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閑話 続続・敏腕秘書マリーの苦労

「はァ……」


 ソシスト共和国大統領秘書マリーは、本日十五回目となる溜息をついた。現在、彼女は冒険士協会本部に所在する社員寮、つまり自宅にいる。


『あ〜、マリー。今日はもうあがっていいから、家でゆっくり身体を休めるのだよ』


 職場でちょうど十回目となる溜息をついたところで、上司(シスト)にお昼あがりならぬ自宅待機を命じられた。

 昨晩、神界から現世に戻ってきて今現在に至るまで、さしあたりマリーはいいとこなしだった。


「あー、もう!」


 着ていた紺色のスーツを乱暴に脱ぎ捨て、マリーはシャワーも浴びずに冷蔵庫から缶ビールを取り出す。昼間から酒、というフレーズに社会人として抵抗を覚えないわけでもないが、こういう時はアルコールの力に頼るしか手が無い、というのもまた社会人としてのお約束である。何より――


「これが飲まずにいられますかっ‼︎」


 ワンあおりで半分以上飲み干した缶ビールを勢いよくテーブルに置くと、マリーは帰りがけに買った好物のシュークリームに問答無用でかぶりつく。普段はこんな行儀の悪いことは絶対にやらない。だが今は、こうでもしないとやってられない。


「なんで全部見逃しちゃったのよ、私ってば!」


 マリーの魂の叫びが、一人住まいには中々に広い2LDKの社員寮に木霊する。

 こうして、三十二歳独身エルフ秘書官のやけ酒という名の酒盛りが始まった。




『すみません、マリーさん。俺があなたをこんな所に連れてきたばかりに……』


『てん……さん……』


 ここまでは良かった。ここまでは最高だった。


 ――だが残念ながら、この先の記憶が一切ない。


 当たり前だ。

 なぜならマリーは気持ちよく爆睡していたのだから……。


「……やっちまったわ」


 例によって缶ビールを片手に、マリーは無念の思いをのせた拳でテーブルを叩く。これは後からシストに聞かされた話だが、あのあと天はスーパー激怒し、爆破実行犯たる三柱筆頭眷族の一角、あの青月(セイゲツ)を完膚なきまでに叩きのめしたという。


 ――なぜ彼はそんなに怒ったのか?


 決まっている。天は他ならぬマリーの為に怒り、そしてマリーの為に強敵と死闘(?)を繰り広げたのだ。


「まさに王道のメインヒロイン展開じゃないのよ、これ!」


 しかし見逃した。

 なぜなら自分はその間ずっと寝てたから。


「誰か起こしてよ、もォォ!」


 言いながら、再びふんわり焼きあがった黄金色のソレに手を伸ばす。最近のイチオシ、通称・幸せの塊こと『なかむら屋』の特製シュークリームだ。なお、既に大量にあったストックの半分を消化している。だがマリーの手が止まることはない。


 ええ、やけ食いですが何か?

 いい歳してアルコールと甘いものを大量摂取してますが、それが何か?


 マリーは眼鏡の端をクイッと持ち上げる。特に意味はなかった。


「はァァ……」


 そして本日十六度目となる溜息。

 見たかった。惚れた男が自分の為に戦うその姿を、ただただこの目で見たかった。


『――多分あたし、あのとき天兄が見せてくれた(いただき)を生涯忘れないのです』


『――あれこそまさに至高の闘い。あれほどの勝負の見届け人になれるなど、従者としても、戦士としても、これに勝る喜びはないと断言できます』


『――戦っているときの天様のお姿は、それはそれは、ブフッ。……失礼しました、思い出しただけで鼻血が』

 

 とにかく最高でした。

 他の女性メンバーたちは皆口を揃えてそう言っていた。中でも十年来の友人は、ドヤ顔あんど鼻血のコンビネーションで自慢してくる始末だ。


 まったく羨ましいやら悔しいやら。


 ただ一つ気になったのは、もう一人の十年来の友人が得意満面の彼女の背後で「君も一番いい場面は見逃したけどね」的な呆れ半分憐れみ半分の顔をこっそり見せていた。アレは一体どういう意味だったのだろう? いまだに謎である。


「……でも、下手に真相を知っちゃうと傷口が広がりそうなのよね」


 世の中には知らない方が幸せな事もある。

 マリーはそのことを嫌というほど熟知していた。なのでこの案件については、あえて迷宮入りにしようと密かに心に決める。何よりも……


「これ以上気苦労が増えたら、胃に穴が開いちゃうわよ!」


 ガンッと、ビールの缶と自分のおでこをテーブルに叩きつけ、マリーは呪詛一歩手前の呻き声をあげた。それはいよいよ一行が超神界から地上へと帰還しようとした――その頃には流石にマリーも目覚めていた――直前の出来事である。



「花村殿。次はいつこちらにお越しになられるのですか⁉︎」


「なんだ、黒光(コクヒ)殿。あんたも俺と勝負がしたいのかい?」


「滅相もありません! ただ私は……是非とも自分にも、花村殿の“闘技”をご教示願えないものかと!」


「…………は?」


「あのような技術がこの世に存在したとは、まさに目からウロコ! 花村殿。あなたは素晴らしいお方だ!」


「ど、どうも」


「つきましては、花村殿の今後のご予定をお伺いしたいのですが、次回はいつ頃会えますでしょうか?」


「いや、いつ頃っつってもな……」


「平時のお暇な時間帯は? 連絡手段も今のうちに決めておきましょう。あ、それと緊急時の連絡先も教えて頂けるとありがたいです」


「……ぐいぐいくんな、コイツ」



 まさかまさかの展開。

 おかげでマリーは天と最後の最後までまともに話せなかった。自分のメイン回のはずなのにターンが一度も回ってこなかった。もしかしたら、何らからの進展があったかもしれないのに……。


「なんでそっちが進展してるのよ!」


 叫ばずにはいられなかった。

 目が覚めたら新たなヒロイン候補が追加されてるは、いつの間にか自分は蚊帳の外になってるは。これで凹むなという方が無理な話である。


 ……ていうか、あの人あんなキャラだったの?


 ふいとそんな疑問が頭をよぎる。

 だがマリーはすぐさま考えるのをやめた。


 ……どうせそっちも私が寝てる間になんかあったんでしょ。


 なら考えたって仕様がない。つまり無駄。

 マリーはテーブルに突っ伏したまま、ふて寝の準備に入った。


「……………………全然眠くないわ」


 しばらくしてから、マリーはむくりと顔を上げる。眠気がまったく訪れない。考えてみれば当然だ。ここ最近の睡眠不足は、昨日の一件ですっかり解消されてしまった。


 おまけに、今日はお酒のまわりが極端に遅い。


 というかほとんど酔ってない。いつもならとっくに出来上がってる量を飲んでいる。にも拘らず、一向にシラフのままだ。まあ、実を言うと心当たりが無いわけでもなかった。


『我が主様。《状態異常無効(アブステートインバリッド)》のスキルを親父殿とマリーさんにも付けてくれ。今すぐ、直ちに、頼む』


 (ゴッド)スキル《状態異常無効(アブステートインバリッド)》。

 スキル効力はその名の通りありとあらゆる状態異常を無効化。まさに神級の万能スキルだ。このスキルさえあれば、毒や幻覚はおろか風邪等の病気にもかからない。当然その中には、“酔い”に対する耐性も含まれているはずだ。


 ……そう考えるのが妥当よね。


 マリーはズレた眼鏡をかけ直しながら、皮肉げに笑う。


「さすがに寝不足には効かなかったけどね」


 そして乾いた笑いを一つこぼした。

 ちなみに、神界に来て天が一番初めに行ったことがコレだった。天は迷惑をかけたせめてものお詫びにと、シストとマリーに(くだん)のスキルを生命の女神フィナ経由で授けてくれた。事もなげに。これにはあのシストですら舌を巻いていた。


『ゴッドスキルをこんなあっさりと……これは帰ったら、またルキナ姐から問い詰められるだろうな』


 通常、スキルの付与を行う場合、授ける側も授かる側もそれなりの資格がいる。加えて大がかりな儀式も必要となる、はずだ。普通は。


 ……それを書類にハンコでも押すようなノリでスキルを習得しちゃうんだもん。


 しかもスキルの最上位である(ゴッド)スキルを。《練気法》のときもそうだったが、明らかに何かがおかしい。まぁそこは天だから、三柱神様だから、と言ってしまえばそれまでだが……。


 尚、儀式形式のスキル習得には例外なく莫大な費用がかかる。


 最も安いレベル1のスキル習得儀式でも、ものによっては百万円前後。次に安価なレベル2の儀式ですら料金数百万などはザラだ。これがレベル3のスキルともなれば、習得するのに軽く一千万を超える費用がかかる。

 問、え? じゃあそれがもし(ゴッド)スキルだったら大体いくらくらいするの?

 解、そんなの私にだって分かるわけないでしょ!



「は〜い、二人分でしめて400神PTになるのじゃ」


「ポイント払いで」


「んなっ! よよ、400神PT⁉︎」



 超神界で、女神店員フィナと天の気軽なやりとりを傍で見守っていたシストが、とりあえずびっくり仰天していた。それが一体どれほどのコストなのか、マリーには見当もつかない。


 ――ただ、いくら飲んでも酔えない体質になったのは理解できた。


 ちなみにだが、一度習得したスキルは取り外し可能だ。なので《状態異常無効(アブステートインバリッド)》を一旦自らのスキル項目から外せば、酔えることは酔える――が。


 惚れた男から貰ったプレゼントをそんなアホな理由で外せるか!


 そもそも酔えなくなったといっても、お酒の味自体が変わったわけではない。ビールの喉越しだってそのままだ。ただちょっとばかり逃げ道を塞がれただけである。


「……飲み直そう」


 悲しいかな、他にやることがない。

 マリーは冷蔵庫から新しい缶ビールを取り出そうと、腰を浮かせる。


「あ……」


 そのときふと目に入ったのは、ダイニングの壁にかけられたカレンダー。三日後の日付に赤い丸印がつけられている。何重にも丸で囲まれている為、そこだけ数字がほとんど見えなくなっていた。もちろんやったのはこの部屋の主。マリー本人だ。


「……もうすぐよ、姉さん」


 マリーがカレンダーの日付にそっと手を当てた、その時だった。



 ……トゥルルルルル、トゥルルルルル!



 けたたましいコール音が部屋に鳴り響く。音の発信源は脱ぎ散らかされたスーツのポケット。言うまでもなくマリーのドバイザーからだ。


「はい、もしもし」


 大方シストあたりだろう、そう思って何となしに通話に出た。次の瞬間――


『もしもし、花村です』


 マリーの身体と心臓が同時に飛び上がる。


「て、て、天さん⁉︎」


『どうも。お疲れ様です、マリーさん』


 かけてきたのは仕事の上司ではなく、絶賛片思い中の彼だった。



「どど、どうなされました⁉︎」


『ええとですね、昨日のことで少し……』


「え、ああっ、昨日のことですか」


『最初は親父殿の方にかけたんですけど、今日はもう帰られたと聞いて』


「そ、そうでしたか」


『お休み中にすみません。あの、もしあれでしたら後日また連絡させて頂きますが?」


「大丈夫です! 今すっごく暇ですので! ええ、そりゃあもう、今年で一番時間を持て余してますわ!」


『それなら良かった』


「は、はい!」


 ついその場で正座してしまった。下着にシャツ一枚の状態で。我ながらすごい格好である。マリーは今さらながらに反省した。


「……これが映像回線じゃなくて本当に良かったわ……」


『は?』


「い、いえ!」


 とりあえず一旦落ち着こうとマリーは深呼吸する。直後。


『マリーさん。昨日は本当に申し訳ありませんでした』


「!」


 不意打ち、というわけでもないが。ドバイザーから発せられた天の声を聞き、マリーは息を吸い込んだまま固まってしまう。


『こちらの都合であんなことに巻き込んでしまって、なんとお詫びしたらいいか……』


「……」


 毎日のように各国の要人(タヌキ)たちの相手をしているマリーだからこそ分かる。それは混じり気のない心からの謝罪の言葉だ。


『マリーさん。今のままだと、今後もこういうことが起こるかもしれません。ですから、その……俺との“パーティー登録”は解除してもらって構いませんので』


「じょ――冗談じゃありませんわ‼︎」


 その瞬間、頭が真っ白になり、気がつけばマリーはドバイザーに向かって盛大に咆えていた。


『……えっと、マリーさ』


「この際はっきり言わせてもらいますが、天さんはいつも気にしすぎですわ!」


 何やら通話越しに天が狼狽える気配が伝わってきた。だがマリーは気にしない。何故ならば、天は今確かに、聞き捨てならないフレーズをほざいたからだ。


『す、少し落ち着いてください、マリーさ』


「これが落ち着いていられますか‼︎」


 そして再びマリーが咆えた。

 そっちがその気ならこっちも徹底抗戦だ。

 これ以上後手に回ってたまるか。

 だれが()()(して)やるものか!


「あの程度のこと、冒険士をやっていれば日常茶飯事です! お忘れかもしれませんが、私だってこう見えてもそれなりに名の知れた冒険士なんですよ? もう一度言わせてもらいます。昨日の件で天さんが気に病む必要は一切ございません! ですので、次に今みたいな寝言を口にしたら、たとえ天さんでも承知しませんわ! ――わかりましたね?」


『りょ、了解です』


 ときには相手を説き伏せ、了承をもぎ取るのも秘書の仕事。言質は取った。つまりこの勝負、マリーの完勝である。


『……あの、マリーさん。なんかすみませんでした』


「いいえ、許しません」


 マリーはきっぱりと断言し、そしてこう続けた。


「昨日、私が寝てる間に起こったことを全部聞かせてくださらないと、許しません」


『……全部ですか?』


「はい。全部ですわ」


 それから数秒ほど間を置いて、ドバイザーの向こうから「かしこまりました」と芝居がかった返事がかえってきた。通話口から聞こえてきた彼の声はどこか楽しげで、とても柔らかかった。


『少し長くなると思いますが、お時間の方は大丈夫でしょうか?』


「ご心配なく。先ほども申し上げたとおり、今私、超暇ですので」


 そう言って、マリーはドバイザーをしっかりと耳に押し当てながら、眼鏡をクイっと押し上げた。


 

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