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第112話 龍神

 古代ローマを連想させる巨大な円形闘技場。この如何にも剣闘士達が生死を賭けて戦いそうなコロッセオが超神界に出現したのは、ほんの二分前のことだ。


「ふう、久々に張り切っちまったよい」


 たった一戦のためだけに建てられたその壮大なスケールの見世物小屋は、創造神マトの渾身の力作。死闘の舞台となる広々としたデュエルフィールドには、ご丁寧に土の地面まで用意されていた。



「おい貴様、命乞いをするのなら今のうちだ」


 闘技場の中央で仁王立ちし、偉そうに腕を組み、おまけに命令口調。勝負などせずとも結果は目に見えている――男はそんな態度であった。


「真理英雄まで至ったということは、人型の中では少しはマシな部類に入るのだろう。だが所詮、下等動物は下等動物。神獣であるこの俺に敵うわけがない!」


 白い肌に白い神衣、青色の滝めいた長い髪に銀青色の瞳。この人間離れした美しい容姿を持つ男の名は、青月(セイゲツ)。創造神マトの筆頭眷族を務める神獣にして、(よわい)二千歳を超える下位神格。


「なら俺も一応先に言っておくが、もういくら命乞いをしても無駄だぞ? 残念なことに、お前がボロ雑巾になる未来は既に何があっても避けられないからな」


 一方こちらはその青月の対戦相手。名前は花村天。種族は人間(公式には伝説超越種(レジェビエント))。性別は男。歳は三十二(見た目は十七ほど)。服の上からでも分かる鍛え抜かれた肉体。だがそれ以外はさして特徴のない、何処にでもいそうな地味な顔の青年。


 両者の命と願いを賭けた戦いが、今まさに始まろうとしていた。


「まあ、せいぜい争いの神が退屈しない程度には頑張ってくれ」


「……つくづく思うが、貴様は人を怒らせる才だけは優れているようだ」


「うん? お前、確か『人』じゃなくて『珍獣』だろ?」


「珍獣ではない! 神獣だ、神・獣っっ!!」


 わざとらしく首を傾げる天と、怒りのあまり髪の毛が逆立ちそうな顔になっている青月。決して相容れぬ者同士、どうあっても和解などという生温い結末には成り得ない。闘技場で対峙する二人からは、そんな空気がひしひしと伝わってくる。


「なあ。口喧嘩はここまでにして、ぼちぼち始めないか?」


「…………先に攻撃してこい」


 低く唸るように、青月は言う。


「貴様の攻撃を一度だけ無抵抗で受けてやる。せめてものハンデだ。全力で打ってくるがいい!」


「ほう……」


 青月のその申し出に対し、天は少し考えてから、


「武器を使ってもいいか?」


「無論だ」


 青月は即答する。


「言うまでもなく、これが貴様にとって最初で最後のチャンスとなる。遠慮はいらん。考えうる貴様の最高の攻撃を、俺に仕掛けてこい!」


 先刻までとは打って変わり、大いに気をよくした様子で青月が吼えた。天が積極的に自分の提案に乗ってきたので、高い自尊心と優越感を取り戻したのだろう。


「それじゃあ早速、お言葉に甘えることにしようか」


 天はすっかり調子づいた青月のもとまでつかつかと歩いて行くと、おもむろに、ある物をズボンのポケットから取り出した。


「なんだソレは……?」


 青月は今にも首を傾げそうな顔をして、天がポケットから取り出したソレをまじまじと見た。ソレは短剣よりも小ぶりで、短い棒のような形状をしていた。


「こいつが俺の得物(エモノ)だ」


 言いながら、天はソレの先端についていた()()()()を軽快に外し、青月の顔に向けてゆらりと構えを取る。


「とくと味わえ。創造の神マト特製の、『ボードマーカー(黒)』の威力を」


「な! マトさま特製の武器だとっ⁉︎」


 創造神マト作という言葉に、ひどく狼狽える青月。だが天はお構いなしにその切っ先ならぬペン先を、神獣の(デコ)に当てた。


「動くなよ」


 天の真剣な声と表情に、青月は固まった。先に攻撃しろと言ったのは他ならぬ自分だ。青月は歯を食いしばるように耐える姿勢を見せる。覚悟を決めたのだろう。


「――よし。終わったぞ」


 ほどなくして、天が攻撃の手を止める。時間にして五秒ほどか。


「………………」


 一方、天の攻撃を受けた青月は、どういうわけかプルプルと体を震わせ、顔を伏せてしまった。目立った外傷もなく、比較的ピンピンしているようにも見えるが。


「おっと、このままじゃ自分で(たし)かめられないよな」


 天は攻撃に使用した武器(マーカー)をポイっと放り捨てると、明らかに様子がおかしい対戦相手を放置し、観客席の方を向いた。


「誰か手鏡を持ってないか〜」


 その声にいち早く応じたのは、


「マスター。よろしければこれを」


 観客席にいた完璧メイド――シャロンヌが、ワープでもしたのかという速さで天のもとに馳せ参じ、銀の手鏡を主人に差し出した。薔薇の装飾が施された見るからに高価そうな手鏡だった。


「こんな良いヤツじゃくていいんだが……」


 天は、やや困り顔でシャロンヌから手鏡を受け取る。


「もっと他にないのか? こう、(こわ)されても問題なさそうなの」


「お気遣いありがとうございます。ですが、私のものは全てマスターのもの。たとえ壊されたとしても、それがマスターのご都合であるならば、何の問題もございません」


「いや、お前のもんは基本的にお前だけのもんだから……」


「いいえ。私の全てはマスターのものにございます。ですので、その手鏡もどうぞお好きに使い捨ててくださいませ」


 にこやかな顔で押し切ると、何を思ったか、シャロンヌは急にその場に跪いた。


「マスター。どうかこの私に、マスターのお側で決闘を見届ける栄誉をお与えください」


 いつになく真剣な表情を浮かべ、シャロンヌは天に懇願する。

 この彼女の申し出に――


「隅の方で見ていろ。それが最大限の譲歩だ」


「! ありがとうございます‼︎」


 嬉々として立ち上がり、天に恭しく一礼すると、シャロンヌは砂埃ひとつ立てずにその場から離れた。


「さて」


 シャロンヌが立ち去った後、天はゆっくりとそちらへ向き直る。


「……」


 そこには、依然として無言のまま、只ならぬオーラをみなぎらせる青月がいた。


「ほれ」


 と、天はシャロンヌから受け取った手鏡を青月に放る。こちらは実に軽いノリだ。


「〜〜ッ‼︎」


 青月は鬼の形相で手鏡を受け取ると、一心不乱に鏡に映る自分の顔を覗き込んだ。次の瞬間、


「ウガァァアッッ‼︎」


 猛獣のような咆哮を上げ、青月は持っていた手鏡を地面に叩きつける。そしてそれだけでは気が済まないとばかりに、地面に叩きつけた手鏡を何度も何度も踏みつけた。まさに怒髪天を衝かんばかりの剣幕。大地をも揺るがす神獣の怒りが、闘技場全体を震わせる。


「よかった。その様子だと、俺からのメッセージはちゃんと伝わったようだな」


「きき、き、きさ、きさまぁあああああああああっ‼︎‼︎」


 青月の染みひとつない白い額には――

 でかでかと『馬鹿(バカ)』という二文字が刻まれていた。


「殺してやるっ‼︎ なにがなんでも絶対に殺してやるぞこの虫けらがあああああー‼︎‼︎」


「そいつは楽しみだ」


 斯くして戦いの火蓋は切られた。



 ◇



「ぶひゃひゃひゃひゃ! ダーリンを舐めるからそういう目にあうんじゃよ。ざまぁないの〜、青月の阿保め! あふひゃはははははははは!」


 最前列の観客席で腹を抱えて笑い転げる生命の女神、フィナ。足をバタバタさせて涙目で大笑いするその姿は、およそ女神とは対極に位置するもの。


「ま、天どんからしてみりゃあ、今ので()わらせちまう訳にもいかねぇからな」


「はい。ひとまずこれで第一段階はクリアと言えますね」


 フィナから少し離れた場所に座っていた創造の神マトと、知識の女神ミヨが、訳知り顔でそんなことを言う。


「あのやり取りに、明確な意図があったのですか?」


 思わず驚きの声をもらしたのは、二神の会話をすぐ隣で聞いていた――冒険士協会会長シスト。


「むしろ無いわけがないでしょう」


 その程度のことも分からないのですか? とでも言うように、ミヨは部下の疑問に冷ややかな反応を見せる。


「カカカ、この腕くらべは、シナットの野郎を“楽しませる”っつう大前提があっからな。ただ単純に、天どんが青月の馬鹿をシメりゃあいいってもんでもねえってことだよい」


「なるほど」


「…………」


 シストと、マトの左隣にいた黒光が、納得したように同時に頷いた。ちなみに、座席は右からシスト、ミヨ、マト、黒光という並びだ。

 もっとも、黒光は例によって黄金樽に入れられたままなので。座っているというよりも置かれていると表現した方が、この場合は正しいだろう。


「そうなると、この戦いはますます彼にとって厳しいものになりますね……」


「……あー、どうせすぐに分かることだから言っちまうがよ? 天どんがその気になりゃあ、青月なんざ赤子の手をひねるより――」


「お待ちなさいマト」


 シストとマトの会話に割って入るかたちで、ミヨがマトの話の腰を折る。


「シストは私の受け持ちですよ。どさくさに紛れて『対話』を行わないでください」


「ああ? オメェが冷てぇから、代わりにオイラが答えてやってんじゃねいかい」


「それとこれとは話が別です」


 きっぱりと言い切り、ミヨは眼鏡を持ち上げる。


「まったく、あなたは仮にも人界の最高紙幣(一万円札)のモチーフを務める神なのですよ? そんな軽い心持ちでは困ります」


「んな! そいつを言ったら、オメェだって如何にも品行方正な女神って外面(そとづら)のクセに、中身はどの神よりも腹黒いじゃねいかい!」


「それとこれとは話が別です。……それはそうと、誰が腹黒い女神なのでしょうか?」


 全身から薄っすらと金色のオーラを立ち上らせ、睨み合う二神。聖典に記された神々同士の内紛の再現だ。


「は、ははは……」


 シストの口から乾いた笑いが漏れる。さすがの彼も、この両名が相手では『タジタジ』になるしかなかった。




「目を覚ましませんね、マリーさん」


「ああ……」


 アクリアの言葉に相槌を打ちながら、カイトは振り返り、真後ろの席で静かに眠っているマリーの顔を見つめた。


「…………」


 体力は完全に回復している。脈拍も正常だ。ついでにボロボロの衣服もマトが直してくれた。


 ――だがマリーはいまだ目を覚まさない。


 もともと仕事で疲れていたのかもしれない。昔からマリーは、そういった面を決して表には出さない女性であった。思い出して、カイトは思わず失笑を浮かべる。その時であった。


 ドガンッ‼︎ と。


 大爆発でも起きたのかという衝撃が、観客席に届いた。カイトは慌てて闘技場の中央に目を向ける。見れば、土でできた試合会場の地面が大きく抉れていた。


「大丈夫です」


 息を呑むカイトの隣で、アクリアが呟く。

 彼女の言う通り、天は上空に飛んで難を逃れていた。


「何者が相手であろうと、天様が負けるはずがございません」


 アクリアはカイトと、そして自分に言い聞かせるように言葉を発した。気丈に振る舞っているが、アクリアも内心では、天のことが心配で心配でたまらないのだろう。


 だからこそ、カイトはしっかりとした口調でアクリアの言葉を肯定する。


「ああ。兄さんがあんな奴に負けるはずがないよ」


 この言葉に嘘偽りはない。

 仮にも相手は三柱に仕える眷族筆頭。

 しかし、天からすれば所詮『あんな奴』止まりである、そうカイトは信じていた。


「……! っ……‼︎」


 一瞬だけアクリアに向けた視線を、また正面に戻すと、今にも観客席から飛び出さん勢いで天を応援している――リナの姿が見えた。


「いけぇー、天兄ぃー! ヤっちまえーー‼︎」


 ……いいや。この場合『応援』というより、心から試合を『観戦』していると言うべきか。


 ……シャロンヌさんはシャロンヌさんで、兄さんに手鏡を届けに行ったきり戻ってこないし……


 きっと彼女達は、自分以上に天の勝利を信じて疑っていないのだろう。

 その豪胆さに、頼もしさを感じる一方。


「俺も負けてられないな」


 と両手で顔を叩いて、カイトは自己を奮起させた。



 ◇



「神獣とは、つくづく救いようのない生き物であるな」


 その声に感情はなく、その言葉に心はなかった。

 争いを司る神――シナットは、自分用にあてがわれた特別観覧席で、静かにその見世物を見ていた。


「先に言っておくが、俺の体は魔力の類を全て無効化する。つまり、俺に有効な攻撃は物理のみだ。ちょうど今お前が行っているような、な」


「殺す! 殺す殺す殺すぅううううううう‼︎」


 闘技場では青月が本能のままに暴れ狂っている。

 一見すると天の防戦一方。

 だが、実際はそうではない。

 天は青月の動きを完全に見切っている。

 これではいくら攻撃を続けても、天には一生当たらないだろう。

 逆に、天がその気になれば、一撃でこの試合を終わらせることができる。

 この図式は、仮に相手が神獣最強の白闇(ビャクヤ)であっても変わらないだろう。


「花村戦の予見通りというわけか」


 いや、そんなことはシナットも最初から分かっていた。シナットが白闇を参戦させたのは、勝率を上げるためではなく、あくまで楽しむため。人と魔の争いをより盛り上げるためだ。

 とはいえ、その人選において問題がないわけではない。


『あぁ、人間だぁ? まさかそんなザコ一匹狩るために、このオレ様を表に出したのかよ? 冗談キツイぜ、シナット様」


 神獣特有の性質。

 それは究極の傲慢とも言える。

 神獣は、何があっても自己の絶対的優位を確信し、それを疑わない。正しいと思い込む。

 格下相手であればそれもいいだろう。

 しかしこれが格上相手ともなれば、その様は『滑稽』以外の何者でもない。


「この虫けらが虫けらが虫けらがぁああああ‼︎」


 度重なる『挑発』の甲斐もあり、青月を殺し合いの土俵に立たせるのは成功した。

 だが青月は、今もなお、花村天という人間を自分より圧倒的弱者と見くびっている。

 その証拠に、青月はいまだ本当の力を見せていない、()()()姿()を見せていない。


「愚かな」


 邪神はまた無感情な声を出した。

 下の闘技場では、相も変わらず青月の猛攻を天がひたすら躱し続けている。シナットはそちらに視線を向けたまま、椅子に背をあずける。


 ――神獣には人型の形態とは別に、神格としての(まこと)の姿が存在する。


 恐らく天はその事に気づいている。

 無論、正確なところまで把握している訳ではないのだろうが。天は本能的に嗅ぎ取っている。相手はまだ全力を出していない、と。


 ――だから天も迂闊に勝負を決めることが出来ない。


 おかしな話ではあるが、これが天の抱える現状と課題。自分に不利な状況のまま整ってしまった舞台で、天が一体どんな見世物(たたかい)を披露するのか、それはシナットにも想像がつかない。


「我を失望させるなよ、花村天」


 その言葉には少なくない期待が込められていた。



 ◇



「そろそろか」


 涼しげな顔で青月の猛攻を掻い潜りながら、天が含みのある言葉を口にする。

 戦局が変化を見せたのは、その直後のこと。


「きさまぁああぁぁああー! チョロチョロ逃げ回りおって!少しは自分から()めーーアブフッ!」


「――ああ。ここからは俺の番だ」


 青月の顔面に強烈な飛び膝蹴りを食らわせつつ、そう(うそぶ)いた天の横顔は、残忍な喜びにあふれていた。


「さあ、()こうか」


 史上最強の格闘王と(うた)われた男の怒濤の攻勢が、今始まった。


「ガハッ、きき、きさま! 人間の分際で、よくも俺の美しい顔を……オブヘッ‼︎」


「なんだお前、そういうキャラだったのか? 仕方ない。じゃあ特別に、顔面無しのルールでやってやる」


「た、大切なのは、ゴフッ……べ、別に顔だけでは、ブハ!」


「実を言うと、俺もお前の額の文字(バカ)を傷つけたくはない」


「きさま、グフェ! 二度とその減らず口を、ブブフッ! 叩けなく、グガハッ‼︎」


「ん? いいのか? 俺は無口になったら、凶暴性がさらに増すぞ――」


 刹那、闘いの王の双拳が煌めく。


 《闘技・流星突(りゅうせいづ)き》


 あまねく星たちの共演。無数に放たれた流星の如き連打が、一瞬の閃光とともに青月の顔以外の全ての部位に打ち込まれた。


「ブヘバベブホババボブハッ‼︎」


 不細工な悲鳴を上げながら、為す術なくただただ殴られ続ける青月。その光景は、さながら神獣サンドバッグ。


「とりあえず(かべ)と仲良くしてこい」


 そう言って。

 天は合わせて千発目となる拳打を、青月の胸に叩き込んだ。

 流星群のラストは、他ならぬ技を食らった自分自身。

 豪快な風切り音を上げ、弾丸のような勢いで遥か後方に吹き飛ばされる青月。

 そしてそのまま――


 バゴンッッ‼︎‼︎


 闘技場の分厚い石壁に、ど派手な音を立てて激突した。


「グ、グフ……こ、こんなばかなっ……⁉︎」


 信じられないという顔をして、青月は叩きのめされた自分とそれをやった張本人を、交互に見やった。


「いつまで休憩してんだ。早く戻って来い」


 半ば理不尽なことを言いながら、天は相変わらずの澄まし顔で、クイクイと青月を手招きしている。

 一方の青月は既に満身創痍。確かに顔はほぼ無傷だが、逆に言えばそこ以外は衣服も含めて全身ズタボロである。


「ばかな……ばかなバカな馬鹿なばかなっ‼︎‼︎」


 青月は奇声を発しながら立ち上がる。それは信じられない、ではなく、信じたくないという叫びに聞こえた。


「こい、月青刃(ゲッセイガ)‼︎」


 青月が右手を頭上に掲げ、そう叫んだ、次の瞬間――


 ヒュンッと。


 何処からともなく飛んできた一振の美しい刀剣が、神獣の手に吸い寄せられるように収まった。


「ハハァアアアアアアアー!」


 武器を手にするや否や、青月は上空高くに舞い上がった。その高さは一〇メートル、二〇メートル、などという生易しいものではない。


「ここにきてやっと得物を抜いたか」


 天はひとつため息をつくと、上空に飛んだ青月ではなく、闘技場の隅にいたシャロンヌの方に目を向ける。


「あそこなら大丈夫か」


 彼が漏らした小さな声は、次にきた神獣の天言によって掻き消される。


 《月青天地斬(げっせいてんちざん)


 青光が瞬く。その刹那、青月の渾身の斬撃が闘技場の中心部――すなわち天に向けて振り下ろされた。



「っ……」


 ただ一人、闘技場内にいた第三者。

 常夜(じょうや)の女帝ことシャロンヌは、必死に声を上げるのをこらえた。懸命に主人の名を叫ぶ行為をこらえた。そうした行為は、決闘の立会人、見届人として相応しくない行為であることを、彼女は心得ているから。

 何より、自分程度のものが天を心配するなど万死に値する、シャロンヌは強くそう思った。

 そして……


「……‼︎」


 攻撃の余波が静まり、その結果を目の当たりにしたシャロンヌは、思わず絶句した。


「ほぅ、なかなかいい刀だ」


「ちぃぃっ」


 両者共にいまだ健在。

 天は青月の斬撃を紙一重で躱し、青月は苦虫を噛み潰したような顔で天から距離をとる。

 この時。

 不覚にもシャロンヌは、彼等の足元を見て呻き声を上げてしまう。


「地が……()けて……」


 闘技場の大地が……真っ二つに割れていた。



「相当な業物のようだな、その刀は」


「【神宝器(セフィラスフィア)】――神刀“月青刃(ゲッセイガ)”。こちらは貴様のインチキと違い、正真正銘マト様が作られた至高の武具よ!」


「失礼な奴だな。アレもれっきとしたマト様のお手製だぞ」


「黙れ!」


 もうほとんど原型を留めていないバトルフィールドを、縦横無尽に駆け回る二者。


「そうだ――」


 矢継ぎ早に飛んでくる青月の斬撃をこともなげに躱しながら、天はこんな事を言った。


「お前、さっきの技をもう一度仕掛けてこい。今度は()けずに()けてやる」


「「なっ!」」


 青月の声に、フィールドの端で二人の戦いを見ていたシャロンヌの声が重なる。

 さりとて、シャロンヌの方は慌てて両手で口を塞いだが。


「正気か、貴様?」


 青月が低く唸る。

 天は言った。


「お前が先にやったサービスだ。遠慮はいらない」


「……後悔するなよ」


 吐き捨てると同時に、青月は天高く飛んだ。


「一太刀で月青刃の(サビ)にしてくれるわー!」


 再び神域の空より振り下ろされた神の刃が、天を襲う。


 ――《月青天地斬》――


 その瞬間(とき)。月青刃の青白い刀身が、天の額に触れるスレスレの位置まで肉迫する。

 しかし――


「やはりいい刀だな、コレは」


 先刻、大地をも切り裂いた神獣の剣技を、天はたった指二本でいとも容易く受け止めてしまった。


「なな、な……ブフ!」


「悪いな。俺たち武術家にとって、『受ける』とはこういう事だ」


 月青刃を右手の指で挟んだまま、天は流れるような動きで、驚愕する青月に右の上段回し蹴りを叩き込む。続けざま、天は深く腰を落とした。


「この刀は俺がもらっておく。さっきお前が壊した手鏡の代わりにな」


 (なめ)らかに鋭く、神速の左拳が空を穿(うが)つ。


 《闘技・螺旋貫手(らせんぬきて)


 神をも喰らう疾風の拳技が炸裂する。

 青月は為す術もなく、再び壁に激突した。



「ッ〜〜‼︎‼︎」


 シャロンヌは今にも狂喜乱舞しそうだった。

 あまりにも感動して。

 あまりにも嬉しすぎて。

 だが、完璧メイドはそれらの感情を必死に抑えつける。

 今しがたの失態を繰り返さぬよう。

 だから彼女は心の中だけで叫んだ――

 これが私のご主人様(マスター)だ、と。



「どうする。まだ続けるか?」


 取り上げた美しい刀剣でトントンと肩を叩きながら、天は問う。


「……」


 青月は何も答えず、ただ壁を背にし項垂れている。顔全体が長い髪に隠れている為、その表情はまったく分からない。


「負けを認めて土下座するなら、今なら名前を“馬鹿”に改名するだけで勘弁してやってもいいが?」


 重ねて天が訊ねると。


「……くくククク」


 不気味な笑い声と共に、青月はおもむろに立ち上がった。直後、青月の周囲から蒼白い(きり)が立ち込めて、あっという間に神獣の体を覆い隠してしまった。


「マサカ『ヒト』アイテ二、本来ノ『スガタ』二戻ラネバナラヌトハ」


 霧の中から聞こえてきた声は、既に人のものではなかった。

 いつしか、闘技場の上空に雷鳴が轟き始める。

 霧の奥で巨大な何かが(うごめ)いた。途方もない大きさのナニかが……


「ようやくだな」


 その天の声に呼応したかのように。

 フィールド上に充満していた蒼白い霧が、徐々に晴れていく。

 そうして、中から現れたものとは。


「コノ姿二ナルノハ、ザット五百年ブリダナ」


 鼻の先から伸びた二本の青髭。威厳のある白い鬣。美しい青の鱗。鎌に似た巨大な鉤爪と、銀色に輝く鋭い牙。轟く雷鳴を背に来臨したその姿は、まさに――


(りゅう)か」


 ぼそりと呟き、天は持っていた刀を地面に突き刺した。


「ドウシタ? 遠慮セズ使エバヨカロウ。ソレハモウ貴様ノモノダ」


「なんだ、随分と気前が良いじゃないか」


「フン。一度ヒトノ手二渡ッタ武器ナド、モウ使エンワ」


「なるほど。だが生憎とそいつは俺の流儀じゃない。これはあくまで仲間の手鏡の弁償代金だ」


「ドウデモイイ」


 天の屁理屈を一言で一蹴すると。

 青き龍と化した神の獣は。

 その小山ほどもある巨体を誇示するかのように、その目がくらむような存在感を主張するかのように、巨きな体を悠々と伸び上がらせ、天空から地上を見下ろした。


「早ク続キヲ始メルゾ、ニンゲン。オレハ貴様ヲ骨ゴト喰ラウタメ二、コノ姿二戻ッタノダカラナ」


「ああ。これでようやく、俺もお前に(とど)めを()せる」


 天は混じり気のない微笑を持って、青月に応える。


 両者の戦いは、ついに最終局面を迎えようとしていた。



 〜花村天VS“龍神”青月〜


 

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