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閑話 あれからのラム

 柔らかな陽光が降り注ぐ、青い空の下。


「ラムちゃ〜ん!」


 とある病院の屋上から、はきはきした女性の声が聞こえてくる。


「はいですぅ〜」


 次いでさわやかな朝に明るい彩りを添えたのは、可愛らしい少女の声だった。


「ラムちゃん。次はこれを干しちゃってくれる」


「了解しましたですぅ!」


 黒毛の猫耳をピンとさせながら、元気よく返事をする獣人の少女。


「あ、別に急がなくてもいいから。くれぐれも一枚一枚丁寧に干してね?」


「はいです! 一枚一枚ていねいにやりますですぅ!」


 犬耳のお姉さんから純白のシーツが山盛りに入った洗濯カゴを受け取ると、少女は再び大きな声で返事をした。


「よろしい。じゃあ、それが終わったら午前中はもういいから。お母さんのところに行ってあげなよ」


「え、いいんですか⁉︎」


「うん。看護師長には私の方から伝えとくから、こっちは気にしなくていいよ」


「あ――ありがとうございますですっ!」


 それは春の明るい日差しに負けないくらいまぶしい笑顔だった。


「じゃ、じゃあ、お洗濯したシーツ、急いで全部干しちゃいますです!」


「あ、こら! いま急がないでって言ったばかりでしょ!」


「はうっ……ごめんなさいですぅ〜」


 ここはラビットロードのとある病院。

 猫の見習い看護師と犬の先輩看護師との掛け合いが、今日も屋上から聞こえてくる。


「じゃあ、今日もよろしくね、ラムちゃん」


「はいです! 今日も一日頑張りますです!」


 今日も今日とて、ラムは元気いっぱいであった。





「それで、本日はまだアンナさんに叱られてないのかしら?」


「ううぅ……実はさっき怒られちゃったばかりですぅ」


 ラムはおずおずと白状した。

 そんなラムを見て、やや頬をこけさせた痩せ型の女性は、やれやれとひとつため息をつく。


「はぁ……どうせまた、慌てん坊なところを注意されたんでしょう?」


「はぅ〜」


 まさに図星。さすがは実の母親である。


「ほんと、ラムは昔から落ち着きがまるでないからねぇ」


「お、お母さん。今日は身体の具合はどうですぅ?」


 これは小言が始まるパターンだ。そう思ったラムは、やや強引に話題を変えた。


「……うん。いいわよ、すごく」


 だが少女は、すぐにその事を後悔する。


「最近は食欲も出てきたし……この分だともうすぐ退院できるかもね」


「……」


 母の儚さに満ちた笑顔が、母の言葉を完全に否定していた。


「もう、そんな顔しないの」


 病室のベッドの上で優しい微笑みを浮かべながら、母は娘の頭を丁寧に撫でる。


「お母さん……」


「私よりも、ラムの方は大丈夫なの? その怪我……まだ痛むんでしょ?」


「だ、大丈夫ですぅ!」


 ラムは咄嗟に眼帯で覆われた左目を押さえる。


「こ、こんなの、かすり傷みたいなものですからっ」


「かたっぽの目が見えなくなったのに、かすり傷って……」


「はいです!」


 心配そうに自分の顔を覗き込む母親に、ラムはつとめて明るく言った。


「冒険士なら、これぐらいケガのうちに入らないですぅ!」


「……あなた、最近どんどんお父さんに似てくるわね」


「えへへへ〜」


 はにかみながら頭を掻くラム。

 母は「褒めてないから」と額を押さえ、そして真剣な表情で娘を見つめた。


「ラム」


「は、はいですっ!」


 ラムは反射的に背筋を伸ばし、大きく返事をした。


「今のあなたは冒険士以前に見習いの看護師さんでしょ? なら、病院内では静かにしなさい」


「はぅぅ〜」


 さしあたり、黒猫の少女は本日二度目のお叱りを受けたのであった。



 ◇◇◇



「あの、婦長……」


 アンナは周囲を見回し、その人物と二人きりになったことを確認すると、遠慮がちに口を開いた。


「なんだい?」


 頭から羊の角をはやした恰幅のよい中年女性が、薬品棚を整理する手を止めず、アンナに背を向けたまま返事をした。彼女はこの病院の看護師長。通称『婦長』と呼ばれる超ベテランの看護師だ。他の看護師や医師の皆からも、この病院のことならまず婦長に聞けば問題ない、と言われるほど厚く信頼されている人物でもあった。


「すみません、婦長。お仕事中に……」


 言葉に出すのを少しだけ躊躇ためらいながらも、アンナは意を決して、どうしても気になったある事を婦長に訊ねる。


「こ、こないだ『502号室』に移った患者さんのことなんですけど!」


「あぁ、あの患者さんのことかい」


 それだけのやり取りでアンナの意図をすべて察したのだろう、婦長は仕事の手を休めることなく、事務的な声で言った。


「たしかあの患者さんの娘は、例の見習いの子だったね。ちょうど今、あんたが面倒見てるっていう」


「はい」


 真剣な顔で頷くアンナ。

 貫禄のある看護師長は、少しばかり考える素振りを見せてから「仕方ないね」と話を進めた。


「発症したのさ。『ペイル病』に。あんたも薄々は気づいてたんだろ?」


「……‼︎」


 瞬間。婦長の口からこともなげに告げられた事実が、アンナの胸に深く突き刺さる。


 ――看護師長の言う通り、ある程度は予想していた。


 だかそれでも、アンナはショックを隠しきれなかった。


「びょ……病状は⁉︎ 病状はどの段階まで進んでいるんですかっ!」


 その、下手をしなくても踏み込みすぎなアンナの質問に対し――


「今はぎりぎり『ステージ3』でとどまってる。けど、あの様子だと『ステージ4』に進行するのも時間の問題だろうさ」


 しかし婦長は、立派な羊の角を指で掻きながら、感情を押し殺すように淡々と答えた。


「ステージ4って……それじゃあ……」


「ああ。かわいそうだけど、あと一年は生きられないだろうね」


「そん、な………………」


 アンナは全身から力が抜けていくのを感じた。


【ペイル病】

 別名『短命病』『生喰病』とも呼ばれるこの世界最大の難病の一つ。この病気に発症した人型は、まるで身体から生気が吸い出されるように日に日に痩せていき、やがて死に至る。最終的に患者は皆ミイラのように痩せ細り死んでしまうことから、医療関係者の間では『ミイラ病』などと比喩する者もいる。


 尚、ペイル病の進行スピードはステージ1からステージ5の五段階で分けられており、最も症状が軽いものがステージ1。最も症状が重いものがステージ5となる。ただこれらの言い回しも、ミイラ化するまでに残された時間が多いか少ないかの違いでしかない。


 今現在、ペイル病に有効とされる治療法はこの世界に存在しない。


 つまり、ラムの母親はもう百パーセント助からないということだ。


「こればっかりは仕方のないことだよ」


「し、仕方ないって……ならラムちゃんはどうなるんですか⁉︎」


 婦長の割り切った物言いに、アンナは思わず声を荒げる。


「今だって、ラムちゃんは母親の治療費を稼ぐために、あんな体で毎日毎日一生懸命働いてるんですよ⁉︎」


「だからなんだい?」


 婦長は微動だにせず、薬品棚から身を離し鋭い目でアンナを見据えた。


「言っちゃ悪いが、そんな子供はこの世の中にごまんといるんだ。あの親子だけを特別扱いするじゃないよ」


「で、でも! ラムちゃんだって本当は辛いはずなのに、そんな素振り全然見せなくてっ!あんないい子、他にいまぜんよ……っ」


 そう言って、アンナが嗚咽を漏らした次の瞬間、


「甘ったれてんじゃないよ!!」


 婦長の態度が一変した。


「いいかい? あの子が必死に泣くのを我慢してるうちは、あたしらは絶対に人前で涙を見せちゃいけないんだ」


「うっ……」


「あんたも看護師なら覚えときな。大した力もないあたしら看護師に唯一できること、そいつは患者さんを出来る限り安心させることさね」


「婦長……」


「それをなんだい、あんたときたら。そんな顔してたら、逆に患者さんを不安にさせちまうじゃないか。あたしから言わせりゃプロ失格だよ」


「…………ずみまぜんでした」


 アンナはひとまずハンカチで鼻をかむ。


「あんた。そのみっともない顔どうにかするまで、表に出てくるんじゃないよ」


「イエッサー、ボス……」


「馬鹿なこと言ってんじゃないよ、ったく。――それと、あの患者さんの入院費は全額免除になったから、もうあの子が働く必要はないよ」


 ラビットロードでは、女王ルキナの意向により、ペイル病に発症した者への医療費や生活費等は、国が全額負担する制度となっている。加えて、ラムの怪我の治療費なども冒険士協会の経費で支払われている――ラムは断ったのだが、シストとマリーが半強制的に手続きを済ませた――。その為、ラムがこれ以上、無理をして看護師の仕事を続ける必要はなかった。


「そうはいっても、急に『働かなくていい』なんて言ったら怪しさ全開だしね。表向きはこのまま見習いを続けてもらうのが、あっちにしてもこっちにしてもベストだろうさ」


「そうしてもらえると助かります。私、ラムちゃんの笑顔に毎日癒されてるので……」


「あんたの方が癒されてどうすんだい」


 婦長は呆れた顔でそう言うと、決まり悪げにアンナから目を逸らす。


「あたしの立場上、本当はこんなこと言っちゃ駄目なんだけどね。これからあの子にはそこまで仕事を振らなくていいよ。代わりにできるだけ二人の時間を作っておやり。それがあたしらがあの親子にしてやれる、せめてものことさね」


「最初からそのつもりです」


 ズビッと鼻を鳴らし、アンナは頷いた。

 実際、ついさっきもそうしたばかりだ。


「あと、くれぐれも母親のことはあの子には黙っときなよ?」


「こんなこと、言えるわけないじゃないですか……」


 そこだけはすぐ通じ合った二人は、どちらからともなく会話を打ち切り、それぞれの仕事に戻る。


 ――だがこの時。


 薬品庫の扉がわずかに開いていたことに。

 その隙間から『黒猫のシッポ』が覗いていたことに――


「はァァ、午後どんな顔してあの子に会えばいいんだろ、私……」


「少なくともその情けないツラじゃないことは確かだよ。ったく、最近の若い奴らはなっちゃいないね」


 ――犬の看護師と羊の婦長は、とうとう最後まで気づくことはなかった。



 ◇◇◇



「…………」


 薬品の匂いが染みついた廊下をとぼとぼと歩く、幼い獣人の少女。


 ――かわいそうだけど、あと一年は生きられないだろうね。


 少女は、心のどこかで気づいていた。もう母が長くないことに……


「…………」


 少女の父親はすでに他界している。

 唯一の肉親である母も、もうすぐいなくなる。つまり、少女は十一歳という若さで天涯孤独の身の上になるのだ。


 しかし、それでも、少女は泣かなかった。


 目に浮かんだ涙をゴシゴシと小さな手で拭うと、少女は自分を奮い立たせるように、顔を上げた。


「あたし、約束しましたから!」


 絶対に強くなると。

 その為にいっぱいいっぱい頑張ると。

 あの夜、あの人に約束したのだ。

 あの時、そう自分に誓ったのだ。


「さぁ、午後もお仕事、頑張りますです!」


 少女は今日も笑みを絶やさず頑張る。

 いつの日か、彼と再会することを信じて。










 〜それは在りし日の神界での一幕〜



「――とまあ、このままじゃとおぬしの仲間たちは、揃いも揃って中々に悲惨な運命を辿るようじゃな」


「問題ない」


 彼は不敵に笑うと、固く拳を握りしめ、この世界の女創造主に宣言する。


「そんなクソったれな運命、全部まとめて俺が殲滅(せんめつ)してやる」



            to be continued…

 

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