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閑話 あれからの弥生

 コンコン……


 弥生は客室のドアを控えめにノックする。

 しばらくして、中から「どうぞ」という若い男の声が聞こえてきた。


「……」


 弥生は数秒ほどその部屋の前で尻込みしたのち、躊躇いがちに扉を開けた。


「やあ、弥生!」


 弥生が部屋に入るなり、身なりの良い銀髪の青年が、腰掛けていたソファーから勢いよく立ち上がった。

 尚、この部屋は『一堂家』の広大な屋敷内でも、最上級の客人をもてなす時のみ使われる特別な客間であった。


「ふふふ、君は今日も変わらず美しいね」


「……セイラン殿下。ご機嫌麗しゅう」


 弥生はなるべくこちらの感情を相手に悟られぬよう、無難な挨拶を選び、歩み寄ってきた青年に向かって丁寧に一礼した。


「おいおい、弥生。将来の夫に対して随分と他人行儀じゃないか? そうだ! なんなら昔のように、俺のことは『セイラン兄様』と気軽に呼んでくれてもかまわないんだよ?」


「……」


「まあ殿下ったら、これから夫婦になる者同士がそのような敬称で呼び合うなど、いささか変ではありませんか?」


「おお、それもそうですね!」


 弥生が返答に困っていると、隣にいた弥生の母親がすぐさま会話に加わり、セイランもそれに笑顔で応じる。


「これは俺としたことが、義母(はは)上殿に一本取られたようだ。はっはっはっ!」


「うふふふ。あの殿下に義母とお呼びいただける日が来るなんて、まるで夢のようでございますわ」


「…………」


 毎度のごとく自分そっちのけで盛り上がる二人をよそに、弥生は完全なる空気に徹していた。努めて目立たぬように、出来るだけ自分の婚約者と母親の気を引かぬように――だが。


「では、私はそろそろ退室させていただきます。これ以上ここに居座ると、若いお二人のお邪魔になりますので。――弥生さん。くれぐれも殿下にご無礼のないように」


「これはお気遣いありがとうございます、義母上殿。それではお言葉に甘えさせてもらって――おい、お前たちもしばらく部屋の外で待っていろ」


「「「ハッ」」」


 セイランの声に合わせ、雰囲気のある彼の護衛達がゾロゾロと部屋から出て行く。弥生の母もそれに続いた。

 ほどなくして。

 豪奢な部屋の中は、弥生とセイラン、二人きりの空間となった。


「ふふふ。会いたかったよ、弥生」


「はぁ、殿下とはつい一昨日も会ったばかりですわ」


 二人きりになった途端、セイランは弥生に対する恋慕の情を隠そうともせず、熱い視線を絶え間なく弥生に投げかける。そんなフィアンセに少々うんざりしながら、弥生はトゲ付きの返答を持ってそれに応じた。


 もともと弥生とセイランは幼馴染同士。


 気心の知れた間柄、この二人の関係性を一言で表すならそんなところだ。


「ふふ、弥生は本当に昔からつれないね? だがしかし! 俺はそんな君のことを、この世の誰よりも愛しているのさっ!」


「……セイラン兄様も、本当に昔からお変わりありませんね」


 そんな二人なので、人目を気にしなくていい場所だといつもこんな調子である。

 ちなみに、エクス帝国の第二皇子であるセイランが、彼の許嫁である一堂弥生に熱を上げていることは、帝国の皇族や貴族達の間では有名な話であった。


「このように頻繁に会いに来なくても、あと少しすれば、嫌でも毎日顔を合わせることになりますわ……」


「それでもさ!」


 五歳下の許嫁からの皮肉など物ともせず、セイランは弥生の腰に手を回すと、半ば強引に弥生を自分の方へと抱き寄せた。


「あぁ、弥生。君が無事(ぶじ)で本当に良かった」


「ッ――!」


 その瞬間、弥生はカッと頭に血が上るのを抑えることができなかった。体に触れられたことに対し、感情を高ぶらせた訳ではない。セイランが口にした無神経な一言に対し、弥生は激しい憤りを覚えたのだ。


「もしも愛しい君になにかあったら!俺はきっと、それに携わった全てのものを生涯許すことはできなかっただろう!」


「……確かに、私とジュリさんは無事でしたわ……」


 弥生は、とめどなく愛の言葉を浴びせてくるキザなフィアンセを完全にスルーし――


「――でもそれは! その身を盾にして私達のことを守ってくださった人達がいたからですわっ!」


 ついに、これまでずっと溜め込んできた思いをぶちまける。


「どうしてみんな、私やジュリさんのことばかり心配なさるのですか⁉︎ なぜ兄様やラムちゃんではなく、私だけが心配されるのですかっ⁉︎」


 その瞳にうっすらと涙を浮かべ、見目麗しい貴族の少女は、広々とした部屋いっぱいに響き渡るほど悲痛な叫びを上げる。


「弥生……」


「……私はこの通り傷一つありませんわ。なのに……っ」


 弥生は肩を震わせ、唇を噛みしめる。

 淳が寝たきりになってから幾度となく掛けられた、親類たちからの無思慮な言葉の数々――


 ――弥生が無事でなによりだ。

 ――弥生とジュリに怪我がなくて本当に良かった。


 いったい何をもって『無事』なのか。

 いったいどこを見て『良かった』などと断じているのか。


 マリーなどの一部の例外を除いて、一堂家のほとんどの者が、淳やラムの事などまるで無かったことのように振る舞い、ニコニコ顔で弥生に接してくる。そんな周りの大人達の神経が、弥生には到底理解できなかった。


「淳兄様と私の大切なお友達はっ! 私の代わりに、一生消えることのない傷を負ってしまったというのにっ!」


「それは仕方のないことさ」


 感情を爆発させるフィアンセを見て、しかしセイランは涼しげな顔で肩をすくめる。


「兄が妹を守るのは当然の義務だし、平民が貴族の盾になるのも至極当たり前のことだからね」


「っ‼︎」


 弥生は思わずセイランを睨みつけた。


「おっと、これは失言だったかな」


 などと口では言いつつも、セイランの顔に反省の色は皆無。


 彼は昔からこうだった。


 子供の頃から、セイランは息をするように人を見下していた。そんな彼のことを、弥生は嫌いとまで思わずとも、どうしても好きにはなれなかった。


「――けれど、俺と君はもうすぐ結ばれる」


「……!」


「ふふふ」


 セイランは、まるで相手の心を全て見透かすような目で、稚いフィアンセをじっと見つめる。そしてそのまま、セイランはゆっくりと弥生に唇を重ねようとした。


「…………やめてくださいまし、殿下」


「本当に君はどこまでもつれないね、弥生」


 すんでのところで弥生はセイランの腕の中から逃れ、皇族の青年から距離を置いた。

 最愛のフィアンセからの明確な拒絶。

 だが、それでもセイランの余裕が崩れることはなかった。


「今日のところは帰るとするよ」


 そう言って、セイランはくるりと弥生に背を向けた。


「でも、君のすべては近いうちに俺のものになる。これはもはや決定事項だ」


「!」


 瞬間、心の臓を直接鷲掴みにされたかのような恐怖が、少女を捕らえた。


「君がいくら俺のことを拒絶しようと関係ない。それは幼い頃から――いや、互いが生まれたその瞬間から、俺達二人は結ばれる運命にあるんだよ、弥生!!」


 セイランの目に狂気の光が宿る。

 大帝国の皇子は、底冷えするような薄笑いを浮かべ、言った。


「まあ、聡明な君にこんな忠告は必要ないと思うけど。ああそれと、淳の件は安心してくれ。既に俺の口利きで最高のスタッフを手配してある。なんなら、もうひとりの平民の娘の方もついでに面倒を見てやってもいい」

 

「………………」


 わずかに残っていた反逆の意思すら奪われた弥生は、ただただ身を切るような思いでセイランの背を見つめるしかなかった。

 そう。彼の言う通り、自分にはもうどこにも逃げ場などないのだ……。


「また会いに来るよ、弥生」


 それだけ言い残すと、セイランは勝ち誇ったように部屋を出て行った。


「……う、うぅ……」


 広い客間にただひとり残された少女は、深い失意と無力感に苛まれ、へなへなとその場に崩れ落ちる。

 そのとき――


 ――弥生さんだったか? 怪我がないようで何よりだ。


 ふいに少女の脳裏に浮かんだ言葉が、精神の袋小路に迷い込みそうになった彼女の意識をギリギリで繋ぎ止めた。


 ――あぁ気にしないでくれ。こんなもんかすり傷だから、ちょっと舐めときゃそのうち治る。


 それは少女の十五年の人生のうちで、たった五日間だけ共に過ごした――かけがえのないチームメイトの言葉だった。


「…………天さん……」


 外見は凡庸だが、人型として極めて非凡な才能を持った、不思議な人。

 そして、少女が生まれて初めて恋心を抱いたかもしれない、特別な人。


「もう一度だけ……あなたにお会いしたいですわ……」


 ……そして確かめたい。

 ……自分の本当の気持ちを。


 もはや叶わぬ願いと知りながら。

 それでも少女は、その若者との再会を切に願うのであった。


 

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