第111話 三つの願い②
「カイト」
気絶したマリーをそっと抱きかかえ、天は彼の名を呼んだ。
「! マリーさんっ‼︎」
カイトは一も二もなく跳ね起き、天のもとに駆け寄る。正直、体の傷は癒えたが、平衡感覚はまだ回復しきっていなかった。
――だがそんな事はどうでもいい。
千鳥足のような足取りで。
それでもただがむしゃらに。
カイトは天と、そしてマリーのもとへ走った。
……くそっ、なんでこんなことに……!
強い無力感に苛まれ、歯噛みするカイト。
その一方で、頭のどこかで、彼は冷静に状況判断を行なっていた。
――何故シストではなく自分に声がかかったのか。
この場で天に次ぐ実力者は間違いなく彼だ。
――どうしてシャロンヌではなく自分が呼ばれたのか。
天がマリーを抱えて立ってる場所から一番近いのは彼女だ。
天の選択肢に疑問を感じないわけでもなかった――が。
「マリーさん!」
そんな事は今はどうでもいいのだ。
「カイト。マリーさんを頼む」
「任せてくれ‼︎」
相棒の信頼に応える。理屈など不要。
――そして何より、自分の愛する女を守る!
それが今のカイトにとって、最も重要なことであった。
「我が主様。今回の“三つの願い”が決まりました」
天はマリーをカイトに預けると、ひどく冷静な口調でそう言った。
だが、カイトはすぐに分かった。
天は『ソレ』を必死に抑えつけているのだ。
本当なら、今すぐこの惨状を作り出した元凶――あの者に、然るべき報いを受けさせたいに決まっている。
肉体の負傷が完全に治ったからといって、あの天が『ソレ』を水に流すなどあり得ない。
――これはいわば嵐の前の静けさだ。
いまだ意識が戻らぬマリーを抱きかかえながら、カイトはごくりと息を呑んだ。
「そこの下等動物」
天が自身の直属の上司にあたる柱神――フィナに、今回の英雄がえりの達成報酬である三つの願いが決まった、と伝えた矢先だった。
「貴様、たった今俺が言ったことを聞いていなかったのか?」
ひどくイラついた口調で、とにかく気に食わないといった調子で、青月が茶々を入れてきた。
「俺は貴様に、身の程をわきまえろと言ったはずだが?」
この場で唯一綺麗な状態のままの壇上。青月はその中央で腕を組み、いかにも偉ぶった態度で天を睨んでいた。
「そっちこそ早く始めたらどうだ?」
そんな最高神の筆頭眷族たる猛者に、天は落ち着いた物腰でこう返した。
「さっき争いの神を相手に威勢よく啖呵を切ってたろ。晴らすんじゃないのか、仲間の無念を?」
「あ、そういえば確かにそういう流れだったな」
「……」
同じく舞台中央で乱れた衣服を整え終えた黒光が、思い出したようにポンと手を叩いた。
一方、青月は途端に具合が悪いという顔をして口を閉ざしてしまう。急に威勢が悪くなった。
「ほら、早く行けよ」
返答に窮している青月を小馬鹿にするように、天はそちらを顎で示し。さらに神の眷族を煽った。
「俺みたいな下等動物に構ってる暇なんてないだろ。倒すんだよな、あの争いの神シナットを?」
「ふ、ふん。貴様らのせいですっかり興がそがれてしまったわ」
その顔からは明らかに動揺の色が見て取れた。
「そう、俺は貴様たちに気を遣ってやったんだ!」
だが、それでも、青月は横柄な態度を改めることはしなかった。
「お、俺が全開で戦えば、その余波だけで弱者たる貴様らは簡単に壊れてしまうからな。特別に我慢してやった」
「ほう……」
一体どの口がほざくんだ。そんな事を思いながら、天はひとまず青月の口上茶番を最後まで聞いてやることにした。後々相手をとことん追い詰めるために。
「それはそうとして、まさかあの程度で死にかけるとは。これだがら力も魔力もない脆弱な生き物は嫌いなのだ」
そうとも知らず、神の使いはますます饒舌になる。
「まったく、これではおちおち戦うこともできん。まさに迷惑極まりない話だ」
「くっ!」
そのあまりにも傲慢な物言いに、堪らずといった様子でマリーを抱えたまま身を乗り出すカイト。彼は今にも食ってかかりそうな目で青月を睨んでいる。
「よく言う」
相棒の憤りを、あたかも引き受けるように――天は言い放つ。
「最初から、そんな度胸も覚悟もないくせに」
「なに!」
「俺がお前の考えを当ててやろうか?」
そう言って、天は意識的に表情から感情の色を消し去り、壇上の青月を見据える。次は俺の番だ――と。
「この俺の考えてることを当てるだと? はっ、いきなり何を言い出すかと思えば。三柱様でもあるまいし、そんな事できるわけが――」
「たとえシナットと戦闘が始まっても、防戦一方ならいずれ三柱神様が止めに入ってくれる」
「ーーッ‼︎」
天が淡々と言葉を紡いだ次の瞬間、青月は石のように凍りついた。
天は眉一つ動かさず、さらに続ける。
「シナットもまさか三柱神様の前でその眷族を手に掛けることはないだろう。仮に重傷を負わされたとしても、フィナ様さえいれば最悪死ぬことはないはずだ――こんなところか」
「っっ……‼︎」
まさに図星を突かれた。青月の顔にはそう書いてあった。
「俺への対抗意識から勢いだけでシナットに喧嘩を売った結果、思わぬ形で俺への意趣返しに成功した。スッキリしたからあとは適当にこいつらをからかって引き揚げるとしよう――以上。何か訂正はあるか?」
「〜〜!」
返す言葉などあろうはずもない。
「どうやら神の“筆頭眷族”というのは、存外小物でも務まる役所らしい」
天は嘲笑を浮かべる。その視線の先には、全てを丸裸にされた一匹の獣の姿があった。
一方。
「あちゃー、やっぱ天どんには全部バレちまってるよい」
「当たり前です。あれくらい天殿が見抜けないわけがありません」
「というか、儂もう行ってもええかの? そろそろ行ってもええじゃろ?」
「しばし待て。これから面白くなるところだ」
「嫌じゃ行く! 今すぐダーリンのところに行くっ! ダーリンからの呼び出しなんて滅多に――て、なんで貴様までこっちにいるんじゃシナットこらぁああ‼︎」
神々はすっかり傍観者に徹していた(一部例外を除き)。
「……おい、青月」
と青月をジト目で睨みながら。
壇上にいたもう一人の最高神格の筆頭眷族――黒光が、低い声で同僚に訊ねる。
「今その男が言ったことは本当か?」
「な、なにを馬鹿なことをっ! そ……そんなこと、あるわけがない‼︎」
「ならば、何故お前はいまだシナットに戦いを挑まんのだ?」
「っ〜〜」
またも青月が口を噤む。
答えられない。それがそのまま答えになっていた。
「理解しました。差し詰め私たちは、ストレス解消の道具として使われたのですね」
そう言ったのは、天の斜め後ろに控えていたシャロンヌ。
「笑えませんな、青月殿。そのような私事で、儂の大事な部下は危うく死ぬところだった」
シストの声には明確な怒気が込められていた。
「いい迷惑なのです」
とリナが吐き捨て。
「本当ですね」
「ああ、とても三柱神様に仕える者がやる事とは思えない」
アクリアとカイトが、心底腹立たしいという顔で相槌を打った。
「おい……私はお前が力を解放したせいで全裸にされかけたんだぞ……こんな大勢の目の前で、だ!」
一人だけ他と怒りのベクトルが違ったが、黒光も完全に青月の敵に回った。つまり、もはや青月の味方はどこにもいないという事だ。
皆の冷ややかな視線が壇上の青月に集まる。そんな中。
「…………うるさい」
ぼそりと呟いて、青月は耳元で騒ぐ黒光を乱暴に振り払った。
「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいっっ‼︎ 」
「な⁉︎」
「黙れ‼︎ 貴様ら全員いますぐ黙れ‼︎‼︎」
「逆ギレかお前、上等だ!」
「――いい加減にしなさい、あなた達」
今にも取っ組み合いを始めそうになった青月と黒光を取り押さえたのは、知識の女神ミヨ。
「テメェら、ちょいとソコで頭を冷やしてな」
続いて。
ミヨと共に壇上に降り立った創造の神マトが、すかさず部下達を黄金の樽の中に閉じ込めた。先ほどまで生命の女神を封印していたあの樽だ。
そしてその生命の女神こと、フィナはといえば――
「貴様ら、よくも儂とダーリンの甘いひとときを邪魔してくれたのぉ?」
迫力ある笑顔で眷族二人の目の前に降臨し、ポキポキと指を鳴らしながら攻撃的な光を体から放出する第一柱。
青月と黒光は途端に顔を青ざめさせる。
だが二人は現在、身動きどころか声も出せない状態だ。よって一言の申し開きも出来なかった。
その代わりという訳でもないだろうが――
「天殿、それに他の皆さんもですが、この者達が大変なご迷惑をおかけしたことを、深くお詫び申し上げます」
最高神格の一角であるミヨが、はっきりとした言葉で謝罪を述べた。
――馬鹿な⁉︎
これに驚いたのはミヨの筆頭眷族、黒光。
というのも、通常、至高の存在たる柱神が『人』に謝るなどあり得ないことなのだ。――いや、この場合において他はオマケでしかない。
「すまねい、天どん。うちの馬鹿共がとんでもねぇバカやらかしちまった」
「わ、儂は反対したんじゃぞ、ダーリン。こやつらのことじゃから絶対何かしでかすと、儂は超止めたんじゃ!」
三柱の神々が揃いも揃ってたった一人の“人間”の顔色を伺っている。
――異常だ。
そう、これはまさしく異常である。
……あの男は一体何者なのだ……!
このとき初めて、黒光は花村天という人間に底知れぬ恐怖と畏怖を感じた。
「これは私の過失です。三柱様に非はございません」
その時。
安心と慎み深さを備えた通りの良い声が、壇上に届いた。見れば、天がいつの間にか壇上のすぐ前で頭を垂れ、三柱に向かって跪いている。見事なまでに礼儀にかなった教養人の姿がそこにはあった。とても先刻までの『いかにも底意地の悪そうな男』と同一人物とは思えない。
……だからお前は何者なのだ……‼︎
もう一度そのセリフを頭の中で叫び。
黒光は天と三柱が紡ぎ出す会話を一言一句聞き逃さぬよう、全神経をそちらに集中させた。
「この度のことは、ミヨ様の取り計らいに気づいていながら、一瞬でも彼等から意識を外した私の落ち度です」
「ミヨの取り計らいじゃと?」
「はい。ミヨ様は、我々に敵の最高戦力の実力を推し量らせる為に、あえてあの二人を私に紹介なされたのかと」
「かー、そういうことかよい。――ん? 待てよ……ってこたぁ、やっぱハナからあいつらを売る気満々だったんじゃねいかい!」
「ほんに、相も変らず腹黒いヤツじゃの〜、おぬしは」
「ふふふ、一を聞いて十を知るとはまさにこのことですね。あぁ、どうして天殿は私の受け持ちではないのでしょうか」
フィナとマトのことをきっぱり無視して。ミヨはほっとしたように、それでいてどこかうっとりした顔で天を見つめている。黒光はミヨに仕えてかれこれ千年にもなるが、あんな表情の主をこれまで見たことがなかった。
……いや待て、今はそれよりももっと重要なことがある……
黒光の額に汗が滲む。いくつか不吉なワードが四人の会話から聞き取れたからだ。正確には――『推し量らせる為』『ハナから売る気満々』『腹黒い』などである。
……またミヨ様に嵌められた……!
このときようやく、黒光は自分たちが何故この場に呼び出されたのか、そのおおよその見当がついた。おそらくミヨは、最初から自分と青月が何かしら問題を起こすと見越していたのだ。そしてその後どんな形で責任を取らせるかも、あらかじめ決めていたに違いない。言わば鴨だ。自分たちは初めから葱を背負わされていたのだ。
……いや待て! 今回に限っては私は冤罪だ! むしろ辱めを受けた被害者の方だ……!
完全にとばっちりだ。
黒光は心の中で何度も訴えた。
だがその祈りも虚しく――
「この者達の処遇については、天殿に一任させていただきます」
無情なるお達しが下った。
ミヨは眼鏡を持ち上げ、きりりとした顔つきで、自分の部下を「煮るなり焼くなりどうぞお好きに」と言っている。そこに温情などは一切感じられない。期待できない。
「…………」
ふと隣の樽に目を向けると、正犯であるはずの青月が、我関せずといった態度であらぬ方向を見ていた。自分は何も悪くない。むしろ不当な罰を受けている。そんな心情が容易に汲み取れた。
「っ……っっ……‼︎」
今すぐボコボコにしてやりたい。
相変わらず樽の中で身動きは取れないままだが、黒光は声なき声をあげて青月をバッシングしまくる。
「それでは、ひとまず黒光殿の方は無罪放免ということでお願いします」
「!」
黒光は弾かれたように天の方を向いた。
彼女から注がれた期待の眼差しに、天が気づいたかどうかは定かでないが。彼はそのまま続けた。
「形はどうあれ、黒光殿は同輩の暴走を止めようとしておられた。ならば、罪に問う必要はないでしょう」
「……!」
黒光は胸が熱くなった。何だかんだで、初対面の天が一番あったかかった。
……お前、実はいい奴だったんだな……
下手をすれば如何わしい要求をされる可能性もあり得る。いや、きっとそうに決まってる。この美貌に盛って。あいつモテなそうだし――なんてことを考えていたので、余計に嬉しかった。
……ま、その見た目で性格も悪かったら救いようがないものな……
黒光が心から安堵していると――
「てめこら、儂のダーリンに向かって随分なめた口ぶりじゃねぇか、あぁん?」
「黒光。天殿はああ言ってくださいましたが、あなたはしばらくの間そこで頭を冷やしていなさい」
ダブル女神から氷のような視線を浴びせられる。神力で頭の中を読まれたのだ。
「……」
この状況に対し有効な打開策を見出せない。そう判断した黒光は、黄金に光り輝く樽の中で、とりあえず考えるのをやめた。
「……天どん。オイラんとこの問題児はどうする気でい?」
どこか諦めたふうに、マトは訊ねた。
「その前に、我が主様、そしてマト様とミヨ様に、聞いていただきたいお話があります」
「おぉ、そうじゃった、そうじゃった」
「此度の英雄がえりの褒賞となる三つの願いについてですね。伺いましょう」
白髭の爺さん神を押し退け、見目麗しい二人の女神は彼の前に立った。
「僭越ながら申し上げます」
神の御前に跪いたまま、天は静かにその話を切り出した。
◇
「う〜む」
低く唸りながら、生命神フィナは首を捻った。
「ダーリンが言わんとすることは分かったが。その願いはのぉ?」
「ええ。出来ることなら叶えて差し上げたいのですが……」
「こればっかりはいくら天どんの頼みでも、ちいとばかし厳しいぜい」
フィナに話を振られた他の二柱――知識神ミヨと創造神マトも、難しい顔をして、見るからに「申し訳ない」という空気を醸し出している。
「それはこの三つ願いが、たとえ三柱様の力を以ってしても実現困難ということでしょうか?」
三柱神の足元に跪いていた人間の青年――花村天が、地に膝をついたまま頭だけ上げて、神々に訊ねた。
「例えば、一つ目と二つ目の願いである“特殊領域の創作”は世の理に反する、あるいはこれの効果範囲が広すぎるといったことでしょうか?」
「うんにゃ。その程度の変革なら問題ないじゃろ」
「おうよ。ぶっちゃけ一つ目の願いも二つ目の願いも、出来るかどうかで言やあ、余裕で出来るよい」
「同様に三つ目の願いについても、その行為そのものは容易に実行できます」
「ただそれにはある者の“許可”が必要だ。――こういう事でよろしいでしょうか?」
「うむ!」「その通りです」「カカカ、そういうこった」
三柱の神々は一斉に色よい返事をして、一斉に破顔する。
天は立ち上がり、かの神の名を高らかに呼んだ。
「争いの神シナット」
「――遅い。いつまで待たせる」
天が呼びかけた次の瞬間。
あたかも初めからそこにいたかのように。
恐ろしいほど美しい男神が、舞台に降臨した。
「我は待たされるのを好まぬ」
「まあ、そう言うなよ。こういった形式も儀式の一環だ」
と天は肩をすくめる。
先ほどまでと打って変わり、実に砕けた調子である。
一方のシナットは、天と三柱に『儀式の準備が整うまで外で待ってろ』と神域を締め出されていた所為か、少々ご立腹の様子だ。
「――で、俺の話を聞く気はあるか? もちろんこのまま帰っても……」
「申してみよ」
天の言葉を最後まで聞かず、シナットは答えた。天はニヤリと笑う。
「俺がこれから、ちょっとした見世物を披露する」
「ほう」
「その見世物がもし面白かったら、俺の頼みを聞いてほしい」
「あやつらがおぬしの願いを聞き届けられるよう、我から許諾を得たい。そう申すのだな」
「そうだ」
一度首を縦に振って、天は言う。
「『願い』は全部で三つ。一つ目は、俺と親父が初めてこの世界に迷い込んだ地――“あの山”に結界を張りたい」
「結界とは、全ての魔物の侵入を阻む類いのもので、相違ないか」
「正確には全ての魔物の“脅威”を阻む、だな。侵入はもとより、モンスターの『災技』やそっちの信者共が使う『魔争災技』等の攻撃も全て遮断させてもらう。対魔物用の絶対結界。いわば土地の聖域化だ」
「おぬしの父もそれなる結界の対象とするのか?」
「そうしたいのは山々だが、生憎とあいつは人間だ。従ってこのルールの適用外。――あ、でも白闇とかいうヤツはNGな?」
「フッ、あやつは魔物ではなく神獣なのだがな」
天のさりげない注文に「まぁよい」とシナットはひとつ頷いて見せる。
「二つ目の願いは、一つ目と同一の結界をある町、いや今は村か――まぁどっちでもいいんだが、その周囲に張りたい」
シナットの気が変わる前に、天は早々に次の話に移った。
「正確に言えば《フラワー村》を覆う形で、その周囲一〇〇メートルを結界で囲む」
「二つ目も同種の願いか」
さして興味がない、そんな感じであった。
まあ、下手に反発されるより興味を持たれない方が天としても有難いのだが。最後については多分そうもいかないだろう。
天は主導権を確保したまま、注意深く頭の中で言葉を選び、話を進めた。
「先に断っておくが、仮にこれらの願いが叶ったとして、その事は誰にもリークするなよ? 当然、親父にもだ」
「安心するがよい。もとより我らは、そういった行いを互いに禁じている」
「そう。俺の三つ目の願いはまさにソレだ」
「……」
虚をつかれたという表情をほんの一瞬、ほんのわずかに口元に浮かべ、シナットはちらと三柱を見た。それは瞬きするほどの間の出来事であったが。天は見逃さなかった。
「俺の三つ目の願い――それはそちらに関する情報提供だ」
静かに、そして淡々と、彼は言う。
「全ての作業が完了したそのとき、俺は我が主生命の女神フィナに、とある質問をする」
天はわざと思わせぶりな言葉を用いた。この最後の願いについては、逆に興味を持ってもらわねば困るからだ。
「俺の質問に対し、我が主様にはイエスかノーか、正か否かで答えてもらう。これを黙認してもらいたい」
「その質問とは?」
「あとのお楽しみだ」
言って、天は目を鋭く光らせ、不敵に笑って見せる。
「ちなみに、この質問の内容については御三方もまだ知らない」
「……」
シナットはまたそちらに目を向ける。
「嘘はついてねいよい」
「天殿は、意識的にその事についてモヤをかけております」
「これが驚くことに、儂らの神力でも覗くことができんのじゃよ」
三柱はしきりに頷く。シナットは天に視線を戻した。
「『あの女』のことか?」
「悪いがそいつもまだ言えない」
短く首を横に振り、天は挑むように言葉を放った。
「争いの神。この話、受ける気はあるか?」
「おぬしの言う『見世物』とはなんだ」
それ次第だ、とでも言うように。
シナットは「答えろ」という意気を天に投げかけた。
「フィナ様、ミヨ様、マト様」
天が声高く、三柱の神たちの名を呼ぶ。
「『あの者』の封印を解いていただきたい」
次の瞬間、
「………………」
舞台端に置かれた金色の樽の片方が消失し、中から創造神マトの筆頭眷族――“神獣”青月が姿を現わした。
「お前に名誉挽回の機会を与えてやろう」
「なんだと……?」
親の仇でも見るかのような目つきを向ける青月に、天は言った。
「俺と尋常に勝負して勝つことができたら、お前を無罪放免にしてやる」
「……正気か、貴様」
「何だったら、俺を殺すことができたらでも構わんぞ?」
「ククク……どうやら貴様は本当に狂っているようだな」
刹那、青月の全身から圧縮された高密度の魔力が赤い光線となって迸る。
「人型風情が、望みどおり嬲り殺しにてくれるわぁああっっ‼︎‼︎‼︎」
荒れ狂う神の獣を一瞥し、天はふたたびシナットを直視した。
「さあ、これですべてのお膳立てが整った。――返答は如何に」
「よかろう」
邪神の冷えきった紅の双眸に、興奮の色がさした。
「我を存分に楽しませよ、花村天。さすればそなたの願いを聞き届ける」
「確かに言質を取ったぞ、争いの神シナット」
この瞬間、契約が成立した。
「何をとち狂っとんのじゃ、あの馬鹿神は! ダーリンの願いを聞き届けるのは、この儂に決まっておるじゃろが‼︎」
黄金色に輝く後光が、白一色の世界を煌びやかに彩る。
「素晴らしい! シナットの来訪という極めてイレギュラーな事態を逆手に取り、類まれな機転と発想でこのような最適解を導き出すとは。見事です、天殿!」
それはまるでお祭り騒ぎのようなはしゃぎようであった。
「か〜、やっぱこうなっちまうか〜。しゃあねえ、こうなったらド派手な闘技場ぶっ建てて、アイツの最後に花を供えてやるよい!」
超神界はかつてないほどの熱気に包まれていた。
その一方で。
なんやかんや言いながら大盛り上がりの神々をよそに――
「ゾクゾクするのです……」
ある者は神々同様、師の活躍に期待し。
「マスター……あなた様への感謝の念は、言葉では到底言い表せません。私もエレーゼも集落の者たちも……いつか、いつか必ずあなた様のお役に立ってみせます……!」
ある者は主人の計らいに心から感謝し。
「これはあまりにも危険な行為だ……青月殿はかの三柱様が使役する眷族の筆頭を務めるほどの手練れ。いかに天君といえど、勝てる保証などどこにもないのだよ!」
ある者は友の身を案じ。
「心配いりません。たとえどのような相手であろうと、天様が敗れるなど万が一にもあり得ません」
ある者は想い人を信じ抜き。
「いずれにしろ、ああなった兄さんはもう誰にも止められない」
そしてある者は、傍らで静かに眠る女性を見つめながら、誰よりも今の『彼』の心境を察していた。
「……」
「どうしたのだ、下等動物。まさか今更怖気づいたわけではあるまいな?」
「……いや、もう我慢しなくていいと思うと、嬉しくてついな」
「はぁ?」
いまだ自分の置かれてる状況に気づけていない。ある意味この者が一番哀れなのかもしれない……。
「悪いが、お前には見せしめになってもらう」
「なにっ」
だが残念ながら……
「神界の連中が二度と俺の連れにおイタをしないよう、徹底的にやらせてもらおう」
もはや手遅れであった。




