第113話 SSという存在
「いかん!」
野太い声を張り上げ、飛び上がらんばかりの勢いで立ち上がったのは。
「危険だ、天君! 逃げろー‼︎」
スーツ姿の筋肉質な老紳士が、闘技場のバトルフィールドに向かって必死に叫ぶ。知識の女神ミヨの加護を受ける“義の英雄”――シストだ。
「お座りなさい、シスト」
「カカ、青月の野郎、やっとあっちの姿に戻りやがったかよ」
ミヨは恐慌をきたす部下を窘め、マトは龍と化した部下に好奇の目を向ける。
「案ずる必要はありません。ここまでの展開は、すべて天殿が描いたシナリオ通りに事が運んでいます」
「カー、やっぱ『龍』ってのはこう、造形がそそられんだよなぁ。このまま天どんに壊されちまうのが、ちと惜しいぜい」
思い思いの会話をするミヨとマト。
ただどちらの柱神も、これから起こることを一瞬たりとも見逃さないとばかりに武舞台に釘付けになっている。そこだけは一緒だ。
「こ、これも彼が図ったことだと言うのですか⁉︎」
「そうです」
立ったまま驚愕するシストに、ミヨは告げる。
「すべては天殿の手のひらの上の事象に過ぎません」
だからお座りなさい、と。ミヨは怒るではなく、諭すようにシストに言った。
「失礼致しました、我が偉大なる主よ……」
ミヨに頭を下げると、シストはようやく石造りの観客シートに腰を落とす。
「貴方の心配も分からなくはありません。何せあの状態の青月は、昔ルキナや貴方が予期せず遭遇してしまった“魔王種”――あの『デビルクラーケン』よりも実力が上ですからね」
「やはり!」
シストは顔を青ざめ、また腰を浮かせたが。
「ですが、所詮は『Sランク』です」
「おう。青月がいくら強えっ言っても、『S』は結局どこまでいっても『S』でしかねい」
「……!」
有無を言わさぬ迫力がこもったミヨとマトの言葉に、シストは『静粛』を余儀なくされた。二神は、なにか決意と諦念がないまぜになったような色を声と瞳に宿し、言う。
「脅威『SSランク』は、文字通りあらゆる生命体として『格』が違うのです」
「理すら超越した絶対者。天どんがその領域に達しちまってる以上、青月にハナから勝ち目なんざねぇのさ」
「その通りです」
ミヨは眼鏡を静かに持ち上げる。
「現在、我らが把握している脅威SSランクの個体は、『海』と『魔界』とで計十二体存在します」
「外の海に君臨する六匹の最古の魔王種――【六海】。こいつらと魔界を管理する十柱の魔人種――【十星門】。まあ【十星門】の方は、力量が『SS』までいってんのが【六海】と同数の六魔人だけだけどよ」
「これら十二体に天殿を加えれば、現時点で世にいる脅威SS級の存在は合わせて十三となります」
ミヨはもう一度眼鏡を持ち上げて、どこか誇らし気に言った。
「ちなみにですが、ただいま紹介した十二存在の中でも、全力を出した天殿と対等に渡り合えるのは三者だけです。他は格下と見做していいでしょう」
「「‼︎」」
シスト、それにミヨの筆頭眷族である“女仙”黒光までもが、驚きのあまり目を剥く。
そんな二人にさらに追い討ちをかけるように、マトとミヨは告げた。
「ぶっちゃっけちまうと、本気中の本気の天どんは、オイラたちでも手に負えねいよい」
「真実です。私の目算では、たとえ三柱が総出であたったとしても、全力の天殿が相手となるとその勝率は一割を切ります」
「「…………」」
もはや言葉にならない――黒光の方はもともと喋れないが――という様子で、シストも黒光も口をパクパクさせる。
「カカカ、どうだ? ちったぁ天どんの異質性ってやつが分かったかよい」
「実際のところ、これはもう人界だけにとどまる話ではないのです」
ミヨは闘技場中央に立つ天に視線を固定したまま、興奮気味に語る。
「これまで私たちは、最高神格でありながら、魔界の十柱の顔色ばかりうかがってきました」
「神の結界は魔物と魔王にゃ有効なんだが、魔人にはまったく効かねい。あいつらもそれを知ってっから、どいつもこいつも『そろそろ人界を我が領土にする』とかなんとか言って、毎回毎回会うたんびに揶揄いやがんでい」
「魔界の神である“メノア”も、そんな横柄な部下たちを完全放置。その結果、上位魔族の大半が『真の神は我らがメノア神だけだ』などと宣う始末……」
「だからつって下手に癇癪を起こすわけにもいかねい。【十星門】の誰かがその気になっちまったら、オイラたちが管理する世界なんざひとたまりもねぇからな」
「そう……これまではそうでした。――ですが、これからは違います!」
そのとき。ミヨが声を張り上げるのとほぼ同じタイミングで、少し離れた場所から熱烈なラブコールが聞こえてきた。
「アイ・ラブ・ダーリン♡ マイ・ラブ・ダーリン♡」
見れば、生命の女神フィナが、いつの間にかハート型の団扇を両手に持って天の応援をしていた。
「「……」」
一瞬だけシストと黒光が動きを止めたが、二人共すぐにまた、何事もなかったかのようにミヨの方を向いた。
「これまで圧倒的に『魔界』優勢であった力関係が、今まさに変わろうとしているのです。それもこれも、偏に天殿のおかげ!」
「実はつい最近な、とんでもねえ事実が判明しちまったんだがよ……」
ミヨの力説を引き継ぐかたちで、マトは長く伸びた髭を触りながら、やや震えた声で言う。
「天どんな……そんだけデタラメな強さを既に持ってんのに、多分まだ本格的に“覚醒”してねぇんだ、これが」
「「ッ――‼︎」」
極めつけのダメ押し。度重なる仰天によって、シストと黒光の顔は、驚いているのか畏れているのか興奮しているのか、何とも形容しがたい表情になっていた。
……ん? 待てよ……
このとき。黒光はいち早くショックから立ち直った。否、厳密に言えば彼女もまだ主神たちのぶっちゃけトークに頭が混乱したままなのだが。それより何より、黒光はある重要な点に気づいたのだ。
……じゃあ何か? 私と青月は、そんな化け物の生贄に選ばれてしまったがゆえに、本日この場に呼び出されたということなのか……⁉︎
黒光は恐る恐る……長年連れ添ってきた女主人の方へと顔を向ける。
「すべては天殿をこちらに引き留めておく為、必要なことだったのです」
ミヨは慈愛に満ちた眼差しで部下を見つめていた。
「ただ、くれぐれも誤解しないでほしいのですが、これは全てあなたや青月の自業自得、身から出た錆なのですよ」
「ま、ちいとばかし強引だが、結論から言っちまえばそうなんな」
頼みの綱であるマトの助け船も、この時ばかりは出なかった。
「今回のことにしても、先に原因を作ったのはどう見ても青月の馬鹿だ。天どんだって、何も最初から喧嘩腰だったわけじゃねいよい」
「そう。あなた達が常日頃から慎ましい振る舞いを心がけていれば、天殿と衝突することもなかったのです」
「………………」
とりあえずここまでの話を聞いて。
最高神格の眷族筆頭、黒光が思ったことは。
――これからはなるべく謙虚に生きて行こう。
千五百年以上生きている大女仙は、竟にその悟りに至ったのであった。




