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第119話 誓い

「………………(ことわ)る」


 重苦しく呟いた言葉。固く握りしめた拳。それらには深い悔恨の情が込められていた。


 ――何故自分はこうなる事を予想できなかった?

 ――どうして自分は(せん)に塩を送るような真似をしてしまった?


 なんという迂闊さ。なんという浅はかさ。


 情にほだされ、まんまと敵の策略にはまった愚か者。正真正銘の大間抜け。それは誰だ? 他ならぬ自分だ……。

 怒りと後悔の念が、とめどなく押し寄せてくる。できることなら、先ほどまでの己自身を殺してやりたいとさえ思う。


 ――およそ取り返しのつかぬ失態。


 しかしだからこそ。天は今一度はっきりとそれを口にする。


「その取引には応じられん」


「え〜〜」


 戦はあからさまに「つまんない」という顔をした。


「いいじゃん、いいじゃん。この前は僕が取引に応じてあげたんだからさ!」


「それとこれとは話が別だ」


 いや。貸し借りの話をするなら戦の理屈は通っている。とはいえ、ここでそれを認める訳にはいかない。


 ……おそらく、今現在の人型の戦力ではあの二人組に勝つのは難しいだろう……


 それが天の見解であり、見立てだ。いまだ『レオスナガル』や『エイン』『ルキナ』といった猛者に直接会ったことはないが。九分九厘間違いない。天はそう確信していた。判断材料は色々あるが、中でも大きいのは以前ミヨが口にしたあるセリフだった――。


『ここに提示した古代英雄種(エンシェント)は皆、誰も彼もが『戦命力5000』の壁すら越えられぬ脆弱な者たちです』


 現在、人型の序列第三位の実力を誇るシストの戦命力が『4660』。そして、現在この世界の英雄の中で戦命力5000を超える者は――ミヨ(いわ)く、(ゼロ)だ。


 ――つまり、人型の上位三者の実力はほぼ横一線という事になる。


 エインやレオスナガルのことは知らない。

 だが、シストのことならよく知っている。

 それらを踏まえた上で、天は断言できた。


 ……親父殿(シスト)でも勝率は皆無だろうな。どちらが相手でも持って十分程度だろう……


 となれば、必然的に他二名――エインとレオスナガル――も例の男女より格下ということになる。無論これらはあくまで天の推測に過ぎない。そもそも戦況は常に変化するものだ。この世界の英雄達や零支部のメンバーが力を合わせれば、やり方次第では目の前の二人――「二番」と「六番」なる戦の兵隊を討ち取ることも可能かもしれない。もっと言えば、冒険士協会を含めた五大勢力が一丸となって戦えば、かの者らを打倒することも出来るだろう。


 ――だが、それらは全て現実的ではない。


 だいいちそんな事をせずとも。もっと単純で確実な方法がある。


 ――自分の手で一人残らず()ればいい。


 わざわざ要らぬリスクを仲間達に背負わせるなど愚の極み。虎が手を出さないからといって毒蜂の群れを野放しにするなど論外。そんな諸刃の剣など、絶対強者である花村天には必要ないのだ。


 天が思考の海に沈んでいると。


「ねーねー、なんでダメなのさー?」


 実に白々しいとぼけた調子で、さも意外だとばかりに、戦が疑問を呈する。


「こんなお得な取引、他にないと思うけどなぁ」


「見解の相違だな」


 頭の後ろで手を組んで不貞腐れの顔を作る戦に、天は素っ気なく吐き捨てた。


「お前が持ちかけた取引は、俺にはひどく割に合わんものにしか思えん」


「いやいやいや、どう見たって超お得でしょっ⁉︎」


 頭大丈夫? という副音声が今にも聞こえてきそうなオーバーリアクションをとりながら――戦はこう続ける。


「だって、こっちは全人類で、そっちはたったの二人だけなんだよ?」

 

「っ……」


 その二人が問題だ、すんでのところで天はその言葉を呑み込む。


「……悪いが返事は変わらん」


 そしてあくまでも確固たる姿勢を貫く。


「えー、信じらんな〜い。こんなに好条件なのにさっ」


「生憎だが、条件の良し悪しを決めるのはこの俺だ」


「まあ、そりゃそうだけどね……」


 次の瞬間、戦はおちゃらけた雰囲気を一変させる。


「本当にいいのかい、天天?」


「なに……」


 不覚にも、天はその異様な迫力に一瞬気圧される。


「この取引を成立させれば、少なくともキミの大事な大事なお友達諸君は、僕に殺される心配はなくなるんだよ?」


「……っ」


 天は今度こそはっきり息を呑む。

 ――その時。天は確かに見た。

 普段は少女と見紛うほどの優男である父の、華奢な体躯の背後に、業火と黒煙が支配する地獄の戦場を。


「キミが僕との取引に応じれば、今後半永久的に、この世界の()()()()()()()は“僕”という最悪の脅威にさらされない。……これ以上の条件が一体どこにあるって言うのさ!」


 両手を大きく広げ、天を仰ぎ、戦は神域の空に向かって吼え猛る。そこには、生きながらにして伝説と呼ばれた――生粋の戦争家の姿があった。



 ◇◇◇



「か〜、そうきたかい」


「これはまた、何とも底意地が悪いといいますか……」


「そのセリフをおぬしに言われたらおしまいじゃな」


「フッ」


「何がおかしいのでしょうか、シナット?」


「へっ、ちっと前まで顔面レパートリーが能面一択しかなかった野郎が、最近よく笑うじゃねいかい」


「おおかた、思わぬかたちで儂等に意趣返しできて機嫌がいいんじゃろ。ケッ」


「そうではない」


 と、恐ろしいほどの美貌を持つ邪神は、その親子を見据えたまま、ほんのわずかに口元を緩める。


「この父ありてあの子ありということか」



 ◇◇◇



 邪神を含めた四柱の神々が見守る中。父と子の間で繰り広げられていた舌戦は、いつしか一方的なものへと変わっていた。


「わかってると思うけどさ? これは『熊に死んだふり』なんていう信頼度ゼロパーの対処法じゃない。何せ本人のお墨付きだからね? 文字通りの安全策さ」


「……」


 天は何も喋らず、敵意に塗れた鉄の面に冷たい影を貼りつけていた。


「ああっ、それと言うまでもないけどさ、二番ちゃんと六番くんには天天を攻撃させないから安心してね。『僕の可愛い息子に手を出したら承知しないぞ♪』って、よく言い聞かせておくから」


 恐らく狙っているであろうその態度は、どこまでも相手の神経を逆撫でするもの。


「そういえば、キミって確か、こっちの世界で神さま公認の“英雄”になったんだよね? 遅くなったけど、おめでとー!」


 挑発。それ以外に適切な表現があるだろうか。


「いや〜、でも大変だよね? 英雄っていうからには、当然それなりの義務とか使命とかがあるんでしょ?」


 そしてついにその瞬間が訪れる……


「た・と・え・ば、この世界のか弱い人々を守る――」


(だま)れ」


 刹那。天の全身から、途方もない闘気のオーラが放たれる。それは彼の口から発せられた言葉以上に、彼の今の心境を雄弁に語っていた。


「俺が神々から課せられた使命は敵の排除であって、他人の身の安全を確保することではない」


 絶大なるエネルギーと共に解き放たれた巨大な圧力が、神界全土を震わせる。“龍神”青月を屠ったあの時とは、比べものにならぬほどの力の解放。


「警告だ、花村戦」


 鋼鉄の声と、灼熱の怒気を発し、唯一無二の絶対者は厳然と言い放つ。


「ただちに俺の目の前から消え失せろ。さもなければ……この場で『そいつら』をまとめて処理するぞ?」


 瞬間。大波のごとく押し寄せる凄まじい殺気が、大気を戦慄のブリザードに変え、戦の背後に控えていた二人の黒い従者を凍りつかせる。


「……っ」


 女の方は辛うじて無表情を保っていた。


「〜〜‼︎‼︎」


 だが男の方は、完全に面貌を恐怖に染め上げ、体から冷たい汗をあふれさせる。絶望的なまでの力量差は言うまでもない。まさに生殺与奪の全権を握られた状態。相手がその気になれば、次の瞬間に確実な死が待っているという現実。頂点捕食者とその他のエサの関係図が、そこにはあった。


「――はいはい、ストーップ」


 と、その時。抑揚のない声が一触即発の空気に待ったをかける。

 

「息子ちゃん、あんまり僕のかわいい部下達をいじめないでほしいな?」


「誰のせいだと思ってる」


 なおも攻撃的な怒気を漲らせる天に、戦はやれやれと肩をすくめ。


「まぁ少し落ち着きなよ、坊や」


 まるで聞き分けのない短気な息子を諭すように、戦は言った。


「ねぇ天天……キミはそんなに自分の仲間を信頼できないの?」


「ッ――!」


 途端に天は硬直する。それは怒り狂う怪物を黙らせるには申し分のない一撃であった。


「確かにね? 天天が目ぼしい敵戦力を片っ端から狩りまくれば、それが一番手っ取り早い手段かもしれないけれどさ……」


 静かに、淡々と、戦は言葉を紡ぐ。


「仮にそのやり方で戦争に勝ったとして、それって本当に“人類が勝利した”って言えるのかな?」


「…………」


 投げかけられた問いに、しかし答える言葉は無い。ただ沈黙という名の返答だけが続いた。見れば、少し離れた場所で二人のやり取りを傍観していた三柱の神らもまた、返す言葉が見つからないという空気を醸し出していた。一同に視線を斜め下に向けているところから、非常に分かりやすい回答とも取れる。


「言ってみれば、僕ら親子は部外者なんだよ?」


「……」


 黙秘を続ける息子に戦はさらに糾弾の言葉を浴びせる。


「いくら神さまに助っ人として呼び出されたからってさ、一から十まで天天が面倒ごと引き受けちゃったら、この世界の連中っている意味なくない?」


「……お前の言い分も一理ある」


 天は静かに口を開く。発せられた言葉は少なからず戦の考えを支持するものだった。


「だったら――」


「だがそれがなんだ?」


 しかし間を置かず発せられた感情は、完全なる拒絶。天は父、花村戦の言葉を遮り、これまでにないほど冷たく言い切る。


「大事なのは結果だ。そしてより良い結果を得るために、俺はこの戦いで手段を選ぶ気はない」


「……はぁ」


 ゆっくりと頭を振りながら、戦は大きなため息をついた。


「我が子ながら相変わらず美学がないことを言うね」


「我が親ながら相変わらず救いようのない非合理性だ。甘いロマンチズムに反吐が出る」


 それから永遠とも思えるような数秒の静寂が流れる。分厚い沈黙を砕いたのは決意を宿した言。


「次に会ったときがそいつらと、そしてお前の最後だ」


「……そう、それがキミの出した『答え』なんだね」


 戦は皮肉げに口元を歪める。


「オーケー。もうこれ以上は何を言っても無駄みたいだ」


「そういうことだ。諦めろ」


「うん。残念だけど、この取引は無かったことにさせてもらうよ」


「――待ってください」


 その時、天の背後から突然第三者の声が飛んできた。


「カイ、ト……?」


 声に振り向くと同時に、天は虚を衝かれた反動でぽかんと口を開ける。


「すまない、兄さん。折角の親子水入らずのところを水をさしてしまって……。だけどその話、受けてほしいんだっ」


 そこには神妙な面持ちで天の背後に並び立つ、彼の仲間達の姿があった。


「はい、()み♪」


 その光景を愉快気に眺めながら。

 戦場(いくさば)の鬼は不敵に嗤った。




 ◇◇◇




 ――素晴らしい!


 戦の背後でその一部始終を見ていた『特等星』第六使徒シザーフェンは、その胸の内で自らが絶対服従を誓った主人――花村戦に惜しみない賞賛を送った。


『キミが僕との取引に応じれば、今後半永久的に、この世界の善良な一般市民は僕という最悪の脅威にさらされない』


 先刻、戦は声高らかに宣言した。この内容は、正確には個人に向けて発信されたものではない。この場にいる全員に向けて発信されたものだ。

 ――そしておそらく。

 戦のメインは天ではなくその他の者達。つまり戦の本当の狙いは――天を言いくるめることではなく、彼の知人、友人達を説き伏せることにあったのだ。


 ……なんとビューティフルなプランでしょうか……


 戦の背後に無言で控えながら、シザーフェンは背筋に電撃が走るのを感じた。完璧だ。いや、それ以上だ。戦の背後から主人と同じ視点で全てのプロセスを見ていたからこそ、それがよく分かる。


 ――その駆け引きは芸術的とまで言えた。


 戦が天のことを必要以上に挑発したのは真意を相手に悟らせぬ為、自分に注意を引きつける為だろう。そして後半部分の真に迫った呼びかけは、天を説得するためのものではなく、彼の仲間らを煽るためのもの。


 部外者(異世界人)にばかり頼っていて恥ずかしくないのか? 自分達の世界ぐらい己の手で守ってみせろ。戦はそうして天の仲間達を先導したのだ。


 ――結果、相手は見事その挑発に乗ってきた。


 おかげで色々と寿命が縮む思いをしたが。そんな諸々の気苦労など一瞬で吹き飛んでしまった。


 ――素晴らしい。


 ただただその一言に尽きる。優秀な主人への畏敬の念が心の底から込み上げてくる。尊敬、羨望、敬意、戦に対しての想いを上げたら切りがない。実の息子はおろか、初対面であろうその友人達の気質や行動パターンまで完全に読みきった。


『はい、詰み♪』


 そう。すべては戦の手の平の上だったといことだ。


 ……まったく恐ろしいお方だ……


 そう思うと同時に。

 シザーフェンは強く確信する。


 ――あのときの自分の選択に間違いはなかった。


 シザーフェンは強く思う。


 ――あのときの自分を心から褒めてやりたい。


 と。


 ……やはり戦様こそ、我が“真名(まことな)”を捧げるに相応しいお方……


 統括管理者による真名の宣告は、名を宣告した相手に対する完全降伏を意味する。動物間の服従のポーズのようなものだ。通常、それを“番号持ち”と呼ばれる彼ら特等星使徒の口から言わせる場合、必ずと言っていいほど血で血を洗う争いが起こる。まあ、そのほとんどが下位の番号持ちが上位の番号持ちに真名と序列を賭けた決闘を申し込み、そして返り討ちにあうという類のものだ。

 余談だが、大概の場合その決闘で負けた方は命を落とすので、決闘後に名の宣告も従属もクソもない。というのが、統括管理者の上位ナンバーズたちの間でよく取り上げられる話題だったりする。


 ……これまで辛抱強く待った甲斐がありましたよ……


 シザーフェンは崇敬の眼差しで戦を見る。もともとシザーフェンは、他の統括管理者達とは違い、好戦的でもなければ野心家でもなかった。自らが魔物の先導者となりたい、世界の支配者になりたい、そういった願望はシザーフェンの中には皆無だ。が、そんな彼にも唯一にして絶対の望みがあった。


 ――王の器を持つ存在に付き従いたい。


 三十年前、使徒の最高位である統括管理者にまで上り詰めたその頃から、シザーフェンはずっと探していた。自分が仕えるべき有能な主を。


 ――そしてとうとう見つけたのだ!


 シザーフェンは狂嬉する心をなんとか無表情で治める。シナットが異世界から雇い入れた傭兵――花村戦。

 その強さ、畏ろしさ、異常さ、頭の回転の速さ、そして圧倒的なカリスマ性。どれをとっても申し分ない。まさしく自分が探し求めていた理想の主人。異世界人うんぬんはこの際どうでもいい。そもそも同じ統括管理者の中に目ぼしい人材が皆無というこの現状が悪いのだ。


 ……まぁ、唯一彼女には何度かアプローチしたこともありましたが……


 シザーフェンはちらりと隣に立つ同僚に目を向ける。そこには喪服のような黒いドレスに身を包んだ、闇の淑女がいた。


 特等星第二使徒マーヴァレント。


 統括管理者という枠組みの中では確実に少数派であろうシザーフェンをして、さらに異質な存在。それが彼女だ。


 通称、黒の審判者。


 その二つ名の通り、マーヴァレント――この名前も最近知ったばかりだ――は他の管理者達を監察し、審判を下す者。我らが争いの神の声を聞き、それを届ける者。有り体に言えば、彼女はそれ以外のことにはほとんど興味を示さない。いや、それすらも単なる義務としてこなしている節がある。


 ……一体何を考えているのやら。彼女との付き合いはそれなりに長いですが、その思考は戦様以上に読めませんね……


 しかしそんな彼女が自らの真名を初対面の男に教えた。これを成り行きと断じるのはあまりにも不自然と言えるだろう。


 ……面白い。実に面白いですね……


 ポーカーフェイスの下に好奇心という名の笑みを浮かべ、シザーフェンは目を細める。そしてその視線を、敬愛する主人の御子息と集まってきたその他大勢に戻した。シザーフェンは眼鏡を押し上げたい衝動をぐっと堪えつつ、心の中でほくそ笑むのだけは止められなかった。戦の言う通り、既に決着はほぼついたと言えるだろう。


 ……さて、御子息殿はこの後どのような行動に出るのでしょうか……


 シザーフェンは得も言われぬ優越感に浸りながら、ふたたび主に命ぜられた只の人形へと身を落とした。



 ◇◇◇



 ――やられた。


 真剣な顔つきで自分を見つめるカイト、アクリア、リナ、シャロンヌの四人を認め、天が初めに脳裏に浮かべたのはそんな言葉であった。


 一体いつ観客席から降りてきたのか?


 いや、それよりもこんな人数が背後から近づいてきていたのにも気付かぬほど、自分は冷静さを失っていたのか。天はそんな武道家ならではの自己嫌悪に陥る。と同時に。天は頭に上っていた血を急速冷凍し、今自分が置かれている状況をすぐさま理解した。


 まんまと嵌められたと。



「……やってくれたなクソ親父」


「え〜〜? なにがなにが〜〜?」


 恨み言を吐きながら天が前を向くと、今年で五十になる実父はてへぺろとしらばっくれる。できることなら今すぐあの世に送ってやりたかった。


「マスター」


 と不意に背中にかけられた声は、いかにも申し訳ないという思いが込められたものであった。


「大事なお話の腰を折り、あまつさえ口を挟むご無礼をお許しください」


 その声の主――シャロンヌがすぐ後ろで深く深く頭を下げている事は、彼女の控えめな語り口調から容易に想像できた。


「でもあんな風に言われて……どうしても我慢できなかったのです」


「はい……」


 続いて耳に届いたのは、シャロンヌの気持ちを引き継ぐように放たれた――悔しさに震えるリナとアクリアの声。


「天兄からすれば、あたし達なんてまだまだ頼りない存在だって分かってはいるけどっ」


「だからといって、マスターおひとりに全てを任せきりにするほど、我々は軟弱者ではございません」


「どうか……どうか(わたくし)たちにも、天様の重荷を共に背負わせてくださいませ!」


 リナの憤懣(ふんまん)が、シャロンヌの主張が、アクリアの懇願が、矢継ぎ早に天の鼓膜を、魂を震わせる。それが彼女達の心からの思いであり、願いだということは、痛いほど理解できた。

 ――だがしかし。

 仲間達の気待ちを嬉しく思う反面、それらは天にとって、どうしても完全には受け入れられないものでもあった。


「はっきり言わせてもらうが、お前らが束になってかかっても、あの二人には到底及ばない」


 瞬間、背後で女性陣が息を呑む気配を感じた。だが天は構わず続ける。


「仮にどちらか一方が相手であろうと、勝算は皆無に等しいだろう」


「なら、今よりもっと強くなるしかないね」


 努めて冷たい態度をとる天に、しかし男前の相棒は爽やかに言ってみせた。


「……リスクには背負う必要があるものとそうでないものがある。この取引は明らかに後者だ。わざわざお前らが不要なリスクを負う意味がない」


「分かってる。これは俺達のエゴだよ。全人類を最大級の脅威から守るっていう大義名分があっても、敵の主力を討ち破れなければ、結局は全世界の人型を危険にさらすことにつながる」


 でも、と。カイトはそれまでの落ち着いた物腰をかなぐり捨てるように、声を張り上げる。


「俺達は……俺は兄さんの隣で、あなたと同じ戦場に立ちたいんだ!」


「……」


 カイト達の強い熱意を一身に背中で受け止め、天は沈黙の中、考えを巡らせる。もはや挽回は不可能。ここまできたら戦の話を受けるしかない。何より、仲間達の気持ちが素直に嬉しいと感じてしまった時点で、自分の負けである。天は覚悟を決めた――。


「花村戦。お前との取引を成立させるにあたって、こちらからもいくつか条件がある」


「言ってみなよ」


 戦は一切の無駄口を挟まず、話の先を促した。そこには先程までのおちゃらけた雰囲気は微塵も感じられない。ここら辺はさすがその道のプロと受け取っておく。


「ではまず、お前が提示した取引条件と同じ制約を百日間限定で『二番』と『六番』、それに『白闇』を合わせた計三者にも受けさせる」


「……他には?」


「さっきはああ言ったが、俺はもうお前の都合を考慮するつもりはない」


 家族への情を一切捨て去った冷徹な声音で天は言う。


「次にお前と遭遇した時点で、俺は即時戦闘行動に移る。見逃すのはこれっきりだ」


「わお♪」


 戦は今にも口笛を吹きそうな表情で戦意を示した天の眼差しを受け止める。まるでアタッシュケースいっぱいの札束でも見せられたかのような反応。根っからの戦闘狂は上機嫌に頷いた。


「うん。二つ目は構わないよ。というか僕もそのつもりだったしね♪」


「じゃあ一つ目は?」


「う〜ん……」


 戦の饒舌がそこでピタリと止まる。答えはすぐには返ってこなかった。どうしたものかと頭を捻る父の反応は、天の予想通りのものだ。それから五秒ほど頭を悩ませ、戦は小さな溜息とともに口を開く。


「そっちは難しいかな」


 ちなみにこの返答も予想通りだ。


「ていうかさ、それ僕ひとりじゃ決められない条件だよね?」


「そうか?」


 天はわざとらしく惚けてみせる。端的に言えば、それは天なりのささやかながらの意趣返しだった。


「……キミって本当に性格悪いよね」


「お前ほどじゃない」


 そんな嫌味を交換し終わると、戦は口を尖らせながら抗議の声を上げた。


「白闇ってシナットのペットでしょ? 僕の管理下にないヤツだから回答不能」


「なら飼い主に直接頼めばいい。『花村天との交渉材料に使うからお前のペットをしばらく鎖でつないでおけ』とな」


 次の瞬間――。


 ――《聞き届けたり》――


 と、超神界の空から声が降ってきた。異様な迫力を帯びた聞き覚えのある声だ。直後、天と戦は示し合わせようにまったく同じ方向に顔を向ける。


 ……そこには。


 既にシナットの姿はなかった。


「キャハハハハハ! 話が早い雇主ってほんとサイコーだよね!」


「ちっ」


 心中の不満が舌打ちとなって溢れ出る。言うまでもなくバカがまた調子に乗り始めたからだ。ともあれ、後顧の憂いが早速一つ消え去ったのは天としても有り難かった。これで花村戦という例外を除いた、事実上ナンバーワンの敵戦力を期間限定ではあるが抑え込むことに成功した。


 少なくとも三柱筆頭眷族の龍神(セイゲツ)と同等以上の力を持つ――“災厄の神獣”白闇。


 統括管理者であろう『二番』と『六番』以上に厄介な相手。こちらは確実に自分が対処しなければならない相手だ。その危険人物に注意を払う必要がなくなった。これは今の天からすればこの上なく有り難いことだ。


 これで気兼ねなく、指定した百日間を仲間達と共に有意義に過ごせるというもの。


「うんうん。必要なときに即断即決ができるのはかなりポイント高いよ。 シナットには花丸あげちゃう」


「……で、お前自身はどうなんだ?」


 糸のような細目を薄っすらと持ち上げ、天は問う。


「返事はもう決まったのか?」


「もちろん」


 戦は口元に小さな笑みをつくり、答える。


「のむよ、その条件。彼らにも絶対厳守を約束させる」


「取引成立だ」


 その声にもはや迷いはなく。自分でも驚くほど自然にその言葉を口にしていた。


 ――不思議な高揚感がこみ上げてくる。


 不安はまだある。だが、それを遥かに上回る激しい熱情が、胸の中で燃え広がるのを感じた。


「いや〜、一時はどうなることかと思ったけどさ? 結果的にいい取引ができて良かった良かった♪」


 ひと仕事終えたふうな表情で戦は大きく背伸びをする。その時ふと父のトレードマークの髑髏の刺青が目に入った。やはり、というのもおかしな話だが、髑髏は笑ってなどいない。少々悪趣味なだけのただの刺青である。


「あ、そうそう、二番ちゃんと六番くんに手は出さないけど足は出すとかそういうセコい手は使わないでね? せっかくの楽しいゲームなんだから、お互い正々堂々と殺し合うことを誓おうよ」


「心配するな」


 戦の芝居めかした饒舌を一言で断ち切り。天は小さく笑って、それまで空気を読んで息を潜めるように背後に控えていた仲間達を、くいっと親指でさした。


「そこの二匹はこいつらの獲物だ。俺が手を下さずとも、この中の誰かが必ずその首を狩りとる。覚悟しておけ」


 刹那。天はマグマのような熱気を背中に感じた。それは自分もよく知るもの。背中越しにひしひしと伝わってくる四人分のソレは、今まさに自身が滾らせているそれと同種のものに違いない。


 ――闘志の炎。


 天は自然と口角が上がるのを感じた。その感覚は武者震いに近い。共有し分かち合ったからこそ得られた、強い連帯感による心の高まり。湧き出す意欲。振り返らずとも、天には分かる。仲間達は今、自分と同じ表情を見せているに違いない。


「いいねいいねぇ、ゾクゾクするよ」


 約一名もつられたように同じような顔をしていたのが少し癪ではあったが。



 戦はその瞳に狂気の色を宿し前に出る。

 天も当然のように足を進めた。



「花村天の名において、今このときより花村戦の戦友である二番と六番に対し、闘争行為の一切を禁じると誓おう」


「花村戦の名において、今このときより花村戦はこの世界の全人類に対し、積極的な敵対行動を取らないと誓うよ。加えて二番と六番および白闇の三名も、百日間の日数限定でこの制約の対象となる」


 両者は体すれすれの位置まで歩み寄ると。

 互いの視線を真っ向からぶつけ合った。


「次に会うときは親子じゃなく敵同士だ」


「あぁ……ついに始まるんだね、夢にまで見たキミとの舞台が」


 人型と魔物。その存亡を賭けた壮絶な戦いが、今ここに幕を開ける。


 

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