出す。

 ちなみに俺とラムは、ジュリの席から通路を挟んだ隣の三人席ーー通路側が俺、窓側がラムーーに座っていた。集団としてはかなりマナー違反だが。とはいえ、バスの後ろ半分は俺達五人の貸切状態だったのでそこは大目に見てもらおう。


「それじゃあ皆、もう一回作戦の確認をするぞ」


 淳は毅然(きぜん)とした態度で席から立ち上がり、俺達のことをぐるりと見回して言う。


「まず、『ハイオーク』を見つけたらジュリが“火属性レベルスリーの魔技”ーー《大烈火玉(だいれっかだま)》の生成を始める」


「任せるのだよ」


「次に、天が前に出て、できるだけ『ハイオーク』の注意を引いてくれ。魔技を生成する弥生やジュリに、なるべく奴を近づけさせないように」


「……了解」


 と、俺が気力の削げ落ちた返事をすると。


「その際、できるようなら俺は天のバックアップにまわる」


 淳がキメ顔でそう言い放った。その様は、まるでドラマのワンシーンようだった。

 しかし、


 ……盾役のバックアップってどんな立ち回り? 「できるようなら」ってどゆこと……?


 (よう)は、怖いから俺という名の肉壁の後ろに隠れて余裕があったら道端の小石を拾って投げる、的なことだろう。


 淳は険しい顔で、また全員を見回した。


「言うまでもないが、この奇襲(きしゅう)に失敗したら、ソッコーで退却(にげる)するぞ!」


 臆面もなくそう言って、淳はジュリの方に顔を向ける。


「ジュリ」


「なに?」


「一回《大烈火玉》を打ったら、次が打てるまでどれぐらい()かる?」


「最低でも六時間は掛かると思うのだよ」


 ジュリはしれっと言った。

 淳は目を丸くする。


「え? そんなに……?」


「うん。《大烈火玉》はMPの消費量が馬鹿みたいに多いから、それぐらい開けないと無理」


 とジュリ。

 彼女は自分のドバイザーを右手に持ち、それをプラプラと振りながら、


「まぁ、アイテムでMPを回復すれば、間を置かずに続けて生成できると思うけど、きっと『マジックポーション』の小瓶(こびん)二本は消費するのだよ」


「た、たった一回で二本も……?」


 淳が顔を引きつらせる。

 ちなみに、『マジックポーション』は小瓶でも一本五万円もするバカ高い回復アイテムだ。それを一発放つごとに二本も消費すれば、単純に《大烈火玉》にかかるコストはワンプレイ金十万円となる。

 当然、出発する前に何本かは本部で購入してきたがーーあまりの値段に俺はそのとき二度見してしまったーー、だからと言ってそんな贅沢使いができるわけもない。淳のこの反応は無理もないものだ、と俺も共感した。


「…………分かった」


 一拍置いて、淳は静かに頷き……


「もしジュリの《大烈火玉》が外れた時は、次を打てるようになるまでハルネ村で待機してよう」


 きっぱりとそう言った。

 ほんの一瞬微妙な空気が流れるも、ひとまず気を取り直して、


「じゃ、じゃあ最後に、弥生とラムはいつもどおり後方支援を担当してくれ」


「了解しましたわ、兄様」


「ハイ……ですぅ……ムニャン」


 俺の方へ頭をもたれさせてうたた寝中のラムが、夢と現実の狭間で無邪気に返事をする。その姿はとても愛くるしいものではあったが。残念ながら、彼女の癒し効果をもってしても、今の俺の心理状態は到底リカバリーできない。というより、そもそもそれも原因の一つだったりする。


「まぁ一発目で決めるつもりだから、『次』とか無いと思うけどね」


 既に自分の座席でふん反り返っていたジュリが、得意げに言ってのける。

 そのジュリの減らず口には付き合わず、淳は締めのセリフを口にする。


「みんな、いつでも逃げられるよう準備しておけよ!」


「「おー」」


「……」


 何度も蒸し返すようだが、俺は今、盛大に頭を抱えていた。


 まず手始めに。

 我らがリーダーが立てた作戦を要約するとこうだ。


『ハイオークと遭遇したら、文字通り“盾役”の俺を(たて)にして、ジュリの超必殺技(だいれっかだま)()たるまで周回エンドレス』


 (なお)、攻撃を一発外すごとに六時間のインターバルが必要。よって、当たらなかったら逃げるを繰り返し、それが成功するまで続けるーー以上。


 まぁなんというか……俺は心の中で(さけ)んだ。


 ……クラスのガキ大将の家にピンポンダッシュしに行くわけじゃねえんだぞ……‼︎⁉︎


 と。


 あまりにもお粗末なーーいつもと変わらぬとも言うがーー作戦に、俺は軽いめまいを覚える。今日日、町のボーイスカウトだってもう少しマシな作戦を思いつくだろう。


 おまけに、


「え? 《大烈火玉》の射程距離と生成時間? う〜〜ん……」


 ジュリはたっぷり五分長考した後、自信なさげに首を傾けながら俺の質問に答えた。


「多分だけど、射程距離は大体四〇から五〇メートル。ーーで、生成時間は三分前後ってところだと思うのだよ」


「おい待て、多分(たぶん)ってどういうことだ?」


 嫌な予感をそのまま口に出していた。


「それに“大体”とか“前後”とか“思う”とか、言い方がやけに曖昧な気がするんだが……」


 続けざまに俺がそうこぼすと、ジュリがきょとんとした顔で右に傾けていた小首を今度は左に傾け。


「へ? だってボク、まだ一度も《大烈火玉》使ったことないし」


「…………はい?」


 思わず耳を疑った。

 呆気にとられる俺を見て、ジュリは再び、今度は少々不機嫌気味に言った。


「だ・か・ら〜、あの魔技はつい最近覚えたばかりだから、使うのは今回が(はじ)めてなのっ」


「……!」


 言葉を失うとは、多分こういう時に使用する文句だろう。


 ーーこのバカ正気(しょうき)か⁉︎


 俺にとって、それは考え難いーーではなく、考えられない価値観であった。


 ……まさか今の今まで一度も使ったことのない技術(スキル)を、いきなり実戦で試すとは……


 まさにぶっつけ本番。

 しかも相手は遥か格上の存在。

 なのに、当の本人は何故か自信満々に、


「大丈夫大丈夫。この天才美少女魔技士のジュリさんに任せておけば、万事うまくいくのだよ♪」


 正直、戦いを()めてるとしか思えない。

 もはや突っ込む気にもなれなかった。


「てんさんのたてのいりょくで……はいお〜くなんてちょちょいのちょいですぅ……ムニャムニャ」


「……立場上、俺は攻撃には参加できないんだかな」


 ラムの寝言にツッコミを入れつつ。

 子供向けのような内装が施されたカラフルなバスの天井を見上げながら、俺は頭を押さえた。


 ……エルフの秘書さんが大反対するわけだ……


 頭痛を覚えるーーその時、俺の頭に浮かんできたこの美少女戦士ズたちに対する率直な感想は、まさにそれだった。





 バスに乗車してから一時間半ほど経ったか。そろそろ次の駅が見えてきた。見るからに無人だったので、バスは止まることなく駅を通り過ぎるだろう。そこを過ぎれば、いよいよ次は目的の《ハルネ村》である。


「弥生……」


 淳は深刻そうな顔で、妹の弥生を見つめていた。


「お前はこのパーティーの生命線として、いつでも負傷者を回復できるよう準備しておいてほしい」


「心得ておりますわ、兄様」


「……それともう一つ、弥生に重大な任務を頼みたいんだ」


 躊躇(ためら)いがちに、淳は言う。


「弥生には、ジュリの補佐役も兼任でやってもらいたいんだ。今回は相手が相手だからな……出来うる限り万全の態勢で臨みたい」


「承知しましたわ」


「悪いな。攻撃役と回復役の両方やってくれなんて無茶言っちまって」


「仕方ありませんわ。兄様もおっしゃられたように、相手が相手ですから」


「……もしかしたら、この作戦で一番危険なのは弥生のポジションかもしれない」


「はい……」


「本当に悪い……。けどっ、こんな事を任せられるのは、このチームでお前しかいないんだ。ーーだから、頼んだぞ弥生!」


「お任せくださいですわ、兄様!」


 麗しき兄妹愛劇場終了と同時に、一番危険なのは間違いなく俺だけどね、という台詞が喉元まで出かかる。ついでながら、俺はこの美少女兄妹のくだりを既に三回ほど見させられている(バージョンはその都度違うが)。


「たくっ、さっきから何をとち狂ってるのだよ、あの兄妹は」


 通路を挟んだ隣に座っていたジュリも、うんざりした顔でぼやいている。


「どう考えたって、今回一番大変なのは天で、一番のキーマンはボクじゃないか」


「……」


 すこぶる不本意ではあるが、この時だけはジュリと意見が一致した。


 ……まあ、ああやって無理矢理にでも自分を奮い立たせておかないと、あっという間に恐怖心と不安感にのまれちまうんだろう……


 横目で一瞬だけ淳と弥生の様子を見て、俺はまたすぐに視線を正面に戻した。覚悟(かくご)()める時間(じかん)が、あの二人には圧倒的に()りなかったーー淳と弥生らしからぬ奇行の理由は、簡単に言えばそんなところだ。


「がが、頑張ろうな、弥生」


「は、はいですわ、兄様」


 ()いから()めたように、二人の声が徐々に(かた)さを取り戻していく。ジュリとは違い、淳と弥生はこの依頼を受ける気が初めから無かった。それに加え、おそらくこの兄妹にも人には言えぬ家柄関連の諸事情があるにはあるがーーその中身は、ジュリのそれと比べるとかなり(かる)いのだろう。それこそ、命を懸けるまでは到底及ばない部類の。


 ……ま、俺がいる限りあいつらが命の危険にさらされる事はあり得ないがな……


 咄嗟に出たその感情は、“自信”とはまた少し違ったものだった。そして、何故自分が彼等にそんな感情を抱いてしまったのかーー自分でもよく分からなかった。

 俺が奇妙な戸惑いを覚えているとーーバスが急に道端で停車した。たった今、無人の駅を通過したばかりだというのに。


 ーーピンポンパンポーン。


 直後、車内アナウンスが流れた。


 《ご乗車のお客様方に緊急連絡です。先ほど、この先の山道で『ハイオーク』が目撃されました》


 瞬間、車内の空気がざわめき出す。


「お、おい! 『ハイオーク』ってどういうことだよ⁉︎」


「ちょっとー、この辺りにCランクのモンスターが出るなんて聞いてないわよっ⁉︎」


「ママ、怖いよ〜」


「だ、大丈夫よ? この魔導バスの中で、モンスターがいなくなるまでじっと隠れんぼしてましょう……ね?」


 ものものしい雰囲気が車内に漂う中、バスの運転手が必死に冷静さを装うような口調で再びアナウンスする。


 《お客様には、お急ぎのところご迷惑をおかけして大変申し訳ございません。走行経路の安全が確保され次第すぐに出発いたしますので、しばらくの間、車内でお待ち下さい》


 そのアナウンスの終了と同時に、俺は立ち上がった。


「どうやら、(さが)手間(てま)(はぶ)けたようだ」


「同感なのだよ」


 続いてジュリが、やる気満々といった様子で席を立つ。


「ちょ、まだ心の準備がっ」


「……兄様、お仕事の時間ですわ」


「や、弥生……」


「兄様」


 腹を括ったように自分を凝視する弥生を前に、淳はそれ以上の弱音は吐かなかった。


「ーーよし‼︎」


 覚悟を決めた顔で、淳がおもむろに立ち上がる。


「行くぞ、みんな!」


 その声には、先ほどまでと違い、覇気が宿っていた。

 俺は淳の肩に手を置く。


「リーダー。バスを降りてからの移動は俺が先頭を行こう。ヤツがいつ道路脇から現れるか分からんからな」


「頼んだ」


 そう言って俺の方を振り向いた淳の顔は、紛れもなく男の顔だった。


 ……いい面構えだ……


 俺と淳が意思疎通を終えたタイミングで。


「ムニャ……はっ! も、もうごはんの時間ですか⁉︎」


 ラムが弾かれたように目を覚ます。

 キョロキョロと辺りを見回しながら寝ぼけるラムへ、俺は(しず)やかにこう告げた。


「ああ。今日の夕食のメニューはーー特大サイズの(ブタ)丸焼(まるや)きだぞ、ラム先輩」




 ◇◇◇




 魔導バスの運転手に事情を告げた(のち)

 乗車客の声援に押し出されるかたちでバスを途中下車した天たち一行はーー現在、『ハイオーク』が目撃されたという西部国境付近の山道中腹まで、各々の足で登ってきていた。


「あの運転手の話だと……『ハイオーク』の目撃情報があったっていうのは、この(へん)の山道だよな……?」


 恐る恐るといった様子で天の肩口から顔を覗かせたのは、チームリーダーの淳。

 彼の声に、隊列の先頭を行く天が、前方に視線を固定したまま静かに答える。


「ああ。確かにこの(あた)りだ」


 辺りは一面樹々に包まれたーー日本でもよく観光地などに行く途中に通るような、緑に囲まれた山路。傾斜の緩やかな並木道。優雅さすら感じる清々しい空気で満ち溢れた、まさに自然の中の道途だ。

 天気もいいので、こんな時でもなけりゃあピクニックと洒落しゃれ込むのも悪くないかもな、と天は微かに口元に笑みを作る。

 だがそれも一瞬。


「気をつけろ。もう、すぐそこに()る」


「「‼︎」」


 天の小さな声がけと共に、パーティーの緊張感が一気に最高レベルまで達した。そして、


「みなさん、ドバイザーの用意を!」


 天に続いて警告を発したのは、隊列のしんがりにいた意外な人物だった。


()ます!」


 ラムがそう告げた直後、五人の前方、七、八〇メートルほど離れた山際の林から。

 のそり、のそりと……異形なる魔物がその姿を現した。


「……ブオ?」


 ソレを目視で確認した瞬間、まるで(くま)(いのしし)を合わせたような魔物だーーと天は思った。


「ブオオ……」


 体長はゆうに三メートルは超える巨体。だが真に注目すべきは、その体積だ。このモンスターに比べれば、大柄な力士も幼い子供に見えるだろう。体重も余裕で一トンはありそうだ。ごつごつした岩のような手足に、獰猛性を宿した双眸(そうぼう)。その荒々しい風貌は、とてもあの『オーク』の親戚とは思えない。


「ーーアレが、『ハイオーク』か」


 天は身震いした。武者震いと言ってもいい。

 張り詰める空気。心地よい圧力(プレッシャー)


 ……これだよ、コレ。俺はこういう展開を求めていたんだ……


 久しぶりの本物(ほんもの)の闘争の予感に、天の全身は歓喜で打ち震えていた。


「ジュジュ、ジュリっ! だ、《大烈火玉》の生成だ‼︎」


「お願いしますわ、ジュリさんっ!」


 淳と弥生が、慌てた様子でジュリの方へ振り返る。

 しかし、ジュリは苦々しげに首を横に振った。


「ダメ。ここからじゃまだ距離があり過ぎるのだよ……!」


「なら、ヤツをこっちに(おび)()せれば()む話だ」


 そう言って飛び出したのは天。

 もともと彼の役目は、最前線でハイオークを足止めすることだ。


「天‼︎」「天さん!」


 ジュリと弥生が同時に彼の名を叫ぶ。

 直後、ハイオークが何かに気づいたような仕草を見せ、天を睨みつける。刹那。


「ブォオオオオオオオオオオオ‼︎」


 大気を震わせる猛獣の雄叫びが、周囲の野山に響き渡る。


「あうぅ……」


「なんて鳴き声だよ……!」


 淳とラムは、声を(おのの)かせながら後ずさる。その場から一歩も進めないどころか、二人とも単に()えられただけで気圧され、後退してしまった。とはいえ、少年たちの技量と胆力からして、まだギリギリ逃げ出さないだけ及第点といったところだろう。


 一方、巨大な豚の化け物に標的としてロックオンされた天はといえば、


「好都合だ」


 嬉々としてそんなコメントを吐く。

 皆から一五メートルほど離れた地点で立ち止まった彼の背中は、相変わらず笑ったままだった。


 ……この辺りでいいか……


 バスの中でジュリに聞いた《大烈火玉》に関する情報と、彼女自身の戦闘経験の(あさ)さ等々を考慮した結果ーーこれ以上は離れられない、と天は判断した。


 仲間達に背を向けたまま、天は声を後ろに飛ばす。


「ジュリさん。魔技の生成を始めてくれ」


「え? で、でも……」


「俺がハイオークをここで足止めする。(さいわ)い、ヤツは俺を敵としてみなした。あと数秒もしない内に、こっちへ突っ込んでくるだろう」


「! ーー分かったのだよ! すぐに始める!」


 言いながら、ジュリは両手を前にかざして精神統一に入った。火属性レベルスリーの魔技ーー《大烈火玉》の生成を始めたのだ。


「ボクが《大烈火玉》を生成し終わる前にやられちゃわないでね、天っ!」


(だれ)()ってる」


 そのセリフに頼もしさを覚えたのは、彼と会話していたジュリだけではなかった。


「天さん。及ばずながら、私も援護しますわ!」


 ジュリに少し遅れて、弥生も精神統一を開始する。


「ら、ラム!」


「はいです!」


 怯んで硬直していた淳とラムも、矢継ぎ早にドバイザーから各々の武器ーー片手剣(ショートソード)短剣(ナイフ)を取り出し。構えを取る。


「ブウオッ!」


 武器を構えた淳らに触発されるように、魔物の瞳のない白眼に攻撃的な鋭さが増す。ハイオークは短く吠えた後、すぐそばに生えていた己の身長ほどはあろう中木(ちゅうぼく)を、まるで小枝のように無造作に叩き折った。


「いいねぇ」


 天は口笛を吹くような調子でそう漏らす。

 普通の人間なら戦慄するような光景。しかし彼にとって、それらは自らの闘志をより一層に燃え上がらせるカンフル剤でしかなかった。

 そして武器を持ったことで、野生の闘争本能に火がついた、という点ではハイオークも同じ。


「ーー‼︎‼︎」


 それはあたかも戦いの狼煙。もはや声ですらない雄叫びを上げ、ハイオークは天に向かって突進してきた。


「さて」


 天は肩に担いでいた盾を右手に構える。


 ……ヤツの攻撃を『いなす』のは訳無(わけな)いが……


 できればその方法は取りたくない、天はそう思った。防御のみで敵の足止めをする以上、気力を(けず)るには相手の攻撃を盾で受け止めた方が効果的だ。おそらくこの盾の硬度なら、武器破壊や敵本体にダメージを与えることも可能だろう。何より、天自身“Cランクモンスター”がどの程度の力を所持しているのか興味があった。


「ーーというわけで、お前には『対ごろつき戦法』が適用された」


 迫りくるハイオークを前に、天は不敵に唇をの端を歪めた。その刹那ーー


 ゴゴンッッ‼︎ ‼︎ と。


 爆発音にも似た凄まじい音と振動が、周囲の景色を震わせる。天が右手に構えていた盾で、大相撲のぶちかましかくやというハイオークの猛進撃を、真正面から受け止めたのだ。


「ブウオォオ、ブブオォオーッ‼︎」


 脳天を一瞬で侵略した激痛にのたうつハイオーク。

 一方、


「たったの一発でこれか」


 敵前にも(かかわ)らず、天は己の盾の有様(ありさま)を見て感嘆(かんたん)の声を漏らした。

 反対に、その光景を目の当たりにした、他の面々は……


「嘘……だろ? 二十万もした『鉄製の盾』が、あんな……!」


 (うめ)いたのは淳。


「そん、な……」


 続いて弥生が絶句し。


「くっ、正真正銘のバケモノなのだよ」


 吐き捨てるようにジュリ。

 そして最後に、ラムがぽかんと口を開けた顔で言った。


「天さんの盾が、グニャグニャですぅ……」


 見れば、天の右手に握られていた鉄の盾は、不細工な粘土(ねんど)細工のように張りなく折れ曲がっていた。


 ……まるでノーブレーキのダンプカーに衝突されたような衝撃(実際に体験した事はないが)だった……


 天は、痛みに苦しみながらも自分に怒りの形相を向ける豚の魔物を、じっと見据える。


 ……普通の人間なら確実に即死。脳みそが飛び出るぐらいの衝撃を与えてやったのに……


 多少のダメージはあれど、相手はピンピンしている。その事実が、この上なく天の(おさ)えつけられていた欲求を刺激した。


()いな、コイツ」


 細目の奥に危険な光を灯し、天が無意識のうちにハイオークとの間合いを詰めたーーその時であった。


「天!」


 淳が叫んだ。

 無論、彼にそういった意図はないだろうーーが、結果的に、それが天の理性を引っ張り戻した。本人がそれを望むか望まぬかは別として。


 淳は、ワナワナと震えた手で剣を構え直し、


「お、俺もいまーーッ!」


()るな!」


 間髪入れずに、邪魔(じゃま)をするな、とも取れる強い口調でーー天は淳の意気込みを一言で切り捨てた。


「リーダー」


 天は、チームのフォーメーションから飛び出して加勢にきた淳の顔も見ずに、告げる。


「見た通り、俺はもう盾なしだ。ーーつまりこっからは、この豚猪(ハイオーク)の攻撃を(すべ)()けなければならん」


 そう言いながら天はハイオークが振り下ろした超ビックサイズの棍棒を、横に飛んで回避する。


「幸い、いまコイツの敵愾心(てきがいしん)はおおむね俺に向いている」


「だーーだから俺もっ」


(おれ)一人(ひとり)なら、まだしばらくの間、コイツをここで足止めできる」


 その天の言葉は、遠回しに「足手まといだから来るな」という事である。そして、淳もそれはすぐに分かった。

 されど、少年はなおも食い下がる姿勢で。


「で、でも俺は……」


 このチームの“リーダー”だから……きっと淳は、そう続けたかったのだろう。

 だが。


「ブブォオォオ‼︎」


 魔物の怒号が、二人の会話を無理矢理終了させる。先に受けたダメージを回復したハイオークは、力任せに枝葉(えだは)付き棍棒をブンブンと振り回す。


「どうやら(やっこ)さん、相当ご立腹のようだ」


 その怒涛のラッシュを、天は紙一重で躱し続ける。


「もうっ、見たでしょ、今の⁉︎」


 苛立たしげに口を開いたのはジュリ。彼女は精神統一のポーズを維持したまま、思わず()の自分に戻って、淳に言う。


「あんなの相手にどうやって立ち回るつもりよ⁉︎ 淳の“剣術スキル”でどうこうできる相手じゃないって、見てわからない⁉︎」


「そ、そりゃそうだけど……」


「『だけど』じゃない!」


 ジュリは問答無用で淳の言葉を切り、


「 ただでさえ天は盾を壊されて丸腰なんだよ⁉︎ そんなタイミングで、ボクらの誰かが下手に突っ込んで行ったら、天の邪魔になるだけに決まってるじゃない!」


「ゔっ」


「兄様、ここは天さんにお任せしましょう」


「あ、淳さん! 天さんなら、きっと一人でも大丈夫ですぅ!」


「……分かった」


 皆から説得され、淳は渋々と引き下がる。

 ーー貴族の少年は無言で唇を噛み締める。

 淳としては有らん限りの勇気を振り絞ったつもりであった。が、こういった場面でそんなものは何の役にも立たない。自然界とは完全なる実力社会だ。弱いものは淘汰(とうた)され、強いものが生き残る。それが絶対の(おきて)であり、自然の摂理(せつり)である。これに(あらが)おうものなら、その先に待っているのは確実なる『死』……


「さあ、俺と遊ぼうかーー豚君」


 ただし、今この場で(もっと)も自然界のルールに逆らっているのは、他でもないその凶悪なモンスターなのだが。


「そら」


 つい先刻まで盾だったソレを、天はキャッチボールのような気軽さで魔物の顔面に投げつける。


「ブオッ!」


「はは、怒れ怒れ」


 それはまるで子供がお気に入りの玩具と戯れるようにーー天はハイオークの連続攻撃を躱しつつ、敵の神経を逆撫でしまくる。

 その時。


 《烈水玉(れっすいだま)


 横槍(よこやり)は唐突に訪れた。

 弥生が放った“水属性レベルツーの魔技”ーー《烈水玉》が、ハイオークが握っていた木という名の武器を弾き飛ばす。


「やった!」


 援護射撃に成功した弥生は、控えめだが本気のガッツポーズをして喜ぶ。その一方、


余計(よけい)なことを……」


 今にも舌打ちが聞こえてきそうな顔で、天はうめくように唸った。

 普通に考えれば、弥生が行ったことはファインプレーだ。それは間違いない。


 ーー手出しをするな。


 だが今のスイッチが入った状態の彼にとって、それは自分のお楽しみの時間を邪魔されるに等しい行為だった。

 事実、ハイオークは不意の攻撃に驚き、目の前にいる天から意識をそらしてしまう。


「ブオ、ブオオン⁉︎」


「待て、お前の相手は俺だ」


 冷たい声でそう言うと、天は弥生の方を向きかけたハイオークの脇腹を掴んで、とてつもない力で(つね)りあげる。


「ッッーー‼︎⁉︎」


 恐らくは相当痛かったのだろう。ハイオークが声にならない絶叫をあげる。


 ……“(わざ)”を仕掛けるなら今か……


 心の中でそう呟きながら。

 天は静かに構える。

 ハイオークが体を向き直したおかげで、現在自分は仲間達からは死角の位置にいる。()るなら今がチャンスだ。


 スッと表情の色を消し、天はゆっくりと息を吐いた。


「あと少しよ、天!」


 見計らったようなタイミングで声を上げたのはジュリ。先ほどの淳同様、彼女も狙ったわけではないだろうが。


「あとちょっとで……あとちょっとで《大烈火玉》の生成が完了するわ! だから、もう少しだけ踏ん張って、天‼︎」


「……」


 その瞬間、今の今まで猛り狂っていた頭の中が、急激にクリアになった気がした。

 天は構えを()いて、ぽりぽりと頭を掻く。


「仕方ない、今回だけはあのワガママ娘に(ゆず)ってやるか」


 小声で独り()ちると、天は自分のやや後ろで棒立ちになっていた淳に、声を飛す。


「リーダー。悪いがリーダーの持っている剣を、こっちに投げてくれるか」


「ーーえ?」


 突然言われて、淳はきょとんとする。

 天は構わず続けた。


「槍を投げるような要領で、出来るだけ思いっきり頼む」


「わ、分かった‼︎」


 何がなんだか分からないという感じではあったが、とにかく天に頼られたのが嬉しかったのだろう。淳は言われた通り、右手に持っていたショートソードを天に向けて全力投球する。


「こなクソッ!」


 気合いの乗った一投は、なかなかどうしてスピードと鋭さがあった。

 アレならいけるーーそう思った天は、再びハイオークの脇腹を両手で掴み、その巨体を軽々と移動させて自分と立ち位置を入れ替えた。


「オーライ」


 天が緊張感のない掛け声を発した直後、ハイオークの右目に淳の剣が直撃する。顔面キャッチボールとでもいったところか。つくづくえげつない事を考えつく男である。


「ブオッ、ブオォオ、ブブオオ‼︎⁉︎」


 片目を潰され、もがき苦しむハイオーク。

 目頭に剣が突き刺さったままの魔物を尻目に、天は淳に向けて親指を立てた。


(あつし)!」


『ナイスだ』と言わんばかりに、天は若きリーダーの名を呼んだ。


「ウ……うおっしゃああああ‼︎‼︎」


 それまで気落ちしていたのが嘘のように、淳はグッと(こぶし)を握り、気勢を上げた。

 さりとて、天の下拵(したごしら)えはまだ終わってはいなかった。


「とりあえず、もう片方も潰しておくか」


 そう言って、天はあらかじめ仕込んでいた『あるもの』を背中から取り出す。


「味わってみるか? 俺が初任給で買った(かさ)の威力を」


 人の悪い笑みを浮かべ、一ミリも躊躇わずにーー天は容赦なくハイオークの左目に傘を()した。もはや雨うんぬんという問題以前に、この男は完全にソレを自らの装備として使いこなしている。


「ーーブォオオッ、オオオオオッッ‼︎」


「うっわ〜……」


「え、エグいな……」


「……血も涙もありませんわ」


「天さん、すごいですぅ!」


 若干一名を除いてドン引きしているチームメイトをよそにーー


仕上(しあ)げはこいつだ」


 天は、ちょうど足元に転がっていたそれーーハイオークが武器に使っていた中木を、軽々と拾い上げて。


「よっ」


 豪快にハイオークの足元を横薙ぎに払う。まるで放物線が見えるような美しいスイングであった。


「ブホッ!」


 視界を奪われた魔物は、為す術もなく派手に転倒した。

 アスファルトの上をのたうち回るハイオーク。


「ブオ、ブオブオブオッ」


()がすかよ」


 後もう少しで道路脇の林にエスケープされるというところで、天は持っていた中木を道端の溝に突き刺し、ハイオークの退路を絶った。


「こいつはいい目印だな」


 などと軽口をたたきながら、突き立てた木製フラッグの下でジタバタする豚の魔物を一瞥(いちべつ)するとーー天はジュリの方へ顔を向けて、クイっと親指でそちらを()す。


「ジュリさん、火加減は超強火で頼む」


 その瞬間、顔にパッと花を咲かせ、ジュリは言った。


(まか)せて‼︎」


 一声の後、ジュリの両掌が煌々と燃え上がる。


 《(だい)烈火(れっか)(だま)


 刹那。

 周囲の空気を熱し、少女の手のひらから特大級の真っ赤な火の玉が放たれる。

 人型の幼児ほどなら丸ごと飲み込んでしまうであろうその巨大な火の玉は、山の涼気を引き裂き、地べたに這いつくばる豚の魔物を無慈悲に飲み込む。次の瞬間、


 ドーーンッ‼︎ と。


 一瞬でハイオークの巨体が、それ以上の巨大な炎の柱に包み込まれる。

 華も色気もない花火だ、と天は思った。


「ブブォォオオオオオオオオオオオーー!」


 魔物の断末魔の叫びが、焼けた風にのって遠く連なる山々へと木霊する。

 ブロンドの髪を熱風になびかせ、燃え盛る炎を見つめて……

 少女はおもむろに口を開いた。


(おわ)りよ」


 Cランクモンスター『ハイオーク』ーー

 討伐完了。







「…………」


 彼はぼんやりと眺めていた。もう事切れているそのモンスターを。何か物思いにふけるように、ただじっと……


「おお、俺たちっ、ほ、本当にあの『ハイオーク』を倒しちまったよ! イヤッホーい‼︎」


「やりましたね、兄様! これで私たちも、はれて中級冒険士の仲間入りですわ!」


「にゃふ〜、とってもいい匂いですぅ〜。すっごいおいしいそうですぅ〜〜」


「あのさぁ、ラム……。分かってると思うけど、天がバスの中で言ったことはただのジョークだからね? アレは食べないからね?」


「にゃふふ〜、今日の夜ごはんは、特大サイズの豚の丸焼き〜〜♪」


「じょ、冗っ談じゃないのだよっ! せっかく苦労して倒したのに、食用にするとかあり得ないから‼︎」


 ワイワイと少女たちが騒いでいる横で。

 天はぽつりと(つぶや)く。


「そろそろ潮時(しおどき)か……」


 その声は、すぐさま風にまぎれ。

 その言葉は、あっという間に歓声にかき消されて……


 彼の静かなる決意(けつい)は、とうとう誰の耳にも届くことはなかった。


 

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