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4日目 ③

「があっはっはっはっは‼︎」


「ーーシスト大統領」


 ハイカラな眼鏡をクイっと持ち上げ、いかにもお堅そうなエルフの女性は、喜怒哀楽の抜け落ちた無機質な目を容赦なく上司(シスト)に向ける。


「先ほどから意味もなく笑いすぎです。見てください、彼等も困惑していますわ」


 それは関係ない、と彼女に心の中で突っ込んだのは、きっと俺だけではないだろう。


 ……なんつうか、これぞ秘書って感じの人ーーもといエルフだな……


 と、突如現れた冒険士協会の最高指導者とその秘書のやり取りを眺めながら、俺が妙に感心していると。


「シストおじさん……」


 ジュリが絡めていた腕をさっと離し、決まり悪そうに目の前にいる男から顔を()らす。

 そんなジュリの反応を見て、シストはやれやれとでも言いたげに苦笑した。

 やはりこの二人は単に組織の会長(トップ)と一構成員というだけではなく、何か特別な間柄なのだろう。


「やべぇよ……。(なま)シストだよ。マジやべぇよ……」


「バッ、なにシスト会長のこと呼び捨てにしてんのさっ!」


 そばにいた中村と美羽は、ガチガチに緊張して鯱張(しゃちほこば)っている。相手は曲がりなりにも大組織の会長で、大国の大統領なのだ。小麦族たちのこの反応は無理もなかった。


「い、行くよ、亮」


「へ……?」


「これ以上、騒ぎを起こしたらさすがにまずいよ。下手したらミンリィさんにガチで半殺しにされちゃうかも……おもに亮がだけど」


「おお、おふぅっ」


 美羽の声に、中村が我に返る。

 その動揺ぶりから、中村が『ミンリィ』という人物をどれほど恐れているのか想像に難くない。


 中村と美羽は、慌てた様子でシストに「失礼します」とだけ告げて、そそくさと退散する素振りを見せた。

 その去り際、俺は小さな声で美羽の背中に「リーダーにはよろしく伝えておく」と声を掛ける。すると美羽は満面の笑みを浮かべ、中村はその真逆の表情を見せーー二人はその場を後にした。


「ふむ。驚かすつもりはなかったのだが、彼等には悪いことをしてしまったようだね」


「大統領がいきなりあんな大声で笑うからですよ」


 だからそれは関係ないって、と再度胸の内で突っ込みを入れつつーー俺は一歩前に出る。


「お会いできて光栄です、シスト大統領」


 背筋を伸ばして丁寧に一礼し、俺は目の前にいる生ける伝説を直視する。


 ーーいつぶりだろうか、対峙しただけで武者震いがした相手は。


 前の世界でも俺はそれなりに各界の大物(ビップ)と対面する機会があった。だがその中でも別格といえるオーラを、その男は身に纏っていた。


「初めまして。自分は花村(はなむら)(てん)と申します。つい二日前に冒険士なったばかりの見習いで、まだまだ半人前以下の若輩者ですが、何卒よろしくお願いいたします」


「おおっ、やはり君は冒険士だったか!」


 俺が失礼のない程度にーー良く言えば社交的、悪く言えば面白味のないーー挨拶をすると、何故かシストは嬉しいそうに俺の両肩を掴んだ。


「いや、失敬。儂は冒険士協会会長のシストだ。君のような若い力を、冒険士協会はいつでも歓迎する。どうかこれからの冒険士の将来をよろしく頼むのだよ、天君」


「はい。こちらこそ今後ともよろしくお願いします、シスト会長(かいちょう)


 差し出された分厚い手を、俺は臆することなく握り返した。


 ……(つよ)いな……


 握手だけでも分かる。いま自分の目の前にいる男が、人並み外れた戦力を(ゆう)していることが。


「ふふふ。いい(こぶし)をしておる。まさに(おこと)拳骨(げんこつ)なのだよ」


「そういう会長こそ、まるで岩のような見事な拳ーー感服いたします」


 互いの拳を褒め合うという男臭さ全開の挨拶を終えると、俺とシストは自然に握手を解いた。

 ちなみに“会長”と呼び方を変えたのに難しい意味はない。単にシスト自身が『自分は冒険士協会の会長』と自己紹介したので、それに(なら)っただけだ。


「久しぶりね、ジュリさん」


「……どうも」


 俺が一国の大統領とファーストコンタクトに興じる傍ら、ジュリは『マリー』と呼ばれていたシストの秘書と、見るからに素っ気ない態度で挨拶を交わしていた。


「少し口うるさいことを言わせてもらうけど、こういった公共の場で大統領の事を軽々しく『おじさん』、なんて呼んじゃ駄目よ?」


「以後気をつけます……」


 彼女達のソレは、風邪でも引いているのかという程こちらと温度差があった。


 ……さっきまでの元気(ウザさ)が嘘のようだ……


 俺は眼球を動かさずに視界の端でジュリを見る。


「ーーそういえば、淳さんと弥生さん達の姿が見えないようだけど」


「淳と弥生は、今は別行動中です。ボクらだって、いつも三人一緒に居るわけじゃありませんから」


 しおらしくなった、というよりは単純に苦手な相手ーー客観的に見て中村や美羽のおよそ五倍ーーに遭遇してしまったといったところか。


 ジュリはずっと顔を伏せたままだ。


 ……あの様子だと、マリーという人とも少なからず面識があるみたいだな。まあ、大統領と知り合いならその秘書と顔見知りでも不思議はないが……


 などと俺が思っているとーー


「こないだ(ねえ)さんに会ってきたわ」


「…………(はは)は元気でしたか?」


「ええ、とっても。でもジュリさんに会えなくて、少し寂しそうにしてた」


「そう……ですか」


 なんというか、こっちの方が圧倒的に近しい間柄だった。


「ーーおお、そうだ!」


 何やら思い出したようなポーズで、シストが急に声を張り上げる。

 結果、しんみりとした空気は一瞬でぶち壊れたが、俺としては色々と有り難かった。


 シストはニヒルな笑みを浮かべる。


「彼等に(れい)(けん)(まか)せるというのはどうかね、マリー?」


「ッ! お()(たし)かですか、大統領⁉︎」


 シストの(あん)に、彼の秘書であるマリーは目を剥いて驚く。


「それはあまりにも無謀(むぼう)というものですわ!」


「ふむ。では、マリーはあの件を淳君やジュリ君たちに任せるのは反対ということかね?」


「当たり前です!」


 マリーは明らかに動揺していた。その様は狼狽(ろうばい)と言っても過言ではない。彼女の言動からは危険(きけん)(にお)いがプンプン漂ってきた。


 ーー面白(おもしろ)い。


 自然と笑みがこぼれた。

 久々に(あば)れられる。

 不謹慎なのは百も承知だが、俺はその危険(トラブル)の火種に思わず期待を膨らませていた。


 ーーどうだ、腕試(うでだめ)しにやってみんかね?


 その時、ふいとそんな言葉が俺の脳裏に浮かんだ。見ればシストがこちらに含みのある視線を向けている。

 俺は、何となくこのおっさんの狙いが分かった気がした。


 ……どうやら、冒険士のトップは相当に食えない男のようだ……


 まぁ嫌いじゃないが、と俺がシストに微笑み返したところで。

 シストはマリーに視線を戻す。


「少し落ち着きなさい、マリー」


「ですが大統領っ!」


「マリー」


「も……申し訳ございません」


 シストの荘厳(そうごん)にして静かなる迫力に、マリーは静粛を余儀なくされる。


「君は極めて優秀だが、少々頭に血が上りやすいのが(たま)(きず)なのだよ」


「すみません……」


 マリーは素直に頭を下げた。こういった部分はきちんと主従関係ができているのだろう。


「君の言いたいことも分かる。だが儂とて、何の考えもなしに未来ある若者たちを危険な目に遭わせたりはせんよ」


「で、ですが、ジュリさんや淳さんや弥生さんはあの『一堂家(いちどうけ)』の御子息、ご令嬢です。仮に、万が一のことでもあったら!」


「そんなの関係ない‼︎」


 子供の癇癪(かんしゃく)のような怒鳴り声を上げたのはジュリ。

 伏せていた顔を上げ、ジュリはマリーに食ってかかる。


「冒険士になったその時から、ボクはそれなりの覚悟を持って今までやってきたんだ! 淳や弥生だってそれは同じ……家柄(いえがら)どうかなんて関係ないわ!」


「ジュリさん……」


「マリー、今回ばかりはジュリ君の言っておることの方が正しいのだよ」


 シストは小さく頷く。


「冒険士は皆、多かれ少なかれ覚悟(かくご)を持って行動しておる。そして、いつ如何(いか)なる時も己の信念を貫き通すのが冒険士という人種なのだよ。ーーそんな事は、儂がいちいち口を出さずとも君自身が一番よく知っておるのではないかね?」


「それは……」


「無論、そこに家柄や身分などという概念は無いも同然。我々冒険士の()(かた)には(まった)関係(かんけい)のないことなのだよ」


「シストおじさん……!」


 ジュリが感極まったようにシストを見つめる。

 性懲りもなくまた「おじさん」呼びになっている件については、この際は大目に見てもらえそうな雰囲気だ。


 シストは改まった口調を元の柔らかいものに戻し、少々意地悪そうな笑みを浮かべる。


「そうでなくても今のマリーの発言は少々いただけんな。あの言い回しでは、まるで大切なのはジュリ君や淳君達だけで、そこにいる(かれ)やラム君の事はどうでもいいとも捉えられかねんぞ?」


「あっ、いえ、決してそのようなーーっ」


(たし)かに」


 俺はマリーが喋っているにも拘らず、御構い無しにシストの言葉に相槌を打つ。マリーのあの物言いには俺も少なからず思うところがあった。


「誤解ですわ! 誓って申しますが、私はあなたやラムちゃんの命を軽視したわけでは断じてありません!」


 ただ、彼女自身が瞬時にその事を否定したので、俺はそれ以上の追求はせず、シストの方に顔をやる。


「それで結局のところ、自分達にやってほしい事とは一体何なんですか、シスト会長?」


 勿体ぶらずに早く言え、と俺が(あん)催促(さいそく)するとーーシストは愉快げに口の端をニヤリと持ち上げた。


「君達に『ハイオーク』の討伐(とうばつ)依頼(いらい)したいのだよ」




 ◇◇◇




「ガッガッ、んぐんぐんーーはむ、むぐ、はふはふはふっ!」


「あは、あはは……ほんと、ラムと『オーク』を引き離して正解だったな」


 テーブルに運ばれてくる料理を次々に平らげていくラムを眺めながら、淳はそんな事をつぶやいた。


「しっかし不思議だよな? あの小さい体のどこに、あれだけ大量の飯が入っていくんだろうな」


「………………」


「……なぁ弥生、そろそろ機嫌直せって」


 一つため息をつくと、淳はしかめっ面で隣に座っている弥生(いもうと)に小声でぼそりと話しかける。


「多分ジュリのやつは、本気(ほんき)じゃないと思うぞ」


「ーーだからですわ」


 そんな事は百も承知といった返事をして、弥生は口惜(くや)しそうに下唇を噛む。


「ジュリさんの目当(めあ)ては、昨日(さくじつ)に天さんが見せた“盾役としての才能”ですわ。決して、天さんに特別な感情を抱いているわけではございません」


「だよな」


「だから、余計に腹が立つのですわ。()がり(なり)にも仲間内でそのような(あさ)はかな計略を平然とやってのける、ジュリさんが……!」


「や、弥生……」


 思わず淳は目を見張った。

 弥生らしからぬ汚い言葉遣いもさることながら、ここまで感情を表に出して激高する妹を淳はこれまで見たことがなかった。


「……(ただ)でさえ天さんには心苦しい役柄を()いているのに、これ以上こちらの都合であの(かた)を振り回すのは(わたくし)には耐えられませんわ」


「………………」


 淳は何も答えられなかった。答えられる(わけ)()かった。

 なにせ天に数々の損な役回りを押し付けている代表格は、他でもない自分なのだから……


「ムグ、すみません! 追加で『スーパーデラックスビックリたまごセット』と『ビッグリバーガー』ーーあと『ビッグリフルーツパフェ』もひとつお願いしますです!」


「……まだ食うのかよ」


 ラムの食欲に呆れつつも、その天真爛漫さに少しだけ救われた気がした。

 淳は、ほとんど手をつけてない自分の『ビッグリフルーツパフェ』を静かにラムの前に差し出す。


「えっ、コレもらっちゃってもいいんですか、淳さん⁉︎」


「ああ」


「ありがとうございますですぅ!」


 その屈託のない笑顔がやけに眩しく感じた。


「俺、ちょっとトイレ行ってくるわ」


 顔でも洗って気持ちを切り替えようと、淳は静かに席を立った。




 ◇◇◇




「やるのだよ!」


 身を乗り出すようにして、ジュリはシストに迫る。


「その依頼引き受けるのだよ、シストおじーー会長っ!」


 いつともなしに彼女は『のだよ口調』に戻っていた。


「お待ちなさい、ジュリさん!」


 すかさずストップを掛けたのはマリー。


「『ハイオーク』はまだあなた達には早いわ! 考え直しなさい!」


「マリーさんは黙ってて‼︎」


 畳み掛けるようにマリーはジュリへ鋭い眼光を放ったが、ジュリは怯まず叔母を睨み返す。


 ……この二人、何だかんだで似てるかもしれんな、親類(しんるい)だけに……


 苦笑は内心に留めておき、俺は(たけ)り立つジュリの肩に「落ち着け」と手を置いた。


「ジュリさん、とりあえずシスト会長のお話を最後まで聞かないか?」


「話なんてとっくに終わってるのだよ!」


 そう言いながらジュリは乱暴に肩を回して、俺の手を振り払った。


「会長はボクらに『ハイオーク』の討伐を依頼した、それ以外に何の話があるっていうのよ!」


「なら()くが、その『ハイオーク』というモンスターは何時何処(いつどこ)(あらわ)れたんだ?」


「え? えっと……」


 途端にジュリが黙り込む。

 だが、俺は構わずジュリに質問をぶつける。


「発見された個体のサイズは? 出現した地域の詳しい地形や立地条件は? 長期戦になった場合の拠点の確保は?」


「あの、ええっと……」


「報酬云々はひとまず置いておくにしても、引き受けるからには任務を成功させる為、少しでも多くの情報を集めて体勢を整えるべきじゃないのか?」


「ぅ…………」


 ジュリは完全に沈黙した。


「があっははははははははははは!」


 と同時に、シストが(たの)しげに笑い出す。


「やはり君は儂の思った通りの男なのだよ」


「……なるほど。昨日、上の階から観戦(かんせん)していたのはお二人でしたか」


 俺がそう言うとシストの斜め後ろに控えていたマリーが、ぎょっとした顔を俺に向ける。

 一方、シストは相変わらず楽しそうに笑っていた。


「くくく、よもや気づいておったとはな。いやはや恐れ入った」


「まあ、あれだけ熱烈(ねつれつ)な視線を送られれば猿でも気づきますよ」


「があっはっはっは! 全くもってその通りだ! がははははは!」


「熱烈って……確かに見てはいましたけど……」


 素で突っ込むマリーはさておき。

 シストはひとしきり笑った後、カッと大きく目を見開いて俺を真正面から捉えた。


「では単刀直入に言おうーー天君、儂は(キミ)(ため)したい」


「だ、大統領っ⁉︎」


「天を試すって、それってどういう……」


「そのテストに俺が合格できたら、うちのチームが『ハイオーク』に挑む権利(けんり)()られるということだろう」


「その通りなのだよ!」


 シストは荒ぶる己の感情を隠そうともせず、声を張ってもう一度ソレを口にした。


「天君。君の(ちから)を儂に見せてほしいのだよ!」


「お(のぞ)みとあらば」


 手の平を胸に当て、俺はシストに向かって優雅に一礼して見せた。




 そんなこんなで。

 俺とジュリはシストに連れられ、人気のない廊下を歩いていた。あの場では流石に人目を引きすぎるので、場所を変えることにしたのだ。


「……ねぇ天、本当に大丈夫なの?」


「さあ」


 不安そうにこっちを上目で伺うジュリに、俺はそんな生返事を返した。


「さ、さあって」


試験(テスト)の内容が分からん以上、何とも言えんだろう」


「そ……それはまぁそうかもしれないけど……」


「そんな事より、ジュリさんはみんなに対して()(わけ)を考えておいた方がいいんじゃないか?」


「ゔっ」


 俺がその事について触れた途端、ジュリは傍目にも分かる困り顔になった。

 やっぱり何も考えていなかったんだな、と俺は内心嘆息する。


「弥生さんやラム先輩はともかく、リーダーは多分この件に関しては首を縦に振らないと思うぞ」


「……分かってる。淳は絶対にボクが説得するのだよ」


 そうこうしている内に、


()いたのだよ」


 シストは、とある部屋の前で立ち止まる。

 そこは以前ーーといっても二日前だがーー俺が冒険士になるための講義を受けた大部屋だった。


「どうぞ」


 マリーが部屋の鍵を開け、俺とジュリを中に招き入れる。


「先ほどはその……すみませんでした」


 部屋に入るなり、マリーが俺に頭を下げてきた。


「シスト大統領のおっしゃられたとおり、先刻の私の発言は思慮に欠けるものでしたわ」


 マリーが何について謝罪しているのかは明白だった。どうやら思ったよりも彼女は思慮深い女性のようだ。


 俺はマリーに頭を下げ返した。


「いえ、自分の方こそ不躾な態度をとってしまって申し訳ありまーー」


「で、ですけどっ! あのとき私は、別にあなたに“熱烈な視線”なんて送ってませんから!」


「…………はい?」


 思わず間抜けな声が口をついて出てしまった。

 俺が顔を上げると、必死な形相のマリーとそれを見て目をパチクリさせるジュリ、そして(ひたい)に手を当てて(かぶり)を振るシストの姿があった。


「確かに昨日、私はあなたと素行不良の若者グループとの私闘を二階から見ていました……ですが! その時熱心にあなたの事を語っていたのはあくまでシスト大統領の方で、私は特別あなたを意識してなどっ」


「はい。あの言葉は会長(シスト)個人(こじん)に向けて言ったものです」


「へ……?」


 瞬間、マリーは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。


「誤解を招くような言い方をしてしまって、大変申し訳ありませんでした」


 対する俺は、彼女にあらぬ疑いをかけられてしまった事ーーナンパ男的なやつーーを悟り。自らのアイデンティティを守る為、必死に動揺を隠しながら懇切丁寧に解説する。


「あの時ひときわ強い視線を辿(たど)っていったら、偶々そのすぐ傍にもう一つ人の気配があったもので、先ほどは『お二人』という表現を使わせていただいた次第です」


 それはさながら、ニュースキャスターが誤報の謝罪するかのような丁寧さで。俺は、自分が何気なく口にした失言の概要をマリーに説明した。


「あー、マリー……つまりはそういう(わけ)だ。まぁ何というか、あの天君のセリフは君に対しては適用(てきよう)されんのだよ」


「ていうか、あんなのただの冗談(じょうだん)じゃない。いちいち気にする方がどうかしてるのだよ」


「っ〜〜!」


 ダブルで「のだよ」ツッコミを入れられ、マリーは耳の先まで真っ赤にして顔を伏せる。


 ……意外にデリケートな女性のようだ……


 (うつむ)きながら小刻みに肩を震わせる彼女から視線を外し、ひとまず誤解は解けたようだとほっと胸を撫で下ろす俺。


「すまんな、天君。どうか気を悪くせんでやってくれ」


 シストは申し訳なさそうな顔で言う。


「マリーは軽骨(けいこつ)な気勢の男児を毛嫌いする(へき)があってね。無論、君がそういった類の男でない事は重々承知だ。だが彼女の場合、瑣末(さまつ)な事をきっかけに冷静さを失い、物事の本質を見極める能力が著しく低下してしまうことが偶にあるのだよ」


「知らなかった……マリーさんにそんな一面があったなんて」


「…………」


 マリーは()たたまれない様子で、これでもかと肩を(すぼ)めていた。立つ瀬がないとは今の彼女のことを言うのだろう。


「お気になさらないでください」


 俺はシストに話す(てい)で、マリーに伝える。


「自分の発言にも少なからず問題があったのは事実です。それに、繊細で清潔感があることは女性としての美徳(びとく)ではないでしょうか。少なくとも、節操が無くて軽率な(むすめ)よりよほど好感が持てますよ」


「花村さん……」


「あのさ、天……その節操のない軽率な娘ってボクのことじゃないよね? ボクとは別の誰かのことを言ってるんだよね?」


「ところで会長ーー」


 Tシャツの袖をくいくいと引っ張ってくるジュリを当然の如くスルーし、俺はシストに訊ねる。


「まさか自分がこれから受けるテストというのは、筆記(ひっき)試験ではないですよね?」


「もちろん違うのだよ」


 シストはニヤッと笑い、ネクタイをとってスーツの上着を脱いだ。


「マリー」


「は、はいっ」


 まだ完全には立ち直ってなさそうだが、それでも流石は大統領秘書、


「ジュリさん」


「え、ちょ、なになに?」


「少しの間、お二人から離れていましょう」


 シストが脱いだ上着を素早く預かると、マリーは何かを察したようにジュリの手を引いて後ろに下がる。


「天君。君が先日見せたディフェンス能力は見事の一言だったのだよ」


「恐縮です」


「もう一度儂に見せてくれんかね、君のあの鉄壁の防御を」


 すでに俺の形だけの挨拶なんざ聞こえちゃいない。

 子供のように目を輝かせ、シストは言う。


「もし君が儂の攻撃(こうげき)(ふせ)ぐことができたら、『ハイオーク』は君達に任せるのだよ!」


「そんな! いくら天でもそんなの無理に決まってーー」


「いつでも」


 と、使い古されたジュリのお約束な反応(セリフ)と俺のGOサインが重なり合ったその刹那。

 シストの丸太のような(あし)が唸りを上げた。

 鋭く(はや)く重く。

 稲妻のような上段回し蹴りが。

 俺の頭部めがけて一直線に飛んでくる。


 だが。


 俺は右手に持っていた鉄の盾を構えることすらせずに。

 ただ棒立ちのまま。

 シストが繰り出した()りを迎え入れる。

 次の瞬間、轟音と横殴りの風が鼓膜を激しく震わせる。

 シストが放った蹴りは、俺の左耳を覆い隠す形で、人体に触れるか否かのすれすれのラインで制止していた。いわゆる寸止(すんど)めというやつだ。


「どうやらテストは終わったようですね」


「天……」


 目の前の光景をまじまじと見つめながら、マリー、ジュリがそれぞれ安堵と落胆の表情を浮かべる。

 シストが静かに右足を引っ込めたのを確認した後、俺は訊ねた。


結果(けっか)は?」


「うむ……文句なしに合格(ごうかく)なのだよ!」


「え⁉︎」


「なっ⁉︎」


 ほぼ同時に、ジュリとマリーが意表を突かれたように素っ頓狂な声を上げる。


 俺は頭を()いた。


「シスト会長もお人が悪い。あそこまでお膳立てをしておいて、まさかあんな()()け問題を出してくるなんて」


「がははは! いや、すまない。ただ一つ言い訳をさせてもらえば、君が仮にその盾で儂の蹴りをガードする形をとっていたとしても、この試験は合格にしていたのだよ」


「それもなんとなく(わか)りましたが、おそらくこちらの回答(かいとう)(ほう)が会長の(この)みだと思ったので」


「……驚いたな。君はあの一瞬で、よもやそこまで読み取ったのかね?」


「はい」


「があっはっはっ‼︎ ーー素晴らしい! 実に素晴らしいぞ、天君‼︎」


「恐縮です」


 俺が再びその言葉(きょうしゅく)を口にしたところで。


「あの、シスト大統領……」


「何が何だか全っっ然意味がわからないのだよ! 今のは天の不合格じゃないの、シストおじさん⁉︎」


 礼儀って何それ? と言わんばかりのジュリの言動に、マリーは軽く眉をひそめた。


「今の試験、私も花村さんの不合格だと感じられましたわ」


 が、それでも知的好奇心が上をいったのだろう、マリーは神妙な面持ちで相槌を打つ。


「ふむ。まぁマリーやジュリ君がそう思ってしまうのも、仕方ないといえば仕方ないか」


 思わせぶりな口調と訳知り顔が、妙に様になっている。薄々気づいてはいたが、どうも我らが冒険士の(おさ)サマは、かなり面倒くさい部類に入るおっさんのようだ。


「簡潔に言うと、シスト会長は自分に攻撃を仕掛けたわけではないんです」


 個人的には回りくどい言い回しも嫌いではないが、淳達を待たせている手前、俺は手っ取り早くそれを彼女達に伝えた。


「はぁ? 何言ってるのさ、天? 今のもの凄いキックが攻撃じゃないとか、意味不明なのだよ」


「あの蹴りは最初から()てる()()かったんだ。つまり攻撃には入らん」


「そういうことでしたか……」


 いまだ疑問符を頭に浮かべるジュリとは違い、マリーはため息をつきながら、シストをジト目で見やる。


「花村さんではありませんが、本当に人が悪いですわ、大統領は」


「があっはっはっは!」


 心底愉快そうにシストは笑った。


「これは仮にも冒険士のトップが出す考査なのだよ? 一癖ぐらい奇抜さがなければつまらんではないかね!」


 前半は建前、後半が本音といったところだろう。


「攻撃を防げと言っておきながらその実、攻撃を仕掛けないなんて、意地悪にもほどがあると思いますわ」


「……えっと、じゃあ結局どうすれば合格だったの?」


「この場合、不合格の基準を探った方が早い」


 ようやく理解が追いつたジュリに、俺が答える。


「これはあくまで俺の推測だが、あの場面で俺がとったらまずかった行動は、会長の蹴りを攻撃と勘違(かんちが)いし、なおかつそれを防ぐことに失敗するーーこんなところですか?」


 最後の言葉はシストに向けて言ったものだ。

 シストは大きく頷いた。


「いやはや天晴(あっぱ)れ! 見事な慧眼(けいがん)なのだよ!」


「で、でもさ……」


 ジュリがまだ納得できないという様子で、


「なんで、シストおじさんは大した確認も取らずに天を合格にしたの? もしかしたら、単に天がシストおじさんのキックにまったく反応できなかっただけかもしれないのに」


「それは確かにそうね」


 ジュリの意見にマリーも頷く。とりあえず(めい)の口のきき方ついては早々に妥協したのだろう。


 女性陣からの疑問に、シストは真剣な表情で答える。


「大概の人型ならばその場で腰を抜かし、戦闘経験の豊富な者でもまず間違いなく顔に動揺が走るーーそういう蹴りを儂は放った」


 ゴクリと生唾を飲み込む音が聞こえた。ジュリとマリーのものだ。


 シストは淡々と続ける。


「だが、天君は動揺するどころか眉ひとつ動かさなかった。並大抵の胆力ではない。たとえ当てる気がない攻撃と頭で分かっていてもだ」


「花村さんは、シスト大統領の予想を上回る結果を出した……ということでよろしいのでしょうか?」


「うむ。もし彼の他にそんな芸当ができる冒険士がいるとすれば、儂の知る限りこの世に三人(さんにん)だけであろうな」


「ち……ちなみにその三人って誰なの、シストおじさん?」


「『レオスナガル』と『ナダイ』、それに『ミルサ』なのだよ」


 特に隠す必要もないのか、シストはいともあっさり答えた。

 ジュリは目を見開く。


「全員『Sランク冒険士』じゃない! すっっごいよ、天‼︎」


「…………」


 マリーは浮かない顔をしていた。

 誰に視線を向けるでもなく、シストは言う。


「マリー」


「……はい」


 見るからに気乗りしないふうの返事をして。

 マリーは薄いテキストのような紙の書類をドバイザーから取り出し、それをかたわらに立っていた姪に差し出した。

 アレはおそらくーー


「ジュリさん。これが『ハイオーク』の討伐依頼書よ」


「!」


 ジュリは嬉々としてそれを受け取ろうとした。


()って」


 ジュリが依頼書に手を掛けた瞬間、マリーの制止がかかる。特別大声を出しているわけではないが、彼女の声にはただならぬ迫力が感じられた。


「これだけは約束してちょうだい……()して無茶(むちゃ)はしないと」


「それは……」


「お願い。貴女に何かあったら、姉さんが悲しむから」


「……了解です。決して無茶はしません」


 ジュリがその言葉を復唱すると、マリーはわずかに笑みを浮かべて『ハイオーク』討伐依頼書をジュリに渡した。

 その光景をチラリと横目で見て、俺は言う。


「シスト会長。念のため確認ですが、自分達はまだこの依頼を正式に受けるかどうか決めたわけではありません」


「ちょっ、天⁉︎」


「承知しておるよ。ただ、遅くとも明日の夕刻までには返事がほしいのだよ。それほど長く、『Cランク』のモンスターを野放しにしておくわけにはいかんからな」


「淳さんにそう伝えさせていただきます」


 俺がシストとそんな話をしていると、


「引き受けるに決まってるじゃない! なに勝手なこと言ってるのよ!」


「勝手はジュリさんだろ?」


 俺は平然と言ってのける。


「この依頼のことを知ってるのは、まだパーティーで俺とジュリさんだけだ。チーム内でろくな話し合いもせず、こんないかにも危なそうな案件を「はい引き受けます」なんて軽々しく言えるわけがない」


「そんなのーー!」


「大切なことよ」


「うむ。チームで行動する以上、メンバー全員の許可を得るのは当然のことだ。それが命がけの任務なら尚更なのだよ、ジュリ君」


「ぐっ」


 人生の大先輩である二人からも鋭いツッコミを入れられ、ぐうの()も出ない様子でたじろぐジュリ。


「わ、分かりました……でも、絶対にこの依頼は受けるからっ‼︎」


 それだけ言うと、ジュリは依頼書を握りしめて目上二人に挨拶もせず部屋を出ていく。一刻も早く(みな)ーー(とく)に淳ーーの同意を得てくる、という腹積もりが見え見えだった。


「ーーところで会長」


 部屋を出ていったジュリの後をすぐには追いかけず、俺はシストの方に向き直ってこう言った。


「実際に体験(たいけん)してみる気はありませんか?」


「? (なに)をかね?」


 首を傾げるシストへ、


「昨日、(おれ)がごろつき相手に使用した防御術ですよ」


 そう言って俺は右手に持っていた盾を構える。


「ひとつ勝負といきませんかーーシスト会長の攻撃力が上か、俺の防御力が上か」


「……いや、()めておこう。自信(じしん)()こそぎ()ってゆかれそうだ」


 シストは苦笑しながら首を横に振った。

 伴って、俺は構えを解き、一礼をもってシストに応える。


「それでは、自分(じぶん)もこれで失礼致します」





 そしてーー


駄目(だめ)だっ。そんな無茶な依頼、引き受けられるわけないだろ!」


「どうしてよ、淳‼︎」


 案の定、淳は『ハイオーク討伐』に猛反対し。

 その日は夜中までチーム間で激しい口論を繰り広げるも、結局最後まで話がまとまらず……


 諸々の決着は翌日に持ち越されることになった。



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