第104話 決断③
死のような静けさのなか。
車内に永劫とも思える数秒の沈黙が流れた。その後に――
「……笑えないな」
喉の奥から魂ごと引き絞るような声で、カイトは言った。
「じゃあ何かい? 俺達の祖国は、国の宰相や騎士団の精鋭部隊の隊員はおろか、城で働く侍女までも“人ならざるもの”だってことかい?」
「そういう事になるな」
小刻みに震えるカイトの声に、感情のない鉄の声で応じたのは、この真実に一番最初にたどり着いた彼の相棒――花村天であった。
「これはあくまで俺の推測だが、恐らくヤツの兵隊は、今現在、国中に潜伏してるものと考えられる」
まるで機械の音声が説明文でも読み上げるような喜怒哀楽の欠如した語り口調で、天は淡々と続けた。
「今回のアリス誘拐に駆り出された“邪教徒”は、その中のほんの一部、氷山の一角にすぎんだろう」
彼の口上に、遠慮や躊躇いなどの感情は微塵も感じられない。
「『ランド王国』宰相ゴズンドは、自らの立場を最大限に利用し、十年がけで自分の望む環境と組織を作り上げた」
そんな風に接したところで、今の二人にはなんの救いにも慰めにもならないことを、彼は知っているから。
「結果、今や『ランド王国』は、人型の姿をしたヤツの部下や協力者どもが蔓延る――文字通りの魑魅魍魎の栖に成り果てた」
天がそこまで話したところで。
「……はは、参ったね……」
動力車の後部座席中央で項垂れるように座っていたカイトが、顔を伏せたまま呻き声を洩らす。
「まさか、ここまで『ランド』が奴等に侵食されていたなんて……っ」
カイトは歯を噛み締めずにはいられなかった。
腹の底から込み上げてくる悔しさと、胸に迫る情けなさが、全身を蝕むような錯覚さえ生じさせた。
ーーただそれらの感情はすぐに霧散する。
「……“あの男”だ……」
ゾクりとするような音声がカイトの耳に届いた。
「みんなあの男の、あの男のせいで……ランド王国は、ランド王家は……!」
彼女の目は光を失っていた。
彼女の声は呪いをはらんでいた。
彼女の唇は憎しみの色をうかべていた。
「……お母様や私だけでは飽き足らず、あの男は自分の保身のために、国を、民を、家族を……あの悪魔に売り渡したんだっっ‼︎」
「お、落ち着くんだアクリア!」
カイトは咄嗟に身を乗り出し、左隣にいたアクリアの両肩を強く掴んだ。
「まだ確実にそうだと決まったわけじゃない!」
「あの男は、一体どこまで―――ッッ」
「っ……」
カイトは再び歯噛みした。
長年アクリアを一番近くで見てきた彼だからこそ分かる。彼女が言葉遣いを失ったときは、極めて危険な状態にあると。
「いいかい、アクリア。気をしっかり持つんだ」
「あっ……あぁ……っ」
「アクリア」
半狂乱に陥ったアクリアを強引に自分と向き合わせ、カイトは根気よく呼びかけた。
「もう一度言うけれど、まだアルト王が完全にゴズンドと結託していると決まったわけじゃない」
「―――いや、現時点では国王は限りなく黒に近いグレーだ」
そう断言した――水を差した――のは、しばし助手席で傍観者に徹していた天である。
「流石にゴズンドの正体や目的をすべて承知の上で協力しているとは考えにくいが、それでも、少なからずヤツがやる事の大半を黙認してるのは確かだろう」
「兄さん!」
「それだと協力してるのと変わらないのです」
リナが感情を交えず天の言葉を後押しした。これにより、カイトの非難めいた一声はすぐさま上書きされてしまった。
「カイト。あなたのそういった行為は、本当の優しさではないと知りなさい」
そしてカイトの右隣で今まで状況を静観していたシャロンヌもまた――天とリナの心の声を代弁するかのように――静かに口を開いた。
「真実から目を背けていては、いつまで経っても前には進めませんよ?」
「それは、確かにそうかもしれませんけど……!」
そういう事ではない。
カイトは心の中で激しく仲間たちに反発した。彼にとって今最も優先すべきことはアクリアを守ることであって、真実の追求ではないからだ。
「クリアナ殿を奴等の手から救い出す」
唐突に紡がれた言葉が、刺々しい空気に包まれていた車内に響いた。
「その為に俺達が先ずやるべきことは、真実を白日の下にさらし、ゴズンドを追い詰めることだ。少なくとも俺はそう思っている」
続けざま――「お前たちはどうだ?」という視線で――天はバックミラー越しに後ろに目を向ける。
これに対し、カイトは咄嗟に言葉が見出せなかったが、
「……天様の仰るとおりでございます」
胸の真ん中に手を当て、気を落ち着かせながら、アクリアが応えた。
「取り乱してしまい、申し訳ございません。カイトも、私ならもう大丈夫ですから」
「アクリア……」
大丈夫なわけがない。
意識が安定しただけで顔はいまだ真っ青だ。
アクリアが今なお危険な状態にあるのは間違いなかった。
しかし。
「お願いします、カイト。このまま続けさせてください」
「……分かった」
それ以上は何も言わず、カイトはアクリアの肩からそっと手を離した。
遅かれ早かれ、いつか真実と向き合わなければならない日がやってくる。
問題を先延ばしにしたところで良い結果が生まれるわけではない。その事はカイトが一番よく分かっていた。
「話を戻すが、現状『ランド王国』はヤツの手中に落ちつつある」
カイトがちらと目で合図を送ると、天は何事もなかったかのように話を再開した。
「リナやシャロも言っていたように、国として明らかに何かがおかしい、容易にそう感じ取れてしまうほど――今の『ランド王国』は様々な面で腐敗している」
「「……」」
再び陰鬱な沈黙がアクリアとカイトを支配する―――が、
「だが、逆に言えばこれは好機だ」
「私もそう思います」
いきなり飛び出た天の突拍子もない発言を、シャロンヌが迷いなく支持した。
「国がまともに機能してないなら、こっちとしても色々と立ち回りやすいのです」
リナもそれに続く。
天は前方に顔を向けたまま、
「現時点で、俺達は敵の現状を少なからず把握している」
「でも、あっちはあたし達のことをほとんど何も知らないはずなのです」
「それどころか、あの愚か者どもは、自分たちの正体が我々に露見したことなど露ほども思ってはいないでしょう」
「その通り。これは途方もなく大きなアドバンテージと言える」
そこまで話して。
動力車は道幅の広い車道から外れて、左側に見えた細い並木道に進路を変えた。
こちらは正規のルートではない。言ってみれば迂回路だ。この道を行くと、単純に計算しても拠点に帰るまで二十分以上の遠回りになる。
ただその代わり、こちらは人通りも車通りも極端に少ない大通りの裏の道。つまりはそういうことだ。
「たまにはこっちの道を使うのも悪くないの」
リナは皆に確認を取らず、そちらのコースを選んだ。
だが当然、リナの配慮に文句を言う者など――シロナがこの場にいればまた話は変わるのだろうが――いなかった。
それから少し走って、動力車がひときわ寂しい小道までやってくると。
「多分、今のところあたし達の中で警戒されてるのなんて、シャロ姉ぐらいなのです」
「そうだな」
天は相槌を打ちながら、バックミラーの中のシャロンヌに目を向ける。
「今回の事件解決も、おそらく向こうは『Sランク冒険士シャロンヌの功績』と判断しているだろう」
「甚だ不本意ですが、そう考えるのが一番自然と思われます。誠に遺憾ではございますが……」
言葉通り、シャロンヌは心底嫌そうに顔をしかめる。
天は苦笑を浮かべて、
「まあ、その方が何かと都合がいいから、余計なことは言わなくていいぞ」
シャロンヌにそれとなく釘を刺す。
「親父殿にも、俺のことは出来る限り伏せておいてくれと一応頼んでおいた」
「ですが、マスター!」
たとえ本人の意思でなくとも、誇り高いシャロンヌが人の手柄を横取りするような真似を良しとするわけがなかった。ましてや、その手柄をあげた張本人は自らが主と敬う人物。シャロンヌとしてはなおさら受け入れ難いに違いない。
だが。
「情報操作も立派な戦術だ。文句を言うな」
上からの命令は絶対だ。そもそも、天とそういった関係を望んだのは他でもない彼女自身である。
「諦めるのです、シャロ姉」
クスクスと笑いながら、リナが言った。
「連中がシャロ姉だけに注目しててくれれば、その間あたしたちは敵の背後から奇襲をかけ放題なのです」
「その前に私が一人残らず奴等を血祭りに上げます。よって、あなた達の出番はないと知りなさい」
憮然とした顔でシャロンヌが答えた。それがせめてもの反発だと言わぬばかりに。
「……ハハ、なんというか……」
全くどちらが悪役か分かったものではない。そんなやり取りを繰り広げる女性陣二人を見て、カイトは思わず失笑を漏らす。
横目で一度アクリアの様子も確認してみたが、やはり彼女も自分と似たような反応をしていた。
……まったく頼もしい限りだね……
不思議と、そう思わずにはいられなかった。
そして――自分もいい加減落ち込んでばかりいないで意見の一つも出さないと、と――ブロンドの坊主頭を掻きながら、カイトが口を開きかけたときだった。
「みんなに聞いてほしい事がある」
皆に一声をかけ、
「クリアナ妃を救出するにあたって、俺に考えがある」
天は言った。
「さしあたり、『ランド王国』には地図の上から消えてもらおうと思う」
そして彼は、その場にいた全員に……あるひとつの決断を迫った。
◇◇◇
《アルカの塔・最上階 第六階層》
そこは床一面が黄緑色の苔に覆われた、建築物の中――というよりはむしろ森の中をイメージさせるような部屋。
……ボブァ。
もう五百年以上も前に建てられた、天にそびえる古の塔。
所在国である『ランド王国』よりも長い歴史を持つ、その塔、その最上部にて――
「ボブァ……」
――かの魔物は待ち構えていた。
「理解しました」
人がこの『アルカの塔』の最上階に辿り着いたのは、実に十年振りのこと。
「私たちがこの地へ足を踏み入れた瞬間から、幾度となく威嚇行為を繰り返していたのは、“あなた”ですか」
Sランク冒険士シャロンヌは、冷笑を浮かべながら右手に小太刀を顕現させる。
「さしずめ、“あなた”がこの塔の主といったところでしょうか」
一歩、また一歩と、シャロンヌは標的に向かって前進して行く。
「まぁいずれにせよ、ようやく少しだけ張り合いのある相手に出くわしました」
彼女の視線の先には、
「ボブァ……ボブボォオオオオオオオオオッッ‼︎」
一匹の巨大な猪の魔物が、古塔の絶対者として待ち構えていた。
「――それにしても『ブレストボア』とは珍しい」
赤茶けた大岩のようなモンスターの勁烈な雄叫びを、冷たさすら感じる涼しげな表情で受け止め、シャロンヌは独りごちた。
【ブレストボア】
オーク種の変異体として知られる猪型の魔物。
一般的には『オーク』より進化した魔物はそのほとんどが『ハイオーク』になる――が、ごく稀に、この『ブレストボア』に変異を遂げる個体がいる。
ユニークモンスターほど珍しくはないものの、それでも人界では滅多にお目にかかれない。一部の珍獣愛好家たちの間では、幻のモンスターなどとも呼ばれている。
ーーただし、珍しいのその遭遇率だけではない。
通称『死山猪』。
その実力はCランクモンスターの中でも屈指と言われており。角のように突き出た二本の牙と破壊的な突進力から繰り出される攻撃は、過去にハイクラスの冒険士すらも死に至らしめたという記録もあるほどだ。
「しかもこの大きさは―――」
シャロンヌがいま眼前に見るソレは、体長五メートルは優に超える、体重も軽く三トンはあろう体躯をしていた。これはCランクのモンスターとしては破格のサイズといえる。
「ふふふ、狩猟の締めとしては悪くない獲物ですね」
本日のメインディッシュを前に――
「さて、どう料理しようか」
シャロンヌの意気が、従者モードから猟奇モードへと切り替わる。
「シャロンヌの姐さん‼︎」
ふいと背後から威勢の良い声が飛んできた。
「こっちの『コケッシー』は僕に任せてほしいしっ!」
「ケシーーッ!」
とりあえず無視して。
シャロンヌは一瞬止めた歩みを再開した。まな板の上の鯉の調理法が決定したからだ。
「光栄に思いなさい。お前には特別に“練気”を使用する」
と、そのとき。
「――お待ちください、シャロンヌさん」
シャロンヌの真横を通り過ぎ、彼女を追い抜いた者がいた。
「アクリア……?」
突然の登場にほんの一瞬驚きはしたものの、
「ここは私の担当のはずですが?」
シャロンヌはいかにも不機嫌といった態度で、アクリアの背中に向かって疑問をぶつけた。
「申し訳ございません。ですが、この場は私に譲ってはいただけませんか?」
対照的に、アクリアはひどく落ち着いていた口調で返事をする。
「どうかお願いいたします、シャロンヌさん」
その声は、目の前にCランク最強のモンスターがいるにも拘らず、怖いほど冷静であった。
「……そういえば、あなたは今日まだ一体もCランクモンスターを倒していませんでしたね」
そう言って、シャロンヌは『ブレストボア』への進軍を中断する。
本日、シャロンヌはこの『アルカの塔』に辿り着く前に、既にCランクモンスターの『ハイリザードマン』を仕留めている。
同様に、今日アクリアとコンビを組んでいたカイトもまた――最初の目的地の『サルクス霊園』で『ハイオーク』を単独討伐していた。
対するアクリアは、いまだ一匹もCランク級のモンスターを倒していない。それどころか、戦う機会すら与えられていない(初戦の対『ハイオーク』は出会い頭にカイトが一撃で勝負を決めてしまった為)。
ーーこれは確かに不公平だ。
加えて、唯でさえシャロンヌは今日ダントツで――カイトやアクリアと違い、事実上ひとりで自分の受け持つダンジョンを攻略しているので――魔物を狩っている。
ーーこれは好ましくない。
シロナはともかくとして、他三人の獲得する『英雄PT』はできるだけ均等にしたい。
それは本日この場を天より任されたスーパーメイドたる彼女の、課題の一つでもあった。
シャロンヌは数瞬の思考の末、
「……いいでしょう」
小さな吐息をついてから、武器を収めた。
「ここはあなたに譲ります」
もともと、シャロンヌが不機嫌だったのは獲物を取られたからではない。
「ただし、マスターの庇護下にありながら、あの程度の相手に後れをとることは許されないと知りなさい」
「ありがとうございます、シャロンヌさん」
不覚にも本人に声を掛けられるまで、アクリアが接近してたことに気づけなかった。そのことに対して――
「形無しとは、こういった事を言うのでしょうね」
シャロンヌは苦い悔恨と、言い知れぬ薄ら寒さを覚えていた。
アクションが起きたのは。
シャロンヌとアクリアが言葉を交わした、その直後のこと。
「ボアボボヴォォオオオオオオオオオオオッ‼︎‼︎」
猛り狂った咆哮を上げ。
地鳴りにも似た足音を部屋全体に響かせながら。
大猪の魔獣が、猛然と二人目掛けて突進してきた。
「これは、武器をしまったのは早計でしたかね?」
などと軽口を叩きつつ。
シャロンヌは華麗な動きで軽やかに身を翻し、難なく『ブレストボア』の攻撃を躱した。
一方のアクリアは―――
「ハッ」
短い気勢とともに、頭上高く飛んだ。
「――もはや『ランド王家』は、この世界の癌に成り果ててしまいました」
瞬く間に最上階の天井すれすれの位置まで跳躍すると、アクリアはどこか虚ろな瞳で、眼下の標的物――『ブレストボア』を見据えた。
「愚かなる王が、己の役割を放棄し、悪魔にその身を委ねたせいで――」
瞬間。
アクリアの両手が光に包まれる。同時に、その手の中に巨大な鎌の輪郭が浮かび上がった。彼女愛用の武器――大鎌『デスサイズ』である。
「――ならばそれを止めるのは、この国の王族であり、彼の王の娘である、私の務め」
アクリアは空中で静かに武器を構えた。
生物の命を刈り取る為だけに磨かれた兇刃が、ギラリと光る。
次の刹那。
天空から振り下ろされた死神の鎌が、地上で第二撃をあびせようと待ち構えていた『ブレストボア』を、一閃する
勝負はその一瞬で決した。
「この国を終わらせます」
胴体を真っ二つにされ、崩れるように地に伏した魔物を背に、アクリアは言った。
「お母様の想いを踏み躙ったすべてを、私がこの手で裁きます」
それが。
祖国と家族を心から愛した姫君の下した――決断だった。




